2014年03月15日

看取りを超えた特別な時間 ★特別養護老人ホーム 山岡 睦【2014年3月号】

 先日、100歳を迎えた清子さん(仮名)。そのお祝いに清子さんの誕生日である2月9日温泉旅行を計画した。清子さんの義理の息子さんの三郎さん(仮名)を始め、孫さん、ひ孫さんを含めた3家族と銀河の里職員3名、合わせて14名の大人数での温泉旅行になった。

 清子さんは一昨年の春、特養に入居された。89歳で一人娘に先立たれ、それからは義理の息子である三郎さんと2人で在宅生活を送っていた。清子さんに認知症の症状が出てからも三郎さんは懸命に介護をしてきたが、ほとんど2人きりの生活。どうしても限界があり、銀河の里と出会い、デイサービスやショートステイの利用を経て入居となり里での生活が始まった。
 
 入居2年目の春、清子さんは体調を崩し、食べることも難しくなり、入院を繰り返した。その時、家族、スタッフがそれぞれにターミナルを覚悟した。“清子さんと最期をどう過ごすのか”が問われた。そんな中、「妻(清子さんの一人娘)の命日に毎年行っている公園でお花見したい」という三郎さんの思いを、是非実現したい!とお花見を企画した。「最後かもしれない」という思いは誰の胸にもあったと思う。果たしてお花見に出かけることができるだろうか。体調次第だ。清子さんがすごいのは、毎回企画するたびに体調バッチリで応えてくれることだ。この日は天気も味方して満開の桜を見ながら散歩したあと、マルカンでおやつを食べて過ごせた。この一日は、三郎さん御家族にも、私にも、とても大きい日だった。その後、花見を経て、夏の花火、マルカンドライブ、秋の自宅への里帰り、クリスマスライブ、お正月・・・等と、一つ一つ大事に時を重ねてこの一年間を過ごしてきた。その間私もずっと清子さんの傍で過ごし、たくさん支えてもらってきた。
 三郎さんも一つ一つを、一日一日を大切に受け止め、清子さんと今日もまた一緒に過ごせたことに幸せを感じながら、何度も何度も私たちに身に余るほどの感謝と励ましを与えてくださった。清子さんとの関係だけではなく、三郎さんと私たちスタッフの関係も築かれていった。三郎さんは時に感謝の気持ちを形にして私たちにくれることもあった。その思いが積み重なり、大きな貯金になっていった。
 その貯めてきた三郎さんの思いを何とか形に出来ないだろうか、何か清子さんと三郎さんのために何か出来ないだろうか、と考えた末に出た案が温泉旅行だった。

 清子さんを温泉に連れて行きたいという、三郎さんの思いを実現したかったが、果たしてこの計画を誰と組んでやればいいのかという不安もあり、温泉の下調べはしたもののその先になかなか踏み出せずにいた。
そこに川戸道さんが「私も清子さんと温泉行きたいです!」と名乗り出てくれた。川戸道さんは今年2年目のスタッフで、最初の一年は私と一緒に組んでおり、共に清子さんと三郎さんの存在に支えられてきた。思えば私の特養一年目、川戸道さんは銀河の里一年目に、清子さんが入居になり共に過ごしてきたのだ。現場が異動になってからも、清子さんのことを気にかけてくれる、ユニットを超えても繋がれる川戸道さんの存在に私は救われていた。

 三郎さんは彼女のことを“天使だ”と言う。教育者であった三郎さんからすれば、未来のあるひたむきな新人介護者は本当に天使として映るに違いない。スタッフと家族が、清子さんを通じて互いに支え、支えられる存在になっていた。
 私が温泉を調べていることを伝えると、「私、計画立ててもいいですか?」とすごく張り切っていた。その勢いに支えられて安心し、家族さんに話を切り出した。清子さんと三郎さん達家族への思いに突き動かされ、計画を進めていく川戸道さんが頼もしく思えた。清子さんを通して、川戸道さんが育まれていく様子を目の当たりにしたような気がする。「こと」のスタッフ菜摘さんも参加することになり、心強い体制で温泉旅行が実現に向かうことになった。
 温泉の話を切り出すと、初めは「いや〜行けるかなぁ」と不安げだった三郎さんも、次第に現実的に前向きになり「おばあちゃんの誕生日はちょうど日曜日だし、8日から9日にかけて泊まるようにしたらどうだろう?」とわざわざ電話をくださった。清子さんは私たちが計画を立てている様子を黙って見守り、「一緒に温泉行こうね」と声をかけると「行かね、フフ」と言ってみたり、穏やかに微笑んで頷いたりと色んな反応を見せていた。「行けるかな、行きたいな」とドキドキしながらその日を待つ私たちの様子を見守りながら、清子さん自身も様々な思いがあったのだろう。

