外部の研修会で、ある特養の職員から施設の回診の様子を聞いた。回診日は慌ただしくその準備に追われ、体調不良者を除き、入居者は食堂に並ばせられDr.を待つそうである。その時Dr.の前で入居者は、一人一人が持つ世界を理解されることもなく、一患者でしかなくなるのだろう、その光景を思い浮かべただけでゾッとした。
だいたいの医療機関では、「認知症」と聞くだけでひどく毛嫌いし、受け入れを断ったり、予定の入院期間より早々に帰されたりすることが度々ある。実際GHの入居者が転んで、腰のレントゲンを撮るために横になってもらいたいのだが、じっとしておられず、その様子に、「こら!静かにしなさい!!(おまえら)こんなジサマみてるのか!」と付き添いの私たちが怒られた事もあった。
診察室でのDrとのやりとりも、大体が殺伐とした人間味のないものとなる。現実とは異なる認知症が持つ世界には理解は示されず、本人の心は取り残され、診察はほとんど見てもらえなかったりもする。治療が目的のサービスだから、必要のない世界の理解はしないこともわかるのだが、付き添っていて傷つくことは度々あった。
そんな現状に辟易させられることが日常的ななかで、銀河の里の特養の嘱託医である富塚先生はとても人間的で柔軟な対応をしていただけるので、銀河の里にとってはとても幸運だったとつくづく思う。
先月号でも触れたコラさん(仮名)は、神経症と自分で言うだけあって、体調をことのほか気に掛ける。気にしすぎるから具合が悪くなるんじゃないかと思うくらいだ。そんなだから病院が大好きで、以前は総合病院の全科を一日かけて回り、「全て異常なし」ということもよくあった。
先月から特養に入り、かかりつけ医が富塚先生になってからは、回診の度にあれこれ訴え、先生を独り占めにする勢いだ。「最近クラッと目眩がするんだよ・・・。おしっこ出るところがジリジリづいんだよ。あっちもこっちも・・・」訴えは尽きない。それに対して先生は静かに語りかける。「それはね、年を重ねると老化って起きてくるんだよ。でもね、いい薬があるから出しておくからね。ご飯に混ぜて出すからちゃんと夕飯から食べてね。」ご飯に混ぜるわけはないのだが、コラさんの気持ちはちゃーんと受け止めてやりとりしてくれる。気になりすぎて険しい表情だったコラさんも、回診のあとは安心したようでニコニコ笑顔がこぼれる。
特養が始まった年、ガンの末期の男性が入居され、4月に入居されて9月までの半年をお付き合させていただいたことがあった。ガンの進行と共に、徐々に食べられなくなっていく中で、冨塚先生はその方の生まれ故郷の話や、好きだという野球の話をしながら「何か食べたいものはない?」と声を掛けられた。その方は生まれ故郷を思い出し「八戸のイカの刺し身が食べたいなぁ。」と話された。先生は「じゃ、俺活きのいいやつ持ってくるから。」と回診を終え一旦帰られた後、わざわざイカ刺しをその人のために届けてくださった。
特養では看取りの場面も重要な仕事になってくるのだが、そこでも富塚先生の繊細なやりとりに助けられてきた。御家族と特養での今後の経過の予測や、特養で出来る医療や対応について説明し、何度かに渡って家族の気持ちや考えを確認する。家族とのカンファレンスの中でも先生はその方の生い立ちや生きてきた軌跡などに思いをめぐらせてくれる。
そんな先生の雰囲気に触発されて、ご家族も生い立ちや思い出話などをしてくれた。この方が亡くなられたとき、深夜の呼び出しにもかかわらず応じていただいて、家族全員が揃うのを待って死亡確認をされた。看取りをする上で、本人や家族の思いも受け止め、家族の心情もしっかり受け止めていただいている。
銀河の里らしい特養をつくっていこうとするとき、富塚先生のような先生と巡り会えたことは本当にありがたいことだと思う。