*ワーカーと一緒に和太鼓の練習をする佐々木(左)
新年1月3日にこの原稿を書いている。振り返ると本当に矢のように過ぎた一年だった。
個人的には、1月から3月は、前職で県内33市町村のうち25市町村ほど一人で営業に回り、初めて足を踏み入れた市町村も多かった。そんな中で役所の照度と組織の風通しの良さは比例するな!と(勝手に)感じたり、仕事で一緒に組みたいか組みたくないかは割と一瞬でわかるな!と(勝手に)思ったり、学びは多かった。私は元々初対面が相当苦手な人見知りなのだが、やればなんとかなることがわかった(苦手だったプレゼンも準備を重ねれば楽しみになることがわかったし、めんどくさそうな対応をする役所の人にも心折れずに「次いこ!」と思えるようになった)。苦手意識で敬遠している事柄の中にも結構楽しみが隠れていることもあるというのは私にとって大きな発見だった。
4月から銀河の里に就職してからはさらに怒濤の日々となった。赴任の前だったが、3月には研修に参加し人生で初めて能を観て自国の文化に衝撃を受けた。行きたかった美術展にも行けて「やっぱ東京もいいな」と思ったりした。その後、銀河サロンや銀河セミナー、よりあい広場に参加し、茶道を習い始め、長野の戦没画学生慰霊美術館 無言館に行って、ズドンと重いものを感じた。ブーケレタスを育てる千葉での5日間研修では、栽培の技術や収穫サイクルを学ぶ機会を得た。学会のシンポジウムを聴いて女神の話に感激し、つくばの自然生クラブに出会ってワクワクし、新卒採用のイベントに同行してその大変さを知り、夏には海に行って人との距離が縮まった。ずっとやりたかったさんさ太鼓を初めて叩いて、例大祭で神楽を観て価値あるものがさりげなく身近に在ることに驚き、場のシンポジウムに出て畑は違えど近いことを考えている方々のお話にホクホクして、事例合宿ではあれこれとイメージが誘発させられ、さらに林英哲の太鼓を聴いて、京都の箱庭学会に参加して、自然生の芸術祭で太鼓を叩いて、ついでにJAXAに行けて、はせさん・亜紀さん・小濱さんと銀河の里で太鼓を叩けて演奏も聴けて、12月にはインターンの募集フェアに参加して新しいご縁も生まれて。9か月の間にこんなに色々と経験ができ、グッとくる体験ができて、非常にありがたいと思う。反面、短期的には還元しにくいことばかりで、今後どう銀河の里で活かしていけばよいのか、ごちゃごちゃと考えている。まずはとにかく下手くそでも面白くなくても恥を忍んでとりあえず書くことかなと思っている。書いて、自分の中で整理して、残して、少しでも誰かと共有できる形にする。それから何か生まれると信じて、書き続けようと思う。
研修以外にも、もちろん銀河の里の中では書ききれないほどの大切なことが日々起こっている。量として書ききれないこともあるし、まだ自分の中で納め切れない出会いもある。特に一緒に過ごしているワークステージの利用者さん達から、教わることがたくさんあり、泣きたくなるほど助けられる時もあるし、日々、自分の課題を突きつけられる。陽の光の下で体を動かす時間もあり、死にたくなるほど時間に追われるわけではないし、メンタル的には割と安定できる環境ではあるのだが、一方で自分の課題と向き合わざるを得ないので、深いところでなかなりハードな職場だと思う。
納めきれない出会いの一つとして、渦中だが少しだけ私とSくんのことを書く。SくんとKくんがぶつかった時に私が間に入ったことをきっかけに、折に触れてSくんが私を突き飛ばす、という関係が始まった。その行為は他の職員への気持ちの表現の一つではないか、成長過程として必要な行為なのではないか、と見立てを持ちながら今はみているが、なぜそのような関係になったのか考えても正直わからない。これからも彼との関係については丁寧に考えていきたいし、起こることを楽しみにしながら、一緒に過ごしていきたいと思っている。その上で、やはり「なぜ」ということを考えるときに、「何がそうさせるのか」「私が何か悪いことをしたのか」と考えてしまう。そんな時、施設長からこんな話をされた。「彼が、あるいは障害をもつ彼らが、いわれない暴力を受けてきたということの現れなのかもしれない。それは彼らが生活の中で浴びる無遠慮な視線のように無言の暴力かもしれないし、実際に何か言われることもあるのかもしれない。そんな暴力を今も受けているのかもしれない。それが逆転する形で、いわれない暴力をあなたが一時的に受ける立場になった。それに対して、周りのワーカーが、『大丈夫?』と声をかけたり、怒ったりする。そんなことは今までなかった事で、ある意味貴重なことなのでは」と。プロはこんな見方をするのかと震え、少し救われ、同時に大きな課題を突きつけられた瞬間でもあった。