 誕生日が近づいた頃、清子さんは、食事があまり進まず、「行けるかな。大丈夫かな・・・」と少し心配した。私はどこか“食べない”という意志も感じていて、清子さんは食べないことで今、私たちに何を伝えようとしているんだろう?清子さんは温泉に行くこと、本当はどう思ってるんだろう?私たちの自己満足に過ぎないのかもしれないな・・・と色々考えたりもした。それでももう二度とないかもしれないこの機会を逃すまい!清子さんのためだけではなく家族全員にとって、そして私たちにとっても大事な時間になるはずだ!と心を奮い立たせた。
 当日の朝も「食べね」と口にするほど清子さんの気持ちは決まっていて、でもその代わり飲み物だけは飲んでくれた。“飲む”ことでしっかり命を繋いでいるように思った。朝から表情は硬く、怒りをも感じるような力強い触れ方をする清子さん。手でつねったり、腕を掴んだり、手のひらを重ねたり、清子さんからは触れてくれるがこちらが触れようとすると突き放す。私の中にも清子さんとのこれまでのこと、今日の温泉のこと・・・清子さんにまつわる色んな思いが頭の中を巡り、落ち着かずにいた。そんなこちらの緊張が清子さんにも伝わっていたのかもしれない。いざ出発の時間になると清子さんの硬さはとれて、“行く覚悟を決めた”清子さんがそこにいた。
 雪の中温泉に向かう。「おっかね」「どこまで」「どこさ行く」と身を乗り出しながら何度も言う清子さん。一緒に特別などこかへ向かっているということはしっかり認識している清子さんに“力”と“期待”を感じ、嬉しくなる。途中で自宅に寄り、三郎さんも乗せて温泉へ向かう。温泉に向かう道中から既に「おばあちゃんとドライブ出来るなんて夢にも思わなかった」と胸がいっぱいな様子の三郎さんに、いい時間を過ごせることを願った。
 温泉で孫さん一家と合流し、少し休んでから予約していた貸切風呂へ向かう。貸切風呂は広くゆったりとしたスペースで心地よい空間だった。私と川戸道さんが清子さんを抱え、三郎さんが背中を流し、孫さんとひ孫さんが体を洗う。一つ一つの動作に尊いものを感じる。始めは少しびっくりした様子だった清子さんも少しずつ体を慣らしていき、私たちに身を委ねながらゆっくりとお湯に浸かっていた。
 以前「逆デイサービス」と名付けて自宅へ日帰りで出かけた際、「おばあちゃんを家のお風呂に入れてあげたいんだけど無理だろうか」と三郎さんに相談されたことを思い出す。家のお風呂ではないけれど、温泉という形で叶った。
 入浴を終え、皆で手伝って浴衣に着替えていると、清子さんが突然「ありがと」と言った。清子さんの“一言”はとても重く、込められた思いは深かった。その一言に“ありがとう”を超えたたくさんのものが込められている気がして胸が熱くなった。その場にいた全員がその言葉を聞き逃さず、清子さんの表情や思いを味わい、感動で胸がいっぱいになる。「おばあちゃん、いがったね」「いがった」「温泉入ったね」「うん」・・・そんなやりとりがひたすらあたたかかった。

