2016年09月18日

今年の田んぼ ★ グループホーム 川戸道 美紗子【平成28年7月号】

 5月30日、銀河の里の田植えの日、毎年特養からもグループホームからもワークからも人が集まり、大勢で大騒ぎの田植えになる。そして毎年、とても不思議な意味深な物語がたくさん生まれる。

 今年も特別のことがあった。すばるのユキさん(仮名)がリビングで種を蒔いてくれた苗箱があった。その後も苗はハウスの中ですくすくと育ったのだった。ところが、私の不覚でそのユキさんの苗箱が、苗運びの段階で他の苗箱に紛れ行方不明になってしまった。角津田さんに「ユキさんの苗どこだっけ?」と聞かれた時にハッとしたのだが、後の祭りだった。せっかくユキさんが想いを込めて蒔いてくれたのに、ユキさんの昔の記憶もいっぱい入っていたはずなのに、そんな大切な苗のことが、どうしてすっぽり頭から抜けてしまったのだろう。必死になって探し、一枚一枚確認した末に、なんとかユキさんの苗箱は見つかったのだが、私は自分にガッカリしてすっかり落ち込んでしまった。

 おまけにグループホーム第2の俊男さん(仮名)も、手植え開始の予定時間に玄関に座り込んで「歩いて特養に行く!!」と言い張っている(俊男さんは毎朝特養に通うのが日課だ。あまのがわ通信148号「あいあいの記」参照)。前日、私は「明日は田植えだから特養はお休みだね〜」と軽く言っておいたのだが、通じなかったのか抜けてしまったのか、特養に行きたい気持ちの方が勝ったのか、どしんと玄関の地べたに座り込んでいる(いつもは車椅子に乗っているはずの人が…)。どうしようか、田植えに行くメンバーも俊男さんが気になって行くに行けない。私のせいで物事をこんがらせる事はよくあるけれど、今回も、私の伝え方が曖昧だったせいで…まさかこんな大事な時に…と思って、またガックリしてしまった。 

 そんなこんなで今年の手植えは(私自身にとっては)出だしからすっころんでいた。ひとりモヤモヤとした午前中、田植えに集中しようと思ってもなかなか心から味わえない感じだった。隣でせっせと苗を植える特養の利用者の裕行さん(仮名)の存在が、なんとか私の気持ちを田植えに引き留めてくれている感じだった。

