2016年10月20日

「迎え火」の能舞台と「恐山ツアー」 ★ 施設長 宮澤 京子 【平成28年9月号】

「迎え火の華々」 / 於:グループホーム第1
 8月、お盆を迎え、恒例の「迎え火」や「送り火」の行事が、それぞれの事業所で執り行われた。13日の朝、グループホーム第2(以下、G2)の詩穂美さんから「今晩7時頃から、玄関前で迎え火と花火をします」との連絡が入った。私はグループホーム第1(以下、G1)に修論のフィールドワークのために、夕方4時から入ることになっていたので、食後にG1の利用者さん何人かと「花火」を楽しむつもりで参加をお願いした。

 5月あたりからG1では青森の下北半島にある「霊場恐山ツアー」の計画が持ち上がっていた。Hさんが「恐山には毎年行っていたけど、施設に入ったら行けないわね」と言うので、「いえいえ、行きましょう」と私が応えると、「イタコさんにご先祖さんを下ろしてもらうと、心がシャキッとするのよ。人間として大事なことなのよ」と話してくれた。テーブルを囲んでHさんの話を聞いていた人たちは、「行ったことないから行きたい」「こんな足腰ではみんなに迷惑かけるから行けない」「法事があるからダメだ」「いくらかかるの?いつ行くの?誰と?」「車に酔うから酔い止めが必要」などと現実的な心配で盛り上がる。一方で好奇心の強いSさんは「天国行きか地獄行きか、予行演習として行ってみたい」と乗り気だ。さらに「お願いがあるんだけど、うちの人も一緒に連れて行っていいかしら?」(旦那さんは3年前に亡くなられているのに、いつも一緒に生きているSさん、イタコより凄い!)。みんなそれぞれ噛み合わないままイメージを膨らませていた。
グループホームでは死者たちが日常的に生きているので、彼女たちが立派なイタコ集団だ。スタッフは恐山ツアーの「見立て」として、グループホームがあまりにも異界なので、恐山に行くのは現実を取り戻すためなのではないかと話し合っていた。

・Sさんの夫はすでに亡くなっておられるが、いつも
一緒に生きていることになっている。
・Tさんの夫も亡くなっているが、度々生きている人とし
て語られる
・Yさんは、死者との関係を大事にしており仏事・法事
を重視し、毎日手を合わせて拝んでいる。
・Hさんは、夫や息子を亡くして一人暮らしをしていた。
GH入居前は、毎年恐山に行っていた。 
 

 食後「お隣のグループホームで花火があるので参加しませんか?」と誘うと「花火」に興味を持ってくれた。しかし玄関先に出ると、G2は階段を登った高台にあるため、入浴後のYさん・Hさんは億劫になったようである。Yさんは早々と帰ってしまい、HさんとTさんは、玄関前から時々上がるしょぼくれた打ち上げ花火を見上げながら、「花火は一発上げるにもお金かかるのよねぇ」などと話しながら、「月がきれいだね」とか「涼しくて気持ち良いねぇ」など、夕涼み気分に浸ってもいた。スタッフの角嶋さんが、線香花火やらネズミ花火を持ってきてくれて、私達もはしゃぎながら楽しんだ。花火が終わってリビングに戻ると時刻はすでに8時を過ぎていた。中のみんなはすでに寝ただろうと思っていたが、リビング奥のソファには、早々に引き揚げていたYさんとSさんが私達の帰りを待っていてくれた。なんと恐山ツアー参加者全員が残っていた!

