*ユニットでやりとりする千枝とツナさん
ここ数か月、私はまたしても迷子になってしまっていた。何にどう手をつけたらよいかわからない。暗い夜の海を、溺れそうになりながらも夢中で泳いでいるような、そんな日々だった。ユニットすばるで、別れと出会いがあった。
寒さが段々と厳しくなってきたある日の朝、ツナさん(仮名)が入院先の病院で亡くなっていた、と連絡を受けた。それを聞いた私は、それをどう受け止めてよいのか分からず、ただ涙を流していた。いつか来ることは分かっていた、でも、それはやっぱりあまりにも唐突で。その日、私は日勤だったため、風に吹かれれば消えてしまいそうな、そんな心持ちで一日をなんとか過ごした。
その夜、“どこかに出かけないか?”と中屋さんから誘いを受けた。ツナさんのことで文字通り居ても立っても居られなくなっていた私は、すぐに家を飛び出していた。中屋さんの提案で、“観音様”へと向かった。ツナさんの家の近くに、ツナさんがずっと大事にしてきた、その土地の神様である観音堂があった。私も、夏祭りの時などに何度も一緒に訪れていた。観音堂の近くでツナさんの話をしているうちに、涙が溢れるのを止められなくなってきた。「ちょっと、拝んできます」そう言って私は、観音様の前に立った。泣き顔のまま、鼻水垂らしながら、願って祈って、そして誓った。ツナさんの「やってろ!」という声が、聴こえてきた気がした。
ツナさんは、熱い想いを持った人だった。普段はニコニコと笑顔で、小さい体でお尻歩きでグッ!グッ!とどこまでも行き、“あは〜♪”という擬音がとってもよく似合うかわいらいしいおばあちゃん。だが、その語りにしっかりと耳を傾けてみると、「今は笑って誰も信じないけれど、昔は小豆5升運んだんだ!」悔しそうに涙ながらに語ることや、「オメは人と木っことどっちが偉いと思う?昔は木っこ、今は人!昔は季節の移り変わりがあって・・・」と語ること。観音様の納めの日に行けば「ありがとうございました」深々と畳に頭をつけ、その帰り道に「昔は、観音様の後、お墓にも行ったものだども、今の若い人たちは・・・」その土地や家を懸命に守ってきたということが感じられ、大切なことを伝えようとしてくれているんだと思った。一番印象に残っているのは、亡くなる少し前、すばるスタッフの由実佳さんがお見舞いに訪れた時のこと。“みんな待ってたよ!”と伝えた由実佳さんに、「やってろ!」と答えたというツナさん。その時には、すごくツナさんらしい言葉だな、と思いつつも、あまり考えることはなかった。
今は、それが由実佳さんを通して伝えた、ツナさんのエールだったように感じられている。すばるの写真を見返すと、由実佳さんの隣にはいつもツナさんが居た。卵焼きを作ったり、お好み焼きを作ったり、料理を作っている時には必ずそばに居て。「あは〜」って笑いながら見てたり、一緒に作ってたり。田植えや稲刈り、花見の時なんかも一緒で。由実佳さんが作ったこびるやお弁当をモシャモシャおいしそうに食べているツナさんが居て。そんな由実佳さんにだからこそ、“これからはお前たちでしっかりやってろ!”という、これからの若い世代へのエールを伝えたのではないか、と思っている。「やってろ!」が、私たちが聞いたツナさんの最期の言葉だった。
その後の私は、ツナさんの「やってろ!」を胸に、熱い気持ちでがむしゃらに何かを“やろう”とした。けれども、なにも見えてこない。それでも“やろう”と必死になり、ますます見えなくなり・・・。きっと、痛かったのだと思う。でも、そんな痛みも感じられなくなってしまうくらい、必死だったのだと思う。今まで、どれだけツナさんに導いてもらっていたのか、ということを痛感した。
そして、芳晴さん(仮名)との出会いがあった。ツナさんの部屋が空いたために、そこに入る形ですばるに来た芳晴さん。ショートステイに来ていたこともあったため、“ツナさんとは大分違う感じの人だよなぁ、どうなのかなぁ?”と心配だった。思った通り、この出会いで、私は一度、増々迷子になった。