 沈んだ気分で午後からの作業に入ったところで、「健吾さん(仮名)が川戸道さんと話したいって言ってます!」と、すばるの由実佳さんに声をかけられた。急いで駆けつけ、いつもの帽子をかぶって田を眺めていた健吾さんに声をかけると、「かわとみきさん!」と明るい笑顔で、ガシッと握手をしてくれた(健吾さんはなぜか川戸ミチではなく川戸ミキと呼んでいる)。そして、「田んぼに来れば、かわとみきさんに会えると思って!」と言ってくれた。私は健吾さんの側に座ってしばらく並んで田を眺めた。ワークステージのワーカーさんや厨房のスタッフがワイワイと苗を植えていた。そんな盛り上がりの中でも、私は午前中からのモヤモヤのせいでまだ気持ちは沈んでいた。そんなとき健吾さんに呼ばれて私は救われたような気持ちだった。健吾さんはゆっくりと語り出した。
「私は農家で生まれました。生まれた時から田んぼというものがあった。…ここの田んぼの事、かわとみきさんがやってるんだろうなあ、と毎日思っています。だから、私たちも田んぼの懐かしい景色を見る事ができるのです」
 この言葉が恐れ多くて、けれどもの凄くありがたく胸に刺さった。私はユキさんの蒔いた種すら頭から抜けてしまい、大切なものを大事にできないまま田植えに臨んでいたのに。段取りも悪く、各部署や今年の新人も巻き込む事もできず、「例年通りの作業」しかできなかったのかと反省し振り返る。田植えを無事に行いたいと思う気持ちはあったが、私が田んぼに関わらない方がいいのでは、とも考えていた矢先の健吾さんの言葉は、「あなたがしっかりつとめあげるのを信じています」と言っているようで、私はその言葉を聞きながら泣いてしまった。
 毎年、私は田植えや稲刈りの都度、健吾さんに経過報告をしていたのだが、「田んぼはひとりではできない。皆でやって下さい」とにっこりと笑顔で言われた事がある。誰とも繋がれず、それぞれ個人の作業になっていた様な時期もあった。今でも「銀河の里のみんなで」はとても難しいと痛感する。でも、銀河の里の田んぼだからこそ、皆でやりたいし、単なる作業として淡々と進めたい訳ではない(毎年、毎年、農作業は私たちそれぞれに課題をドンと見せてくる。繋がらなければできない事、どの現場でも大事にすべき事…)。
 思い切り落ち込んでいるその日のそのときに、久々に会った健吾さんに救われた。後で考えてみると、大事なものを見逃してしまう私なんて田んぼに関わらない方がいいんじゃないか、と思っていた自分は、たぶん逃げ出そうとしていたのかもしれない。難しい事をやらずに(考えずに)済ませようとしていたんじゃないかと思う。
 自分自身の弱さを感じた。けれど健吾さんの言葉通り、みんなと農業を通じてこの里で繋がっていきたいと思っているし、その事が何か実を結ぶのではないかとずっと心のどこかでワクワクしている。私にとっての農業は、先人達(具体的に特養やグループホームに居る利用者さん達)の生きてきた時代や思い出に想いを馳せるとき、汗を流すという事、しっかり地に足をつける事・・・いろんな意味があるような気がする。何色ものいろんな想いが繋がったり、広がったりしながら、銀河の里の農業や自分自身がどうなっていくのか、やり続けて見ていきたい。

 里の先輩達は田植えをはじめ農作業を「祭り」だと言う。私も銀河の里に来てから初めて田んぼに関わるようになったが、確かに「農作業」ではなく「里のお祭り」という感じはぴったりくる。私には、利用者さんにとっての“さなぶり”(人生のさなぶり?)の様にも思える。黙々と苗を植えて、稼ぐ姿を見せてくれる人。スタッフと並び美味しそうにこびる(おやつ)を味わう人。春の田んぼの景色や集まってきたたくさんの人々を、春風の中じっと見つめる人。青空の下、それぞれの印象深い良い顔が毎年記憶に残る。農家だった人もそうでない人も、銀河の田んぼに集合する。いろんな歌や声が聞こえる、なんと豊かで贅沢な時間と思う。
健吾さんは、「死ぬまで、この田んぼ見せていただきます!はっはっは!」と笑っていた。優しいのか厳しいのか、両方なのだが、なんと奥深いことか。今年こそは、草の無い、黄金の田を見せます!と私は約束した(今年の餅米はその名の通り『黄金(こがね)餅』という品種だ)。これは自分との約束であるとも思う。また秋に、この田で収穫の祭りが開かれる日のことを、稲の成長と共に待ちたい。


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2016年09月16日

自然生クラブ 〜元気なOrganismであるために〜 ★ ワークステージ 佐々木 里奈 【平成28年7月号】

 茨城県つくば市にあるNPO法人自然生(じねんじょ)クラブにおじゃましてきた。筑波山麓で知的ハンディキャップのある人と共同生活をしながら、自然農法で農業に取り組んでいる。やっていることは里と似ているが、何かが違う。本稿では今回の研修の見聞を共有しながら、自然生クラブが元気なOrganism(有機体)である理由を考えたい。

