2017年01月17日

銀河の里の一コマ(Photo Gallery) ★ 【平成29年1月号】

○高齢者部門のひとコマ・障がい部門のひとコマ
 ・Feelingainプレゼンツ企画展「スタート!」の様子
 ・お正月のひとコマ
 ・高齢者部門の収穫の秋(林檎・柿・大根・小豆)
 ・障がい者部門のクリスマス会の様子
○第3回よりあい広場の報告
○実践型・体験型インターンシップ開催中の案内
○里のアートシーン             ・・・・・など

8.年の瀬.jpg
9.お正月&一コマ.jpg
10.最終.jpg
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2016年12月03日

TOP画 「結 -yui-」 ★ 佐藤 万里栄【平成28年11月号】

茂さん2(縮小).jpg

*続けて、あまのがわ通信「家族とともに〜私を支える場所〜」佐藤万里栄もお読みください。
 このTOP画にまつわるエピソードになります。
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2016年12月02日

家族とともに 〜私を支える居場所〜 ★ 特養北斗 佐藤万里栄 【平成28年11月号】


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 繁さん(仮名)と出会ったのは4年前のことだった。私はグループホームから特別養護老人ホームに移ったばかりの頃で、右も左もわからない私を父親のような存在感で支えてくれた。
 若い頃、国立競技場を作るのに駆り出されたりして、腕の確かな大工さんだった繁さん。どっしり構えてユニットを見守っている繁さんの姿は大きな山のようで、慌ただしく過ぎていく特養の毎日の中での、私にとって心の拠りどころだった。「ヒロ、ケン坊、がんばってらか〜」と斜め上をながめて孫さん達を応援していたり、背格好が似ているスタッフを「ケン坊♪」と呼んで笑ったり。娘さんの名前を呼んでいる時に、女性スタッフが娘になって「どうしたの〜?」と返事をすると「こんな時間に出かけちゃだめだ〜」とお父さんの一面を見せてくれたりもした。ある時には大工の親方らしく「この建物は建てて何年だ?いい家だなぁ」と語ったり、「この柱なんだ!こんな仕事じゃだめだ!」とテーブルの脚をたたいて強度を確かめたり。繁さんの中には、まだまだたくさんの仕事が残っていた。

 ある日、「家に帰る!」と車イスを乗り捨てて立ち上がり、スタッフに支えられて一歩一歩しっかりと踏みしめ歩いていく繁さん。私は、繁さんの、身体を超えた途方もない「家」と「家族」への思いを感じた。
今年9月の誕生日に「欲しいものある?」と聞くと「いっぱいあるよ」と言う。「一つ教えて」と頼むと「自分の家」と教えてくれた。繁さんは昔、自分の家を建てようと木材を集めていたそうだ。私はその言葉を聞いて「誕生日には繁さんの家を作ろう!!」と決めた。
 「どんな家が良い?」と聞くと、ある日は「二階建ての…白い家。屋根は黄色」、またある日は「ドアが4つ、窓が12個」といろいろプランがあるようだった。私は悩んだ末に、粘土で家を作ることにした。そして誕生日の当日、私は粘土の家を、ユニットスタッフの勝浦さんと洸樹くんはお菓子の家を作ることにした。
お菓子と粘土の家では大工の繁さんに怒られるのでは…とちょっとドキドキ…だった。最初は鋭い目つきで、私たちが悪戦苦闘しながら各々の家を組み立てていく様子を見ていた。私たち人足の現場の仕事ぶりを大工の棟梁の繁さんが監督している感覚になった。言葉がないのが余計に緊張感をもたらせた。繁さんも修行時代、こうして親方の視線を感じて家を建てたのだろうと思った。
 私の家はその日の内には完成をみなかったけれど、まず先にお菓子の家が完成した。繁さんは「嬉しいよ」「ありがとう」ととても良い表情で言ってくれた。その上、自分の誕生日なのに「皆で食べろ!」と振る舞ってくれた。ひとつの家の完成を皆で喜ぼうとする姿勢に、私は、繁さんの中にある「家」の存在の大きさをしみじみと感じた。

 10月に入ってから繁さんは足の血色が悪くなり、一度大きな病院に入院した。医療管理の面から考えて、そのまま病院でターミナルを迎える話もあったが、家族さんが「ぜひ銀河の里に戻りたい」と言ってくださった。そして10月12日にユニットに戻り、看取りをすることになった。寝たきりになった繁さんではあったが、ユニットの大黒柱として、言葉やしぐさを通じて、その存在感は全く変わらなかった。
 娘さんご夫婦やご家族の方々が毎日面会に来られ、「今日はどうですか?」「何かしゃべってらっけ」「さっき起きて手が動いてたよー」と繁さんのさまざまな話題で盛り上がり、周りは家族さんやユニットスタッフで、明かりが灯ったようだった。
 繁さんはお孫さんが大好きだった。そのお孫さん二人も長期休暇をとって東京などから面会に来られた。お二人に協力してもらい、繁さんは久しぶりに入浴することも出来た。孫さん達が小さいころは繁さんとお風呂に入っていたという。「おじいさんの入れる風呂は熱くて入り難かった」という孫さんならではのエピソードも教えてくれたりして、ほのぼのとしたいい時間を過ごすことができた。

 ターミナル期に入って繁さんは、「家」や「家族」を自分で引き寄せてユニットの中に作り上げていた。それはとても自然な形をしていて、いつの間にか私はユニットに居ながらにして繁さんの「家」に入れてもらっているような感じさえした。繁さんは、特養に入居しながらも「家」や「家族」を傍にしっかり感じていたと思う。
 体力は衰え、身体も弱っていくのだが、そんな身体を抱えながら、繁さんは何一つ手放そうとしなかった。日が経つにつれて言葉が出なくなっても、家族さんや私たちの問いかけには微かな身体の動きなどで反応してくれる。そこに繁さんの感情の動きを確かに感じた。いつも仕事をしているようで、両手は天をかき集めるようにして動かし、忙しそうだった。「上手くいった?」と聞くと、にんまりと返してくれることもあった。たまに頭の後ろに手を回したり、腕組みをしたりして悩んだようなポーズもとっていた。上手くいかないこともあったようだ。
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2016年12月01日

銀河の里のエキサイティングな日々 ★ 施設長 宮澤 京子 【平成28年11月号】

【朝のスタート:申し送り】
 毎朝8時30分から、各部署の日勤者が集まって「朝の申し送り」が始まる・・・ことになっている。銀河時間は、世の中の時間とは少しずれているようで「5分前行動」を合い言葉にしているのに、何故か「5分遅れ行動」が常態化している。悪いことに、終了時間を9時に決めているのにエンドレス・・・なんてこともしばしば。
 かつて私が東京で勤めていた特養ホームの朝礼は「○○さん、夜間不穏状態が続き、睡眠不足」「○○さん、昨夜熱発。水分摂取、クーリング実施で今朝は平熱」「○○さん、排便マイナス4日目、下剤2錠服用で反応便あり」「○○さん、食欲不振が続き体重2s減」「一般状態、特変ナシ」といった具合で、100名の入居者の申し送りが、ほんの15分で終了し、その後、スタッフは無表情にラジオ体操をして解散になる。申し送りの内容は健康状態に関することがほとんどで、スタッフの誰もが「淀みなく簡潔にかつ事実のみ」を述べる。その当時の私は、それが当たり前と思っていたが、今思うと、入居者は「ケアされる人」というだけの認識だということが暴露されている。「なんと暴力的で管理的な内容なのだろう」と寒くなる一方で、「なんて、もったいない」と悔しさで熱くなる。

