2017年01月25日

新たな生命のパースペクティブを求めて ★ 理事長 宮澤 健 【平成29年1月号】

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*開設当初の稲刈りのひとコマ、稲を渡す理事長と受け取るカルさん

 「障害者はいらない」と主張し、施設に押し入って19人の入居者を殺した事件が昨年の9月起こった。悲惨な事件にいたたまれない思いだが、これはわれわれの時代が考えなければならない重要な事を突きつけられたように感じる。遠い昔のことではなく戦時中は日本でもそうした考えだっただろう。ナチス政権下のドイツでは障害者狩りが行われた。現代ではそうした考えはなくなったのかというと、表に出るか出ないかの違いで、そうした過去とは大差がないのではないだろうか。大半の人が心の中ではそう思っている現状をこの容疑者はよく知っていて、そうしたバックグラウンドに支えられる形でそれを正義と強く思い違えた行動だったのではないだろうか。
 現行の制度では、障害者の自立支援を第一義にうたっているのだが、その実は就労支援一辺倒の仕組で、経済的に自立することのみを求めている向きがある。どこかお金が全ての時代に障害者の人生も絡め取られているようなおぞましささえ感じる。

 病や障害は当事者の人生にとって、重要な課題やテーマだ。そうした傷や痛みは本人にはもちろんのこと、肉親や周囲の人にとっても人生そのものとなるような影響を与える。そこにはいろんな形でケアが必要とされるが、病や障害の持つ課題は、本人や肉親などの当事者を超えて、ケアに関わる他者にとっても、人間としての存在の意味を問われる事柄として立ち上がってくる。
 それほど人間や人生にとって重要な病や傷、なかんずく高齢化や死が、まるで無いことのように扱われる現代は、ある種、異常を抱えた時代なのかもしれない。パーソンズは「病気になると人は病人という社会的役割を担わされる」と言う。そしてそれはある種の社会的逸脱だと言うのだが、確かに我々は病気になると患者、病人として貶められた社会的役割を担わされるのかもしれない。ただ、治療というサービスを受ける限定されたところでなら(病室や入院中の期間)その目的が明確なのだから我慢するとしても、人間の存在全体や人生全体にそうした役割期待を押しつけられてはたまらない。
 今でも多くの福祉施設では利用者、入居者に対して病人的役割、患者的役割を押しつけているように感じる。それは福祉が医療役割を引き継いできた現状があるからだ。そもそも介護保険にせよ発端は医療費の増大を押さえるための制度であったのだから、現行の福祉施設の基本モデルが医療、病院であったことは否めない。そこに大きなボタンの掛け違いがある。個人の人間全体、人生全体からすれば、治療という目的のないところで患者役割を担わされたくはない。福祉施設の職員は医療役割を担うつもりでいるのだろうか。クライマンが指摘するように、医療役割では、主体は治療者において対象として差し替えられてしまう。それによって多様、多義的な人間存在が、平板化した治療対象の患者、施設では利用者、入居者に置き換えられてしまう。

 どういう視点を持つかで物事は違って見えてくる。銀河の里では、「暮らし」の場をつくり、その中に利用者とスタッフが共に生きていけるようなイメージで考えてきた。人間は基本的に暮らしの中で生きる存在であると捉えてきた。暮らしの中に入ったとき、社会的役割は病人とか患者に限定されなくなる。暮らしの中では関係が生まれ、関わりが始まる。人と人が一緒に生きる場ができる。語りが生み出され、物語が紡がれる。そこでは個人の性格、人柄、趣向が注目され輝き始める。個々人のユニークさ、個性が、言葉や行為を通じてその人の世界が現れる。個人を通してその背後にその人の生きた地域や時代や歴史が照らし出される。
 17年目に入る銀河の里だが、そこで見えてきたことは貴重な発見に満ちていた。高齢者になって、病や障害を得ることは確かに事実なのだが、ほとんどの高齢者は一般に思われているようにそんなことにめげたり、不安がったりしてばかりはいない。それどころかまるで逆に、特に認知症の高齢者は認知症独特の人間的な威力に満ちていて個性全開の活躍をする。まるで魂の次元で語り、事を起こしてくるような感覚がある。それらはヌミノースと呼ばれるような宗教的感動に匹敵するような圧倒的な内的体験をももたらすことさえしばしばあった。そうした次元では、寝たきりで、言葉を失った人でさえ、豊かに語り、何かを伝えてくれるということを発見させられる驚きがあった。

 故秋山さと子氏は、20年も以前にその著『ユング心理学』で、20世紀はあまりにも大人の世界に偏りすぎた時代だとし、子どもと高齢者の想像力や瞑想的なイメージが大人の影(シャドー)にされてしまっていると述べている。以下抜粋「・・・空想力は虚ろな心に潤いを与え、失われた魂を呼び戻す力をもっている・・・人間は魂に包まれて生きている。問題は、我々がその魂をもはや見ることもなく、その中に生きることもなくなった点である」「想像に開かれている子ども時代や、瞑想的な老人の在り方が、もっと重要視されてもいいのではなかろうか。子どもはそこで魂を形成し、現実に適応する大人の在り方を経て、老人はその魂の輝きの中に生きるのである。それが人間の一生であろうと思う・・・」「21世紀の新しい意識は、ただ現実のみに開かれた一方的なものではなく、同時に心のなかにも開かれるものであろうと思う。現実と想像の世界が、はっきりと分かれながら、しかも我々の心のなかに、並んで現れる時代になろう」
 おそらく人類はいまだ高齢者を発見できていないのだろう。21世紀は高齢者の発見の世紀になってほしい。その発見は生きることへの様々な意味の転換を人々に投げかけることになるに違いない。銀河の里の現場での17年の実践を通じて、そうした発見の一端を語り伝えることができればと願っている。


【参考文献】
秋山さと子 『ユング心理学』
中井孝章・清水由香
『病と障害の語り−臨床現場からの語りの生成論』
クライマン / 江口重幸 他 訳
『病の語り−慢性の病をめぐる臨床人類学』

