特養すばるのユニットで新年会をやろうということになり、千枝さんの発案で銀河の里のデイサービスのホールを借りて、すばる温泉日帰り旅行をすることになった。一応、管理栄養士の私は、お昼ご飯の献立を任せられることになった。温泉に行ったら出てくる料理とは・・・温泉に行ったときに出てきたら嬉しいご飯とは?と考えてみたが、そもそも私は温泉が嫌いで温泉にあまり行ったことがなく、どうにも温泉らしい献立の発想が湧いてこなかった。あまりにぐずぐずしていて献立が決まらないのを見かねてか、ユニットの先輩スタッフが蕎麦、天ぷら、お寿司等いろいろと提案してくれたのだが、とろいくせに強情な私は、自分のなかでこれだというものに思い当たらず、それでも決めかねていた。
私が「食」に関してユニットで気になったことに、利用者のユキさん(仮名)の言葉がある。夕食を食べたのに、夜寝る前には「オレ何も食ってない」と毎日訴えてくる。ユキさんは何を食べたらこの「何も食べてない」のフレーズが出てこないのかなと考えた。ユキさんが「何も食べてない」と言わなくてもいい、そういう料理を作って出したいと思った。だからユニットで料理を作るときは常にユキさんに満足してもらいたい、お腹いっぱい食べてもらいたいと思って作るようになった。そうなると献立を作ることに悩んでいた私なのに、これを作ってみよう、これならどうだと次から次に作ってみたい料理が浮かんでくるのだった。
そのことに気がついて、温泉で出てくるような料理ということにとらわれず、利用者さん一人一人を思い浮かべて、利用者さんが喜びそうな料理を考えようと思い直した。お刺身、お寿司が好きなユキさんと隆二さん(仮名)。食事量が減ってきているが好きな物だったら喜んで食べてくれるツナさん(仮名)。クミさん(仮名)やトミ子さん(仮名)が好きなスイーツ・・・と考えていくと、自然と献立は出来上がり、ちらし寿司、エビの味噌汁、ふろふき大根、かぼちゃの煮物、なます、きゅうりの一本漬け、あんみつと決まった。
ちらし寿司はお刺身が好きなユキさん・隆二さんの顔が浮かぶ。エビの味噌汁は稲刈りの時のこびるに出て好評だったので、スタッフからのリクエストもあった。ふろふき大根は大晦日に先輩スタッフが作ってくれ、ソフト食の人でも食べられるので今回も作ることにした。かぼちゃの煮物はかぼちゃが好きなツナさんに。なます、きゅうりの一本漬けはユキさんがかぶりついている姿が見たかった。あんみつは甘い物が好きなクミさん・トミ子さんに。並べてみればどうもかなり季節外れだが、それぞれの料理に思いがこもった献立となったと思う。
すばる温泉当日、厨房のスタッフと一緒にデイサービスで調理しながら、食べてくれる人の事を考えていた。喜んでくれるだろうか、どんな表情を見せてくれるだろうか、そんなことを考えワクワクしながらすばるの利用者さんみんなが来るのを待った。ちらし寿司の盛り付けはみんなで楽しく一緒にやりたいと考えていたので、利用者さんにも協力してもらい作っていった。一生懸命ご飯をうちわで扇いでくれたユキさん、周りに人がいなくなると、すかさずつまみ食いして楽しんでいたよう。完成が待ちきれずにネタを食べている隆二さん。デイサービスに着く前にしゃべり過ぎて疲れて、デイに来たとたん眠り続けたフクさん(仮名)。でもフクさんのこの感じはいつも通りで安心してほっこりさせられる。クミさんは険しい顔をして眠気と闘いながらソファーに座り、ちらし寿司の完成を見ていてくれた。いつもながら、みんなそれぞれ自分の役割を果たしてくれている。
そうしてちらし寿司が出来上がった。いざ食べ始めてみると、寿司桶を目の前に置いてひとり占めしているユキさん、かぼちゃの煮物が盛られた丼ぶりを膝の上に置き黙々と食べているツナさん、行事食の時は毎回「おいしかった、生きていてよかった、俺は幸せだ」と話す健吾さん(仮名)。今回も「幸せだ」と言いながらご飯を食べてくれた。会話こそ少ないものの、「どう?」と聞くと「おいしいよ」と、コソッと話し、ニコッとしてくれたクミさん。最近は目がなかなか開かないトミ子さんが両目パッチリ開けてご飯を食べてくれた。そんな一人一人のいつもとは違った表情が私を幸せな気持ちにさせてくれた。
私は学生の時から献立作成が苦手でとても苦労した。栄養計算の数字とばかり向き合っていたからだと思う。様々な栄養素の決められたエネルギー数値を元に献立を理想的なものに近づけるという、いわゆるバランスの良い献立を作るという考え方は理解できるが、いまいち実感が伴わなかった。自分が作った献立で料理として誰かが食べてくれるところが想像つかない感じがどうしてもぬぐえない。手応えがない。つまり楽しくはない。
しかし今回もそうだが、食べてくれる人の事を考えたら自然と献立が出来上がってくる。学生時代は“食”とは何か、食べることとは何かについて曖昧なままの認識でしかなかったからか、管理栄養士の勉強をしているにも関わらず、私自身が食べることの意味が分からなくなっていた。食べる必要性さえ感じられなくなっていたかもしれない。食べるということが人間の存在から離れてしまい、対・人でなく、対・数字となっていたのだろうと思う。
銀河の里で働き始めて一年になろうとしているが、里の現場では、食べることの手応えをどこかで感じてきたのだと思う。食べることが好きで楽しみにしている人も多い。その人たちがおいしそうに食事している姿を見てきた。また、段々と食事ができなくなって、もう食べられなくなってしまう利用者さんを間近で見てきた。それでもその人のために何か作ろうと私も周りのみんなもがんばった。栄養摂取は不可能になっても食事は可能だということも解ってきた。食べるということは生きるということなのだろうと様々な食事の形を見て改めて実感する。
そんなことを理事長と話していると、「ゴリラ研究者で京都大学総長の山際寿一氏が、食事の起源はコミュニケーションだと説いている」と氏の講演録音をよこしてくれた。確かに餌を食べるのと食事とには大きな隔たりがある。その違いはなんだろうか。「事」だからひとつの儀式なのだが、その奥にある本質は、お互いを理解し、一緒に生きていくために仲良くしたり、助け合おうとするコミュニケ-ションということになるのだろう。そう考えると食事も実は奥が深い。「何も食べてない」というユキさんの訴えは、もしかすると「食べてない」ではなく、「誰とも仲良くなっていない」「解り合えてない」だったとしたら、どうしよう。認知症の物忘れなどと簡単に片付けて通り過ぎることはできない。とても突きつけられた気持ちになる。おいしい料理、好きな食べ物が儀式としての食事を通して、人と人を繋いでいくのだということも、管理栄養士としては学ぶ必要があるのかもしれない。
このすばる温泉で私が特に印象的だったのは隆二さんだった。普段のすばるでは見せない表情をたくさん見せてくれた。隆二さんは昨年8月に入居した、元石切り職人さんだった方だ。入居して間もない頃は、外に出て歩いて行ってしまうことが頻繁で、鍵を開けて窓から外に出てしまったこともあった。でも歩いたのは最初の一ヶ月ほどで、最近は窓が開いていたら閉めてくれる。もう外に出ないのかと少し寂しく感じる反面、ここが居場所となって落ち着くことができたのなら良かったのかもしれないと思う。当初、隆二さんはお風呂に誘ってもなかなか入ってくれなかったのだが、そのくせ、朝、スタッフの手薄な時間に一人でお風呂の浴槽につかっていたりして、みんなを慌てさせることもあった。以前はそんなアクションもあったのだが、今はそんなこともなくなり、居室とリビングとの行き来に終始しているようで、私は物足りなく感じてしまう。肩身が狭い訳ではないのかもしれないが、らしさが発揮できなくて、なんとなく縮こまっているように見える。
そんな小さくなっているような隆二さんだが、デイサービスに場所を移したすばる温泉で、お風呂に入った後、ご飯を食べているときの姿に私はハッとした。一瞬なのだがほんの少し、背筋がシャンとして威厳に満ちた隆二さんがいた。縮んでない大きな隆二さん。表情豊かに笑っている隆二さん。普段のすばるでは見られない表情をいくつか見せてくれた。
外を歩かなくなったころから、隆二さんはなぜかゴミ箱とリモコンを、リビングのテーブルの自分専用の位置にセットしている。人生はゴミのようなことばかりだったと言っているのか。そんなものは全てゴミ箱に捨てて「これからの人生の総仕上げを操作するぞ」ということなんだろうか。いつ、どういうきっかけから言葉を捨てたのか、言葉は発せず語ることのない隆二さん。だが意思ははっきりしている。黙ってお前らに従ってたまるか、おれは自由だ、意のままに生きてやると、体の奥深いところで叫んでいるのが聞こえてくるようだ。私は、隆二さんのその本体が出てきてくれないかと期待している。職人だった隆二さんのプライドや意地がそこに秘められていると私は感じる。男のコケンやわがままもあっていい。遠慮して縮こまったりしないでほしい。隆二さんが自分を出せなくて縮こまってしまわないようなユニットの雰囲気と、スタッフとしての意識を高めていきたいと思う。