2013年05月13日

畑仕事 ★佐藤万里栄【2013年5月号】

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じっくりゆっくり大事な時間 ★特別養護老人ホーム 齋藤隆英【2013年5月号】

 「食いで〜、お兄ちゃん食べさせてけで〜」先月、体調を崩して、市内の病院に検査入院していた響子(仮名)さんに会いに行くと、ギュッと腕を握られ、そう言われた。ちょうど夕飯が配膳されたところだった。看護師に「私が食べさせてもいいですか?」と尋ねると「最近むせる事が多いので、もう少ししたら、私が食べさせに来ますので、待っていて下さい」と言われた。その時は、特に深く考えず、喉に詰まらせて、何かあると心配だからそう言ってくれたのだと理解した。響子さんに「ごめん、もう少ししたら食べさせに来てくれるみたいだから、ちょっと待ってね」と話すと、「いいから〜、早ぐ〜!」と、響子さんは更に強く腕を握って、駄々をこねる感じだった。私は困ってしまったが、どうする事もできず「ごめん!ちょっと、トイレに行って来るね」と半ば逃げるように席を立った。少しして戻って来ると、看護師が食事介助をしていたので、私もホッとして部屋に入った。ところが響子さんは「ゴホッ!ゴホッ!」と、とても苦しそうにむせて、ほとんど食べられないでいた。
 響子さんは銀河の里にいるときも、むせやすいのだが、食欲はある人なので何とか自分で食べてきた。目の前の響子さんは、全く調子が狂っていた。むせているというよりは、喉に食べ物が詰まって呼吸ができず、苦しんでいる。看護師も焦った様子で、急いで口の中から食べ物をかき出した。そして、「う〜ん、やっぱり駄目ですね〜。はいっ、終わりにしましょう!」と早々に食事を下げてしまった。私はこの看護師の言動に驚き、とても冷たいものを感じて傷ついた。その時の食事量は、おかずをスプーンで少し摂っただけで、明らかに初めの一口でむせて、それだけで諦められたようだった。私は心の中で、「えっ!?もう終わり!?」と思ったが、何も言えなかった。私が席を外していた時間も、2〜3分なのだから、これが食事と言えるのかと、怒りが込み上げてきた。悔しくて「あの、すみません!トロミをつけて、お茶だけでも飲ませちゃ駄目ですか!?」と聞くと、「気をつけて飲ませて下さい」と、冷たく言われた。
 普段、里では響子さんは車いすに座って、自力で食べている。私はその姿勢に近づけようと、少しベッドのギャッジの角度を上げて、響子さんの頭を支え90°に近い姿勢にした。そうしてからとろみのついたお茶を口に運ぶと、少し喉に引っ掛かる感じはあったが、「ゴクッ。ゴクッ」と音をたてて飲んでくれた。むせる感じはなかった。おそらく、響子さんは、看護師の介助では食事ができない事が分かっていて、私の腕を強く握って、おまえが食べさせてくれと助けを求めて訴えたのだと解った。響子さんは食欲があって、食べたい気持ちがあるのに応えられなかったことが私はとても悔しかった。
 数日後、家族さんから連絡があって、なんと、病院側から胃瘻造設を勧められたというので驚いた。病院の看護師がこなさなければならない食事介助の患者の人数を考えると、一人の患者に時間をかけることはできないのは解る。しかし、それで胃瘻増設にされるのではたまったものではないし、胃瘻造設本来の意味とも違った方向ではないのかと思ってしまった。家族さんも胃瘻造設を希望されず、その後の検査の結果、特に身体的な異常はみられないとのことで退院となった。
 退院当日、私は響子さんを迎えに行った。「何が食べたい!?」と聞くと、「スシ〜!」と、笑って答えてくれた。入院する少し前に、響子さんの誕生日があって、お祝いに一緒にお寿司を食べに行ったので、そう言ってくれたのかなと私は嬉しくなった。
 里に帰ってからの響子さんは、毎食、普通に自分で食べている。入院前よりも食欲が増し、むせる事も少ない。検査入院は必要だったと思うが、食事ができなくて、胃瘻造設の話まで出たのはなんとも解せない。お見舞いに言った私の腕にしがみついて「お兄ちゃん食べさせてくれ」には何か、いろいろな思いが込められていたように思う。
 私は一般企業から転職し、銀河の里で働き始めて2年半が過ぎた。学校で介護の勉強をした訳ではないので、一般の介護業界の状況や他の施設の様子を全く知らないのだが、介護職の知人から話を聞くところでは、職員は休憩時間に、利用者さんとは別に、自分のお弁当を食べているようだ。銀河の里では、利用者さんと職員が同じメニューで一緒に食事をするのが当たり前になっている。ひとりの人の食事が2時間に及ぶことも珍しいことではない。食事の時間にぐっすり眠っている利用者を起すことも、時間に追われ、利用者の気持ちを無視して、食べられなければ終わりということもあり得ない。特養ホームは、人生の最後の時間を生きる場所でもある。それはとても大切な時間だと思う。その中で、食事は大きな楽しみのひとつでもある。治療を目的とした病院では致し方ないとしても、特養ホームでは食事も豊かな時間にしたいと思う。 
 銀河の里の厨房スタッフも利用者とお昼を一緒に食べながら、ひとりひとりの食事を親身に考えてくれている。今日の体調、食べ方、癖、好み、食べる順番など、細かく気にかけて食事が出される。ユニットのスタッフは、一緒にテーブルを囲む時間を大切にしている。食べることと関わることがあいまって生きる豊かさに繋がる。「食事介助」などという言葉はそこではいらない。一緒に食事を楽しみ、味わって今日を生きている。
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ケアマネ訪問記 初めて「在宅での看取り」を経験して ★ケアマネージャー 板垣由紀子【2013年5月号】

 年の暮れまで元気にデイサービスに通っていた方が、年が明けてからデイサービスに姿を見せないので訪問すると、体調をくずしたとの事だった。デイに来られるまでに回復されるのを期待していたが、その後入院になった。まもなく病院から「自宅での看取りになるので、ご家族とケアマネで打ち合わせがしたい」と連絡が入った。突然看取りといわれても、私は在宅での看取りのイメージが湧かず戸惑った。関係機関との打合せで、訪問看護と在宅の主治医の紹介があり、退院後の医療体制に見通しが立った。自宅で看取ることに対しての不安が気にかかったが、主介護者であるお嫁さんは「今までも家で介護してきたから大丈夫やれると思う」と頼もしかった。訪問看護の看護師は在宅の看護を病院とは違う感覚でやっていける可能性のある仕事ととらえている方で、そうした理念と情熱をもって独立し開業したという気概のある方だった。私が入浴の回数などに囚われて迷っていると「その方、入浴は好きでしたか?その方が気持ちいいと思うことをしてあげられたらいいと思います」と医療的な管理を軸に考えるのではなく、本人さんの心地よさを優先させる感覚に私も救われ、「いっぱいの気持ちいいをつくってあげよう」と前向きな気持ちになれた。
 ケアプランを主治医に届けると、突然の訪問にもかかわらず直接話しを聞いて頂いた上に「あなたが心配に思うことは何?」と問いかけてもらった。「何でも相談して欲しい、こんな事聞いたら失礼とか思わなくていいから。話をしてくれなければ分からないから」と言われて驚いた。診断にそって医療の指示で動くというだけではない感じを受けた。これなら、在宅の看取りを連携をとりながらチームとしてやっていける。組んでいい仕事ができるのではないかと期待が湧き、心強かった。私は、できるだけ頻繁に訪問して家族さんの気持ちを聞く役になれる。はじめ戸惑いもあった家族さんだったが、点滴後のつやつやと蘇る肌や、入浴のとき見せてくれる気持ちよさそうな笑顔は、家族の懸命の介護に応えるような感じだった。そんなやりとりのなかで家族さんも(本人さんも)「幸せだね」と語られるようになった。
 こたつで息子さんが新聞をめくる音、その向かいで宿題をするひ孫さん。それらの日常が、ご本人の見送りとして、最高のものではなかったかと亡くなられてから感じた。葬儀ではひ孫さんが弔辞で「ひっこちゃんの手が冷たくなったとき、とても悲しかった。僕も頑張って生きる。見守っていて下さい」と語りかけた。在宅の看取り介護を通じて、おばあちゃんの命がひ孫さんに繋がれた感じがあって嬉しかった。
誰もが畳の上で死にたいと願う。つまり自宅で最後を迎えたいという願いがあるのだが、現実としてなかなか難しい。でも今回のように、訪問看護や在宅主治医などの体制が整えば、本人やご家族にとって意味のある大事な時間を持つことが可能になる。それは在宅の看取りを願う多くの人にとって、かなりの朗報になると思う。そうなると死が病院での死とは相当ちがったものに変わってくるだろうし、新たな可能性や世界が広がってくるように思う。今回のケースは、これからの在宅の看取りを支援する上での「希望」を感じさせられるものだった。
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銀河の里の米作り ★特別養護老人ホーム 川戸道美紗子【2013年5月号】

