2016年11月30日

場のシンポジウムに参加して 〜おせっかいと図々しさが世界を救う〜 ★ ワークステージ 佐々木里奈 【平成28年11月号】

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 東京で行われた“場のシンポジウム”に参加してきた。シンポジウムには「与贈を巡る<身体>と<経済> 〜新しい医療と経営を支える共存在原理〜」というタイトルがついている。失礼ながら、シンポジウムやパネルディスカッションと名の付くものに対して、個人的にはあまり期待がないのだが、“場のシンポジウム”ではかなり興味深いお話を聞かせていただいた。3名の方が登壇されたのだが、そのお話の内容はどれも銀河の里の想いに共通するものがあるように感じて、今回私を誘ってくれたケアマネの板垣さんとホカホカしながら帰ってきた。せっかくなのでその概要を紹介しようと思うのだが、その前に一つ、エピソードを紹介したい。

 理事長から聞いた話なのだが、利用者Aさんと利用者Bさんには不思議な関係があったらしい。Aさんはいろんなものを買ってくる。Bさんは認知症もあり、Aさんが買ってきたものを持っていってしまう。するとAさんは怒って「なくなった」とまた違うものを買ってくる。するとまたBさんが持っていき、Aさんは「またなくなった」と怒ってまた新しいものを買ってくると、またBさんが…と、まるで無限再生のようだったらしい。Aさんは持っていかれるために買っているようでもあるし、Bさんは新しいものが買えるようにと持っていくようでもある。これは二人のコミュニケーションのようでもあるが、むしろそこには「“私”が買う」とか「“私”が持っていく」という自我があるのではなく、その“場”を協働して成り立たせているような感じを受けた。
 シンポジウムを主催した場の研究所所長であり東京大学名誉教授の清水博先生のお話の中心概念である「与贈」と、上記のエピソードとは、かなり近いところを言わんとしているのではないかと思う。「贈与」は自分の名前を付けて何かを贈ることを指す。そうではなく「与贈」とは、「自分があげた」という事から自分の名前が消えるようなあげ方、贈り方のこと。言い換えれば、居場所のために〈いのち〉を使うこと、と清水先生は定義されている。AさんとBさんの、買ってきて、持っていって…ということも、その“場”のための〈与贈〉だったのではないだろうか。そのことを共有するために、〈与贈〉〈いのち〉そして〈生活体(生きていくもの)〉に関して、もう少し清水先生のお話を詳しく紹介したい。
 清水先生の生活体(生きていくもの)に関する仮説は次の通りである。(1)生命は存在しない。存在しているのは〈いのち〉=存在を維持しようとする能動的なはたらきである(つまり、これは外から見た状態のこと)。/(2)生活体は〈いのち〉を生み出しつつ、その能動的なはたらきによって存在していく。/(3)生活体には、生み出した〈いのち〉を、自己が存在する居場所に与贈する与贈主体がある。/(4)複数の生活体から居場所に与贈された〈いのち〉のはたらきが一定の閾値を超えると、〈いのち〉の自己組成がおきて居場所の〈いのち〉が生成する。
 みんなが居場所に与贈していき、場の与贈がどんどん増えていくと、コップから水が溢れるように今度は居場所から〈いのち〉が生まれ、居場所のほうからみんなに対して与贈があり、それが循環するということだ。音楽の場に例えられていたのがわかりやすい。演奏の場というのは〈いのち〉の自己組成が生まれてくる場である。ギタリストやドラマー、ピアニスト、歌い手それぞれが与贈し、あるいはその場にいるオーディエンスも与贈することで、その場の空気がまたそれぞれを包み、幸せな気分にさせてくれる。それがまた場を作っていくという循環が起きていると言える。
 このように、与贈が多いとき生活体の〈いのち〉のはたらき(鍵)と居場所の〈いのち〉のはたらき(鍵穴)が相互誘導合致(お互いがお互いに影響し影響され合って変化)して整合的につながることにより、居場所に〈いのち〉の与贈循環が生成し、生活体が共に生きていく「与贈共同体」が生まれる。つまり、先の例によれば、演奏の場におけるミュージシャンたちとオーディエンスは「与贈共同体」と言える。

 少し話がずれるが、先日つくば研修に参加する機会を得た。自然生クラブで起きたこと、そこに生まれたものは、まさに与贈共同体だったのだと振り返って思う。自然生クラブは、障がい者支援をしながら芸術活動に取り組むNPO法人で、その拠点には太鼓や舞がいつでもできるよう米蔵を改装したスタジオがある。自然生クラブの柳瀬さんが、「ギター持ってきてる? じゃあ、スタジオ、使ってください!」と言い、龍太狼さんがギターを持って歌い出し、柳瀬さんも私も自然生の利用者さんもスタッフも太鼓を叩き、太田さん(来年度から里のスタッフになる舞踏家)が踊り出し、自然生の利用者さんも踊り出す。そこには自分の名前を付けた贈与などなかった。ただ、各々が、やりたいことを、やりたくてやった。そういうところに“場”は生まれ、〈いのち〉が生まれてくるのだろう(その時の様子の一部は銀河の里Facebookの投稿で覗くことができる。映像で伝わるものには限界があるが、ぜひご覧いただきたい)。
 ちなみに、研修合宿の場は与贈共同体ができやすい。与贈共同体を実感する機会として優れていると思う。普段はあまり話すことの少ないメンバーが集まって、行動を共にする。長野合宿でみんなでカレーを作り、事例検討合宿でカレーを作り、つくば合宿でもカレーを作って、場を作るのはカレーなのではないかとも思い始めている。チームビルディングにおけるカレーの有用性についてはまた別の機会に論じようと思う。