<農業>
 有機農業の田んぼ、畑、ハウスを運営している。田んぼでは紙マルチを用いて手植えし、農薬は一切使わないそうだ。雑草が生えることもある。極端に採れ高が上がらない年もそれはそれでしょうがない、と腹が決まっている。田植えの日は100人ほどが集まり、祭になる。稲刈りの時も同様で、田んぼを舞台に「創作田楽の舞」を利用者が中心になって踊る。その評判は口コミで広がり、海外での公演も行う。ヨーロッパの演劇祭にしばしば招待され、披露する機会もあるという。
 「うちの畑は“Farm”ではなく、“Garden”なんです。だから何でも植えていいんです」と施設長の柳瀬さんは言う。“庭”だから何でもあり、好きなものを植えている。グループホームの周りには梅やさくらんぼなど様々な果樹もある。休耕田も活用して、大豆、小豆、ひまわり等も栽培する。ひまわりについては無加温搾油機を使用しシードオイルを製油する。当初は燃料にする計画でスタートしたらしいが、一度採ってみたら採れる油の量はかなり少なく、また、食べてみてもおいしい、燃料にするなんてもったいない!ということで、現在は団体が運営するカフェで食用として使われている。

<カフェ>

 カフェの名前は「ソレイユ」。壁には利用者の制作したアート作品やカレンダー、ポストカード等のグッズが並ぶ。シアター&アトリエに併設されたそのオーガニックカフェでは、自然生クラブで生産された米、野菜、小麦、ひまわり油、雑穀等を使った料理が出される。お昼をいただいたが、食べきれないほどのボリュームがあった。「大丈夫です、残った分はみんなが食べますから」と、冗談ではなく柳瀬さんは言っていた。カフェはほとんどすべて自社農場の物、もしくはご近所からのもらい物を使っているそうだ。自社農場の野菜を市場で売ることはまずない。カフェで利用するか、利用者やスタッフのご飯になるか、おすそわけするか。「贈与経済なんですよ。お金なんかいらなくなるんです」と柳瀬さん。一応全国に野菜を出す仕組みも用意されている。「野菜家族」と呼ばれる会員制度だ。会費に応じて毎週または隔週で季節の野菜を配送する。一時期は震災、原発事故の影響で注文量が落ち込んだが、2年ほど経ってやっと回復してきたとのこと。野菜は放射能検査をクリアしたものを配送しているそうだ。
 立地もあってか、カフェにお客さんはあまり来ない。まさに知る人ぞ知るカフェ。ランチに行く前には予約が必要だ。ワーカーさんが「サラダでございます」と料理を出してくれる。料理を出す時以外は、ぼーっとしてどこかを見ているが、このワーカーさんもひとたび舞台に出れば、誰かが乗り移ったように舞う。