 なかなか気温が上がらない寒い今年の春だが、銀河の里も近所の農家もどんどん田んぼの作業が始まっている。私は今年、同僚の美香さんと二人で里の餅米作りを引き受けた。4月15日に、種まきを利用者さんと“手まき”で行った。去年は機械での種まきだったけれど、今年は理事長の「手で蒔くのならリビングでもできる」との助言もあって「特養で利用者さんも一緒に!」ということにした。利用者さんは田んぼをつくっていた方も多く、一緒にわいわい出来たらいいな…という思いだった。
 当日、私たちは、利用者さんが来てくれるか、作業にはまってくれるのか不安な気持ちが強かった。また、苗箱は30枚程とはいえ、何も知らない素人の私は、ちゃんと30枚完成させられるかな…という心配もあった。美香さんと「誰も来てくれなかったらどうしようね」という心配もしていた。
 しかし、いざその場になってみると、そんな心配は全く無用だった。まず一番乗りで来てくれたのは、かせぎ屋の桃子さん(仮名)。普段から畑で働きまくる母ちゃんという感じの桃子さんは、前日、伝えた時からノリノリで、気合いを入れて、目つきも鋭くきりっとして手伝ってくれた。さすが農業で子どもを育て上げたという桃子さん。まさに百人力で、それだけで私は「あ〜良かった」と安堵していた。
 人は続々と集まってきた。これまた働き者の祥子さん(仮名)も、「これ、なんていう米なの〜?名前付けていいの〜?」と笑顔で話しながら、じっくりぎっしりと種をまいてくれる。その向かいでは康子さん(仮名)も「ほら、お姉ちゃんもやってみて〜」とスタッフと話しながら優しく種まきをしてくれる。康子さんは普段「帰りたい」と沈んでみせる場面の多い人なのだが、この時はにこにこと明るく可愛らしい女学生のような康子さんだった。「まだまだあるよ〜、康子さん、もう1枚頼むよ〜」と声をかけると「はーい、いいでござんす!」と言う康子さんの笑顔は輝いていた。
 いつもはリビングや事務所でまったり過ごしているトヨミさん(仮名)もやってきてくれた。トヨミさんは以前「おれ、若い頃は体弱くて、うちの畑や田んぼは手伝わなかった〜」と言っていた。だから少々気になっていたが、隣の祥子さんに聞きながら楽しそうに種をまいていた。去年までは田んぼや畑からは少し遠いところにいた感じのトヨミさんだったので、私にとっては新鮮だった!すごく楽しそうで、「トヨミさんも一緒に楽しめるんだ!」とこれから田んぼの作業などでトヨミさんと繋がっていける気がして、楽しみになった。
 ユキさん(仮名)も来てくれた。最初は見ているだけだったが、美香さんが「ユキさんもやる?」と種を渡すと「出来ねえもん〜」と可愛らしく微笑みつついつ、1粒1粒じっくり苗箱に落とし始めた。そうなると「ユキさんどう?」という周りの声も入らないくらい真剣だった。そんな真剣なユキさんを見るのは初めてだった。それだけでもやった甲斐があったと思えるくらいだ。“一緒にやる”という事は大きいんだなと感じた。
 その他にもたくさんの人が来てくれて、それぞれの目線、存在が嬉しかった。中でもショートステイを利用中のカナさん(仮名)は、普段「どうして私はここにいるんですか?何のためにいるんですか?家の者は?帰りたいです!」と訴えて一日中スタッフを質問攻めにしている人だ。なかなかイベントにはまれないこともあるので今日はどうかな…と気にしながら様子を見ていた。しかしこの日は、しっかり種まきモードのカナさんだった!苗箱を渡し、「これに種をぱらぱらとまいていくんです」と伝えると「私、やったことない!初体験だ!」とすごくいい表情で種を蒔いてくれた。こう?こう?と1粒蒔くごとに確認してくれるのがとても可愛らしい。カナさんは昔小学校の先生だった人で、「こういうのは男の仕事だった」と言いながら丁寧にまいていた。…普段の「どうして、何のために私はここにいるのか」というカナさんの疑問や不安がこの日は「種まき」で満たされたのかなと感じた。スタッフの話では、種まきの事を伝えてからずっと気にしていて、昼寝をしていても「あ、種まきの時間ですね!」と目を覚ましたという。いつものぐるぐるモヤモヤではない活き活きしたカナさんだったそうだ。誰かと何かをする事はその人の1日を決めるようなすごくキラキラしたものなんだなと感じた。田んぼ作業のように四季の暮らしから生まれるやりとり、やる気、楽しみ、ドキドキ…それらがあることはとても大事なことなんだなとこの日のカナさんを見て思った。カナさんは「こんな体験をさせてもらってありがたい!」と何度も言いながら種を蒔き、1粒蒔くごとに「1万!1万5千!2万!2万5千!…」と、まるでたくさん実がなるように、おまじないのような大きなかけ声をかけながら、タネを蒔いた。
 そんな調子で苗箱30枚のタネはあっという間に蒔き終わった。「あれもう無いの?」という感じだった。皆と一緒に種まきが出来て、本当に良かった。美香さんと「良かったね」と胸をなで下ろした。利用者さんが支えてくれている。
 田んぼ以外でもだが、私は里に守られていることを実感する。理事長やワークステージ農業班の哲也さん、広一さん(仮名)達は私たちの慣れない作業を見守ってサポートしてくれる。(そこに甘えてしまっているのが課題だが…)また田んぼの作業中、ふら〜っと五七さん(仮名)と菜摘さんがやってきてくれた事があった。五七さんが見てくれているだけで、守られている感じがして暖かくなった。最初は軽トラの中で美香さんと私の作業を見ていた五七さんだったが「おなご二人稼がされていて可哀相だじゃ!おれも手伝う」と降りて来てくれた。しかし寒かったようで、すぐに「じゃ!寒みーなー。すいません、やっぱり帰ります!いいんだべ?」と帰って行ったのも五七さんらしくてよかった。
 田起こしの時も美香さんと二人で戸惑っていると「トラクター動かないって聞いたけど、大丈夫?」と特養から三浦さんが見に来てくれた。そういう、見ていてくれる人、気にしてくれる人のまなざしが心強い。私もそんなまなざしで守り支える側になりたいと願いつつ、今は田んぼを作ることで、利用者さんとも関わっていきたいと思う。田んぼをつくる事は、単純に作業を学ぶ事を超えて、なにか大切なことを身につけているんだと感じる。ありがたい事だと思う。
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常に前を見る、上を見上げる「すきやばし次郎」から学ぶ ★厨房 小野寺祥【2013年5月号】

