演奏が始まると、初めは今まで聞いた太鼓の音と差ほど変わらないな、という印象を受けた。しかし、聴いているうちに、言い表しがたい心地良さを感じてきた。鼓音が体を突き抜け、包み込む。あたかも自分が“母胎”の中いるようだった。一定のリズムと音が、お経などにも通ずるようなゆったりと深いなにかを感じさせる。次第に自己と外界が曖昧になり、私は瞑想状態に入った感じがした。太鼓の演奏でこんな感覚になり、こんなに揺さぶられたのは初めてだった。本物に出会えた気がした。これをきっかけに太鼓の奥深さに触れ、私は太鼓に興味を持つようになった。そして、ぜひ林英哲の演奏も聴いてみたいと思った。
1月19日、仙台で林英哲『迷宮の鼓美術少年PARALLAX TRACKS』の舞台が公演され、今回も研修として参加させてもらった。前回、『英哲 風雲の会』の演奏で“母胎”を感じた私が、あれからどう成長し、今回はどのような太鼓を聴くことが出来るのか楽しみだった。
舞台は林英哲が太鼓人生を振り返る、といった内容のもので、演出は演劇色が強くセリフや歌もあり、英哲がどんな人物なのかを知るために、私にとっては願っても無い機会だった。林英哲に初めて会った私は、彼を知りたいと思い、全身全霊を舞台に傾けた。
演奏が始まると、やはり今回も、太鼓の音から“母胎”を感じた。そして、私は奏者にも注目する。今回は小ホールでの公演なので、彼らの姿、表情や息遣いも間近でリアルに感じることが出来た。
奏者がもがきながらも太鼓を叩く姿に、自分の中には安らぎの他に苦しみといった様々な感情が生まれ、これまでの人生を思い起こし、なぜここに自分が存在するのかを考え始めた。そして、以前感じた母胎のほかに“宇宙”も感じ始めた。
英哲は語る。「どの道を行っても同じだったと思う」と。その言葉から、私は人の生や死を感じた。次に彼は大太鼓めがけて一撃の拳を放った。その鼓音はバチを通した音とは違い、彼自身から放たれている感じがした。迷いの無いその音は、私を貫いて、どこまでも広がっていくようだった。その音から、私は林英哲という人間の父性を感じた。その時、弟子達の中心で英哲は輝いていた。英哲が神のようにも見えた。猛々しくも安らぎのあるその音は、父が子に一本の道筋を示しているようだった。彼らの演奏は、聴衆のためではなく、彼らが生まれ変わるための儀式のように感じられた。母胎という宇宙の中で、生きる術を父なる神が教えていた、とでも表現していいのか。その儀式を共にすることで、私も生まれ変われるような感じがした。