<アート>
 田植え・稲刈り時には田んぼが舞台になるが、普段は米倉庫を改装したシアターで太鼓と舞の時間がある。その前にはシアターに併設されたアトリエで絵を描く時間がある。アトリエにはたくさんの絵の具やクレヨンが用意されていて、それぞれ異なる大きさの紙に思い思いに描きつけている。クレヨンをつぶし、手で押し付けながら延ばして描いている人もいた。1m四方くらいのキャンバスが壁を埋めている。年に一回はこの大きさのキャンバスに描くことになっているという。どれも描きたいように描いている、というか、やりたいようにやっているというのが伝わってくる。
 大体の時間が決まっているのか、何かの合図があるのか、誰からともなくアトリエからシアターへ移動が始まる。座って演奏する小さめの和太鼓4台、大太鼓2台が運び込まれ、私たちは観客席へ座った。ひな壇と平場の席を合わせて50席ほどある。元は米倉庫だけあって天井の高さがあり、響きは充分だ。黒い壁紙と3pほどの高さのついた黒い床、本格的な舞台照明が雰囲気を演出する。数人が集まったところで「始めるよー」と声がかかり、小太鼓が打ち始まる。楽譜があるのか、ないのか、聴いているほうはわからない(後で聞いたことだが、一応型のようなものはあるがそれにアレンジを加えて即興で打っているとのこと)。ベースには神楽の響きがある。そのうち太鼓を腰に巻き付けた人が登場し、踊りながら打つ。自由に力強く舞う表情は生気が漲っている。自分たちの出番が終わると、そっと舞台を後にする。去り際も演出されているのか、彼らの場を読む力が素晴らしいのか、はたまた神楽を通じて何者かに導かれているのかわからないが、とにかくすごかった。大太鼓2台の打ち合いもすごい。会話をしているように聴こえた。お互いの音を感じながら、時には相手に合わせ引き立たせながら、自分のリズムを刻む。太鼓が落ち着き、舞が始まる。舞台が始まるまで寝そべって大きな声を出していた利用者も、舞台の動きに合わせて声を出している(ように聴こえる)。衣装を羽織って舞台の中央へと歩いていく姿は、照明の効果もあるだろうが、どこか神がかって見える。神楽と舞踏を合わせたような動きで、これも創作と聞いて驚いた。クラシックバレエを専門とする踊りの先生は、「私は一つも教えたことがない。むしろ教えようとするものなら、それは違うと言わんばかりの雰囲気がある。彼らは必ず中に才能の種のようなものを持っているので、私は彼らの中にあるものをどうすれば引き出し花開かせることができるのかということだけを考えてやっています」と話していた。先生はその日、ハイハイ歩きの自分の赤ちゃんと一緒に舞台に立ち、踊っていた。柳瀬さんが「退職金が出て、何を買うよりもまず一番初めに太鼓を買った。太鼓や舞、アートが本業だ」と言い切るだけあって、本当に見応えのある舞台を見させていただいた。
 春と秋にはそれぞれ3日間ほどの芸術祭を行う。カフェを開き、シアターではダンスや太鼓の公演やワークショップを行い、絵画の展示では渾身の作が並ぶ。憲法カフェなど知的なコンテンツも用意されていて、多様な人が参加するようだ。外の人もたくさん呼んで、自然生クラブが外へ開かれる良い機会となっている。

<元気なOrganism(有機体)>
 太鼓・舞の舞台を見て、施設長の柳瀬さんやスタッフの方からも話を聞いて感じたのは、自然生クラブは利用者も職員も生き生きとしている、生気があるということだ。舞の公演を観た海外の方が、自然生クラブをorganicだと評したことがあるらしいが、まさに言い得て妙だ。農法もオーガニックなのであるが、組織自体が生きている有機体なのだ。「自ずから然るべく生きる」という名前の通り、色々な場で、無理がなく適当に良いように回っているように見える。
 クラブの一つの哲学として、利用者も職員も「嫌だったらやらない」「疲れたらやめる」ということを大事にしているそうだ。シンプルなルールだが、これを意識していれば確かに大きな歪みが生じることはない。職員は2時間以上同じ仕事はしないことにしている。午前中、事務所で作業をしたら、午後は畑に出る。具体的にはそんな風にしながら、色々なことをどう楽しみに変えていくかということを常に考えているという。

 今回、“生きている組織”を見させていただいた。生きている組織である所以は、組織を構成するそれぞれが自分を表現できるというところにあるのではないか。自らを解放し、表現できているかどうかで、組織の“生死”が決まるのではないだろうか。自分を偽って閉じ込めて言いたいことも言えない、やりたいことができない、想いを伝えられない、そんな状態が続けば人も組織も死んでいく。生気ある組織には、多様性のある解放や表現に対する寛容さがある。最近は、よく知りもしない人を叩いて追い詰めるネットバッシングが横行したり、私的なヘマをしたら世間に対して謝れという雰囲気があったりして、不寛容社会だと言われている。もちろん、悪い人に悪いと言う事を批判しているのでもなく、私的なヘマを許せと言うわけでもないが、不完全な人間が集まってできている不完全な社会なのだから、いろんな人がいて、いろんなことが起こって別に良いじゃねぇかとも思う。解放や表現に対して寛容であること、誰かの表現を待つことは、人を支える仕事をするのに必要な器ではないかとも思う。里は生きているだろうか。世の中の組織に比べれば、だいぶ生きているのだと思う。さらに元気な有機体になっていくために、自分が生き生きと生き、側にいる人を生かしていくためにどうしたらよいか、つまりもっと楽しくやっていくためにはどうしたらよいか真剣に考えていこうと思う。
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2016年09月15日

