雰囲気が違う。空気が柔らかい、場ができている。いろんな言い方があるのだが、銀河の里は他の介護施設や障害者支援施設とはどこか違っている。表向きには、高齢者デイサービスもグループホームも特養も、就労支援B型も、日本中に何万カ所もあるポピュラーなものだ。ありふれたどこにでもある制度上の施設ではあるのだが、どこか他とは全くちがうと、感じる人には感じられる何かがあるようだ。それを説明することはすごく難しくて、今まではその違いをあまり説明してこなかった。それというのも、私としても制度を隠れ蓑にしていたようなところがあって、深く考えてみる気持ちがなかったような気もするし、自分自身、それを語る力や、里に対する理解すら本当はまだできていないのかもしれない。
理念をしつこく問う外部評価の男性担当者に「うちでは理念を掲げたらおしまいだという理念なんです」と若い職員が説明して、毎年、お互い混乱して終わる。グループホームの第三者評価が始まった当時、私は「あなたたちは書類ばかり見てなぜ人間を見ないんですか?」と怒り混じりに問うたことがある。担当者は苛ついた早口で「見てますよ!」とチラッとデイの利用者に一瞥を加えただけで書類のチェックにひたすら余念がなかった。利用者どころか目の前にいる私や里のスタッフにすら何の関心も持ってないことが思い知らされて、現代の日常の人間不在があらわになり、大切な何かが切断され失われていくことに、傷つくしかない虚しさが漂う。
第三者評価はその現状からして、当初から現場の関係を切断し人の魂を損なう悪弊でしかなかった。グループホームは人間と人間の濃密な関わりの場であり、出会いの場である。そこはたましいの舞台となりうる可能性のある場なので、第三者が現場に入るとき、「そこにあるたましいを傷つけるか育むかで、現場を壊すか守るかの瀬戸際の重要事となる」と評価事業の準備段階でかなり主張したのだが、聞き入れられることはほとんどなかった。結果としていかにも官僚的手続きに終始した悪弊に経費をかけ続けなければならないという、極めて馬鹿らしい現状に堕してしまっている。
第三者評価を論じるつもりはない。そんなものはもう相手にもしたくない、どうでもいいことのひとつでしかない。虐待が日常化し殺人事件が起こるような施設でさえ立派な理念を文章化し掲げている。何を見ればいいのかまるでわかっていない現代のズレの典型的な例としてあげてみただけだ。第三者評価とは真逆に、雰囲気や空気や場を感じてくれる人が稀にはいる。
その一人は70代のミシン屋の社長だった。根っからの技術職人の彼は、職業柄、いろんな企業や施設に出入りしてきたと思う。自分が整備したり修理したミシンという精密機械に対して、自分の分身のような感覚を持てる人だった。納入先でそのミシンが大切にされ、喜ばれ、暮らしに活かされることを願う職人の信念が老技術者に宿っていた。ミシンのことを話し出すと話が止まらず目が輝く人だった。
銀河の里はまだ始まったばかりの頃なのだが、その彼が畑仕事をしている私にところに息を切るように来て言った。「あんた、凄いぜ」何のことを言っているのか解らなかったが、「自慢していい」と言っているのは、ミシンを置いてきたついでに見学した里の雰囲気のことを言っているのだった。「こんな施設はないよ、入ったとたんにわかる」私としてはそんなに興奮されても困ってしまって「ああ、はあ、まあ、そうなんです」ととぼけた返事をする位しかできなかったのだが、感じて解ってくれる人もいるんだなと嬉しかった。
銀河の里が開設されてまだ一ヶ月も経たない頃のことだった。ある会議をデイホールでやっていた。県や市からも関係役人が来て役員理事もそろってのお堅い会議だった。まだデイサービスの利用者は少なかったので2〜3人の利用者は棟続きのグループホームで過ごしてもらっていた。ところが会議の真最中に二人の利用者が会場に入ってきた。「なにやら面白いことやってたか」と興味津々、やる気満々といった感じだ。私には「タンタカターン!」という音が漫画の吹き出しのように聞こえた。そのとき会場のスタッフは一瞬「ざわっ」とした。堅苦しい会議に現れた二人は(10年以上前に亡くなられたが今でも語られる伝説をいっぱい作って、銀河の里のなんたるかを教え鍛えていただいたようなお二人だ)、バリバリの認知症だ。そのときのスタッフの「ざわっ」は「ヤバッ」だったと思う。大半のスタッフがそう感じたのがわかった。私も一瞬そう感じた。ここで「タンタカターン」はまずいんじゃない?と私は感じていたと思う。
ところがそれに対して、2名のスタッフが意外な反応をした。その2名は密かにガッツポーズをしていた。もちろん実際にはしていないが、私にはそれがわかった。お互いに目配せをしてうなずき合っている。後で聴くと「よし来た!何かやってくれるぞ」と思ったと言うのだ。「タンタカターン」を「ヤバッ」と思うのと「ヨシキタ」と感じるのとでは話は全く違う。そのとき私は「ヨシキタ」で良いんだと思った。ヨシキタの方が面白いと思った。それでこそ「タンタカターン」が生きてくる。そのとき現実には「おまえら何か集まっておもろいことやってんのか」と乱入したところで、グループホームのスタッフが誘ってお二人は外に散歩に出て行ったのだが、こうした瞬間に里の方向が決まってきたような気がする。「ダメ」としか言われない認知症の人の言動を「ヨシキタ、ヨシコイ」へと向けたのは、何気ないようでありながら、その実、別次元への通路を開くことになっていたように思う。
