2016年11月29日

自然生クラブに行って 〜自然な生活と自己表現〜 ★ グループホーム第2 今野美稀子 【平成28年11月号】

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 10月29、30日、茨城県つくば市の『特定非営利活動法人 自然生クラブ』にお邪魔した。筑波山の麓に構える自然生クラブは農業と芸術、カフェの運営など様々なことを行っている。筑波と言えば研究学園都市のイメージが強く、自然生への道中も研究施設がずらっと立ち並ぶ道を車で走った。しかし一本脇道に入ると雰囲気は一転、両側が塀に囲まれ、対向車とすれ違うのも一苦労(むしろすれ違えない)という路地になる。敷地に庭木が植えられた立派な昔ながらのお屋敷、というような家がいくつも見られ、そこかしこの家の庭にミカンやカリンなどの木が植えられていた。岩手ではあまり見られない風景に目を奪われる。
 筑波山への参道「つくば道」に入り少し行くと、右手にカラフルな鳥の弾幕が垂れ下がった建物が見える。ここが自然生が運営するカフェ「ソレイユ」らしい。すごいインパクト!ここを目的地としていなくても思わず足を止めてしまうに違いないと思いつつ中へ入る。定員は30〜40人くらいだろうか、4人掛けのテーブルが並び、壁には自然生の人たちが制作したであろう絵画。居心地が良く楽しい空間だった。大抵のお客さんは身内らしく、そのとき店内にいた客もボランティアに来ているというボランティア団体の方たち8人ほど。そのテーブルに(教えてもらうまで意識できなかった程)何の違和感もなく一人紛れ込んでいる方、水を運んでくれる係らしい壁際で待機している方、お客さんのように悠々と入ってきてお茶を頼む方、全員が雰囲気に溶け込んでいて、自然にそこにいる感じ。

 そのカフェの裏に向かうと米蔵を買い取って改装したという「田井ミュージアム」があった。米蔵らしい少し薄暗い空間、手前にはアトリエ、奥にはシアターが作られている。アトリエではちょうど「中島教授の妖怪展」が開かれており、「中島教授」の描いた妖怪の絵がずらっと並んでいた。中島教授は怪奇研究家で自称・妖怪学教授だそうで、数回ミステリーツアーも開催したそうだ。こういう個人が主役になれる企画があるととても楽しそう。白いキャンバスに描かれた作品だったり、周辺の写真に描き込まれた作品だったり。中島教授はこの写真のように身の回りにいる妖怪と当たり前に共存しているんだろうなあ。とてもリアリティが感じられてワクワクする。「妖怪アパート」(だった気がする)という作品にはさまざまな妖怪が描かれていたが、「ウニ食いてー」なんて言っている妖怪も居れば「脱原発じゃ」と言っている妖怪も居て、妖怪にまで思案されている日本の問題を考えさせられる。その絵を描いた中島教授の感性もすごい!

 シアターには入口両側に段をつけて作られた客席と立派な照明機材。奥には翌日の田楽舞のための太鼓が並んでいた。翌日の前座で酒井も歌わせてもらうことになり、そのリハーサルと称してシアターを使わせてもらう。酒井がギターを弾いていると自然生の人たちも一人、また一人と入ってきた。そのまますーっと奥の太鼓の方へ行き座る人、客席に来て自然と里スタッフ赤坂の隣にスペースを開けず腰を下ろす女の子、最上段まで駆け上がり聞いている男の子、いつの間にか照明をいじってくれる自然生スタッフの方。ただ座っているだけなのかと思えば良いタイミングで太鼓を打ち始める人、佐々木(里)も加わり、即興のステージが出来上がる。酒井が終わると太田のステージも始まった。
 踊りに合わせて太鼓を打っているのか、太鼓に合わせて踊っているのか…照明も切り替わり踊っている太田にスポットが当たった。激しい太鼓と踊りと。途中、一番前の椅子に座っていた男性を太田が誘った。何かその男性に感じるものがあったのだろう(その方はいつもソロで踊ることもある方だったらしい)。その人はゆっくり立ち上がり、ゆっくりと靴下を脱いで、ゆっくりと舞台に上がってきた。どっしりと構えて動くその人と小刻みに動く太田、時折静止し睨み合うように視線が合う。暗い中、激しく鳴る太鼓の音と二人のダンス。
 語彙力が乏しいことが残念だが、鳥肌が立つくらい、とにかくすごい!その二人のダンスが終わると一人の男性が舞台に上がった。太鼓の音もない舞台で静かにゆっくりと踊り始める。フィニッシュは後ろを向き股の間から頭を出す状態で終わり、その恰好で柳瀬さんと握手をしていて笑ってしまったが、その人は普段は全く踊ったことはない人だったらしい。「何があるかわからないから毎日気が抜けない」と楽しそうに話す柳瀬さんが印象的だった。だからこそ、自然生では「リハーサル」も「練習」もないという。毎回、毎日が本番で全員が主役なのだろう。本当にリハーサルなんかじゃなくひとつのステージとして出来上がった空間だった。すべてひっくるめてすごい!うわーっと見ているこちらも内から湧き上がってくる感じ。
 翌日の田楽舞でもしっかりとした型のないステージで、4人の踊り手がそれぞれ感じるままに動き太鼓が鳴り響く。しかしそれがしっくりときて一つの作品になっている感じに感動した。型がなく一人ひとりの個性が出せるからこその良い舞台で、作ろうと頑張っても作れるものじゃない、あの舞台を作りたい。
 自然生で感じたのが、すべてが繋がってすべてひっくるめて一つの生活になっているイメージだった。生活の中に農業も芸術も太鼓もあって、それぞれが切れ切れになっていない。現在の社会の中では、太鼓を打つと言ってもそれが日常生活と繋がっている人なんてそうそういない。太鼓に限らず、仕事は仕事、趣味は趣味などとさまざまなものが切れ切れの中で私たちは生活している気がする。それがすべて繋がって、農業や自然、芸術とも共生している生活。その中でこそ、太鼓やアートを通して表現できる自己というものも大きいかもしれない。型に縛られないから多大に自己が表現でき、それぞれの自己同士がぶつかりあうからこそ一つの作品としてすごいものが完成するのだろうか。

 以前「てあわせ」の西先生がグループホーム第2にいらっしゃったときに、利用者がそれぞれ動いているがそれで一つの空間として完成しているようだというようなことを言っていたことを思い出す。てあわせ自体、他人を感じつつも自分も主張していくようなイメージで動く。そう考えるととても腑に落ちた。
現在里でも太鼓を通じてのワーカーさんの自己表現の場としてワークショップを行っているが、まだまだそのときだけのものになっている。もちろんその場での太鼓の表現がそれぞれあっておもしろいが、日常的に太鼓に触れ、好きなように好きなときに自分を見せてくれるような場の構築をしていきたいと思う。
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posted by あまのがわ通信 at 12:00| Comment(0) | 通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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