【場面1】 母になり、子に戻る
シテ:亜美 ツレ:H 
ワキ:T ワキツレ:S・Y 
後見:M・宮澤


 遅番の亜美さんと夜勤者の好子さんも加わり、7人が廊下中央の薄暗い場所であれやこれや話が盛り上がる。それぞれの話は錯綜しているのだが、なぜか笑いが共鳴し合っていた。私とTさんは向かい合わせで端に座り、みんなのおしゃべりを見守る感じになっていた。
 そんな中、Hさんが椅子からおりて床に直座りし、ソファに座っていた亜美さんと手を繋ぎ合った。驚いて見ているとなんとHさんは亜美さんの足やら太ももをさすり始めた。そのうちさらにHさんは亜美さんの両腿に顔を埋めてしまった。ゆりかごの中にいるようなHさんと、ゆりかごになっている亜美さん。そういえば夕涼みの時に花火を立って見ていた亜美さんを「ここに座りんしゃい」と言って抱っこしていた。おばあちゃんと孫のようなほほえましい光景だったが、今は逆転して20代の亜美さんに90代のHさんが赤ちゃんになって甘えている。私が少し心配だったのは、今年の新人の亜美さんを普段から特別な存在として思い入れのあるTさんがその光景を見て嫉妬しないだろうかということだった。田植えの時も一対一で直伝し、「おめぇさんがいると安心だ、宜しく頼む!」と亜美さんを大事な人として受け止めているTさん。ところがTさんはまったく見えていないように振る舞っている・・・。
 その傍らではSさんがYさんに「私の家は多産系で、一晩しか寝なくても子ができるから不思議なのよ」と話し出す。それを横で聞いていたTさんは「効率良いなぁ」とぼそっとつぶやきニヤッとしている。Yさんは「そんだ、いっぺぇできるところは、そなんだ」と頷いている(何だか妖しい話)。
Yさんは、Sさんの粋でしゃれた語りに感銘するところがあるらしく「オレ、この人が自分のこと、お金がかからないタんダのハツって自己紹介したから、いっつも顔はわかってもよ、さっぱり名前が覚えられんけんど、この人の名前だけはすぐ覚えられた。タんダのハツさんてなぁ」と繰り返す。亜美さんが「Yさん惜しい!ハツじゃなくてSさんだよ」と言うが、Yさんは何度もハツを繰り返し、訂正しようとはしない。亜美さんは「はひふへほのハツじゃなくて、さしすせそのSなんだけどなぁー」とさらに突っ込むが、Yさんは聞いてはいない。「札束のSって覚えたら良いんじゃない?」と応援が入るがそれもYさんの耳にはまるで入らない。

【場面2】 来て共に舞う
前シテ・後シテ:T ツレ:H 
ワキ:亜美 ワキツレ:S・Y
囃子:G1の利用者  後見:M・宮澤 
 

 時刻が9時を過ぎた頃「そろそろ寝るか」ということになった。すると今までボンヤリしていたTさんが一番にシャキッと立ち上がった。Tさんが部屋に戻るには、Hさんの横を通らなければならない。その時にはゆりかごだった亜美さんは他利用者の介助でその場を離れたので、Hさんは亜美さんが座っていたソファにお腹を突き出すようにして座っていた(Hさんは腰が痛いので時々このような姿勢をとる)。TさんはHさんの前を通りながら、突然Hさんのおなかを触りはじめた。Hさんのおなかは出ていて自分は細いと言いたいのか、Tさんは自分のズボンのウエストがこんなに余っているとばかりに2折り3折りさせている。みんなが響めきながらその様子を見ていると、さらにTさんは、ズボンの裾をたくし上げ自分の足の細さも見せた。そこへ戻ってきた亜美さんが「Tさん、“ドジョウすくい”が、はじまりそうだね」と声を掛けると、なんとTさんは安来節を踊りはじめた。「Tさん、これ」と言って亜美さんが小さなザルを手渡す。Tさんもそれに乗ってサマになってきた。「本番は、恐山ツアーの温泉旅館までとっておきましょう!もっと大きなザルを用意するからね」と亜美さんが言うと、それに合わせて手に持っていたザルを股間に押し当て、ニヤッと笑って踊りが終わった。
私はあっけにとられた。この行動はどう考えてもTさんらしくなかったからだ。10年以上になるお付き合いだが知る限りではあり得ないことだ。私には、そのとき5年前に亡くなった旦那さんの清吉さん(仮名)が見えた。今夜の「迎え火」で、清吉さんが戻ってきたにちがいない。そういえばG1の「迎え火」を11日にやって、12日の夕方に亜美さんが旦那さんの清吉さんの写真を壁に貼ったという経緯があった。そのとき清吉さんはTさんのところに戻ってきていたに違いない。清吉さんがいたとするとTさんのドジョウすくいは腑に落ちる。清吉さんは、銀河の里のグループホームでTさんと一緒に暮らしたあと、里の特養ホームで看取りまでさせていただいた方だ。律儀で細かいことをきちんとするTさんとは対照的で、お茶目なムードメーカーで場を和ませる方だった。清吉さんを知っている人なら、どじょうすくいは清吉さんだとすぐに感じ取れたはずだ。
そんな「迎え火」の後の宴も終わり、役者達は口々に「おもしぇかったなぁ」「こんなに笑ったことなどひさしぶりだぁ」「みんなと話ができてよかったぁ」と、名残惜しそうに各々の部屋に戻って行った。ふと気づくとグループホームで霊感の一番強いMさんが、暗い部屋で一人じっと座り込んでいた。今夜の宴の顛末を見守り支えていてくれたに違いない。