彼が(彼らが)正当な理由や根拠のない暴力に日頃さらされているとすれば、その問題を解決するのは相当に大きなことだが、今ここで起こっていることを根本的に解決するには、一朝一夕では消えない社会の偏見に立ち向かう必要がある。否、“立ち向かう”という表現は個人的にあまり好きではない。敵ありきの言葉で、どこかむなしい響きを感じる。私の敬愛するマハトマ・ガンディーが貫いた非暴力・不服従の精神に反するような気もする。認め合い、いつのまにか自然に共に在ることが理想的だ。多様な人が認め合い、生きていても良いと思える社会をつくること、田舎でそれを実現することが私個人の人生のミッションではないかとも思っていたりするので、彼らは私の同志というか、仲間のようにも勝手に感じる。その上、ちょっと「変」「変わっている」と思われることが多いSくんについては特に、密かな共感がある。
私自身、家族や仲の良い友達など、私をよく知っているはずの人であればあるほど、私を「変だ」「よくわからない」「ちょっとおかしい」と評することがあるし、いわれない社会の暴力や無言の圧力で心を抉られることもよくあるからだ。本当なら「私も同じだよ」「あんまり気にしないで、自分らしく頑張ろうぜ」と声をかけたいのだが、今は“突き飛ばされる”関係なので、それを伝えるどころではない。しばらくは(何年かは)この関係が続くのかもしれないけれど、いつかそんなことを伝えられる日が来たらと願っている。
銀河の里は一見、花巻・幸田の自然豊かな環境で時間がゆっくりと流れるところではあるが、同時にそこは社会の課題と、生々しい利用者の人生と自分の人生とに向き合わざるを得ない状況が渦巻く戦場でもある。里には濃密で刺激的な時間が流れていることは間違いない。他にも、貴重で印象深い出会いはたくさんあるのだが、もう少し先になって紹介できるようにしたいと思う。
さて、前回の通信で「カレーの場づくり力」について書いた。研修合宿の場は「与贈共同体」ができやすい。与贈共同体を実感する機会として優れている。さらに様々な研修でカレーを作ってきて、場を作るのはカレーなのではないか、チームビルディングにおいてカレーは有用であると感じている(与増とは、「自分があげた」という事から自分の名前が消えるようなあげ方のこと。与贈が増えると、居場所に〈いのち〉の与贈循環が生成し、生活体が共に生きていく「与贈共同体」ができる)。
長野合宿でカレーを作り、事例検討合宿でカレーを作り、つくば合宿でもカレーを作ってきて、私はつくづくカレーのすばらしさを感じた。一つ例に出すとすれば、つくば合宿でのこと。そこには「与贈」があふれていた。それぞれが居場所〈場〉のために与贈し、場の〈いのち〉が生成していたように感じられた。キッチンに立ったのは陽子さん(WS)と今野さん(GH2)だ。年少組だが二人とも効率よくテキパキと工程を進める。手際も良く、それぞれの部署の中核である二人が言葉少なに相手の動きを見ながら必要な動きを判断し、スムーズな分担をしながら作業を進める姿はさすがだなぁと惚れ惚れする。合宿の場はかやぶき屋根の民家で、その近くに住むこの民家の管理人でもある長坂先生(立教大教授)も合宿に参加された。先生の隣で火を起こす補助をしながらお話をしているのは万里栄さん(TYほくと)だ。先生との距離を縮めたのは万里栄さんだったと思う。さすがのコミュ力で二人の会話は途切れることがない。実に適材適所だ。一方では庭から、ブゥーンと草刈機の音。上下つなぎの長靴完全防備の戸來さんが庭の伸びた草刈りをしている。ちょっと周辺整備もお願いします・・・と言われて全く手を抜かない。礼儀に厚く、いつでも追うべき姿を背中で示してくれる、さすがの副施設長だ。酒井さんも草刈り隊に参加した後、みんなにビールをついで回って、「おっ、おつかれさん!」と声をかけて回って、全員に気を配り、本当にお父ちゃんみたいだ。「これ風呂湧くかな?」なんて他の人が気付きにくいところにも先回りして目が行くのも、さすがユニットを引っ張るリーダーだ。赤坂さんは食器を準備したり、テーブルの準備をしたり、誰も見ていない地味なところでものすごくいい働きをしている。チームがチームとして成り立っているのは赤坂さんのように、いつのまにか必要なことをしてくれている人がいるからなのだと思う。今年の4月から銀河の里のメンバーに加わる舞踏家の太田さんは鎌を使わず素手で草を刈っている。この場の生き物の一つとしてそこにいたいのかな、草木に遠慮してるのかな、と想像しながらその姿を見ていた。草を刈っているのか踊っているのかわからない動きに味があって、なんだか勝手に嬉しくなった。
私はというと、調理に動いてもかえって邪魔してるかなと思い、草刈りしても大して役に立たないなと思って、なんだか全然役に立てねぇな!と思いつつ、みなさん各々の働きと全体の動きを見ながらただただ感動するばかりだった。
もちろん食べる時も「カレーが場を作る」重要な時間だ。作る、というより、そこに「場」が現れてくると言ったほうが正しいのかもしれない。これからも機会をみてみんなとカレーの時間を共有したい。皆さん今年もカレー、作りましょうね!