 さて、与贈共同体や場ということを考えたときに、今、銀河の里の状況はどうなんだろうか(もちろん入社して一年も経たない自分がそんなことを考えることや語ること自体おこがましいと重々承知だが、これからの里の一翼を担いたいという気概だけはあるのでどうかご寛恕いただきたい)。理事長が「良い線を行っているとは思うが…まとまってない」「死んでる」と言われるのを、わかるようでわからないような、うーむ、どういうことなのか…と考えあぐねていたが、もしや言いたかったのは、清水先生の定義を借りて言えば、与贈が足りない、〈いのち〉がない、ということなのではないだろうか。つまり、「自分があげた」ということから自分の名前が消えるようなあげ方で、銀河の里という場に与贈している主体はいるのだが、それが少ないために、〈いのち〉の生成がされず、与贈している少数の主体から与贈が続いてなんとか居場所としてあり続けている状態、ということなんだろうか…ということを考えた。そうなると、なんとなく言わんとすることはわかる気もする。
 しかし、銀河の里は多くの利用者さんと職員の暮らしの場であるのだが、同時に、一応“仕事をする”場でもあることを考えるとなかなか難しい。そもそも私たちを大きく取り巻いているのは、民主主義、資本主義、貨幣経済であるし、実際にご飯を食べるためのお金をもらいながら「与贈なんですけどね」というのもなんだか具合が悪いし、経営者の立場で考えれば、「与贈をしてもらっているわけですが、その与贈の度合いは適正な評価に応じて還元します」というのもなかなか苦しい。生物学の原理に基づいて、新しい意味を生み出す企業になるにはどうすればよいか。組織内の、あるいは組織と地域の与贈循環を強めて、自己の存在を回復するような場所の構築には何が必要なのだろうか。

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 そこでヒントになるのが、東京・西国分寺にある、成長を続けるカフェ「クルミドコーヒー」のオーナー、影山さんのお話だった。クルミドコーヒーは、実は4〜5年前くらいから行ってみたかったところだった。宮城県石巻市でキッチン&カフェの立ち上げに関わったとき、上司が「クルミドコーヒー」に研修に通っていて、話に聞いていた。そんなご縁とタイミングもあり、行くことができた。西国分寺駅歩いてすぐのところに、クルミドコーヒーはある。駅は近いがそんなに騒がしくなく、住宅街も近くにあってまず立地が好い。外観もさることながら、内装もまさにおとぎ話に出てきそうな雰囲気。こだわりや哲学を感じる細部にも感動させられた。
 影山さんのお話の中で具体的に一つ例に出されたのは、クルミドコーヒーではポイントカードをやらない、という話。なぜかというと、ポイントカードは消費者的な人格、ふるまいを引き出してしまうから、だそうだ。消費者的な人格も、逆に受贈者的な人格も誰しもが持っていて、ただどちらの関係で付き合うかということを考えていることで、クルミドコーヒーの場ができているのではないかと影山さんはおっしゃっていた。なるほど確かにそうである。清水先生が「死ぬときに人は完全な与贈を行うことができる」とつぶやいたように、完全な徹底した与贈を行おうと考えると大変だし、与贈だけを行う人間にならなくてもよいのだ。ただ場として、生きた場を創造するには、それを引き出す“仕掛け”が必要だ。クルミドコーヒーで言えば、手間暇かけて労力惜しまずに多くの人が関わって作られた建物や内装がその一つであるし、スタッフが手間を惜しまずお客さんへ様々なメニューを提供する「マゾ企画」と呼ばれるものもそうだ(例えば、ある従業員がモーニング提供のため毎日深夜2時出社でパンを焼く…!など)。若者言葉で言えば、ムダにデカいとか、ムダに綺麗とか、「ムダに○○する」という遊びの中に、成長の余白が生まれたり、新しい意味が生まれたりするのだと思う。その他の“仕掛け”で言えば、クルミドコーヒーでは事業計画を作ることを辞めたそうだ。事業計画を作るとつまらなくなるし、お客様を手段化しがちになる(お客さんが入ってきた瞬間、1000円札に見える)からだそうだ。これは、銀河の里も部分的に実践している(?)。ただし、資金繰りは綿密に計画した上で、また8〜9割の基幹となる事業部分、太い木の幹はしっかりと育てながら、残りの1〜2割の空白にどう枝葉を伸ばしていくかが、生命力の満ちた場になるためのポイントだそうだ。
 “仕組み”に頼るつもりはないが、ワークステージでも生きた場を創造するための“仕掛け”はドンドンつくっていきたい。職員や利用者を手段化しないことを意識しながら、綿密な見立てをした上で、それを超えて起こってくることを真面目に楽しんでいきたい。
 消費者的な人格を引き出さない場に育っていくために必要なのは、与贈せよ、と呼びかけるのではない。まずはその太い木の幹が必要だ。東大病院の医師でもう一人の登壇者の稲葉さんがおっしゃっていたが、植物の木の幹というのは、そのほとんど全てが死んだ植物細胞でできているそうだ。死をしっかりと受け止めて、受け取りながら生きていくことが、枝葉を伸ばすには不可欠なのだ。特に震災後の東北・岩手には、受け取ってきた一人ひとりの死がある。銀河の里には、受け取ってきた一人ひとりの人生があり、死がある。これから枝葉を伸ばすのは、私たちだ。

 クルミドコーヒーの出発点も、弟さんの死であると影山さんはお話してくださった。その影山さんのお話の中でもう一つだけ、地域通貨「よろず」について紹介したい。詳しくはグーグル先生にお聞きいただくとして、簡単に言えば通帳式の地域通貨「よろず」は、何かをしてあげたときにはプラス、何かをしてもらった時にはマイナスが付いていく。例えば草刈りボランティアをした人の通帳には「よろず」が溜まり、草刈りをしてもらった地主さんは通帳の「よろず」がマイナスになるという具合だ。そうしていくと、人に何かをやってもらうだけの人、マイナスだけが溜まっていく人がいるのではないか、という懸念がある。返せないほどの借金まみれになることをどう考えるか、という問題だ。しかし、マイナスの「よろず」は、単なるマイナスではない。誰かにプラスをあげている、誰かに働きの機会をあげているということでもあるから、それはそれで良いのだというのが結論である。

