2016年07月29日

「 相織り銀河 」 ★ 佐藤万里栄 【平成28年3月号】

ぎゃらくしろう.jpg
彼がいた。私がいた。
私は、彼と過ごした日々に思いを馳せる。
必ず足をくんで座っていたこと、カレーやおそばが好きで食べてもらったこと。
たまに語る言葉に、一心に耳を傾けたこともあった。
目を閉じたまま、いつもせわし気にしてる彼を囲む思いやまなざしは、
皆それぞれ色も形も違っていたが、
気が付くと皆、私や彼の周りにいて、その思いは私と彼のもとへ集まって輝くようだった。
彼が去った今、ひしひしとその頃の思いが湧いて出て、
私は彼と仲間の絵を描き上げた。
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利用者の「あわい」とメッセージ ★ 理事長 宮澤 健【平成28年3月号】


 前回「あわい」について書いた。便利で快適な社会になりすぎた裏で、関係性を失い、孤独を抱えなければならない現代にあって、認知症の高齢者など、介護や支援を必要とする人たちの存在が、関係や関係性を取り戻す重要な通路になる可能性を秘めているのではないかと問いかけたかった。
 一方「関係」は、必要で大事ではあるものの、これほどやっかいなこともない。だからこそ便利、快適になるにしたがって、関係を切る傾向になるのも当然なのかもしれない。現実の事情はかなり複雑で、関係性を失いながらも、同時につながりにも疲れて、自分をなくし、居場所のない不安感に苛まれるという状況にあるようだ。孤独に苛まれながら、さらに「ひとりになりたい」と叫ばざるを得ないような在りようとはなんだろうか。関係を失いつつ、つながりには縛られているということなのだろうか。「あわい」を生きるということの意味をさらに考える必要があるように感じる。

 現代人はネットやスマホなどでいっぱいつながっている。それもひとつの関係ではあるのだろうが、何か違うような気もする。やはり人と人が対面する意味は大きいと思う。その点、介護は、人との対面の近さにおいては、とても深く濃い立ち位置で行われる。身体的な接触も含むので、対面を超えてさらに密接な次元にも入ると考えていいだろう。おそらく銀河の里では、こうした対面や身体接触を慎重かつ丁寧に活かしながら関係性の物語を紡ごうとしてきたような気がする。目的を「関係性の物語」に置いており、介護をやっている認識はほとんど無いようなところがある。だから、介護の研修などで介護についての話を聞いても、どこかピンとこないということになるんだろうと思う。介護と関係無いわけではないし、表向きはしっかり介護や支援なのだが、やりたいことやその目的は少し違うところにあるように思う。

 日本の介護をめぐる状況は惨憺たる現状を呈してきていると言えるだろう。介護は、人々の関心としてはできるだけ考えたくない部類に入っているようで、ブームとして話題にはなりにくいのだが、それでも介護現場や介護場面で起こる事件やトラブルは、殺人や虐待など含めてかなり切実な事態になっていると思う。もともと事故の起こるリスクが高いなかで、認知症の人など、やりとりが通常のコミュニケーションでは難しく、一般的な管理や対応では通じにくい困難な現状がある。そこでは次元の違うような、これまでとは違った新しい意識の変革が求められる。介護を一般的な考えで「作業」と捉えてしまうと、急に平板化してつまらなくなるところがある。「ケア」という概念を深めることで、人間の本質的な在りように迫ろうとする研究も進められていることからも、日本語の「介護」も、もっと違う次元にまでに深めることができないものだろうか。具体的に最近の出来事から考えてみたい。

 グループホームのAさんがスタッフの三浦君に「八幡平に連れて行ってくれ」という話になった。Aさんにとっての八幡平は、昔の恋人を探しに行くところで、これまでも何度も出かけた。ところが今回は少し違った。三浦君は里に7年勤めてきたが、子育て等いろいろ事情もあって、この春、退職することになっている。イケメンでモテ男の三浦君は女性に甘えるのも上手くて、その分仕事もやり手なのだが、今時の男性らしく、女性に主導権をとられてしまうというか、飲み込まれてしまいやすいところがある。女性遍歴に絶対の自信のあるAさんは、女性に甘えたなところが三浦君と共通している。三浦君は出かける前から「Aさん、何しに行くんだ?」と戸惑っていた。「最後に何か伝えたいんだよ」と私は言うのだが、本当はどこかで自分のことだと解っている三浦君は戸惑って受け入れようとしない。ともあれ、日程を組んでその日がやってきて出かけた。

