2015年03月15日

育休中に想う“里の女性性” ★デイサービス 米澤里美【2015年2・3月号】

 昨年の春に第三子がお腹に宿っていることがわかった。頭の上に何かいるんだろうな〜、漂っているかな〜というような感覚、魂の気配があった。意識では、いやいやまだ早いな〜と思っていたが、わかった時はとてもうれしかったし、自分の直感に驚いた。病院で確認してみると、鉛筆の芯程の大きさの赤ちゃんがいた。その2週間後には、しっかり心臓が動いていて、命の誕生というのは本当にあっという間で、理性や思考なんかぶっ飛んだところにあるのかもしれない。
 私の身体はみるみるうちに変化していった。お腹まわりはあっという間にふっくら。身体の中にもう一人の人間が“居る”という感覚は、異物感、制御不能という感じで、私の身体は完全に赤ちゃんに乗っ取られていた。動かない身体を動かそうと努力し、グループホーム第2へ通った。当時は新体制がスタートしたばかりで、新人スタッフに伝えたいことがいっぱいあったからだ。そんな私を見て、優子さん(仮名)は「あんたが欲しくて授かった子供でしょ?私は応援することはできるけど、守れるのはあんたしかいないんだから、大事にしなさい」と、私の無理を制した。
 そんななかフミ子さん(仮名)が突然倒れた。しばらく不整脈が続いてはいたが、「マグロだの卵だの食べたいなぁ」と気持ちはとっても元気だった。ある日の食事中、フミ子さんは突然意識を失った。食べ物が気道に入った窒息だった。「フミ子さん!まだダメ!まだ行っちゃダメだ〜!!」私は、スタッフの詩穂美さん、二唐さんも大声で叫びながら必死で応急処置をした。すぐに事務所やデイサービス、特養からもスタッフが駆けつけてくれ、救急車が来るまでになんとか意識は取り戻した。私はフミ子さんも赤ちゃんも連れて行かれてしまうイメージが湧き、内心、怖くて震えが止まらず、そのまま倒れて動けなくなってしまった。私の心臓と子宮がドクドクとしていた。
 フミ子さんは、病院につく頃には自分の名前を話せるまでに回復し、医師からはすぐホームに帰っても大丈夫、と言われた程だった。しかし、以前から不整脈が続いて心配だったため、病院嫌いのフミ子さんを説得して、念のための検査入院となった。ところが翌日の朝、フミ子さんは急変し、あの世に旅立った。一方、私の方は切迫流産とわかり、そのまま自宅療養となった。身体の強制終了という感じで、身動き取れない状態の中フミ子さんを想いながら眠りにつくと、フミ子さんの夢をみた。

 フミ子さんは、グループホームのいつもの部屋にいて、二唐さんと私を呼んでいる。フミ子さんは裸でいて、トイレに連れていくように頼む。私と二唐さんはフミ子さんと一緒にトイレへ行く。私たちはフミ子さんにオレンジ色のワンピースを着てもらい、車いすを押してリビングへ向かうと、気持ちのいい風が吹き、リビングはキラキラしている。

 フミ子さんは、今まではトイレは自分でしていたが、最近の体調不良が続いてからは、初めて介助に入らせてもらった。フミ子さんが着ている服は常に茶色や黒のズボンが多く、スカート姿は見たことがなかったので、とても印象的な夢だった。私は最期のお別れもできず悲しかったのだが、夢で会えたことにとても救われた。会えなくても魂はつながっていると思えた。
 昨年11月、グループホーム第1の前川さんから「ヨツ子さん(仮名)が入院中でターミナルかもしれない」と聞いていた。ヨツ子さんは、銀河の里に10年間暮らした方だ。とても女性的で、90代まで着物を着こなし、とても品がよく、現役の色気があった。「私のお部屋にいらして〜♡」と誘ってくれ、よく一緒に居室でおやつをご馳走になった。怒ると「てやんでぃ!バカヤロウゥ〜!」と鬼ヨツ子さんになるのだが、子宮の声そのままを全開にして生きているようなヨツ子さんが大好きだった。去年、他施設に移られたのだが、勝巳くんが他の利用者さんの受診で通院した際、ヨツ子さんの入院がわかった。
 前川さんは、電話でヨツ子さんの知らせを聞いたときには東京にいたのだが、聞いた直後に、ヨツ子さんの居室担当を10年担って昨年退職された西川さんに、偶然にも東京駅で会って、ヨツ子さんの近況を知らせたという。ヨツ子さんの身体は病床にありながらも、ヨツ子さんの魂の、空間を超えてつながる力に圧倒される。
 私の方は、連絡を受け、すぐにでも会いに行きたいけれど、切迫流産の危険があって身体が動かない状況は続いていた。その夜、微弱陣痛があった。10分間隔で痛みが来ては遠のき、その波は6時間くらい繰り返してやっと痛みは去った。翌朝、目が覚めるとヨツ子さんが他界されたと連絡をもらった。もしかして、私のお腹にノックしに来たのかもしれないな、と前川さんに話した。もうこの世界で会えなくても、ヨツ子さんの魂は近くに“ある”と感じられる。これらのエピソードは、単なる思い込みや偶然の出来事かもしれないし、科学的な根拠も証拠もない。だけど、私はそのとき確かに、フミ子さんやヨツ子さんを感じたのは事実だ。