 誰かに何かをしてもらうのって、結構イヤだったりする。気が引ける。自分のことは自分でやりたいし、借りを作るのはイヤだ。何かをお願いしてやってもらったりするのは面倒くさいから、できることなら自分でやってしまったほうが楽だ、と思ってしまう。でも、その交換で生まれる価値がある。おせっかいな人はだいたい優しい。図々しい人は面倒だけど、たまにその図々しさに救われることがあるし、誰かのために何かをしたり、誰かの手伝いをしようと思ってすることも、やってみれば意外と自分が楽しかったり自分のためになることが多かったりする。今の時代、それが分かっていても、苦手だったり億劫だったりする人が増えているのだと思う(自分も含め)。図々しい人、おせっかいな人が“場”の生成のキーパーソンだ。前の例で触れた自然生クラブで起きたことも、いい意味で皆が少しずつ図々しさを発揮したおかげで生まれた〈いのち〉だったのだ。
 おせっかいな人と図々しい人が、組織を救う。地域を救う。世界を救う。ギャグSFの話ではなく、今ここの現実の話だ。与贈をめぐる経済についてはまだ課題が残るし、企業内の与贈とその評価に関しても結論は出ていない。自分が先陣を切って、思い切っておせっかいに図々しくなるにはちょっと勇気がないが(否、実は無自覚にすでにそうなれていたりするのかもしれないが)、まずは、おせっかいな人と図々しい人を大切にするところから始めよう。
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2016年11月29日

自然生クラブに行って 〜自然な生活と自己表現〜 ★ グループホーム第2 今野美稀子 【平成28年11月号】

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 10月29、30日、茨城県つくば市の『特定非営利活動法人 自然生クラブ』にお邪魔した。筑波山の麓に構える自然生クラブは農業と芸術、カフェの運営など様々なことを行っている。筑波と言えば研究学園都市のイメージが強く、自然生への道中も研究施設がずらっと立ち並ぶ道を車で走った。しかし一本脇道に入ると雰囲気は一転、両側が塀に囲まれ、対向車とすれ違うのも一苦労(むしろすれ違えない)という路地になる。敷地に庭木が植えられた立派な昔ながらのお屋敷、というような家がいくつも見られ、そこかしこの家の庭にミカンやカリンなどの木が植えられていた。岩手ではあまり見られない風景に目を奪われる。
 筑波山への参道「つくば道」に入り少し行くと、右手にカラフルな鳥の弾幕が垂れ下がった建物が見える。ここが自然生が運営するカフェ「ソレイユ」らしい。すごいインパクト!ここを目的地としていなくても思わず足を止めてしまうに違いないと思いつつ中へ入る。定員は30〜40人くらいだろうか、4人掛けのテーブルが並び、壁には自然生の人たちが制作したであろう絵画。居心地が良く楽しい空間だった。大抵のお客さんは身内らしく、そのとき店内にいた客もボランティアに来ているというボランティア団体の方たち8人ほど。そのテーブルに(教えてもらうまで意識できなかった程)何の違和感もなく一人紛れ込んでいる方、水を運んでくれる係らしい壁際で待機している方、お客さんのように悠々と入ってきてお茶を頼む方、全員が雰囲気に溶け込んでいて、自然にそこにいる感じ。

 そのカフェの裏に向かうと米蔵を買い取って改装したという「田井ミュージアム」があった。米蔵らしい少し薄暗い空間、手前にはアトリエ、奥にはシアターが作られている。アトリエではちょうど「中島教授の妖怪展」が開かれており、「中島教授」の描いた妖怪の絵がずらっと並んでいた。中島教授は怪奇研究家で自称・妖怪学教授だそうで、数回ミステリーツアーも開催したそうだ。こういう個人が主役になれる企画があるととても楽しそう。白いキャンバスに描かれた作品だったり、周辺の写真に描き込まれた作品だったり。中島教授はこの写真のように身の回りにいる妖怪と当たり前に共存しているんだろうなあ。とてもリアリティが感じられてワクワクする。「妖怪アパート」(だった気がする)という作品にはさまざまな妖怪が描かれていたが、「ウニ食いてー」なんて言っている妖怪も居れば「脱原発じゃ」と言っている妖怪も居て、妖怪にまで思案されている日本の問題を考えさせられる。その絵を描いた中島教授の感性もすごい!

 シアターには入口両側に段をつけて作られた客席と立派な照明機材。奥には翌日の田楽舞のための太鼓が並んでいた。翌日の前座で酒井も歌わせてもらうことになり、そのリハーサルと称してシアターを使わせてもらう。酒井がギターを弾いていると自然生の人たちも一人、また一人と入ってきた。そのまますーっと奥の太鼓の方へ行き座る人、客席に来て自然と里スタッフ赤坂の隣にスペースを開けず腰を下ろす女の子、最上段まで駆け上がり聞いている男の子、いつの間にか照明をいじってくれる自然生スタッフの方。ただ座っているだけなのかと思えば良いタイミングで太鼓を打ち始める人、佐々木(里)も加わり、即興のステージが出来上がる。酒井が終わると太田のステージも始まった。
 踊りに合わせて太鼓を打っているのか、太鼓に合わせて踊っているのか…照明も切り替わり踊っている太田にスポットが当たった。激しい太鼓と踊りと。途中、一番前の椅子に座っていた男性を太田が誘った。何かその男性に感じるものがあったのだろう(その方はいつもソロで踊ることもある方だったらしい)。その人はゆっくり立ち上がり、ゆっくりと靴下を脱いで、ゆっくりと舞台に上がってきた。どっしりと構えて動くその人と小刻みに動く太田、時折静止し睨み合うように視線が合う。暗い中、激しく鳴る太鼓の音と二人のダンス。
 語彙力が乏しいことが残念だが、鳥肌が立つくらい、とにかくすごい!その二人のダンスが終わると一人の男性が舞台に上がった。太鼓の音もない舞台で静かにゆっくりと踊り始める。フィニッシュは後ろを向き股の間から頭を出す状態で終わり、その恰好で柳瀬さんと握手をしていて笑ってしまったが、その人は普段は全く踊ったことはない人だったらしい。「何があるかわからないから毎日気が抜けない」と楽しそうに話す柳瀬さんが印象的だった。だからこそ、自然生では「リハーサル」も「練習」もないという。毎回、毎日が本番で全員が主役なのだろう。本当にリハーサルなんかじゃなくひとつのステージとして出来上がった空間だった。すべてひっくるめてすごい!うわーっと見ているこちらも内から湧き上がってくる感じ。
 翌日の田楽舞でもしっかりとした型のないステージで、4人の踊り手がそれぞれ感じるままに動き太鼓が鳴り響く。しかしそれがしっくりときて一つの作品になっている感じに感動した。型がなく一人ひとりの個性が出せるからこその良い舞台で、作ろうと頑張っても作れるものじゃない、あの舞台を作りたい。
 自然生で感じたのが、すべてが繋がってすべてひっくるめて一つの生活になっているイメージだった。生活の中に農業も芸術も太鼓もあって、それぞれが切れ切れになっていない。現在の社会の中では、太鼓を打つと言ってもそれが日常生活と繋がっている人なんてそうそういない。太鼓に限らず、仕事は仕事、趣味は趣味などとさまざまなものが切れ切れの中で私たちは生活している気がする。それがすべて繋がって、農業や自然、芸術とも共生している生活。その中でこそ、太鼓やアートを通して表現できる自己というものも大きいかもしれない。型に縛られないから多大に自己が表現でき、それぞれの自己同士がぶつかりあうからこそ一つの作品としてすごいものが完成するのだろうか。