考察1:世阿弥が『伊勢物語』の「筒井筒」の物語を素材に創作した能の演目『井筒』は、複式夢幻能の代表作といわれている。在原業平と紀有常の娘が昔夫婦として住んでいて、今は廃墟となった在原寺を訪れた諸国一見の僧が聞いた不思議な物語である。僧の前に現れた里の女(前シテ)は実は有常の娘の亡霊(後シテ)で、業平への恋慕の舞を業平の装束を着けて舞い、夜明けと共に消え失せる。現在と過去が入れ替わり、二重に男女が入れ替わる夢幻的な時空に繰り広げられる能舞台。

 この迎え火の夜の宴の体験を通じて、グループホームが夢幻能のような物語を展開できる舞台となりうることに大きな意義を感じる。
前シテのTさんはG1で利用者として暮らしているが、橋がかりとしてのあの薄暗い廊下を横切るときにHさんがいたことで後シテのTさんとなり、「迎え火」で帰ってきた清吉さんを被って安来節の舞を披露したのではないか。Tさんの舞は私の中で能「井筒」と重なり感動が込み上げた。

考察2:もう一つの見立てとしては、Tさんが“ワキ”として座って居てくれて、シテの新人スタッフ亜美さんが、母性を獲得するためのイニシエーションとしてG1最年長92才のHさんを赤ちゃんとしてあやすという物語である。日頃のHさんは、社会的な道義や倫理などを重んじる人なので亜美さんに対して厳しく躾をする立場にいる人だ。このとき、なぜお母さんにあやされる赤ちゃんになったのか。Hさんの日頃のペルソナがはがれ、柔らかい赤ちゃんのような本体が顕れたようにも感じる。毎年「恐山」で、イタコさんに下ろして貰って、お母さんに会っていた時の再現だったかもしれない。その時に、共時的に隣のソファではYさんとSさんが「子作り・多産系」の話しをしている。霊山として死者を下ろす「恐山」は、生まれ来る命や母性の物語とも通じているということなのか。命の巡りということからすれば死も生も含んだ全体性が命そのものということになるのだろう。「霊場恐山」を超えた霊場がグループホームの場に出現する可能性があるということではないか。

 22歳の新人、亜美さんはどう受け取っているのだろう?里のグループホームで巻き起こる一連の不思議な出来事に遭遇し、頭がボンヤリすると言っていた。カルチャーショックの中にいると言っていいだろう。私も強く感動させられっぱなしだ。「恐山ツアー」では、浅虫温泉でゆっくり身体を癒やし、「恐山」でしっかり現実を取り戻してきたい?!