 里の申し送りは全く違う。まず今日の全体の予定を私の方から伝え、デイサービス事業所(以下、デイ)は、利用人数と活動予定を伝えた後、昨日の様子を語る。曜日によって人数も利用者の顔ぶれも違うので、どうしても新しく利用された方への注目や武勇伝をもつ個性豊かな方達の印象が強く残る。次は居宅介護支援事業所(以下、居宅)で、ケアマネから在宅の要介護高齢者の状況やサービス関係機関との調整等、また地域のインフォーマルな社会資源についても語られる。施設サービスと在宅サービスの両側面を常に意識することが出来る場でもある。次は、障害者就労継続支援B型事業所ワークステージ銀河の里(以下、ワーク) で、利用者の出欠状況、行事等の予定、農業班(田んぼ・リンゴ)・ハウス班・惣菜班等の作業内容が伝えられる。ワークの利用者は、そのほか各事業所に介護補助として入っているので、高齢部門と障害部門が一所で申し送りをすることの意義は大きい。暮らしの基盤が「農業」にあることや、高齢・障害の制度の縦割りをなくして「里」として統合していることの意義はさらに大きい。ワークの申し送りの特徴は、利用者の溢れ出たエネルギーが爆発してぶつかり合っているケースや、「仕事や仲間のこと」「家族のこと」そして「私の気持ち」が絡み合って「もやもやする」が主訴の相談事が多く、「頭が痛い」「お腹が痛い」と症状が身体にも現れる。確かに、このように申し送りしている最中にも「どこだ、どこだぁ、陽子さん(相談支援員)は、いるかぁ」と事務所に飛び込んでくる正孝さん(仮名)。「僕は、今日、どうしたらいいですか!」と声高かに同じ問いを連発する。自分のスケジュールの確認のように聞こえるが、彼の中ではスケジュールの訂正や変更を許さない頑なさがある。私の顔を見ると必ず「施設長は、今日、何をしますか!」と問うが、返事を求めているわけではない。日々の日課は勿論、週間や月間の予定さえも頭に刻み込まれており、誰よりも早く変更に気づき情報も速い。確かに銀河の里の広報マンであり、悔しいが、管理者の私より里全体を把握している。申し送り終盤頃には、ワークの利用者4〜5名が列をなして支援員を待ち構えている。彼らの喧噪にも負けず、申し送りは続く。

【銀河劇場】
 これからが「銀河劇場」の始まりなのだ。グループホーム(以下、グループ)は2ユニットあって、認知症の方9名が一つ屋根の下、共同で暮らしている。24時間365日の暮らしの主役達だ。ほぼ毎日18名の個別の様子が伝えられ、誰一人「特変ナシ」の人はいない。それどころか、「○○さんと○○さんが」とか、「スタッフの○○さんと○○さんが」といった関係性のエピソードが語られる。日々のエピソードのほとんどが「謎かけ」を含む事柄なので、後日の申し送りでその進展を聞きながら「なるほど」と頷き、「うそぉー」と驚き、スタッフにどよめきがおこる。どんなプロセスになっていくか、みんなが注目し、時に自分の見立てがいかに甘いものであったか思い知らされるのである。みんなで大笑いして、申し送りを聞いた後は、すでに一日が終わった感に襲われることもしばしばだ。いやいや、スタートはこれからだ。

【部署巡回のひとコマ】
朝の決済等の事務仕事が一段落して、「各部署巡り」と称してお茶をいただきに、まずグループを訪問する。「おはようございます」と言って戸を開ける、正面に控えているキクさん(仮名)が新聞を広げてにっこり会釈をしてくれる。「あら、いつもどうもね」と、真っ先に声をかけてくれる澄子さん(仮名)。「奥さん、今年も宜しくお願いします」とお正月の挨拶をしてくれるサチさん(仮名)。キラキラと目を輝かせ両手を広げて「いらっしゃーい」と迎えてくれる虹子さん(仮名)。カブ(膝かぶ)が痛いと言いながらも雑巾がけをしているツキさん(仮名)。おっと、ソフェで居眠りをしている光雄さん(仮名)、その幸せそうな表情に、ほっこり。新しく入居になった銀子さん(仮名)は、すっかりなじんだ様子で椅子に座っている。私が近づいて「宮澤と申します」と挨拶をすると「あら、宮沢りえさん?」とうれしい返しをしてくれる。「残念!宮澤京子なんです」と言うと「そう、京都の京ですか?」と、これまた古都の美しいイメージをさりげなく伝えてくれる。「いいえ、東京の京です」と、バカな返しをしている私。その様子を、観音様のように微笑んで見てくれるキミさん(仮名)。まずはみなさんへの挨拶をし、私はいつものように、ひっそり畳椅子に座っているユウさん(仮名)の隣に座って、肩もみをさせて貰う。朝は身体の動きが悪いと言うユウさんの背中全体を、軽くさするところからはじめる。小さかった頃に私は、肩凝りだった母親の肩もみをするといつも「お前、筋がいいよ」と褒められていたので、今も肩もみにはちょっとばかり自信がある。ユウさんの肩と背中を終え、少し固くなった首筋を触ると「そこそこ、効くなぁ」と目を細めてくれる。足も硬く腫れているので、軽くタッピングしながら椅子の上に両足を挙上して貰う。私なりのプログラムを終了すると「いつも悪いなぁ、オレばり良い思いして」と小さな声でお礼を言ってくれる。胸がジーンときて「こちらこそ、有難う」と俯いてしまう。頃合いを見て、スタッフが私達の前に小さな折りたたみテーブルを出して、二人分のコーヒーとお茶菓子を用意してくれる。幸せなひとときが過ぎる。「今日も一日がんばるぞー」という暖かい気持ちに包まれたところで、深くお辞儀をしてお暇する。ところが、たいていユウさん・ツキさん・澄子さんは玄関まで見送ってくれるので、双方お辞儀の応酬となり、私は靴も上手く履けないまま外に出ることが多い。

【銀河劇場:特養編】 ― 障子Open
 特養ほくとの繁さん(仮名)がターミナル期を迎えており、私がお部屋を訪問すると、窓の障子が開いて明るい日差しと外の景色が飛び込んできた。道を挟んで我が家が建っている。そうか、私が2階で毎朝歯を磨くときに眺めている特養の部屋は、繁さんの部屋だったのか、と今更気づく。娘さんがいらしており、私も少しの時間一緒にいさせて貰った。「繁さん」と言って手を握ると、しっかり握り返してくれて、目もうっすら開けて、こちらを見てくれている・・・手の力に込められた繁さんの思いが、私の手を伝ってきてうれしかった。
繁さんの部屋を出ると、テーブルに座っていたハルさん(仮名)が「あら、お出かけ?気をつけていってらっしゃいね」と、にこやかに声をかけてくれた。「鋭い!」どうして、私がこれから研修に出かけることを彼女は知っているのだろう。

