2014年03月15日

「我が家の毎アル」パート2(最終回)★施設長 宮澤京子【2014年3月号】 新たなステージで大活躍? 新たなステージで大活躍?

 生まれてから80年間ほど暮らしてきた広島を離れ、長男(理事長)の住む花巻に来て10年が経つ。チヨコさん(仮名)はその間、自然脊椎閉塞の大病で、9死に1生を得、その後5年の在宅介護の後、この2月に特養ホーム入居になった。私は、当初チヨコさん(義母)を広島から岩手に呼び寄せることは、“ラクダが針の穴を通るより難しい”と思っていた。人嫌いで、外出も極端に厭がる人だったからだ。どんなにこちらがオファーしてもテコでも動かない。
 ところが、ある日突然「わしゃ、岩手にいくけん看てくれんか」ということで、移住が決まった。そこは前回の「我が家の毎アル」に記載したが、今回の特養ホーム入居の申し込みも「わしを、老人ホームに入れてくれ」と懇願の末、入居が決まった。「わしの人生、何んもええことがなかった。早よう死にたい!」が口癖だったが、これだけ自分の意志を貫き、周囲を動かすエネルギー(我)に満ちた人は、そうそういないと感じる。
 「老人ホームに入れるよ」と報告すると、驚きの表情のあと「ありがとうございます」と、深々と礼をして、早速タンスからものを引っ張り出して、荷造りをはじめた。しかし、翌日には、その荷物はまた片付けられている。昨夜と今朝では人格が両極に入れ替わったかのようだ。その日の深夜、歩行器をキコキコ押してやってきた。「今日は京子さんに、大事な話しをせにゃならん」と神妙な顔つきだ。「わしは小さい頃から、人が好きじゃのうて、今でいう“不登校”じゃった」えっ80年前の不登校とは、何と前衛的!と感動する私。「小学校に入った時、嫌がるわしのために、すぐ上のお姉ちゃんが、自分の勉強はほっておいて、一緒について来てくれて、1年生の教室で勉強をしてくれたんじゃ」「一番上の姉が、母親にそれを告げ口したもんじゃけ、わしを牛小屋に引きずって行ってのぉ、えさ桶の横の柱に縛り付けたんじゃ。そして外に出られんよう、かんぬきまで掛けよった。牛が餌を食べに寄ってきて、大きい角が、こおぅて、こおぅて、わしは大声で泣いたんよ。その声をききつけて、告げ口した姉がひもを解いてくれて、命が助かったんじゃ。その時は嬉しゅうて、野っ原を駆け回ったぁ」子どものようなキラキラした目で話した。
 話を聞きながら「一体、この話しで、私に何を訴えようとしているのだろうか」と警戒の姿勢を崩すことが出来ない。「だからのぅ、わしは小さいときから人が集まるところは、大嫌いなんじゃ。大・大・だーい嫌いなんじゃ。この性分は今も変わらん、この性分は一生治りゃせん!だから、わしは老人ホームには行かん」と断言した。「そこか」と腑に落ちる。ここで、小学校時代の話が聞けるとは思わなかった。
 そんなこんなもありながら、チヨコさんは非常な寒がりで「岩手の寒さは、広島では経験したことがないけえ、身に堪える」と言い、雪かきも気になってストレスをためていた様子だった。そこでショートステイを利用させてもらい、そのままホーム入居に移行してもらった。暖かくなったら家に帰るというのか、このまま特養ホームで暮らすのか、どう出てくるかは未知数だ・・・。
 先日、会いに行くと「いつも遠くからわざわざ来て頂き、ありがとうございます。」と、機嫌良く挨拶された。遠くからと言っても、歩いて1分の距離なのだし、職場なのだからわざわざと言われるものではなく返答に困る。「ヒロ君(3男)は、毎日来てくれとるが、健ちゃん(長男:理事長)は、事務所には来るようだが、ここへは一切来ん!」という。さすが、それぞれの距離感も適切で、その鋭さに驚く。「ここは暖かくて良い。一番のお友達も出来た。ご飯も3食出るけん、他に何も食べたいとは思わん。痛いところは、どこもありゃせん」と、特養ホームの生活に満足な様子で伝えてくる。
 「お友達」という言葉が、人嫌いで不登校だったチヨコさんの口から出て来るのもびっくり。寝たきりの人のベットの傍らで「辛いけど頑張るんよ」と、励ましている姿にも驚いた。また掃除のチェックは鋭く、小さな塵一つ、髪の毛一本さえ見逃さない。「あそこにのぅ、見えるじゃろ、そうそう」と指示したり、ヒロ君に指示しながら自分の部屋をぴかぴかに磨き上げている。「足も手も不自由で何もできん」と言ってるのに、どうやって拭き掃除をしたのかと、私の「はてな?」は膨らむ。スタッフ達も「何で、あんな小さいものが見えるのか?」と驚いている。チヨコさんらしい潔癖さと、どんな手段を使ってでも、彼女なりの秩序を貫く我の強さは、特養入居後になっても健在だ。
 チヨコさんが特養ホームに移ってからの、我が家の散乱ぶりはひどい!玄関周りには、落ち葉や塵が積もり、廊下は綿埃が我が物顔で鎮座している。ヒロ君もタガが外れたように、洗濯・掃除・着替え・身繕いが“ずぼら”になった。今まで、それら全てを支配するように、チヨコさんは秩序立ててやってきていたのだ。その存在の大きさは、恐るべきで、ヒロ君はチヨコさんがいないのに、一人でケンカをしていることがある。「えっ、一体誰と?」と部屋を覗くと、ピタッと静かになる。怪しい!時々チヨコさんは、我が家に帰ってきているようだ。チヨコさんとの喧嘩は、ヒロ君の言語回路に刻印されてしまったようで、本人がいようといまいと関係ないのだ。その関係の深さにまた驚かされる。
 私はチヨコさんが深夜にキコキコと歩行器を引きずってやってくることへの緊張感はなくなったが、うずたかく積まれた市販薬の籠にチヨコさんを感じて、ただ“ぼんやり”している。特養ホームに行くと「遠いんだから暗くならないうちに、早く帰って下さい」とピシャリと言われ、ぼんやりでは太刀打ちできないと思った。(チヨコさんは標準語と広島弁を、相手との距離間の違いで、上手に使い分けることが出来る。)
 理事長はこの秋から「ヒゲ」をのばしている。それに対してのコメントも非常に面白かった。“ひげそり“を忘れて出かけた、10月の富山研修を機に伸ばしはじめたのだが、その真意はわからない。最初は、息子の大学入試の願掛け?と思ったが、そうでもないらしい。とにかくムサイ!見た目のインパクトが強烈でギョッとして後ずさりする。ヒゲを伸ばしはじめた同時期に、急転直下、志望校を180度変更した息子は、坊主にしてきた。「そんな頭だと滑るじゃん!」と私の怒りを買う。息子は「これで案外、引っ掛かるんだよ」と、毛糸の帽子に引っかかる様子をリアルにみせる。「全く!」と、私の怒りは収まらない。この親子のひげと坊主頭に、私は苛立つ。
 チヨコさんにひげの話を向けると「広島に、ああいう人がおった」と顔をしかめながら、身振り手振りで話す。「ボロを着てのぉ、リヤカーに鉄くずや段ボールを積んで曳よった。ヒゲぼーぼーでルンペンじゃ。」続けて「弟も、一生に一度は記念にあぁいう格好をして、写真を撮っておきたいんじゃろ」と余裕たっぷりだ。「えっ、弟?」時に応じて息子は弟になる。「じゃが、他人のことじゃ、わしゃ余計なことは言わん」と、最初のしかめっ面から一転し、楽しげに笑う。ここでもまた、私はチヨコさんから“距離の取り方”を学んだように思う。