「恐山ツアー」の顛末 (2016/08/25〜26)
 一泊2日の「恐山ツアー」は、Hさんのひと言が発端で「みんなで行こう!」となった計画であるが、費用もかかることなので、家族の承諾も得なければならない。参加者の中には90歳を越えた人もいるので健康状態に配慮が必要だ。参加者のモチベーションはどうか、スタッフのメンバーはどうするか。スタッフも「恐山」と聞いて引き気味なところもあり、すんなり計画に乗れなかった事も事実だ。私と理事長で6月に現地の下見を実施した。宿泊する浅虫温泉の部屋やお風呂の状況、恐山までの道路状況、休憩やトイレの場所、恐山をどう歩くかなど。計画から2ヶ月の間、参加者4人はそれぞれ「行く、行かない」で揺れているようだった。特にお盆前には恐山どころではないといった雰囲気があった。お盆を終えると、それぞれの気持ちも落ち着き、前日に“旅のしおり”を配って最終確認をした。ところが出発前日になってもYさんは「おら、カブ(膝かぶ)が痛いから・・・」と、ためらう発言をして、みんなから「大丈夫、温泉でカブを治してから恐山に行くのだから」と説得されるものの、顔は曇っていた。当日の朝になって、Tさんが「オレは、何も聞いていない」と言い出す。(あれっ昨日は“しおり”に色まで塗って準備をしていたのに?)
しかし出発の時間には全員、当然のように行く気満々で、おしゃれをして集まった。玄関に一番に出てきて「行く」と座り込んでいるのはG1の霊感度ナンバーワンのMさんだった。Mさん達、残る5名の利用者とスタッフの守りの後押しを感じながら、いよいよ出発。

【出発】
 運転手の理事長、カメラマンの潤太郎さんとその他スタッフは私を含め4名、マダムチーム改めイタコ・シスターズ(潤太郎さん命名)4名の総勢10名が、ハイエースに乗り込んだ。カメラに緊張してか、すっかり眠ってしまった人もいる。

【道中】
 行く道で、天気雨が降り、直後は迫力のある虹が2重に架かり、私には現実と異界の橋が架けられたようで「恐山ツアー」の旅に相応しい光景に映った。

【温泉】
 浅虫温泉では、オーシャンビューのお部屋で、全員が浴衣に着替えた。その浴衣姿がなんとも色っぽくかわいらしい。露天風呂で海を眺めながら温泉に浸かり、背中を流し合い、裸のお付き合い。ゆったりしすぎて湯あたり寸前の人もいたが、皆さん満足。Yさんは、温泉の効果で、心配していたカブの具合が良くなったと、足をピンと上に何度も上げて見せてくれた。
 お風呂の後、夕食の席について「乾杯」、並べられた海の幸膳の釜飯やしゃぶしゃぶ鍋に火が入る。最後はおそばが出て、デザートは杏仁プリン。かなりの量だったがみんな結構平らげた。食事のあとは津軽三味線の演奏会。一番前のソファに銀河の里ご一行が座り、津軽三味線の迫力を堪能する。しかし心地よさにウトウトする人もいた。演奏が終わって部屋に戻るなり、SさんとTさんはバタンキュウと布団に潜り込んでしまう。確かに今日は、3時間のドライブと温泉入浴にお膳の食事、おまけに津軽三味線と盛りだくさんな展開だった。さすがのイタコ・シスターズも明日の本番を控えて、夜更かしのおしゃべりタイムは無かった。
 私も疲れて、Tさんと亜美さんの布団の間に横になっていると「畦を広げてないで、ここで寝ろ」と、Yさんが自分の布団の脇を開けてくれた。「Yさん、畦とは上手い例えだね。確かに太っちょの私がここで寝ると、段々畦が広がっていくものねぇ」と苦笑した。寝ていたはずのTさんが隣で「ぐふふ」と目を開けずに笑った。そんな訳で、Tさんの本番の「ドジョウすくい」を見ることはできなかった(清吉さんは16日の「送り火」に帰ってしまったのだろうか?)
 皆さんぐっすりで、トイレも日頃3回の人も1回、全く朝まで起きなかった人もいた。Sさんは明け方、一人布団に座っていたとのこと。それを見て「座敷わらし?」と驚いた人もあったようで、後で大笑いした。
朝食の後、出発予定時間は過ぎていたが、皆はすっかりおみやげ選びに没頭していた。運転手の理事長だけが「参ったなぁ」と、しきりに時間を気にしていた。