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2016年11月23日

農作業できるようになろうぜ〜心の浸透力の賦活に向けて〜 ★ 理事長 宮澤 健 【平成28年11月号】

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 若い人で「自分が嫌い」という人が多い。その傾向は50代から始まり40代以降から急に増えるようだ。そしてなぜか里には20代30代のそういう人が集まっているように感じる。里にはそうした人をよびよせる何かがあるのだろうか。そんな人が現場で認知症の高齢者に癒やされたり慰められたりしているというのが里の現状なのだが、果たしてそれはいいことなのか困ったことなのか悩ましい。
 社会人でありながら、仕事ができるとは言えない人がやたら多い。自分が嫌いなどというのは、自分を自分の内側に閉じ込めてしまって外や他者に対して開かれてないということではないか。こんな状況を「自我の牢獄」と言う学者もいる。閉じられた世界で自分としか向き合っていない状況では、どうやったって自分が嫌になるのは当然だ。だいたい自分というのは他者に照らされて立ち現れてくるもので、自分だけと向き合って出てくる自分なんて化け物に近いもんじゃないだろうか。そんな状況が悪化してくると、もう他者が入り込む隙さえなくなってしまう。こうなるとかなりやっかいで、自分を自分で呪い続けなければならないような悪循環に陥って、いくら他者が関わろうが他者の存在は常に抹殺されてしまうばかりで、自分だけの心地よさだけが求められ続けるような、まるで乳を要求して泣くしかない乳幼児のような自我に留まって、そこから先へ行けなくなっているように見える。乳幼児は他者との関わりを築きながら生き延びていくのが自然の状態だが、大人になってそれでは、他者の存在を傷つけ、お互いの存在が成り立たなくなるので困ったことになる。結局、出会うことも向き合う事もできないまま、相手を道具的に扱うことしかできなくなる。道具的に扱うというのは、相手を手段としてのみ扱うことだから、切れた状態のまま終始するしかないので、とてもさみしいことになる。
 他者と出会えない、向き合えない症状ということなのかもしれないが、現実には赤ちゃんではないのだから、引きこもって閉じこもらない限り他者は自然に迫ってくる。多少つらくても苦しくても、そこが勝負のはずなのだが、そこでつまずくのが特徴でもある。逃げるか否定するかがそこで入る。身体症状がでたり、他者の抹殺で乗り切るしかなくなる。体調が悪くなるか他者から遠ざかるかして自分の世界に閉じこもり続けようとする。そうやって自分を守ろうとしているのかもしれないが、結果としては自分が育たないようにしているようで、見ていてやきもきする。
 そんな人がまっとうに仕事ができないのは当然で、配慮もスピードも期待できない。ましてやクリエイティヴにはほど遠いということになる。里ではこれまで、一般社会や企業で求められるような、現実を切り開いて生き抜いていくようなパワーを求めてはこなかった。むしろ認知症の高齢者と一緒に居て自分が癒やされるような人が必要だったし、現実にそうした人たちが里の雰囲気を作って来た。それは他の施設ではあり得ない柔らかい空気を作り出すことに繋がって、他では過ごせなかった多くの認知症の人たちの居場所になってきた。
ところが、そこが最近では、目的が利用者のためではなく、スタッフのためにあるようなことになってきているような気がする。いくら何でもそこが逆転してはまずいのではないかと思うが、現状はかなり逆転してしまっている。
 「ケアされる介護」が理想だと言われることがある。里はそれを現実に実践してきた数少ない現場だという自負はある。ケアマネージャーで里の特徴を解ってくれる人たちからも「銀河さんは違う、柔らかい空気でゆったりしてる」との評価もいただくのだが、その空気、雰囲気は、本来は利用者のためにあるのであって、スタッフがそこに甘えるためではないと思う。
 柔らかくほのぼのとした空気や雰囲気が自然に醸し出される「場」をつくるために、かなりの努力をしてきた。例えば、設立初年度に見学にきた人たちから「ここの職員は座っている」と驚かれたことがあった。当時は、スタッフが座っていると働いてないとみられた時代だったように思う。今でもスタッフが座っていない施設はかなり多くあるが、スタッフが利用者の側で一緒に過ごすというそれだけのことが認知症介護においてはどれだけ大事なことかが、最近では世界的にもかなり理解されるようになってきたと思う。里ではそのことを当初から直感的に最重要視してきた。 
 ただし、ただ座って居ればいいというものではない。立っていれば仕事をしているように見える。それは作業をしているということだ。認知症高齢者の利用者を座らせておいて作業をこなすのはスタッフにとっては効率がいいだろうが、利用者は不安になる。だから利用者の側に座わりましょうということは、そこで心の作業に切り替えましょうということだと思う。座ってサボれるということとは真逆の話だ。
そこが取り間違えられているのか、スタッフが利用者の部屋で寝ていることも見うけられる。寝るのはさらなる進化でそこまで行けたかと言えるかもしれないが、少しずれるとまるで違った話になるので微妙な問題だ。また、立ってやる作業の能力がないのは困る。できるけどあえてやらないだけで、やれば普通より遙かにこなせるくらいでなくては、座っての仕事も中途半端にしかできないだろう。もちろん得手不得手はあるが、座る仕事(こころのこと)をするには、本来は相当な力量が求められる。
 里は農業が基盤と言ってきたのも、暮らしを作る力量をそれぞれが持って生きていこうということではなかっただろうか。ところが草刈りもできない、田植えも稲刈りもお遊びで、百姓の力強さはかけらもないのでは情けない。先日も1時間あれば終わるような脱穀の作業をほぼ一日かけて半分程度しかできなかったと聞いてあきれてしまった。「30分で終わるから見てろ」と翌日私も入ったのだが、確かに見ているとまるで仕事にはなっていない。「始めます」という電話で現場に行ったのだが、まだコンバインも来ていなかった。やっと来たかと思ったら燃料がない。段取りのなさにイライラする。
実際、短時間で脱穀は終わり、畦棒のあと片付けまでやっても2時間だった。早く作業ができればいいと言うことではないが、相場というものがある。時間をかけて膨大な無駄を垂れ流しても意味があるならいいが、甘っちょろでは悲しい。
 現場で作業が始まっても、指示しなきゃわからない。指示しても感が悪いのか、うろうろしてピタッとはこない。稲わらの持ち方もわからない。脱穀に持ち込む稲わらの方向、そのための体の位置も決まらない。エンジン音の中で怒鳴り続ける羽目になって、私はのどがかれてしまった。
現場に来て「どうやればいいんですか」と聞くようなやつはだいたい足手まといだ。農作業は「見てわからなければ言ってもわかるか」の世界だ。何年もやってきて、教える立場のスタッフが作業の基本もわかっていないのはどういうことか。

