2014年10月15日

不思議なナースコールとお参り ★特別養護老人ホーム 齋藤隆英【2014年10月号】

 先月9月20日に、利用者の響子さん(仮名)とスタッフの杉澤と私の三人で、響子さんの自宅にある家神様の愛宕神社に参拝に出かけた。この参拝は昨年、一昨年と毎年行っている。(あまのがわ通信H25年3月号・11月号参照)
 9月24日が愛宕神社のお祭りだ。毎年、響子さんはそのお祭りを気にしていた。今年も8月下旬のある夜、響子さんのナースコールが鳴った。職員の三浦が行くと、「なくなったの、私、なくなった。ようやくいけた。今迄いっぱい若い人達に迷惑かけた。でも、ようやくいける。ありがとう。いいところだよ。過ごしやすい。体が楽になったもの」といつもとは違ったふわっとした穏やかな顔で語ったと言う。翌日、その話を聞いた私は、響子さんがあの世に行ってしまうのではないかと不安にかられ、早く愛宕神社へ参拝に行って「力をかりたい」と思った。
 しかし、娘さんに電話をかけたときその不安はすぐにぬぐわれた。電話が繋がるやいなや「家神様のお祭りの件だよね?」と言われ、気持は繋がっていると心が温かくなった。“神様”や“参拝”など、信仰心とは無縁だった自分が、見えない力に畏敬を感じる不思議な感覚とともに、不安が和らいでいった。
 響子さんも、私のそんな気持ちを察してくれたのか、「夢で家神様と寝てらった〜。大丈夫だよって言ってらった」と話し、さらに「戦争に行った人達の事を拝んでた。一人でなんにもできなかったども、神様がいたからやってこられたの。神様には、なれる人となれない人がいる」と人生を振り返りながら深い話しをしてくれた。
 参拝当日、響子さんは「紫の服を着て行ぐ」と、クローゼットの中を探した。そして今迄一度も見た事がない、神事の時に着るような紫色の羽織を取り出した。そして、普段は使っていない全くちがう眼鏡をかけた。その姿はどこか気高いオーラを放っていて、別人のように思えた。
 自宅に到着すると、少し早かったのか、御家族は不在だった。そこで娘さんに電話をかけて、先に参拝させていただく事にした。昨年、一昨年の参拝では、響子さんは自宅で待っていたのだが、今年は初めて一緒に神社の近くにまで行けた。車椅子で田んぼのあぜ道を歩き、裏山の麓に着くと、目の前に聳え立つ鳥居を前にして響子さんは、「立たせてけで〜歩いで行ぐ」と何かに取り憑かれたように必死になり、車椅子から身を乗り出した。二人で慌てて抱えたのだが、歩く事は難しかった。ましてや神社までは山道の急な斜面を登らなければならない。どうしたものか途方に暮れて困っていると「ここでいい。行ってこ」と響子さんから送り出してくれた。それにしても響子さんを一人残して山に登るのは不安だった杉澤は「齋藤さん行ってきて。俺は響子さんとここで待っているから」と言ってくれた。私はその想いを背負ってお神酒を持ち、山道を登って神社に向かった。
 息を切らせて10分ばかり登り、ようやく山頂の神社に到着したところで、やはり息を切らしながら杉澤が追いついてきた。「響子さんが、『わがね、一人ではわがねの。二人でねば』って言うので来た」と言う。二人で手を合わせ、今年もこの場所に来られた事への感謝と、来年も来られるようにと祈った。
 神社で拝んだあと山を下って行くと、鳥居が見えてきた。その鳥居を背後にした響子さんの姿が、夕日のまばゆい光に照らされていて、とても幻想的だった。
 もう一度、三人で鳥居の前でお祈りをした。そのとき響子さんは、「108歳まで生きるから。神様みてける」と言った。私が驚いていると、後ろから「お〜い!」と婿さんが帰宅されて声をかけてくださった。
響子さんは「この人達さ何か飲ませろ〜」と、すぐにお姑さんの顔に変わった。それから家の中でお茶をいただいたのだが、響子さんは親戚の人の消息や、近所の様子などを色々と聞いて確認していた。数日前、「娘と、婿、それと男の人ふたりの4人でやるの。私は歌が違うの。娘がやる方がいいの」と話していたのを思い出した。響子さんは、長い間の荷を降ろし、若い人に託したのだと感じた。
 後から婿さんに聞くと、響子さんは、75歳まで毎年のお祭りの準備をしていたということだった。しかし、その後病気で倒れ、そこから自宅を離れて暮らす生活が始まった。信仰深い響子さんのお祭りに対する強い想いは冷めることなく、一緒に来る事ができた3年前までの14年間、毎年この時期に家に帰って神社を拝みたいと吐露していた。しかし、以前の施設や当初の職員は、ただ家に帰りたいという帰宅願望と決めつけて、相手にしなかったにちがいない。この3回のお参りで、肩の荷を降ろすように、ようやく若い世代に託せたのだなと思うと、私は心を揺さぶられた。
 お茶を飲みながらいろいろ話していると婿さんから、響子さんと親しかった、小学校からの幼なじみの人が近くに住んでいるので会いに行こうと誘われた。その家に伺い、ひさしぶりの再会も果たす事ができた。幼なじみのその方は92歳とは思えないくらい元気でエネルギーに満ちあふれていて、紳士的で素敵なお爺さんだった。二人とも歌舞伎が大好きで、歳を重ねてからも、二人で盛岡まで足を運んでいたそうだ。「また行きたいね〜」と言われた。是非実現したいし、同伴させていただきたいと思う。「小学校の同級生はみんな、戦争や病気で亡くなったな〜。いい人ばっかり亡くなるな〜」と、響子さんと二人で話している姿が、とても印象的だった。

 最近の響子さんは、ナースコールを耳に当てて、電話のように“何処かの誰か”と話している。そして「ふたつあるの」と言う。3年前、始めて愛宕神社にお参りする前は一日中頻繁にナースコールを鳴らし続ける響子さんだった。ところがお参りができた後からナースコールは急になくなり、最近は“2本目のナースコール”がでてきた。見えないナースコールは、もしかすると“あの世”と繋がれる通路になっているのかもしれない。8月下旬のあの夜のように、「いってきた」とも話している。それはあの世への“旅”なのか、“見学”なのか・・・。「何にも苦しいことはなく、楽しいところだった」と語る響子さんは、あの世にいく心の準備を整えているのだろうか。
 不思議な世界に全く無縁だった私に、響子さんは新しい世界を広げて豊かにしてくれるような気がする。


posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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