2016年08月11日

能とすき焼き −姥捨とコソコソ− ★ 特養 管理栄養士 佐藤由実佳【平成28年5月号】


 今回、研修で狂言・能の鑑賞、美術展の鑑賞をしてきた。ついでに浅草の今半ですき焼き和食コースをいただいてなかなかインパクトのある研修の体験となった。
 私が初めて能を観たのは中学校の芸術鑑賞だった。能楽堂での上演ではなかったし、その時は何か難しいものだなという印象しかなかった。3月に研修で能を観に行くことが決まり、出発する数日前のこと、利用者のTさんが言葉をくれた。「おれを、あの山さ、ずっとあっちのあの山さ連れてって置いてきて」という語りを聞きながら、私は姥捨山の話が連想されて怖くなり「置きに行かないしここにいてほしい」とTさんに返した。その翌日、中屋さんにTさんの語りを話したら「えっ!」と驚いて目を輝かせた。研修で観ることになっている能の演目は「姨捨」だと言うではないか。“いやいやTさんそうきたか”と中屋さんと二人でワクワクを共有した。“観る前からこれかよ”と何か不思議な気持ちになりながら、期待をしつつ研修に臨んだ。

 国立能楽堂に着くとすでに異界な感じがした。さらに国立能楽堂の中に入って、能舞台がある空間に進むと、圧倒されて、なんだか身が引き締まるような感じがした。能は独特な掛け声と言い回しで、セリフや謡の歌詞は言葉としては内容が全くと言っていいほど聞き取れなかったが、話し方や動作によって、身体から心情が伝わってくるように感じた。演者の歩く動作、体の運び方など一つひとつが丁寧できれいだった。
 「姨捨」を観ているうちに、能面の表情が変化していくのに気がついた。口元が緩んで微笑んだように見えたり、一気に悲しそうな顔つきに見えたりするので不思議な感覚だった。日本語で「能面のような」というのは表情のないことを言うだけあって、実際には能面は表情を変えてはいないはずなのに、喜怒哀楽の感情が表情として伝わってくるのは何なんだろうと不思議だった。先日のTさんの語りもあり、Tさんのことを思いながら観ていたからか、Tさんの口元そっくりに見えたりした。特にニヤッとした表情に見えたとき、そういえばTさんがあの語りのあと、「でも、少し経った後で迎えに来い」と言っていたことを思い出した。
 「姨捨」を観て最後、悲しいような寂しいような感覚がおそってきた。“Tさんにもそういう気持ちがあったのかもしれないな”などとあれこれ想いが巡ってぐるぐるしてきた。これが能『姥捨』の体験だった。
 国立能楽堂の能舞台の仕掛けもさることながら、Tさんの『姨捨』を観ることがわかっていたかのようなシンクロの語りが、私に圧倒的な観劇体験をもたらしたことは確かだ。

−Sさんとすき焼き−
 研修後、理事長から「研修でせっかく今半のすき焼きを食べたんだから、栄養士としてユニットすばるで、すき焼きやったらどう?」という話がでた。その時、私の脳裏に浮かんだのはSさんだった。すばるのみんなですき焼きを囲んでもよかったが、肺炎に罹ってしばらく絶飲食が続き、その後からなかなか食事がすすまなくなっていたSさんと、二人きりですき焼きを食べたいと私は思った。
 Sさんと「居室にいる」こと、その時を、私は大切にしたいと思っている。Sさんは居室ではリビングでは決して見せない表情と語りがいっぱい出てくる。リビングでは無口で自分から話しかけてくることはほとんど無いのに、居室ではこちらが話しかける前にSさんの方から語りかけてくれることもあって、そんなとき私は驚きと同時にこれから何をしてくれるのだろうというワクワクした気持ちになることが度々あった。悪いことをしているわけでもないのに何か「コソコソ」の雰囲気になるのがSさんのとのやりとりの特徴だ。居室で二人だけですき焼きを食べる。こんな究極のコソコソはない。リビングなら黙々と食べるSさんなのだろうが、居室だと「コソコソ」のなかから何かあるのではないかと私は期待をしていた。