 ケアも農作業もはじめは素人で全くかまわない。でも、何年かしたら誇りを持てるレベルになってしかるべきじゃないだろうか。いつまで経っても素人でいる、その根性がわからない。仕事は段取り80パーセントと言われる。その段取りは皆無だし、準備も、先のプロセスも考えられていない。行き当たりばったりではた迷惑なイベントに成り下がっている。それでも利用者と一緒に稲刈りや田植えを経験するということが、かけがえのない物語を生んでいるのだから、全否定はしないにしても、それは利用者がすごいのであって、スタッフのお遊び程度に付き合ってくれているにすぎないとしたら、付き合わされる利用者に申し訳なく感じないのか。暮らしを創り上げる力量がスカスカだというのでは誇りを持った仕事にはならないだろう。
若い奴らは…などと何千年も繰り返されてきたセリフを言いたくもないが、最近の人は「自分が嫌い」「自分がわからない」とか「やりたいことが見つからない」「本当に燃えることがない」などと言いながら、そのくせ「時間がない」と忙しそうだ。こうした風潮は、この時代が若い人たちにとってかなり生きにくい要素を持っているのだろうとは感じながらも、爺さんとしては「ちゃんと身体使って、田んぼや畑で働こうぜ」と言いたくなる。

 ぼやいてばかりで、若い人たちからは「そうはいかないよ、時代が違うから」と、世代断絶の三下り半を食らいそうだが、他の若者はともかく、里の若者たちは認知症の高齢者と一緒にいるんだからもっと学んだらいいんじゃないか。 
 里の特養開設当初から7年ほど里にいてくれて、今年の6月に亡くなったフクエさん。彼女が残してくれた言葉やエピソードはたくさんあるのだが、亡くなるひと月ほど前の言葉が印象的だ。スタッフに向けて「おれもフクエ、おめもフクエ。なっ」「おめもノブオ、おれもノブオ。なっ」ノブオは息子さんだが、フクエさんの、この自我の浸透性はどうだ。もう自我なんか超えている。この自我を超えた広がり感、つながり感に圧倒されると同時にほのぼのとする。スタッフが行き詰まって悩んだりすると、フクエさんの部屋に行って癒やされていた。その理由がこの言葉に示されている。
 世界中で認知症の高齢者をどうするか躍起になっている。高齢化社会に向けた仕組み作りも必要だし認知症問題への対応も必要だろう。しかし認知症の人をどうするかなどという対応策を聞く度におこがましいと感じてしまう。認知症の人たちがどれほど豊かなイメージを描き、感情豊かな思いをもって生きているか、「自分が嫌い」などと言わざるを得ない若者とは比べようもなく、遙かに個性的で人間的な力強さを感じる。
 そうした個性全開の力強さとか、それでいて一人では決して閉じこもらず、否応なしに周囲を巻き込んでいくネットワーク力からしても、学ぶべき事だらけだ。認知症の人は訳がわからなくなっているとみんな思っているけど、それは逆で、訳がわからなくなっているのは実は、まっとうだと思っている我々現代人で、認知症の人はより人間的な存在感でその充実したイメージと感情豊かな思いを放って生きているではないか。目の前にいる利用者一人ひとりの存在の迫力から比べると、「自分が嫌い」などと感じなければならない存在が痛々しい。「自分の牢獄」にそんなに捕らわれなくても、もうちょっと呆けたりして生きた方が、よほど人間的で力強く生きられるような気がするが、それが難しい時代なんだろうか。

 先日、和太鼓奏者のはせみきたさんが里に来られてコンサートを開催した。コンサートは夜だったのだが、ワークで9月から太鼓を始めたこともあり、せっかくの機会なので昼間、ワークショップの時間を持ってもらった。はせさんも障害者とのワークショップは初めてということで、おっかなびっくり始まった感じだったが、最後には作品が生まれて発表会になるくらいまで盛り上がり、スタッフはもちろん、はせさんも、一緒に共演された二人のアーティストも感動されていた。
 このワークショップの成功の鍵のひとつはテイさん(仮名)という利用者にある。テイさんは75歳だが元気で明るくて歳を感じさせない。何よりも誰かと繋がる能力がすごい。このテイさんのこころの浸透力が、はせさんを支えワークショップ全体を貫いてひとつの世界が生まれたと言ってもいいかもしれない。
 ワークショップは恐い。結果がどうなるか全くわからない。だから面白いとも言えるのだが、大失敗もあるし大成功もある。それぞれが閉じこもっていればもちろん何も生まれない。でも誰かと誰かが繋がった瞬間がくれば何かがスパークする。どうなるか、はせさん自身も緊張されていたと思う。テイさんの浸透力がスパークを呼んだ。
 もちろん他の参加者一人ひとりにも物語があって、そうしたそれぞれの動きが全体のハーモニーを作り上げていった。浸透力は浸透力を呼び起こす。ワークショップはその場の勝負だ。頭で考えてどうこうしようたってどうにもならないし、考えたようになったとしたらとてもつまらないものにしかならない。出会いの中で何かが起こって来るのだから浸透力の作用がとても大きいと思う。人が出会い、場が生まれて、時が来る。まさに時と場所と人の出会いが何かを生み出す。それは今まであったものではなく、今ここで初めて出てきた何かだ。

 先月末に研修で、つくばの自然生クラブに行った。そこでは田楽(太鼓と踊り)の練習が週2回、日程に組み込まれている。その時間を練習とは言わずにワークショップと呼んでいる。この田楽は海外講演も多数こなしているという完成度の高いものなのだが、「教えたのではない」と代表の柳瀬さんも仰っていた。一人ひとりの中からその場で出てくるものがある。それが作品になっていく。だから練習ではなくワークショップなのだ。そこでも浸透力が相当の重きをもって作用していると思う。「自分が嫌い」などと言う籠もった姿勢とは真逆のベクトルが、自と他を浸透しシンクロさせて新たな宇宙を作り出すイメージがそこにある。

 2009年に河合先生の一周忌に来日したJ.ヒルマンの講演のタイトルは「こころの浸透性」だった。たましいは浸透性をもって遍満していると、死者とも繋がって共にいるありようを語られたのを思い出す。我々は他者のみならず自然や、さらには死者とも繋がって、新たな世界を生み出しつつ生きることができるのだという可能性を開いていきたい。
 現実には真逆の現象が、金や物の豊かさや便利さの裏に起こりつつあり、個はますます個別化し切り刻まれつつある。多くの伝統的な暮らしのありようもことごとくと言っていいほど粉砕され、後戻りはできない状況を現代の我々は生きている。消え去ってもう戻らない最後のところの縁に我々はいる。なすべき事は何か、今できることの最大の努力を、無駄なあがきでしかなかろうともしておきたいと思う。「自分が嫌い」な世代の挑戦と活躍の場がそこにこそあると思うのだが・・・。爺さんの考えはズレているのだろうか。
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2016年10月21日