 銀河の里の研修にこれまで何度も参加してきたが、今年の2月には有名な銀座の「すきやばし次郎」へ出かけた。ミシュランガイド東京で6年連続三つ星の店はカウンター10席だけだ。親方の小野二郎さんは83歳で世界で最も高齢の三つ星のシェフとしてギネスブックに登録されたという。今年87歳の今も現場に立ち続けている。現在「すきやばし次郎」に関する著書は10冊を超え、そして今年『二郎は鮨の夢を見る』という映画が公開された。世界30か国以上で上映されたといい、岩手でも4月に公開になったので私も見に行った。映画を作ったのはデヴィッド・ゲルブというアメリカ人で、映画の音楽はクラシック。小野二郎の鮨の世界はハーモニーなのでクラシックが合うという。二郎は9歳のとき実家を後にした。そのとき「帰ってくる所はないんだぞ」と言われたという。映画では実家の墓参りに行く二郎がいる。「たいして世話にはなっていないんけどな」といいながら、「帰ってくるところはない」という厳しさに支えられて戦い続けることができたという感謝がある。自立とはこういうことだろうか。息子達や弟子にもその厳しさを伝える二郎がいる。また、毎日同じ事を繰り返す事の中にプロフェッショナルがあるとの自覚がある。一方で世界が揺れている。マグロが絶滅危惧種になろうかという時代をどう生きるのか。世界の環境を考えないわけにはいかない。築地の男達とも絡んだ格闘がまたそこにはある。
 勝負を賭けている男の鮨は、そのまま彼らと私の勝負だった。二郎は10席の客の一部始終を見ている。みつめながら時を逃さず責めてくる。19貫30分の勝負。「出した瞬間が一番うまいように出している」と、10秒過ぎればそのぶん味が落ちるという繊細な勝負だ。ネタはもちろん鮨めしから、何から何まで思い入れがこもり、長い時間をかけて仕上がって出てくる。それらの時間の大半が見えない世界だが、目の前に置かれる鮨の中にそれは世界として詰まっている。例えば“蛸”。「蒸したてで暖かいからね。岩塩がふってあるので、醤油は付けないで食べて」ときた。口に入れた瞬間、蒸し蛸の温かさを感じ、岩塩は角がないまろやかな塩味で締りを付ける。とても柔らかくて大きな頷きとため息が思わず出る。蛸の仕込みは、出す1時間前に塩もみをして蒸す。フランスの有名シェフ、ロブションは「この蛸は伊勢海老の味がする!世界に誇れる極上の味と香りと食感だ」と舌を巻いたという。軍艦の海苔も開店直前に七輪で炙る。磯の香りが頭の中を駆け巡り「パリッ」という食感で海苔の世界が脳裏に広がる。それでいて海苔がネタを殺すことはない、ネタの本来の味をひきたて作品として完成されている。ネタとシャリの至ってシンプルな鮨という料理。シンプルなところでの勝負だからこそ凄い。
 今の私には、この勝負は全く勝ち目がなかった。おこがましい限りだ。だから、二郎の鮨を食べても、映画を観ても何も解っていないのだろう。でも料理人の端くれとして二郎の鮨と勝負させてもらった経験は貴重だった。私がこの先、プロとして挑み続けて育って行けたら、いつかこの経験の真の価値を理解できるだろう。それは今の二郎の年にならなければ解らないのかもしれない。87歳が言う「毎日が挑戦で毎日が勉強。毎日死に物狂いでやる。そこから少しずつ成功が生まれる」と。頂点の二郎が言う“上”とはいったい何だろう。自分自身のその上と言うことだ。それこそが本当の勝負だろう。そうした厳しさが、私にあるだろうかと考えると消え入りたくなる。二郎に比べれば、何も考えてないし、甘えただ。「常に前を見る。上を見る」といった言葉ずらじゃ解らない世界があるんだと思う。浮かれているだけでは何もつかめやしない。「お前は本当に勝負をしたことがあるのか」二郎の鮨は私にそう言っている。それは古い男のロマンなんだろうか。今どき笑われる古風な夢なんだろうか。私はどう生きるのか。女のロマンは甘くていいのだろうか。悩みどころだ。
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尊厳を守る戦い ★理事長 宮澤健【2013年5月号】

【山田太一氏】
 里内部の研修、銀河セミナーで山田太一の100年インタビューを聞こうということになった。山田太一には現代を生きる人間が背負った課題をテーマにした多くの作品がある。テレビドラマでも経済成長で発展する日本社会の影に注目した作品を作られてきた。時代の様相の表からは見えない裏や影にある「本当のことに迫りたい」という姿勢が人々の心をとらえてきた。『男達の旅路』や『ふぞろいの林檎たち』も社会の片隅に追いやられた人々にまなざしが向けられた作品だった。『異人たちの夏』『遠くの声を捜して』『見えない暗闇』などは、現代人が失った異界との交信を描いた魅力ある作品だ。
 9歳の山田太一氏は戦後の食料難のなかで、お姉さんと田舎にお米をもらいに行った帰りに闇米の取締に逢って警官に捕まった。ところが警官が「逃げろ」と言ってくれたという。この経験は山田氏の自己形成に重要な役割を果たし、組織からはみ出さないやつはダメだと思ってやってきたという。ところが50歳になったころ、警官のマニュアルのようなものを読んでいると「あまりに惨めな子どもは取締のときでも許しなさい」と書いてあった。長く頼りにしてきた体験は、個人の親切ではなく、そういうシステムだったんだと解る。現実はそんなもんだと思ってショックだったという話を講演でしていた。
 事実の発覚は、現実の「本当のこと」を超えて、はみ出すものへのまなざしを深める契機になったのではないだろうか。日本の社会では、はみ出ることは厳しく辛い道を歩くことになる。山田氏が障害や老いにテーマを置いてきたのも、はみ出さざるを得ない人々を描くことで、氏の言う「本当のこと」を描こうとしたように感じる。インタビューでは、「ドキュメンタリーでは個人の深いところは描けないでしょ。傷つけちゃうから」と物語の役割を照らし出す。闇や影を含んだ「本当のこと」に迫りうる物語の役割が語られる。
 介護現場から「本当のこと」が語られることはほとんどないように思う。安かろう悪かろうの質の低い日本の介護現場の現状は人間の尊厳を奪い取り、個々の人生を蔑むシステムとして動きがちだ。当事者達はほとんどそのことに気がつかないまま、良いことをしているつもりでいる。里では、一貫して事例を編んできた。それが、現場の記録を変え、関係を支える力になってきたと思う。バイタル等の記録に留まらず、利用者との関係に生き、言葉や行動に細かく関心をよせ、それを記録し、そこにある語りに迫ろうとしてきた。業界で見受けられる実践報告会などの10分程度の枠や、一方的な報告の様式ではおさまりきらないその人に迫った物語が紡ぎ出される。
 山田氏も社会科学では「本当のこと」は見えないというように、客観的な記述や因果論の診断と処置の枠内では、生きた人間存在は見えないどころか、むしろ削除されてしまう。それは暴力に繋がる危険さえ孕んでいる。われわれの現場そのものが排除された者を、さらに排除していくシステムに組み込まれ、ほとんどの施設が利用者を見ているようで、実際には表面的に扱いなにも見ていない現状がある。
 セミナーでは、新人のスタッフも含め山田氏のドラマを見た人がいなかったので、『異人たちの夏』をDVDで観た。私も初めて観たのだが、この作品は最後の場面が良くなかった。主人公がつきあっているケイという女性は実は幽霊なのだが、最後の場面の悪霊退治のホラーのような演出が全体をぶちこわした感じで残念だった。5年前に演劇作品で観たものは悪霊退散ではなく、異人との愛と切ない別れが、両親の異人との暖かくも切ない別れと相まって暖かい感じがたっぷり残り、原作に近くて良かった。「まったくどうかしてたんだ」という友人の言葉を受け入れながらも、「しかし無論私は少しもどうかしていたなどと思ってはいない。さようなら、父よ母よケイよ。どうもありがとう」という独白で、大事なもの、忘れてはならないものを取り戻したことが伝わる終わりがとてもいい。この作品は、現代人が現実感や人間性を失っていくなかで、異人との繋がりの中でそれを取り戻すというお話しなのだが、介護現場において、認知症高齢者の存在はとても人間的でリアルだ。現代人の前に異人たちはめったに現れないが、認知症高齢者は現代の若者達のそばにいて日々支えてくれる。この作品の中の異人たちのような存在に思えてならない。しかし、物語でも社会でも異人達は「どうかした人達」として葬り去れれがちだ。誰もが解る単純な世界ではないが、我々現場のスタッフは「どうもありがとう」という関わりを作れる人間でありたいと思う。
 この「どうかしてる」と「どうもありがとう」の違いはどこにあるのだろうか。科学的現実だけで正しい答えを持ち、メソッドやマニュアルで人間を意のままに操作しようとする多くの現代人には「どうもありがとう」は言えないし、異人との出会いさえありえない。銀河の里が、怪しいとかシュウキョウだとか揶揄されることがあるのは、異人たちに「どうもありがとう」と言える関係を大切にしようとしてきたからだ。

