というのも、まりえさんとの言語的コミュニケーションは難しく、かなり限られた言葉でのやりとりに制限される。まりえさんの気持ちや感じは、まりえさんの表情や体の動きや視線、声のトーンなどから推測し感じとるしかない。また、まりえさんの気持ちに波があり、歌を口ずさんだりふきだし笑いをしたりと穏やかなときもあれば、激しい動きで怒りの感情を爆発させるときもある。まりえさんの気持ち・こころの状況が、言葉ではなく体全体で表現されている感じだ。まりえさんのそうした波にできるだけ沿い、まりえさんのタイミングに合わせて、食事であればご飯を口元へ運んだり、入浴の介助や衣類の着脱もすることになる。タイミングがうまく合えば楽しくお茶をしたり、歌を歌ったりという時間も一緒に過ごすことができる。
出会って8ヶ月、食事や入浴の介助や散歩、ショートステイに付き添っての泊まり込みで一緒に過ごす時間を重ねるなかで、まりえさんに触れることができるようになってきたと感じ、お互いに通じるような感じも出ててきはじめた。言語でのコミュニケーションはほとんどないものの、まりえさんの「だん、だん」という言葉も、なにか話しかけてくれたり、外の風景をみて感動を語っているように感じられるようになった。
先日朝の送迎でまりえさんを乗せたあと、ボランティアさんを迎えに行き、家の前でしばらく待っていたとき、助手席に乗っていたまりえさんが私の指の絆創膏をじっと見て、うなずきながら、「いたい、いたい」と話しかけてきた。そして、私の手をとり、私の両手を包み込むように自分の手をそっとのせたので驚いた。このとき私はまりえさんという人間に触れた気がした。私の指の小さな傷をいたわってくれるまりえさんの優しさを感じ、こころがあったかくなった。しばらくまりえさんと見つめあい「ありがとう」と言うと、ニコニコと笑顔のまりえさんだった。
まりえさんとのコミュニケーションは、必ずしもキャッチボールできるとは限らないので、私からの一方的なことが多いのではないかとずっと葛藤があったが、こんなふうに、まりえさんの方から関わってきてくれて、つながれた瞬間の体験は大きかった。