 以前「てあわせ」の西先生がグループホーム第2にいらっしゃったときに、利用者がそれぞれ動いているがそれで一つの空間として完成しているようだというようなことを言っていたことを思い出す。てあわせ自体、他人を感じつつも自分も主張していくようなイメージで動く。そう考えるととても腑に落ちた。
現在里でも太鼓を通じてのワーカーさんの自己表現の場としてワークショップを行っているが、まだまだそのときだけのものになっている。もちろんその場での太鼓の表現がそれぞれあっておもしろいが、日常的に太鼓に触れ、好きなように好きなときに自分を見せてくれるような場の構築をしていきたいと思う。
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2016年11月28日

つくば自然生クラブ研修報告 〜秋の祭典に参加して〜 ★ 2017年度内定者 太田直史(舞踏家) 【平成28年11月号】


 古くから十月のことを「神無月」と呼びならわしています。この期間に、日本中の神様たちが出雲の地に集うと言われています。その一方で、年に一度のこの「サミット」へは出向かず、それぞれの土地で人々の暮らしに寄り添い続ける神々も、やはり存在しているようです。私たちは、慌ただしい日常生活の中にあっても、ふと立ち止まり心の耳目をそばだてるのなら、身近に守護してくれている神様に触れることができるのではないでしょうか。

 十月の29・30日の二日間、つくば市の自然生クラブさんの秋の芸術祭に参加させて頂きました。(銀河の里人と同じく)自然生クラブの人々は、土を耕して生きる。「健常者」も「障害者」も分け隔てなく、共に仕事にいそしみ、共に喰らう。日々の暮らしの中に、歌い踊るステージが当たり前のように組み込まれ、正に「リハーサル無しで毎日が本番」(施設長・柳瀬敬さんの言葉)であること。筑波山の麓に緩やかに展開している自然生クラブの時空間は、一つの理想的な人の暮らしというものを、共同体というものを髣髴とさせるようです。
 例えば、田畑の一隅や街角、部屋の隅っこなどに潜む神様たち(妖怪たち)の姿が、「妖怪博士」の曇りない視線によって透視されます。神々はとても身近な存在として、人々と同じ食卓につき、共に歌い踊ります。田楽は特殊な芸能ではなく、日常の生活を活性化させる朗らかなリズムを、強く刻みつけるのです。
 私は、社会の中における舞踏家の使命というものを、常に考えています。ただ一つしかない自らの肉体をもって、あめつちの狭間に(神々と)あらゆる人々が出会い確かに活動してゆく時空間を、デザインすること…。自然に恵まれた花巻の銀河の里の営みに、私が舞踏家として加えて頂けるのは、この上ない幸運な巡り合わせと感じています。ですが舞踏家の「仕事」の広さと深さに際限の無いことを想うと、気持ちが引き締まります。
 本当に幸いなことに、情感豊かなスタッフの方々に巡り会う機会に恵まれました。今後も機会がありましたら、皆さんとあれこれお話し巡らせてみたく思います。微力ではありますが、私は五感を最大限に研ぎ澄ませ、里の暮らしの只中へ一足づつ踏み入ってゆきたく願っています。

了、 (11月3日)
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銀河の里の一コマ(Photo Gallery) ★ 【平成28年11月号】

○つくばの自然生クラブへ研修(秋の芸術祭へ参加)の様子1
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2016年11月26日

“盗られた”という問い ★ 特養すばる 千枝 悠久 【平成28年11月号】

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(すばるのSさんと夏のドライブ、大船渡、碁石海岸へ出掛けたスタッフの千枝)

 「オメが盗ったんだべ!?」夜勤明けのある朝、モモ子さんから、そう言われた。顔に塗るクリームがなくなっていたそうで、誰かが盗ったのだ、という話だった。「私じゃない!」何度伝えても「オメが盗ったんだべ!?盗ったの持って来い!!」と続き、私はある事を思い出して胸がチリリと痛み始めた。以前、こんな事があったのだ。

 私のいるユニットすばるにショートステイで来ていた人が、「虫に刺されたから、キンカンないっか?」と言っていた。すばるや隣のほくとにはなくて、“そうだ!きっとモモ子さんなら持ってるだろう”と、私はオリオンまで走った。「モモ子さん、キンカン貸して〜」「引き出しさ入ってるはずだから持ってけ。ちゃんと返すんだぞ、ちゃんと返せよ!」念を押すように言うモモ子さんに「分かった、分かった」と軽く返事をする私。返す時も「ありがとう!引き出しの中に入れておくね」と軽い。
 それから一ヶ月くらいして、オリオンに行くと、「オメ、キンカン盗ったべ!」モモ子さんに急に怒られた。「いや、ちゃんと返したハズだけど・・・」何度言っても信じてもらえない。そのうち私も、一ヶ月も前のことだから自信がなくなってくる。「引き出しに入っているハズだから一緒に見てみよう!」二人で一緒に引き出しの中を広げて見ることにした。
 その引き出しの中から出てきたのは、私が返したキンカンだけではなかった。「これは娘から買ってもらったものだ」「これは誕生日にもらったのだ♪」たくさんの思い出が語られる。「オメは稼いでるからお金あるんだべ?オレはお金ねえから買われねんだ。オメも人から簡単に借りるんでなくて自分で買うんだ!」そう叱った後に、モモ子さんが今までお金のことを含めて、たくさんのことで苦労してきたことを話してくれた。今、手元にあるのはお金ではなく、引き出しの中のものたち。その引き出しは、モモ子さんの宝石箱で、モモ子さんの宇宙だった。話を聞いているうち、私はその中の輝く星の一つを軽々しく扱ってしまったのだと感じられ、反省した。