 例のごとく、昔の彼女の家を探して走ったのだが、Aさんはキョロキョロするでもなく、「もっと行け」という感じで走りに走って、ついに道のないところまで行ってしまい、「もう何もないから帰ろう」ということになった。それでもさらにAさんはあちこちに行きたい感じだったが時間切れで帰ってきた。帰ってきて三浦君は「何だったんだ?」と悩んでグルグルしている。一方のAさんは、何かやりきったかのように、すっきりして機嫌もよかった。
  「だから、甘えたくて追いかけても、そんなもん結局、道のないところに行き着くだけで何もないぞ、自分を見失うな、ってことじゃないの?」と私は言うのだが、三浦君はかたくなに受け入れないで悩んでいた。甘え倒して生きて「男としてどうよ?」を体現しているようなAさんが、三浦君の新たな旅立ちを機に、大事なことを伝えようとしてくれているのは明白だと思うのだが・・・。

 最近、グループホームに入居になったIさんは、上記の二人とは対照的だ。60代にガンに罹ったが、パチンコが好きだったIさんは、医療費をパチンコにつぎ込むために治療は一切しなかった。パチンコ屋に通うために60代で運転免許を取り、90過ぎて車を運転できなくなると自転車で通ったという。私財の大半をパチンコにつぎ込んだという猛者だ。Iさんの凄いところは、そんなめちゃくちゃをやりながらも地域からの人望が厚く、‘男らしい男’として成り立っているところだ。実際、グループホームのリビングにいてもIさんは親父らしくドーンといて、堂々たる風格をにじませている。男性に厳しい女性利用者からの理不尽な口撃に、これまでの男性利用者はひるむか逃げるかだったが、Iさんは怒るわけでも反撃するわけでもなく、まるで動じない。まだこんな男走った親父が生き残っていたのかと感動させられる。

 何が違うのか? 今時パチンコにお金を突っ込むようなことをしようものなら、たちまち男は地に落とされる。「生きている価値すらない」くらいに罵られて抹殺されるだろう。実際、モテ男ながら甘えたで地に落とされたAさんもいる。ましてや三浦君が今の時代とこれからを‘男’として生きることはとても難しいだろう。
先月のバカらしいテレビの話題もそうだ。高学歴で背が高くてイケメンでやり手のモテ男が、公募で自民党の国会議員になった。早速、同僚女性議員と結婚し子どもが生まれることになった。男は産休をとると宣言して話題になった。そのあと、妻の入院中の不倫発覚で議員辞職という結末。どこにも‘男’はいない。バカらしいくらい完全に地に落とされて終わる。

 Iさんが‘男’でいられたのは、時代なのか奥さんなのか、要因はいろいろあるのだろう。これからを生きる三浦君は‘男’を立てられるのだろうか。パチンコをしなくても、甘えなくても、不倫をしなくても男というだけで怒りを向けられ地に落とされる厳しい時代だ。男女平等参画社会はいいのだが、男女ともに生きにくい時代は困る。男女は同じじゃないし、女性が現代社会で抱える課題は増えて重くなっているかもしれない。支え合うのは当然としても、地に落とされないで男も育ってほしい。
 Aさんがなぜ三浦君を誘ってくれたのか、本当のところは解らない。でもどうにも意味がありすぎる。Iさんは何も語らないけど、今とこれからの時代に男がどうあるかを考えさせられる。

 銀河の里は認知症に専門性を持つ施設という周囲からのイメージもあってか、里の利用者の中には認知症の深い人が多く、現実的なリアリティのある言葉を使える人は少ない。そんななか、寝たきりで発語のない人から多くのメッセージをもらうことがある。むしろ言葉のない人の方が、コミュニケーションのインパクトも内容も濃くなるくらいだ。そうした場合は、言葉そのものの聞き取り記録よりもイメージを使うことが重要になったりする。利用者の言葉も象徴的になってイメージ理解の方が重要になる。実際、「作って」という単語だけで全てのコミュニケーションをする人もおられた。認知症の人は複雑な言葉は使えないがイメージはより豊かになる。

 内田樹は「死者や死につつあるものからのダイイング・メッセージは、ことばではなく、死につつある人のさらに向こうからくるメッセージだ」として、ことばではないそのメッセージを「聞き取る能力が、人間の人間性を基礎づけている根本的な能力だ」と言う。各現場での利用者の語り様によって、状態や状況によって、ケアを通して文化社会、時代、人間を見つめるということの手法や次元は変わってくる。ただイメージを使う場合は普遍性がなくなり、より主観的になってくるから、単純には一般に伝わりにくくなってしまう。そうしたメッセージを感受するにはそれなりの訓練や研修が必要になる。銀河の里の研修が、能や音楽、絵画の鑑賞であったり、ダンスなどの身体表現や料理を味わうことであったりするのはそうした意味が含まれている。
 男女にせよ、関係や関係性というやっかいなモノは捨てて一人になれば楽なようだが、それはまたつまらない世界に転落することもわかる。楽でもなく、やっかいで、危ないかもしれない関係の世界。里では「存在」「関わり」などのキーワードを使いながら「あわい」を生きるにはどうあるべきか、考え続けてきた。時代と共に里もいろんなところで行き詰まっているが、微かであっても未来への可能性を探りたい。

【参考文献】朝日新聞記事(日付不詳)ひとりになりたい/「ケアすることの意味」皆藤彰 訳・監訳 アーサー・クラインマン他/「死と身体 コミュニケーションの磁場」内田樹


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ユニット新年会 -すばる温泉- ★ 特養ユニット栄養士 佐藤由実佳【平成28年3月号】

 
 特養すばるのユニットで新年会をやろうということになり、千枝さんの発案で銀河の里のデイサービスのホールを借りて、すばる温泉日帰り旅行をすることになった。一応、管理栄養士の私は、お昼ご飯の献立を任せられることになった。温泉に行ったら出てくる料理とは・・・温泉に行ったときに出てきたら嬉しいご飯とは?と考えてみたが、そもそも私は温泉が嫌いで温泉にあまり行ったことがなく、どうにも温泉らしい献立の発想が湧いてこなかった。あまりにぐずぐずしていて献立が決まらないのを見かねてか、ユニットの先輩スタッフが蕎麦、天ぷら、お寿司等いろいろと提案してくれたのだが、とろいくせに強情な私は、自分のなかでこれだというものに思い当たらず、それでも決めかねていた。

 私が「食」に関してユニットで気になったことに、利用者のユキさん(仮名)の言葉がある。夕食を食べたのに、夜寝る前には「オレ何も食ってない」と毎日訴えてくる。ユキさんは何を食べたらこの「何も食べてない」のフレーズが出てこないのかなと考えた。ユキさんが「何も食べてない」と言わなくてもいい、そういう料理を作って出したいと思った。だからユニットで料理を作るときは常にユキさんに満足してもらいたい、お腹いっぱい食べてもらいたいと思って作るようになった。そうなると献立を作ることに悩んでいた私なのに、これを作ってみよう、これならどうだと次から次に作ってみたい料理が浮かんでくるのだった。
 そのことに気がついて、温泉で出てくるような料理ということにとらわれず、利用者さん一人一人を思い浮かべて、利用者さんが喜びそうな料理を考えようと思い直した。お刺身、お寿司が好きなユキさんと隆二さん(仮名)。食事量が減ってきているが好きな物だったら喜んで食べてくれるツナさん(仮名)。クミさん(仮名)やトミ子さん(仮名)が好きなスイーツ・・・と考えていくと、自然と献立は出来上がり、ちらし寿司、エビの味噌汁、ふろふき大根、かぼちゃの煮物、なます、きゅうりの一本漬け、あんみつと決まった。
 ちらし寿司はお刺身が好きなユキさん・隆二さんの顔が浮かぶ。エビの味噌汁は稲刈りの時のこびるに出て好評だったので、スタッフからのリクエストもあった。ふろふき大根は大晦日に先輩スタッフが作ってくれ、ソフト食の人でも食べられるので今回も作ることにした。かぼちゃの煮物はかぼちゃが好きなツナさんに。なます、きゅうりの一本漬けはユキさんがかぶりついている姿が見たかった。あんみつは甘い物が好きなクミさん・トミ子さんに。並べてみればどうもかなり季節外れだが、それぞれの料理に思いがこもった献立となったと思う。

 すばる温泉当日、厨房のスタッフと一緒にデイサービスで調理しながら、食べてくれる人の事を考えていた。喜んでくれるだろうか、どんな表情を見せてくれるだろうか、そんなことを考えワクワクしながらすばるの利用者さんみんなが来るのを待った。ちらし寿司の盛り付けはみんなで楽しく一緒にやりたいと考えていたので、利用者さんにも協力してもらい作っていった。一生懸命ご飯をうちわで扇いでくれたユキさん、周りに人がいなくなると、すかさずつまみ食いして楽しんでいたよう。完成が待ちきれずにネタを食べている隆二さん。デイサービスに着く前にしゃべり過ぎて疲れて、デイに来たとたん眠り続けたフクさん(仮名)。でもフクさんのこの感じはいつも通りで安心してほっこりさせられる。クミさんは険しい顔をして眠気と闘いながらソファーに座り、ちらし寿司の完成を見ていてくれた。いつもながら、みんなそれぞれ自分の役割を果たしてくれている。
 そうしてちらし寿司が出来上がった。いざ食べ始めてみると、寿司桶を目の前に置いてひとり占めしているユキさん、かぼちゃの煮物が盛られた丼ぶりを膝の上に置き黙々と食べているツナさん、行事食の時は毎回「おいしかった、生きていてよかった、俺は幸せだ」と話す健吾さん(仮名)。今回も「幸せだ」と言いながらご飯を食べてくれた。会話こそ少ないものの、「どう?」と聞くと「おいしいよ」と、コソッと話し、ニコッとしてくれたクミさん。最近は目がなかなか開かないトミ子さんが両目パッチリ開けてご飯を食べてくれた。そんな一人一人のいつもとは違った表情が私を幸せな気持ちにさせてくれた。

 私は学生の時から献立作成が苦手でとても苦労した。栄養計算の数字とばかり向き合っていたからだと思う。様々な栄養素の決められたエネルギー数値を元に献立を理想的なものに近づけるという、いわゆるバランスの良い献立を作るという考え方は理解できるが、いまいち実感が伴わなかった。自分が作った献立で料理として誰かが食べてくれるところが想像つかない感じがどうしてもぬぐえない。手応えがない。つまり楽しくはない。
 しかし今回もそうだが、食べてくれる人の事を考えたら自然と献立が出来上がってくる。学生時代は“食”とは何か、食べることとは何かについて曖昧なままの認識でしかなかったからか、管理栄養士の勉強をしているにも関わらず、私自身が食べることの意味が分からなくなっていた。食べる必要性さえ感じられなくなっていたかもしれない。食べるということが人間の存在から離れてしまい、対・人でなく、対・数字となっていたのだろうと思う。
 銀河の里で働き始めて一年になろうとしているが、里の現場では、食べることの手応えをどこかで感じてきたのだと思う。食べることが好きで楽しみにしている人も多い。その人たちがおいしそうに食事している姿を見てきた。また、段々と食事ができなくなって、もう食べられなくなってしまう利用者さんを間近で見てきた。それでもその人のために何か作ろうと私も周りのみんなもがんばった。栄養摂取は不可能になっても食事は可能だということも解ってきた。食べるということは生きるということなのだろうと様々な食事の形を見て改めて実感する。

 そんなことを理事長と話していると、「ゴリラ研究者で京都大学総長の山際寿一氏が、食事の起源はコミュニケーションだと説いている」と氏の講演録音をよこしてくれた。確かに餌を食べるのと食事とには大きな隔たりがある。その違いはなんだろうか。「事」だからひとつの儀式なのだが、その奥にある本質は、お互いを理解し、一緒に生きていくために仲良くしたり、助け合おうとするコミュニケ-ションということになるのだろう。そう考えると食事も実は奥が深い。「何も食べてない」というユキさんの訴えは、もしかすると「食べてない」ではなく、「誰とも仲良くなっていない」「解り合えてない」だったとしたら、どうしよう。認知症の物忘れなどと簡単に片付けて通り過ぎることはできない。とても突きつけられた気持ちになる。おいしい料理、好きな食べ物が儀式としての食事を通して、人と人を繋いでいくのだということも、管理栄養士としては学ぶ必要があるのかもしれない。

 このすばる温泉で私が特に印象的だったのは隆二さんだった。普段のすばるでは見せない表情をたくさん見せてくれた。隆二さんは昨年8月に入居した、元石切り職人さんだった方だ。入居して間もない頃は、外に出て歩いて行ってしまうことが頻繁で、鍵を開けて窓から外に出てしまったこともあった。でも歩いたのは最初の一ヶ月ほどで、最近は窓が開いていたら閉めてくれる。もう外に出ないのかと少し寂しく感じる反面、ここが居場所となって落ち着くことができたのなら良かったのかもしれないと思う。当初、隆二さんはお風呂に誘ってもなかなか入ってくれなかったのだが、そのくせ、朝、スタッフの手薄な時間に一人でお風呂の浴槽につかっていたりして、みんなを慌てさせることもあった。以前はそんなアクションもあったのだが、今はそんなこともなくなり、居室とリビングとの行き来に終始しているようで、私は物足りなく感じてしまう。肩身が狭い訳ではないのかもしれないが、らしさが発揮できなくて、なんとなく縮こまっているように見える。
 そんな小さくなっているような隆二さんだが、デイサービスに場所を移したすばる温泉で、お風呂に入った後、ご飯を食べているときの姿に私はハッとした。一瞬なのだがほんの少し、背筋がシャンとして威厳に満ちた隆二さんがいた。縮んでない大きな隆二さん。表情豊かに笑っている隆二さん。普段のすばるでは見られない表情をいくつか見せてくれた。

 外を歩かなくなったころから、隆二さんはなぜかゴミ箱とリモコンを、リビングのテーブルの自分専用の位置にセットしている。人生はゴミのようなことばかりだったと言っているのか。そんなものは全てゴミ箱に捨てて「これからの人生の総仕上げを操作するぞ」ということなんだろうか。いつ、どういうきっかけから言葉を捨てたのか、言葉は発せず語ることのない隆二さん。だが意思ははっきりしている。黙ってお前らに従ってたまるか、おれは自由だ、意のままに生きてやると、体の奥深いところで叫んでいるのが聞こえてくるようだ。私は、隆二さんのその本体が出てきてくれないかと期待している。職人だった隆二さんのプライドや意地がそこに秘められていると私は感じる。男のコケンやわがままもあっていい。遠慮して縮こまったりしないでほしい。隆二さんが自分を出せなくて縮こまってしまわないようなユニットの雰囲気と、スタッフとしての意識を高めていきたいと思う。
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甘酒・ポタージュ・ドリンクで新たなアプローチ ★ 厨房栄養士 高橋 仁美【平成28年3月号】


 私が里で甘酒やスープを作り始めたのは、就職してすぐの夏でした。夏バテなどで食が進まなかったり、水分補給に工夫が必要な高齢者のために作ってみてほしいという理事長からの提案がはじまりでした。
 甘酒は、飲む点滴と言われるほど栄養価の高い食品です。厨房手作りの甘酒はすべて里産の米麹と餅米を使ったノンアルコールの甘酒です。とろみのあるのど越しと懐かしい味で高齢者のみなさんも気に入ってくれたので、水分が十分に摂れなかったり、甘酒で栄養を摂ってほしい利用者さんのために、各ユニットの冷蔵庫に常備してもらうようになりました。
 しかし毎日飲むとなると飽きたり、麹独特の香りや甘さが苦手な人もいる、という声もユニットから上がってきたので、甘酒に別の食材を加えて飲みやすくし、さらに栄養価を高めたスペシャルドリンクを作ることにしました。

 まず目をつけたのは高齢者も大好きなバナナです。バナナシェイクを作る要領で牛乳とバナナ、そして砂糖の代わりに甘酒を入れてみるとほどよいとろみと柔らかくなった麹の香りで飲みやすいドリンクができました。甘酒の栄養素にバナナの糖質や食物繊維がプラスされ、栄養価もアップします。ココアを入れると、ココアに含まれるポリフェノールの効果や銅・亜鉛などの栄養素も得られるので、エネルギーだけでなく不足しがちな栄養素を補うことも期待できます。普段、とろみ剤を混ぜて飲み物を摂る利用者さんも、バナナのとろみが効いてそのまま飲むことができ、一番人気のドリンクメニューになりました。

 次に、おしるこのイメージから、小豆のあんを選びました。こしあんに甘酒と牛乳、少しの生クリームを加えると、こってりとしたお菓子のような感覚になります。そのほかにリンゴやモモの缶詰、パイナップルの缶詰にヨーグルトを組み合わせて甘酸っぱいドリンクを考えたり、イチゴやブドウなどその季節のものを選んでみたり、スタッフや利用者さんからもアイディアをもらっていろいろなバリエーションを考案しました。
食事後や、また食事が摂れなかった場合でも、デザートやスイーツの感覚で手軽に飲めるドリンクを目指して作りました。地域の人が集まるアップルカフェでは、新たにカボチャやトマトを使った甘酒も作り、試飲をしてもらいながら、レシピの配布もしました。特養やグループホームの利用者さんだけでなく、デイサ―ビスの利用者さんやそのご家族にも甘酒の活用方法を紹介できたことでの広がりを感じました。今後はソフト食を食べている利用者さんの一品として、水分が不足しがちな利用者さんのおやつとして、食事が摂りにくい利用者さんの主食やデザートとして、さらに展開していきたいと思っています。

 ポタージュにも取り組みました。ポタージュは一食の食事を完食するのが難しい利用者さんや、利用者さんの負担軽減のために楽にとれる食事を目指して開発を進めてきました。
 一番初めはビシソワーズを作りました。ジャガイモでとろみがつき、牛乳と生クリームでカロリーやたんぱく質などが摂れます。もともとある程度のとろみがついているので、とろみ剤や凝固剤を使用しなくても飲むことができることから、ビシソワーズをベースにとろみのついたポタージュの開発に力を入れました。
 バターや生クリーム、牛乳などで風味やカロリーを出し、ブロッコリーやカブなど様々な野菜を煮込んで試作しましたが、ジャガイモやサツマイモなどのポタージュに比べると、野菜のみのポタージュはミキサーにかけて裏ごししてもとろみはつきません。カロリーも低いままです。普段の基本の食事から見ればポタージュは汁物に該当します。しかしこの一杯で一度の食事に匹敵するものにするには、十分に食事ができたと言えるだけの栄養素とおいしさが必要でした。そこで思いついたのがごはんもお肉・お魚も入れてしまおう!という発想でした。煮込んでいる野菜スープの中にごはんも入れ、ミキサーにかけて裏ごしすると、ごはん・汁物・副菜で摂る栄養素が一度に摂れるポタージュになりました。ごはんはクセがないので食材の味を邪魔することもなく、ほど良いとろみをつけてくれます。さらに栄養価を高めるために入れたのが肉や魚などの主菜となる食材がエネルギー、たんぱく質などをアップしてくれるだけでなく、さらに旨みがアップしました。
 高カロリーポタージュは夏バテや食欲不振の利用者さんを中心に、普段の食事の補助としてユニットの冷凍庫に常備しています。必要な場面にすぐに用意でき、真空パックで冷凍すれば作り置きもできます。利用者さんの要望に応えて、甘いカボチャやサツマイモのポタージュを作ったり、シチューのようにたくさん野菜を使ったクリーミーなポタージュを作ってみました。

 徐々に種類も増えてグループホームなどにも常備してもらうようになると、ポタージュでカロリーも補いながら食物繊維も摂りたいという新たな要望がでてきました。これまでは、便秘気味で食物繊維を摂りたい場合には寒天ゼリーなどを食事にプラスしていましたが、今回はポタージュに食物繊維の豊富なゴボウとエノキを入れて作ってみました。高カロリーポタージュでは一杯で一食分の栄養が摂れることを目指してきましたが、もっとポタージュでも様々な要求に応えられるようになるのではと考えました。カロリーを補うだけではなく、その他に付加できる要素が広がれば、ポタージュでの個別対応ができます。例えばたんぱく質に特化したものや、食物繊維に特化したものがそれぞれあれば、その日の利用者さんの体調や食事内容に合わせてポタージュを組み合わせができます。
 今では高カロリーポタージュにごはんだけでなくパンを入れたり、甘いポタージュを凍ったままアイスとして食べてもらったりと発想が広がっています。ごはんにかけてリゾットにしたり、甘酒と割ってドリンクにするメニューも生まれています。今後はポタージュの種類を増やすだけでなく栄養機能食品のように何かの栄養素に特化したポタージュを考えていきたいと思っています。利用者さんの食事の可能性を高め、豊富な選択肢を備えるべく、開発をしていきたいと思います。

 甘酒、ポタージュに続いて、さらに寒天を使ったドリンクも開発しました。甘酒とポタージュは食欲不振や夏バテ、ソフト食の人向けでしたが、寒天ドリンクは便秘気味だったり体重が増加している利用者さんのために考案しました。寒天はノンカロリーで高血圧の人にもおすすめの食品です。その寒天をノンカロリーの甘味料と少量のジュースでゆるめに作り、水や炭酸水で割るのが寒天ドリンクです。便秘気味の人は水で割ることで寒天の食物繊維と水分で便通改善、体重が気になる人には炭酸水で割ることで満腹感が得られると考えました。
 便通改善の効果は人によってでしたが、グループホームではいつも食べているヨーグルトに相乗効果を狙って、寒天ドリンクをかけて食べることもあり、デザートやおやつと一緒に飲めると好評でした。体重増加が気になる利用者さんには食感があるとさらに満腹感が得られると考え、細かく切ったコンニャクを加えたものを、お腹がすいた時に飲んでもらいました。真空パックにした寒天に水や炭酸水を注ぐだけという手軽さと、低カロリーで好きな濃度に調整できるということもあり、特養でも活躍しました。