 予定の当日、計画通り、二人きりで居室に籠もってすき焼きの準備を始める。すき焼き用の牛肉を見て「いいお肉だじゃ!」と笑いながら準備を見守ってくれた。今半風に、まずお肉を焼いて出す。すると、最近使っていなかった左手を机の上に出して、両手でお肉を食べ始めるSさん。あれ!と思った。最近はまったくと言っていいほど、食事の時、左手は机の下にあり、右手だけでご飯を食べていた。「Sさんの左手どこに行ったの?」と聞くと、素知らぬ顔で「ここさあるじゃ」とか、時には「どっかさ行ってしまった」と返ってくることもあった。
 野菜も入れて食べ始めると、「おいしいな」とニコニコで食べていた。そして、「やっぱり魚より肉だな!」と、ぼそっと言いながら黙々と食べるSさん。それ以降は何も語らなかったが、目が合うと微笑んで「フフフ」と笑って、すき焼きを味わっている感じと、楽しんでくれていることが伝わってきた。食べ終わって「また美味しいもの食べよう」と声をかけたらニヤリとした表情が印象的だった。

 居室でのすき焼きイベントが終わってリビングに出てきた時、スタッフから「何してきたの?」と聞かれても「フフフ」と笑って、「何もしてきませんよ」というように知らん顔していた。その時のSさんの笑顔が妙によかった。その顔を見ていると、一緒にすき焼きをやってよかったと感じた。驚いたのは、なんとその後、夕飯を完食したことだった。それは“最近の食のすすまなさは何だったんだろう”と思わせた。

 ここ最近、食事がすすまなかった人とは思えないほどの食べっぷりを見たら、ただ単純に美味しいお肉だったからご飯がすすんだというのもあるのだろうが、そういうことより、こちらのアクションを探っているのだなとも思えた。すき焼きを食べた後の、あのニヤリとした顔は“そうきましたか”と試されているような感じがあった。
 私はまだまだSさんの期待に応えていないし、彼女の想像の範囲内でのことしかできてないにちがいない。いつかSさんの想像を超えたことができたらと思う。Sさんと一緒に「コソコソ」できることを探していきたい。

【 解 説 】
 
 由実佳さんは昨年度の新人で、社会人2年目の管理栄養士だ。特養のユニットでケアスタッフとしてがんばってきた。昨年は蕎麦を栽培し、年末の年越しには手打ちの年越し蕎麦を振る舞ってくれた。ユニットの現場では看取りも経験して、食べられなくなっていく人の食事についてもいろいろ考えながら、実践的に取り組んできた一年だった。
 看取りをした方をはじめ、由実佳さんは利用者さん一人ひとりから個別にたくさんのメッセージを受け取ってきた。亡くなる数ヶ月前の利用者さんがなかなか食事ができなくなっていたのだが、何とか食べてもらいたくて特製の味噌汁を作ったことがあった。もちろんその人のための特別の一品として調理した。相手の利用者さんはその想いに応えるかのように、久々に食べ物を口にしてくれた。そして一言「まずい!」と語ってくれたのだった。この「まずい!」に涙ながらに感動している由実佳さんのセンスはとても良いと私は感じた。つまり栄養士としてもケアスタッフとしても、利用者からたくさん学ばせてもらえる人は、日々育ててもらえることになるんだと思う。「利用者からしか学べない」というのは我々の現場の鉄則だ。そうした姿勢があるからか、不思議なこともたくさん起こって来る。研修で能の『姥捨』を観に行くことになった矢先、由実佳さんはその演目を知らないのに、利用者はわかっていたかのような言葉をくれる。由実佳さんの観る『姥捨』にはその利用者も関わってくることは当然のことで、観劇体験はより深みを増してくることは間違いない。
 今半のすき焼きは一見、研修のおまけのようだが、これも大切なことだと思う。栄養士としてまっとうな料理をたくさん味わうことも必要だろうし、一流店の接客から学ぶこともたくさんある。何より良いのは、その味を、利用者さんとも味わいたいと思えることだ。しかも今回は絶飲食の治療から食が細くなっているSさんと“二人きりで”というところがすばらしい。もともと「コソコソ」が身についているようなSさんとの「すき焼きコソコソ」は、有り得ないくらいおいしく特別なすき焼きだったに違いない。
 他のスタッフも、このすき焼きコソコソがどうなるか関心を持って見守ってくれている。「フフフ」も「ニヤニヤ」もチームスタッフ全員が受け止めてくれているし、その後の夕食まで完食したのにはみんなが感動する。
 以前、他施設の施設長に「おたくではそうした特別扱いを平等にやられているんですか?」と批判めいて言われたことがある。利用者を個別に扱うのは平等の原則に外れていると言いたかったのだと思うが、「うちは一人ひとり特別扱いですから」と私は応えたのだが通じなかっただろう。一人ひとりは特別な存在なのだから、個別に特別に向き合っていくのは当たり前のことだと思うのだが。(理事長 宮澤 健)


posted by あまのがわ通信 at 14:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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