餅つきはよくやるので6年目ともなれば段取りも手順も慣れたものである。当初、あれがないこれがないなどと大騒ぎしたことが懐かしいくらいだ。急に「明日は餅つきやろうか」となっても慌てることなくサラリとこなすことが出来る。我々にも「暮らしの力」が6年間のうちについたのだろう。
慣れたとはいえ、餅つきは毎回盛り上がる。高齢者にはそれぞれ流儀があり、あれやこれやと怒鳴りあったり、杵を取り合ったり大騒ぎになる。そこにも、一人一人が歩んできた生活や人生がみえてくる。その迫力に圧倒され感動しながらの6年目だ。
今回、餅つきをしながら忘れられない事がある。この餅米は、昨年の春、Sさんと植えた米ということだ。Sさんは、開所初日に里に来て、これまで一緒に生きてきた人だ。里や里の農業を自分のこととして見守ってくれた人だ。田植のあと、稲も育ち、穂も出揃った8月にSさんは突然逝かれた。毎年のように稲刈りも当然、一緒にするつもりでいたのにできなかったのが残念だった。 Sさんが残してくれたことは沢山ある。稲ばかりでなく、Sさんが植えてくれた種は、私の中にもあるはずだ。それをどう成長させるかが託されているに違いない。「今年からはお前がきちんとやっていけ」とSさんが語るのが聞こえるようだ。
「今年も餅米を植えて育てて見せます」と、Sさんに伝えたい餅つきだった。