 話は夜勤明けの朝に戻る。「オメが盗ったんだべ!?」と続くのを聞いてるうちに、キンカンの時のことを思い出し、私はあの時モモ子さんから借りたものを、まだ返すことができていないのではないか、と感じ始めていた。思えばモモ子さんからは、「○○貸して〜」とか「畑、どうすればいいの?」「これ、どう作ればいい?」とか、いつもいつももらってばかりの私だ。もらってばかりで、何もあげてはいない。これは“盗った”のと同じことではないか・・・。そんなことを考えながら、「盗ったべ!」「私じゃない!」を続けているうちに、とうとう私は「盗ったのは、私なのかもしれない」と答えてしまっていた。
 すると、「盗ったの持って来い!オメ盗ったやつ!」と言われ、どんなのか聞いても「オメ盗ったやつだ!」としか答えてくれず。唯一「缶のやつだ」と言ってくれたのを頼りに、私はコンビニへと走った(まだコンビニしか開いてないような時間だった)。モモ子さんに何かを返さなければ、そういう思いだった。
 ところが、だ。いや、モモ子さんの立場からすれば当然なのだが、私が買ってきたクリームを見て、「こったなのでねえ!!」と怒り出し、「こういうのだ!」と、その時になって初めて、空になったクリームの容器を持ってきてくれた。「娘が買ってくれたので、何だかいろいろ混ざってるいいやつなんだ。こったなのでねえ!」と話してくれた。どういう経緯かはわからないが、モモ子さんが大切にしていたクリームがなくなっていたのだ。やっぱりキンカンの時と話が似ている、そう感じた私は、オリオンスタッフの平野さんに状況を説明するため、モモ子さんに背を向けた。その、直後だった。ダンッッッ!!!!・・・・・カランカランカラン! モモ子さんが私のほうに向けて、空の容器を投げつけたのだった。

 その時、私の中でなにかが爆ぜた。
「謝れーーーーーーーーーーっっっ!!!!!モノを投げたことは謝れっ!!!!!」
自分でもわけが分からなくなるくらい、特養中に響き渡るくらいの大きな声で、叫んでいた。
「したって、こったなのでねぇ!!!!」
「いいから!! まずモノを投げたことは謝れ!!!!」
「こったなのでねぇもん!!」
「モモ子さんが缶のだって言ったから!全然分からなかったけど買ってきたんだよ!」
「オメ盗ったって言ったっけじぇ!」
「盗ってない!」
「そうだって言ったっけじぇ!」
「だって、モモ子さんが、何回盗ってないって言っても、聞いてくれないから・・・私すぐにキンカンのこと思い出したんだよ? あの時は悪かったって思ったから・・・」熱くなったし、必死だったし、半べそだった。
「オレのこと馬鹿にしてるんだべ・・・」モモ子さんも泣き顔だった。

 私は、モモ子さんの“盗られた”を信じたかった。モモ子さんが今まで語ってくれた人生の苦労話は、抗えない運命みたいなものにたくさんのものを奪われてきたのだ、ということを私に感じさせていた。盗られ、奪われ、それでも曲がることなく懸命に生きてきたのだ。“盗られた”という感情とともに生きてきたモモ子さん自身を、私は信じたかった。そしてモモ子さんも、私の“盗った”を信じてくれた。お互いがお互いを信じようとして、そうして傷付いた。
 涙目で必死で話をしているうちに、私の思いがモモ子さんに伝わり、「これと同じのを買って来てけて」という話になった。今度こそ、とまた急いで買って戻ると、「あったったべ?ありがとう!」と笑顔で迎え入れてくれた。「一度やったら、どうしたって疑われてしまうんだから、そうならないように気をつけねばねんだ!」真っ直ぐ生きてきたモモ子さんから、すぐに自分自身さえも信じられなくなってしまうようなグニャグニャな私への、厳しくも優しい喝だった。

 “盗った”“盗られた”は、信じるか信じられないかの究極の問いのように感じられた。私はまだ“信じたい”というだけで、信じることはできてなかったのだと思う。クリームのことがあった少し前、モモ子さんに教えてもらって作ったシソの実の醤油漬けが、そろそろいい頃合いだ。今度、それを持ってお礼に行こうと思う。モモ子さんやたくさんの人たちに支えられながら、“盗った”“盗ってない”どちらだろうと、ちゃんと胸を張って言える私になろうと思った。
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2016年11月25日

今年の田んぼB ★ 特養オリオン 川戸道 美紗子 【平成28年11月号】

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 今年の田植えはお祭だった。それぞれが田んぼという場に集まり、植えて歌って汗を流した。

