2014年01月15日

ゴッシュの旅 ★施設長 宮澤京子【2014年1月号】

 今回の旅は、私にとって銀河の里の次期事業展開に必要な方向性やイメージを見いだす重要な旅と位置づけていた。行き先は、『ゴッホ美術館』のあるアムステルダム、そしてシュタイナーが設計した『ゲーテアヌム』のあるスイスのバーゼル。この旅の名は、ゴッホとシュタイナーをもじって「ゴッシュ」と名付けた。

 ゴッホが最後に描いた『鴉の群れ飛ぶ麦畑』を直に見みるために、アムステルダムまでやって来た。一昨年私は、ゴッホが自殺前の70日間を過ごしたフランスのオーヴェル・シュル・オワーズを訪れた。オーヴェル教会の裏にある坂道を登り切ると、一面黄色の麦畑が広がる。黄色の畑と青空とのコントラストに感動した。そこは、銃を自分に向け、下宿先だったラヴォー亭のアトリエを血に染めたゴッホ終焉の地でもある。麦畑には『鴉の群れ飛ぶ麦畑』の看板が立てられていたが、フランスでは、その絵を直に見ることは出来なかった。ゴッホはアルルで耳切事件を起こし、入退院を繰り返した後、この地に来てガシェ医師のもとで治療を受けていた。精神を病みながら、突き動かされるようにキャンバスに向かうゴッホ。私は、不気味とも不思議とも思える最晩年の作品群に魅せられていた。そして『鴉の群れ飛ぶ麦畑』の本物をこの目で見なければ、ゴッホと出会ったことにはならないと感じた。
 『ゴッホ美術館』の入場券は、日本から事前予約を入れたうえ、当日も早めにホテルを出発し、開館30分前には着いたのだが、すでに長蛇の列が出来ていた。途中、荘厳な建築のアムステルダム国立美術館を通り過ぎてきただけに、すぐ側にあるゴッホ美術館は、黒川紀章が設計した別館を含め、非常に現代的でシンプルな建物に映った。館内は厳重な警備で、コートもリュックも預けて身軽になったことがよかった。心身共にニュートラルな精神状態で絵に向きあった。『鴉の群れ飛ぶ麦畑』とまみえる。明るい廊下に飾られた作品は、不気味なイメージとは対局で躍動感に溢れていた。隣に飾られている、淡い黄緑の基調のオーヴェル・シュル・オワーズの田園風景と実によくマッチしていて、どちらも「鴉の」とか「不穏な」というタイトルに違和感を持つ程だった。私はそれまで「ゴッホは、麦畑の中で死の影に脅かされていたのではないか」と考えていた。しかし、実際に絵を見ると、ゴッホは最後まで貪欲なまでの製作意欲に燃えていたことが感じられ、解説にもそう記されていた。「死の瞬間までゴッホはゴッホとして描きつづけたのだ」と安堵した。そして作品を見る者達を今も魅了し続け、絵のなかにその魂が脈々と生き続けていることに感動した。ピュアな精神が持つ「生と死の爆発的なエネルギー」を改めて感じた。
 その夜は、旅のひとつの目的を果たした満足感で、ベッドに潜り込んだ・・・が、オランダの年始を迎えるカウントダウンは、ひと晩中、花火や爆竹をならして大騒ぎだった。美術館を訪れた12月30日の夜中、夢の中で私は再びオーヴェル・シュル・オワーズの麦畑に立って、「何んでゴッホは、ここで銃を自分に向けなければならなかったのか」と問いかけていた。突然の大きな銃声にカラスがバタバタと飛び去った。目が覚めると、ホテルの窓ガラスは、爆竹の音で割れんばかりに揺れ、キュルンキュルンという反響音がしつこく続いていた。夢で私が麦畑に立ち、ゴッホの死を問うた時に轟いた銃声と、現実のホテルで轟いた爆竹との共時性・・・ゴッホを分かったつもりになっていた傲慢な自分に気づかされた。病と格闘した天才画家を分かろうなんて、おこがましい事だった・・・何だか少し気が楽になった。
 除夜の鐘で明ける日本とは、全く趣の違った喧噪に満ちたオランダで、新年が開けた。

