2004年02月15日

及川【2004年2月号】

 まだまだ正月気分も抜けきらないうちに暦はあっという間に過ぎていき、「銀河の里」でもみずき団子、どんと焼き、と次々に小正月の儀式を慌ただしく行ってきました。そして、先日、2月3日は節分ということで、利用者の方と一緒に豆まきを行いました。「鬼は外、福は内」という定番のフレーズはもちろん。「鬼の目玉をぶっ飛ばせ」なんて威勢のいいかけ声も飛び出して、まだまだ皆さん「鬼」に負ける気などさらさらないようです。さて、普段私たちが使うこの「鬼」とは何なんでしょうか。何となく、桃太郎に出てくる鬼のイメージが強いですが、はっきりとした「鬼」という言葉の起源は分かっていなく、「穏(おぬ)」が訛った言葉というのが一番有力な説のようです。ちなみにこの「穏(おぬ)」とは「みえないもの」という意味。それが、「普通の人には見えないもの」という意味だったのか、「実体のない物」という意味だったのかは分かりませんが、陰陽五行説的にいうと、「陰(マイナス)」の気が極端に集まったものの様です。そのイメージを具象化した物が桃太郎とかに出てくる鬼の姿なのかも知れません。と、なると「鬼」の使われ方にも長い歴史があり、昔は地蔵や、道祖神のまわりには結界があり、その結界の外にあるものが鬼であったり、その名残からか、通常暮らしている共同体の範囲外に済む人を鬼と捉えていたりもしたようです。昔の人が、外国人のことを赤鬼と呼んでいたのもその流れかも知れません。尤も、今でも「鬼」という表現はしなくても、いわゆる「外」に住んでいる人をなかなか受け入れられないという伝統は根強く残っている気がしますが・・・と、こんな事を調べてみると、豆まきもより一層意味が出てくるような気がします。「自分にとって鬼とは何だろうか」自然と豆まきをする手にも力が入ります。最近、節分はもちろんのこと、みずき団子などの伝統行事を小学校や地域で見直そうと復活させている所も目立ちます。どうせやるなら、昔はそれはどういう意図で行われていたのか、起源は何なのかも、きちんと伝えてければいいなぁと思います。今と昔、環境は大きく変わっていて、昔の人のリアルな気持ちを汲み取るのは難しいのかも知れませんが、昔の人の想いを少しでも感じながらやれれば、その人にとっても大きな意味を持つ行事となるのではないでしょうか。行為だけが残っていき、ただ単に「行う」事が目的とならないように、私自身もたくさんのことを見聞きし、伝えていければなぁと思います。
posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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