【いざ「恐山」へ出発!】
 80%の雨の確率だったので天気はあきらめ気味だったのだが、恐山に滞在中、食事もして車に乗り込むまで雨は降らなかった。イタコ・シスターズの威力だ(出発した途端、どしゃ降りとなり前方が見えなくなるほどだった)。
 さて、この日の恐山は大荒れの天気が予想されていた上に、参拝シーズンを外れていて人は少なく、ゆっくりと参拝することができた。Sさんは潤太郎さんにおんぶしてもらって境内の参拝をした。とても有難かったのだが、それでもSさんは自分の足で歩きたかったようで、そのあと地獄コースでは両サイドを支えてもらって自分の足で巡った。天国コースは車いすで巡り、宇曽利山湖を眺めることが出来た。Hさんはコースを巡りながら、涙を流し「来たよー」と呼びかけていた。Yさんは、しっかり手を合わせて、曹洞宗のお経を唱え先祖供養をしていた
 一方、Tさんだけは少し様子が違って、5分おきくらいにトイレに行った。恐山巡りはあきらめTさんは境内で水子供養塔に手を合わせ、イタコさんが寝泊まりする宿舎のトイレのあたりで亜美さんと過ごした。普段ズボンしか着用しないTさんが、恐山ツアーになぜかスカートを履いてきた。確かにおしゃれではあるが、ちょっと場違いな感じもする?Tさんの目的は恐山ではなく「温泉」だったのかとも思ったが、実はそこに深い意味が隠されていたのだった。そのスカートはTさんが自分で裏地を敢えて切り取ったという。それを身につけ、私が「2本足が透けて見えるよ」と言うと、Tさんは「足はしっかり付いているよ!」と返してきた。「私は幽霊ではない、生きている」と言いたかったのか?いずれにせよ、生きているTさんが供養しなければならない死者が明確にいたのだった(車に乗り込んだTさんは、亜美さんに「冷えたなぁ」と漏らしていたが、私はその意味深さに震えた)。
 ともかくイタコ・シスターズは、里でお盆のお勤めを果たした後に、霊場恐山でご先祖様の供養ができたことが非常に良かったと語っていた。当初の見立て通り、皆さん「現実」の旅行をしっかり頑張った。Sさんは自分の足でしっかり歩き、Yさんは拝んだ人の年齢や続柄を説明し、お経13番を淀みなく唱えて供養していた。Hさんは毎年恐山に来て、生者と死者の交流で心の浄化を図ってきたことを今年も実現させた。Tさんは初めての恐山で頻繁にトイレ通いしながら水子供養を済ませた。イタコ・シスターズの一人一人にそれぞれ目的意識があり、揺らぎがなかった。

 ツアーから無事戻り、夕食後に「ツアーの振り返り」をしようと、テーブルに集まってYさんにお経を唱えてもらった。それから一人一人が感想を述べた。私はTさんが地獄巡り・天国巡りに参加できなかったことを悔やんでいるのではないかと心配したが、そんな心配は全く必要なかった。「初めてのところだったが、お参りができて良かったです」と、いつものTさんとは思えないほど大きな声でしっかり挨拶をしてくれた。それぞれイタコ・シスターズの皆さんは、驚くほど立派な社交ぶりで感想を語ってくれた。きっちり「恐山ツアー」を「現実」で貫いてくれたことに、再度感動させられた。
これでほぼ見立て通りの恐山ツアーだったかと思いきや後日談がある。

