2007年03月15日

「食彩空間 悠和の杜」−人間的な味わいを求めて ★ワークステージ 米澤里美【2007年3月号】

 華やかな?オープンの傍ら、スタッフの焦り、不安は最高潮に達し、ぴりぴりとした日々が続く。同じ形、同じ大きさ、同じ味が強迫的に求められ、作るおもしろさ、遊び心が消えてしまう。「違う、違う」と突き詰める日々。
冷凍加工食品は一切使わず、手作りの味わいを求めていたのに、その「違う、違う」で「手作り」ならではの加減や味わいが失われ、機械と同じような量産を「手作り」で目指しているようだった。
 モノ作りは生き方につながるような気がする。個性を持ち、自由で型にはまらない生き方は、規則やマニュアルと対峙する。規則やマニュアルに徹すると全て同じ型となり、個性は失われてしまう。
これまで毎月、ワークステージのレストランで「旬を味わう会」を開催し、私のフルートとピアニストの吉野茂さんと組んで、料理と生演奏を楽しむ会をやってきたが、悠和の杜が開店し、今度はお店で毎週一回演奏することになった。
 ある日、店で演奏していると、年祝いの団体様が2次会で立ち寄ってくれた。そのお客様が入ったとたん吉野さんは、私の全く知らない曲を弾き始めた。年代に合わせた懐メロだったのだ。私は楽譜の譜面を追うのに必至で何も見えないくらいだった。お客様は大合唱になり、昔あったという歌声喫茶状態になった。社交ダンスで楽しんだお客様もいたそうだが、私はそれにさえ気がつかなかった。この年代の方は誰もが歌える曲だが、私が生まれる前の曲ばかり。 楽譜に追いつけなくて、吹けなくてもお客様が歌で助けてくれた。大合唱はしばらく続いた。この感じは何だろう。ある時代が蘇ったのだろうか。吉野さんのことを「先生」と声をかけ、チップを渡す人、「昔俺もバンドをやってたんだ」と懐かしんで思い出を語ってくれる人もいた。30年ほど前、花巻ではキャバレーの全盛期で、12人編成のフルバンドがいるキャバレーが4、5件あったという話も聞いた。
 プロと言うか、おじさん達の熟練した感覚というか、私たち若者世代から、ややもすると効率の悪い過去の人と見捨てられがちだが、このときばかりはひれ伏す思いで「すごい」と感心した。我々の世代には全く失われた感覚、つながる力、共感、何かに触れていて、しかもさりげない。
 同じく、団塊世代の料理長もさすがだった。ご夫婦で来店された奥様が誕生日だった。フロアーから「なにか」と告げられた料理長。「あいよ」と躊躇なく引き受けて、たちまちフルーツ盛り合わせを作り上げた。フルーツも、盛りつけたバスケットもあり合わせだが、それは感動もので輝いていた。生きて経験してきたキャリアがその一瞬の勝負にさりげなくにじみ出る。そんなものは私にも、私の世代にも無縁だ。  
 この日、私は二人のプロの圧倒的な生き様に魅せられた。型にはまらない自由な発想が新しい何かを生む、そしてその発想を積み上げていくとアドリブの幅が効くのだ。規則やマニュアルなんかでは、到底太刀打ちできない、豊かな個性の開花がある。そんなことを彼らのさりげない仕事の技の中に教えられた気がする。  
障がい者が社会に出ることは規則やマニュアルだらけの世間への挑戦だ。個性全開のパワーで新たなる何ものかを創りあげたい。


posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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