私自身も泣いたり怒ったり悔しかったりした。祭り前日、写真を集めて看板に貼ったはいいが、そこに語られる物語を私は全然知らない事に気が付き、衝撃を受けた。ただ作っても無意味では?と焦った。また、厳しい現実を抱え、売上げを必要とするワークステージと高齢者部門の意識の違いも浮き彫りになった。お互い「何か違う」と思っているだけではなにも生まれない。物語の始まりにも気が付かないから、せっかくの祭り準備もただの作業になってしまう。そんな無味乾燥な、ただのイベントをこなしても意味はない。
高齢者やワークの利用者は、楽しいイベントにしようとか、売り上げ目標を達成するといったこちらの意図や現実問題を軽く飛び越え物語を展開していく。私は、そんな生への姿勢や揺るがないその人らしさに驚嘆してしまう。やられた!と思う。良いとか悪いとか、正しいとか誤りだとか、凝り固まった自分の思考にがっかり・・・。
けれども、夏祭りはやはり楽しかった。企画としても個人としても、反省点は勿論ある。しかし、物語は予期せぬ所ではじまり、私達を揺さぶり、本質の世界を見せてくれた。そんな出会いを潰したくない、これからもっともっと感じてみたい。それぞれのあり方を貫きながら共に生きるというのは決してたやすい事ではないだろう。けれども、相違点と共通点を見据えながら、問題やその原因を探すのではなく、色んな視点や考え方を活かしていきたい。夏祭りを終えて、また今日一日がどんな物語の一場面になっていくのか、わくわく感が心地よいこの頃である。