2016年12月03日

TOP画 「結 -yui-」 ★ 佐藤 万里栄【平成28年11月号】

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*続けて、あまのがわ通信「家族とともに〜私を支える場所〜」佐藤万里栄もお読みください。
 このTOP画にまつわるエピソードになります。
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2016年12月02日

家族とともに 〜私を支える居場所〜 ★ 特養北斗 佐藤万里栄 【平成28年11月号】


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 繁さん(仮名)と出会ったのは4年前のことだった。私はグループホームから特別養護老人ホームに移ったばかりの頃で、右も左もわからない私を父親のような存在感で支えてくれた。
 若い頃、国立競技場を作るのに駆り出されたりして、腕の確かな大工さんだった繁さん。どっしり構えてユニットを見守っている繁さんの姿は大きな山のようで、慌ただしく過ぎていく特養の毎日の中での、私にとって心の拠りどころだった。「ヒロ、ケン坊、がんばってらか〜」と斜め上をながめて孫さん達を応援していたり、背格好が似ているスタッフを「ケン坊♪」と呼んで笑ったり。娘さんの名前を呼んでいる時に、女性スタッフが娘になって「どうしたの〜?」と返事をすると「こんな時間に出かけちゃだめだ〜」とお父さんの一面を見せてくれたりもした。ある時には大工の親方らしく「この建物は建てて何年だ?いい家だなぁ」と語ったり、「この柱なんだ!こんな仕事じゃだめだ!」とテーブルの脚をたたいて強度を確かめたり。繁さんの中には、まだまだたくさんの仕事が残っていた。

 ある日、「家に帰る!」と車イスを乗り捨てて立ち上がり、スタッフに支えられて一歩一歩しっかりと踏みしめ歩いていく繁さん。私は、繁さんの、身体を超えた途方もない「家」と「家族」への思いを感じた。
今年9月の誕生日に「欲しいものある?」と聞くと「いっぱいあるよ」と言う。「一つ教えて」と頼むと「自分の家」と教えてくれた。繁さんは昔、自分の家を建てようと木材を集めていたそうだ。私はその言葉を聞いて「誕生日には繁さんの家を作ろう!!」と決めた。
 「どんな家が良い?」と聞くと、ある日は「二階建ての…白い家。屋根は黄色」、またある日は「ドアが4つ、窓が12個」といろいろプランがあるようだった。私は悩んだ末に、粘土で家を作ることにした。そして誕生日の当日、私は粘土の家を、ユニットスタッフの勝浦さんと洸樹くんはお菓子の家を作ることにした。
お菓子と粘土の家では大工の繁さんに怒られるのでは…とちょっとドキドキ…だった。最初は鋭い目つきで、私たちが悪戦苦闘しながら各々の家を組み立てていく様子を見ていた。私たち人足の現場の仕事ぶりを大工の棟梁の繁さんが監督している感覚になった。言葉がないのが余計に緊張感をもたらせた。繁さんも修行時代、こうして親方の視線を感じて家を建てたのだろうと思った。
 私の家はその日の内には完成をみなかったけれど、まず先にお菓子の家が完成した。繁さんは「嬉しいよ」「ありがとう」ととても良い表情で言ってくれた。その上、自分の誕生日なのに「皆で食べろ!」と振る舞ってくれた。ひとつの家の完成を皆で喜ぼうとする姿勢に、私は、繁さんの中にある「家」の存在の大きさをしみじみと感じた。

 10月に入ってから繁さんは足の血色が悪くなり、一度大きな病院に入院した。医療管理の面から考えて、そのまま病院でターミナルを迎える話もあったが、家族さんが「ぜひ銀河の里に戻りたい」と言ってくださった。そして10月12日にユニットに戻り、看取りをすることになった。寝たきりになった繁さんではあったが、ユニットの大黒柱として、言葉やしぐさを通じて、その存在感は全く変わらなかった。
 娘さんご夫婦やご家族の方々が毎日面会に来られ、「今日はどうですか?」「何かしゃべってらっけ」「さっき起きて手が動いてたよー」と繁さんのさまざまな話題で盛り上がり、周りは家族さんやユニットスタッフで、明かりが灯ったようだった。
 繁さんはお孫さんが大好きだった。そのお孫さん二人も長期休暇をとって東京などから面会に来られた。お二人に協力してもらい、繁さんは久しぶりに入浴することも出来た。孫さん達が小さいころは繁さんとお風呂に入っていたという。「おじいさんの入れる風呂は熱くて入り難かった」という孫さんならではのエピソードも教えてくれたりして、ほのぼのとしたいい時間を過ごすことができた。

