「どうしてこんな状況になったのだろう?」と個人的に考えてみました。おそらくそれは、私たちに「薪ストーブで暖をとる」という考えがほとんどないからではないでしょうか。私たちは子どもの頃から今まで、違った暖房器具で暖をとってきました。石油ストーブやエアコンなど、手がかからない暖房器具で暖をとってきた私たちに「薪がなくなったら、ストーブはたけない。暖はとれない。」という危機迫った思いはほとんどありません。私もはじめは、室内の寒さを感じても「薪ストーブじゃなくても、どうせ他の暖房器具があるからいいや」なんていう甘っちょろい考えしかありませんでした。
今、私がグループホームで一緒に暮らしている利用者の方々は、薪があるかないか、常に気にしているようです。ストーブ横の薪が少なくなったと感じるやいなや、薪が積んである軒下に勢いよく向かったり、そこで太い薪を見つければ「まさかりはないのすか?」と薪を割るジェスチャー付きで話しかけてきたり、明らかに私とは、薪や薪ストーブに対する思いが違います。こういうことが、私たちにはどこか特別なものになりつつありますが、実際は当然のことのような気がします。
私は最近、いつの間にか吸い寄せられたかのように、薪ストーブに自らの背中を向けている時があります。それは、確かに時間や手間をかけた末、ようやく薪が出来上がり、それによって今暖がとれているのだと、ありがたく思う気持ちの他に、今の私たちが忘れかけつつある直接的な暖かさとは違った、いわば過去から働きかけられる温もりを感じたくてそうしているのかもしれません。そう思っているからなのか、私は今、薪ストーブが大好きです。建物の中で大きな存在感を放つ、薪ストーブとは里での暮らしの中で、今後もずっと付き合っていきたいと思います。