2010年11月15日

豊に暮らすということ 価値観と美術館設立 ★北海道当麻かたるべの森,ギャラリーかたるべプラス施設長 横井寿之【2010年11月号】    

 福祉施設の運営には理念が必要だと思っている。銀河の里に集結した人達は、銀河の里の理念に共鳴して参加したことと思う。単に障がい者の支援をしたいと言うことであったらなにも銀河の里でなくてもいい。当麻かたるべの森の理念は一つには、入所施設によらない福祉と言うことである。さらには障がい者が自己実現できる創作的な活動を日中活動の一つの柱とすること、そして自然と共生して生きるということである。
 障がい者施設に於いては、日中活動の作業でさえ、創作的な活動であり、芸術的な活動であると思っている。難しいことかもしれないが、農作業といえども私は芸術的でありたいと思っている。そう意識して活動すべきだと思っている。
 当麻かたるべの森を設立するまでの30年間、私は沢山の障がい者施設を見てきた。そして、片手で数えられる程度のほんのいくつかの施設以外、共感することはできなかった。通所授産施設は一人あたりの基準面積も少ないため、多くの施設は小さく仕切られ、仕事場は、狭くて、作業場のようなものであった。下請け製品が山のように廊下まで積まれていたりしていた。そうした建物は、作業をするための作りであって、人が豊に過ごすための建物とは思えなかった。こんな建物では、一般の人や地域の人達が決して足を踏み入れたいとは思わないだろう。働くことばかりが強調される援助の考え方では、それは当然であったかもしれない。しかし、通所授産施設といえども、私たちはどんなに豊かな生活を援助できるかということが理念でなければならないと思っている。障がいの重たい人もないがしろにされることなく、一人一人が尊重され、多様な活動を保障される豊かな人生を支援することが福祉の理念でなければならない。
 かたるべの森の最初の本体施設である20人の通所授産施設をどのように設計するか、どのような施設の名前にするか、それすらも私にとって、重要なことであった。お金もないのに東京でも有名な設計事務所に設計を依頼した。そして、「障がい者施設のイメージでなく、ギャラリーのような施設を設計してください」とお願いをした。そして、施設の名称も「ギャラリーかたるべプラス」とした。利用者の絵画作品を展示しても違和感の無いようなギャラリーのような施設としたかったからである。そして、地域の人達が、この施設で講演会を開催したいとか、自分の絵画を展示したいとかそんなふうに気軽に訪れることができる建物をまずはベースにしたいと思ったからである。さらに日中活動の一つに創作活動の日を設けた。それは主に絵画制作が中心になり、週一日の絵画制作の日で利用者が描き貯めた絵画は6千点にも及ぶようになった。かたるべがスタートした当初から私は、コンサートホールと美術館が欲しいと思っていた。自前で美術館を建てるというのはあまりにも途方もない夢だから、現実的には学校が閉校になったら、それを借りて美術館に改修して、利用者の創作作品、芸術作品といっても良いと思うが、それらを常設展示することができる美術館が欲しいと思っていた。3年前に当麻町の小学校が2校閉校になっているのを知って、ただちに教育委員会に借用を願い出た。そして、この5月、念願であった「かたるべの森美術館」が完成した。それは当麻かたるべの森にとって極めて大きな意味を持つものである。「絵を描く」という活動が、障がい者の一つの自己表現の方法であり、自己実現の方法でもあるにもかかわらず、「絵なんか描いて何になるんだ」という考えが、圧倒的であった時代の価値観を変えることができたからである。そして、美術館を創ることに確信を持たせてくれた担当者の10年に渡る着実な取組があったからである。このことの意義がわからないものに創作活動の持つ意味がわかるはずがない。
 私たちが取り組む障がい者福祉の実践は、新たな価値観の創造なのだとつくづく思うのである。
posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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