2013年05月13日

ケアマネ訪問記 初めて「在宅での看取り」を経験して ★ケアマネージャー 板垣由紀子【2013年5月号】

 年の暮れまで元気にデイサービスに通っていた方が、年が明けてからデイサービスに姿を見せないので訪問すると、体調をくずしたとの事だった。デイに来られるまでに回復されるのを期待していたが、その後入院になった。まもなく病院から「自宅での看取りになるので、ご家族とケアマネで打ち合わせがしたい」と連絡が入った。突然看取りといわれても、私は在宅での看取りのイメージが湧かず戸惑った。関係機関との打合せで、訪問看護と在宅の主治医の紹介があり、退院後の医療体制に見通しが立った。自宅で看取ることに対しての不安が気にかかったが、主介護者であるお嫁さんは「今までも家で介護してきたから大丈夫やれると思う」と頼もしかった。訪問看護の看護師は在宅の看護を病院とは違う感覚でやっていける可能性のある仕事ととらえている方で、そうした理念と情熱をもって独立し開業したという気概のある方だった。私が入浴の回数などに囚われて迷っていると「その方、入浴は好きでしたか?その方が気持ちいいと思うことをしてあげられたらいいと思います」と医療的な管理を軸に考えるのではなく、本人さんの心地よさを優先させる感覚に私も救われ、「いっぱいの気持ちいいをつくってあげよう」と前向きな気持ちになれた。
 ケアプランを主治医に届けると、突然の訪問にもかかわらず直接話しを聞いて頂いた上に「あなたが心配に思うことは何?」と問いかけてもらった。「何でも相談して欲しい、こんな事聞いたら失礼とか思わなくていいから。話をしてくれなければ分からないから」と言われて驚いた。診断にそって医療の指示で動くというだけではない感じを受けた。これなら、在宅の看取りを連携をとりながらチームとしてやっていける。組んでいい仕事ができるのではないかと期待が湧き、心強かった。私は、できるだけ頻繁に訪問して家族さんの気持ちを聞く役になれる。はじめ戸惑いもあった家族さんだったが、点滴後のつやつやと蘇る肌や、入浴のとき見せてくれる気持ちよさそうな笑顔は、家族の懸命の介護に応えるような感じだった。そんなやりとりのなかで家族さんも(本人さんも)「幸せだね」と語られるようになった。
 こたつで息子さんが新聞をめくる音、その向かいで宿題をするひ孫さん。それらの日常が、ご本人の見送りとして、最高のものではなかったかと亡くなられてから感じた。葬儀ではひ孫さんが弔辞で「ひっこちゃんの手が冷たくなったとき、とても悲しかった。僕も頑張って生きる。見守っていて下さい」と語りかけた。在宅の看取り介護を通じて、おばあちゃんの命がひ孫さんに繋がれた感じがあって嬉しかった。
誰もが畳の上で死にたいと願う。つまり自宅で最後を迎えたいという願いがあるのだが、現実としてなかなか難しい。でも今回のように、訪問看護や在宅主治医などの体制が整えば、本人やご家族にとって意味のある大事な時間を持つことが可能になる。それは在宅の看取りを願う多くの人にとって、かなりの朗報になると思う。そうなると死が病院での死とは相当ちがったものに変わってくるだろうし、新たな可能性や世界が広がってくるように思う。今回のケースは、これからの在宅の看取りを支援する上での「希望」を感じさせられるものだった。


posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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