そんな私はスゴイ利用者さんと出会うことになった。龍治さん(仮名)は職員を一日中呼び続ける。呼ばれて部屋に行っても、さらに呼んだり、悪態をついて困らせるので、介護現場の経験の長い職員などは、無視したり、ナースコールを切ったり隠したりすることもあった。私はそれに対して、意地悪にしか思えなくて違和感を感じた。銀河の里で育った職員は、私の違和感を理解してくれて、支えてくれた。
私は龍治さんの部屋にできるだけ足を運ぶようにしていた。龍治さんは会社の幹部として、多くの社員を育て、指揮してきた方らしい。龍治さんは社会人1年のヒヨッコの私に厳しかった。でも、なにもできないけど頑張る意志はあることを伝え続けた。ある時、龍治さんはおまえを育ててやると言ってくれた。三浦ダイコンと軽くバカにして私を呼び、本気で怒鳴ってくれることも度々ある。理事長からは「よかったな、本当に龍治さんに育ててもらえるんだよ」と言われた。龍治さんは、厳しいけど冗談を言ったりモノマネをして笑わせてくれたりなど、調子のいい一面もある。自分にとって龍治さんは大きい存在となっていった。
ある日、龍治さんが、「墓を見に行きたい」と言った。その墓は、自分が建てた、自分が入る墓だという。その墓を生きているうちに見ておきたというのだ。私は即座に一緒に行きたいと思った。そして日程を決めた。
前日の夜、部屋に行くと龍治さんは心の内を語ってくれた。ひとつは“自分が入る墓くれぇこの眼で見て焼きつけておかねぇとな”といういつもの龍治さん。もうひとつは“怖くてよぉ。寝れねぇなぁ”というはじめて見せてくれた龍治さんの本音だった。
当日となり、龍治さんは車いすに乗り、やたら厚着をして玄関へと向かった。その間、ずっと目をつぶりなにひとつ語らず、腕を組んでいた。お墓へ向かう車中も私は息苦しかった。後ろに乗っている龍治さんがなにを考え、感じているのか。時々目を開け、何を見ているのか。その咳払いや手の動き、鼻をすする音までが繊細に聞こえて息苦しかった。
お墓へ着くと、娘さんとお孫さんが先に到着していた。娘さんと会話をしながら、龍治さんが車から降りる準備をしていると、急に雲行きが怪しくなり今にも雨が降りそうになった。「こりゃ急がないと」と娘さんと、お墓の前に向かおうと車椅子を押すが、砂利道のためなかなか進まない。そうこうしているうちにとうとう土砂降りの雨が降り出した。龍治さんも娘さんもお孫さんも、ずぶ濡れになりながらも、なんとかお墓の前に到着する。そして、お線香に火をつけ龍治さんに渡す。ところがなぜか龍治さんはうけとらず、まったく動こうともしない。我々が戸惑っていると次の瞬間、龍治さんがいきなり腕と足にグッと力を入れ車いすから立ち上がった。慌てて私と娘さんとで支えるが、それを振り払うように前に向かって行く。その時には、風が強く吹き、雨が横殴りの雨へと変わって、目も開けられない状態になった。そんな嵐の中で、薄目を向けて龍治さんを見ると、瞬きもせずに立ったままお墓を見続けている龍治さんの姿があった。迫力のある鋭い目つきで、お墓を睨んでいるようだった、、、。
その後、急いで車に戻り、体や顔を拭いて、墓所を離れた。娘さんとも挨拶を交わして別れ、銀河の里へと車を走らせた。帰りの車内でも龍治さんは何も語らず、目を閉じて寝ているようだった。里に着く頃には雨も上がり、また晴れ間が広がっていた。
その日の夜、部屋に行くと、昼間あれだけ口を閉ざしていた龍治さんが普通に話してくれた。「今日はどうもありがとな。俺がずっと眠れるお墓が、目が見えるうちに見れて良かったし、隣にあった古いお墓に眠っている親父とお袋にも会えたしな。感謝してるぞ」と、言ってくれた。
この日の事は、龍治さんにとってどういう意味があったのか、自分が龍治さんと同じ歳で同じ立場になるまではわかり得ないのだろう。けれど、その日まで、この日のあの感覚や目つきは絶対に忘れないでいたい!
この夜、私は龍治さんが寝付くまでベッドの横にいた。眠りにつく直前「三浦さんありがとや」と言ってくれた。三浦ダイコンがこの日初めて「三浦さん」になった。