2003年12月15日

今月の句と解説 ★宮澤健【2003年12月号】

にぎられる腕のいたみ彼女のいたみ 板垣

 ふとしたことで腕をつかまれて、それが結構痛くてはっとした。
 なにかいいたいのかな、伝えたいのかな。それがうまく伝わらないんだろうな、
そんな彼女のこころの痛みが私の体の痛みとして伝えられているような気がした。
そんな気持ちを詠んだ句。
 我々の現場では通常のコミュニケーションが取れることはむしろ希である。一般には問題行動と呼ばれる言動、行動の中にその人の心をつかみたいと願いながら関わっているスタッフの姿勢が、腕を握られたという接触を通じてこうしたイメージをもたらした。日誌に「暴力行為あり」と記述して終わりそうな、日常の出来事なのだが、もしかしたら彼女の心の痛みを、今自分は体で伝えてもらったのかも知れないとイメージしたとき、受容、共感などという教科書的な生半可な知識ではないなにかが起こっているような気がする。


 歩みゆく道はそれぞれちがえども我見せらるる姿すさまじ 清水

 詠み手のスタッフと関わる利用者の年齢差は60歳を前後するだろうか。同窓生を指すような書き出しだが、遙かな年代差がある。違うも違いすぎる。しかしその違いすぎる人がいかに自分自身を照らし出し、引き出すか。それはすさまじくて時には耐え難いくらいであろう。そういう関係を生きているのだということがよく伝わる句だと思う。
介護などと言った陳腐な作業に終始したくはない、我々はこうして出会い、向き合い、生きたのだという事実が大事なのだ。作者は暗にそう叫んでいるような気もする。


 あなた誰話す自分に問いかける 及川

 現場にはもう半年も毎日会って生活しおつきあいが続いているのだが、名前どころか顔さえ覚えてもらえない方も当然おられる。初めは「あなた誰」と問われる度にととまどったものだが、最近はさほど驚かなくはなってきた。しかしその問いには新たな意味が乗ってくる。「俺って誰なんだろう」介護者で良いわけはない。それは求められてもいない。誰なら良いのだ。俺は何者なのだ。私は何者としていればあなたと出会えるのだろう。「あなた誰」の問いかけに揺らぎ続けるスタッフがいる。


 茶はいらん里人笑在るそれでいい  鈴木

 いくらか説明がいる言葉遊びのある句。ある日、AさんがBさんの部屋を訪ねた。Bさんはお茶を出そうとしたが、Aさんは笑って話して過ごせればそれで良いといった。Bさんの名前はサトリさん。そこで銀河の里の人とかけて里人(さとり)、「笑居る(わらいる)」はわらえるとかけているが、そのこころは、里では、何かやることではなく、居ること、在ることの価値を見いだして行くんだということをなんとか伝えようとしている。何気ない日常、誰が何をしたというのではない、あなたが在るということ、居てくれること、それがいかにありがたく重要なことなのか、スタッフ自身がどこか癒されながらそれを実感したのではないか。


posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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