なぜ書類ばかりを見て人を見ようとしないのかという私の苛立ちは、見るべきところを見ていない視点の違い、まなざしの無さにある。ミシンの老技術者が感動してくれているのは、空気とか雰囲気といったようなことなのだが、それは人と人の間に生まれてくる場や関係の暖かさのことだろう。傷ついたり弱ったりした人はそうしたことに特に敏感になる。多くの利用者にとって、その場の雰囲気がどうであるかが決定的に大事なことにちがいない。それは自分という存在が否定されるか尊重されるかの、切実な現実の選択と直結するからだ。自分の居場所になるかならないかは決定的に重要だ。そんなところで「理念を掲げた書類を作れ」というのは、繊細になっている利用者の気持ちを踏みにじる暴力を、理念でごまかせと言っているようなものだ。
里に理念がない訳がない。ただ、理念は掲げるものではない。掲げた瞬間から形骸化が始まるからそんな愚かなことはしたくないと言っているのだ。一人の人に、目の前の利用者に、いかに関心をもって臨むかということが日々勝負となる現場で、紙に書いた立派な理念なぞが通用する訳がない。理念を掲げろという指導の裏には福祉施設は理念を持てない程度の低いところだとの蔑視がある。理念の無い奴らだから理念を掲げさせろという論理だ。実際には施設が掲げている理念は、どこかよその理念をコピペしたものか誰かに頼んで体裁よく作ってもらったものが大半だ。掲げろというのはそれをやれということに他ならない。そんな愚かな生き方はしたくないという意味で、そんな理念はうちにはないとしか言いようがない。どこの理念でもいいからコピーをして貼り付けて書類をそろえておくように第三者評価の人は毎年言い続ける。掲げられた理念が悪行の象徴として重なってしまうような歴史的悔恨を民族として負わされた痛い経験を持ちながら、この人達は何も歴史から学ばないんだろうかと嘆かわしくもなる。
昨日の良い雰囲気が今日も続くとは限らない。現場は日々が勝負だ。チームの構成メンバーにもよって日々のダイナミズムは変化する。日々の勝負を理念なんかでごまかしてはいられない。一流のアスリートに「理念は何ですか」と問う必要があるだろうか。ましてや掲げなさいと指導するバカはいないだろう。自身への戦いと深化の日々でなければ勝負はできない。我々の現場でも、理念は日々書き換えられ深められていかなければ、現場は停滞し個人も閉塞的な状況に追い詰められてしまうだろう。
我々の現場は立派な理念を掲げて振りかざしていればやっていけるほど生やさしくはない。そんな傲慢な姿勢では利用者からいっぺんに拒絶されてしまう。他の施設で難しいとして断られた人や暴れるからといった理由で利用を拒否された人たちが、銀河の里へやってくることが多かった。
そんな「大変な人」に限って、とてもユニークで魅力的だったりする。「何が問題だったの?」と首をかしげるようなことが大半だ。確かに「これだけ動きがあるとよその施設では難しいよね」ということもあるのだが、「そこが面白いのに」ということがほとんどだ。
最近もデイにかなり派手な動きのある利用者が新規で利用開始になった。よそでは断られるだろうなという感じの人たちが数人そろうことだってある。端から見ていても大丈夫かなと心配になるし、実際、他部署から応援を頼んで体制をとることもあるのだが、そういう日に限って「いやあ、今日は楽しかった。面白かった」という感想が現場から湧いてくるから凄い。大変なはずなのに「面白かった」となるのが不思議なのだが、それはどうしてなんだろう。
スタッフに「どうして?」と聞いてみたら「利用者一律に接するのではなく、個々の誰々さんに向き合っているからじゃないかな」という返事だった。「タンタカターン」と「ヨシキタ」の伝統が進化して育っている。要は、利用者を一方的な視点で管理しようとはしていないということだ。むしろ利用者個々の持つ個性や感情に動かされながらそれをエネルギーにして関わっている感じと言ったらいいのか・・・。
実際、笑い声で沸き返ったりするのだから、空気や雰囲気は良い感じで盛り上がって、利用者、スタッフそれぞれの居場所になっているのは間違いないだろう。
一般に、認知症介護の現場で、職員が追い詰められ、重苦しい雰囲気になっていくところは多い。虐待が頻発し実際に殺人事件に至った報道もある。追い詰められ苦しくなる状況と、笑って盛り上がれる場とはどこが違うのだろう。やはり管理の一方的な視線では、ゆとりがなくなり、スタッフ個々も現場も疲弊していくしかないだろうと思う。里では、「タンタカターン」で始まって「ヨシキタ」と受け止めている裏には、「さあ何かやってくれ」との期待さえある。お互いの出会いがそこにはあるように思う。どんなに認知症の深い場合でも、変なことを言う人とか、おかしな行動をする人といった、一方的な見方は一切ない。むしろ意味深い言動として普通の言葉よりも真剣に耳を傾ける。それをより重い言葉や行動として読み取る。そしてその分、その重さに耐えうるための余裕を持つ必要がある。それが笑いとして場に満ちているのだと思う。
唐突だが結論として、こうしたゆとりや笑いは“文化を育むゆりかご”になるように思う。実際に銀河の里では、そこから物語が生まれ、絵や漫画、詩や音楽も育まれている。老いや病や障害をディスオーダーとして捉えるばかりでなく、生命の横溢、ほとばしりとしてその意味とエネルギーを受け止めようとしてきた。人間の発見と新しい理論の展開、文化の創造、里の取り組みはそうした挑戦でありたいと思う。