つくば自然生クラブ、六本木就職フェア 〜業界の最先端とは〜 ★ 副施設長 戸來淳博 【平成28年7月号】

 つくばの自然生クラブの見学をして、数日後、六本木で行われた福祉人材戦力フォーラムとFUKUSHI就職フェアに参加した。どちらもとてもインパクトがあった。
 数ヶ月前、全国で先駆的な取り組みをしている福祉団体を30ほど集めて就職フェアを開催するという話を聞き及んだので、早速、参加申し込みをした。事前の情報では、毎回のフェアでは福祉業界に関心のある学生が300名ほど集まり、各ブース来場者も40〜50名を想定しているという。今まで参加した就職フェアやガイダンスでは、そこまでの集客力はなく、ことさら福祉に特化して行われるフェアとしては格段の集客力だ。さぞかし参加したい団体も多いだろうと思いながら必要書類を整え事前審査へ応募した。

 事前審査は通過し、主催側から取材のライターさんが来里し、なかなかいい感じの求人サイトも立ち上がった。そして、7月2日〜3日の二日間、六本木で行われた福祉人材戦略フォーラムとFUKUSHI就職フェアに参加した。
 初日はフォーラムとして、5つのセッションで講演会などが行われた。二日目は就職フェアということで、NPO法人や社会福祉法人など33の団体が参加し、東京都内の大学を中心に多くの学生と話す機会を得た。

 銀河の里は福祉施設としては珍しく高齢者と障害の部門を現場で融合し、有機的にそれぞれの部門が関わり合って運営している。法人17年目の経験や、個別のケースに関わる姿勢は特徴的で、農福連携や6次産業化といった取り組みなどは、業界のトップランナーとして進んでいると勝手ながら自負していた。しかしこの二日間で私のトップランナーとしての自負はある意味打ち砕かれた。

【若き起業家たちの先駆的な取り組み】
 NPO法人ubdobeは、医療福祉エンターテイメントを通じて「あらゆる人々の積極的社会参加の推進」を目指し、医療や福祉分野の社会課題を音楽やアートイベント通じて社会に訴える活動が報告された。ある活動では、クラブ会場を臓器アートで飾り、音楽やダンスを楽しむイベントを若者中心に開催し、そのライブ中に臓器移植についてのセミナーを開催したという。
 千葉県の社会福祉法人福祉楽団は、特養やデイなどの高齢者の支援事業をやっているのだが、熊本地震の震災時には、いち早く現地に職員を派遣すると共に、第二陣として日頃のネットワークを使い、福祉人材の応援部隊を被災地に送ったという。一法人が有効なネットワークを持っていて有事に適切に動けることに驚く。また、事業としては成り立たないものの、環境やエネルギー問題への取り組みとして山林の整備プロジェクトを行ったり、子供の貧困問題への取り組みとして寺子屋(学習支援)プロジェクトを行うなど、高齢者支援の枠を超えて可能性を模索していることにも感銘した。そして、ここのパンフレットはとてもセンスがよくてフォトブックのような冊子に仕上がっており、福祉業界臭さから一線を画していた。
 元々このフォーラムは、「きつい・汚い・給料が安い」と言われる3Kの福祉の社会的イメージを変えようというコンセプトから始まっている。だからこそ東京でも華々しいイメージのある六本木という場所を選んで会場設定し、全国でも先進的、斬新な活動をしている法人を集めて福祉の仕事の魅力をPRしようとしている。