【赤坂憲雄氏】
 先日、遠野で、赤坂憲雄先生に10月の全国グループホーム大会の打合せのためにお会いした。先生は「民俗学者は自分の仕事のために、他人の日常にいきなり突き刺さって、情報を得るために話を聞こうとするんです。つまり話を盗むんです。私はそういう姿勢は一切持たないで話を聞いてきました」また「周囲の人や本人が語るのを拒まれる事が多いんですが、私は会えれば必ずお話しをしていただけるんです」と話された。若い頃、山形の75歳の現役の芸者さんからお話しを聞いた体験を語られ、その方は「芸者としての人生を肯定されたかったんです。人は自分の人生を肯定するために語りたいんです。そのために地元の者でない見知らぬ私を選ばれたんだと思います」そんなお話しを聞きながら私は怖くなってきた。本物の人間の前に出ると、私の偽物がばれるようで身動きがとれなくなる。半年後に亡くなられたという芸者さんは、今も先生と共に生きていてオーラを放っているようだった。人と出会い、深いたましいの交流をしてきた者に宿る迫力を感じた。恐ろしい人がまだ現代にいるんだと、柄になくびびり切った。大会の講演の打合せだったのだが、説明も打合せも必要なかった。現代と東北、東北の知恵、聞き書きの神髄などいろいろ考えてはいたのだが、先生の達観は語るべきを固められていて、高齢者の語りを聞く意味とその姿勢を伝えようと定められているようだった。
 赤坂先生にも大きな「ありがとう」の存在を感じる。異人たちは「ありがとう」を通路に行き来する。操作しようとする人たちはありがとうを感じないで盗んでしまう。「そう言うことは私は一切ないです」と言われる先生に気迫があった。「今は誰も聞かないんです。話したがるんです」とも言われる。聞く者がいないから語られない語りも多くあるだろう。語りを聞くことが「盗む」になる恐ろしさもある。同じ「聞く」が真逆な行為になってしまう。一見同じような行為が、簡単に暴力に転落する怖さがある。

【河合隼雄氏】
 私たちは、科学的知識に基づいて行動すれば間違いないと下手に信じていないだろうか。分類しマニュアル化すれば何でもうまくいくと思わされている。ところがそれだと話を聞くつもりで盗んでしまうのと同じ轍を踏むことになる。宮澤賢治の銀河鉄道の夜の冒頭部分を引いて河合先生が書いている。「ではみなさんはそういうふうに川だといわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやり白いものが、ほんとうはなにかご承知ですか」、ジョバンニは「星」だと知っているのに何だか答えられず、カンパネルラは手を挙げていたのに先生に当てられると答えられなくなる。この始まりを賢治はよく考えているという。物語は銀河鉄道で異界の旅をする話しだ。科学的知識では白いものは星だと解っている。しかし科学者でもあった賢治が、川ではないとは思わず、川がちゃんと見えなければ二人は銀河鉄道の旅には出られない。それどころか「ジョバンニは走ってその渚に行って水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです」賢治は川を見るだけでなく水が手に触れるのを感じることができたという。見えないものが見えるというのはこういうことなのかもしれない。しかも賢治は科学的知識をもったうえで川を見、水に触れているのだ。「星はいくら言いつくしても言い切れぬ美しさと、いくら調べても調べ尽くせない未知の部分を持っている」と河合先生が言われるように、星だと解っていても川を見たり、水にさえ触れられるような感性がなければ、認知症の利用者の話を聞くことも語ってもらうこともできないだろう。水に触れることも、川をみることもできなくなったとき、人間は大切な何かを失い生きている実感が消え去るのではないだろうか。人間に関しては、正しい事実だけが真実とは言えない。介護現場を、語りの生成の場として変容させながら、我々はもっと真摯に人の語りに向きあう必要があるように思う。
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「暴力への道」を歩まないために ★施設長 宮澤京子【2013年5月号】

1.はじめに
 「銀河の里」では、認知症の人たちとグループホームで生活をはじめて、13年目を迎えた。生活単位が9人未満という小規模で、台所やリビングを備えた家庭的な雰囲気の中で住み慣れた地域で暮らせる。まさに認知症ケアの切り札として制度化されてきた。しかしそのグループホームケアが、今まさに岐路に立たされている。その背景には、「認知症ケア」が、医療モデルに準じてしまい、役割の固定化から抜け出せないでいることがあるように思う。病院では患者にさせられ、福祉施設で被介護者を演じさせられてしまう。こうした役割の固定化に、認知症高齢者を巡る人間の尊厳に関わる危機を強く感じる。

2.介護施設における「認知症ケア」のテキスト最前線の実態
 自立支援介護ブックレット『認知症ケア』を一見して仰天した。これは公益社団法人全国老人福祉施設協議会が主催する「介護力向上講習会」の教材として、竹内孝仁教授によって書かれた「認知症ケア」最前線の位置にあるものだ。(この講習会に平成24年度までに916施設が参加し、受講者が1,124人という。)ところがその内容はあまりに軽薄で、人間の尊厳を踏みにじる暴力的なものだ。介護の品質の安かろう悪かろうの頂点として記念される見本がここにあると言っても過言ではない。著者もこんな内容を文にして公にすることを恥とは思わないのだろうか。またこんな内容のテキストを与えられ講義を受けた現場の管理者や職員は、疑問や反発を感じなかったのだろうか。個を認めず、認知症という一般論に閉じこめ、人間の尊厳の根本である“心やたましい”を無いものとみなし、人間を“もの”として扱うことで正解を求め、問題を解消してしまおうとする浅薄な科学主義に終始している。これを見て見ぬふりをすることは同罪に値するので、微力を顧みず批判をしておきたい。こうした「認知症ケア」を推し進められては、認知症高齢者にとって悲劇であるし、ケア行為そのものが貶められ、現場は後世から人間の尊厳を集団的に踏みにじった残虐行為の温床として糾弾されるであろうと危惧するからである。

 このテキストには人間というものが全く消されているのが特徴だ。症状だけを問題として特化し、そこには人生も個性もない。
 例えば特養の目指すべきことは「おむつゼロ」だと言い切り、それがこの十数年の現場の輝かしい成果だったと言う。介護業界がその程度の事しか目標にできず、実際それしかやって来られなかったところに、介護の質の低さを露呈させている。介護現場がおむつ外しを目指すところと定義され、入居者は「おむつ着用者」として「排泄」に特化されたデーターの単位になる。そこでは個人の全体性(人格)などは見向きもされない。こうしたおむつ外しの二の舞を、同じ構図で認知症ケアにも適応しようとしている。認知症の症状をタイプ別ケアと称して6つに分類し、その症状をとれば「治った」ことにするという。
我々としては、認知症は人間の深い所からのテーマを投げかけてくる存在で、個性や人生や地域など現代的な多くの課題と絡みながら問題を提起してくると考えており、竹内氏の認知症ケア理論とは対局のところにある。
 医療においてもエビデンスモデルへの偏りを反省し、ナラティブモデルでの展開が模索され議論されつつあるなかで、暮らしの場である介護の現場に、単純な操作主義的なモデルを打ち出してくるのは時代錯誤も甚だしい。

〈竹内ブックレットへの疑問〉
何かと分けたがるのが竹内氏の特徴だ。しかし、実際の現場で生きた人間を分類はできない。無理にあてはめたとしても役に立たない。それなのに、タイプ判定さえしっかりすれば、認知症の症状は全て取り去ることができると言いきり、症状がとれないのは、タイプ判定が狂っているからだという。科学的思考の訓練を受けた人とは思えない、非合理的な論調だ。
 一方で、急にセンチメンタルな話になる。タイプ分けの次に挙げるのが、「共にある」だ。急に甘っちょろい言葉でごまかそうとしてくる。しかもその「共にある」の内容説明が、「気の毒だよね」と言う感情が持てるかどうかだというのだから、バカにした話だ。全体がこんなお粗末きわまりない展開なのだ。

