どんなに伝えようとしても、伝わらないことがある。どんなに繋がろうとしても、繋がることができないものがある。私は、この半年間、霊魂という、現実的には伝えることも繋がることもできない、目に見えないものの話を通じて、祥子さん(仮名)と関わってきた。その中で、祥子さんが見えなくなってしまうような感覚になったこともあったし、自分自身が居なくなってしまったような気持ちになることもあった。それでも、祥子さんが話し続ける霊魂というものに、私は会いたかった。
春先にすばるに異動しても、2ヶ月間くらい、私は祥子さんの部屋に入ることができなかった。入浴の時も女性スタッフがついているので、単に男性である私が、部屋に入ることがためらわれたということはある。ただ、それにも増して、祥子さんについて伝え聞いていた幽霊の話に、怪しさを感じ、すばるの中で唯一、鍵が掛けられていることが多い祥子さんの居室に近づき難かった。だから、いつも祥子さんとは部屋の出口で出会い、入り口でさようならだった。シャンシャンと歩き、トイレにも自分で行ける祥子さんだったから、それで良かった。
祥子さんはよく、「嘘ついたら地獄に行くんだよ〜」と話していた。そのくらいの話だったら、笑って聞くことができた。「じゃあ私は地獄に1万回くらい行かないとないねぇ」なんて返していた。「夢で地獄さはよく行くのだけれど、極楽へは扉の前まで行くんだけど、開けられなかった」という話もしていた。これも、「どんな扉だったの?」なんて面白がって聞いていたけれども、何度も繰り返される“嘘ついたら地獄に行く”の話に、“嘘”と“地獄”が祥子さんにとってどういう意味を持つものなのか気になり始めた。
そんなある日、“嘘ついたら・・・”の話をしていた祥子さんが、急に、「あのねぇ、パン作ったったのよ」と話し始めた。「パンを作ったの。みぃ〜んなニセモノで。みんなにナイショにして、みんなのとこに持ってって、どうぞ〜♪なんて言って。そしたら、みぃ〜んな何にも知らないから、おいしそ〜って言って・・・」以前スタッフと、“ニセパンでだますイタズラ”をしたらしく、そのことを笑いながら、楽しそうに話してくれた。けれども、私はどこか奥底の方で、笑えていない祥子さんを感じた。そして最後に祥子さんは、「その夜からだったよ〜、地獄の夢見るようになったのは」と言った。
ニセパンの思い出は、祥子さんにとって楽しい思い出だった。でも、そこで小さな思い残しが生まれた。それは、後悔というにはとても小さなもので、祥子さん自身もなんと表現したらよいか分からないのだろう。ニセパン作りで生まれた小さな思い残しを今、話してくれる祥子さんと一緒にそれに向き合いたいと感じた。
今まで、祥子さんに感じていた怪しさは、そんな積もった思い残しから来るのではないかと思えた。楽しそうにお出かけしたり、踊りを踊ったり、話をしている祥子さん。でも、奥底には違うものがある。笑ってても泣いているし、怒ってても笑ってるし、泣いてても怒っている。うまく言葉にできないが、そんな感じ。行き場をなくしたものたちが、グルグルと巡っている。それらに触れるのが怖くて、私は祥子さんの部屋に近づくことができなかったのだと思う。けれども怪しさの根っこがそういうものならば、そんな怪しさは、私自身に全てはね返ってくるもので、それほど意識することはないが、私にも思い残しがたくさんあるのだと思った。言葉にできず、行き場をなくしたそれらが、ふとした瞬間に表に出て来て苦しくなる。祥子さんの怪しさに向き合うことは、私自身の怪しさと向き合うことだ。だから、祥子さんの話す幽霊にも、会いたいと思うようになった。
その頃、祥子さんは体調を崩し始めた。足に強い痛みを訴えるようになり、歩くことすらままならなくなった。一人では立ち上がることが難しく、介助が必要になっていた。私にとっては、祥子さんと向き合おうという思いと、部屋に入る必要性とが重なった。
意を決して、初めて祥子さんの部屋に入った日、話は、「ここに来た頃、自殺考えたったよ〜。よっぽどテーブルの上で自殺しようかと思ったった!」から始まった。「薬飲んで自殺しようと思って、玄関まで行ったのだけれど、どこに行くんですか?って止められて。部屋に人が勝手に入ってくることあって、ここは精神病院ですか!?って言ったら、鍵閉められたったよ〜」と続く。ここに来た頃の祥子さんにとって、納得できないことがたくさんあって、それを訴えたのだけれど伝わらなくて、苦しんで、自分が居なくなろうとまで思い詰めて・・・。私は開けてはいけない扉を開けてしまったような気持ちになったが、祥子さんの話しは続いた。
話は怪しさを増していく。「いっつも男抱いて寝てた人居て、男も何でも言うこと聞いて!女の色キチガイというのは恐ろしいよ〜!でもその人、今では歩けなくなって車イスでいる。幽霊の祟りというものがあるんだ〜」事実はどうだったかは分からない。でも、祥子さんと私にとっては、それが真実だ。そして話は、祥子さんが見たという幽霊の話へ。「私、朝寝てたら、窓の外に立ってらった。女の人と、その娘と。娘、部屋の中に入ってきて、何かと思ったら、窓の外に立ってらった〜」祥子さんの部屋は中庭に面していて、その中庭に立っていたのだという。「親分(理事長)の前の奥さんだ、って言ってらっけ。自殺したんだねぇ〜。キレイな人だったよ〜」
何度も繰り返される幽霊の話。話が見えなくなってくる。祥子さんは今、ここに居るのか?私は今、どこに居る?何が良くて、何が悪い?何が本当で、何が嘘?分からない。分からなくて、苦しくなる。返す言葉が見つからなくなっていったが、なぜ中庭に幽霊が出るようになったのかを聞いてみた。すると、「ここの土はどこから持って来たんだ?って親分に聞いたら、山から持って来た、って言ってた。“ざんかけ”から持って来たんだ!亡くなった人の骨が埋まってるんだ!だから、霊魂が出るんだよ〜。霊魂出るから、草も生えねかった!」昔は、供養することができずに、亡くなった人の死体を“ざんかけ(崖)”に埋めていた、という。
話を聞いているうちに季節は移り変わり、秋に差し掛かっていた。幽霊になんて会えるわけないと思うが、それでも、この渦巻く部屋から抜け出し、何かに会いたい、と強く思うようになっていた。それで、「お彼岸に、お墓参りに行こう!」と祥子さんのご両親が眠るお墓へ一緒に行くことになった。
彼岸の中日を迎えて、お墓へ向かう車内では、「よくお墓見つけられたったねぇ〜」と言ってくれ、「毎年、一人で墓にだけは行ったった。実家には行きたくなかったから行かなかったども」ここでも、祥子さんの思い残しが語られた。「兄貴と私とで一生懸命稼いで家建てたのに、売られてしまったった!誰が稼いだんですかって!!入院してら時、全然来ねかったんだもん。この間、嘘つかれて、みんな売られてしまって・・・」声を震わせて語る祥子さん。怒りと悔しさと寂しさと、いろいろなものが溢れていて、話があっち行ったりこっち来たりする感じ。祥子さんのかわりに、私が「コノヤローッ!!」って叫んだ。“ニセパン”とか、家のこととか、幽霊とか、いろいろな思い残しを抱いて、墓地に到着した。
車を停めたところからお墓までは20メートルくらい。だが、足に痛みがある祥子さんの歩みはゆっくりで、時間がかかる。また、私にとっても、お墓参りをすることで何が出てくるのか、何かが変わるのか、そして何に会えるのか、不安なのか期待なのかよく分からない感情を抱えての道のりはとても長く感じられた。
お墓の前に着くと、「娘ですよ〜。来ましたよ〜」と話し始める祥子さん。「今まで守ってもらいました。ありがとうございました」まるで目の前にいるような話し方で、祥子さんと両親の霊魂とが、本当に近くにいることが感じられた。そして、この瞬間、私の中でグルグルと渦を巻いていたものが融けていき、スーッと解き放たれていく感じがした。そこにあったのは幽霊の話の怪しさではなく、亡くなったものたちとも確かに繋がっている、崩れない、消えない、見えない絆だった。その絆を信じられた。
だから、自然と私も、“守ってください”と、両手を合わせていた。「おかげ様で、今まで長生きできましたよ」とも話し、「また来ますよ!」と言って、別れた。何と会えたのか上手く言うことができない。けれども、これから、祥子さんの幽霊の話を、また違ったイメージで聞けると思う。
墓参りから少し経ったある日の夜、「あの人に、言われたったよー!自慢するんだっけもん!」誰のことだか分からなかったが、延々と文句が続く。聞いていたら急に、「フキさん(仮名)は、病院さ行って、亡くなったよ」と言う。フキさんは祥子さんと隣同士の席だった人で、今年の夏の初めに亡くなられた。私には、フキさんがすぐ近くで聞いてくれてるように感じられ、「フキさんもきっとどこかで聞いてるね。祥子さんもフキさんに聞いて欲しいんでしょ?」と聞いてみた。すると、「本当はね。あんなに元気だった人、亡くなってしまって・・・今だから(言いたかったことが)言える」と話してくれた。
ふたりの間に何があったのか分からない。でも、ふたりは今やっと、言いたいことを言い合えるようになったのだと思えた。フキさんだって、本当は祥子さんに、言いたいことを言ってもらいたかったのだと思えた。私にとってフキさんは、すばるに来て初めてお別れをした人だったのだが、祥子さんを通して、完全にお別れではなかったことを、確かに感じられるようになった。
幽霊の話や地獄の話は、祥子さんにとって大切だからこそ苦しめられていると思う。またある日、ベッドに横になる前、「動けねくなって、迷惑ばかり掛けてるから、極楽さは行けない。夢でも、地獄への桟橋行ったり来たりしてるよ〜」と、いつもと変わらない表情で話していたが、奥底では泣いていたと思う。迷惑を掛けてばかりいたら、極楽にいくことができないのだろうか。霊魂を大切にしている祥子さんが極楽に行けないなんて、私には思えない。「極楽への行き方はひとつじゃないと思うよ!一緒に他の行き方を探そうよ!」祥子さんへの提案だったのだが、それは同時に、私自身にも勇気を湧かせた。守られている感じがした。
祥子さんは今度の誕生日、スタッフの三浦さんと秋田の男鹿へ行き、水族館に寄ったあと、日本海に沈む夕陽を見て来るのだという。三浦さんにとっての祥子さんは、里での一年目に“畑の先生”になってくれた人であり、宮古へ一緒に朝陽を見に行った人でもある。そのほかにも数多くのエピソードがあり、深い絆で結ばれた二人だ。そんな二人が、今度は夕陽を見て来る。朝陽は夕陽に変わり、そしてまた朝陽に変わっていくのだろう。そんな二人の絆を見つめながら、私自身も、“極楽への他の行き方”を探していきたいと思う。
posted by あまのがわ通信 at 00:00|
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