 ターミナル期に入って繁さんは、「家」や「家族」を自分で引き寄せてユニットの中に作り上げていた。それはとても自然な形をしていて、いつの間にか私はユニットに居ながらにして繁さんの「家」に入れてもらっているような感じさえした。繁さんは、特養に入居しながらも「家」や「家族」を傍にしっかり感じていたと思う。
 体力は衰え、身体も弱っていくのだが、そんな身体を抱えながら、繁さんは何一つ手放そうとしなかった。日が経つにつれて言葉が出なくなっても、家族さんや私たちの問いかけには微かな身体の動きなどで反応してくれる。そこに繁さんの感情の動きを確かに感じた。いつも仕事をしているようで、両手は天をかき集めるようにして動かし、忙しそうだった。「上手くいった?」と聞くと、にんまりと返してくれることもあった。たまに頭の後ろに手を回したり、腕組みをしたりして悩んだようなポーズもとっていた。上手くいかないこともあったようだ。
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2016年12月01日

銀河の里のエキサイティングな日々 ★ 施設長 宮澤 京子 【平成28年11月号】

【朝のスタート:申し送り】
 毎朝8時30分から、各部署の日勤者が集まって「朝の申し送り」が始まる・・・ことになっている。銀河時間は、世の中の時間とは少しずれているようで「5分前行動」を合い言葉にしているのに、何故か「5分遅れ行動」が常態化している。悪いことに、終了時間を9時に決めているのにエンドレス・・・なんてこともしばしば。
 かつて私が東京で勤めていた特養ホームの朝礼は「○○さん、夜間不穏状態が続き、睡眠不足」「○○さん、昨夜熱発。水分摂取、クーリング実施で今朝は平熱」「○○さん、排便マイナス4日目、下剤2錠服用で反応便あり」「○○さん、食欲不振が続き体重2s減」「一般状態、特変ナシ」といった具合で、100名の入居者の申し送りが、ほんの15分で終了し、その後、スタッフは無表情にラジオ体操をして解散になる。申し送りの内容は健康状態に関することがほとんどで、スタッフの誰もが「淀みなく簡潔にかつ事実のみ」を述べる。その当時の私は、それが当たり前と思っていたが、今思うと、入居者は「ケアされる人」というだけの認識だということが暴露されている。「なんと暴力的で管理的な内容なのだろう」と寒くなる一方で、「なんて、もったいない」と悔しさで熱くなる。

 里の申し送りは全く違う。まず今日の全体の予定を私の方から伝え、デイサービス事業所(以下、デイ)は、利用人数と活動予定を伝えた後、昨日の様子を語る。曜日によって人数も利用者の顔ぶれも違うので、どうしても新しく利用された方への注目や武勇伝をもつ個性豊かな方達の印象が強く残る。次は居宅介護支援事業所(以下、居宅)で、ケアマネから在宅の要介護高齢者の状況やサービス関係機関との調整等、また地域のインフォーマルな社会資源についても語られる。施設サービスと在宅サービスの両側面を常に意識することが出来る場でもある。次は、障害者就労継続支援B型事業所ワークステージ銀河の里(以下、ワーク) で、利用者の出欠状況、行事等の予定、農業班(田んぼ・リンゴ)・ハウス班・惣菜班等の作業内容が伝えられる。ワークの利用者は、そのほか各事業所に介護補助として入っているので、高齢部門と障害部門が一所で申し送りをすることの意義は大きい。暮らしの基盤が「農業」にあることや、高齢・障害の制度の縦割りをなくして「里」として統合していることの意義はさらに大きい。ワークの申し送りの特徴は、利用者の溢れ出たエネルギーが爆発してぶつかり合っているケースや、「仕事や仲間のこと」「家族のこと」そして「私の気持ち」が絡み合って「もやもやする」が主訴の相談事が多く、「頭が痛い」「お腹が痛い」と症状が身体にも現れる。確かに、このように申し送りしている最中にも「どこだ、どこだぁ、陽子さん(相談支援員)は、いるかぁ」と事務所に飛び込んでくる正孝さん(仮名)。「僕は、今日、どうしたらいいですか!」と声高かに同じ問いを連発する。自分のスケジュールの確認のように聞こえるが、彼の中ではスケジュールの訂正や変更を許さない頑なさがある。私の顔を見ると必ず「施設長は、今日、何をしますか!」と問うが、返事を求めているわけではない。日々の日課は勿論、週間や月間の予定さえも頭に刻み込まれており、誰よりも早く変更に気づき情報も速い。確かに銀河の里の広報マンであり、悔しいが、管理者の私より里全体を把握している。申し送り終盤頃には、ワークの利用者4〜5名が列をなして支援員を待ち構えている。彼らの喧噪にも負けず、申し送りは続く。