― 100歳の魔女、ハロウィンで「花嫁」に?
 繁さんの部屋と真正面に座っているタカさん(仮名)が、「施設長さ〜ん」と手招きしている。特養に入居されている方で私を「施設長」と呼んでくれる人は数人しかいない。タカさんに呼ばれたのは初めてだったので、何事かと側に駆け寄った。「あさって施設長さんは、ここでパーティをやることを知っていますか?」と、施設長名指しだったので、ここは外してはいけないと頭をフル回転させた。しかし行事予定には明後日のパーティについては何の記録もなかったはずだ。慌ててスタッフにSOSをかけて聞いたところ、「ハロウィンパーティー」とのこと。さすがタカさん情報通!「ハロウィンて、カボチャの魔女に仮装することなんじゃない?」と私が言うと、「あっはっはっは、私は100歳の魔女だから仮装しなくてもいいの」と返してくる。「恐れ入りました!」とお辞儀をするや否や100歳の魔女は、私を箒の後ろに乗せて飛び立ち、一瞬にして彼女の小学校時代のところまで連れて行ってくれた。「私ね、5年生から6年生までの間、学校の帰りに千葉先生から日踊を習っていたのよ」と言う。元NHKのアナウンサーだった(故)高橋圭三さんの兄弟の結婚式の時に、習っていた日本舞踊を披露したが、その時に作ってもらった着物の生地はとても高いものだったらしく、この話のところで、口に手を当て「くっくっ」と自慢気に含み笑いした。この時、私の妄想がかき立てられ・・・今は仮装する必要はないと言いきるタカさんだが、結婚式で日舞を舞った少女のタカさんは、きれいな着物に身を包んで「花嫁さん」を演じたのではなかろうか? タカさんは結婚をすることなく、たくさんの兄弟達のための「母親」として生きた。私は、明後日のパーティで「花嫁」に変身したタカさんを思い浮かべた。
 さて、100歳の魔女がリビングに舞い戻ると「今日はあなたに会えてとても良かったです。話をしたら、胸にあったモヤモヤが吐き出されて楽になりました」と手を握ってくれた。さっき私は繁さんの手を握り、今度はタカさんが私の手を握ってくれ、つながっていると思った。

― 障子Close この世の契り、あの世の契り
 研修で花巻を離れるので、義母にも会ってからと思い、オリオンに顔を出す。先日から「指輪が無くなった、誰かに盗まれた」というストーリーになっているらしい。義母が岩手に来てから指輪を填めているのを見たことがないし、特養ホームに持って行くはずがない・・・しかし何故今そんなストーリーが作られているのか。部屋に入ると、障子を閉めて半分だけカーテンが引かれ薄暗い中で寝ていた。「お義母さん、元気?」と声をかけると、目の下が隈になって顔色が優れない。目を閉じたまま「わしゃ、今日、成仏します!」と、おもむろに布団から手を出して合掌する。なんと左の薬指には、結ばれた毛糸のヒモが垂れ下がっているではないか、流石に私も怯んでしまった。「成仏は、もう少し待って下さい」とお願いして部屋を出た。この世との契約としての指輪を亡くし、あの世との契りとしての毛糸ヒモなのか・・・と、赤い糸ではなく薄茶色というのも何か意味深だ(後日談だが、私の留守中、特養ホームからはなんの連絡も入らなかったので、成仏はしなかった)。

 ― 黒靴底の剥落・陥没の謎
 義母の部屋の異様さにクラクラし、このまま外出するのは危険だと思い、現実派のモモ子さん(仮名)と話しをする。ところが私を見るなり「銀河の里は、とんでもなくコワイところだな!」と、興奮して話しかけてきた。「えっ、どうしたの?」「どうもこうもない、この靴、先日のカナさん(仮名)の葬儀に履いて行った時には何ともなかったのに、気づいたらこれだ」と、黒靴をひっくり返して私の目の前にたたきつけた。確かに、左の靴底は両サイド2カ所剥落して、誰かが千切ったようになっている。右の靴底の1カ所は直径1センチほどの円柱型に陥没していて、その穴から銀色のブリキ板が見えている。モモ子さんは「どうだ!」と言わんばかりに、目を三角にして迫ってきた。
 「この小さな穴から金属を入れて・・・こんな仕業をする奴がここにいる。白黒はっきりさせるために、俺だって出るところに出ても構わないからな」とヒートアップする。「でも、モモ子さん、うちのスタッフにこんな巧妙なわざが出来る人、いるかなぁ・・・」と首をかしげ、スタッフのいたずら説をやんわり否定した。しかし個人的に非常に興味を持ち、なんでこんな不思議ことが起こったのか、解明したい思いが強かった。そこで私のカメラに証拠写真を撮り貯めた。数日後、家族さんが来里された時に、モモ子さんはその話をし、結局、謎は解かれないままだったが、換えの新しい靴を買って貰い喜んでいた。

― 謎の解明は、数日後に東京でおこった
 そんなわけで、義母の部屋の妖気レベルも高いが、現実派のモモ子さんの怒りも相当難易度の高い謎かけだった。部署をひと巡りしただけで、こんなにもいろんなことが起こっている刺激空間・・・これが私の仕事場と思うと感慨深い。

 先日、EPAの介護福祉士候補者の集合研修が東京で行われ、付き添いで私も出かけた。その時私は、なぜかいつもの靴ではなく、数年前に銀座で買ってまだ数回しか履いたことのない黒靴を下駄箱の奥から選んで履いて行った。ところが、研修場所に着いて、靴底に違和感あって靴裏を見ると、なんと私の靴が、モモ子さんの黒靴底と同じ状態になっているではないか。
 その時の驚きは、解明を気にかけていたこともあって、興奮して一人で笑い転げてしまった。
よく見て比べると私の場合は、円柱の陥没ではなく小石を踏んだような円形の陥没だった。また剥落した靴底にはブリキの板は挿入されておらず、「モモ子さんの方が筋金入りってことか! That’s too bad!」と思ったが、すぐに私の靴底も写真に収めた。一人で気持ちを押さえきれず、黒靴事件の経緯を知っている理事長にすぐメールを送った。「どういう共時性だか・・・不思議だね」と一言返事が来た。
家に帰った私は、まだ興奮冷めやらずであったが、彼は「二人の靴には共通点がある。多分、しばらく履いていないため靴底が劣化して、歩行の衝撃に反応した結果じゃないか。タイヤも使っていないと、こんな現象が起こるよ」と冷静だった。「ただ、なんで二人の間に共時的なことが起こったのかは、謎と言ってもいいかもね」と面白がってくれた。私は「自分の靴にはモモ子さんと違って筋金が入っていないヘナチョコなので、足下が崩れるかも?」と深読みして落ち込んだ。
 しかし、今のところは、靴そのものが総破壊されたわけではないので、しっかりした靴底に張り替えて貰うことにしよう。上物が良くても土台が大事だ!ということなのか、見た目に欺されるな!という戒めなのか、人生の筋金はどうやって入れるのか、今回のこの共時性は、劣化の靴底の科学的な論証とは違った次元で、私にとっての課題を含め学ぶところが大きい!