 『ゲーテアヌム』は、ルドルフ・シュタイナーが設計した建築物である。スイスのバーゼル駅からトラムで30分ほどの終点がドルナッハ駅、そこから20分ほど坂をのぼったところに建っている。絵本に出てくるような奇妙な曲線の屋根や窓、内部の淡い赤や黄色や紫などの色彩に面食う。晩年のシュタイナー自身が彫ったという『人類の代表者』は9mの巨大なもので(まるでご神体?)、その前で瞑想する人達。静寂さと神秘的空間に圧倒される。
 35年前、私は東京の公立の保育所に勤めていた。女性の社会進出に合わせて、「ポストの数ほど保育所を!」のスローガンのもと、次々と保育所が開所された時期だった。面積さえ確保されていればそれでいいような、安上がりで無機的な保育空間と、子どもの魂に対して、無配慮でがさつな保育士の在り様に、私自身が傷ついた。そのころ出会ったのが、「モンテッソリ教育」だった。当時の私は、「魂の救い」を求め宗教に敏感になっていた。教員養成センターでモンテッソリのメソッドを学び、修了試験を受けモンテッソリ国際ディプロマを取得した。そしてカソリック教会を母体にした保育園で4年ほど現場の実務についた。今思うと、かなりシステマチックで近代科学の合理性に則ったものだった。キリスト教的な強い父性原理の中で、子どもの教育カリキュラムが組み立てられており、私にとっては、幼児教育に明確な方向性を示してくれる教義だった。具体的な実践方法に、曖昧さが無く、合理的、論理的に納得できるものであった。
 しかし、しばらくすると子どもたちの前に立つ私は、どこか恣意的で操作的になり過ぎ、あるべき教師像との乖離や偽善に苦悩するようになった。プラグマティズム的な合理性から、もう少し自由になって子どもの霊性に触れたいと思い悩んでいたときに、シュタイナーの人智学を知った。丁度、スウェーデンでシュタイナー生誕120年祭(?)が催され、そのツアーに参加し、シュタイナーの思想や哲学の具現としての建築物やオーガニック農法、そして芸術や教育等の巾広い分野での実践を見学した。しかしその時は、未知の世界に驚きはしたが、あまりの妖しさに気後れして、深く関わる気にはなれなかった。
 その後、岩手に移住し農業にたずさわることになり、稲作とトマトの栽培に取り組んだ。「農業をはじめるなど、自殺するよりも勇気がある」と、農家の人たちからは嘲弄された。平成4年の稲作1年目は、冷害で大凶作年に当たった。農協の売店で外米が売られるという異常な年だった。翌年からも、無農薬・不耕機栽培を棚田でやろうとするものだから、草との格闘だけでなく、田んぼのあぜが崩れて大損失だった。それでも、「銀河の里構想」の実現を目指そうと、先進事例の研修先として、シュタイナーのオーガニック農法を取り入れたドイツ、スイスのコミュニティを選んだ。スイスでシュタイナー教育を学ぶ留学生をガイドにお願いし、障がい者の人達が暮らす「グループホーム」を中心に巡り、その時「ゲーテアヌム」も見学した。グループホームでは、石窯でパンを焼いたり、牛を飼って乳を搾りヨーグルトやチーズを作り、農作物を育てていた。生活空間はセンス良くデザインされ、個々の部屋も個性的だった。福祉も農業も暗く貧しいイメージではなく、精神性の高さと生活の豊かさを実現していた。「銀河の里構想」のイメージとまるで違和感がないのが不思議な位だった。

 「銀河の里」は、その基盤を「農業」に置き、「福祉」と農業を繋いで、地域の未来を担っていくことに希望を見いだそうとしている。また、農業を通じて自然に対する畏敬や命に繋がる「食」に関わる生産に携わることの意義を感じている。2011年の東日本大震災の時には、地に足をつけて生きることの必要性を痛切に実感した。現在、稲作を5ha、その他ビニールハウスでの葉物栽培、大豆も作り、自家製の糀で味噌は全自給している。数年前から、地域の特産であるリンゴの栽培にも取り組み始めた。農業は生産性や経済効率としては低いので、後継者不足は深刻だが、社会の基盤でもある産業を、地域で障がい者と高齢者の力で担っていくことは、とても大事なことだと思う。
 
 シュタイナーは「芸術」にも眼差しを向けている。同時代を生きた宮沢賢治と通じるところが多く、賢治も農業と芸術に関心があり、『農民芸術概論』などを書いている。人生の豊かさ、世代を超えて通じ合えるもの、魂に響くことは、知識や技術による理解を越えた「感性」なのだと思う。里の職員研修が音楽や舞踏、絵画、古典芸能などの文化研修を主に行ってきたのは、そうした意味がある。一般的な福祉施設とは視点も目指すところも本質的に違っているのかもしれないが、その方向性は、間違ってはいないと思う。
 特に、認知症の世界を理解するには、感性からもたらされる豊かなイメージがなければ、お互い苦しい介護に埋没し、疲弊し傷つけ合う悲惨な状況に陥りやすい。それは、すでに虐待等で社会問題化してきているという事実がある。

 銀河の里の新規構想のために、私はもう一度『ゲーテアヌム』が見たかった。2度目の対面となったその建物は、前回と変わりなく揺るぎのない「存在感」を持ちつつも、訪問者を受け入れてくれる穏やかさを感じた。また個性的ではあるが異様さを放って突出しているのではなく、周辺の住環境とマッチしていることにも気づかされた。ゲーテアヌムの周辺には、シュタイナーの人智思想に基づいたアトリエやギャラリー、オーガニックの農産物や加工品を売っているお店、そしてレストランやカフェ、キンダーガーデンや別荘などが街の中に「暮らし」として溶け込んでいた。
 日本の観光地でお客を呼び込むような、商売としてのお土産屋や食堂とは雰囲気が全く違う。どの建物も品位ある個性的な佇まいで、それぞれの商品も生命感に溢れ、躍動的なオーラを醸し出しているようにさえ感じる。私は若い頃シュタイナーに出会いながらも、その思想や哲学には深く触れることなく敬遠さえしてきた。今回、その特異とも言える思想やセンスが異様な形で迫ってくることはなく、自然な形で地域や街作りに活かされていることに感銘を覚えた。「銀河の里」の地域へのアプローチを考える方向性として、ひとつの「確信」を得たように感じた。
 「銀河の里」は、コロニーのような閉ざされた場にしてはならないし、組織が巨大化してもちがうと思う。個性的で責任のある各々の主体や機能が、有機的に繋がって地域に点在し、調和のあるコミュニティを形成することが大事だ。発足以来、銀河の里は妖しいと揶揄されながらも、メソッドを導入せず、宗教に属することもしなかった。また、これからも「理念を掲げ暗唱すること」や「マニュアルに頼り切ること」には警戒をしていくだろう。あくまでも「銀河の里」は、そこに集う者達が作りだすコミュニティであり、地霊に守られたものであって、良くも悪くも苦悩しながら活動をし続けていく運動体なのだ。システムにはめ込まれ、原理主義に凝り固まっては、形骸化と疲弊を避けることはできない。そうならないためには一人一人の主体が、鍛えられていく必要がある。なぜなら、いつも答えのないところに立たされ続けることになるからだ。しかし発見しながら前に進むことは、飽きないし、味わい深い。なによりもリアリティがある。
 近い将来、「銀河の里」を縦割りの高齢者や障がい者の福祉施設としてではなく、子どもからお年寄りまでが世代を越えて混ざり合える地域の拠点として実現し、都市と地方が経済的な格差を越えて、相互の交流が出来る場にしたいと考えている。今後も農業生産にたずさわりながら、地域が抱える課題や、個人や家族が抱える保育・教育・介護・就労等の多問題を総合的にマネージメントする相談支援体制の整備をめざすことで、地域に必要とされる「銀河の里」の未来を描いていきたい。

 シュタイナー思想の具現化された建築物としての『ゲーテアヌム』は、時代や国を越えて私に大きなインパクトを与えてくれたが、「銀河の里」はそうした『象徴』を持つことさえ必要がないのかもしれない・・・ということの発見に、今、私は打ち震えている。

 今回のゴッシュの旅は、個人と組織を考え、「モチベーション」や「確信」という芯に響く体験をさせてもらったことに最大の収穫があった。


posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。