 97歳の健吾さん(仮名)に「草のない金色の田を見せます」と約束したとき、「死ぬまでこの田を見せてもらいます!」と笑って応えてくれた。秋になって稲刈りの日、誘いに行った私に、健吾さんはベッドに横になったまま「・・・頑張って下さい」と言うだけだった。どこか違うものを見て、何か考えているような目をしていた。
 健吾さんに稲刈りに行ってほしいと思っていたスタッフの宍戸さんに「川戸道さんと田んぼ行ってきなさいよ、気分転換にでも」と言われて、勢いに押されたかのようにムクッと起き上がり、稲刈りの準備をした。
だけど、心はここにあらずだった。田んぼでは「ここは里の職員の方がやってる田んぼなんですねぇ」と言うので、私は少しさみしくてモヤモヤした。田植えの時には「この田んぼはカワトミキさんがやってるんだなぁ」と言ってくれたのに、“里の職員がやっている田”か・・・と。
 その後、帰ってから「今年の稲刈りはどうでしたか」と尋ねてみた。「里の人は、生活の一部として農業をやってるんだなぁと感心しましたよ」と言ってくれたのだが、それにも私は、どこか遠さというか違和感があった。
 はて、健吾さんの本当の気持ちは今、一体どこにあるんだろうと思いながら話をしていると、話題は「健吾さんのこれから」になった。「いつ死んだっていい」と言う。「“安心して死ぬ”とは・・・」と、健吾さんが語り出す。「どんどん、どんどん、歳をとった人が安心して・・・。お釈迦様は、死んだときに迷わず成仏するように浄土を作った。苦しみ、恐ろしさ、何もない。自然に逆らわない。それ以外ねぇもの」

自然に逆らわない、それは昨年101歳で亡くなった幸子さんと同じ言葉だった。
 詩吟や庭作り、書、語り部、田瀬物語・・・。様々なものに心を燃やして生きてきた健吾さんは、若い人にそれぞれを託し、譲り、「自分」の死に向き合おうとしているのかも知れない。
 「頑張って下さい」と私を稲刈りに送ろうとしてくれたのも、そのためだったのかと思う。いつまでも携わり続けるのではなく若い人に委ねる。健吾さんは無自覚かもしれないが健吾さんのたましいを若い誰かに少しずつ分け伝えているかのような姿を感じた。
 役割を与えてもらうと、私は凄く楽になるように感じる。役割以上の事は求められないのだから。でも、役割だけで農業や介護をやり続けてしまったら、それでは何も生まれないし、やらされ作業にしかならない。「自分」を賭けて何をするのか、何が出来るのか。それが大切だと思うし、そうでないと何も分からないまま過ぎて行って、利用者さんとの出会いだって消えて、「何も無かった」で終わってしまう。
 
 そんな事を考えながら健吾さんの側にいると、ふいに「あなたは、百姓やるのか」と聞かれた。控えめだけど確かに指先は私を向いていて、その言葉と震えるその指とキラリと光る眼差しに、「銀河の里の農業ではなく、あなた自身の中に、農業・百姓はあるのかないのか、そしてその農業とは一体何なのか」と問われたような気がした。役割ではなく、「私」が、『これからどう生きてゆくのか』。私はドキッとして固まってしまい、答えられず「分からない」としか言えなかった。でも健吾さんはニコニコと笑っていた。それまでの心ここにあらずの表情じゃなくて、いつもの(いつも以上の)、何かを語るような笑顔だった。
 
 今年の田んぼは、稗だらけになってしまった。夏の草取りや田植え直後の水位調整に失敗した。気持ちだけではどうにもならない事がある。農業はそのような事も教えてくれる。やるぞという気持ちだけではどうにもならない。やらねばならぬ、そうでしか進めない事がたくさんある。
 健吾さんに田んぼを見せたいという気持ちはあるけれど、もう健吾さんに見てもらう田んぼではなくて、健吾さんとつながりながら私が田んぼを見なければいけないんだ、と感じた。
 健吾さんは、実際に田んぼには出ずとも、農業や生きる事、たましいを燃やす事など、真摯な向き合い方を問うてきているような気がする。健吾さんの表情や存在が農業の事でも他の事でも厳しく迫ってくる。それはとても大きなことなのだ。

 「黄金(こがね)餅」、それは田の色の事かと思っていたけれど、黄金なのは、健吾さんの方だ。優しくて鋭くて広い、そんな色を健吾さんに感じた秋だった。
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2016年11月24日

銀河の里の一コマ(Photo Gallery) ★ 【平成28年11月号】

○9月〜10月の様子(花巻祭り/ブドウ狩り)
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2016年11月23日