 確かに参加したどの法人からも、この業界を超えたエネルギーと感じるし、社会課題に対しての問題意識も高い。事業展開も地域を巻き込んで戦略的に行われており、掲げるコンセプトもわかりやすく心惹かれるフレーズが並び、実践もかなり高度な問題意識に基づいて展開されている。一般企業の経営・事業戦略に負けず劣らずの力量で前に向かっている姿勢を感じた。全国には、力があってセンスもいい起業家たちが福祉業界にも大勢参画しつつあることを知った。
 全国から集まった法人の斬新な活動を見せつけられると、銀河の里がトップランナーと感じていた自分のふがいなさと共に、いかに時代遅れかと感じてしまった。全国ではすでに「福祉」×「○○」(何かを掛け合わせる)の可能性を模索し、新たな事業を展開し始めている。その一週間前には、つくばの自然生クラブを見学して驚き、次に六本木の福祉フェアで立て続けに他法人の活動を見聞きして、そのエネルギーと新しい感覚に打ち砕かれたのか、帰ってきてすっかり落ち込んでしまった。

【認知症、侮るなかれ 〜タカさんの凄み〜】
 さて、その出張から帰ってくると、あまのがわ通信の原稿の締め切りが迫っていた。丸一日の休日があったので、自然生クラブかフェアか、どちらかの報告を書こうと思っていた。原稿に向かわねばと思いながら体は動かず「やっぱり・・・書けない」とグルグルしていた。(風邪気味ってこともあって)布団から出るのが億劫で、一日寝て過ごす無駄な時間を過ごしてしまった。
 休日を明けて出勤し、普段のようにユニットの様子を見て回る。ほくとのリビングに入ると、タカさんと目が合った瞬間、「おぉ!! 久しぶり〜」と満面の笑顔で迎えてくれた。確かにこの一週間、外に出っぱなしで顔を合わせていなかったので、なんとなく(記憶というより)感覚的にわかっていたのかなと思っていると、「お前さん東京行って来たんだべ?」とタカさん。私が東京に行っていたなんて伝えてないのになんで知ってるの!?と驚く。しかも、「なんじょだった?報告しなさい!」と言うので、昨日まとめようとして諦めかけた原稿の事まで知ってるのか?!と返事に詰まっていると、「『ん〜・・・』じゃわからね。ちゃんと考えて」と笑っている。「外見よりも中身を磨かねば」、さらに「磨きなさい・・・一緒に磨いていくべし」というタカさんの言葉にどこか救われた。
 自分の中で完結させようとしていた私を捕まえて言葉をくれる。知らないはずなのに知っていてつながっていく不思議なこの感じにいつも支えられる。この人たちはすべて知っていて、世の中のすべての事につながっているのだろうと思わされてしまう。それもあって再び原稿を書こうという気持ちが湧いてきた。

【つくば自然生クラブのスタイルとこの先の銀河の里】
 銀河の里が開設して16年目を迎える。開設当初からこれといった理念も意識せず、自由にやってきた。理事長は「理念は掲げたとたん形骸化するからそんなものはいらない」などと言い切るし、「銀河の里は灯台を目指して進むのではなく、集まった一人一人が照らす道筋が里の進む道なんだ」と施設長はよく言う。私の言葉で言えば、農業を基盤に暮らしの場、共生の場を創ろうとしていたのだと思っている。スタッフも利用者も枠を超えて、里という場で出会い、関わり合うなかで人生のテーマを共有し、物語として綴ってきたのが、今の銀河の里であり、里のケースワークは事例だと思う。
 里の事業展開でも、明確なビジョンや戦略があったわけではなく、その時々に出会い(関係)の中でその都度生まれた課題に対峙する形で事業が広がってきたような感覚がある。GHとDSを開設し数年経つと、自然に、里で看取りをすることはできないかという気持ちが出てきた。ハード面や体制的に受け入れが難しい環境では、互いの関係が深まっているにもかかわらず、他の施設や病院へゆだねるしかない状況が悔しかった。そして法人開設9年目に特別養護老人ホームの開設に至る。今年から始まった「よりあい広場」などのカフェの運営も、利用者やその家族との間からそういった場の必要性が生まれてきたのだと思う。

