2014年10月15日

マニラだより ★施設長 宮澤京子【2014年10月号】

 フィリピンには、今回で三度目の滞在になる。一度目は10年ほど前「これからは、福祉も英語で現場の論文が書けるようでないと駄目だ!欧米の論文を翻訳するだけの学者で成り立つ時代じゃない。超高齢化社会の最先端の日本の現場から、日本の文化に基づいた斬新な実践を世界に発信していかなくては」という理事長の妄想に奮起して、スタッフの中屋と二人、勇んでセブ島での一ヵ月の語学研修に向かった。
 しかし、セブ空港に降り立ったところで私は撃沈した。湿気を伴う、むせ返るような暑さと甘酸っぱい独特な臭い、群がってくる子どもたち、「旅行者は狙われますので、貴重品は鞄から出してはいけません。着けている貴金属も取られるので、注意して下さい。子どもはもちろん、物乞いの人には絶対お金や物をあげないで下さい。フィリピンの自立のために、皆さんのご協力をお願いします」という現地のアナウンスがあった。
 車に乗り込むと、窓のすぐそばに子どもたちの顔があって、工芸品や水などを、片言の日本語で売りこんでくる。もう、どうしていいか分からなくて、早く学校の寮に着いて欲しいと、その光景を避けて目をつぶった。
 学校の入り口には見張りが立っており、外部からの侵入者を厳重にチェックしていた。かつてホテルだったという建物が学校と寮になっており、便利ではあるが驚きに満ちていた。トイレにペーパーはなく、各自で持って行き、ペーパーを流すことはもちろん厳禁だった。私達は韓国料理の毎日に耐えかね、勇気を出してタクシーで大型モールに出かけ、少し高級なフィリピン料理のお店に入り、野菜料理をいっぱい食べて満足した。その帰り、タクシー待ちをしていたところ、突然のスコールに遭って戸惑っていた。雨風だけではなく、何やら黒い大群が足下に押し寄せてきた。よく見るとゴキブリの大群だった。普段、ゴキブリ1匹でも悲鳴を上げる私だが、このおびただしい量に絶句し固まってしまった。踏みつけないように、足に乗られないように彼らが排水溝に飲み込まれていくのを眺めていた。その光景は今も鮮明に焼き付いている。
 そんな具合で、本題の英語のことは話題に登らない。マンツーマンスタイルが主流で、グループレッスンも4〜6人ほどの少人数だったが、帰国一週間前ほどになって「英語が全く何も身についていない」と恐怖に陥った。日本に戻っても、セブの一ヶ月間については、封印したように黙して語らずだった。「英語習得は、現地に行けば何とかなる」という甘い考えが、見事に打ち砕かれた痛烈な挫折体験だった。

 その数年後、日本とフィリピンとの経済連携(EPA)の中で、介護職と看護職を受け入れる方針が決まり、6年前に介護分野の人材を送り出す状況を視察するツアーに参加した。
日本の介護職員の不足と、フィリピンから海外への出稼ぎ先としての日本。その珍しいツアーには福祉関係の雑誌の記者も同行していた。フィリピンでは医療系の大学でも介護の教育を行い、ケアギバーの認定証を出しているとのことだった。日本の専門学校に近い介護技術実習室があり、ベッドから車いすの移乗や食事介助を演習しているのを見学した。学生からは「日本に早く働きに行きたい」という声が聞かれた。その他、リタイアした日本人を受け入れる高級施設やマニラにある教会経営のナーシングホームなど幾つかの施設を見て回った。日本とのEPA締結直後は、フィリピンにはたくさんのケアギバー養成校や日本語の語学学校が開設されたということで、フィリピン側のEPAに対する期待の大きさを実感させられた。
 しかし経済連携とはいうものの、実際は来日希望者と介護施設とのマッチングを経て、日本で働きながら3年後には、日本の介護福祉士の国家試験を日本語で受験するという高いハードルがある。また、合格できなければフィリピンに戻らなければならないという条件がある。日本は有資格者のみを受け入れる立場を貫いているが、その背景には業界の受け入れ反対や懸念がある。3年で日本語の習得を求められ、その上50%台の合格率の国家試験をパスしなければならない。受け入れ側の支援体制が大きく影響するだろうと思った。また受け入れ施設には、語学研修費やマッチング手数料などの費用負担があり、日本人の給料を下回ってはいけないという厳しい雇用条件など、双方にとってハードルは高い。
 来年度、当法人ではフィリピンから2名を受け入れる予定でいる。受け入れ施設になるための審査が通り、第一次候補者350名の中からマッチングで決まったのは、セブの大学を卒業した女性だった。セブとは縁があったと言うべきか。これをきっかけに当初の課題であった「海外発信」の第一歩を、実現できるかもしれないという期待まで持たせてくれる。

 そして今回は、3度目のフィリピン滞在で、トータル13週間の語学研修にリベンジだ。里で介護職に外国人(EPAではフィリピンのほかインドネシア・ベトナム)を受け入れるとなると、英語で対応する人が必要だし、日本語教育の指導もできないと困るだろうということで、還暦を機に420時間の日本語教師養成の勉強も平行して始めた。

 そんなおり、マニラでの最初の4週間を終えて一時帰国したときに、千葉に住んでいる方から「フィリピンにいる甥が、銀河の里を第2次マッチングで希望しているので、よろしくお願いします」という電話を受けた。本人とも、マニラに来て直接面接する機会を持てた。彼は24歳で、まだ第2次のマッチング結果は出ていないが、双方が第1希望で指名しているので決定の可能性は高い。書類選考だけでは彼の第1位指名には至らなかったと思う。なぜなら当初、受け入れ2名とも女性を希望していたし、財団が現地で行った彼の面接評価は高くはなかったからだ。
マニラで彼と母親に会って食事をし、私のおかしな英語と彼の拙い日本語のファーニーな会話に明るく気さくなお母さんが加わり、場が和むとてもいい時間を過ごした。7月の台風で養殖場が壊れ、両親は仕事を失ったとのことだった。お母さんが「家も人も助かって、みんなで助け合って生活しているので大丈夫!」と明るい笑顔で語るので、私の方が慰められた。彼が「日本で働いて、家族を助けたい」と懸命に語るのを聞きながら、日本ではなくなりつつある家族へのピュアで切実な思いが心に響いた。千葉のおばさんに学費を援助してもらって看護師の資格を得ており、その後2年間公立の病院で働いた経験も、現場で活かされると思う。
 私の英語は、なかなか上達しないが、こうした出会いのためにマニラに来たのではないかと思うと納得できる。ただ今回は、フィリピン語学学校とは思えない高い学費を自費でやりくりし、長い期間の留守をスタッフに託しての研修なので、10年前と同様の挫折で終わらせるわけにはいかない。今日のレッスンでもらったイディオム:Practice makes perfect.ではないが、私に課せられたミッションのためにも、頑張りたい。


posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。