2014年04月15日

還暦の旅立ち ポーランドの旅 / 負の戦争遺産に立つ ★施設長 宮澤京子【2014年4月号】

■はじめに 
 私は半年ほど前から還暦の「60歳の誕生日」を、異国の一人旅で迎えることを秘かに決めていた。人生50年時代からすれば、すでに10年も長く生き、これから自分はどう生きるのかを、視点を変えて考えてみようと思った。また、“海外の一人旅”で起こるトラブルやストレスに如何に対処できるか、冒険心やら好奇心も加わり、自分を試したかったのかもしれない。
 確かに今までの海外旅行や同伴者のある旅とは勝手が違い、準備段階から緊張した。航空券の手配からホテルの予約、両替、現地の交通機関や時刻表・運賃の確認等、準備すべきことを旅行会社を入れず、自分でやってみた。今回の行き先、「東欧」ポーランドは戦後長い間、共産主義国で、英語圏でないことも不安だった。そのため、今までの苦い失敗もふまえて武装をした。携帯電話をスマートホンに換えナビ機能を強化した。ポーランド語が指さしで会話できる携帯本を準備し、スマホにも通訳機能を付けた。(日本語で喋ると、ポーランド語に音声で変換してくれる優れもの。残念ながら、今回の8日間の旅ではどちらも使わなかった)これまでの海外旅行では“片言英語”が恥ずかしく寡黙になるのだが、ポーランドでは片言英語を大胆に口にしていた。ワルシャワでもクラクフでも、街中では日本人にも東洋人にも出くわさなかった。
 今回の旅は、観光ではなく「アウシュヴィッツ」という人間の負の歴史と言われる「ホロコースト」に触れるのが目的だった。

■何で、アウシュヴィッツ?  〜 暴力の本質を見つめる 〜
〈準備:知識〉
 昨年末、オランダで「アンネの隠れ家」を見学した。40年ほど前、大学の英語の「テキスト」で初めて触れた『アンネの日記』は、当時はユダヤの少女が隠れ家生活を描いた「日記」という認識でしかなかったが、今は、自分を含めた「人間の持つ暴力や悪といった本質的なこと」として迫ってくる。さらに「ホロコースト」に向き合う必要を、対人援助の現場にあるものとして感じるようになった。
 準備として小川洋子著の『アンネフランクの記憶』を読んだことがきっかけにもなり、『アンネの日記』に加え、フランクルの『夜と霧』、エリヴィーゼルの『夜・夜明け・昼』を数十年ぶりに読み返した。またアウシュヴィッツで10年のガイド歴のある日本人の中谷氏に、メールでやりとりしガイド依頼をした。

〈準備:共時的体験〉
 日本は敗戦から経済大国に名を連ねるまでになり、戦争のない70年を過ごしてきた。「飢餓」とは対極の「飽食」の時代にある。そんな時代にダイエットの失敗を繰り返しながら暮らしている私が、アウシュヴィッツで骨に皮がへばりついた人々の群れを直視することは耐えがいものがある。カポーの目を盗み、ジャガイモのかけらをポケットに入れ、薄いスープをむさぼり、ひとかけらのパンを巡って殺し合いがはじまるといったそんな描写を読みながら、ある日の深夜私は食物への猛烈で異常な感覚に襲われた。私は手当たり次第にパンや菓子を口にし、続けざまに炊飯釜を開けて搔き込み、立ったまま味噌汁を啜っていた。空腹だったわけでもない、自分の中の「残虐性」を確認したかったのだと思う。「こんな飢えた人間の状況を目の当たりにしても、私は食うことが出来る!」「きっと誰かが殴られ蹴られ、隣の人がガス室行きと決まったとしても、私はきっと食うことが出来るだろう、現に今こうして食っている・・・」そう確認して、殺伐とした“いがらっぽさ”を喉に焼き付けたまま、ベッドに潜り込む日が何日か続いた。翌朝は、体重計にのり「暴食で1s増えた」と嘆くことで心のバランスを取った。心理的には、強制収容されたユダヤ人を、「他人事」としては見られなくなった。
 我が身を守るためにカポー(囚人の中から囚人を監視する役)になって、親衛隊に媚びへつらい同胞に暴力を振るう自分もいたし、ガス室に送られチクロンBを嗅いで死ぬ自分も想像できた。自分の中に被害者も加害者もいた。平時に、どんなきれい事を言っていても、置かれた状況によっては、誰もが平然と自他を裏切り、殺人さえ厭わないのではないかという“人間”に対する不信が怒りと共に沸き起こる。諦めから刹那に流れる自分の弱さも感じた。
 そんな、混沌とした思考の中で、日々の現実的な忙しさに助けられながら、なんとかポーランドへ旅立った。

■歴史の場に立つ 〜 戦争遺産としてのアウシュヴィッツ・ビルケナウ 〜
 ワルシャワから列車で3時間のクラクフ市内から、またバスで1時間ほどのところにアウシュヴィッツはある。予定の前日クラクフに到着し、当日の朝、バスでミュージアムに着いた。20名程の日本人が、ガイドの中谷さんの案内に耳を傾けた。ミュージアムは“働けば自由になる”と書かれたゲートをくぐり、整然と立ち並ぶ宿舎群の大きさに驚く。中谷さんの解説は70年前におこった過去の事実を淡々と伝えてくれているのだが、当時の息づかいさえも伝わってくるような瞬間が何度もあった。毛髪の山、めがねや義足、靴や鞄等がきちんと仕分けされて山積みされている展示は、ガラス越しとはいえ、さすがに目を覆うほどの衝撃だった。没収した有用で価値ある物品は、数字やデーターに転換された報告書とともに送られたという。女性の髪の毛は生地の原料として使われ、死体から抜き取った金歯は延べ棒に処理された時点で、金何gと表示され、背景や所有者の権利が剥奪されているということは、きれいにかき消され、なかったことになっている。感情が高ぶるグロテスクな怖さではなく、「誰の責任も問えなくなる」そんなシステムの持つひんやりとした怖さを感じた。ここのミュージアムには、両方の怖さが展示されていた。
 そこから10分ばかり離れたところにビルケナウの収容所がある。アウシュヴィッツの7倍の広さだと説明された。バスから降りた私は、天気の良さと広大な敷地を前に、まるでピクニックに来たような錯覚で、不謹慎にも、駆け回りたいような、高揚した気分になった。しかし、中谷さんの静かで淡々とした語りは、そこで展開された地獄の景色を描き出す。
 1940年〜45年のアウシュヴィッツの強制収容所の歴史の中で、引込み線の終着場となるビルケナウに降り立った人々の中には、多くの子どもや老人が含まれていた。医者に選別され「労働力としての価値なし」とガス室に行列する姿が目に浮かんでくる。ガス室の死体を焼却し、骨を粉砕し、灰にして沼地に棄てるその行程は、カポーの仕事だったという話を聞く。巧妙で緻密なシステムは、ユダヤ人の“同胞”に命の保証と引き替えに、暴力や残虐行為で管理させるところにその特徴があった。「何百万という人達を、暴動を起こさせず、無抵抗のまま殺すことが出来たのは何故なのか」という大きな疑問の一つは、戦慄すべき悪魔のシステムによってなされた暴挙として解けた。
 手を汚さず、痛みを直接感じることがなく、役割を分割し命令系統の末端で事が行われる。個々の責任が回避できるシステムは、ナチズム特有の常套手段ではなく、まさに現代のすべての手法に使われている。
 中谷さんは、案内の最後に誰に問うともなく、「なぜ、外交官だった杉原千畝さんは、ユダヤ人を助けるための日本通過のビザ発給を職務を越えてやったのでしょう・・・」「法も常識も守ってくれない、想定外の状況が起った時、あなたはどこに行動の基準をおくのでしょうか・・・?」そこに、中谷さん自身の苦悩の姿をみた。それは私自身への問いとして、深く響いてきた。