 このように私の仕事は、決済事務やら人事・会計等の実務プラス現場の「癒し」「喧噪」「異界」「謎かけ」と言った、面白くはあるがグルグルする毎日なのである。金曜日の午後から、新幹線に乗って立教大学に通う1泊2日の旅は、少し冷静になってそんなグルグルが整理出来ると思いきや、これまた刺激が多すぎて興奮のルツボ。不思議なことに「里」の出来事と学校での学びがリンクして、たくさんの共時性が起こり、私はとても忙しい。
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2016年11月30日

場のシンポジウムに参加して 〜おせっかいと図々しさが世界を救う〜 ★ ワークステージ 佐々木里奈 【平成28年11月号】

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 東京で行われた“場のシンポジウム”に参加してきた。シンポジウムには「与贈を巡る<身体>と<経済> 〜新しい医療と経営を支える共存在原理〜」というタイトルがついている。失礼ながら、シンポジウムやパネルディスカッションと名の付くものに対して、個人的にはあまり期待がないのだが、“場のシンポジウム”ではかなり興味深いお話を聞かせていただいた。3名の方が登壇されたのだが、そのお話の内容はどれも銀河の里の想いに共通するものがあるように感じて、今回私を誘ってくれたケアマネの板垣さんとホカホカしながら帰ってきた。せっかくなのでその概要を紹介しようと思うのだが、その前に一つ、エピソードを紹介したい。

 理事長から聞いた話なのだが、利用者Aさんと利用者Bさんには不思議な関係があったらしい。Aさんはいろんなものを買ってくる。Bさんは認知症もあり、Aさんが買ってきたものを持っていってしまう。するとAさんは怒って「なくなった」とまた違うものを買ってくる。するとまたBさんが持っていき、Aさんは「またなくなった」と怒ってまた新しいものを買ってくると、またBさんが…と、まるで無限再生のようだったらしい。Aさんは持っていかれるために買っているようでもあるし、Bさんは新しいものが買えるようにと持っていくようでもある。これは二人のコミュニケーションのようでもあるが、むしろそこには「“私”が買う」とか「“私”が持っていく」という自我があるのではなく、その“場”を協働して成り立たせているような感じを受けた。
 シンポジウムを主催した場の研究所所長であり東京大学名誉教授の清水博先生のお話の中心概念である「与贈」と、上記のエピソードとは、かなり近いところを言わんとしているのではないかと思う。「贈与」は自分の名前を付けて何かを贈ることを指す。そうではなく「与贈」とは、「自分があげた」という事から自分の名前が消えるようなあげ方、贈り方のこと。言い換えれば、居場所のために〈いのち〉を使うこと、と清水先生は定義されている。AさんとBさんの、買ってきて、持っていって…ということも、その“場”のための〈与贈〉だったのではないだろうか。そのことを共有するために、〈与贈〉〈いのち〉そして〈生活体(生きていくもの)〉に関して、もう少し清水先生のお話を詳しく紹介したい。
 清水先生の生活体(生きていくもの)に関する仮説は次の通りである。(1)生命は存在しない。存在しているのは〈いのち〉=存在を維持しようとする能動的なはたらきである(つまり、これは外から見た状態のこと)。/(2)生活体は〈いのち〉を生み出しつつ、その能動的なはたらきによって存在していく。/(3)生活体には、生み出した〈いのち〉を、自己が存在する居場所に与贈する与贈主体がある。/(4)複数の生活体から居場所に与贈された〈いのち〉のはたらきが一定の閾値を超えると、〈いのち〉の自己組成がおきて居場所の〈いのち〉が生成する。
 みんなが居場所に与贈していき、場の与贈がどんどん増えていくと、コップから水が溢れるように今度は居場所から〈いのち〉が生まれ、居場所のほうからみんなに対して与贈があり、それが循環するということだ。音楽の場に例えられていたのがわかりやすい。演奏の場というのは〈いのち〉の自己組成が生まれてくる場である。ギタリストやドラマー、ピアニスト、歌い手それぞれが与贈し、あるいはその場にいるオーディエンスも与贈することで、その場の空気がまたそれぞれを包み、幸せな気分にさせてくれる。それがまた場を作っていくという循環が起きていると言える。
 このように、与贈が多いとき生活体の〈いのち〉のはたらき(鍵)と居場所の〈いのち〉のはたらき(鍵穴)が相互誘導合致(お互いがお互いに影響し影響され合って変化)して整合的につながることにより、居場所に〈いのち〉の与贈循環が生成し、生活体が共に生きていく「与贈共同体」が生まれる。つまり、先の例によれば、演奏の場におけるミュージシャンたちとオーディエンスは「与贈共同体」と言える。

 少し話がずれるが、先日つくば研修に参加する機会を得た。自然生クラブで起きたこと、そこに生まれたものは、まさに与贈共同体だったのだと振り返って思う。自然生クラブは、障がい者支援をしながら芸術活動に取り組むNPO法人で、その拠点には太鼓や舞がいつでもできるよう米蔵を改装したスタジオがある。自然生クラブの柳瀬さんが、「ギター持ってきてる? じゃあ、スタジオ、使ってください!」と言い、龍太狼さんがギターを持って歌い出し、柳瀬さんも私も自然生の利用者さんもスタッフも太鼓を叩き、太田さん(来年度から里のスタッフになる舞踏家)が踊り出し、自然生の利用者さんも踊り出す。そこには自分の名前を付けた贈与などなかった。ただ、各々が、やりたいことを、やりたくてやった。そういうところに“場”は生まれ、〈いのち〉が生まれてくるのだろう(その時の様子の一部は銀河の里Facebookの投稿で覗くことができる。映像で伝わるものには限界があるが、ぜひご覧いただきたい)。
 ちなみに、研修合宿の場は与贈共同体ができやすい。与贈共同体を実感する機会として優れていると思う。普段はあまり話すことの少ないメンバーが集まって、行動を共にする。長野合宿でみんなでカレーを作り、事例検討合宿でカレーを作り、つくば合宿でもカレーを作って、場を作るのはカレーなのではないかとも思い始めている。チームビルディングにおけるカレーの有用性についてはまた別の機会に論じようと思う。

 さて、与贈共同体や場ということを考えたときに、今、銀河の里の状況はどうなんだろうか(もちろん入社して一年も経たない自分がそんなことを考えることや語ること自体おこがましいと重々承知だが、これからの里の一翼を担いたいという気概だけはあるのでどうかご寛恕いただきたい)。理事長が「良い線を行っているとは思うが…まとまってない」「死んでる」と言われるのを、わかるようでわからないような、うーむ、どういうことなのか…と考えあぐねていたが、もしや言いたかったのは、清水先生の定義を借りて言えば、与贈が足りない、〈いのち〉がない、ということなのではないだろうか。つまり、「自分があげた」ということから自分の名前が消えるようなあげ方で、銀河の里という場に与贈している主体はいるのだが、それが少ないために、〈いのち〉の生成がされず、与贈している少数の主体から与贈が続いてなんとか居場所としてあり続けている状態、ということなんだろうか…ということを考えた。そうなると、なんとなく言わんとすることはわかる気もする。
 しかし、銀河の里は多くの利用者さんと職員の暮らしの場であるのだが、同時に、一応“仕事をする”場でもあることを考えるとなかなか難しい。そもそも私たちを大きく取り巻いているのは、民主主義、資本主義、貨幣経済であるし、実際にご飯を食べるためのお金をもらいながら「与贈なんですけどね」というのもなんだか具合が悪いし、経営者の立場で考えれば、「与贈をしてもらっているわけですが、その与贈の度合いは適正な評価に応じて還元します」というのもなかなか苦しい。生物学の原理に基づいて、新しい意味を生み出す企業になるにはどうすればよいか。組織内の、あるいは組織と地域の与贈循環を強めて、自己の存在を回復するような場所の構築には何が必要なのだろうか。

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 そこでヒントになるのが、東京・西国分寺にある、成長を続けるカフェ「クルミドコーヒー」のオーナー、影山さんのお話だった。クルミドコーヒーは、実は4〜5年前くらいから行ってみたかったところだった。宮城県石巻市でキッチン&カフェの立ち上げに関わったとき、上司が「クルミドコーヒー」に研修に通っていて、話に聞いていた。そんなご縁とタイミングもあり、行くことができた。西国分寺駅歩いてすぐのところに、クルミドコーヒーはある。駅は近いがそんなに騒がしくなく、住宅街も近くにあってまず立地が好い。外観もさることながら、内装もまさにおとぎ話に出てきそうな雰囲気。こだわりや哲学を感じる細部にも感動させられた。
 影山さんのお話の中で具体的に一つ例に出されたのは、クルミドコーヒーではポイントカードをやらない、という話。なぜかというと、ポイントカードは消費者的な人格、ふるまいを引き出してしまうから、だそうだ。消費者的な人格も、逆に受贈者的な人格も誰しもが持っていて、ただどちらの関係で付き合うかということを考えていることで、クルミドコーヒーの場ができているのではないかと影山さんはおっしゃっていた。なるほど確かにそうである。清水先生が「死ぬときに人は完全な与贈を行うことができる」とつぶやいたように、完全な徹底した与贈を行おうと考えると大変だし、与贈だけを行う人間にならなくてもよいのだ。ただ場として、生きた場を創造するには、それを引き出す“仕掛け”が必要だ。クルミドコーヒーで言えば、手間暇かけて労力惜しまずに多くの人が関わって作られた建物や内装がその一つであるし、スタッフが手間を惜しまずお客さんへ様々なメニューを提供する「マゾ企画」と呼ばれるものもそうだ(例えば、ある従業員がモーニング提供のため毎日深夜2時出社でパンを焼く…!など)。若者言葉で言えば、ムダにデカいとか、ムダに綺麗とか、「ムダに○○する」という遊びの中に、成長の余白が生まれたり、新しい意味が生まれたりするのだと思う。その他の“仕掛け”で言えば、クルミドコーヒーでは事業計画を作ることを辞めたそうだ。事業計画を作るとつまらなくなるし、お客様を手段化しがちになる(お客さんが入ってきた瞬間、1000円札に見える)からだそうだ。これは、銀河の里も部分的に実践している(?)。ただし、資金繰りは綿密に計画した上で、また8〜9割の基幹となる事業部分、太い木の幹はしっかりと育てながら、残りの1〜2割の空白にどう枝葉を伸ばしていくかが、生命力の満ちた場になるためのポイントだそうだ。
 “仕組み”に頼るつもりはないが、ワークステージでも生きた場を創造するための“仕掛け”はドンドンつくっていきたい。職員や利用者を手段化しないことを意識しながら、綿密な見立てをした上で、それを超えて起こってくることを真面目に楽しんでいきたい。
 消費者的な人格を引き出さない場に育っていくために必要なのは、与贈せよ、と呼びかけるのではない。まずはその太い木の幹が必要だ。東大病院の医師でもう一人の登壇者の稲葉さんがおっしゃっていたが、植物の木の幹というのは、そのほとんど全てが死んだ植物細胞でできているそうだ。死をしっかりと受け止めて、受け取りながら生きていくことが、枝葉を伸ばすには不可欠なのだ。特に震災後の東北・岩手には、受け取ってきた一人ひとりの死がある。銀河の里には、受け取ってきた一人ひとりの人生があり、死がある。これから枝葉を伸ばすのは、私たちだ。

 クルミドコーヒーの出発点も、弟さんの死であると影山さんはお話してくださった。その影山さんのお話の中でもう一つだけ、地域通貨「よろず」について紹介したい。詳しくはグーグル先生にお聞きいただくとして、簡単に言えば通帳式の地域通貨「よろず」は、何かをしてあげたときにはプラス、何かをしてもらった時にはマイナスが付いていく。例えば草刈りボランティアをした人の通帳には「よろず」が溜まり、草刈りをしてもらった地主さんは通帳の「よろず」がマイナスになるという具合だ。そうしていくと、人に何かをやってもらうだけの人、マイナスだけが溜まっていく人がいるのではないか、という懸念がある。返せないほどの借金まみれになることをどう考えるか、という問題だ。しかし、マイナスの「よろず」は、単なるマイナスではない。誰かにプラスをあげている、誰かに働きの機会をあげているということでもあるから、それはそれで良いのだというのが結論である。

 誰かに何かをしてもらうのって、結構イヤだったりする。気が引ける。自分のことは自分でやりたいし、借りを作るのはイヤだ。何かをお願いしてやってもらったりするのは面倒くさいから、できることなら自分でやってしまったほうが楽だ、と思ってしまう。でも、その交換で生まれる価値がある。おせっかいな人はだいたい優しい。図々しい人は面倒だけど、たまにその図々しさに救われることがあるし、誰かのために何かをしたり、誰かの手伝いをしようと思ってすることも、やってみれば意外と自分が楽しかったり自分のためになることが多かったりする。今の時代、それが分かっていても、苦手だったり億劫だったりする人が増えているのだと思う(自分も含め)。図々しい人、おせっかいな人が“場”の生成のキーパーソンだ。前の例で触れた自然生クラブで起きたことも、いい意味で皆が少しずつ図々しさを発揮したおかげで生まれた〈いのち〉だったのだ。
 おせっかいな人と図々しい人が、組織を救う。地域を救う。世界を救う。ギャグSFの話ではなく、今ここの現実の話だ。与贈をめぐる経済についてはまだ課題が残るし、企業内の与贈とその評価に関しても結論は出ていない。自分が先陣を切って、思い切っておせっかいに図々しくなるにはちょっと勇気がないが(否、実は無自覚にすでにそうなれていたりするのかもしれないが)、まずは、おせっかいな人と図々しい人を大切にするところから始めよう。
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2016年11月29日

自然生クラブに行って 〜自然な生活と自己表現〜 ★ グループホーム第2 今野美稀子 【平成28年11月号】

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 10月29、30日、茨城県つくば市の『特定非営利活動法人 自然生クラブ』にお邪魔した。筑波山の麓に構える自然生クラブは農業と芸術、カフェの運営など様々なことを行っている。筑波と言えば研究学園都市のイメージが強く、自然生への道中も研究施設がずらっと立ち並ぶ道を車で走った。しかし一本脇道に入ると雰囲気は一転、両側が塀に囲まれ、対向車とすれ違うのも一苦労(むしろすれ違えない)という路地になる。敷地に庭木が植えられた立派な昔ながらのお屋敷、というような家がいくつも見られ、そこかしこの家の庭にミカンやカリンなどの木が植えられていた。岩手ではあまり見られない風景に目を奪われる。
 筑波山への参道「つくば道」に入り少し行くと、右手にカラフルな鳥の弾幕が垂れ下がった建物が見える。ここが自然生が運営するカフェ「ソレイユ」らしい。すごいインパクト!ここを目的地としていなくても思わず足を止めてしまうに違いないと思いつつ中へ入る。定員は30〜40人くらいだろうか、4人掛けのテーブルが並び、壁には自然生の人たちが制作したであろう絵画。居心地が良く楽しい空間だった。大抵のお客さんは身内らしく、そのとき店内にいた客もボランティアに来ているというボランティア団体の方たち8人ほど。そのテーブルに(教えてもらうまで意識できなかった程)何の違和感もなく一人紛れ込んでいる方、水を運んでくれる係らしい壁際で待機している方、お客さんのように悠々と入ってきてお茶を頼む方、全員が雰囲気に溶け込んでいて、自然にそこにいる感じ。

 そのカフェの裏に向かうと米蔵を買い取って改装したという「田井ミュージアム」があった。米蔵らしい少し薄暗い空間、手前にはアトリエ、奥にはシアターが作られている。アトリエではちょうど「中島教授の妖怪展」が開かれており、「中島教授」の描いた妖怪の絵がずらっと並んでいた。中島教授は怪奇研究家で自称・妖怪学教授だそうで、数回ミステリーツアーも開催したそうだ。こういう個人が主役になれる企画があるととても楽しそう。白いキャンバスに描かれた作品だったり、周辺の写真に描き込まれた作品だったり。中島教授はこの写真のように身の回りにいる妖怪と当たり前に共存しているんだろうなあ。とてもリアリティが感じられてワクワクする。「妖怪アパート」(だった気がする)という作品にはさまざまな妖怪が描かれていたが、「ウニ食いてー」なんて言っている妖怪も居れば「脱原発じゃ」と言っている妖怪も居て、妖怪にまで思案されている日本の問題を考えさせられる。その絵を描いた中島教授の感性もすごい!

 シアターには入口両側に段をつけて作られた客席と立派な照明機材。奥には翌日の田楽舞のための太鼓が並んでいた。翌日の前座で酒井も歌わせてもらうことになり、そのリハーサルと称してシアターを使わせてもらう。酒井がギターを弾いていると自然生の人たちも一人、また一人と入ってきた。そのまますーっと奥の太鼓の方へ行き座る人、客席に来て自然と里スタッフ赤坂の隣にスペースを開けず腰を下ろす女の子、最上段まで駆け上がり聞いている男の子、いつの間にか照明をいじってくれる自然生スタッフの方。ただ座っているだけなのかと思えば良いタイミングで太鼓を打ち始める人、佐々木(里)も加わり、即興のステージが出来上がる。酒井が終わると太田のステージも始まった。
 踊りに合わせて太鼓を打っているのか、太鼓に合わせて踊っているのか…照明も切り替わり踊っている太田にスポットが当たった。激しい太鼓と踊りと。途中、一番前の椅子に座っていた男性を太田が誘った。何かその男性に感じるものがあったのだろう(その方はいつもソロで踊ることもある方だったらしい)。その人はゆっくり立ち上がり、ゆっくりと靴下を脱いで、ゆっくりと舞台に上がってきた。どっしりと構えて動くその人と小刻みに動く太田、時折静止し睨み合うように視線が合う。暗い中、激しく鳴る太鼓の音と二人のダンス。
 語彙力が乏しいことが残念だが、鳥肌が立つくらい、とにかくすごい!その二人のダンスが終わると一人の男性が舞台に上がった。太鼓の音もない舞台で静かにゆっくりと踊り始める。フィニッシュは後ろを向き股の間から頭を出す状態で終わり、その恰好で柳瀬さんと握手をしていて笑ってしまったが、その人は普段は全く踊ったことはない人だったらしい。「何があるかわからないから毎日気が抜けない」と楽しそうに話す柳瀬さんが印象的だった。だからこそ、自然生では「リハーサル」も「練習」もないという。毎回、毎日が本番で全員が主役なのだろう。本当にリハーサルなんかじゃなくひとつのステージとして出来上がった空間だった。すべてひっくるめてすごい!うわーっと見ているこちらも内から湧き上がってくる感じ。
 翌日の田楽舞でもしっかりとした型のないステージで、4人の踊り手がそれぞれ感じるままに動き太鼓が鳴り響く。しかしそれがしっくりときて一つの作品になっている感じに感動した。型がなく一人ひとりの個性が出せるからこその良い舞台で、作ろうと頑張っても作れるものじゃない、あの舞台を作りたい。
 自然生で感じたのが、すべてが繋がってすべてひっくるめて一つの生活になっているイメージだった。生活の中に農業も芸術も太鼓もあって、それぞれが切れ切れになっていない。現在の社会の中では、太鼓を打つと言ってもそれが日常生活と繋がっている人なんてそうそういない。太鼓に限らず、仕事は仕事、趣味は趣味などとさまざまなものが切れ切れの中で私たちは生活している気がする。それがすべて繋がって、農業や自然、芸術とも共生している生活。その中でこそ、太鼓やアートを通して表現できる自己というものも大きいかもしれない。型に縛られないから多大に自己が表現でき、それぞれの自己同士がぶつかりあうからこそ一つの作品としてすごいものが完成するのだろうか。

 以前「てあわせ」の西先生がグループホーム第2にいらっしゃったときに、利用者がそれぞれ動いているがそれで一つの空間として完成しているようだというようなことを言っていたことを思い出す。てあわせ自体、他人を感じつつも自分も主張していくようなイメージで動く。そう考えるととても腑に落ちた。
現在里でも太鼓を通じてのワーカーさんの自己表現の場としてワークショップを行っているが、まだまだそのときだけのものになっている。もちろんその場での太鼓の表現がそれぞれあっておもしろいが、日常的に太鼓に触れ、好きなように好きなときに自分を見せてくれるような場の構築をしていきたいと思う。
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2016年11月28日

つくば自然生クラブ研修報告 〜秋の祭典に参加して〜 ★ 2017年度内定者 太田直史(舞踏家) 【平成28年11月号】


 古くから十月のことを「神無月」と呼びならわしています。この期間に、日本中の神様たちが出雲の地に集うと言われています。その一方で、年に一度のこの「サミット」へは出向かず、それぞれの土地で人々の暮らしに寄り添い続ける神々も、やはり存在しているようです。私たちは、慌ただしい日常生活の中にあっても、ふと立ち止まり心の耳目をそばだてるのなら、身近に守護してくれている神様に触れることができるのではないでしょうか。

 十月の29・30日の二日間、つくば市の自然生クラブさんの秋の芸術祭に参加させて頂きました。(銀河の里人と同じく)自然生クラブの人々は、土を耕して生きる。「健常者」も「障害者」も分け隔てなく、共に仕事にいそしみ、共に喰らう。日々の暮らしの中に、歌い踊るステージが当たり前のように組み込まれ、正に「リハーサル無しで毎日が本番」(施設長・柳瀬敬さんの言葉)であること。筑波山の麓に緩やかに展開している自然生クラブの時空間は、一つの理想的な人の暮らしというものを、共同体というものを髣髴とさせるようです。
 例えば、田畑の一隅や街角、部屋の隅っこなどに潜む神様たち(妖怪たち)の姿が、「妖怪博士」の曇りない視線によって透視されます。神々はとても身近な存在として、人々と同じ食卓につき、共に歌い踊ります。田楽は特殊な芸能ではなく、日常の生活を活性化させる朗らかなリズムを、強く刻みつけるのです。
 私は、社会の中における舞踏家の使命というものを、常に考えています。ただ一つしかない自らの肉体をもって、あめつちの狭間に(神々と)あらゆる人々が出会い確かに活動してゆく時空間を、デザインすること…。自然に恵まれた花巻の銀河の里の営みに、私が舞踏家として加えて頂けるのは、この上ない幸運な巡り合わせと感じています。ですが舞踏家の「仕事」の広さと深さに際限の無いことを想うと、気持ちが引き締まります。
 本当に幸いなことに、情感豊かなスタッフの方々に巡り会う機会に恵まれました。今後も機会がありましたら、皆さんとあれこれお話し巡らせてみたく思います。微力ではありますが、私は五感を最大限に研ぎ澄ませ、里の暮らしの只中へ一足づつ踏み入ってゆきたく願っています。

了、 (11月3日)
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銀河の里の一コマ(Photo Gallery) ★ 【平成28年11月号】

○つくばの自然生クラブへ研修(秋の芸術祭へ参加)の様子1
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2016年11月26日

“盗られた”という問い ★ 特養すばる 千枝 悠久 【平成28年11月号】

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(すばるのSさんと夏のドライブ、大船渡、碁石海岸へ出掛けたスタッフの千枝)

 「オメが盗ったんだべ!?」夜勤明けのある朝、モモ子さんから、そう言われた。顔に塗るクリームがなくなっていたそうで、誰かが盗ったのだ、という話だった。「私じゃない!」何度伝えても「オメが盗ったんだべ!?盗ったの持って来い!!」と続き、私はある事を思い出して胸がチリリと痛み始めた。以前、こんな事があったのだ。

 私のいるユニットすばるにショートステイで来ていた人が、「虫に刺されたから、キンカンないっか?」と言っていた。すばるや隣のほくとにはなくて、“そうだ!きっとモモ子さんなら持ってるだろう”と、私はオリオンまで走った。「モモ子さん、キンカン貸して〜」「引き出しさ入ってるはずだから持ってけ。ちゃんと返すんだぞ、ちゃんと返せよ!」念を押すように言うモモ子さんに「分かった、分かった」と軽く返事をする私。返す時も「ありがとう!引き出しの中に入れておくね」と軽い。
 それから一ヶ月くらいして、オリオンに行くと、「オメ、キンカン盗ったべ!」モモ子さんに急に怒られた。「いや、ちゃんと返したハズだけど・・・」何度言っても信じてもらえない。そのうち私も、一ヶ月も前のことだから自信がなくなってくる。「引き出しに入っているハズだから一緒に見てみよう!」二人で一緒に引き出しの中を広げて見ることにした。
 その引き出しの中から出てきたのは、私が返したキンカンだけではなかった。「これは娘から買ってもらったものだ」「これは誕生日にもらったのだ♪」たくさんの思い出が語られる。「オメは稼いでるからお金あるんだべ?オレはお金ねえから買われねんだ。オメも人から簡単に借りるんでなくて自分で買うんだ!」そう叱った後に、モモ子さんが今までお金のことを含めて、たくさんのことで苦労してきたことを話してくれた。今、手元にあるのはお金ではなく、引き出しの中のものたち。その引き出しは、モモ子さんの宝石箱で、モモ子さんの宇宙だった。話を聞いているうち、私はその中の輝く星の一つを軽々しく扱ってしまったのだと感じられ、反省した。

 話は夜勤明けの朝に戻る。「オメが盗ったんだべ!?」と続くのを聞いてるうちに、キンカンの時のことを思い出し、私はあの時モモ子さんから借りたものを、まだ返すことができていないのではないか、と感じ始めていた。思えばモモ子さんからは、「○○貸して〜」とか「畑、どうすればいいの?」「これ、どう作ればいい?」とか、いつもいつももらってばかりの私だ。もらってばかりで、何もあげてはいない。これは“盗った”のと同じことではないか・・・。そんなことを考えながら、「盗ったべ!」「私じゃない!」を続けているうちに、とうとう私は「盗ったのは、私なのかもしれない」と答えてしまっていた。
 すると、「盗ったの持って来い!オメ盗ったやつ!」と言われ、どんなのか聞いても「オメ盗ったやつだ!」としか答えてくれず。唯一「缶のやつだ」と言ってくれたのを頼りに、私はコンビニへと走った(まだコンビニしか開いてないような時間だった)。モモ子さんに何かを返さなければ、そういう思いだった。
 ところが、だ。いや、モモ子さんの立場からすれば当然なのだが、私が買ってきたクリームを見て、「こったなのでねえ!!」と怒り出し、「こういうのだ!」と、その時になって初めて、空になったクリームの容器を持ってきてくれた。「娘が買ってくれたので、何だかいろいろ混ざってるいいやつなんだ。こったなのでねえ!」と話してくれた。どういう経緯かはわからないが、モモ子さんが大切にしていたクリームがなくなっていたのだ。やっぱりキンカンの時と話が似ている、そう感じた私は、オリオンスタッフの平野さんに状況を説明するため、モモ子さんに背を向けた。その、直後だった。ダンッッッ!!!!・・・・・カランカランカラン! モモ子さんが私のほうに向けて、空の容器を投げつけたのだった。

 その時、私の中でなにかが爆ぜた。
「謝れーーーーーーーーーーっっっ!!!!!モノを投げたことは謝れっ!!!!!」
自分でもわけが分からなくなるくらい、特養中に響き渡るくらいの大きな声で、叫んでいた。
「したって、こったなのでねぇ!!!!」
「いいから!! まずモノを投げたことは謝れ!!!!」
「こったなのでねぇもん!!」
「モモ子さんが缶のだって言ったから!全然分からなかったけど買ってきたんだよ!」
「オメ盗ったって言ったっけじぇ!」
「盗ってない!」
「そうだって言ったっけじぇ!」
「だって、モモ子さんが、何回盗ってないって言っても、聞いてくれないから・・・私すぐにキンカンのこと思い出したんだよ? あの時は悪かったって思ったから・・・」熱くなったし、必死だったし、半べそだった。
「オレのこと馬鹿にしてるんだべ・・・」モモ子さんも泣き顔だった。

 私は、モモ子さんの“盗られた”を信じたかった。モモ子さんが今まで語ってくれた人生の苦労話は、抗えない運命みたいなものにたくさんのものを奪われてきたのだ、ということを私に感じさせていた。盗られ、奪われ、それでも曲がることなく懸命に生きてきたのだ。“盗られた”という感情とともに生きてきたモモ子さん自身を、私は信じたかった。そしてモモ子さんも、私の“盗った”を信じてくれた。お互いがお互いを信じようとして、そうして傷付いた。
 涙目で必死で話をしているうちに、私の思いがモモ子さんに伝わり、「これと同じのを買って来てけて」という話になった。今度こそ、とまた急いで買って戻ると、「あったったべ?ありがとう!」と笑顔で迎え入れてくれた。「一度やったら、どうしたって疑われてしまうんだから、そうならないように気をつけねばねんだ!」真っ直ぐ生きてきたモモ子さんから、すぐに自分自身さえも信じられなくなってしまうようなグニャグニャな私への、厳しくも優しい喝だった。

 “盗った”“盗られた”は、信じるか信じられないかの究極の問いのように感じられた。私はまだ“信じたい”というだけで、信じることはできてなかったのだと思う。クリームのことがあった少し前、モモ子さんに教えてもらって作ったシソの実の醤油漬けが、そろそろいい頃合いだ。今度、それを持ってお礼に行こうと思う。モモ子さんやたくさんの人たちに支えられながら、“盗った”“盗ってない”どちらだろうと、ちゃんと胸を張って言える私になろうと思った。
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2016年11月25日

今年の田んぼB ★ 特養オリオン 川戸道 美紗子 【平成28年11月号】

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 今年の田植えはお祭だった。それぞれが田んぼという場に集まり、植えて歌って汗を流した。

 97歳の健吾さん(仮名)に「草のない金色の田を見せます」と約束したとき、「死ぬまでこの田を見せてもらいます!」と笑って応えてくれた。秋になって稲刈りの日、誘いに行った私に、健吾さんはベッドに横になったまま「・・・頑張って下さい」と言うだけだった。どこか違うものを見て、何か考えているような目をしていた。
 健吾さんに稲刈りに行ってほしいと思っていたスタッフの宍戸さんに「川戸道さんと田んぼ行ってきなさいよ、気分転換にでも」と言われて、勢いに押されたかのようにムクッと起き上がり、稲刈りの準備をした。
だけど、心はここにあらずだった。田んぼでは「ここは里の職員の方がやってる田んぼなんですねぇ」と言うので、私は少しさみしくてモヤモヤした。田植えの時には「この田んぼはカワトミキさんがやってるんだなぁ」と言ってくれたのに、“里の職員がやっている田”か・・・と。
 その後、帰ってから「今年の稲刈りはどうでしたか」と尋ねてみた。「里の人は、生活の一部として農業をやってるんだなぁと感心しましたよ」と言ってくれたのだが、それにも私は、どこか遠さというか違和感があった。
 はて、健吾さんの本当の気持ちは今、一体どこにあるんだろうと思いながら話をしていると、話題は「健吾さんのこれから」になった。「いつ死んだっていい」と言う。「“安心して死ぬ”とは・・・」と、健吾さんが語り出す。「どんどん、どんどん、歳をとった人が安心して・・・。お釈迦様は、死んだときに迷わず成仏するように浄土を作った。苦しみ、恐ろしさ、何もない。自然に逆らわない。それ以外ねぇもの」

自然に逆らわない、それは昨年101歳で亡くなった幸子さんと同じ言葉だった。
 詩吟や庭作り、書、語り部、田瀬物語・・・。様々なものに心を燃やして生きてきた健吾さんは、若い人にそれぞれを託し、譲り、「自分」の死に向き合おうとしているのかも知れない。
 「頑張って下さい」と私を稲刈りに送ろうとしてくれたのも、そのためだったのかと思う。いつまでも携わり続けるのではなく若い人に委ねる。健吾さんは無自覚かもしれないが健吾さんのたましいを若い誰かに少しずつ分け伝えているかのような姿を感じた。
 役割を与えてもらうと、私は凄く楽になるように感じる。役割以上の事は求められないのだから。でも、役割だけで農業や介護をやり続けてしまったら、それでは何も生まれないし、やらされ作業にしかならない。「自分」を賭けて何をするのか、何が出来るのか。それが大切だと思うし、そうでないと何も分からないまま過ぎて行って、利用者さんとの出会いだって消えて、「何も無かった」で終わってしまう。
 
 そんな事を考えながら健吾さんの側にいると、ふいに「あなたは、百姓やるのか」と聞かれた。控えめだけど確かに指先は私を向いていて、その言葉と震えるその指とキラリと光る眼差しに、「銀河の里の農業ではなく、あなた自身の中に、農業・百姓はあるのかないのか、そしてその農業とは一体何なのか」と問われたような気がした。役割ではなく、「私」が、『これからどう生きてゆくのか』。私はドキッとして固まってしまい、答えられず「分からない」としか言えなかった。でも健吾さんはニコニコと笑っていた。それまでの心ここにあらずの表情じゃなくて、いつもの(いつも以上の)、何かを語るような笑顔だった。
 
 今年の田んぼは、稗だらけになってしまった。夏の草取りや田植え直後の水位調整に失敗した。気持ちだけではどうにもならない事がある。農業はそのような事も教えてくれる。やるぞという気持ちだけではどうにもならない。やらねばならぬ、そうでしか進めない事がたくさんある。
 健吾さんに田んぼを見せたいという気持ちはあるけれど、もう健吾さんに見てもらう田んぼではなくて、健吾さんとつながりながら私が田んぼを見なければいけないんだ、と感じた。
 健吾さんは、実際に田んぼには出ずとも、農業や生きる事、たましいを燃やす事など、真摯な向き合い方を問うてきているような気がする。健吾さんの表情や存在が農業の事でも他の事でも厳しく迫ってくる。それはとても大きなことなのだ。

 「黄金(こがね)餅」、それは田の色の事かと思っていたけれど、黄金なのは、健吾さんの方だ。優しくて鋭くて広い、そんな色を健吾さんに感じた秋だった。
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