2016年09月16日

自然生クラブ 〜元気なOrganismであるために〜 ★ ワークステージ 佐々木 里奈 【平成28年7月号】

 茨城県つくば市にあるNPO法人自然生(じねんじょ)クラブにおじゃましてきた。筑波山麓で知的ハンディキャップのある人と共同生活をしながら、自然農法で農業に取り組んでいる。やっていることは里と似ているが、何かが違う。本稿では今回の研修の見聞を共有しながら、自然生クラブが元気なOrganism(有機体)である理由を考えたい。

<農業>
 有機農業の田んぼ、畑、ハウスを運営している。田んぼでは紙マルチを用いて手植えし、農薬は一切使わないそうだ。雑草が生えることもある。極端に採れ高が上がらない年もそれはそれでしょうがない、と腹が決まっている。田植えの日は100人ほどが集まり、祭になる。稲刈りの時も同様で、田んぼを舞台に「創作田楽の舞」を利用者が中心になって踊る。その評判は口コミで広がり、海外での公演も行う。ヨーロッパの演劇祭にしばしば招待され、披露する機会もあるという。
 「うちの畑は“Farm”ではなく、“Garden”なんです。だから何でも植えていいんです」と施設長の柳瀬さんは言う。“庭”だから何でもあり、好きなものを植えている。グループホームの周りには梅やさくらんぼなど様々な果樹もある。休耕田も活用して、大豆、小豆、ひまわり等も栽培する。ひまわりについては無加温搾油機を使用しシードオイルを製油する。当初は燃料にする計画でスタートしたらしいが、一度採ってみたら採れる油の量はかなり少なく、また、食べてみてもおいしい、燃料にするなんてもったいない!ということで、現在は団体が運営するカフェで食用として使われている。

<カフェ>

 カフェの名前は「ソレイユ」。壁には利用者の制作したアート作品やカレンダー、ポストカード等のグッズが並ぶ。シアター&アトリエに併設されたそのオーガニックカフェでは、自然生クラブで生産された米、野菜、小麦、ひまわり油、雑穀等を使った料理が出される。お昼をいただいたが、食べきれないほどのボリュームがあった。「大丈夫です、残った分はみんなが食べますから」と、冗談ではなく柳瀬さんは言っていた。カフェはほとんどすべて自社農場の物、もしくはご近所からのもらい物を使っているそうだ。自社農場の野菜を市場で売ることはまずない。カフェで利用するか、利用者やスタッフのご飯になるか、おすそわけするか。「贈与経済なんですよ。お金なんかいらなくなるんです」と柳瀬さん。一応全国に野菜を出す仕組みも用意されている。「野菜家族」と呼ばれる会員制度だ。会費に応じて毎週または隔週で季節の野菜を配送する。一時期は震災、原発事故の影響で注文量が落ち込んだが、2年ほど経ってやっと回復してきたとのこと。野菜は放射能検査をクリアしたものを配送しているそうだ。
 立地もあってか、カフェにお客さんはあまり来ない。まさに知る人ぞ知るカフェ。ランチに行く前には予約が必要だ。ワーカーさんが「サラダでございます」と料理を出してくれる。料理を出す時以外は、ぼーっとしてどこかを見ているが、このワーカーさんもひとたび舞台に出れば、誰かが乗り移ったように舞う。