何が里なのか – 暮らしを通じた関係の創造 - ★ 理事長 宮澤 健 【平成28年9月号】

 この夏は見学やフィールドワークで里に滞在される方が多くあった。施設長がこの春から立教大学の大学院21世紀社会デザイン科に入学したことがきっかけなのだが、外から多くの方に銀河の里の取り組みを見て考えていただけるのは、当事者としてもいろいろ刺激になって貴重な経験になる。とてもありがたいことだ。
 銀河の里は制度上、表面上は高齢者介護施設と障害者支援施設を組み合わせたところにちょっと特徴がある程度のありきたりの福祉施設なのだが、中身は福祉施設とは言えないような取り組みに満ちている。
 なぜ高齢者施設と障害者施設を組み合わせているのかというのも理由がある。高齢者部門はデイサービス、グループホームは認知症に特化した施設だが、特養までが認知症を専門の特養だと思われている向きがあるし、実際そうなっているのにも理由がある。
 銀河さんさ隊が、厳しい練習を積み、夏には盆踊りやイベントに出て太鼓や踊りを披露しているのも理由がある。アフリカンダンスの先生を呼んで、ワークの利用者、スタッフ中心にダンスの練習をしているのも理由がある。スタッフとワークの利用者の絵を描く人が、時折展示会をやったり一般の展示イベントに参加することも理由がある。スタッフの酒井さん中心にロックバンドが結成されて活動したりするし、酒井さんはソロで演奏活動をライブハウスやいろんなところで活躍しており、里内でも「フィーリンゲイン」というクラブをつくって先日初CDを発売したなどという活動にも理由がある。その他、数年前から研修にも取り入れてきた  「てあわせ」や、以前からずっと面談室に置いてある箱庭にも大きな意味がある。
  田んぼで5町歩の稲作をやり、30sの玄米の袋で毎年1000袋のお米の生産をやっているのも、リンゴ栽培を1町歩ほど始めたのも、毎年広い面積を草刈りしているのも理由がある。
 英哲の太鼓を聴き、ピナ・バウシュが日本に来れば研修で観に行き、能舞台の鑑賞を毎年研修に入れるのも意味がある。
 現場で利用者の言動に強い関心を向け、注意深く見つめ耳を傾けるのも意味がある。その語りややりとりを事細かく膨大な記録に毎日残すのも大切な意味がある。毎日集まってそれを話し合い、共有し、月に一度は集まって何時間も話し、時には合宿をしたりしながら物語として事例をまとめたりするのはとても深い意味がある。人と人が出会い向き合っていく時間を持つのは大切な意味がある。
 大豆を作付け、麹も作って自前で味噌を造るのは理由がある。厨房の栄養士が「給食」ではなく、個々に合わせて「食事」を作っていく姿勢なのは理由がある。甘酒ドリンク、ファイバードリンクなどを開発してきたのは理由がある。介護食、嚥下食のバラエティにあふれているのには理由がある。 
 研修でドキュメンタリーを考え、戦争を考え、人間の悪を考えるのには理由がある。アウシュヴィッツを訪れ、南京虐殺記念館を訪れ、暴力を考えるのも理由がある。
通信を発行し、そこにいろんな文章やイラスト作品などが載っているのにも理由がある。
大きなハウスで野菜を周年出荷し、食品工場で餃子やシュウマイを作って売るのも理由がある。夏、畑で南蛮(とうがらし)を作り、調味料『ジャパスコ』を作って売るのも理由がある。リンゴでシードルを開発して売るのにも理由がある。これからワイナリーを作っていきたいという夢には理由がある。

 いろいろあって、まだまだあるけど、「そんないっぱいやっている銀河の里って何?」ってなると、ちょっと解らなくなる。それぞれの個々の理由を挙げたって銀河の里の説明にはならない。
 やってることをトータルに説明できないだけではない。考え方、ものの見方、精神性となるともっと難しい。 
 「高齢者、障害者の意思決定支援はどうやっていますか?」という質問が実際にあった。おそらく里では誰も、意思決定支援という概念を日常的には考えていない。質問自体に錯誤があると感じてしまって、大半の里のスタッフが一瞬なんのことを言われているのか意味がわからない。
 そうした仕組み作りは大事だとは思うけれども、それよりも大事なのはものの見方、考え方、とらえ方だと考えてきた。それは、こうしています、というような仕組みは語れない。「その場その場、ひとそれぞれに個別に臨機応変ですね」くらいしか言えない。
 たとえば自己決定と言っても銀河の里の入居者で自分の意思で入居した方は一人もいないかもしれない。本人は嫌がっているが、現実には一人暮らしは無理だから、なんとか馴染んでもらうしかないような切羽詰まった状況を乗り切るのに時間をかけて(何年もかかることも多い)、かなりの繊細な努力を重なるのが仕事のほとんどであったりする。意思決定支援とはほど遠いところから一歩を踏み出すしかない。
そんな説明にならない話ばかりだから、見学に来た人も聞けば聞くほど、里は何をやっているのか解らなくなってしまう。「謎が深まった」と言われた方があった。
 でも謎が深まるのはとてもいいことだと思う。謎ほど魅惑に満ちたものはない。そこから何かが始まる。簡単に説明できることは大したことではないのかもしれない。説明の難しい銀河の里がそこにあるという事実が誇らしいことのように感じる。
 今時、みんな説明だらけだ。説明できなければ何もないことになる。できなければ予算はおりない。里は説明すべきことは明瞭にして予算をもらい、その活動内容は全く説明に馴染まないことをやっているのだとしたら、これは理想に近いかもしれない。