【銀河劇場】
 これからが「銀河劇場」の始まりなのだ。グループホーム(以下、グループ)は2ユニットあって、認知症の方9名が一つ屋根の下、共同で暮らしている。24時間365日の暮らしの主役達だ。ほぼ毎日18名の個別の様子が伝えられ、誰一人「特変ナシ」の人はいない。それどころか、「○○さんと○○さんが」とか、「スタッフの○○さんと○○さんが」といった関係性のエピソードが語られる。日々のエピソードのほとんどが「謎かけ」を含む事柄なので、後日の申し送りでその進展を聞きながら「なるほど」と頷き、「うそぉー」と驚き、スタッフにどよめきがおこる。どんなプロセスになっていくか、みんなが注目し、時に自分の見立てがいかに甘いものであったか思い知らされるのである。みんなで大笑いして、申し送りを聞いた後は、すでに一日が終わった感に襲われることもしばしばだ。いやいや、スタートはこれからだ。

【部署巡回のひとコマ】
朝の決済等の事務仕事が一段落して、「各部署巡り」と称してお茶をいただきに、まずグループを訪問する。「おはようございます」と言って戸を開ける、正面に控えているキクさん(仮名)が新聞を広げてにっこり会釈をしてくれる。「あら、いつもどうもね」と、真っ先に声をかけてくれる澄子さん(仮名)。「奥さん、今年も宜しくお願いします」とお正月の挨拶をしてくれるサチさん(仮名)。キラキラと目を輝かせ両手を広げて「いらっしゃーい」と迎えてくれる虹子さん(仮名)。カブ(膝かぶ)が痛いと言いながらも雑巾がけをしているツキさん(仮名)。おっと、ソフェで居眠りをしている光雄さん(仮名)、その幸せそうな表情に、ほっこり。新しく入居になった銀子さん(仮名)は、すっかりなじんだ様子で椅子に座っている。私が近づいて「宮澤と申します」と挨拶をすると「あら、宮沢りえさん?」とうれしい返しをしてくれる。「残念!宮澤京子なんです」と言うと「そう、京都の京ですか?」と、これまた古都の美しいイメージをさりげなく伝えてくれる。「いいえ、東京の京です」と、バカな返しをしている私。その様子を、観音様のように微笑んで見てくれるキミさん(仮名)。まずはみなさんへの挨拶をし、私はいつものように、ひっそり畳椅子に座っているユウさん(仮名)の隣に座って、肩もみをさせて貰う。朝は身体の動きが悪いと言うユウさんの背中全体を、軽くさするところからはじめる。小さかった頃に私は、肩凝りだった母親の肩もみをするといつも「お前、筋がいいよ」と褒められていたので、今も肩もみにはちょっとばかり自信がある。ユウさんの肩と背中を終え、少し固くなった首筋を触ると「そこそこ、効くなぁ」と目を細めてくれる。足も硬く腫れているので、軽くタッピングしながら椅子の上に両足を挙上して貰う。私なりのプログラムを終了すると「いつも悪いなぁ、オレばり良い思いして」と小さな声でお礼を言ってくれる。胸がジーンときて「こちらこそ、有難う」と俯いてしまう。頃合いを見て、スタッフが私達の前に小さな折りたたみテーブルを出して、二人分のコーヒーとお茶菓子を用意してくれる。幸せなひとときが過ぎる。「今日も一日がんばるぞー」という暖かい気持ちに包まれたところで、深くお辞儀をしてお暇する。ところが、たいていユウさん・ツキさん・澄子さんは玄関まで見送ってくれるので、双方お辞儀の応酬となり、私は靴も上手く履けないまま外に出ることが多い。