 今まで、現場の利用者さんの状況に沿う形で、甘酒・ポタージュ・ドリンクとアプローチしてきました。普段の食事もとても大切ですが、ごはんがあって味噌汁や主菜、副菜という構成の食事を食べることができなくなってしまう利用者さんもたくさんおられます。生きるための食事として、最後にはその形態が飲み物だけになるという段階にいたる場合もあります。現在は病院処方のエンシュアや栄養補助飲料など企業からさまざまな商品が登場していますが、そういった商品はあくまで栄養の補助であり、味も甘い物が多く、食事としては位置付けできません。
 食形態として飲み物を選択される利用者さんにも食事の楽しみや好みなど幅広い選択肢が増えていくようにさまざまな味、栄養価の物を展開しつつ、食感や質感にも着目して栄養補助から抜け出した「食事」としての飲み物を考えていきたいと思っています。飲み物でもなめらかさや硬さで変化がつけられますし、ゼリー状やクリーム状など、まだ試していないたくさんの可能性もあります。飲み物という形態を最後に選択する利用者さんのみならず、ソフト食、刻み食、常食の利用者さんにも選んでいただけるように、味や食感、栄養素を考慮し、食事として楽しい時間を過ごせるような飲み物メニューを増やしていきたいと思います。
 また、アップルカフェなどで甘酒やポタージュなどを紹介してきましたが、通所や在宅での介護でも、飲み物としての食事があると助かると思います。そんな場面にも使えるような工夫もしていきたいと思います。
これからも、甘酒・ポタージュ・ドリンクを食事の形態としての選択肢のひとつとして成り立つような料理を開発していきたいと考えています。
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龍太狼節 〜パンクロッカーのつぶやき〜 「書き初め 〜文字・言葉・無言・心・響く・繋がる〜」 ★ 特別養護老人ホーム  酒井隆太郎 【2016年3月号】

2016年。平成28年、始まりましたなぁ。
あぁ、まだ1月も終わってねぇなぁ。
そろそろ終わるころかなぁ。終わっちまったかなぁ。
さあぁて、今年なぁ、今年ねぇ、

どうなるんだろうねぇ。どうなるんだろうかぁ。
わからねぇなぁ。わかりたくもねぇなぁ(笑)
あぁ、冗談でやんすよぉ(笑)

あぁ、年の始まりでさ、日本の風習で、日本の文化?
新年の書き初めなどあるなぁ。
自分自身の決意表明みてぇなのか?その他もろもろ?
それ以外?
よくわからねぇけど(笑)あなた本当に日本人?(笑)
日本人じゃなくてもやるか?
俺達のユニットじゃぁ、まだやってねぇけど。
みなさん毎年、書いてますかぁ?(笑)
日本の風習ですよぉ。文化ですよぉ。
あぁ、そう!すごいねぇ! マジ!書いてる!
すげえなぁ!たいしたもんだぁ! 日本人でやんすよぉ!

俺ぁ今年も書いてねぇよ。すんません。ごめんなさい。
俺が、皆さんにふっておきながら、書いてねえって、
話しにならねぇよなぁ。
俺ぁ、まるでおっかなくて書けねぇよぉ。
今年の抱負?今年の目標?なに?知らねえよ?
あぁ、俺ぁ日本人じゃぁねぇなあぁ。(笑)
ヤバイっすねぇ(笑)
あぁ、俺なぁ銀河の里でねぇ、やりてぇことぁたくさんあるよぉ。やってみてぇこともたくさんあるよぉ。
全てだなぁ。まるで欲望の塊だあぁ(笑)

人間は、当然俺も含めてさぁ、欲望の塊のような気がするが、
だけどねぇ、
ただの欲望だけじゃぁ、なぁんにもつまらねぇからなぁ。
そんなもんじゃぁねぇしなぁ。
マジでさぁ、何かを大きく変えたりしてみてぇよなぁ。
人間そのものをさぁ。デカイか? デカすぎるかぁ?
んでもさ、それが、自分であったり、
他人であったり、世の中であったりさ。
なかなか言葉にゃぁできねぇけどさ。
マジ、デカすぎるよなぁ。(笑)
デカイだけじゃぁない、とても小さなこともある。
小さいがデカイんだよぉ。小さくて細かくて、わかりづらくたってかまわねぇよぉ(笑)
自分自身が一番わかっているからねぇ。
ああぁ、俺の言いてぇことぁさぁ。
書き初めみてぇな決意表明みてぇなことか、欲望だけの塊じゃねぇよなぁ、言葉だけじゃねぇよなぁ。
デカイか小さいかだけじゃぁねぇよなぁ。

銀河の利用者達は、既に言葉にしている。
今年どうなるのか、どう生きていくのか。
どうなっていくのか。
あぁ、既にわかっているかのようにねぇ。
そう、デカイも小さいも全く関係ねぇのさぁ。
自分自身が一番わかっている。

言葉を話すことができる利用者もいる、
文字を書ける利用者もいる。
言葉を話すことができない利用者もいる、
文字を書けない利用者もいる、そう無言である。

目で見えるもの、そうじゃないもの。たくさんある。
それこそ、デカイか、小さいか? あぁ関係ねぇよぉ。
りっぱな言葉?適当な言葉?綺麗な言葉?きたない言葉?
それは、絵画であったり、歌であったり、音楽であったり、
いろいろなところであるのではなかろうか。
それでも、最終的に響き合うのは、互いの心ではなかろうか。
俺は、そう感じる。

言葉巧みに丁寧に発していても、その人の心がみえなければ、まるで、きたない。言葉がきたなくても、その人の心がみえているのであれば本当に綺麗な言葉になるんじゃないのかと俺は勝手に感じてしまう。
どんなに綺麗な歌、素敵な歌であっても心がなければ、
ひでぇ歌になる感じがするし、
どんなに、きたない歌であっても心があれば、
綺麗な歌に感じてしまう。

だけど、ちゃぁんと利用者達は自分なりに言葉にしている感じがする。
そう、心にちゃぁんとある。響く、そんな感じがする。
だけど、俺達にはそう簡単には公表しない。
するわけねぇよぉ(笑)
なかなか、公表してくんねぇんだよぉ(笑)

そりゃそうさぁ、また今年一年いろいろな関わりをして正面から向き合い、それを探し見つけ出すのが俺達の仕事さぁ。
仕事?まぁな、共に生きていくことね。
ああ、銀河の俺達ぁそうだね。
そう言うねぇ。そう感じるねぇ。
ともに生きていけねぇ奴にゃ探し出すことも見つけ出すこともできねぇよぉ。
そうさ、そう簡単にゃ教えてくれねぇよぉ。俺もそうさ。
誰でもそうじゃぁねぇのかなぁ。なぁんて感じるけどねぇ。
まあ、確かに俺ぁ、今年も書いてねぇよぉ。
いばって言うことじゃねぇよぉ。

だけどねぇ、一年また楽しみなんだよなぁ。
どんなことがおきるのか、どんなことがおこるのか。
さっぱりわかりゃしねぇ。
一年、必死になって共に生きてみることで、
言葉や何かがたくさん出てくるんだよなぁ。
共に生きたことが何かに変わり生まれるんだよなぁ。
そんな気がするんだよなぁ。
逆なんだよなぁ。逆だよなああぁ(笑)
書き初めと逆じゃ(笑)

だからさ、今年も必死になってさ、銀河の利用者と共に生きて関わり合って、どうなるのか、心に書いた書き初めを、最後には探し出し見つけ出しますよぉ。
俺も今年、自分の心に書いた書き初めを、利用者の心に発信しながら、いやっ、全ての人間に発信しながら皆さんと共に生きていきますよぉ。
そうです、歌う介護士ですからね、歌っていきますよぉ。心に響くようにね。

ここだけの話、実はね、俺はね、本当はね、
坂本龍馬と書こうと思ってました。
なぜ?(笑)
この日本を変えた人。現代の介護業界を変えた人(笑)んなもんありえねぇよぉ!(笑)
あぁ、そんな冗談話はやめて。まぁいいやぁ。(笑)

利用者の言葉にならないこと、無言の訴え。
利用者が簡単に出せないことがたくさんある。
そして、たくさんわからないことがある。その互いの
心の中でしかわからないことがたくさんある。
認知症であろうが、なんらかの病気であろうが、
俺達同じ人間同士、文字でも言葉でも、絵画でも歌でも、いろいろたくさんあるんだよなぁ、
そう響き合える心のラインを越えて、互いに響き合い、
感じ合い、繋がり合い共に生きていきたいものですなぁ。

あぁ、また今年の年末あたりに、
利用者にとっても、俺にとっても、
ただの、つまらねえ欲望だけじゃねぇ、
デカイ、小さいだけじゃねぇ、
ちゃぁんと、互いの心に響く人生の言葉や文字が、
たくさん出ますように。

それから、俺は歌ね。

まずは、この言葉、
さあっ、今年もみんなで一緒に頑張ろうや(笑)
posted by あまのがわ通信 at 16:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする