2007年05月15日

里 の 行 方 ★理事長 宮澤健【2007年5月号】

 利用者と出会うことで「人間とはなにか、生きるとは何か」を随分考えさせられてきた。まさに導いてもらってきた感じで感謝しきれない。里のスタッフそれぞれもそうした感じを実感として強く持っていると思う。
ただ、そうした思いを書いたり伝えたりするが、ほとんど反応がないのは寂しい。現場では基本的で、重要なことだと思うのだが、「小難しいことを考えて馬鹿じゃないの」といった、めんどうくさそうに厄介者を見るような目が大半だ。実際「また言ってる。あきれる」と言われたこともある。聞きたくもないというのだ
「福祉は、どうでもいい人や、終わってしまった人や、役に立たない人をお情けで面倒見てあげるのだから、よけいなこと考えるんじゃないよ」という意識が基本にあり、市や県の行政はじめ、同業者もほとんど徹底して貫かれている。そうした意識から来る圧力との闘いに、かなりの労力を浪費するのが現状だ。
 焦りにまかせて昨年は内部で「最後の10年、最初の10年」と銘打ってセミナーをやった。私にとっては社会人最後の10年、20代のスタッフにとっては最初の10年という意味だ。人材育成塾と、遺言を語るつもりで張り切ったが、退職者続出となった。ついて行けないということなのだろうか。さらに落ち込む。
「勉強すれば楽に生きられる」と、大人はここ何十年もかけて子どもに言い続けてきた。考えなくても、悩まなくても楽に生きていける社会を必死になって作ってきたのに、今更「悩み、考えよう」などという方が無理なのか。
「福祉くらいは考えよう」と言っても嫌がられるのは当然かもしれない。楽ができると思って社会に出たの 「悩んで、苦しめ」と言われるのでは話が違うということなのか。
 心を使わないですむ便利な社会は、表面はいいようだが、味気なく、生きた実感が薄く、傷つきやすく、どこか辛くなる。生きるエネルギーが枯渇していくのだ。 一方こうしたことに気づき、考えている人のなかに、里を注目してくれる人が増えて来ている。「夢だった銀河の里が実現する日本は捨てたものじゃない」と言ってくれる社会学の先生、「お前らには哲学がある。これからの福祉は哲学がいる」と言う考古学の大御所。日本で一番のグループホームはどこかと聞いたら「銀河の里」と言われて訪ねて来た日経新聞の記者。そう言ったのは東京研修センターのN先生らしい。認知症のドキュメンタリー等を多く手がけてきたNHKのディレクターは2日間泊まり込んで、「里の存在は私の支え」と言ってくれた。「賢治の精神の実在を里に見る」と最大限の讃辞をくれた賢治ファンの臨床心理士の先生。「対象化せず当事者性を生きている」と社会心理の先生。それぞれに長年、現場で取り組み、人間が生きることを真摯に考えて来た人たちだ。
そういう人たちに支えられ、助けを借りつつ、システムや制度を超えて、心豊かなネットワークで繋がりながら、いい仕事をしていきたいと思う。
 スタッフの傾向も、暖かい人間へのまなざしを持ち、深い思索を重ねる方向に収斂されつつあるように感じる。それはシステムで一丁あがりの片を付け、楽を求める方向とは対局の悪戦苦闘能力を必要とするが、スタッフ個々の覚悟の奮闘に未来の希望を託したい。


posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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