 ヒロ君は、お母さんが特養ホームに入居したことで、介護と、スパルタ自立訓練の日々から解放された。それでも一日も欠かさずお母さんに会いに、特養の居室に通っている。通っていく場所ができて嬉しそうでもある。時々、市販薬の配達を頼まれ、着替えの洗濯物を受け取り、注文の衣類を届けている。私も気持のゆとりができて、お義母さんのブラックユーモアが楽しみで、部屋を覗いてちょっかいを出している。お義母さんは、私を遠い存在に置くことで、今までのような「嫁に世話になっている」という気兼ねなしに、昔話をしてくれたりして、一緒に笑えるようになった。
 近いうちにチヨコさんの部屋にL字のソファを置き、甘いコーヒーとあんパンを用意し、家族5人で過ごせたらと目論んでいる。チヨコさんの第一の友達ということになっているモヨ子さんも入れて、お茶会や密談もしたい。頭が痛いと寝込んでいるときには、手を握ったり、マッサージをして傍らに座っていたいとも思う。自宅では出来なかった会話や、新たな関係ができそうな気がする。そして、チヨコさんの“人生最終章”を、この特養ホーム「銀河の里」で、穏やかに過ごしてもらえたらと願う。
 チヨコさんは小さい頃、霊感があったという実母から「お前は不幸な運命を背負った娘じゃ」と予言されたという。米寿越えしてなお、「死なせてくだせぇ、殺してくだせぇ、いつまで酷いめにあわせるんですか」と仏壇に向かって叫んでいた。特養ホームの存在が、その予言の呪縛から解放されるための「希望」を与えてくれるように思う。

 「我が家の毎アル」は今回で終わりになるが、特養での毎アルに乞うご期待!
このまま平穏に日々が過ぎるとは思えない。密かに、チヨコさんとの鬼対決を楽しみにしている。
posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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