農作業できるようになろうぜ〜心の浸透力の賦活に向けて〜 ★ 理事長 宮澤 健 【平成28年11月号】

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 若い人で「自分が嫌い」という人が多い。その傾向は50代から始まり40代以降から急に増えるようだ。そしてなぜか里には20代30代のそういう人が集まっているように感じる。里にはそうした人をよびよせる何かがあるのだろうか。そんな人が現場で認知症の高齢者に癒やされたり慰められたりしているというのが里の現状なのだが、果たしてそれはいいことなのか困ったことなのか悩ましい。
 社会人でありながら、仕事ができるとは言えない人がやたら多い。自分が嫌いなどというのは、自分を自分の内側に閉じ込めてしまって外や他者に対して開かれてないということではないか。こんな状況を「自我の牢獄」と言う学者もいる。閉じられた世界で自分としか向き合っていない状況では、どうやったって自分が嫌になるのは当然だ。だいたい自分というのは他者に照らされて立ち現れてくるもので、自分だけと向き合って出てくる自分なんて化け物に近いもんじゃないだろうか。そんな状況が悪化してくると、もう他者が入り込む隙さえなくなってしまう。こうなるとかなりやっかいで、自分を自分で呪い続けなければならないような悪循環に陥って、いくら他者が関わろうが他者の存在は常に抹殺されてしまうばかりで、自分だけの心地よさだけが求められ続けるような、まるで乳を要求して泣くしかない乳幼児のような自我に留まって、そこから先へ行けなくなっているように見える。乳幼児は他者との関わりを築きながら生き延びていくのが自然の状態だが、大人になってそれでは、他者の存在を傷つけ、お互いの存在が成り立たなくなるので困ったことになる。結局、出会うことも向き合う事もできないまま、相手を道具的に扱うことしかできなくなる。道具的に扱うというのは、相手を手段としてのみ扱うことだから、切れた状態のまま終始するしかないので、とてもさみしいことになる。
 他者と出会えない、向き合えない症状ということなのかもしれないが、現実には赤ちゃんではないのだから、引きこもって閉じこもらない限り他者は自然に迫ってくる。多少つらくても苦しくても、そこが勝負のはずなのだが、そこでつまずくのが特徴でもある。逃げるか否定するかがそこで入る。身体症状がでたり、他者の抹殺で乗り切るしかなくなる。体調が悪くなるか他者から遠ざかるかして自分の世界に閉じこもり続けようとする。そうやって自分を守ろうとしているのかもしれないが、結果としては自分が育たないようにしているようで、見ていてやきもきする。
 そんな人がまっとうに仕事ができないのは当然で、配慮もスピードも期待できない。ましてやクリエイティヴにはほど遠いということになる。里ではこれまで、一般社会や企業で求められるような、現実を切り開いて生き抜いていくようなパワーを求めてはこなかった。むしろ認知症の高齢者と一緒に居て自分が癒やされるような人が必要だったし、現実にそうした人たちが里の雰囲気を作って来た。それは他の施設ではあり得ない柔らかい空気を作り出すことに繋がって、他では過ごせなかった多くの認知症の人たちの居場所になってきた。
ところが、そこが最近では、目的が利用者のためではなく、スタッフのためにあるようなことになってきているような気がする。いくら何でもそこが逆転してはまずいのではないかと思うが、現状はかなり逆転してしまっている。
 「ケアされる介護」が理想だと言われることがある。里はそれを現実に実践してきた数少ない現場だという自負はある。ケアマネージャーで里の特徴を解ってくれる人たちからも「銀河さんは違う、柔らかい空気でゆったりしてる」との評価もいただくのだが、その空気、雰囲気は、本来は利用者のためにあるのであって、スタッフがそこに甘えるためではないと思う。
 柔らかくほのぼのとした空気や雰囲気が自然に醸し出される「場」をつくるために、かなりの努力をしてきた。例えば、設立初年度に見学にきた人たちから「ここの職員は座っている」と驚かれたことがあった。当時は、スタッフが座っていると働いてないとみられた時代だったように思う。今でもスタッフが座っていない施設はかなり多くあるが、スタッフが利用者の側で一緒に過ごすというそれだけのことが認知症介護においてはどれだけ大事なことかが、最近では世界的にもかなり理解されるようになってきたと思う。里ではそのことを当初から直感的に最重要視してきた。 
 ただし、ただ座って居ればいいというものではない。立っていれば仕事をしているように見える。それは作業をしているということだ。認知症高齢者の利用者を座らせておいて作業をこなすのはスタッフにとっては効率がいいだろうが、利用者は不安になる。だから利用者の側に座わりましょうということは、そこで心の作業に切り替えましょうということだと思う。座ってサボれるということとは真逆の話だ。
そこが取り間違えられているのか、スタッフが利用者の部屋で寝ていることも見うけられる。寝るのはさらなる進化でそこまで行けたかと言えるかもしれないが、少しずれるとまるで違った話になるので微妙な問題だ。また、立ってやる作業の能力がないのは困る。できるけどあえてやらないだけで、やれば普通より遙かにこなせるくらいでなくては、座っての仕事も中途半端にしかできないだろう。もちろん得手不得手はあるが、座る仕事(こころのこと)をするには、本来は相当な力量が求められる。
 里は農業が基盤と言ってきたのも、暮らしを作る力量をそれぞれが持って生きていこうということではなかっただろうか。ところが草刈りもできない、田植えも稲刈りもお遊びで、百姓の力強さはかけらもないのでは情けない。先日も1時間あれば終わるような脱穀の作業をほぼ一日かけて半分程度しかできなかったと聞いてあきれてしまった。「30分で終わるから見てろ」と翌日私も入ったのだが、確かに見ているとまるで仕事にはなっていない。「始めます」という電話で現場に行ったのだが、まだコンバインも来ていなかった。やっと来たかと思ったら燃料がない。段取りのなさにイライラする。
実際、短時間で脱穀は終わり、畦棒のあと片付けまでやっても2時間だった。早く作業ができればいいと言うことではないが、相場というものがある。時間をかけて膨大な無駄を垂れ流しても意味があるならいいが、甘っちょろでは悲しい。
 現場で作業が始まっても、指示しなきゃわからない。指示しても感が悪いのか、うろうろしてピタッとはこない。稲わらの持ち方もわからない。脱穀に持ち込む稲わらの方向、そのための体の位置も決まらない。エンジン音の中で怒鳴り続ける羽目になって、私はのどがかれてしまった。
現場に来て「どうやればいいんですか」と聞くようなやつはだいたい足手まといだ。農作業は「見てわからなければ言ってもわかるか」の世界だ。何年もやってきて、教える立場のスタッフが作業の基本もわかっていないのはどういうことか。

 ケアも農作業もはじめは素人で全くかまわない。でも、何年かしたら誇りを持てるレベルになってしかるべきじゃないだろうか。いつまで経っても素人でいる、その根性がわからない。仕事は段取り80パーセントと言われる。その段取りは皆無だし、準備も、先のプロセスも考えられていない。行き当たりばったりではた迷惑なイベントに成り下がっている。それでも利用者と一緒に稲刈りや田植えを経験するということが、かけがえのない物語を生んでいるのだから、全否定はしないにしても、それは利用者がすごいのであって、スタッフのお遊び程度に付き合ってくれているにすぎないとしたら、付き合わされる利用者に申し訳なく感じないのか。暮らしを創り上げる力量がスカスカだというのでは誇りを持った仕事にはならないだろう。
若い奴らは…などと何千年も繰り返されてきたセリフを言いたくもないが、最近の人は「自分が嫌い」「自分がわからない」とか「やりたいことが見つからない」「本当に燃えることがない」などと言いながら、そのくせ「時間がない」と忙しそうだ。こうした風潮は、この時代が若い人たちにとってかなり生きにくい要素を持っているのだろうとは感じながらも、爺さんとしては「ちゃんと身体使って、田んぼや畑で働こうぜ」と言いたくなる。