〈認知症高齢者のアセスメント・ケアチャートについての章から〉
 アセスメントの表題は「言動の異常とその発現状況」となっている。竹内氏は認知症を異常としかみていない。ケアプランでは、タイプ判定が正確だとケアがしやすいと、タイプにこだわる。「異食」は孤独感を感じての行動であるとし、安直に仲間作りがいいと言う。仲間に入れてもらえない場合、孤独を感じないようにコンビニやスーパーに買い物に連れて行こうと言う。 孤独は意識が内に向いているときに感じるので、意識を外に向けさせるために良い方法だという。「回帰型」の判定が出たら、相手の戻っている世界をよく見て、そこに付き合ってあげるように。「認知症はいち早く周辺症状を取ってあげないと、大変気の毒な事だということをいつも頭の中に入れておかなければならない」と、恥ずかしくなるような話が続く。

〈事例検討の章から〉
 こんなケースの提示で「事例」とは言ってもらいたくない。生きた人間には視点が向かず、異常を取り除けばOKという、機械的な考えで認知症に対処しようとする。結局、的外れな具体例を長々と示しながら結論は「基礎知識をきちんと学び、きちんと対処していきなさい」と、上から目線のご指導で終わっている。

3.「介護向上」ではなく、「介護工場」?
 「おむつゼロ」が福祉施設の成果だとされても、特養ホームがなぜおむつゼロを目標にする必要があるのかわからない。この「おむつゼロ」をはじめ、彼の推奨する最近の「胃瘻全廃」「全員常食」という標語も集団を想定した対策にすぎない。特養ホームを「養老院」から「介護工場」に変換するために効率のよい流れ作業をマニュアル化する都合のいい理論を押しつけられて、その片棒を担ぐ福祉現場は悲しくないか。認知症の周辺症状を問題行動や異常行動として捉え、症状をなくすことを目標として立てられるケアプランは、一体誰のためのものなのか。こうした介護工場用のケアプランの作成の手引きが、堂々と業界でもてはやされているのは嘆かわしい。
 こうしたブックレットを読む限り「認知症ケア理論は、いまだ見いだされてはいない」という感想を持つばかりだ。

4.認知症ケアの現場から
 認知症に関する医学的な知識を理解したからと言って、それがそのままケアに活かせるかというと、そう単純なものではない。知識があるのは悪くないが、目の前の認知症のひとりの人と向きあうとき、一般化した認知症ケア理論や対応マニュアルで縛られていては、その人の本体から遠ざかる。
 認知症高齢者の一人一人は個性的な魅力を持っている。こちらの思惑や社会通念的な枠組みにとらわれない自由な言動や鋭いこだわりがある。現代社会の脆弱な人間関係に揺さぶりをかけてくる逞(たくま)しさや数値化できない不思議なエネルギー、そして癒しの力に満ちているのも確かなことだ。つまり、医療モデルでいくら科学的に分類・分析・対処しても解決できない、不可思議な世界を持っているのが認知症だ。
 認知症を客観的に対象化し、患部を除去するという医療モデルではない新たなモデルの必要を感じる。それこそが介護現場が担うべき専門分野になってくる。立ち位置が違えば問いそのものも異なる。生活の場では「認知症とは」という、客観的な概念や分類パターンでその人と接することはない。「好きか嫌いか」というようなエモーショナルな心の動きからスタートするだろう。介護現場が「認知症とは」の問いから始まっているとしたら、それは「介護工場」への道を歩むことの警告と受け止めるべきだろう。「介護工場」では介護を特化することによって、介護する側される側の上下関係やシステマチックな関係に制約される。文化や伝統や生き様の「継承」や「贈与」という本来人間が持っているはずの豊かな関係が絶たれ、重要な双方向のつながりや変容が機能しなくなり、生命としてのダイナミズムが死滅してしまう。介護現場は、医療モデルによる安直なマニュアルで、目の前にいるひとりの人の人生を操作しないこと、それが基本中の基本になるだろう。

5.「暴力としてのシステム」を考える
 1981年、「完全参加と平等」をテーマとして「国際障害者年」がスタートし新しい障害者福祉の理念が掲げられた。リハビリテーションやノーマライゼーションという新しい障害者福祉の理念を踏まえて、様々な活動が行われるようになった。「障害者福祉元年」と世の中が高揚していた頃、私は大学のゼミの先生から、知的障害者の人権侵害や在宅や施設福祉の過酷な現状について学んだ。国際障害者年で掲げられているような理念や目標が、日本に根付くには、困難な問題が山積みされていると聞き、若かった私は、燃える熱いものを心に宿した。
 大学を卒業し新設の知的障害者(重度・最重度者)の更生施設に就職した。入所者と職員の配置が1:1という恵まれた人員、小舎制の生活棟が5つ、訓練やレクリェーションのためのホールがあり、焼き物・木工・染め・織りの工房も整っていた。冷暖房設備が完備され、生活や訓練そして余暇活動という福祉施設に必要な全てが、快適に贅沢に潤沢に揃えられていた。ハードとしての建物や設備、ソフトとしての充実した人員配置を基に、集団指導体制が敷かれ、生活プログラムや訓練プログラムが職員によって立てられていた。いかにも立派で、派手な活動がなされていた。しかしそこで私は、この世の地獄をみる。整えられたシステムと、理論化された方法論は、正義の面の皮の裏で暴力として利用者に向けられた。
 入所者と職員が共に生きる感じは皆無で、指導や訓練をする側とされる側にきっぱりと別れた。そこには、人間としての暮らしの営みはなく、入所者は「刺激と反応」によって管理・操作されるシステムに組み込まれて扱われた。大義名分の陰で利用者に対する職員の暴力が蔓延し、日常化していく。訓練棟への移動の途中に、列を乱した利用者を躾と称して腹に蹴りを入れる。入浴を嫌がる利用者を頭から湯船に鎮める。ニャッと笑い「不快刺激に対する反応を見る」と正当化され、欺瞞(ぎまん)が膨らんでいく。
 同期で入った職員の多くは、3ヶ月もすると違和感なく利用者に暴力を加えるようになった。普通の善人が施設の門をくぐると人格が変わり悪魔になった。そして門を出た途端に、何事もなかったように普通の人にもどるという技を身につけていた。そんな器用なことができない私は、抗いきれない濁流に呑み込まれ溺れかけていた。日常的な暴力に抗議どころか、違和感を口にすることもできないまま組織のなかにいた。現場の惨状を見て見ぬふりをする卑怯な傍観者だった。積極的でない私に「反抗するなら、それを覆すだけの理論と方法を見せろ」と暗黙の圧力がかかった。彼らを打ち負かす何の技術も療法も持たない私自身の「弱さ」を悔やむだけだった。善悪は別にして、彼らには振りかざす理論があり、それを実践する方法と技術が仮にもあった。私は反抗心さえ押さえ込まれ、ただくすぶっていた。彼らを心の底から軽蔑しながら、「どうせだめだ」というあきらめに私自身が傷つき荒んでいった。3年堪え忍びその施設を辞めたのだが、告発できない重度・最重度の障害者にかわって、告発しなかったという卑怯者の烙印を、自らに帯びた苦い過去がある。
 それから数年後、岩手に移住し「銀河の里構想」に着手する。その苦い過去が銀河の里の運営の根幹にあることは確かだ。人が人をメソッドや理論で扱うことは、人間の尊厳に対する最大の暴挙であるという感覚を麻痺させてはならない。客観的に扱う立場と、共に生きようとする立場では人生に対する問いが、根本から違っている。しかし操作主義という同じ土俵に立っての戦いは不毛に終わるという事に気づくには、長い年月を要した。
 更生施設を辞めた当時、フランクルの『夜と霧』やエリヴィーゼルの『夜、夜明け、昼』などホロコースト関連の本をむさぼり読んだ。自身の地獄を見た体験から、人間の持つ暴力の本質を見極めたかったのかもしれない。ホロコーストの裏には人間に対する操作主義がうごめいていたことが今の私には見える。竹内氏の医療モデルの理論は、その系譜上にある。それを現場の感性が気がつかないと地獄は確実にやってくる。それらの特徴は、いつも知らないうちにやってきて、暴力を与える側か、受ける側かは別にして、いつの間にかその真っ只中に自分が置かれているということだ。