【銀河劇場:特養編】 ― 障子Open
 特養ほくとの繁さん(仮名)がターミナル期を迎えており、私がお部屋を訪問すると、窓の障子が開いて明るい日差しと外の景色が飛び込んできた。道を挟んで我が家が建っている。そうか、私が2階で毎朝歯を磨くときに眺めている特養の部屋は、繁さんの部屋だったのか、と今更気づく。娘さんがいらしており、私も少しの時間一緒にいさせて貰った。「繁さん」と言って手を握ると、しっかり握り返してくれて、目もうっすら開けて、こちらを見てくれている・・・手の力に込められた繁さんの思いが、私の手を伝ってきてうれしかった。
繁さんの部屋を出ると、テーブルに座っていたハルさん(仮名)が「あら、お出かけ?気をつけていってらっしゃいね」と、にこやかに声をかけてくれた。「鋭い!」どうして、私がこれから研修に出かけることを彼女は知っているのだろう。

― 100歳の魔女、ハロウィンで「花嫁」に?
 繁さんの部屋と真正面に座っているタカさん(仮名)が、「施設長さ〜ん」と手招きしている。特養に入居されている方で私を「施設長」と呼んでくれる人は数人しかいない。タカさんに呼ばれたのは初めてだったので、何事かと側に駆け寄った。「あさって施設長さんは、ここでパーティをやることを知っていますか?」と、施設長名指しだったので、ここは外してはいけないと頭をフル回転させた。しかし行事予定には明後日のパーティについては何の記録もなかったはずだ。慌ててスタッフにSOSをかけて聞いたところ、「ハロウィンパーティー」とのこと。さすがタカさん情報通!「ハロウィンて、カボチャの魔女に仮装することなんじゃない?」と私が言うと、「あっはっはっは、私は100歳の魔女だから仮装しなくてもいいの」と返してくる。「恐れ入りました!」とお辞儀をするや否や100歳の魔女は、私を箒の後ろに乗せて飛び立ち、一瞬にして彼女の小学校時代のところまで連れて行ってくれた。「私ね、5年生から6年生までの間、学校の帰りに千葉先生から日踊を習っていたのよ」と言う。元NHKのアナウンサーだった(故)高橋圭三さんの兄弟の結婚式の時に、習っていた日本舞踊を披露したが、その時に作ってもらった着物の生地はとても高いものだったらしく、この話のところで、口に手を当て「くっくっ」と自慢気に含み笑いした。この時、私の妄想がかき立てられ・・・今は仮装する必要はないと言いきるタカさんだが、結婚式で日舞を舞った少女のタカさんは、きれいな着物に身を包んで「花嫁さん」を演じたのではなかろうか? タカさんは結婚をすることなく、たくさんの兄弟達のための「母親」として生きた。私は、明後日のパーティで「花嫁」に変身したタカさんを思い浮かべた。
 さて、100歳の魔女がリビングに舞い戻ると「今日はあなたに会えてとても良かったです。話をしたら、胸にあったモヤモヤが吐き出されて楽になりました」と手を握ってくれた。さっき私は繁さんの手を握り、今度はタカさんが私の手を握ってくれ、つながっていると思った。

― 障子Close この世の契り、あの世の契り
 研修で花巻を離れるので、義母にも会ってからと思い、オリオンに顔を出す。先日から「指輪が無くなった、誰かに盗まれた」というストーリーになっているらしい。義母が岩手に来てから指輪を填めているのを見たことがないし、特養ホームに持って行くはずがない・・・しかし何故今そんなストーリーが作られているのか。部屋に入ると、障子を閉めて半分だけカーテンが引かれ薄暗い中で寝ていた。「お義母さん、元気?」と声をかけると、目の下が隈になって顔色が優れない。目を閉じたまま「わしゃ、今日、成仏します!」と、おもむろに布団から手を出して合掌する。なんと左の薬指には、結ばれた毛糸のヒモが垂れ下がっているではないか、流石に私も怯んでしまった。「成仏は、もう少し待って下さい」とお願いして部屋を出た。この世との契約としての指輪を亡くし、あの世との契りとしての毛糸ヒモなのか・・・と、赤い糸ではなく薄茶色というのも何か意味深だ(後日談だが、私の留守中、特養ホームからはなんの連絡も入らなかったので、成仏はしなかった)。