すばるに来る前の最後のショートステイのある日のこと。なかなかお風呂に入れていなかった芳晴さんを、お風呂に誘おうとソファーの隣に座ると、「おふくろが亡くなったんだ」と、涙ながらに語り始め、まだまだお風呂どころではない感じ。どこか他人事のように思えなくて、脱衣室に場所を移しつつも話を続けることにした。「おふくろは優しい人だった。俺のこと叩くってことはなかった」「田んぼ90町歩あったったども、全部おふくろにやった!喜んでくれたのはおふくろだけだったよ〜。他の人はああしろこうしろって言ったったども、“うるせー!”って言って」話にどんどん入り込んでいた私は、“おふくろさんだったらお風呂に入ってほしいって言うと思う”と、どうにか芳晴さんのおふくろさんに近づきたい一心で、そのようなことを何度も何度も話していた。
すると(当然のことなのだが)、「オメさんはおふくろのなんなんだ?オメさんにおふくろは関係ない!」と返してきた芳晴さん。それでも話し続けた私に、「関係ない!」を何度も突き付けてくる。だんだんとイライラしてきた私は、「関係ないってどーゆうことだっっ!!!そっちが(おふくろのことを語って私の心に)入って来たクセに!!!」と怒鳴っていた。我ながら、無茶苦茶な話だと思う。でも、それだけ必死だった。「そっちが入って来たんだろ!!ここは俺の家だ!!出てけーー!!」と返され、「イヤだ!!」と返すと、「死にたいのか?!じゃあ、殺すぞ!!」と。「関係ないって言われるくらいなら、殺された方がマシだ!!」私は芳晴さんに掴み掛っていった。掴み掛っては投げ飛ばされ、それでも何度も掴み掛り・・・。そうしているうちに、芳晴さんの持っているエネルギーを、身を持って感じることができた。
すばるに来てからの芳晴さんは、お風呂に入ることだけでなく、トイレに誘うことも難しく。そういう時は、私だけではなくスタッフ皆に、「オメさんには関係ない!」と言っていた。芳晴さんと話すとき、私にはお風呂の時のことが思い出され、熱くなりすぎそうになることもあったが、ただただなんとか芳晴さんに喰らいつきたかった。それでたくさん考え、悩み、動き、さんざん迷った。
そうやって迷っていたある日、私は芳晴さんがほとんど“自慢”をしないことに気がついた。私がデイサービスに居た頃も含めて、今まで出会った男の人達は、その誰もが、自分のしてきた仕事を、さほど自慢げでないことはあるにせよ、語ってくれたものだった。ところが、芳晴さんはそれをほぼ全くといっていいほどしない。自慢できることがないのかと言えば、そんなことは全くなく。仕事においては重要な役割を果たしてきていて、地域においても役を引き受けていて、奥さん曰く「休みの日でも、家にいるってことはなかった」と。なぜそんな人が、自分のしてきたことをほとんど語ろうとしないのだろうか・・・。そう考えた時に、私の中に大きな大きな悔しさが生まれた。芳晴さんの涙と、ツナさんの悔しそうな涙とが重なった。そして、芳晴さんから「こういう仕事は、“良かった、良かった”だけで終わるようではダメだ!」「こういう仕事をやるからには、命懸けでやらねばならない!」と、大切な言葉をもらっていたことも、改めて思い出した。私を導いてくれる熱い想いは、芳晴さんの中にも確かにあった。
今も芳晴さんは“おふくろ”を求めている。私は今は、芳晴さんの求める“おふくろ”というのはツナさんのことなのではないか、と勝手に思っている。それは、私の希望だ。ツナさんを求めていた私と、“おふくろ”を求めていた芳晴さんが出会ってしまったのだと思う。そうだとするならば、芳晴さんの“おふくろ”は芳晴さん自身の中に確かにある。そして私も、もう迷わない。「やってろ!」を胸に、芳晴さんとの出会いを導きの灯にして、これからもやっていこうと思う。