2016年09月30日

母なるものの行方 ★ 理事長 宮澤 健【平成28年7月号】

 フクさん(仮名)が旅立った。梅雨の雨の降りしきる中、自然豊かな旧宮守村の集会所で葬儀があった。新緑の山々や野原に降り注ぐ雨は、宇宙に遍満したフクさんが、緑の命を燃やす雨となって滴っているようだった。会場に行くと玄関先に置かれた焼香台の前に写真があった。一瞬、誰の写真か分からなくて戸惑う。おそらく30年くらい前の60歳代のフクさんだろう。当然かもしれないが、葬儀では我々が知っている銀河の里のフクさんは居なかった。

 特養の開設当初からの入居者として、フクさんは8年間、里に居てくれた。特養に初めてやってきた日、交流ホール前の廊下でばったり会って挨拶を交わした。初対面なのに古い知り合いのような雰囲気で語りかけてくれて、明るく面白おかしい語り、みんなが暖かく包まれる感じに、なにか「特別な人が来た」と感じた。今振り返ると、フクさんはシャーマンだったに違いないと思う。それぞれの人にそれぞれの本質を突いた言葉を投げてくる。
 たとえば、銀河の里の組織を賭けての特養開設は、半年で資金破綻するという警告をされたくらいだった当時、経理責任者の施設長に向かって迫力ある感じでキッパリと「いいか、これだぞ、大事なのはこれだ」と、指でお金の形を作って突きつけた。私が職場見学の学生を案内した時には「この先生の言うことをしっかり聞いて教えてもらいなさい」と学生に言った。8年間、多くのスタッフが日々いろんな言葉をたくさんもらい続けた。その内容は鋭すぎたり、あまりに個人的であったり本質を突いていたりするので、なかなか日誌には書けないこともたくさんあったと思う。
 5年前くらいに“フクさん箴言集”をつくろうと企画したこともあったが、あまりに重くて続かず、尻切れになった。リビングではひょうきんにはしゃいだりしているのだが、部屋で一対一になると鋭い言葉が出ることが多かった。それでも基本的には懐が広くおおらかで暖かく包んでくれる感じがあるので、いろんなスタッフが辛くなった時にフクさんの部屋に行って癒やされていた。フクさんの居室に2時間以上も籠もっていた新人もあった。
 居室の前を通りかかるといつも手を振って「こぉ、こぉ(来い来い)」と呼んでくれた。「しばらく来なかったな」と言うので「アメリカに行っていた」などとトボケると、すかさず「アんメリ来なかったもんなぁ」と返されて一本やられたことがある。見事なものだ。回診のドクターに「父さんよ、いつも母さんの前を威張って歩いてばりじゃわぁねんだぞ」と言ったこともあり、ナースを焦らせドクターを唸らせた。
 もちろん、聞いたこちらがどう受け止めるかにかかっているのだが、世間の大半の人がそうするように認知症のたわごとと吐き捨てることは簡単だ。
 フクさんのように、認知症の高齢者はなんでも見通しているようなところもあり、達者な言語能力と相まって凄い言葉をくれるのだから、認知症の人を訳がわからなくなった人と考えるスタッフは、里にはいない。むしろ見えないものが見えたり、普通では解らないことも解るのが認知症だとほとんどの里のスタッフは知っている。しかもフクさんは、高齢者を見下して扱おうとするような人や、認知症の人は訳のわからない人だなどと少しでも思っているような人には、一切“語り”がないのだから鋭い。

 私は当初からフクさんは“里の母”だと思っていた。この人さえいてくれれば大丈夫と信じていたところがある。そのフクさんも90歳を超え、昨年あたりからは入退院を繰り返すことが増えた。入院の度にスタッフがお見舞いに押しかけるためか、病院では見舞い制限をするようになった。もちろん理由はノロやインフルエンザの感染対策ではあるのだが、解禁になればすぐに大勢が押しかけるので、また「家族のみ」などと制限をつけられてしまう。今回もそんなこんなの一ヶ月あまりの入院で、やっと退院が決まり、向かえに行く予定のその日、早朝にフクさんは旅立った。「らしいな」とも思う。なんとか里の特養も経営的には軌道に乗り、施設らしくない良い雰囲気に育ってきた。「あとはおめたち自分で頑張れ」と言われたような気もする。
 振り返っても、フクさんは本当のシャーマンだったんだと本気で思う。葬儀にシャーマンのフクさんは居なかった。会場に集まった人達は誰もシャーマンのフクさんを知らない。里のスタッフだけが知っているフクさんがいる。弔電も地元国会議員と市長、社長さんだった。あの葬儀は俗世で生きていたフクさんの葬儀で、シャーマンのフクさんはしっかりと今もどこかにいるに違いない。表現は違っても里のスタッフはそんな感覚でとらえていると思う。