 宴会場を貸し切った夕食には、旅館側から金の屏風と垂れ幕が用意され、正面に三郎さんと清子さんが座るとまるで結婚式のような雰囲気。三郎さんの挨拶に始まり、乾杯、プレゼント贈呈、清子さんにまつわる様々な思い出話、ケーキの登場、孫さん一家のマジックショー、皆で歌う『星影のワルツ』・・・その間、清子さんは注がれたビールを受け取り口にしたり、勧めた料理を少しずつつまんだりしながら、終始目をぱっちりと開け、疲れた様子も見せず(三郎さんが先に疲れてしまった程・・・)皆の様子を見守り、その場に居てくれた。『星影のワルツ』を皆が歌いだすと、満面の笑み。清子さんの嬉しさや興奮が伝わる。あっという間に時間が過ぎていった。
 会食会場を出て部屋に向かう時、清子さんは、ひ孫さんの手、三郎さんの手、と色んな人の手を握ろうと体を前のめりにして手を伸ばした。そして最終的に握った私の手をぎゅっと掴んで離さず、そのまま部屋までの道を一緒に歩いた。絶対に離すまいと力を込める清子さん。ぎゅっと力を込めたり、引っ張ったり、力の加え方を色々に変えて何かを伝えてくる。不思議と私はその手の感触が強くて優しくて心地よく感じた。
 私にとって“清子さんの手”は特別で、これまでずっと清子さんと手と手のやりとりを重ねてきた。言葉では説明できない感覚なのだけど、私は清子さんの手にずっと守られ、支えられてきた。この時も清子さんの手に触れ、感じながら、今までのことを思い返した。支えてもらったり、甘えさせてもらったり、時に怒られたり、突き放されたり・・・色んな私を肯定も否定も全部ひっくるめて清子さんはずっと受け止めてきてくれたなぁと、思い巡らせながら、「ありがとう」の気持ちを込めてその手をぎゅっと握り返した。

 次の日の朝も清子さんは、元気いっぱいだった。昨晩の疲れを心配していたが、予想外に早起きの清子さんに驚くしかなかった。「夜中、おばあちゃんと目と目で会話したんですよ」と語る三郎さん。2人が枕を並べて寝る時間を持つことができたことを嬉しく思った。
 朝ごはんはバイキングだったのだが、清子さんは自分からどんどん手を伸ばしては頬張り、気持ちいい程の食べっぷりを見せてくれた。これまで食べなかった分を取り戻すかのように、そして私たちの思いに応えるように。その姿を見て嬉しくてたまらなくて、清子さんが食べそうなものを皆それぞれに選んでは勧めていた。
 清子さんが美味しそうに食べる姿は、見ているこっちまで力を貰うような気持ちになる。多分あの場にいた皆が思い切り食べる清子さんの姿に感動し、力を貰っていたと思う。ここまで見せてくれる清子さんの姿に、涙が出そうになった。
 今回の旅行は“清子さんの100歳のお祝い”として計画したことだった。ところが気づけば一緒に行った全員が清子さんに励まされた。清子さんが私たちの願いを叶え、支えてくれた。ターミナルを告げられて一年、ターミナルの域を超えた次元を感じた温泉だった。
 
 再び春がめぐってきた。温泉での夜、三郎さんが「今夜が最後でもいいと思えるくらい夢のような一日だったね」と感慨深く呟いた言葉が残る。ターミナルを意識した去年の春から一つ一つ“これが最後かもしれない”とその瞬間を精一杯大切にし、積み重ねてきた。今回の温泉旅行だけでなく、清子さんはこの一年間ずっと私たちに大事なものを教えてくれたと思う。
 清子さんと三郎さんに出会い、“2人の関係を支えること”“家族のつながりを守ること”が私たちの役目ではある。でも私たちの方が2人の関係に支えられ、励まされてきた。清子さんと三郎さん、三郎さんと私たち、清子さんと私たち、それぞれの思いと存在が支え支えられながら生きることができた。
 私はこの春に里を卒業する。旅立ちの時である今、この温泉旅行はとても大きい。清子さんは私にとって目指す魅力的な“母”だ。これまで清子さんに貰ったものを胸に、自分の中の母を育てていきたいと思う。清子さん、本当にありがとう。
posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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