2016年09月14日

“鍵のかかった重い扉”再び全人格をかけて分かりたいと思い続けたい ★ 特別養護老人ホーム 千枝悠久【平成28年7月号】

 先月27日〜7月1日まで、〈岩手県介護実践者研修〉というものに参加した。これは、“認知症高齢者の尊厳と自立支援のための実践的な知識と技術を修得し、自らの実践に反映することにより介護サービスの質の向上を図る”という目的が謳われているものだ。介護の専門学校を出て4年、銀河の里での毎日から学んできた私だが、認知症に焦点を当てた学びというのは少なく、学び直す良い機会だと思い、参加した。
 特に私が楽しみにしていたのは、『援助者の位置づけと人間関係論』という科目だった。普段、自分を援助者というようには位置づけておらず、その一方で、関わるためには何らかの位置づけは必要で・・・。わたしにとってのあなたってなんだろう、あなたにとってのわたしってなんだろう。考え続けていたことだったため、どんな講義・演習が行われるのかが気になっていた。

 研修は、ある程度は覚悟していたが、苦しい時間だった。どの科目も「今、こういう問題があるからこうしようとか、こうしてあげよう」という感じがして、“問題”が中心に話が進んでいく。例えば、『意思決定支援と権利擁護』という科目では、虐待の種類が紹介され、虐待の件数(報告件数)が増えてきたという話ばかりがされる。『援助関係を築く演習』という科目では、人を馬鹿にした会話例を見せられ、「どこがマズかったのか考えましょう!」と演習が始まる。どれも大事だということは分かる。だが、それらの話は、問題を解決することができたとしても、未来に繋がっていくという感じはしなかった。聞いていて苦しくなることが多く、誰かに話したいと思える話がほとんどなかった。
 楽しみにしていた『援助者の位置づけと人間関係論』も、資料がA4の1枚のみで愕然とした。それでも、“きっと資料では語りきれないことがたくさんあるのだろう”と、わずかな望みを持っていた。が、始まってみると、「特に新しいことをやるようなことではないですから」と棄てられた感じで、お題目のように「『援助を受けている者』『援助している者』という上下関係を超えて、『共に生きる』『共に支え合って生きている』という福祉の精神を基盤とした介護を・・・」という話がされ、援助関係の原則として、バイスティックの7原則が紹介された。

 その後、「普段関わりのなかで心掛けていること」を考えるグループワークを行った。そこで、世の中のいわゆる介護施設というやつの現実を知った。まさかとは思ったが、グループのメンバーの誰もが“いつでも笑顔で”を挙げるのである。何も知らない専門学校にいた頃の私なら、「笑顔を心掛けましょうね♪」「は〜い」なんて言ってたのかもしれないが、今だったらそれがいかに現実離れしたおかしなことだとわかる。
 どんな時でも笑顔でいたら、利用者から「ヘラヘラしてんじゃないよ、コバカタレ!」と言われるか、気味悪がられて無視されるのがおちだ。普通に自然体で関わっていくことが当たり前なのだが、いつでも笑顔でいられるくらいにしか関わっていないのだろう。それは利用者をとても馬鹿にしているように感じる。「心掛けていることは7原則のどれかに当てはまっているはずであり、当てはまっていない人は当てはまるように心掛けましょう」という話があった。私が心掛けていることは、ほとんどがはみ出していた。
 それぞれの人と人との関係に原則なんて当てはまるわけがない!“共に生きる”なんて簡単に言っておいて、結局は“援助関係”という関係のなかに押し込めようとしてるじゃないか!笑ってろ、いつまでもそうやってヘラヘラ笑ってればいいさ! 研修の講義を受けながら、ぐるぐると暗い感情が渦を巻いてきて苦しくなる。
 6年前、認知症の指導的グループホームで初めて実習をしたとき感じた、施設職員とそこで暮らす人との間の断絶(その時は両者の間に“鍵のかかった重い扉”を想起させられた)を、ここでまた少し違ったかたちで感じるはめになった。

 苦しくなるばかりの研修のなかで、ひとつだけ救いのあった時間があった。それは、認知症の母の介護と看取りを経験した方の話を聞いた時だった。直前の講義では、施設で行われた家族介護者交流会で、家族の話を聞いた職員が「分かります」と言い、「簡単に分かるわけない!!」と怒られたという例を上げ、“簡単に「分かります」と言うべきではない”というような話がされていた。たしかに、他者の苦しみや辛さに至ることは人にはできないのかもしれない。だからと言って技術的に“簡単に言うべきではない” と諦めてかかるのも仕事の姿勢としてどうなのか・・・。そんなもやもやしたものを抱えながら話を聞いていた。
 その方が母親の介護をした時には、サービスもあまりなく、在宅での介護がほとんどだったという。大変だったことや、辛くなることもたくさんあっただろうと思う。けれども、話には暗さや重さはなく、むしろあたたかな光にあふれていた。一緒にくたくたになるまで家の周りを歩き、家に戻ってから自分の膝の上で眠る母を愛おしく思ったという話。毎日のように「助けて〜」と窓から叫んでいる母が、本当に助けを求めているように感じられた日、「助けてって、叫んでもいいっか?」と聞かれて一緒に窓から叫んだという話。もちろん立場が違うので簡単に「分かる」とは言えないのかもしれないが、その話を聞きながら私のこころに思い出されたのは、里での毎日のなかで、一緒に歩いた人のこと、一緒に叫んだ人のことだった。そのお話を聞きながら、滲んでぼやけそうになっていた日々の記憶が、再びきらめきを取り戻していくように感じられた。

 心が揺さぶられ、落ち着かなかった私は、その日の帰りに映画を観に行った。そのなかで主人公が「娘がいなくなった親の気持ちもわからないのか!?」と叫ぶシーンがあった。作り物の設定、用意されたセリフなのだが、その時の私はそれを観て涙が止まらなくなった。他者の悲しみに至ることはできないのかもしれない。けれど、いや、だからこそ、悲しみの物語は語り継がれ、演じ続けられているのだろう。至ることができないというのも人なのかもしれないが、想像力を持って話を聞いただけでも同じような経験として共有することができるのもまた、人というものだと思う。
 それぞれの人にはそれぞれの物語がある。すばるでも、健吾さんには生まれ故郷をめぐる物語があり、ユキさんには旦那さんとの物語がある。私は今まで、それらの物語を、“至ることができない”と、どこか避けてきたことに気がついた。6年前の実習で感じた“鍵の掛かった重い扉”。その鍵が、想像力に溢れた神話のなかにあると、その時思ったはずの私だったが、私自身のなかにも重い扉があった。そのことに気づくことができたのは、今回の研修の成果だったかもしれない。
マルカン写真(通信7月号).jpg


posted by あまのがわ通信 at 16:00| Comment(0) | 通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。