2015年01月15日

ハルミさんの旅立ち ★ケアマネージャー 板垣由紀子【2015年1月号】

 担当していた一人暮らしのハルミさん(仮名)が突然旅立たれた。亡くなる前日、訪問したヘルパーにハルミさんの体調不良を伝えてくれたのは、近所に住むハルミさんの友人Kさんだった。その日は日曜日で病院が休みのため、どこに連れて行ったらいいか判らず困っていたKさん。相談を受けたヘルパーが私に連絡をくれた。私は出張で岩手を離れていたが、休日当番医を広報で調べて受診するよう伝えた。Kさんは車の運転はできるが道が判らないと言うので、ヘルパーが先導して病院まで案内してくれた。本来のヘルパーの業務を越えて動いてくれた。頼りにしている友人のKさんも、診断こそ受けていないが高齢で、最近の様子から物忘れが心配されはじめていた。病院に行った当のハルミさんは、先生から具合を聞かれても「どうしてそんなことを聞くのか」と、いぶかる感じもあったという。心配された脳梗塞の再発でないことが分かり、翌日の午前中に主治医を受診することになった。
 しかし翌朝、主任ヘルパーが気にかけて出勤途中に様子を見に寄ってくれたところ、ハルミさんは意識がなく脈も触れない状態だったので救急車を呼んだとの連絡が入った。私も直行し、救急車で人工呼吸を受けながら病院に行ったが、ハルミさんの死亡が確認された。霊安室に移され、付き添いが必要という病院の要望で、私が付き添うことにした。
 後妻だったハルミさんには実子がなく、他県に住む義理の息子さん夫婦が身元引受人になっていた。息子さんに連絡し、親戚のどなたかと連絡を取って病院に来てもらえないか相談するが、なかなか折り返しの連絡が来ない。私は急遽、仕事をキャンセルして、ハルミさんに付き合うことに腹を決めた。ハルミさんの隣りで私は孤独を感じていた。それは、いずれ一人になるであろう自分と重なったからだ。
 昼過ぎに、葬儀業者が決まったとのことだったので、親族はまだ見えなかったが、後をまかせて霊安室を後にした。夕方、孫に当たる方から連絡があり、息子さん夫婦は明日来ること、葬儀は身内で行いたいので他言無用でお願いしたいとの意向を伝えられた。そこで今までの経緯をお話して、ヘルパー事業所には伝えたいこと、葬儀には参列させてほしいとのお願いをした。翌日、葬儀の参列と弔辞の依頼もあり、お引き受けした。
葬儀は、孫さん夫婦とひ孫さんも見えていて、そこではじめてひ孫さんがいることを知った。小さいころはハルミさんとの交流もあったらしい。葬儀を終えて、義理の息子さんから「連絡を受けて動揺してしまい、仕事にミスが出てその後始末もあって連絡が遅れてしまった。本当なら、ハルミさんの実家にも知らせるのが筋だが、そうなると、3日間では葬儀を終えることができないため、後で自分が話をすることにした」と話された。
 息子さん夫婦とは、ハルミさんが金銭管理が難しくなったとき、何度か連絡を取りあった経緯がある。普段のハルミさんの様子がわからないため話が通じにくかったり、介護制度への誤解もあったりで、なかなかすんなりはいかなかったが、話し合いを重ねるうちに、家族が抱えている背景や本人との関係の難しさが見えてきた。そこには友人Kさんとの関係もある。しかしハルミさんからは、一人になったからKさんにいろいろ相談にのってほしいと頼んだと聞いている。一緒に畑を作り、御飯を食べたり、けんかしたり、家族のようなつきあいをしていた。以前脳梗塞を起こしたときに、民生員に連絡を入れてくれたのもKさんだった。ハルミさんの一人暮らしには、Kさんという存在が必要だったと思う。世間体よりもハルミさんが選んだ「人生」を大切にしたい。
 今思うと、ハルミさんは、脳梗塞になって介護保険のサービスを使うようになったが、本人にとってそれは意に沿わないことだったのかもしれない。「ヘルパーが来るから出かけられない」「掃除はできるけど、ヘルパーがやるって言うから残してら」と辛口だった。ヘルパーが訪問すると姿が無く、捜索したところ、親戚の法事に出るのに美容院に出かけていたということもあった。私にとっては、月に一度の訪問がおばあちゃんの家に行くような感じになっていった。
 物忘れが進行し「わけわからなくなった」と言うようになった頃、はじめてサービスを必要としてくれたように思う。Kさんからも「施設に入った方がいいのでは」という話も出るようになっていた。社協の生活自立支援事業で金銭管理をお願いし、月に1回支援員と訪問するようになって、ハルミさんも自分で金銭のやりくりを意識するようになっていった。暮らしぶりは変わらず、ハルミさんの家の庭はいつもきれいに手入れしてあって、石が並べられていたり、花が植えてあった。私は、この生活がまだまだずっと続くと思っていた・・・。
私が、霊安室で感じた孤独感はなんだったのか。人の死がこんなに突然やってくるのだという事実?霊安室に一人のハルミさんだったが、ハルミさんは孤独ではなかった。Kさんが訪れてハルミさんの思い出話をしてくれた。家族さんとのタイムラグで、Kさんとお別れの時間を持つことができた。葬儀では、孫さんやひ孫さんとのつながりを感じることもできた。息子さんも突然の死に動揺があり、そこにも息子さんの想いが感じられた。
私は「死」を、いつの間にか「病気になって、食べられなくなって、その先にある」と限定して考えていたのかも知れない。自分のこととしてとらえる機会を失っていたのかもしれない。思えば、父も突然死だった。死を前提にどう生きていくのかを意識しはじめた。
 ハルミさんの凄いところは、淡々と当たり前に暮らし続けたところにある。私など今の現役世代にはそれが難しい。効率よく便利な生活に慣れ、一方で時間に追われている。暮らすという力を持たずに生きている。それを意識しなくても生きていける時代なのか。ただ、これからの超高齢社会を生き抜くことを考えると、ハルミさんのような「暮らす力」、必要な時に「人と繋がる力」が必要になってくる。私がおばあちゃんの家にいくような感覚にさせられたのは、ハルミさんが周りの人を、介護保険のサービスを越えて、人として関わることを自然と育んでおられたからだ。自分が地域でどう暮らしていくのかという「知恵」がそこにあったのだと思う。
 ハルミさんのご冥福を祈りつつ。


posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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