2011年02月15日

正月帰省で考えた事 〜つながりを失った時代〜 ★ワークステージ 佐々木哲哉【2011年2月号】

 年明けに神奈川の湘南国際村で福祉主事の受講に行った。横浜の実家から通える場所だったので正月の帰省に合わせて久々に実家で数日を過ごした。
 横浜は岩手の寒さに慣れた身には暖かく心身が緩んだが、楽過ぎて居心地が悪くもなった。実家のベッドで横になっていると、かつて部屋にこもりがちだった日々がよみがえり、その後の沖縄での日々や、今の岩手の暮らしが長い夢のように錯覚しそうになって一瞬ゾッとした。自然の厳しさや暮らしの苦労は、気持ちを律してくれているように思う。
 目にとまった朝日新聞には「孤族の国」と題して特集を組んでいた。アパートや自家用車の中で人に気づかれず亡くなっていく単身の中高年の孤独死や、就職や対人関係がうまくいかずに引きこもったり、新興宗教やネットにのめりこむ若者、高齢者となった親と息子の老老介護、所在不明高齢者の遺体を放置したまま親の年金を受け取り続けた息子‥‥など、会社や家族に頼ってきた人々が職や伴侶を失ったり、あるいは関係が希薄になって追い込まれていく現代が抱えた生々しい姿を報道している。とりわけ北九州市で起きた39歳の餓死事件や、自らの自殺をネットで予告し動画サイトで中継した事件はショックだった。また、身元が不明の引き取り手のいない「行旅死亡人」、身よりのない遺体の遺品整理する専門の会社の存在、10分が千円という有料の話相手サービス、傾聴ボランティア‥‥等、信じられない思いと同時に「ひとごとではない」現実が重く心に残った。

 生きる意欲や生きがい、ひととのつながり、自分が必要とされている手ごたえ‥‥私自身そうしたものを求めていたと思う。10数年前、“生きるちから”を身につけたい、と意気込んで都会でのサラリーマン生活に見切りをつけ、東北の農家で自給自足の暮らしを追求した。しかしそれは私の劣等感の裏返しであって、束縛のない自由はかえって理想の自分と実力のない現実の自分をいやがおうにも見せつけられ、他者との関わりを閉ざしてより自己完結に向かう虚しさを感じ、何を目指しているのか分からなくなり悶々とした日々に追い込まれた。冬に寒さがつのる中、誰ともつながれないような不安に追いつめられて雪の中を逃げるようにオートバイで鹿児島まで走ったあげく、船を乗り継いで日本の最西端の離島、沖縄・与那国島に行き着いた。そこでしばらくサトウキビ刈りの仕事に没頭するのだが、思えば無茶苦茶な旅だった。しかしそれは当時、自分を肯定できる唯一の自己表現だったと思う。
 引きこもりの青年が起こした無差別殺人事件も、ネットの世界で繰り広げられる非現実的な殺伐としたコミュニケーションも、現代の若者の心の特性の一端だろう。手にナイフや銃を持つか、筆やギターを持つか、それらを内に向けるのか外に向けるのか、その表現方法も案外紙一重のところにあるように感じる。叫べる場や、つながれる関係を誰もが深いところで求めている時代ではなかろうか。
 孤独感や孤立状態は、経済的な豊かさや家族、恋人など身近な存在の有無に関わらず忍び寄ってくる。むしろ表面上の経済的安定や親子や夫婦という体面をまとっているほうが見えにくいぶん深刻な孤立をもたらすのではないか。今回の帰省中に読んだ『“家族”という名の孤独』(斎藤学 著 講談社文庫)では、DVや児童虐待をはじめ、子どもへの過剰な期待や、問題を家族内に閉じ込めようとする、一見「普通」の家族が抱える共依存的な関係を考察している。現代の家族が抱える負の連鎖に滅入ってしまった。

 実家では、病弱になった母に代わって、父がなれない手つきで家事をこなしていた。かつてフリーター生活の私の生き方を巡って激しく対立した父の背中が、小さく見えた。その両親と一緒に、97歳の祖母を病院へ見舞いに行った。
 祖母は寝て過ごしている時間が長いが、閉じていた目を開けるといきなり私がいたので、一瞬びっくりしたような顔になった。銀河の里にいながら、まだまだ言葉に頼らないコミュニケーションに不慣れな私だが、手足や髪をさすりながら声をかけ、食事の介助も初めてした。
 その前日、姉が、かつて祖母が正月に仕込んでいた、サケを大根ではさみ塩麹で漬けたすし漬けを作って病院に届けた。そのすし漬けの香りを嗅いだ祖母は突然言葉を発し反応したと感動してその様子をビデオで見せてくれた。これは私も嬉しかった。
 この正月休みは家族だけでなく、小中学、高校、大学、福島、沖縄‥‥と過ごした時代の友達とも再会した。時が流れ、それなりの地位や家庭を得ても、少しお腹が出っ張ってきても、以前と変わらない人柄に再開した。懐かしい話や、たわいのない話、「ほんとうに大事なものって何さ?」というストレートな問いかけを通じて、普段は会うこともかなわず、メールですら滅多にやりとりしない級友と、つながりを確認することができた。身近な存在も大事だけど、血縁や地縁と関係ない友人や知人の存在もまた大きく、自分を冷静に見つめ直したり再発見したりできて有り難いと思う。
 孤独は受け入れ付き合っていくしかないが、孤立は避けたい。

 面接授業の行われる葉山は、御用邸もあるだけあって、空気が澄んで海も穏やかで相模湾の向こうに富士山が望める景勝地だ。研修中は昼休みには、車で毎日海岸に出ておにぎりなど食べた。ある日、眺めのよい高台にひなびた老夫婦の営む食堂があった。そこで隣の席のおじさんと話をした。たまにこの食堂に来るという地元に住む初老のおじさんは「最近、海のスポーツを始めてね」と活き活きとした表情で語ってくれた。それはウィンドサーフィンで、彼は64歳だというので驚いた。
 孤立しがちな時代にあって、壁を作ったり線を引いたりせず、心の扉を開いていけば、人はいろいろ拡がってつながっていけるはずなのだが‥‥温暖な海風と陽光を浴びながら、忙中の間をすごし、色々考えさせられた正月休みだった。
posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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