 ― 黒靴底の剥落・陥没の謎
 義母の部屋の異様さにクラクラし、このまま外出するのは危険だと思い、現実派のモモ子さん(仮名)と話しをする。ところが私を見るなり「銀河の里は、とんでもなくコワイところだな!」と、興奮して話しかけてきた。「えっ、どうしたの?」「どうもこうもない、この靴、先日のカナさん(仮名)の葬儀に履いて行った時には何ともなかったのに、気づいたらこれだ」と、黒靴をひっくり返して私の目の前にたたきつけた。確かに、左の靴底は両サイド2カ所剥落して、誰かが千切ったようになっている。右の靴底の1カ所は直径1センチほどの円柱型に陥没していて、その穴から銀色のブリキ板が見えている。モモ子さんは「どうだ!」と言わんばかりに、目を三角にして迫ってきた。
 「この小さな穴から金属を入れて・・・こんな仕業をする奴がここにいる。白黒はっきりさせるために、俺だって出るところに出ても構わないからな」とヒートアップする。「でも、モモ子さん、うちのスタッフにこんな巧妙なわざが出来る人、いるかなぁ・・・」と首をかしげ、スタッフのいたずら説をやんわり否定した。しかし個人的に非常に興味を持ち、なんでこんな不思議ことが起こったのか、解明したい思いが強かった。そこで私のカメラに証拠写真を撮り貯めた。数日後、家族さんが来里された時に、モモ子さんはその話をし、結局、謎は解かれないままだったが、換えの新しい靴を買って貰い喜んでいた。

― 謎の解明は、数日後に東京でおこった
 そんなわけで、義母の部屋の妖気レベルも高いが、現実派のモモ子さんの怒りも相当難易度の高い謎かけだった。部署をひと巡りしただけで、こんなにもいろんなことが起こっている刺激空間・・・これが私の仕事場と思うと感慨深い。

 先日、EPAの介護福祉士候補者の集合研修が東京で行われ、付き添いで私も出かけた。その時私は、なぜかいつもの靴ではなく、数年前に銀座で買ってまだ数回しか履いたことのない黒靴を下駄箱の奥から選んで履いて行った。ところが、研修場所に着いて、靴底に違和感あって靴裏を見ると、なんと私の靴が、モモ子さんの黒靴底と同じ状態になっているではないか。
 その時の驚きは、解明を気にかけていたこともあって、興奮して一人で笑い転げてしまった。
よく見て比べると私の場合は、円柱の陥没ではなく小石を踏んだような円形の陥没だった。また剥落した靴底にはブリキの板は挿入されておらず、「モモ子さんの方が筋金入りってことか! That’s too bad!」と思ったが、すぐに私の靴底も写真に収めた。一人で気持ちを押さえきれず、黒靴事件の経緯を知っている理事長にすぐメールを送った。「どういう共時性だか・・・不思議だね」と一言返事が来た。
家に帰った私は、まだ興奮冷めやらずであったが、彼は「二人の靴には共通点がある。多分、しばらく履いていないため靴底が劣化して、歩行の衝撃に反応した結果じゃないか。タイヤも使っていないと、こんな現象が起こるよ」と冷静だった。「ただ、なんで二人の間に共時的なことが起こったのかは、謎と言ってもいいかもね」と面白がってくれた。私は「自分の靴にはモモ子さんと違って筋金が入っていないヘナチョコなので、足下が崩れるかも?」と深読みして落ち込んだ。
 しかし、今のところは、靴そのものが総破壊されたわけではないので、しっかりした靴底に張り替えて貰うことにしよう。上物が良くても土台が大事だ!ということなのか、見た目に欺されるな!という戒めなのか、人生の筋金はどうやって入れるのか、今回のこの共時性は、劣化の靴底の科学的な論証とは違った次元で、私にとっての課題を含め学ぶところが大きい!

 このように私の仕事は、決済事務やら人事・会計等の実務プラス現場の「癒し」「喧噪」「異界」「謎かけ」と言った、面白くはあるがグルグルする毎日なのである。金曜日の午後から、新幹線に乗って立教大学に通う1泊2日の旅は、少し冷静になってそんなグルグルが整理出来ると思いきや、これまた刺激が多すぎて興奮のルツボ。不思議なことに「里」の出来事と学校での学びがリンクして、たくさんの共時性が起こり、私はとても忙しい。
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