 現代では誰しもが、説明できるように制度上単純にさせられてきたのだろう。そしてつまらないことばかり繰り返さざるを得なくなっている。謎を生んだり、謎に挑んだりしないで簡単に説明できることではクリエイティヴは生まれようがない。
 本当はもっと解らなくていいのではないのだろうか。解ってしまうとそこで終わってしまう。そこから先へは進めない。目に見えないものと目に見えるものは繋がっている。分けて考える必要はない。解るために何でも分けて説明しようとする。それで解ったようで本当は何も解らない。分けたことで満足しているにすぎない。見えないものも見えるものもどちらも大切にしなければ、それは繋がっていて一体だから、片方をないがしろにすると、両方を損なったり傷つけてしまうことになると思う。
 ただ私個人的には里のことを説明するのを拒んでいる訳ではない。なんとか説明しようとすることも、謎に挑む感じがあってとても楽しい。ただ説明しきれないことはたくさんある。見事に説明したとしてもそれはその時点のことであって、翌日には違うものに変化しているだろう。監査などで理念を掲げることを強要するが、愚なことだ。掲げてしまった理念は愚かな説明にすぎない。今日と明日で変わることのない理念などは偽物だ。人は脱皮したり変容しなければ生きているとは言えない。たましいが腐ってしまう。「脱皮しない蛇は死ぬ、脱皮できない人間は人を傷つける」(むのたけじ)
 監査の人たちがなぜ福祉施設に理念を掲げさせて、人間も組織もそのたましいを損なうようなことをさせるのか理解できない。監査も第三者評価もマニュアルしか求めない。それがあれば安心している。人間をなんだと思っているんだろうと腹が立つ。
 里で取り組んでいる上記にあげた理由や意味のあるそれぞれは、他の福祉施設では行われてはいないことばかりだ。なぜそんな余計な事ばかりやっているのだろうか、人が創造的に生きることの可能性に挑もうとしているということなのだが、ひとりの人との出会いと存在に深い関心を持って迫りたいと願っている。自身も含めて、人が生きることの不思議さに迫る姿勢でいたい。そうしたことには明確な答えはあり得ないのだから果てしない探求ということになる。
 理念のように、これだと答えを出してしまうとそこで終わる。先日起こった相模原の事件の発端のひとつは、簡単に答えを出してしまったことにあるように感じる。答えはいつも正しい、その正しすぎる答えは人間としての大事な何かを損なってしまう。答えを持ってしまった瞬間に転落することがある。恐ろしいことだ。答えの出ない問いを最後まで抱えて歩き続けることが人間のあるべき姿なのだと思う。

 元々暮らしを取り戻したいと思って岩手に引っ越してきた。里が農業を基盤と謳っているのも暮らしを大事にしたいからに他ならない。暮らしは自然や人との関係の集大成であるから、暮らしというからには、そこに「関係の創造としての労働」が生まれてくるのは自然だと思う。列記した里の活動の理由や意味は「関係の創造」に全て集約されるかもしれない。
 スタッフにしても、里で働くということは「暮らし」のなかで関係を創造するということなのかもしれない。「暮らし」がすでに「自然や人間との関係」と定義されるのだから、働くということも「暮らし」であって労働ではないのかもしれない。時間を切り売りして賃金に換える労働という精神の構造は本来は里にはないのが原則だったと思う。それでも時にはサラリーマン体質の人が混ざることはある。そうなると里の精神性(エートス)はそういう人とは乖離するのでお互い違和感になる。
 かなり厳しい人手不足なので、選んではいられないという事情もあって、このところ精神性が全く異なる人たちも多く里に属しているというのが現状だろう。そうした状況ではリーダーが育ちにくく、おまけに10年選手の中堅どころから中枢的人材までが結婚や産休、育休等で抜ける時期に入っていて、かなり組織としては危機的な厳しい状況に追い込まれている。

 それにしても「人手」というのはありがたい言葉のように思う。ここでの人というのは「他人の」という意味もあるようだが、「人の」という意味ももちろんある。他人の手、人の手、この両方の意味での人手が必要な仕事ばかりやっているのも里の特徴だろう。農業も機械化したとはいうものの人手勝負だ。暮らしは人手で作っていくことが大事かもしれない。完全には機械化も電子化もできない。そうなったらそれは暮らしではなくなるかもしれない。介護現場へのロボット導入がこれから進んでくるだろうが、里でやっている根幹は、人の語り、物語を聞く仕事だから、それは関係の中でしかなされ得ない。ロボットは補助的には使えるとしても最終的には人手(手と言っても身体も心も含めて)でしかできない仕事だ。
 おそらく農業とか人手というあたりから外れてしまうと、里はその精神性を失って違うものになってしまうだろう。そこを共有できるスタッフで、里の生命線をお互い確認し合いながら、若いスタッフにもこのあたりをなんとか伝えつつ、この時期を乗り越えていきたい。
 日本では長い間、企業が家族としての役割を担っていた時期が続いた。家庭を大事にしようという傾向から企業の家族化は否定的に見られる風潮になったが、今は家庭も大変、企業も家族として引き受けてられない状況のなかで、里のような新たな家族としての機能をもったところが必要になってくると感じる(福祉施設が企業化して、家族としても関われる方向性を失ったらとても寂しいことではないか)。
 里は新しい家族としての機能を果たそうとしていると考えるのは、少々ためらうところだったが、実際には本来家族の機能だったはずの働きを果たしているようなところも多くあり、今、家庭や地域がそれを担うことができず、しかも必要とされていることだとしたら、家族の機能を引き受けるということも正面切って考えていいのかもしれない。
 利用者や親族にとっては、家族としての里があることが最善な場合が多いだろうし、そうなるとスタッフはサラリーマン的な精神性で時間の切り売りの労働というわけにはいかないだろう。「働いているというよりおばあちゃんのうちに遊びに来ている感じ」と言った人があるが、それはかなりいい線なのではないだろうか。農業も手伝ったり、絵を描いたり、音楽をやったり、勉強したりしながら、暮らしに包まれる在り方をこれからも模索していきたい。
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2016年09月30日

母なるものの行方 ★ 理事長 宮澤 健【平成28年7月号】

 フクさん(仮名)が旅立った。梅雨の雨の降りしきる中、自然豊かな旧宮守村の集会所で葬儀があった。新緑の山々や野原に降り注ぐ雨は、宇宙に遍満したフクさんが、緑の命を燃やす雨となって滴っているようだった。会場に行くと玄関先に置かれた焼香台の前に写真があった。一瞬、誰の写真か分からなくて戸惑う。おそらく30年くらい前の60歳代のフクさんだろう。当然かもしれないが、葬儀では我々が知っている銀河の里のフクさんは居なかった。