 つくばの自然生クラブの活動は理想に非常に近いような気がした。代表の柳瀬さんは教員を退職し、筑波山の南麓で自然生クラブを立ち上げるのだが、退職金をもらうと即座に太鼓の購入に充てたという。田楽舞という創作芸能を軸に、農業、障がい者の支援の事業を展開してる。詳しい経緯はわからないが、支援者もつながってお互いに支え合い助け合っている感じが伝わってきた。それぞれの事業は、贈与サイクル(関係)でつながっていて、「なんとかなった」という事業は自然発生的に生まれてきたようで、とても自然だ。そしてそこで暮らす人々も、それを語る柳瀬さんもとても自然でかっこいい。

 この先10年の銀河の里には、ビジョンや戦略は必要で、我々はもっと力をつけていかなければならないとも思うのだが、無くしてはならないものもあるように思う。老いや死といった人間の普遍的なテーマへの探求やまなざし、銀河の里の現場で紡ぐ物語は、やはり今でもトップランナーなのだと思う。今後、臨床心理学や哲学、文化人類学、民俗学といった幅広い視野を持ちながら、豊かな物語を綴ってみたいと思う。簡単なことではないこの困難な道を、私を含め、里は進んでいけるのか、どういう形にして示すことができるのか、それは事業展開も含め、この先10年の課題なのだと思った。
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2016年09月14日

“鍵のかかった重い扉”再び全人格をかけて分かりたいと思い続けたい ★ 特別養護老人ホーム 千枝悠久【平成28年7月号】

 先月27日〜7月1日まで、〈岩手県介護実践者研修〉というものに参加した。これは、“認知症高齢者の尊厳と自立支援のための実践的な知識と技術を修得し、自らの実践に反映することにより介護サービスの質の向上を図る”という目的が謳われているものだ。介護の専門学校を出て4年、銀河の里での毎日から学んできた私だが、認知症に焦点を当てた学びというのは少なく、学び直す良い機会だと思い、参加した。
 特に私が楽しみにしていたのは、『援助者の位置づけと人間関係論』という科目だった。普段、自分を援助者というようには位置づけておらず、その一方で、関わるためには何らかの位置づけは必要で・・・。わたしにとってのあなたってなんだろう、あなたにとってのわたしってなんだろう。考え続けていたことだったため、どんな講義・演習が行われるのかが気になっていた。

 研修は、ある程度は覚悟していたが、苦しい時間だった。どの科目も「今、こういう問題があるからこうしようとか、こうしてあげよう」という感じがして、“問題”が中心に話が進んでいく。例えば、『意思決定支援と権利擁護』という科目では、虐待の種類が紹介され、虐待の件数(報告件数)が増えてきたという話ばかりがされる。『援助関係を築く演習』という科目では、人を馬鹿にした会話例を見せられ、「どこがマズかったのか考えましょう!」と演習が始まる。どれも大事だということは分かる。だが、それらの話は、問題を解決することができたとしても、未来に繋がっていくという感じはしなかった。聞いていて苦しくなることが多く、誰かに話したいと思える話がほとんどなかった。
 楽しみにしていた『援助者の位置づけと人間関係論』も、資料がA4の1枚のみで愕然とした。それでも、“きっと資料では語りきれないことがたくさんあるのだろう”と、わずかな望みを持っていた。が、始まってみると、「特に新しいことをやるようなことではないですから」と棄てられた感じで、お題目のように「『援助を受けている者』『援助している者』という上下関係を超えて、『共に生きる』『共に支え合って生きている』という福祉の精神を基盤とした介護を・・・」という話がされ、援助関係の原則として、バイスティックの7原則が紹介された。