<アート>
 田植え・稲刈り時には田んぼが舞台になるが、普段は米倉庫を改装したシアターで太鼓と舞の時間がある。その前にはシアターに併設されたアトリエで絵を描く時間がある。アトリエにはたくさんの絵の具やクレヨンが用意されていて、それぞれ異なる大きさの紙に思い思いに描きつけている。クレヨンをつぶし、手で押し付けながら延ばして描いている人もいた。1m四方くらいのキャンバスが壁を埋めている。年に一回はこの大きさのキャンバスに描くことになっているという。どれも描きたいように描いている、というか、やりたいようにやっているというのが伝わってくる。
 大体の時間が決まっているのか、何かの合図があるのか、誰からともなくアトリエからシアターへ移動が始まる。座って演奏する小さめの和太鼓4台、大太鼓2台が運び込まれ、私たちは観客席へ座った。ひな壇と平場の席を合わせて50席ほどある。元は米倉庫だけあって天井の高さがあり、響きは充分だ。黒い壁紙と3pほどの高さのついた黒い床、本格的な舞台照明が雰囲気を演出する。数人が集まったところで「始めるよー」と声がかかり、小太鼓が打ち始まる。楽譜があるのか、ないのか、聴いているほうはわからない(後で聞いたことだが、一応型のようなものはあるがそれにアレンジを加えて即興で打っているとのこと)。ベースには神楽の響きがある。そのうち太鼓を腰に巻き付けた人が登場し、踊りながら打つ。自由に力強く舞う表情は生気が漲っている。自分たちの出番が終わると、そっと舞台を後にする。去り際も演出されているのか、彼らの場を読む力が素晴らしいのか、はたまた神楽を通じて何者かに導かれているのかわからないが、とにかくすごかった。大太鼓2台の打ち合いもすごい。会話をしているように聴こえた。お互いの音を感じながら、時には相手に合わせ引き立たせながら、自分のリズムを刻む。太鼓が落ち着き、舞が始まる。舞台が始まるまで寝そべって大きな声を出していた利用者も、舞台の動きに合わせて声を出している(ように聴こえる)。衣装を羽織って舞台の中央へと歩いていく姿は、照明の効果もあるだろうが、どこか神がかって見える。神楽と舞踏を合わせたような動きで、これも創作と聞いて驚いた。クラシックバレエを専門とする踊りの先生は、「私は一つも教えたことがない。むしろ教えようとするものなら、それは違うと言わんばかりの雰囲気がある。彼らは必ず中に才能の種のようなものを持っているので、私は彼らの中にあるものをどうすれば引き出し花開かせることができるのかということだけを考えてやっています」と話していた。先生はその日、ハイハイ歩きの自分の赤ちゃんと一緒に舞台に立ち、踊っていた。柳瀬さんが「退職金が出て、何を買うよりもまず一番初めに太鼓を買った。太鼓や舞、アートが本業だ」と言い切るだけあって、本当に見応えのある舞台を見させていただいた。
 春と秋にはそれぞれ3日間ほどの芸術祭を行う。カフェを開き、シアターではダンスや太鼓の公演やワークショップを行い、絵画の展示では渾身の作が並ぶ。憲法カフェなど知的なコンテンツも用意されていて、多様な人が参加するようだ。外の人もたくさん呼んで、自然生クラブが外へ開かれる良い機会となっている。

<元気なOrganism(有機体)>
 太鼓・舞の舞台を見て、施設長の柳瀬さんやスタッフの方からも話を聞いて感じたのは、自然生クラブは利用者も職員も生き生きとしている、生気があるということだ。舞の公演を観た海外の方が、自然生クラブをorganicだと評したことがあるらしいが、まさに言い得て妙だ。農法もオーガニックなのであるが、組織自体が生きている有機体なのだ。「自ずから然るべく生きる」という名前の通り、色々な場で、無理がなく適当に良いように回っているように見える。
 クラブの一つの哲学として、利用者も職員も「嫌だったらやらない」「疲れたらやめる」ということを大事にしているそうだ。シンプルなルールだが、これを意識していれば確かに大きな歪みが生じることはない。職員は2時間以上同じ仕事はしないことにしている。午前中、事務所で作業をしたら、午後は畑に出る。具体的にはそんな風にしながら、色々なことをどう楽しみに変えていくかということを常に考えているという。

 今回、“生きている組織”を見させていただいた。生きている組織である所以は、組織を構成するそれぞれが自分を表現できるというところにあるのではないか。自らを解放し、表現できているかどうかで、組織の“生死”が決まるのではないだろうか。自分を偽って閉じ込めて言いたいことも言えない、やりたいことができない、想いを伝えられない、そんな状態が続けば人も組織も死んでいく。生気ある組織には、多様性のある解放や表現に対する寛容さがある。最近は、よく知りもしない人を叩いて追い詰めるネットバッシングが横行したり、私的なヘマをしたら世間に対して謝れという雰囲気があったりして、不寛容社会だと言われている。もちろん、悪い人に悪いと言う事を批判しているのでもなく、私的なヘマを許せと言うわけでもないが、不完全な人間が集まってできている不完全な社会なのだから、いろんな人がいて、いろんなことが起こって別に良いじゃねぇかとも思う。解放や表現に対して寛容であること、誰かの表現を待つことは、人を支える仕事をするのに必要な器ではないかとも思う。里は生きているだろうか。世の中の組織に比べれば、だいぶ生きているのだと思う。さらに元気な有機体になっていくために、自分が生き生きと生き、側にいる人を生かしていくためにどうしたらよいか、つまりもっと楽しくやっていくためにはどうしたらよいか真剣に考えていこうと思う。
自然生くらぶ.jpg


posted by あまのがわ通信 at 13:00| Comment(0) | 通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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