 フクさんはじめ90歳を超えた人たちは、日本の暗かった戦争の時代とその後の厳しい時期を生きてきた人たちだ。これまでも男性利用者が戦争体験にまつわる語りや動きを見せてくれることがあった。それはただの昔話や思い出話ではなく、ユニットやグループホーム全体が本当に戦場になってしまうくらいのリアルな現象にまでなることもあった。どれほどか深い傷がそこにあったのだろうと想像させられる。そしてその傷は、我々が心底受け止め生き抜くことでしか癒やされることはないのだろうと感じさせられてきた。グループホームにおいても特養でも、男性原理的な闘争の傷というテーマから、平和への希求が語られてきたように思う。それを我々スタッフ、特に若い世代がしっかりと受け止めていく必要があるだろう。

 その一方で、最近の傾向として感じるのは母的な存在の動きがあることだ。平成12年、6ヶ月に渡ってグループホーム第2を戦場と化した守男さん(仮名)の事例でも、守男さんは戦場から抜け出したとき、「お母さんの元に帰る」と語った。その母はどこにいるのかということは、現代的な課題ではないだろうか。「こっちゃこ」「こっさ入れ」といつも言ってくれたフクさんの母性、我々は現代にどういう母を持ちうるだろうか。

 今、グループホームでは詩子さん(仮名)が、女性の系譜をテーマに物語を紡いでくれている。入居当初、二人の思春期くらいの娘が男に襲われないようにと心配する日々が続いたことがあった。詩子さんは「雛の世界」「少女の世界」「秘密の王国」を守ろうと戦っているように感じる。連綿と継がれてきたそれらの世界が詩子さんの目の前で途切れようとしていることの杞憂と戦っているように思えてならない。入居から2年、やがて詩子さんのイメージは、『大陸(満州)から詩子さん自身が引率して連れて帰ってきた少女達(詩子さんの教え子)が、岩手山の麓で馬と駆けまわっている』という、大空へ羽ばたくような場面で物語に一区切りをつけた。馬と少女、そして岩手山は何を意味するのか。今、我々現代人にとっての「秘密の王国」はどこにあるのだろうか。

 昨年、グループホームで亡くなった稲蔵さん(仮名)は、治療費を惜しみガン治療をせずパチンコに打ち込んだほどの人だったのだが、最後まで人望に厚く、周囲の人に尊敬され頼られる存在だった。今時なら、女性からたちまち地に落とされかねない浪費をしながらも、男としての存在が揺らがずに在り続けられたのは、背後に彼を支える大きな母があったのではないかと想像する。
 特養の利用者タカさん(仮名)は、結婚はせず子供も持たなかったが、早くに亡くなった母親の代わりに多くの兄弟の母役をしたと言う。苦労して育てた弟たちは戦争でとられて亡くなるのだが、特養に来てから、戦死した弟たちは生き返り、今は一緒に生きている。編み物の作品を作り、教育者らしく若い人を育てようと、情熱のある言葉を投げかけてくれている。スタッフそれぞれにとっての母の「あるべきよう」をひとりひとりに問いかけているように思えてならない。

 歴史からみると、戦争で傷つき立ち上がったと思ったら、大きな地震や津波がやってきて、大地は揺らぎ母なる海に呑み込まれるという厳しい体験を余儀なくされているのが、今の私たち日本人かもしれない。沖縄では地震のことを「ははゆれ」と表現するところがあると聞く。揺れてはならないはずの大地が揺らぎ、母なる海が荒れ狂って呑み込み、さらに人間が母なる大地を放射能で汚し、その浄化は計り知れない困難の中にある。我々は母なるものへの信頼を失い、深い不安にさいなまれている時代にいるのかもしれない。不寛容社会と言われるような時代の奥には、母なるイメージを喪失した人々の深い不安がうごめいているのかもしれない。
 そうした時代にあって、特養やグループホームのあちこちで母をテーマに語りかけてくれる利用者がいるというこの事実に感嘆する。我々はこの時代を乗り越えるべく、より深い母なるもののイメージを内面に育てる必要があるように感じる。そのために利用者達は頑張って何かを伝えようとしてくれているように思えてならない。フクさんの存在には明らかにそうしたイメージがあった。母性性がひどく損なわれ、不安に満ちた時代なのかもしれないが、だからこそ、利用者が語り続けてくれている。認知症の高齢者にしか、こうした奥深いイメージをもたらすことはできないだろう。彼らには現実を超越する能力があって、それらがふんだんに湧き出ずる感じがある。問題はそれを周囲の者が理解できるかどうかにある。認知症高齢者がもたらすそうしたイメージを、どう受け取ってどう育てるか、それはあくまで現場の我々ひとりひとりにかかっている。それは今の時代にあってとても大事な仕事なのだと思えてならない。


posted by あまのがわ通信 at 10:27| Comment(0) | 理事長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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