■帰ってから
 帰国後、ユダヤ人が何故ヨーロッパの国々で敵視されるようになったのか、3,000年ともいわれるユダヤの歴史を知りたいと思った。またホロコーストを生き延びたユダヤ人は、その後どうなったのだろう。イスラエル・パレスチナ問題にも目を向けざるを得なくなった。テロの脅威の中で生活しなければならないユダヤ人の占領によるパレスチナ難民の問題が今も続いている。ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地としてのエルサレムが、宗教対立の場としてではなく、共存共栄のための聖地として存在して欲しいと願うが、その道も遠い。
 また戦後70年、日本は平和ぼけと言われるほどだが、世界の歴史は、内戦や資源等の利権を含んだ領土や経済問題にも発展し、大国の力(武力)の均衡で、やっと大きな戦争が回避されているに過ぎない。
 中谷さんの説明で、今、EUの連携が力ではなく、人権尊重や差別の撤廃などを基盤にした“意識改革”からはじまっているという話には、かすかな「希望」が感じられた。その意識変換のきっかけになったのが、戦争の負の遺産としてのアウシュヴィッツの「ホロコースト」にあったという。今回、そんな歴史の場に立つことで、人間が持つ「悪の凡庸さ・陳腐さ」やシステムの持つ「顔の見えない無責任さ」に対する自覚を迫られたように思う。

 ホロコーストという「悲惨」な歴史を、センチメンタルに捉えるのではなく、ナチスドイツがユダヤ人を虐殺したという過去の事実を越えて、「事の本質」に焦点を当てたとき、傍観者でいられない。戦後、アウシュヴィッツのホロコーストの実態にも様々な疑義が出され、検証等が重ねられている。被害者の推定数の根拠やガス室の構造や殺害の方法などのデーターや技術的な論争が巻き起こり、極端なところではホロコーストは「ねつ造・嘘」といった発言や書物も出てきている。そのような中で東西統一ドイツでは、1994年に「発言処罰法」が制定された。論争が激化すればするほど、双方の思惑は疑心暗鬼になり、歴史の事実に対する解釈は「真実」から遠ざかるのかもしれない。
 権力機構の意図でどんな情報操作もできてしまう。事実とは全く真逆な発信をすることにもなりかねない。権力者による歴史に対する情報操作の怖さは、いつの時代も変わらない。それに巻き込まれ直接被害者を受けるのは、社会的に弱い立場にある者であるという構図も変わらない。正義を掲げた戦いも、多くの血が流される愚かしいことでしかない。
 2009年4月に、イスラエル賞を受賞した村上春樹氏は、当時ガザ地区を爆撃していたイスラエルに敢えて赴き、受賞スピーチを行った。その内容は当時最も関心を持たれた日本人のスピーチとして世界中で話題になった。「高くそびえる堅固な壁と、それにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側にたつ」と語る。堅固な壁は、爆弾や戦車、卵は非武装の一般市民だという。そしてさらに深い意味として、「システム」と「魂」との対比を譬えている。「システム」が堅固な壁となって暴走し、掛け替えのない人間の存在(魂)を破壊しないように、なぜなら私達はみんな壊れやすい卵なのだからと締めくくっていた。人間は壊れやすい卵だからこそ堅固なシステムを欲しがるのかも知れない。そこに人間の原罪ともいえる癒やしがたく避けがたい悪のスパイラルを感じてしまう。
 人類は科学技術を使えば、ナチ時代のホロコーストのような手間暇を掛ける必要もなく、一瞬のうちに「破壊し尽くす」ことが出来るパワーを持っていることの認識を持つ必要がある。
 
■負の妄想から里の使命を夢想する
 日本は2011年3/11に自然災害としての大震災を経験し、安全神話を覆した人災としての原子力(核)の脅威を体験した。3年が経過して、すでに忘れ去られようとしている状況がある。今が良ければ、自分がよければ目をつぶって、何事もなかったことにしてしまうような、とても狭い領域でしかものを考えないことが、風化を速めてはいないだろうか。そして考え抜くこと、決断すべきことを曖昧にしている。
 日本人ガイドの中谷さんは、今は悲惨な面影のない整然とした「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ― ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所」にガイドとして立ち、我々日本人に戦争の歴史をリアルに再現してくれた。それだけでなく、未来に対しての「希望」について、今を生きる私達が何をなすべきなのかを、一人一人に問いかけ、考えさせようとしている。異国で“戦い続ける格好いい日本人”を発見したうれしさに胸が詰まった。
 一歩間違えば近未来に、胸にオレンジマークのワッペンを付けた、手のかかる問題行動の900万人と予想される認知症高齢者が、若年者や生産労働者層の負担をなくすために、一所に集められ、「かつて我々の先輩達は、天皇と日本国のために闘って死んでいった。財政難に苦しむ国民のために、我々は潔く命を差しだそう。もちろん心地良い無痛の処理方法でお願いしたい!」と。
 双方が「死」に対する痛みを持つことなく、誰の手も汚すことなく、自動操作のロボットによって「ホロコースト」される時代が来てもおかしくない・・・そんな負の妄想を持つ。
 私達「銀河の里」で働くスタッフは、人間の「生きる」という根源的な命題に日々向き合っている。将来にわたる超高齢社会の不安と焦りを感じている今こそ、認知症の方達の豊かな世界を共に生き、人間の尊厳や生きる価値が「希望」となることを伝えていかなければならない。知らないうちに仮面をかぶった「システム」に、洗脳され絡め取られていくのではないかと懸念する。効率や合理性という一面の価値で、評価判断され、抹殺されることがないように、地道で遅遅とした歩みではあっても、高齢者の生きる世界の持つ価値を「物語」として紡ぎつづけていきたい。孵化して育つ命ある「卵」の側にあり続けたい。

■還暦を越えて
 人生80年時代にあって、60歳はまだ若造?ともあれ、歳であれこれ云うのは陳腐なことだ。生きている今が、歴史の過去を作り未来に続くという責任を自覚する「大人」として歩んでいこうと思う。

文 献
『アンネの日記』アンネフランク:深町真理子訳:文春文庫
『アンネフランクの記憶』小川洋子著:角川文庫
『夜と霧』V・E フランクル:霜山徳爾訳:みすず書房
『夜・夜明け・昼』エリ・ヴィーゼル:村上光彦訳:みすず書房
『アウシュヴィッツ収容所』ルドルフヘス:片岡啓治訳:講談社学術文庫
『イスラエルとパレスチナ』立山良司著:中公新書
『ホロコースト後のユダヤ人』野村真里著:世界思想社
『アウシュヴィッツは終わらない』プリーモ・レーヴィ著:朝日新聞社
『アウシュヴィッツの争点』木村愛二著:リベルタ出版
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上さ引っぱれ★特別養護老人ホーム 中屋 なつき【2014年4月号】

 3月から今年度の新人が実習に入って、各部署ともにフレッシュな雰囲気になっている。新しい風が吹くのを楽しみにしながらも、リーダーを中心に各スタッフも、新人を受け入れるに当たっての業務整理や体制の万全を確認してきた。新体制、いよいよの初日。せーの!で蓋を開けたら、事前の準備も一瞬にして吹き飛んで、ドタバタの一日が始まった! たまたまその日、既存メンバーだけだったユニット“こと”だけはさすが落ち着いていたが、それ以外のユニットは、新人だけでなくリーダーすら慌てるやら焦るやら・・・てんてこ舞いだ。新人がひとりでもチームにいると「やっぱ、こうだよな」といった感じ。新鮮な空気に満ちていて、大変なんだけど活気があって湧いている。どうやってこの難局を乗り越えるか、スタッフのひとりひとりが頭をフル回転して考え、声が飛び交い、身体が動き始めた! どっこのユニットからもヘルプのお呼びがかかって、私も事務所になんかいられない。問題も起こる代わりに課題も見えてきて、実に、いい。みんなで知恵を出し合ってつくっていくんだ!という感じで盛り上がっている。
 そんななか、利用者さんはやっぱりさすがだ。新しい空気を察して、いろんな表情を見せてくれる。慣れないスタッフへの不安から体調を崩す人も何人かいるが、大抵はいつもどおり変わりなく、どっしりと守りを固めてくれる大きな存在となる。

 その日のユニット“おりおん”の昼食時。お母さん的?中心的?存在の利用者、桃子さん(仮名)がいつもと変わりなく全体を見ていてくれる。細かく指揮をとってスタッフを叱咤激励する桃子さんの声がリビングに響き渡り、かたや、呆然と立ち尽くすリーダー三浦くんの頭からは煙があがっている。新人の愛美さんはキッチンにいて、ややこしい個別の食事形態を早く覚えなきゃと必死で、目が点になっている。他の利用者さんたちも、いつになくそわそわしたり目を輝かせていたり。そんなリビングの様子を眺めながら、“うんうん、これぞ、新体制!”と、なんだかほくそ笑んでしまう気分で私も食卓についた。そこへ、一足早く食べ終えた響子さん(仮名)が、ひとり静かに車イスをこいで居室へ向かっていく後ろ姿が目に入る。
 響子さんは、食事を終えると居室で休むことが多い。普段だったら、部屋へ向かっていくのを見守り、部屋に入った頃合いを見計らってスタッフが行って、口腔ケアやベッドへの移乗などをお手伝いする。部屋まで行く途中で響子さんからスタッフを呼び止め、車イスを押してもらって居室に入ることもある。しかし、この日は、呼び止めてもよさそうな余裕のあるスタッフは見当たらなかっただろうし、スタッフの方も、響子さんが部屋に向かった事に気がつかないくらいてんやわんやしていた。そこで私がついて行ってみる。
 入室して声をかけると「寝かせてけで」と柔らかい口調の響子さん。車イスからベッドに移る時、私の脇腹をくすぐったりして笑わせた後、満足気に横になった。布団を掛けると「ひっぱれ〜」と言うので、私は布団の事かと思って、何度か掛け直したり引っ張ったりするのだがそうではない様子。「違う〜、足、足ひっぱれ〜」何のことかよく解らなかったが、自分では思うように動かせない足の位置が心地良くないのかと思って、足をまっすぐに伸ばしたり膝を立てたり、ズボンの裾を引っ張ったりしてみる。それでも「ひっぱれ」は続き、響子さんの顔もいつになく真剣な表情になっている。その表情を見て一瞬、私の意識からリビングの喧噪が遠のいて、“今、響子さんとふたりいて、何かが起こる”という予感が走った。
 響子さんの声色が変わる。「なんたら、わね!」と睨み付けるような目で、私の腕をがっしり掴んで離さず「ひっぱれ〜!」と繰り返す。スタッフを我が子のように可愛がる響子さんは、よく抱きしめたり頭を撫でたりしてくれる。逆に甘えた感じになると、“ごしゃぐ響子さん”が出てきて、爪を立てるくらいしがみついたりする。「また鬼が出たな〜」と冗談を言ったり、“愛宕さん(響子さんが信仰している家神様)”の写真に向かって手を合わせ、「静めたまえ〜」とお願いしたりすると、お互いに「ぶふふっ」と笑いが起きてホッとなる事もよくある。しかし、この時はそのどれとも違った感じだった。私の腕を掴んだ両手には渾身の力が籠もって、爪が食い込む。「痛いよぉ」と伝えてもぐいぐいと引っ張りながら、「上さ、ひっぱれ〜」と天井を指さす。引っ張ってるのは響子さんじゃん・・・と思ったが、“上”というワードがふと気になった。
 「愛宕さん、愛宕さん、響子さんを上に連れて行く、その時はどうぞよろしくお願いします」と唱えるように口に出して言ってみる。そして響子さんに向き直って、「でもさ、まだ、その時じゃねんだぁ」響子さんに言葉はなく、私の腕をぐいっと引っ張った。「まだもうちょっと、ここさ居てけで。響子さんが居るうち、頑張るから」と、今度は私が響子さんの腕を引っ張る。「いいから、ひっぱれ〜、上さ〜」「まだだ〜」とシーソーのように腕を引っ張り合うふたりのあいだに、いつの間にかリビングの喧噪が戻ってきていた。
 「ほらぁ、みんなも居るもん」ちらっと戸口に目をやる響子さん、食い込ませた両手の力を緩ませた。そして、「若い人たちもてんてこ舞いして頑張ってらっけもん、見ててやってすけて」と言う私に視線を戻すと、「頼む〜」とぽつり言った。声の調子もいつもの感じに戻っていた。“上に引っ張られていくのはもう少し後にするから、これからもよろしく頼むよ”ということなのか、“俺が上にいくにはもう間もないんだから、後はお前が見ててやってくれよ”ということなのか・・・。明確には解らないけど、「頼む」の、ふわりとした口調が妙に印象に残った。

 そうして、がっつり掴んでいた私の腕を離し、「また来て、絶対だよ」と手を合わせ眠りについた響子さんと、夕方また来るからねと約束して部屋を後にする。相変わらずドタバタなリビングを見ながら、「“ここに居た甲斐があったな”と思ってもらえるように、さぁ、新年度も張り切っていこう!」と思った。爪の食い込んだ痛みの余韻を心強く感じた。
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違和感 ★デイサービス 鈴木 美貴子【2014年4月号】

 育休を明けてこの春からの復帰はデイサービスに配属となった。育休前はグループホームだったので、楽しみと不安を抱えながらの復帰となった。7年くらい前になるが、デイサービスで半年勤務した時期もあったのだが、今回復帰して、デイサービスの雰囲気がどこか違って感じた。これはたぶん危機的で大変なことに違いないと感じ、まとめておかなければと思ったのだが、2週間目になると違和感がどこにあるのか見えなくなる自分もいて、とても恐くなってきた。デイサービスは、毎日これという問題もなく日々が流れていて、それぞれ利用者さんたちも問題なく過ごせている。「これでいいのかな」という気持ちにもなる。でも何かが違う・・・とても重要なことで何かが決定的に違っている。
 全体的にホールで聞こえる声が少ない・・・利用者と関わっている時間が少ない・・・業務や作業はやれている。でも、利用者の様子が分からない。入浴介助の人は、おフロに入ってもらう作業だけに必死な感じで、私はホールで全体の様子がよく見える位置にいたのだが、ホールにいる私が、今誰がおフロに入っているのか分からなくなる時があった。見える位置にいるのに見えない。何も伝わってこない。恐い感じがした。それはどういうことなのか?それはスタッフ同士が繋がっていないからではないかと感じた。
 入浴介助をしている人は、次は誰をおフロに誘おうか考えながら動いているはず。ホールにいるスタッフに、そのことを言葉や何かの合図で、伝えているかいないかの違いは大きい。今、この人とこの人がおフロに入っているから、私はこの人とこれをしようと関連のなかで、全体が成り立ちながらデイの一日ができあがっていなければ困る。
 いつも帰りたい気持ちで、日に何度も玄関に向かう一郎さん(仮名)が暖炉前のイスに座っていた。私は隣に座ってみた。すると、「見て人を覚えればいいんだ。気になったら見てみろ。何か気がついたらよそのも聞いてみるのよ、気づいてくるから」と話してくれる。これが認知症のお年寄りのすごいところだ。世間話ではなく、私が抱えて悩んでいるそのことをわかってるかのように(たぶん違う能力でわかるのだ)、言葉を発してくれる。私はただ恐れ入って、頷いてその言葉を聞くしかない。「年をとればとるほどおもしろいんだ」「聞き惚れるくらいならおもしろくなるんだよ」「一つ分かれば3つも4つもわかってくる。何か話あったり話したりするべ、おやおめ同級生だなってなっていく」と一郎さんの語りは続く。7年ぶりに入ったデイサービスで、あまりの雰囲気の違いに困惑しているだけの私、作業をこなして一日を終わるだけじゃなく、利用者とスタッフを知り、触れていけるデイサービスにしていきたいと思っている私に、一郎さんの言葉は響くように入って来た。
 「盗食」などと言う訳のわからない専門用語で括られて、他の施設を断られた広政さん(仮名)は、一日中歩き回ってあちこち探検している。棚をのぞいて何かを必死に探していたので、「なに探しているの?」と声をかけてみた。すると「ひろまさ」と応えが返ってきた。なにかドキッとした。一日必死に探しているのは「ひろまさ」なのか。デイサービスからも外に向かうことが多い広政さんは、「ひろまさ」を探しにいろいろな所を歩いているんだとしたらすごいことだ。それはなんとしても見つけ出さなければならないことにちがいない。
 介護作業をこなして行くだけのデイでは、そうした利用者の個々の気持ちや様子は見えず、理解も共感もできないままになってしまって、利用者もスタッフも感情が動かず、乾いた関係になってしまわないだろうか。それが私の違和感の元だったと思う。
 優子さん(仮名)は、朝送迎でデイサービスに着いてすぐに帰りたい気持ちで外に向かう日だった。片麻痺で車椅子なのだが、その日は「帰る。私、足丈夫だもの」と、歩ける気持ちでいた。車椅子で外に出たり入ったりしながらお昼になった。昼食を食べ、和室で昼寝をして起き、おやつを食べた後、つねったり叩いたりと怒り?がスタッフに向き始めた。スタッフはGH1に行ったり、外を回ったりしながら優子さんとやりとりしていたが、優子さんの気持ちはおさまらなかった。スタッフも交代しながら関わっていた。
 私は「どうしたんだろう?なんでこうなっているんだろう?」と思いながら優子さんのそばに行き、「どうしたの?」と声をかけたが応えてくれない。飾ってあったおひなさまを見て「きれいだ」とは言うが、そのおひなさまを蹴る。そして私の腕を力強くつかんで爪をたててきた。私は「痛いよ」と優子さんの目を見て言った。優子さんは、ちょっとニヤッとして「私も心が痛い」と言った。
 優子さんは、住所もはっきり言えるし、社交も出来る人だ。思うように動かせない自分の身体への苛立ちなのか、心の痛みを相手に伝えるには、私の腕にその痛みを感じさせる必要があったのか。色々考えさせられた。帰りの時間になっても優子さんの気持ちはおさまらなかった。シートベルをはずして窓にたたきつける。「危ないよ。今、車出るから」と声を掛けて、シートベルトを付けたり外したりのやりとりをくりかえす。
 一緒にいたスタッフも「今日はどうしたんだろ?」という感じだった。私が「優子さんもこういう日があるんだね」と言うと、「いつものことです」とスタッフが言ったので、その言葉に、「えっ!」と驚いた。いつものことにして括っていいことだろか。私が優子さんとデイサービスで会うのは3回目、特養のショートステイでは、こういう様子はなかった。きっと何か思いがあって、今日の優子さんは怒りを出してくれているはず、いつものことで終わらせたくはない。いつものことにして、何もなかったことにしてしまってはならないと感じた。その人の思いや感情や動きを、こちらの勝手な都合でなかったことにはしたくない。「どういう思いなんだろうか?何で怒りが出ているんだろうか?」など、答えは分からないだろうが、スタッフそれぞれが考え、話をしていきたい。苛立ちや怒りは一人では収められないときもある。怒りに触れるときにはスタッフと利用者、一対一での関わりもきつくなるときがある、だからこそチーム全体でみていきたい。
 リーダー会議で、スタッフの誰とも繋がっていない感じがすること、利用者の様子や気持ちに関してスタッフと話が出来ない感じがあることなどを話した。理事長は「前のデイサービスとどこが違う?」と聞いた。「前は利用者とのやりとりを、スタッフ全員で見守ってくれていた。今は見てもらってる感じがしない。スタッフは自分のやるべき事(作業)をがんばっているけれど、利用者と話をしていても、どこか関係が切れている感じがする」と答えた。見守ってくれる感じというのは、一緒に時を過ごしている感じがする。楽しいことでも、苦しいことでも一緒に感じていられることが大切だと思う。
 利用者もスタッフも心を大いに使い、感情も動かしながら、いろんな出会いを作っていけるデイサービスになったらいいなぁと思う。
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文則さんの叱咤激励」−分かれ道に迷うもよし、されど伝えよ★特別養護老人ホーム 三浦 元司【2014年4月号】

 今年度も3月21日から新体制となり、新人が各部署に入ってきた。私自身も2年間いたユニットすばるからオリオンに移動となった。以前に1年ほどいたことのあるユニットなので大丈夫かと思っていたが、実際ユニットに入ってみると、なにもかも勝手が違い新鮮さと共に不安でいっぱいだった。
 1日目は、もう何をしていいのか訳がわからなくなり、30分腕を組んで仁王立ちした。2日目は、一人でおどおどフェイント。3日目には思考停止状態となり、「自分もまた新人だなぁ」と実感する。またオリオンは、スタッフ6人中4人が異動したばかりの上に、介護未経験の新人愛美さんのチーム構成で、ユニットオリオンの事情がわかる人がいないこともある。「昼食って米何合とげばいいんだ?」「タオルケットってどこにあるんだ?」「電気のリモコンないんだけど知らない?」などと、スタッフが利用者達に聞いて回っている状態のスタートだった。
 オリオンのお母ちゃん的存在の桃子さん(仮名)も「なしてこんな事も分がらないってよー!今まで4年も遊んでばりだったがら分がらねぇんだ!5年目なんだべ!先立ちなんだべ!しっかりしろ!」と厳しく言われる。「いや、米はとげるけど、何合かは知らないんだよね」にも「うるせぇ!また屁理屈ばり語って!早くやれ!」と気合いのげんこつ1発と共に指導が入る。
 そんな状況に新人の愛美さんは、かなり動揺したに違いない。私自身、質問されても「本人に聞いてみて!」と言えなかった。そんなバタバタのスタートだったが、愛美さんに作業も教えなければならない。
 ある日の文則さん(仮名)の入浴。
 愛美さんが「文則さん、お風呂入りましょう」とソファーに腰掛けていた文則さんに声を掛けると、文則さんも「おぉ!」とすんなりお風呂へと向かった。いつもの文則さんなら入浴に誘うと「ダメだな、なんとかしないと!」とか「どうかしてるな!止めた方がいいんじゃねぇのか?」などと返事が返ってきて、そこからまったく違う話になっていくのだが、今回はそうはならなかった。
 私は、実習中の愛美さんに入浴介助を教えなければならないため、少し離れた場所から見守っていた。愛美さんが文則さんの上着を脱がせようとすると「オイ!なんで俺を連れてきた!」と身体を震わしながら文則さんは立ち上がた。拳も握ってかなり力んでいる。そして、文則さんの視線は服を脱がせている愛美さんではなく、少し離れた場所に立っていた私の方を向いていた。「入りたくねぇなら入らなきゃいいじゃねぇか!」と更に強めの口調で怒鳴る文則さん。愛美さんが「文則さんのことお風呂に入ろうって誘ったのは私だよ」と声を掛けるが、文則さんの耳には入らない。一旦車椅子に座るものの、すぐに「お前がだよ!!入りたくねぇのに入るっておかしいだろ!」とまた私に怒鳴る。その時私は、新人の愛美さんに入浴介助の手順や留意点を教えることだけを考えていたため、文則さんがなんで私の方を向いて、強い口調で「おかしいだろ」と言っているのか意味が分からなかった。「え?文則さんが風呂に入るって言ったんじゃないの?」と私が答えると、「俺はお前に力を貸して欲しいって言われたからここに来たんだ!違うか!?そんなおかしい話があるってか!」と一喝する。更に「入りたいか、入りたくないかだろ。そんな難しい話じゃないぜ!」と言い残し、服を脱ぎ終え愛美さんと浴室へと移る。
 愛美さんが文則さんの頭を洗っている間、私は脱衣場で文則さんの言葉をメモしながら考えていた。「一言一言はその通りだな」と今の私自身納得できる事ばかりだが、何を指しているのかが分からず衝撃だけが残っていた。
 考えているうちに、洗い終えた文則さんは浴槽へリフトで入る。お湯につかっている間も文則さんは何か続きを語るだろうと思い、浴槽の横に私も座る。文則さんは語り始めた。「お前もハッキリしない男だなぁ、兄ちゃんよ。いつも二股なんだぜ!迷ってても選ばなきゃないんだぞ!待ってはくれないんだ!どうなんだ?兄ちゃんよぉ!」と、浴槽から凄い気迫で迫ってくる文則さん。
 私は正直に話そうと思って「迷ってるんだ」と言った。すると、「なんだ、迷ってんのかぁ!あはははー。じゃー決められないわな」と笑って返してくる文則さん。「俺、最近なんにも出来ていないんだ。二股の前で考えているし、悩んではいるんだけどさ。今までは誰かに聞きながら進んできたけど、それだけじゃ自分が変わらないし、そもそも自分って何んだろうって。だけど、なかなか動けないでいるんだよね」と、今の心境を伝えてみる。
 文則さんは腕を組んで少し考えてから「うーん。そうか、迷っているのか。迷っているならいいけどもよぉ、迷っていることを伝えないと周りは分からないんだぜ」と言う。そして、また少し考えてから「俺だって悩むさ。お前だってそうだろ。そう、悩まないと人間じゃねぇんだ!二股の前でな。その先が分かればいいんだけどもよぉ。今俺だって何も分からない状態だぞ!そういうもんじゃねぇか?」と言ってくれた。
 そして、お風呂から上がって着替えを終えた文則さんは、ソファーへ座り、いつものようにまた何かを考え始めた。文則さんは、新人を育てようとしているのか。新人に対する私を見ているのか。愛美さんと私に何かを伝えようとしてくれているのか。文則さん自身の事をやっているのか。何かはわからないけれど、3人にとって、これから始まる大事な1発目だったような気がする。
 新しいチームに利用者さん達もエネルギッシュに動いてくれるだろうし、これからどんなことが巻き起こってくるのか楽しみだ。
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新人研修に参加して ★特別養護老人ホーム 高橋 愛実【2014年4月号】

 銀河の里に勤め始めて間もない3月下旬、はじめての研修に参加した。
 一日目はさいたま芸術劇場の、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団「コンタクトホーフ」、二日目は世田谷パブリックシアターにて、杉本文楽の「曾根崎心中」を鑑賞。

 杉本文楽:曾根崎心中は、現代美術作家の杉本博司が、構成・演出・美術・映像を手がけている。杉本氏の作品のひとつに、真っ白く光が放たれる映画館のスクリーンが印象的な写真作品があったことを記憶していたのだが、文楽同様、今回はじめて観る機会となった。

 曾根崎心中は恋する若い男女が心中する話なので、当然あの世とこの世を行き来するような時間になるであろうと思っていたのだが、開演まもなく真っ暗闇の中、お経が劇場内に響き、鳥肌が立ったまま止まらなかった。霊のように白く照らされる徳兵衛とお初。それぞれのたましいをひとつにさせたい情動が、クライマックスの心中まで静かに燃え続ける。映画でよくあるような演出過剰な流血や死の表現よりも、人形による静的な死の表現にリアルな痛みを感じられたのは不思議だった。「死」が遠い現代に、「死」への想像力がかき立てられたからだろうか。
 この世で結ばれることのできない恋が、あの世で結ばれることを願う強烈な死への欲動。ふと遠野物語のおしらさまの話を思い出した。娘と馬が恋仲になり、馬が殺されて娘も一緒に天に昇るお話。おそらくあの世は完全な恋への引力を持っている。
 今回の杉本文楽は、斬新な表現方法も見事だったのだが、曾根崎心中という普遍的な男女の物語の魅力を感じた。

 ピナ・バウシュは、私の好きな映画監督のひとり、ヴィム・ヴェンダースによるピナのドキュメンタリー(Pina/ピナ・バウシュ
踊り続けるいのち)で話題になっていた時期に知ったのだが、なかなか舞台そのものは見るきっかけを作れずにいたため、今回の研修はとても恵まれた時間だったように思う。
 ピナのダンスは、歴史あるダンスのどのカテゴリーにもおさまらず、起承転結も持たない。それぞれ違った国の言語や身体をもった男女が、正装で踊るコンタクトホーフ、その舞台の上は、出会いと別れの絶え間ない連続だった。穏やかに、ときに目まぐるしく。
 女性ダンサーの絶望的な叫び声は記憶をゆさぶり、男性ダンサーの孤独の熱烈さは胸を締め付ける。ドレスの裾は宙を舞い、ひらめきながら、身体に連れ去られる。誰ひとりとして同じではないダンサーたちが、個人を超えて、ダンスによって一体となっている姿に、私の身体もそれに答えるかのように、涙が流れる。嵐のような一体感のあとには、離ればなれになったダンサーたちの孤独な身体が静かな波のように漂い始める。
 ひとりひとりのダンスは、出会った瞬間すり抜けていく男女の身体、惹かれ合うことで生まれる愛と憎しみ、孤独と喜びが、切なくやさしい叫びとなって、上演後の私をしばらく呆然とさせた。

 言語も身体も、社会に生きるわたしたちを繋げるものでもあり、反面、引き裂き、傷つけ合うものでもある。わたしたちは誰ひとりとして同じではないし、誰もが身体をもってこの世界に生きる人間だ。

 わたしたちは普段、年齢・性別・国籍や出身地・言語・身なりなどの手がかりから、同じ仲間を見つけ、語り合う。そのカテゴリーによって、自分のことや他人のことをある程度計測可能にし、理解したような気持ちになることがあるが、本当はその浮遊したカテゴリーを超えたところにこそ個人のきらめき、新しい言語と身体が存在しているはずだ。

 これから里での新たな出会いに期待している。浮遊したカテゴリーを超えた先にある新しい繋がりをそこに発見していきたい。
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研修に参加して★特別養護老人ホーム 千枝 悠久【2014年4月号】

 昨年の新人研修でピナ・バウシュの映画のDVDを観てから、それが心にのこり続け、この1年間の私の支えであった。けれども、それを観たということを、表そうとすればするほど、私のなかで表せない苛立ちや怒り、焦りになっていった。大切だから、優しく包んでおきたい。でもそれと同時に、思いっきり投げつけて壊してしまいたい、目の前から消えて無くなって欲しい、と感じる類のものでもあった。今回の研修(ピナ・バウシュの舞台を観る)に誘われた時には、「このために今日までの1年間があったのだ」とまで思えた。
 研修1日目。途中仙台に寄り、宮城県美術館でミュシャ展を見ることになった。なぜか、入る前から足が震えた。車から降りてすぐで上手く歩けず、久しぶりの美術館に緊張していたからなのか・・・。両足に、自分を支えて欲しい、と祈りながら中に入った。
 最初に展示されていたのは、ミュシャの自画像だった。これに私はやられてしまった。“恐い”、それが第一印象だった。筆とパレットを手に持った芸術家としてのミュシャをよく表している絵だったのだろうが、筆が剣、パレットが盾に見えてしまう。心が折れそうになりながらも先に進み、出会ったのが『人形を抱くヤロスラヴァ』という肖像画。人形を抱く手がとてもリアルで、迫ってくるものがあり、特に、血管がうっすらと見えている感じに鳥肌が立つ。思わず自分の手を見て、こっちの方が絵の具で描かれているのではないか、と思うくらいだった。
 剣と盾と血管、それらのイメージを持ったまま、さらに歩を進め、ポスターを展示してあるゾーンに入る。そこでは“薄っぺらい”と感じた。明るくてきれいな絵なのだが、血管と比べると迫ってくるものがない。確かに「ポスターなのだから!血管だらけだったら怖いだろ?これで良いんだ!」と自分に言い聞かせながら見たのだが、なんだか悲しくなってきた。
 『少女の頭部』というブロンズ像や、ミュシャがデザインした装飾鎖付きペンダントを見て、やっとその悲しみから解放された。絵の中の世界からそのまま飛び出してきたようなそれらの作品を見て、ポスターの中の世界を自分の中で活き活きと動かせばよいことに思い至った。すると薄っぺらだったポスターは、無限の世界に広がった。現実からポスターができていると考えるのではなく、ポスターから現実が生み出されるのを想像したら、心が躍った。
 『幻影』という作品の前では涙が出そうだった。全体的に暗い絵だが、なにか壮大なものをイメージさせられた。はっきりと何かは分からないが、確かにそこにある“なにか”。絶望的なようで、だからこそ希望があるようなものであり、自由なようで縛られているようでもある“なにか”を感じた。その瞬間、作品が、全て繋がったように思えた。
 『スラヴ叙事詩』という晩年の連作は、まさにその繋がりを表しているようだった。“剣と盾”を手に携え、“血管”のように肉迫し、“絵の中の世界”から“無限の世界”へ飛び出し、暗がりのなかにある“なにか”を求めたのは『スラヴ叙事詩』のイメージを表すための作品だったのだ、と断言したくなるくらい圧倒的に迫ってくる作品群だった。
 その後は、跳ねるような気持ちで見ることができた。胸のつかえがスーッと取れたようで、「物語はやっぱり最後まで見ないとわからないんだな」と感じながら嬉しくなった。最初、肖像画にやられてしまったけれど、肖像画があったからこそ、最後には全ての作品を“ミュシャ”という一つの物語として見ることができたのだと思う。柔らかい気持ちになることができ、研修のスタートにはぴったりのミュシャ展だった。
 その夜、いよいよ1年間心に残り続けていたピナの舞台。さいたま芸術劇場の立派な会場と人の多さに、入り口の列に並んだだけで、「良いものを見た!」と満足してしまう。(お腹が空いてきたのもあってか)フワフワとした気持ちで、「これなら難しいこと考えずに鑑賞できそう」と、期待が高まった。

 舞台は、去年の映画とは違い、静かに始まった。そして拍子抜けしてしまうくらいに明るかった。暗い観客席と、明るい舞台という差があったからかもしれないが、映画よりも、生の方が別世界のように感じられた。生の方が、感動や衝撃が突き刺さる強さがあるに決まっていると思い込んでいたので意外だった。見る“場”が与える影響は思っているほど“生でor映像”といった単純な図式ではないということなのだろう。私は、安心して舞台をみることができていた。
 一人の女の人が、頭を振り乱し、狂ったように笑い続ける場面があった。どう泣いてよいのか分からず、何に対して怒ればよいのか分からず、狂うこともできず、最後に残されたのが笑い、そんな感じだった。苦しさを感じさせる笑いだったが、笑いは残されている、という希望も感じられた。その後、走って壁にぶつかり続ける人がいたり、重いものを自分のお腹の上に落とし続ける人が出てきたが、それらも、最後に残された希望のように感じられた。
 舞台の端に、ゲームコーナーや遊園地なんかにある、お金を入れると上下に動く馬の遊具が運ばれてきた。踊り手が一人それに跨る。お金を入れていないので、もちろん動かない。観客席からお金をもらい、お金を入れる。しばらくの間、遊具が動き、止まる。するとまた、お金をねだりに行く。大人の女性が馬の遊具に乗って遊ぶというシュールな光景を見ながら私は、子どもの頃を思い出していた。
 ただ単に、上下に動くだけなのに、どうしてあんなにも乗りたがっていたのだろう?何度も、何度も乗りたかった。止まってしまえば、自分で上下に動いて、「まだ動いてるよ!」なんて言っていた。ずっと動き続けてくれることを願っていた。きっと、単純な動きが続くことへの安心感があったのだと思う。“変わらない”ということの安心感を、なんとなく感じていたのだと思う。馬のカラダは、今も昔もかわらず、馬だった。
 舞台が暗くなることがあった。暗い間、私は幸せだった。暗いから舞台の上で何が起こっているかはよく見えない。見えないからこそ、ジッと目を凝らす。物音から察しようと、耳をすます。考える余地があり、自由に想像を働かすことができた。「ずっと暗いままでもいい」と思ってしまう。見えると見えるものに気を取られ、見ようとする気持ちを忘れてしまう。それで舞台が明るくなった時、がっかりする。
 その夜、大宮の飲み屋街を歩きながら、思い出したことがあった。それは、私は狭い路地に無性に魅かれるということ。すっかり忘れてしまっていた感覚だった。それは、今の私にとっては、図書館や本屋の、書棚の間を歩く感覚に似ている。小学生の頃、学校からの帰り道、「行ってみよう!」と細い道や道なき道を歩いていた。夜の狭い路地は、周りが明るくせまってくる分、自分が小さく感じられ子どもに戻ることができた。
 研修2日目。研修のもう一つのメインである「杉本文楽」を観に行く。その前に、森美術館へ「アンディ・ウォーホル展」に寄った。これまで特に興味があるわけではなかったし、商業イメージを感じて、避けていたくらいかもしれないが「流れにまかせ風まかせ、旅は道連れ世は情け」と思って行った。ところが、自分でも驚くくらいに楽しめた。一つ一つの作品が、楽しそうだった。おもちゃの兵隊が、笑いかけてくれているような感じだった。私は、作品に小走りで駆け寄って心の中で話しをする。近くに作品の技術的な話をしている人がいて“ちょっと静かにして!”って言いたくなるほどだった。ふわふわフラフラと見ながら、ワクワクが止まらない感じだった。
 展示されている作品の周りの壁は白く、天井は高く(高いように感じられた?)、広くて明るかった。広くて明るいのは、基本的には苦手なはずなのに、「ここでだったら、しばらく寝転んでいたい」と思えた。そう思ったら、気付いたことがある。前日のミュシャ展では、作品の手前に「これ以上は近づかないで」というテープが張ってあったが、ここではそれが無かった。きれいなものや面白いものを見つけると、無性に近づき触りたくもなる私にとって、ミュシャ展のテープは、少し辛かったのかもしれない。「寝転んでいたい」は、広い原っぱで、風に吹かれて寝転ぶような感覚で、一つ一つの作品のことを、草木や花、鳥や虫みたいに感じることができたから生まれたのだと思う。ミュシャ展の、特にポスターが展示されているあたりは、無機質なものに囲まれている感じがしたから、“この場に居たくない”と思ってしまったのかもしれない。
 途中、のれんのようなものがかかっているところがあった。向こうからは、外からの光が漏れてきている。どうやら、ガラス張りになっているところらしい。「途中で外に出られるようになっているのかな?景色を楽しめるところ?喫煙所?」なんだか分からず、途中で外に出るのはもったいない感じがしたけれど、どうしても気になってしまい、「えいっ!」と出てみた。
 そこはガラス張りになっており、「あぁ、やっぱり景色を楽しむための場所か」とがっかりしそうになった。天井を見上げると、銀色のものが浮かんでいた。それは『銀の雲』という作品だった。ガスが少なくなってきたためか、フワフワと下に落ちてくるものもあり、銀色なものだから、自分の顔が鈍く映った。落ちてきた雲は、置いてあった扇風機の風に舞い上げられ、またふわふわする。雲に触れてみたかったが、“触れないでください”という注意書きがあった。もしなかったら、触ったり、押したり、叩いたりしたと思う。そのうちに破けてしまい、ショボンとしていたと思う。雲に憧れ、いつかは雲の上の王国に行きたいと思ったことのある私だが、こんなかたちで、雲を近くに感じることができ嬉しくなった。
 研修の最後は、杉本文楽。会場に入って、驚いた。3階席で舞台からかなり高い位置に席がある。舞台を客席が取り囲んでいて、私の中では、裁判の陪審員席か捜査会議の会場か、と思わせるような感じだった。転落防止柵も、監獄の格子に思えてしまった。少し、気持ち悪くなる。舞台を、こんなに高いところから見下ろしてしまっていいのだろうか?
 鶴澤清治の三味線の演奏から始まった。暗闇の中、ポツンとスポットライトで照らされ、小さく見えた。人間国宝があまりにも小さく、儚くみえた。その姿はきれいで、そして愛おしく思えた。手を伸ばせば届きそうで、握ったらつぶれてしまいそう。暗いから距離もはっきりせず、前にある柵を乗り越えれば、舞台まで飛んでいけるのではないかという錯覚に陥った。
 肝心な文楽の方は、私にはあまりにもきれい過ぎた。人形も舞台道具も、飾られているのを眺めるだけでも甚く感動していたと思う。それが、動く。「動かしてはいけないものなのではないか?」と思わせるようなものたちが、優雅に、舞うようになめらかに動いている。何が何だかわからなくなって飲み込めなかった。三味線の音も心地よく、いつのまにか、私は夢の世界に旅立っていた。その夢の中で私は、舞台裏の楽屋を訪れた。黒い頭巾を取った男達が大勢いて、こっちを見ている。みんな同じような背格好(筋肉質)で、汗だくで、無表情だった。それ以上こちらには近づいてはいけない、ということが伝わってくる。
 きれいさに目を奪われていたのに、どうやら全身黒ずくめの黒衣の方が気になってしまっていたようだ。私にとって、人形や舞台道具がきれいな分、黒衣の“黒”がよく映えていたのは確かだ。そんな“黒”に憧れたのかもしれない。だからこそ、夢の中で「そう簡単にこちらに来ることはできない」ということを教えられたのだと思う。
 文楽が終わり、別行動のグループとの集合場所が八重洲のブックセンターだった。今回の研修で一番楽しかったのはここだ。たくさんの本に囲まれて、自由に動き回り、気になった本があれば手に取り、実際にページをめくって読む。2日間、手に取ることができないものばかり見てきたためか、それは余計ありがたいことに感じられた。安心できたのだと思う。そのとき「安易に手に取ることができなかったら、私は本を好きになれただろうか?」とチラリと感じたが、すぐに忘れることにした。
 研修は、年度の変わり目の3/20、3/21の2日間だった。帰りの車中に、現場から新体制1日目の様子と、明日の連絡が入った。私も、今年度からデイサービスから特養に異動になっており、その連絡を少し緊張しながら聞いていた。1日目は、新人スタッフや異動になったスタッフが多く、いろいろと動きがあった1日だったらしい。明日から私が入っていけるのだろうか?明日からどうしようか考え出していたところに、中屋さんから私にも電話が入った。今日の様子と明日の動きについて伝えてもらったのだが、いろいろと考えていたせいもあってか、なかなか頭に入ってこない。ただ、最後の“いつものように、ふわふわしていてください”との言葉だけは、入ってきた。まさか、ふわふわとしたもの(『銀の雲』)を見て、それに憧れたその日に、そうあって欲しいと言われるとは思わなかった。明日を考えるのは、止めにした。
 今回の研修で、様々なもののコントラストを感じた。明るさと暗さ、広さと狭さ、大きさと小ささ、手に取ることができるものとできないもの。私のなかで、より鮮明になったり、曖昧になったり。わけが分からなくなってくる。もっと自由で良いのだとも思えた。『銀の雲』は、私が憧れる自由の象徴だったのだと思う。
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一時どこかへ★グループホーム第2 佐々木 詩穂美【2014年4月号】