 切迫流産が落ち着くと、転倒して顔に大怪我をした。怪我が落ち着くと、切迫早産となり入院となった。我ながらよくここまでいろいろ引き寄せてしまったものだと思う。身動きの取れない身体の強制終了は、“自分を見つめなさい”という赤ちゃんからのメッセージだろうと思うことにした。自分の内側とトコトン向き合う時間は出産するまで続くこととなった。頭痛がひどく座位をとるのも苦しくて、ほとんど寝て過ごした6ヶ月間だった。映画を見るか本を読むか、お手軽なのはスマートフォンだった。気になることを検索すると必要な情報がすぐに手に入った。そのとき、世間では妊活や子宮がブームになっていることに気づいた。SNSやブログ、You Tubeでは、実に多様な観点から性を語り発信している女性が多いことに驚いた。現代は男性社会に支配されていると思っていたけど、その時代は終焉し、女性性の時代に突入しているのかもしれない。さらに10年後は、認知症が5人に1人の時代になるという。男性社会の、制度やマニュアルや数字などでガッチガチに固まったモノ・コトが、緩やかにやわらかくなっていく・・・そんなイメージが湧いた。併せて、頑張ってきた女性の身体は妊活をしなきゃないぐらい、子宮は冷え冷えし、女性の疾患で悩んでいる方が多いことも知った。「子宮をあっためよう、子宮の声を聞こう・・・」と自らの人生を振り返り、今生きている体感から発信する女性たちの声は、とっても熱かった。
 子宮の声は魂の声、子宮は女性の神社、膣は産道(参道)という考え方がある。女性である私は、自らにパワースポットを持っているんだ! 私は私の参道をお清めし、お宮をお掃除し、奉納すること(つまり生きているだけ)、自分を大事にするだけで幸せなんだぁ・・・との考え方に妙に納得した。お宮のお掃除は頭で理解していなくても、しっかり身体がしてくれていた。月に一度ある月経は、私のお宮のお掃除だった。いつでも命を迎えるためのベッド作りでもありながら、イライラや痛みは溜め込んだ感情を吐かせたり、感情のお掃除をしてくれていたんだと私の身体に感動する。
 何かをしなきゃいけない、達成しないといけない、と思って頑張って身動き取れなくなると、動けない自分をただ責めて罪悪感を感じてきた。だけど、思考を静めてただ息を吸って吐いてるだけで、私のお宮にいる赤ちゃんが生きている。私は、女として生きて“いる・ある”だけで良かったんだなぁ・・・と思うと、どこか身体の力が抜けた。
 先月号で、理事長がクォールズ・コルベットの『聖娼』を取り上げ、里の女性性について触れていた。この本は、私が里で働き始めて間もない頃、理事長から借りた本だった。当時の私は読んでもピンとこなかったが、今ならじわじわ〜と沁みてくる。感情に揺らがない、システム化され構築された男性社会は、コルベットの言う“片足がもがれてしまった”状況かもしれないけれど、今の社会もここで一度何かが破壊され、再生されていくんじゃないだろうか。

 女性の身体の中で月に一度起こる「破壊と再生」。作っては壊し、作っては壊す、その繰り返しの中で女性は生きている。その破壊と再生に希望を見い出したい。
 里の現状は、物語が語られず、管理的、形式的な活動に終始し、崩壊寸前ではないかと理事長は嘆く。しかし、里に地母神や女性性が生きていると考えるならば、再生するために一度破壊される必要があり、破壊されなければ再生はない。そうやって、生命の物語はつながっていくにちがいないと信じたい。
posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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