 その後、「普段関わりのなかで心掛けていること」を考えるグループワークを行った。そこで、世の中のいわゆる介護施設というやつの現実を知った。まさかとは思ったが、グループのメンバーの誰もが“いつでも笑顔で”を挙げるのである。何も知らない専門学校にいた頃の私なら、「笑顔を心掛けましょうね♪」「は〜い」なんて言ってたのかもしれないが、今だったらそれがいかに現実離れしたおかしなことだとわかる。
 どんな時でも笑顔でいたら、利用者から「ヘラヘラしてんじゃないよ、コバカタレ!」と言われるか、気味悪がられて無視されるのがおちだ。普通に自然体で関わっていくことが当たり前なのだが、いつでも笑顔でいられるくらいにしか関わっていないのだろう。それは利用者をとても馬鹿にしているように感じる。「心掛けていることは7原則のどれかに当てはまっているはずであり、当てはまっていない人は当てはまるように心掛けましょう」という話があった。私が心掛けていることは、ほとんどがはみ出していた。
 それぞれの人と人との関係に原則なんて当てはまるわけがない!“共に生きる”なんて簡単に言っておいて、結局は“援助関係”という関係のなかに押し込めようとしてるじゃないか!笑ってろ、いつまでもそうやってヘラヘラ笑ってればいいさ! 研修の講義を受けながら、ぐるぐると暗い感情が渦を巻いてきて苦しくなる。
 6年前、認知症の指導的グループホームで初めて実習をしたとき感じた、施設職員とそこで暮らす人との間の断絶(その時は両者の間に“鍵のかかった重い扉”を想起させられた)を、ここでまた少し違ったかたちで感じるはめになった。

 苦しくなるばかりの研修のなかで、ひとつだけ救いのあった時間があった。それは、認知症の母の介護と看取りを経験した方の話を聞いた時だった。直前の講義では、施設で行われた家族介護者交流会で、家族の話を聞いた職員が「分かります」と言い、「簡単に分かるわけない!!」と怒られたという例を上げ、“簡単に「分かります」と言うべきではない”というような話がされていた。たしかに、他者の苦しみや辛さに至ることは人にはできないのかもしれない。だからと言って技術的に“簡単に言うべきではない” と諦めてかかるのも仕事の姿勢としてどうなのか・・・。そんなもやもやしたものを抱えながら話を聞いていた。
 その方が母親の介護をした時には、サービスもあまりなく、在宅での介護がほとんどだったという。大変だったことや、辛くなることもたくさんあっただろうと思う。けれども、話には暗さや重さはなく、むしろあたたかな光にあふれていた。一緒にくたくたになるまで家の周りを歩き、家に戻ってから自分の膝の上で眠る母を愛おしく思ったという話。毎日のように「助けて〜」と窓から叫んでいる母が、本当に助けを求めているように感じられた日、「助けてって、叫んでもいいっか?」と聞かれて一緒に窓から叫んだという話。もちろん立場が違うので簡単に「分かる」とは言えないのかもしれないが、その話を聞きながら私のこころに思い出されたのは、里での毎日のなかで、一緒に歩いた人のこと、一緒に叫んだ人のことだった。そのお話を聞きながら、滲んでぼやけそうになっていた日々の記憶が、再びきらめきを取り戻していくように感じられた。

 心が揺さぶられ、落ち着かなかった私は、その日の帰りに映画を観に行った。そのなかで主人公が「娘がいなくなった親の気持ちもわからないのか!?」と叫ぶシーンがあった。作り物の設定、用意されたセリフなのだが、その時の私はそれを観て涙が止まらなくなった。他者の悲しみに至ることはできないのかもしれない。けれど、いや、だからこそ、悲しみの物語は語り継がれ、演じ続けられているのだろう。至ることができないというのも人なのかもしれないが、想像力を持って話を聞いただけでも同じような経験として共有することができるのもまた、人というものだと思う。
 それぞれの人にはそれぞれの物語がある。すばるでも、健吾さんには生まれ故郷をめぐる物語があり、ユキさんには旦那さんとの物語がある。私は今まで、それらの物語を、“至ることができない”と、どこか避けてきたことに気がついた。6年前の実習で感じた“鍵の掛かった重い扉”。その鍵が、想像力に溢れた神話のなかにあると、その時思ったはずの私だったが、私自身のなかにも重い扉があった。そのことに気づくことができたのは、今回の研修の成果だったかもしれない。
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