6.恩師との再会から、「介護」の美名がもつ「貶(おとし)め」
 この連休中、40年前の保育学院の恩師を尋ねた。脳卒中で半身不全麻痺になられ歩行器を使っておられた。約束の時間、駅の改札でヘルシーカーに座って私を待ってくれていた。夫婦二人暮らしで、家事は旦那さんが引き受け、ヘルパーやデイサービスを活用されながらの生活という。旦那さんは「日めくり暦を約束の日まで破ってしまいましてね、何日か分からなくなってしまいした」と語ってくれた。会えるのを楽しみにして下さったのだ。
 先生は、保育士養成の学校で教員をされ、また保育園の園長としても長く勤められ、その後乳幼児と保護者の相談業務に就かれた。退職された後も、現場の保育士さん達との「勉強会」を続けておられた。一貫して保育の専門家としての道を歩んで来られた方だ。子どもへの眼差しは温かく「子どもは、夢がある!」とよく励ましてもらった。
 その先生が、「この身体になったからこそ、分かることが沢山あるのよ」と真剣な表情で語られた。体が不自由になり、明晰さが薄らぎ、物事が分からなくなって不安がつのると、介護人の“心根”を敏感に感じ取ってしまうと言われる。介護者に気持ちを逆なでさせられるのは、「あなたのために、私がお手伝いしましょう!」といった優しさを大上段に構えた輩だと言われる。「ただ横にそっといてくれるだけでいいのに」と。また「忙しそうに流れ作業でバイタルをはかり、一切顔も見ずに一丁上がりで処理される不愉快さは、貶められたような気がする」とも言われる。「私の行為(立って、お手洗いに行く)を酌んでもらえない苛立たしさ、私の意図や思いに関心が持たれていないことの淋しさもあるの」と、先生のひと言ひと言が貴重な体験として私に浸みる。「今、この身体になって感じているこの思いを、かつて私も子ども達に味わせていたのではないかと思うと、凄く怖くて自信がなくなる。良いことだとして、意気揚々と押しつけていたのでは・・・と思うの」と、先生の目は遠いところを見つめていた。でも少し時間をおいて「やっぱり、子どもはいいわよ!夢があるもの」と、40年前と変わらないまぁるい目が輝いた。メソッドありきの教育で、子どもの「生命力」を萎えさせるように、「介護」のお仕着せの善意に、どれほど傷つくか先生は身をもって伝えてくれた。帰り際、「まだまだお話しする時間が足りないわね」と私の手を握ってくれた。先生は、銀河の里が「子ども」の領域に着手できないでいる私自身の課題を感じとられたのかも知れない。

7.さいごに
 介護分野も考え方や実践に専門性を持つ必要がある。お互いの分野で、限界を認識しつつも使命を全うしていきたいと思う。しかし福祉の現状は医療や保健や看護の分野と対等に渡り合えるだけの専門性が立ち上がっておらず、あまりに未熟なままだ。専門性として暮らしのなかで生きる在りようを模索するべきだと考えるが、死や老いといった人間の根源的な課題とも結びついて、その守備範囲は広いし、医療など周辺領域との連携もあり、かなりの努力や研鑽が必要とされる。
 認知症ケアについては、グループホームという小規模で家庭的な場が13000カ所も整備された今、これまでの大規模な介護施設との違いを踏まえ、大胆に発想の転換をしていくことで、その専門性を立ち上げていけるのではないかと期待する。グループホームの実践とその発信は、認知症ケアという方法論を超えて、人間の存在そのものを照らし出すような大きな可能性を感じる。

 〜 里の12年から 〜 人生そのものが、物語であり芸術
 時代を席巻した近代科学は、簡単には逃れられないように、「便利」・「快適」というキーワードで私たちを魅了し、組織やシステムを巧みに利用して、「人間」を絡め取っている。私自身も、その渦に呑み込まれ溺れそうになりながら、這いつくばって生き延びてきた。
 そんな折、銀河の里で認知症の人たちとの出会いによって、私は救われた。他からのコントロールなど全く意に介さない世界で、歩く人はどんどん歩いて行き、大声で叫び、暴れる人は暴れる。まるで、現代の固く閉塞した世の中に、「人間」を取り戻させようと、必死に奮闘してくれているかのようだ。その必死さに、感情が揺さぶられ、刹那に埋没する私の目を覚まさせる。
 里の12年で見えて来たのは「何かをする」ことではなく、「起こってくることを待つ」ところに新たな天地が開けてくるということだ。まず出会ってみる、そこに関係が動く、何かが始まる。その先は解らない。解らないから、わくわくさせられる。見通すことが安全で合理的だと考えてやってきた日本人は、いま孤独の淵に沈んだような状態だ。世の中には見えないものがたくさんある。見えないものほど人間を豊かにしてくれる。限定された見えるものだけの世界に固執していると、やがて「人間」が支配され、深刻な暴力に転落する危険がある。見えない世界を繋いでくれる通路として、認知症の人がいてくれる。グルーホームは、そうした通路の道しるべだと思う。通路は縦軸、横軸へと自在に世界を繋ぐ。あの世とこの世、異界と現実、社会と地域、あなたと私、そうした、いろんな世界が繋がって、人生はできあがっていく。死者とも深い繋がりを持ちながら人は生きていく。
 里は、そんな繋がれた世界を「物語」として紡いでいきたい。掛け替えのない「わたし」という人生は、さまざまな出会いによって幾重にも織り込まれ、まさにオリジナルな物語を構築していく。そこには人生が「芸術」と重なるひとつの作品のように輝いて立ち現れてくる。認知症高齢者との深い次元でのやりとりは、たましいの交流として繫がっていく。人間や自然など様々な関係を絶つことで享受してきた「便利さ・快適さ」は、我々を孤独の淵に追い込んでいるが、たましいの次元での繋がりの回復がこれからの新たな道を拓くように感じる。(このことは今後の里の課題でもある。)

 「認知症ケア」の教科書となっている竹内理論が、現場に与える影響を危惧して書いたが、掲げられた認知症ケア理論を「良かれ」とシステムにのせて実践した途端に「人間」を消すという自覚が必要だ。我々は現場を魂を切り刻む場とするのか、繋ぐ場とするのかの瀬戸際にいるといってもいい。ここで間違いは許されない。
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地域を生きる − 活躍の場と支援のありかた ★ワークステージ 日向菜採【2013年5月号】

【奈良の旅】
 ワークステージの昌子さん(仮名)の作品が東大寺の幡のイベントにデザインされ、奈良のたんぽぽの家のご招待で奈良に行ってきたことは2月の通信に書いた。奈良の旅の2日目に、スタッフに案内をしていただいて、奈良の歴史的町並みが残る地域“ならまち”を散策した。奈良県障害者芸術祭のひとつとして、プライベート美術館という企画が開催されており、いろいろなお店で作品が展示されていた。プライベート美術館は、奈良県内の障害者の作品約120点をお店や町家で展示するというもので、お店のオーナーなどに、気に入った作品を選んでもらって展示するらしい。
 偶然通りかかった雰囲気の良いカフェにも作品が飾られており、外から覗き込んでいると「よかったら見ていってください」と店内にまねき入れてくださった。お店のオーナーが「この絵いいですよね!最初見てすぐ気に入りました!」と作品をとても気に入り、その思い入れも一緒に伝わってくるので、こちらまで嬉しくなる。作品のレンタル料が作者の報酬になるシステムのようだが、お店の方のお話しでは、作品の貸し借りを超えて、作品が街や人の関係を繋いで、いろいろなエピソードが生まれるということだった。障害者の施設だけの単発のイベントで終わってしまうのではなく、奈良では街ぐるみで障害者芸術祭に参加して取り組まれており、羨ましく感じた。