【恐山、恐るべし!】 生と死と癒し
 帰ってきた翌日、疲れていないか心配して、様子を見に顔を出すと、普段の穏やかな日常がそこにあった。Yさんはいつものように草取りをし、Tさんは野菜の収穫を済ませ台所に立ち、Hさんは私を見るなり「ありがとうね」と声をかけてくれた。自分の足で地獄コースを巡ったSさんもシャンとテーブルについてお茶を飲んでいた。みんなたくましい。
 そのとき私は、翌日の銀河サロンにTさんを誘った。「韓国語講座があるので、一緒に行きましょう」そこに立教大学の韓国人留学生のギョンミさんが来ることや、韓国の民族衣装を試着できること、「ホトック」というおやつが出ることなどを話した。いつものTさんらしく、行くとも行かないとも言わず無言の承諾をしてくれた。
 サロンには杉田夫妻と赤ちゃんが参加していた。杉田紗智子(旧姓:前川)さんは、元G1のスタッフでTさんの「事例」を書いた人でもある。またTさんの旦那さん(清吉さん)の看取りにも立ち会い、清吉さんはまさに彼女の腕の中で息を引き取ったのだった。紗智子さんが赤ちゃんを生んだときには、私とTさんとで産院にお祝いに行った。長いお付き合いと相まって深い関係でもある。サロンの会場でTさんは勧められるままピンクのチマチョゴリを着て、杉田一家と共に写真に収まった。杉田夫妻の赤ちゃんが、家族の「希望」を象徴するかのように明るい光を放っていた。サロン終了後、Tさんは、その写真を持ってG1に戻った。「迎え火」の能舞台では、Tさんがワキになって、亜美さんに“母性”を伝えたように感じた。それを盛り立てるようにSさんとYさんが、「子作り」の話を隣でしている共時的な状況。この写真もきっと亜美さんの未来のために用意されたショットにちがいないと感じる私がいる。

 翌日、Tさんの娘さんが来里され、8月には出産や別れなど家族にいろいろあったことを語られ、「母さんが恐山に行って、ご先祖に“家族のこと”をお願いしてくれたことを聞いて、何だか鳥肌が立ちました」と言われた。かつてグループホームに入居した当時の恨みを綴ったTさんのノートがあったことも語りながら言葉を詰まらせた娘さん。このとき私は、Tさんが恐山のお参りを通じて母娘の和解を果たしたのだと理解した。

― 亜美さんとTさんの会話から ― 
亜美:「誰のこと拝んだの?」
T :「両親と旦那」
亜美:「何を拝んできたの?」
T :「家族のこと」
亜美:「そしたら何て言われたの?」
T :「当たり前のことだ」

 実際にはTさんは、家族に起こった出来事を聞かされてはいないのだが、すべて知っているかのようだ。そしてご先祖が、しっかりと守ってくれていることを確信しているのではないか。生者と死者との繋がりを感じないわけにはいかない。死者と繋がるTさんの振る舞いを通して、私達は大切な学びと発見をさせてもらった。意外にも恐山で「異界」を体験していたのは唯一Tさんだったのかもしれない。「迎え火」で、清吉さんが憑依して皆に舞を披露し、恐山ツアーの感想を述べた時には、ご先祖の霊が感謝の言葉を言ってくれたように感じて、私は納得がいった。きっとこれからも、今は見えていないイタコ・シスターズのそれぞれの思いや謎、そして新たな発見をしながら一緒に暮らしていくのだろう。

 「迎え火」「送り火」そして「恐山ツアー」という一連のグループホームでの祭事は、現実に張り付いてタイトな生き方をしている者にとっても、てらいなく素直に手を合わせることができる貴重な体験でもあった。特定の宗教というのではなく、死という宿命を持った人間のよりどころとなる繋がりの場が、ここにあるという感謝の気持ちが湧いてくる。カメラマンで同行してくれた28歳の潤太郎さんは、イタコ・シスターズの方々が「自分という人間の意味づけや理由づけを、どういう形であれ全うしようとしている最中(さなか)に見えました」と感想を送ってくれた。

里の一コマ)恐山.jpg


posted by あまのがわ通信 at 12:00| Comment(0) | 施設長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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