 昨年10月の全国大会は、里の物語を伝える銀河の里にとって大きな勝負だった。守男さん(仮名)の事例を発表することになった私にとっても、自分と向き合う節目となり、銀河の里でこれから勝負をしていく大きな転機となった。大会はたくさんの人に支えられて乗り越えることができた。これから私の戦いが始まるのだと意気込んだが、現実は業務に追われる日々、大会後のチームで語り合えない雰囲気、大会から始まっていくはずの本当の戦いへの重荷に私は抜け殻になり消えていった。
 事例の守男さんをチームとして一緒に見てきた職員でさえ「あんなのこじつけでしょ?」と言った。自分としてはそんなこと言われても気にしていないと思っていたが、やっぱりどこかでは傷ついていた。大会を終えて、これから何かを掴んでいきたいという勢いは、どう動いていいか分からないまま不安の流れに消えてしまった。1300人集まった全国の場でこの事例を発表して意味があったのかと悲観的に考え込んだ。守男さんが身をもって教えてくれたこの事例さえも消えてしまいそうで、これからが本当の勝負なのに一歩も踏み出せないまま私は自分からも逃げていた。
 守男さんは大会前から体調を崩して入退院を繰り返すようになり、11月10日に入院したまま4ヵ月が過ぎ、グループホームから退所になった。病院に面会に行き、その度に守男さんから勇気をもらっていたが、入院してすぐインフルエンザやノロウイルスの流行期に入り、面会禁止になり会えなくなって遮断された。
 そんなおり県外に住む守男さんの親族の方から電話が入った。「佐々木さんですか?あなたと話せて光栄だ…」といきなりその方は電話越しで泣かれていた。守男さんの息子さんが大会の文章をその方に渡して、読んでくださり、感動して私に電話をくださったのだった。
 「人間が人間らしく、その通りです。施設は施設と思っていましたがこういう場所があるのだと知って感動しました。未来への希望です。ここまでのことをやっていただき、あとは守男さんがいつ旅立ってもて心残りはありません」と話された。たくさんの感謝の言葉と激励をもらった。大会への気苦労も労ってくれて、私は救われた。電話のあとは気持ちが温かくなり、心安らかになるようだった。

 12月21日、長い間抜け殻になっていた私の中で動くものがあった。今でもそれが何だったのかはっきりとは表現できないのだが、夜、一人でひとしきり泣き続けた。ぼろぼろだったがそれは悲しい涙ではなく、何かに向かっていく為のような、前向きな涙だった。
 その翌日、私にいつも寄り添ってくれるクミさん(仮名)が「いっときどこかさ行くべな」と私の手をさすってくれた。嬉しくなって、すぐに「うん!」と返したものの、どこに行っていいのかわからなくなっていた私が「どこさ行ったらいいべ?」と聞き返した。クミさんは「何かとりに行くべ」と言ってくれた。
 「大丈夫、安心して一緒にいっときどこかに行って、何か掴んで戻ってくるべし」とクミさんがそう言ってくれているようなメッセージに聞こえて嬉しかった。今、現実を目の前にして身動きができなくなっている私を勇気づけてくれた。前に行こう!いっときどこかに行っても安心して戻ってこれる場所がここにはあるのだと、クミさんがこのタイミングで引っ張りだしてくれたように感じた。
 私はこのときからクミさんと2人きりでどこかに行きたいと思っていた。行きたい!と思ったときが大事だ。この感覚はいろいろな利用者さんや経験から学んだ。私とあなたの「今」。高齢の利用者さんとの時間は常に今が勝負だ。もたもたと抜け殻をやっている場合じゃない。
 母子家庭で育った私は、祖母に面倒をみてもらっていて、祖母は温泉によく連れて行ってくれた。子供の頃の私は、大人になって、自分でお金が稼げるようになったら、祖母が大好きだった温泉旅行に連れていきたいと願っていた。が、祖母は私が小学生のときに脳梗塞で倒れ、半身不随になって施設に入り車いす生活をしていた。結局、祖母とは温泉旅行はできず、近くのお出かけを楽しむくらいでその願いは叶わなかった。
 その願いを叶えるかのように、2月25日、クミさんの87歳の誕生日に温泉に出かけた。贅沢に部屋を借りて1日を2人きりで過ごした。時折異界のお声が聞こえてくるクミさんは、今は亡き弟さんや息子さんのお声を言葉にして、「一緒にここに来たいどや、今からここに来るどや」などと教えてくれる。息子さんたちも喜んでくれているのだろうとクミさんを通して繋がっていく。私もクミさんも口数は少ないが、温泉に一緒に入り、お昼のごちそうを食べて、午後は布団を敷いてお昼寝をした。本当の祖母と孫のような時間を過ごさせてもらった。クミさんは添い寝しながら私の髪を撫でてくれる。昔、祖母がよくしてくれたように、安心する優しい手だった。それからクミさんとさらに関係が近くなったように感じた。
 2月28日、守男さんが胃瘻の手術をして銀河の里の特養に帰ってくることが決まった。入院中はインフルエンザなどの感染予防の為に家族とも面会ができない状況だったので、守男さんに会うのは久しぶりだった。私が抜け殻になっている間も、守男さんは1人で戦っていた。私は申し訳なくて顔向けができない。帰ってきた守男さんはいつもなんでも見抜くから、大会後からの甘えきった私の状況をすぐ見抜くに違いない…。怒られるのがわかっているので、会うのが少しこわかった。
 3月26日、いよいよ守男さんが里に帰ってきた。家族さんと特養スタッフの酒井さんが病院に迎えに行った。酒井さんはグループホームで、守男さんから一番たくさんの言葉を受けとった人だ。「守男さんは帰ってきてまだ戦わなきゃいけないんだ。遊んでられねーぞ」と酒井さんが話す。本当にその通りだ。守男さんに鍛えられたはずの私たちなのに、守男さんが1人病院で戦っている最中、何もしていないなんて遊びすぎだ。一緒にまだ居てくれる守男さんが戦いに向かう最後のチャンスをくれようとしている。
 特養に帰ってきた守男さんに私が会いに行くと、経管栄養中で目を閉じていた。「守男さん!」と声を掛けると「はい!」と大きな声と答えて、浮腫んでいる手をブンブンと大きく動かしてくれた。寝ていると思いきや、顔を寄せた私に「ばかー!」と叫んだ。私は馬鹿野郎だ…。守男さんから継ぐべき戦いを放棄している。それから守男さんは会うたびに言葉をくれる。「今だ…」と聞き取れるか聞き取れないかの声で繰り返すこともあった。守男さんに甘えきっているが、私は守男さんが居ることで馬鹿野郎から抜け出そうともがいている。
 暖かくなってきた春先、バッケが顔をのぞかせる季節。里ではバッケ味噌を各部署で作るのが恒例行事だ。一足遅れそうになりながら私はクミさんとバッケを取りに出かけた。その日は4月に入ったというのに吹雪になった。寒い風が吹く厳しい中、バッケを取りたい私にクミさんは付き合ってくれた。「さむー、さむー」と言いながら、最初は見守っているだけのクミさんだったが、「とったら帰るべし」と手伝ってくれた。収穫したバッケを手に、寄り添いながら歩いて車に乗り込んだ。大変だったけど、寒さで真っ赤になった土のついた手をお互い見せ合って大笑いした。
 事例を通して知り合った人に東北の春の味、バッケ味噌を送る約束をしていた。これから繋がって行けるのかどうかはわからないし、見当もつかないくらいの困難も感じる。でも、クミさんが寄り添って支えてくれている。今やれることをやってみるしかないと思った。
 これまで、私はいつもクミさんの後ろ姿を追いかけているばかりだった。自分では迷うだけでどこにも行けない。でもこれからは、私から動いていかないと何も始まらないことをクミさんが教えてくれていると思う。それでも動かない私に、クミさんが先に歩いて行ってしまうこともある。もう本当は私から行くしかない。
 里では甘えられるが、外に出ることはとてもこわい。私は積極的に自分から働きかけ、なんでも話せるようなタイプではない。できれば黙って影に隠れていたい。でも私にはいつも支えてくれる利用者さんとの物語がたくさんある。守男さんから戦いを継がれたのは私だ。志願もし出征を見送ってもらった。例え繋がれなくても伝える姿勢は大事だと気が付いた。たくさん傷ついてもいい。傷つくしかない。どこかでつながり語り合える人が待っていることを信じて一歩を踏み出そうと思う。「いっときどこかさ行ってなにか掴んでこよう!!」何を掴んでくるのかそれは今は全くわからないのだが、私が銀河の里の戦士となるために必要な何かだとは思う。
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春の日射しの中で★特別養護老人ホーム 佐藤 万里栄【2014年4月号】

 ある日の午前中、私は隣のユニットのすばるにシャボン玉を持って行った。最初、私はショートステイで来ていたノブ子さん(仮名)とそれで遊んでいたが、目の端に、業務に追われている新人スタッフの佳奈さんの姿を目にした。私は、せわしそうにしている佳奈さんをひきとめ、シャボン玉を渡した。佳奈さんは躊躇して遠慮していたが、シャボン玉を飛ばして遊び始めると、段々と何だか輝き始めた。
 そのうち「ほら!ノブ子さん!見てみて!」と、さらに躍動感が出てきてノブ子さんとシャボン玉を飛ばして遊ぶ佳奈さん。ノブ子さんも「あや〜!!あはは!」と佳奈さんの動きが大きくなるにつれて、身振り手振も笑い声も大きくなっていく。
 どんどんと生まれるシャボン玉に2人が心寄せて楽しんでるのが伝わってきて、こちらも嬉しくなる。佳奈さんもその時は、今まで囚われていた業務を忘れている様だった。

 その日のお昼すぎ、北斗の利用者の繁雄さん(仮名)と“ばっけ味噌”を作るやりとりをしていた。繁雄さんはばっけ味噌が大好きで、「ばっけ、20〜30個あったらいい」と、一緒に採りに行く気持ちで動いてくれていた。外は晴れたいい天気だ。私は午前中のこともあって、どうしても佳奈さんを誘いたくなり声をかけた。
 佳奈さんも「採ったことないです!行きたいです」と乗ってくれる。私と繁雄さんにとっては今年初めての、佳奈さんにとっては人生初めてのばっけ採り!私たちは三人で連れだって外へ出た。
 すごく寒がりの繁雄さんなのだが、このときばかりは何も言わず、いい天気に満足そうで、表情も穏やかだ。食べられそうなばっけを三人で探す。私は佳奈さんにハサミを渡し、繁雄さんはいつもの腕組みのスタイルで私たちのばっけ談義を聴いている。
 特養玄関前の土手の上の方に、たくさんばっけがあるのをみて、「私いってきます!」と自らさっさと土手を上がっていく意外と身軽な佳奈さん。制服がなく、ジャージは禁止でセンスを問われるという里の礼儀で、オシャレな服装の佳奈さんなのに、汚れることなんかはあんまり気にしていないようだった。
 「なんだか食べられそうなのはないですー!」「繁雄さん!ばっけあったよー!」と土手の上からイキイキと響く声に、私はいろんな意味で春の訪れを感じた。
 特養のまわりをぐるりと採り終わり、繁雄さんが予定していた20〜30個のばっけをもって、特養に帰ってくると、繁雄さんは玄関で「かわいいばっけとりした。楽しかった」と少し泣きそうな声で言ってくれた。繁雄さんにとって、人生で初めてばっけとりをした佳奈さんとの時間は、小さいかわいらしい“春”の訪れだっただろうか。それは、新人の佳奈さんにとってどんな時間だったのだろう。
 ノブ子さんとのシャボン玉で、目の前の「やらなければならない」作業から離れて、楽しんでくれた佳奈さんを見て、私も救われたのかもしれない。繁雄さんと外に出て、晴れた春の空の下で佳奈さんは楽しそうにのびのびと動いていたのが嬉しかった。作業の手順を覚えることは、私たちの仕事の基礎としてあるし、それはそれでとても大切だけれど、その上で、大切にしたいことが別にある。誰かのとなりで季節を感じて味わう時間、一緒に過ごす時間、それは尊く、かけがえのないものだと思う。
 日々が綴られる暮らしのその中で、目の前の現実の作業をこなすことも、そうした日常の奥や外側で広がる目には見えないものを見ることも、どちらも一緒に感じながら伝えあっていけたらと思う。
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「新体制の惣菜班」★ワークステージ 村上幸太郎【2014年4月号】

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★今年度ワークステージには新しい職員が3人も入りました!そのうち2人が惣菜班への配属となり、惣菜班のメンバーも少し緊張ぎみ。今月のイラストでは、食品加工場で使う新しい茶色いエプロンを着用したワーカーとスタッフが勢ぞろい!しかも、佐助豚焼売のイメージキャラクター?も登場し、かなりにぎやかに!
新商品の開発や、お中元に向けての製品作りなど、惣菜班は今年度も忙しくなります!
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「 春の花 」★ワークステージ 昌子さん(仮名)【2014年4月号】

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★道路脇の雪も融け、いよいよ春が到来しました!道端や花壇にはかわいらしい花達が顔を出し始めました。昌子さんもカラフルな花をたくさん描き、春のワクワクした気持ちを表現しました!
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