【成功事例・・・?】
 3月には北上市で日本セルプセンター主催の研修会にワークスタッフ全員で参加した。被災地域にある障害者就労施設の製品の開発や販路拡大などの応援を目的とした研修会だった。先進成功事例では、愛知県で企業と福祉法人の融合グループが障害者の就労支援事業として、大手コーヒーチェーンの店舗をオープンさせたり、自家製のパンや菓子を有名ブランドからの受注商品にするなど、数々の華々しい成功事例が紹介された。企業開拓のスピードの速さと規模の大きさには驚いたし、よくある福祉施設の地道な下請け作業のイメージとは別次元の、流行を先取りした華やかな事業展開の活躍があった。ただそのエネルギーに満ちた斬新な活動に感心はしたのだが、違和感も少し残った。太平洋ベルト地帯の巨大都会だからできることで、同じようなことが岩手で展開できるとは思えないし、起業としての成功は見事だが、そこで働いている個々の人たちの物語もきっとたくさんあるはずだが、面の華やかな活動の陰になって、個々の人間が見えにくいことが少し寂しく感じた。

【念願のアート化セミナー@岩手】
 その2日後、今度は奈良のたんぽぽの家主催の「アート化セミナー」が盛岡で行われ、こちらには高齢者部門のスタッフも引き連れて参加した。いままでこのセミナーは、奈良で年に1度行わ
れてきたものだが、今年は被災県の宮城・福島・岩手の3県の支
援も絡めての開催となった。毎度のことながらたんぽぽの家のスタッフの方々の活躍には驚かされる。岩手で開催して声をかけていただいたことに感謝したい。
 昨年、奈良のセミナーに参加したときは、全国でアート活動で活躍されている方たちの話を聞いて刺激を受けた。今回の岩手のセミナーでは、主に県内の沿岸地域の施設の活動報告があった。

【ハックの家】
 このセミナーで嬉しかったのは、田野畑村の「ハックの家」の竹下さんが講演されたことだった。私は中学時代、授業の一環で、ハックの家に体験実習に行ったことがある。その当時福祉作業所だったハックの家は、普通の民家で村の人たちが集まる集会所のようだった。当時、私は「福祉=助ける」ことだと思っていた。ところがハックの家の中では「助ける」対象がなく、想像していた福祉とは違って、人々の暮らしの時間がただ自然に流れていた。近所の方の差し入れのシフォンケーキでみんなでお茶をしたことや、帰るときに一番お話した耳の不自由なおばさんが私の手をとって泣いてくれたことなど、私にとってそこで過ごした時間は大切なものになり、私が福祉の仕事を目指すきっかけとなった。
 ハックの家での体験がベースにあったからか、大学の実習や就職活動で訪れた施設にはどうも魅力を感じることができず、今、銀河の里でがんばっているというわけだ。
 現在のハックの家は、障害と児童のサービス事業を多数担っており、地域にとって欠かせない存在になっている。特に震災後は、地域に、子どもの見守りの目がなくなったことから、子どもたちが安心して遊べる場の確保するため、放課後児童デイサービスを開設するなど、地域の身近なニーズを的確にキャッチし、事業を展開していく姿勢でやっている。規模が大きくなっても、あくまでも高齢者、児童など地域の人たちの「居場所」として存在している。
 セミナーでハックの家の竹下さんと会えたことで、自分の原点を振り返ることができて嬉しかった。中学生のあのときの自分の体験を信じ続けてきてよかったと思った。ハックの家と銀河の里では、地域も規模も違うけれども、福祉サービスという枠組みではなく、自然な人間のありようを基盤におく姿勢や向き合い方は同じだと思う。
 たんぽぽの家の柴崎さんが「アート化セミナーはアート活動をするための研修ではなく、なにかのきっかけを見つける機会にしたい」と話されていた。今回のセミナーで、県内の各地で頑張っている人たちの話を伺いながら、この地域だからこそできることを考えていこうと思った。
 4年前、就職面接で私は「福祉=人とのふれあい」だと思うと理事長に話したところ「でも福祉は戦いだぞ」と言われた覚えがある。当時は理解できなかったが、今はいくらか分かるような気がする。様々な機会や出会いをエネルギーにしながらこれからも戦っていきたい。
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暖かな出会い ★特別養護老人ホーム 中屋なつき【2013年5月号】

 開設当初から、他の施設で利用を断わられた方が銀河の里にやってくるというケースがよくあった。「どのデイサービスもだめだったけど、銀河の里では本人も馴染んでいる」という方がたくさんいる。そうした出会いによって鍛えられてきた13年だった。大変だったとか苦労したというよりは、出会えて良かったという実感がある。役に立っているとすれば大変嬉しい。でも、「銀河の里は認知症対応の専門だから」とか「困ったら最後は銀河さんに」とか、単純すぎるような話も耳に入る。はたまた、「銀河の里に入れると、騒いでいた人もおとなしくなるっけ」とか「まだ銀河さんに頼むほどじゃない」とか、ちょっと首をひねりたくなるような噂も聞こえてくる。「認知症」とか「困難ケース」なんてあんまり意識しないで、どんな人なのかな?と出会いたい気持ちが基本にあるので、そう言われるのは違和感がある。戸惑ったり、驚いたり、困ったり、参ったり…互いに心を動かすことで人は誰かと出会える。そこからしか始まらない。付き合おうともしないで客観的に見るから「困難事例」なんていう空恐ろしい専門用語を平気で言っちゃえるんじゃないかしら? 困難じゃない人生なんてあるのかな? だったら、困難じゃないケースだってある訳ない、ってことだ。
 ショートステイも他施設では受け入れができなかったという利用希望が多い。これまで1対1の個別対応で特別シフトを組んだりして受けたケースは20近い。手強い方こそ、むしろ人間的魅力があって、個性が強くて、付き合ってみるととても面白くなる。最初から「あれ?何でだめだったの?」と拍子抜けするほどすんなり馴染んでくださる方もあるし、半年から一年かけて1対1対応が続く場合もある。そんな方々が銀河の里では人気と尊敬を集め、スタッフを支え育てる大きな存在になっていく。

 先日も、他事業所のケアマネさんから紹介が入った。新年度が始まったばかりのタイミングでは、新人も抱えて、特別シフトを組む体力が少ないのでドキッとしたが、やっぱり「他の事業所ではサービス利用が難しかった」とのお話。泊まりどころかデイサービスでも途中で帰されたことがあるそうで、身構えつつ、初回面談でご自宅に伺った。
 長年ひとり暮らしをされてきたタカさん(仮名)は看護師だった方で、とても頑固そうで気丈な雰囲気があった。最近、物忘れが強くなり、食生活がくずれて激ヤセしたり、火の不始末や風呂場での転倒のリスクなどもあり、寝てばかりいて意欲がなくなっている。最近は毎日の食事づくりや環境管理の見守りも兼ねてヘルパー利用をしているとのこと。はじめはヘルパーさんが家に入ることも極度に嫌ったという。娘さんは遠方に住んでおられて、月に1〜2度様子を見に来られるそうだが、ひとり暮らしの限界を感じ、施設入居も視野に入れて、まずはショートステイで施設に慣れていきたいとのお考えだった。慣れるまでは娘さんが一緒に泊まってくださるというご協力を得て、まずはお試しの一泊からやってみようと、受け入れを決めた。
 私はそのときの娘さんとのやりとりが感動的で心に残った。娘さんは小学校の先生で、“子ども達に愛情と情熱いっぱいに接している先生”といった印象の方だ。介護に苦労されている具体的なお話のなかにも、子ども達に注ぐ温かい想いやまなざしがタカさんにも向けられているのを感じた。児童の教育と高齢者の介護という分野の違いはあっても、同じく“人間に向きあう専門職”として娘さんは私に語ってくださったのだと思うが、こう切り出された。「どんなに大変な子でも、子どもには未来があると思えばこそ情熱をもって頑張れるけど、高齢者の人たちをお世話するのは大変なことばっかりでしょうに、よくやっておられると思って…」と。これまでも似たような言葉をいろんなところで聞いてきた。「大変なのに偉いね」と言われて憤りを感じ、「大変どころか、出会うとすごいことが起こってくるんだよ」と言っても通じないのが解るので、いつも返答に困る。しかし、このときの娘さんの言葉は、そうしたセリフとは全く質が違っていた。その語りに、生きる困難を引き受けた戸惑いと思索を私は感じたのだと思う。私は心を動かされ、「老いや認知症は終わりではなく、むしろ、そこにこそ人間の可能性や希望を感じる。ともに暮らすなかで、若いスタッフが鍛えられ育てられていく。利用者さんとの出会いが、次の世代にとって先生や師匠のような存在になっていく。そういう関係が日常のなかでたくさん起こってくる。その関係に大きな未来を感じずにはいられない」というようなことを一気にしゃべった。娘さんの真摯で知的な人間性に引き出されたのかもしれない。娘さんは「そんなふうに考えたことはなかった、言われてみれば本当にそうですね」と涙ながらに聞いてくださった。深いところで理解し、スッと繋がれる感性と知性に救われ、癒やされるような感じさえした。初めてのお試し利用に向けて緊張していた構えが、お互いに少しほぐれた感じがした。