 ぼやいてばかりで、若い人たちからは「そうはいかないよ、時代が違うから」と、世代断絶の三下り半を食らいそうだが、他の若者はともかく、里の若者たちは認知症の高齢者と一緒にいるんだからもっと学んだらいいんじゃないか。 
 里の特養開設当初から7年ほど里にいてくれて、今年の6月に亡くなったフクエさん。彼女が残してくれた言葉やエピソードはたくさんあるのだが、亡くなるひと月ほど前の言葉が印象的だ。スタッフに向けて「おれもフクエ、おめもフクエ。なっ」「おめもノブオ、おれもノブオ。なっ」ノブオは息子さんだが、フクエさんの、この自我の浸透性はどうだ。もう自我なんか超えている。この自我を超えた広がり感、つながり感に圧倒されると同時にほのぼのとする。スタッフが行き詰まって悩んだりすると、フクエさんの部屋に行って癒やされていた。その理由がこの言葉に示されている。
 世界中で認知症の高齢者をどうするか躍起になっている。高齢化社会に向けた仕組み作りも必要だし認知症問題への対応も必要だろう。しかし認知症の人をどうするかなどという対応策を聞く度におこがましいと感じてしまう。認知症の人たちがどれほど豊かなイメージを描き、感情豊かな思いをもって生きているか、「自分が嫌い」などと言わざるを得ない若者とは比べようもなく、遙かに個性的で人間的な力強さを感じる。
 そうした個性全開の力強さとか、それでいて一人では決して閉じこもらず、否応なしに周囲を巻き込んでいくネットワーク力からしても、学ぶべき事だらけだ。認知症の人は訳がわからなくなっているとみんな思っているけど、それは逆で、訳がわからなくなっているのは実は、まっとうだと思っている我々現代人で、認知症の人はより人間的な存在感でその充実したイメージと感情豊かな思いを放って生きているではないか。目の前にいる利用者一人ひとりの存在の迫力から比べると、「自分が嫌い」などと感じなければならない存在が痛々しい。「自分の牢獄」にそんなに捕らわれなくても、もうちょっと呆けたりして生きた方が、よほど人間的で力強く生きられるような気がするが、それが難しい時代なんだろうか。

 先日、和太鼓奏者のはせみきたさんが里に来られてコンサートを開催した。コンサートは夜だったのだが、ワークで9月から太鼓を始めたこともあり、せっかくの機会なので昼間、ワークショップの時間を持ってもらった。はせさんも障害者とのワークショップは初めてということで、おっかなびっくり始まった感じだったが、最後には作品が生まれて発表会になるくらいまで盛り上がり、スタッフはもちろん、はせさんも、一緒に共演された二人のアーティストも感動されていた。
 このワークショップの成功の鍵のひとつはテイさん(仮名)という利用者にある。テイさんは75歳だが元気で明るくて歳を感じさせない。何よりも誰かと繋がる能力がすごい。このテイさんのこころの浸透力が、はせさんを支えワークショップ全体を貫いてひとつの世界が生まれたと言ってもいいかもしれない。
 ワークショップは恐い。結果がどうなるか全くわからない。だから面白いとも言えるのだが、大失敗もあるし大成功もある。それぞれが閉じこもっていればもちろん何も生まれない。でも誰かと誰かが繋がった瞬間がくれば何かがスパークする。どうなるか、はせさん自身も緊張されていたと思う。テイさんの浸透力がスパークを呼んだ。
 もちろん他の参加者一人ひとりにも物語があって、そうしたそれぞれの動きが全体のハーモニーを作り上げていった。浸透力は浸透力を呼び起こす。ワークショップはその場の勝負だ。頭で考えてどうこうしようたってどうにもならないし、考えたようになったとしたらとてもつまらないものにしかならない。出会いの中で何かが起こって来るのだから浸透力の作用がとても大きいと思う。人が出会い、場が生まれて、時が来る。まさに時と場所と人の出会いが何かを生み出す。それは今まであったものではなく、今ここで初めて出てきた何かだ。

 先月末に研修で、つくばの自然生クラブに行った。そこでは田楽(太鼓と踊り)の練習が週2回、日程に組み込まれている。その時間を練習とは言わずにワークショップと呼んでいる。この田楽は海外講演も多数こなしているという完成度の高いものなのだが、「教えたのではない」と代表の柳瀬さんも仰っていた。一人ひとりの中からその場で出てくるものがある。それが作品になっていく。だから練習ではなくワークショップなのだ。そこでも浸透力が相当の重きをもって作用していると思う。「自分が嫌い」などと言う籠もった姿勢とは真逆のベクトルが、自と他を浸透しシンクロさせて新たな宇宙を作り出すイメージがそこにある。

 2009年に河合先生の一周忌に来日したJ.ヒルマンの講演のタイトルは「こころの浸透性」だった。たましいは浸透性をもって遍満していると、死者とも繋がって共にいるありようを語られたのを思い出す。我々は他者のみならず自然や、さらには死者とも繋がって、新たな世界を生み出しつつ生きることができるのだという可能性を開いていきたい。
 現実には真逆の現象が、金や物の豊かさや便利さの裏に起こりつつあり、個はますます個別化し切り刻まれつつある。多くの伝統的な暮らしのありようもことごとくと言っていいほど粉砕され、後戻りはできない状況を現代の我々は生きている。消え去ってもう戻らない最後のところの縁に我々はいる。なすべき事は何か、今できることの最大の努力を、無駄なあがきでしかなかろうともしておきたいと思う。「自分が嫌い」な世代の挑戦と活躍の場がそこにこそあると思うのだが・・・。爺さんの考えはズレているのだろうか。
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銀河の里の一コマ(Photo Gallery) ★ 【平成28年11月号】

○毎年恒例、餅米の手刈り2016の様子
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2016年11月21日

銀河の里の一コマ(Photo Gallery) ★ 【平成28年11月号】

○高齢者部門のひとコマ・障がい部門のひとコマ
 ・ふれあい芋の子会(家族会)の様子や秋のドライブなど
 ・大根収穫、玉ねぎ植え付け、稲刈りなど
 ・全国障がい者スポーツ大会壮行会
 ・奈良東大寺のビック幡プロジェクトに応募
○第2回よりあい広場の報告
○Feelibgainプレゼンツ 企画展「スタート」のお知らせ
○里のアートシーン             ・・・・・など

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