 特養の開設当初からの入居者として、フクさんは8年間、里に居てくれた。特養に初めてやってきた日、交流ホール前の廊下でばったり会って挨拶を交わした。初対面なのに古い知り合いのような雰囲気で語りかけてくれて、明るく面白おかしい語り、みんなが暖かく包まれる感じに、なにか「特別な人が来た」と感じた。今振り返ると、フクさんはシャーマンだったに違いないと思う。それぞれの人にそれぞれの本質を突いた言葉を投げてくる。
 たとえば、銀河の里の組織を賭けての特養開設は、半年で資金破綻するという警告をされたくらいだった当時、経理責任者の施設長に向かって迫力ある感じでキッパリと「いいか、これだぞ、大事なのはこれだ」と、指でお金の形を作って突きつけた。私が職場見学の学生を案内した時には「この先生の言うことをしっかり聞いて教えてもらいなさい」と学生に言った。8年間、多くのスタッフが日々いろんな言葉をたくさんもらい続けた。その内容は鋭すぎたり、あまりに個人的であったり本質を突いていたりするので、なかなか日誌には書けないこともたくさんあったと思う。
 5年前くらいに“フクさん箴言集”をつくろうと企画したこともあったが、あまりに重くて続かず、尻切れになった。リビングではひょうきんにはしゃいだりしているのだが、部屋で一対一になると鋭い言葉が出ることが多かった。それでも基本的には懐が広くおおらかで暖かく包んでくれる感じがあるので、いろんなスタッフが辛くなった時にフクさんの部屋に行って癒やされていた。フクさんの居室に2時間以上も籠もっていた新人もあった。
 居室の前を通りかかるといつも手を振って「こぉ、こぉ(来い来い)」と呼んでくれた。「しばらく来なかったな」と言うので「アメリカに行っていた」などとトボケると、すかさず「アんメリ来なかったもんなぁ」と返されて一本やられたことがある。見事なものだ。回診のドクターに「父さんよ、いつも母さんの前を威張って歩いてばりじゃわぁねんだぞ」と言ったこともあり、ナースを焦らせドクターを唸らせた。
 もちろん、聞いたこちらがどう受け止めるかにかかっているのだが、世間の大半の人がそうするように認知症のたわごとと吐き捨てることは簡単だ。
 フクさんのように、認知症の高齢者はなんでも見通しているようなところもあり、達者な言語能力と相まって凄い言葉をくれるのだから、認知症の人を訳がわからなくなった人と考えるスタッフは、里にはいない。むしろ見えないものが見えたり、普通では解らないことも解るのが認知症だとほとんどの里のスタッフは知っている。しかもフクさんは、高齢者を見下して扱おうとするような人や、認知症の人は訳のわからない人だなどと少しでも思っているような人には、一切“語り”がないのだから鋭い。

 私は当初からフクさんは“里の母”だと思っていた。この人さえいてくれれば大丈夫と信じていたところがある。そのフクさんも90歳を超え、昨年あたりからは入退院を繰り返すことが増えた。入院の度にスタッフがお見舞いに押しかけるためか、病院では見舞い制限をするようになった。もちろん理由はノロやインフルエンザの感染対策ではあるのだが、解禁になればすぐに大勢が押しかけるので、また「家族のみ」などと制限をつけられてしまう。今回もそんなこんなの一ヶ月あまりの入院で、やっと退院が決まり、向かえに行く予定のその日、早朝にフクさんは旅立った。「らしいな」とも思う。なんとか里の特養も経営的には軌道に乗り、施設らしくない良い雰囲気に育ってきた。「あとはおめたち自分で頑張れ」と言われたような気もする。
 振り返っても、フクさんは本当のシャーマンだったんだと本気で思う。葬儀にシャーマンのフクさんは居なかった。会場に集まった人達は誰もシャーマンのフクさんを知らない。里のスタッフだけが知っているフクさんがいる。弔電も地元国会議員と市長、社長さんだった。あの葬儀は俗世で生きていたフクさんの葬儀で、シャーマンのフクさんはしっかりと今もどこかにいるに違いない。表現は違っても里のスタッフはそんな感覚でとらえていると思う。

 フクさんはじめ90歳を超えた人たちは、日本の暗かった戦争の時代とその後の厳しい時期を生きてきた人たちだ。これまでも男性利用者が戦争体験にまつわる語りや動きを見せてくれることがあった。それはただの昔話や思い出話ではなく、ユニットやグループホーム全体が本当に戦場になってしまうくらいのリアルな現象にまでなることもあった。どれほどか深い傷がそこにあったのだろうと想像させられる。そしてその傷は、我々が心底受け止め生き抜くことでしか癒やされることはないのだろうと感じさせられてきた。グループホームにおいても特養でも、男性原理的な闘争の傷というテーマから、平和への希求が語られてきたように思う。それを我々スタッフ、特に若い世代がしっかりと受け止めていく必要があるだろう。

 その一方で、最近の傾向として感じるのは母的な存在の動きがあることだ。平成12年、6ヶ月に渡ってグループホーム第2を戦場と化した守男さん(仮名)の事例でも、守男さんは戦場から抜け出したとき、「お母さんの元に帰る」と語った。その母はどこにいるのかということは、現代的な課題ではないだろうか。「こっちゃこ」「こっさ入れ」といつも言ってくれたフクさんの母性、我々は現代にどういう母を持ちうるだろうか。

 今、グループホームでは詩子さん(仮名)が、女性の系譜をテーマに物語を紡いでくれている。入居当初、二人の思春期くらいの娘が男に襲われないようにと心配する日々が続いたことがあった。詩子さんは「雛の世界」「少女の世界」「秘密の王国」を守ろうと戦っているように感じる。連綿と継がれてきたそれらの世界が詩子さんの目の前で途切れようとしていることの杞憂と戦っているように思えてならない。入居から2年、やがて詩子さんのイメージは、『大陸(満州)から詩子さん自身が引率して連れて帰ってきた少女達(詩子さんの教え子)が、岩手山の麓で馬と駆けまわっている』という、大空へ羽ばたくような場面で物語に一区切りをつけた。馬と少女、そして岩手山は何を意味するのか。今、我々現代人にとっての「秘密の王国」はどこにあるのだろうか。

 昨年、グループホームで亡くなった稲蔵さん(仮名)は、治療費を惜しみガン治療をせずパチンコに打ち込んだほどの人だったのだが、最後まで人望に厚く、周囲の人に尊敬され頼られる存在だった。今時なら、女性からたちまち地に落とされかねない浪費をしながらも、男としての存在が揺らがずに在り続けられたのは、背後に彼を支える大きな母があったのではないかと想像する。
 特養の利用者タカさん(仮名)は、結婚はせず子供も持たなかったが、早くに亡くなった母親の代わりに多くの兄弟の母役をしたと言う。苦労して育てた弟たちは戦争でとられて亡くなるのだが、特養に来てから、戦死した弟たちは生き返り、今は一緒に生きている。編み物の作品を作り、教育者らしく若い人を育てようと、情熱のある言葉を投げかけてくれている。スタッフそれぞれにとっての母の「あるべきよう」をひとりひとりに問いかけているように思えてならない。