 初回利用の日、私はドキドキしながら待っていた。4ユニットのうちでも一番ふんわりした雰囲気の“こと”がいいんじゃないか…と、リーダーの山岡さんに相談。初回は無理せず泊まらずに帰る、というのも選択肢に入れつつ、ユニットでもお部屋づくりをして待つ。なるべく気軽にくつろげるようにとテレビやお茶セットなど用意して、まずはゆっくり慣れていければ…という思いだった。
 来れるかな?行きたくないって言ってるのかな…という私の心配を吹き飛ばして、「こんにちは!」と特養の玄関に現れた。「待ってましたよ〜」と出迎える。ユニットへ案内する廊下で、差し出した私の手を、ためらうことなく取ってくれたタカさん。にっこり笑った口元には、明るい口紅がさしてある。お出掛け気分になってたのかな?!と、タカさんの心境に思い巡らし、こちらの期待も膨らんだ。ユニットではその期待を遙かに超えた、予想もしなかったことが起こっていく。
 部屋を見て「今晩ここに泊まるの?」とまだ半信半疑な感じだけど、「うちの鍵は閉めてきたっけか?」と娘さんに確認したりして、何が何でも泊まるのはイヤ!という様子はなかった。みんなが過ごしているリビングにも出て、初めての場所にそれほどの緊張もなく過ごされている様子だった。これは早く馴染めるのでは…と思っていたら、ユニットでお手伝いをしてくれているワークステージの利用者の美保子さん(仮名)が、持ち前の人懐っこさで「初めてだね、名前なんていうの?」と臆さずタカさんに話しかけてくれた。タカさんも笑顔を見せて応えている! スタッフの酒井さんが、第一印象で「ものすごいオーラだ、かなわねぇ…」と怯んでいる傍ら、そのタカさんを捕まえて「笑うと可愛い!」と言ってのけちゃう美保子さんの屈託のない明るさに、ユニットの緊張も酒井さんの固さも、一瞬にしてほぐれる。美保子さんにつられて、他のスタッフも握手したり一緒に笑ったりしながら、タカさんも楽しそうな表情! この柔らかい空気が銀河の里の秘密兵器だ。(これは図ってはやれない、美保子さんのキャラクターも効いている!)山岡さんと目が合って(うんうん!)とうなずき合った。
 そこに新人スタッフの米田さんが通りかかった。するとタカさんの顔がパアッと明るくなった。指をピッとさして「ゆっぴーに似てる!」と叫んだ。「ホントだ、優子(仮名)にそっくりだぁ!」と娘さんもビックリ。米田さんがタカさんのお孫さんに似ていると言うのだ。(え〜、そんなことってある〜?!)と驚きつつ、これはいけるぞ!という手応えをが出る。「ゆっぴーだ、ゆっぴー」と言われて、控えめでおとなしい米田さんは「うふふ」と照れ笑いするだけだったが、タカさんの視線は“ゆっぴー”に釘付けで、米田さんの様子を目で追って、ずっと見守ってくれていた。

 特に何もやっていないのに、いろんな事が起こってくる。確かにできることは何もないんだけど“起こってくること”は外
さず捉えていく。心配や予測をサクッと超えて鮮やかに裏切られる感じが、なんとも良いのだ。

 心配しておられた娘さんも「こういう嬉しい偶然の出会いもあるんですね」と少しホッとされて一緒に喜べた。次回の利用もぜひ同じユニットで、と娘さんとも話し合った。機械的に部屋をあてがったりすればいいというもんじゃない。起こってくる出来事や関係のなかで、お付き合いのプロセスを積み上げながら歩んでいく感覚を大切にしたい。その想いが娘さんともぴったりと通じるので嬉しくなる。
 当のタカさんは、いい雰囲気のなかで、実にマイペースだった。「帰るっか」と何度か言っていたが、娘さんが一緒という安心感もあってか、「今日はここにお泊まり」と言われると、そのたびに「そっか」とすんなり納得。食事もなんと、みんなと一緒にリビングのテーブルで召し上がった。周りの様子もよく見て、食事介助のスタッフを労ったりして、往年の看護師時代を感じさせるような場面もあった。食べ終わったら「帰る」になるかな?という予測も見事にはずれ、ゆっくりお昼寝した後、おやつも食べると、なんとお風呂にまで入れちゃったのだった。
 ここまでくると、これはもう心配なく泊まれそうだと一安心。夕方には、いつも家でやっている日課のカーテンを閉めたり新聞を片付けて歩いたりして過ごすので、まるで自宅にいると思ってんじゃないかしら…と娘さんも驚かれるほどのリラックス?!だった。こうしてお試しお泊まり一回目は、娘さんと私の心配を見事に覆して無事終了。いろんな出会いやいろんなことが起こって、すっかりリラックスして過ごしていただけたことに私も感動していたが、娘さんも同じように感じていただいたようで、後日、お手紙をいただいた。びっしり書き詰められた文章で、感謝とともに、タカさんとスタッフや美保子さんらとの出会いに込めた期待やまなざしまで感じる内容だった。「さりげなくもてなしてくれる雰囲気がありがたかった」と里の雰囲気を理解してもらえたことが嬉しかった。
 そして2度目のお泊まりがあった。美保子さんやゆっぴーを覚えてくれていたのは当然だが、他の利用者さんの顔も「見たことある人だ」と話され、自分からリビングのソファに横になったりして、ユニットに自ら落ち着ける場所も見つけられたようだった。お昼寝から目覚めたとき、リビングを見渡し「人がいっぱいいる」と呟かれた一言からは、煩わしさではなく、“誰かがそこに居る”ことの安心感のような嬉しさを伝えてもらったように感じた。ショートが終わっての帰り際には「帰るの?なんで?」とまで言っていたので、もうすっかり居場所になっている?! いよいよ次のショートステイ本番に繋がる手応えを感じた。美保子さんの「タカさん、またね〜!」にも勇気づけられながらお見送りした。

 うまくいくことが目的じゃない。利用者からすればちゃんとやられてはたまったものじゃない。どう出会い、どう過ごすのかが大事だ。そこには不思議と“起こってくること”がある。それが人間と人間の関わりということなんだと思う。そこを共感することができた娘さんとも、ありがたくて嬉しい出会いになった。どんなお付き合いが育っていくのか、その中で“ゆっぴー”こと米田さんをタカさんはどう育ててくれるのだろうか、美保子さんはどんな活躍をしてくれるのだろうか。これが楽しみでなくてなんなんだ! 「介護」なんかじゃなく、究極のところ「出会い」でしかないと思う。



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今月の書「共」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2013年5月号】

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それぞれの思い
それぞれの感情

重なることで
見えてくるもの
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スポーツ大会応援団 ★ワークステージ 村上幸太郎【2013年5月号】

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★毎年6月に「障がい者スポーツ大会」が開催され、岩手県内からたくさんの方々が参加されます。銀河の里でも約10人近くの利用者が参加するのですが、村上君は応援が待ちきれず、早くも応援団を引き連れ、ボーリングと卓球に出場した選手にエールを送る様子を描いてくれました!本番でも良い結果が出ると良いですね!
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アート土澤 ★ワークステージ 昌子さん(仮名)【2013年5月号】

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★5月3、4日に隣町の東和町で「アート&クラフト(土澤)マーケット」が開催され、昌子さんも職員と共に150軒にも及ぶお店の美術品や工芸品などを見てきました!そのたくさんの作品の中から花がついた髪結いゴム、人形、バッグなど昌子さんがチョイスした作品を、カラフルなイラストで表現しました!
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