 歴史からみると、戦争で傷つき立ち上がったと思ったら、大きな地震や津波がやってきて、大地は揺らぎ母なる海に呑み込まれるという厳しい体験を余儀なくされているのが、今の私たち日本人かもしれない。沖縄では地震のことを「ははゆれ」と表現するところがあると聞く。揺れてはならないはずの大地が揺らぎ、母なる海が荒れ狂って呑み込み、さらに人間が母なる大地を放射能で汚し、その浄化は計り知れない困難の中にある。我々は母なるものへの信頼を失い、深い不安にさいなまれている時代にいるのかもしれない。不寛容社会と言われるような時代の奥には、母なるイメージを喪失した人々の深い不安がうごめいているのかもしれない。
 そうした時代にあって、特養やグループホームのあちこちで母をテーマに語りかけてくれる利用者がいるというこの事実に感嘆する。我々はこの時代を乗り越えるべく、より深い母なるもののイメージを内面に育てる必要があるように感じる。そのために利用者達は頑張って何かを伝えようとしてくれているように思えてならない。フクさんの存在には明らかにそうしたイメージがあった。母性性がひどく損なわれ、不安に満ちた時代なのかもしれないが、だからこそ、利用者が語り続けてくれている。認知症の高齢者にしか、こうした奥深いイメージをもたらすことはできないだろう。彼らには現実を超越する能力があって、それらがふんだんに湧き出ずる感じがある。問題はそれを周囲の者が理解できるかどうかにある。認知症高齢者がもたらすそうしたイメージを、どう受け取ってどう育てるか、それはあくまで現場の我々ひとりひとりにかかっている。それは今の時代にあってとても大事な仕事なのだと思えてならない。
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2016年08月16日

ファンファーレが聞こえる ★ 理事長 宮澤 健【平成28年5月号】


 雰囲気が違う。空気が柔らかい、場ができている。いろんな言い方があるのだが、銀河の里は他の介護施設や障害者支援施設とはどこか違っている。表向きには、高齢者デイサービスもグループホームも特養も、就労支援B型も、日本中に何万カ所もあるポピュラーなものだ。ありふれたどこにでもある制度上の施設ではあるのだが、どこか他とは全くちがうと、感じる人には感じられる何かがあるようだ。それを説明することはすごく難しくて、今まではその違いをあまり説明してこなかった。それというのも、私としても制度を隠れ蓑にしていたようなところがあって、深く考えてみる気持ちがなかったような気もするし、自分自身、それを語る力や、里に対する理解すら本当はまだできていないのかもしれない。

 理念をしつこく問う外部評価の男性担当者に「うちでは理念を掲げたらおしまいだという理念なんです」と若い職員が説明して、毎年、お互い混乱して終わる。グループホームの第三者評価が始まった当時、私は「あなたたちは書類ばかり見てなぜ人間を見ないんですか?」と怒り混じりに問うたことがある。担当者は苛ついた早口で「見てますよ!」とチラッとデイの利用者に一瞥を加えただけで書類のチェックにひたすら余念がなかった。利用者どころか目の前にいる私や里のスタッフにすら何の関心も持ってないことが思い知らされて、現代の日常の人間不在があらわになり、大切な何かが切断され失われていくことに、傷つくしかない虚しさが漂う。

 第三者評価はその現状からして、当初から現場の関係を切断し人の魂を損なう悪弊でしかなかった。グループホームは人間と人間の濃密な関わりの場であり、出会いの場である。そこはたましいの舞台となりうる可能性のある場なので、第三者が現場に入るとき、「そこにあるたましいを傷つけるか育むかで、現場を壊すか守るかの瀬戸際の重要事となる」と評価事業の準備段階でかなり主張したのだが、聞き入れられることはほとんどなかった。結果としていかにも官僚的手続きに終始した悪弊に経費をかけ続けなければならないという、極めて馬鹿らしい現状に堕してしまっている。
 第三者評価を論じるつもりはない。そんなものはもう相手にもしたくない、どうでもいいことのひとつでしかない。虐待が日常化し殺人事件が起こるような施設でさえ立派な理念を文章化し掲げている。何を見ればいいのかまるでわかっていない現代のズレの典型的な例としてあげてみただけだ。第三者評価とは真逆に、雰囲気や空気や場を感じてくれる人が稀にはいる。

 その一人は70代のミシン屋の社長だった。根っからの技術職人の彼は、職業柄、いろんな企業や施設に出入りしてきたと思う。自分が整備したり修理したミシンという精密機械に対して、自分の分身のような感覚を持てる人だった。納入先でそのミシンが大切にされ、喜ばれ、暮らしに活かされることを願う職人の信念が老技術者に宿っていた。ミシンのことを話し出すと話が止まらず目が輝く人だった。
 銀河の里はまだ始まったばかりの頃なのだが、その彼が畑仕事をしている私にところに息を切るように来て言った。「あんた、凄いぜ」何のことを言っているのか解らなかったが、「自慢していい」と言っているのは、ミシンを置いてきたついでに見学した里の雰囲気のことを言っているのだった。「こんな施設はないよ、入ったとたんにわかる」私としてはそんなに興奮されても困ってしまって「ああ、はあ、まあ、そうなんです」ととぼけた返事をする位しかできなかったのだが、感じて解ってくれる人もいるんだなと嬉しかった。

 銀河の里が開設されてまだ一ヶ月も経たない頃のことだった。ある会議をデイホールでやっていた。県や市からも関係役人が来て役員理事もそろってのお堅い会議だった。まだデイサービスの利用者は少なかったので2〜3人の利用者は棟続きのグループホームで過ごしてもらっていた。ところが会議の真最中に二人の利用者が会場に入ってきた。「なにやら面白いことやってたか」と興味津々、やる気満々といった感じだ。私には「タンタカターン!」という音が漫画の吹き出しのように聞こえた。そのとき会場のスタッフは一瞬「ざわっ」とした。堅苦しい会議に現れた二人は(10年以上前に亡くなられたが今でも語られる伝説をいっぱい作って、銀河の里のなんたるかを教え鍛えていただいたようなお二人だ)、バリバリの認知症だ。そのときのスタッフの「ざわっ」は「ヤバッ」だったと思う。大半のスタッフがそう感じたのがわかった。私も一瞬そう感じた。ここで「タンタカターン」はまずいんじゃない?と私は感じていたと思う。

 ところがそれに対して、2名のスタッフが意外な反応をした。その2名は密かにガッツポーズをしていた。もちろん実際にはしていないが、私にはそれがわかった。お互いに目配せをしてうなずき合っている。後で聴くと「よし来た!何かやってくれるぞ」と思ったと言うのだ。「タンタカターン」を「ヤバッ」と思うのと「ヨシキタ」と感じるのとでは話は全く違う。そのとき私は「ヨシキタ」で良いんだと思った。ヨシキタの方が面白いと思った。それでこそ「タンタカターン」が生きてくる。そのとき現実には「おまえら何か集まっておもろいことやってんのか」と乱入したところで、グループホームのスタッフが誘ってお二人は外に散歩に出て行ったのだが、こうした瞬間に里の方向が決まってきたような気がする。「ダメ」としか言われない認知症の人の言動を「ヨシキタ、ヨシコイ」へと向けたのは、何気ないようでありながら、その実、別次元への通路を開くことになっていたように思う。

 なぜ書類ばかりを見て人を見ようとしないのかという私の苛立ちは、見るべきところを見ていない視点の違い、まなざしの無さにある。ミシンの老技術者が感動してくれているのは、空気とか雰囲気といったようなことなのだが、それは人と人の間に生まれてくる場や関係の暖かさのことだろう。傷ついたり弱ったりした人はそうしたことに特に敏感になる。多くの利用者にとって、その場の雰囲気がどうであるかが決定的に大事なことにちがいない。それは自分という存在が否定されるか尊重されるかの、切実な現実の選択と直結するからだ。自分の居場所になるかならないかは決定的に重要だ。そんなところで「理念を掲げた書類を作れ」というのは、繊細になっている利用者の気持ちを踏みにじる暴力を、理念でごまかせと言っているようなものだ。

 里に理念がない訳がない。ただ、理念は掲げるものではない。掲げた瞬間から形骸化が始まるからそんな愚かなことはしたくないと言っているのだ。一人の人に、目の前の利用者に、いかに関心をもって臨むかということが日々勝負となる現場で、紙に書いた立派な理念なぞが通用する訳がない。理念を掲げろという指導の裏には福祉施設は理念を持てない程度の低いところだとの蔑視がある。理念の無い奴らだから理念を掲げさせろという論理だ。実際には施設が掲げている理念は、どこかよその理念をコピペしたものか誰かに頼んで体裁よく作ってもらったものが大半だ。掲げろというのはそれをやれということに他ならない。そんな愚かな生き方はしたくないという意味で、そんな理念はうちにはないとしか言いようがない。どこの理念でもいいからコピーをして貼り付けて書類をそろえておくように第三者評価の人は毎年言い続ける。掲げられた理念が悪行の象徴として重なってしまうような歴史的悔恨を民族として負わされた痛い経験を持ちながら、この人達は何も歴史から学ばないんだろうかと嘆かわしくもなる。

 昨日の良い雰囲気が今日も続くとは限らない。現場は日々が勝負だ。チームの構成メンバーにもよって日々のダイナミズムは変化する。日々の勝負を理念なんかでごまかしてはいられない。一流のアスリートに「理念は何ですか」と問う必要があるだろうか。ましてや掲げなさいと指導するバカはいないだろう。自身への戦いと深化の日々でなければ勝負はできない。我々の現場でも、理念は日々書き換えられ深められていかなければ、現場は停滞し個人も閉塞的な状況に追い詰められてしまうだろう。

 我々の現場は立派な理念を掲げて振りかざしていればやっていけるほど生やさしくはない。そんな傲慢な姿勢では利用者からいっぺんに拒絶されてしまう。他の施設で難しいとして断られた人や暴れるからといった理由で利用を拒否された人たちが、銀河の里へやってくることが多かった。
 そんな「大変な人」に限って、とてもユニークで魅力的だったりする。「何が問題だったの?」と首をかしげるようなことが大半だ。確かに「これだけ動きがあるとよその施設では難しいよね」ということもあるのだが、「そこが面白いのに」ということがほとんどだ。

 最近もデイにかなり派手な動きのある利用者が新規で利用開始になった。よそでは断られるだろうなという感じの人たちが数人そろうことだってある。端から見ていても大丈夫かなと心配になるし、実際、他部署から応援を頼んで体制をとることもあるのだが、そういう日に限って「いやあ、今日は楽しかった。面白かった」という感想が現場から湧いてくるから凄い。大変なはずなのに「面白かった」となるのが不思議なのだが、それはどうしてなんだろう。
 スタッフに「どうして?」と聞いてみたら「利用者一律に接するのではなく、個々の誰々さんに向き合っているからじゃないかな」という返事だった。「タンタカターン」と「ヨシキタ」の伝統が進化して育っている。要は、利用者を一方的な視点で管理しようとはしていないということだ。むしろ利用者個々の持つ個性や感情に動かされながらそれをエネルギーにして関わっている感じと言ったらいいのか・・・。
 実際、笑い声で沸き返ったりするのだから、空気や雰囲気は良い感じで盛り上がって、利用者、スタッフそれぞれの居場所になっているのは間違いないだろう。

 一般に、認知症介護の現場で、職員が追い詰められ、重苦しい雰囲気になっていくところは多い。虐待が頻発し実際に殺人事件に至った報道もある。追い詰められ苦しくなる状況と、笑って盛り上がれる場とはどこが違うのだろう。やはり管理の一方的な視線では、ゆとりがなくなり、スタッフ個々も現場も疲弊していくしかないだろうと思う。里では、「タンタカターン」で始まって「ヨシキタ」と受け止めている裏には、「さあ何かやってくれ」との期待さえある。お互いの出会いがそこにはあるように思う。どんなに認知症の深い場合でも、変なことを言う人とか、おかしな行動をする人といった、一方的な見方は一切ない。むしろ意味深い言動として普通の言葉よりも真剣に耳を傾ける。それをより重い言葉や行動として読み取る。そしてその分、その重さに耐えうるための余裕を持つ必要がある。それが笑いとして場に満ちているのだと思う。

 唐突だが結論として、こうしたゆとりや笑いは“文化を育むゆりかご”になるように思う。実際に銀河の里では、そこから物語が生まれ、絵や漫画、詩や音楽も育まれている。老いや病や障害をディスオーダーとして捉えるばかりでなく、生命の横溢、ほとばしりとしてその意味とエネルギーを受け止めようとしてきた。人間の発見と新しい理論の展開、文化の創造、里の取り組みはそうした挑戦でありたいと思う。
posted by あまのがわ通信 at 12:00| Comment(0) | 理事長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする