2011年11月15日

紅葉狩り ★佐藤万里栄【2011年11月号】

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カナさんをつなぎ止めた桃子さん ★特別養護老人ホーム 平野咲野香【2011年11月号】

 ショート利用で毎月特養に泊まりに来るカナさん(仮名)。車いすで自走するのだが小柄で腰が曲がっているので、一瞬車いすがひとりで動いているように見えたりする。しかも車椅子さばきが見事で素早く動き、目的の場所でピタリと止まる。部屋のドアが開いて出てきたな、と思うがその時すでにユニットからでてしまっていたりする。
  そんなカナさんは若い頃、教師として赴任した山村の街の雪の日の思い出の光景をよく語ってくれる。「私が初めて勤めたところの駅に降りだったとき、そこは屋根まで雪が積もっておりました…びっくりしましたね…そのような雪の中を、私の父は布団背負ったり、なべかましょったりして、六里もの道を何度も行き来して…そうして私の初仕事を応援してくれました…親というものはありがたいものですね〜」
 まるで昔話を語るような口調、同じ光景を同じことばで何回も話してくれる。繰り返されるその話しは、いつも同じ光景が語られるのだが、物語風だからか、何回聞いても、毎回ワクワクとさせながら聞かせてくれる不思議な語りだ。
  こちらも引き込まれて聞いているとご飯も忘れてお互い没頭し、「あれっ!まだご飯食べてなかったでしたっけ?」と本人も驚くほど時間が過ぎてしまう。
 一方で利用当初は、どうしても家に帰りたい気持ちが強く「どうして私は連れてこられたのでしょう?誰が連れて来たんですか?いつ帰れますか?」と訴えを繰り返し、いよいよ帰られないとなると「具合が悪いので、家の人を呼んでもらえませんか?」などと体調不良を訴えたりする。一旦、就寝しても落ち着かないのかすぐに起きてきて、「どうして私はここにいるのですか?どうしたら帰れますか?」と何度も聞いてくる。
 繰り返す質問を、ユニットのスタッフに投げかけてももの足りなくなったのか、例の見事な車いすさばきで事務所に行き、事務所の職員にその質問を繰り返し浴びせた。 そんな日々が続いていたが、そのカナさんの前に立ちはだかったのが桃子さん(仮名)である。桃子さんは、本当は基本、やさしい人なのだが、自分中心にものを考えるので、人の意見や考えはなかなか受け入れず、気持ちも通じにくい感じがあって、一癖も二癖もある人だ。なかなかの嫌われ者だが、意外とファンも多いという不思議な人だ。その意固地さが和らぐのは、桃子さんの中で相手に尊敬が感じられる場合で、そういうときは多少理不尽な状況でもすんなりと素直に受け入れる。そういう相手はめったに現れないのだが、そうとなってしまえばその人の味方で、その人 が悪口を言われたりするとかばって守る、人情にとても厚い人だ。
  桃子さんは、最初は何度も同じ話しを繰り返すカナさんを「なんたらあのばっちゃんおんなじこと繰り返して!いっこどゆうごと聞かないで!!」となじり、時には車イスの前に立ちふさがって通せんぼしていた。それでも思いが真っ直ぐで、揺らぎのない芯の通ったカナさんに桃子さんも触れるところがあったのではなかろうか、尊敬を感じる人になった。 カナさんも桃子さんに世話を焼かれているうちに桃子さんを頼りにするようになっていった。
  カナさんは朝寝坊だ。スタッフはカナさんのペースで生活してほしいので、寝ていてもらいたいのだが、朝食の時間がずれたり、部屋で一人で食べることになる。それをみて世話好きの桃子さんは「みんなと一緒に食べさせるんだ。」とスタッフを叱り、お節介に自分で起こしに行ったりする。カナさんが食べたことを忘れて「私朝ごはん食べたっけ?」と言うと「ちゃんと食べさせるんだ!!」とスタッフを叱る桃子さんだ。
 そのうち、カナさんは桃子さんと時間を過ごすようになった。一緒に雑巾を縫ったり、ときには新聞を読んで、カナさんが桃子さんに解説しているときもあった。  
 そして、気がつくと、カナさんが「家に帰して下さい」と事務所に通うこともなくなっていた。部屋でくつろいで寝ていることが増え、リビングで桃子さんと楽しく話したり、一緒に散歩をしたり、折り紙やトランプなど過ごし方も多彩になっていった。
 ショートで帰る日の朝、「今日は家に帰れますよ」と伝えると、手を合わせて「どうもありがとうございます」と言うカナさんなのだが、時間になり「帰りますよ」と迎えに行くと、「えぇ!帰るんですか!?」とビックリしている。こちらの方が驚いてしまって、「じゃあもっと泊まってって」と誘うと、「でも…帰ったほうがいいんですよね」と本当に迷った様子なのだ。カナさんは「ここでは気兼ねなく寝てられるもんね、家ではそうはいかない」とも言っていて、当初あれほど家に帰りたがっていたカナさんが、すっかりなじんでくれたことを嬉しく思った。スタッフとしては特別なことはしてないのだが、カナさんに関心と敬意をもって、接してくれる桃子さんの存在は大きかったと思う。
  これまで、どちらかと言えば嫌われ者のイメージが強かった桃子さんだが、特養で今回はカナさんを支える存在になった。桃子さんおめでとうと言いたいが、そういうと「なにたくらんでる」と言われるだろう。ともかく、カナさんの次のショートもよろしくお願いします桃子さん。
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〜 研修:アートシーン 〜能「姥捨」 ★特別養護老人ホーム 中屋なつき【2011年11月号】

 この曲は理事長が28歳の時初めて見た能の演目だったという。若き理事長も打たれるような感動に酔い、それから能と向き合い始めたという因縁の曲。その後27年間、理事長もこの曲にまみえることはなかったところ、今回の上演を知り、即座にチケットを入手した。ところが他の予定がすでに入っており、前川さんと私に観るようにと厳命が下った訳だ。銀河の里の歴史がそこから始まったような原点に我々は立つことになった。まさに継ぐべき使命を託された特別の思いを背景にした研修だったのだが、理事長、施設長の後を継ぐ世代の我々が、何を担い、どう生きていくのか問われる観曲でもあった。
  いつも能楽堂に入るとその不思議な静けさに他にはない心地になる。いざ曲が始まると、能面姿で登場するシテの異様な存在感にギョッとし、間延びしたセリフやお経のようなテンポの謡にチンプンカンプンとなり、いつの間にか眠ってしまって、目覚めた頃には何やらすでに事が済んだ後…といった感じだ。でも何か、どこか気になるあの体感、訳わかんないのに惹かれるのは何?
 能が銀河セミナーで取り上げられ、施設長が能の歴史・概要から舞台構成などを詳しく紹介してくれた。さらに「能の世界は、里で起こっていることと近い」「あの世を垣間見せてくれる、残痕の想いを共感させられる」と言うので妙に合点がいった。  
 夢幻能では、神・鬼・亡霊などの現実世界を超えた存在がシテ(主人公)として現れる。ワキ(旅人・旅の僧などが多い)は名前もなく、自分のことはあまり語らない。曲中もほとんどずっと舞台の端っこにジッと座ってるだけで、あぁそういえば居たんだった…という感じ。しかし、そんな無力なワキの(無力だからこその?!)絶対的な役割が“問う・聴く”ことにあると言われると、里の現場で利用者と向き合う姿勢に通じるモノがある!『ワキは何かをアドバイスすることもなく、ただ問うことによって、残痕の想いを晴らし、成仏を助ける。問いを発し、シテの語りを引き出したワキは、あとは何もせずただ座って、シテの物語を聞き続けるだけ。「何もしない」ことに全身全霊を込めてする』  
 このセミナーの後、私の関心はもっぱらワキに向いた。現場にいて、利用者のために何かができたと思うことはなく、むしろ、「もっとできることがあったんじゃないか」とばかり思う。でも、その方との出会いや関係を振り返ると、「何もできなかったけれど、共に居るってことだけは必死にやったよなぁ…」といつも思ってきた。『いつまでも浮かぶことができない魂の救済を求めて、再びこの世に出現するシテとそれをただ黙って受け止めることしかできない無力なワキ。その関係だからこそ、シテは残痕の想いを「語り」、あるいは「舞い」、そしてその行為を通して、最後には自分自身の力で残痕の想いを昇華させていくことができる』まさにワキは現場の私の位置だ。  

 今回研修で見る演目は「姨捨」。施設長からもらった現代語の解説文で、すんなりと作品世界に入ることができた。以下、簡単に紹介する。
  ところは月の名所信州更科の姨捨山。都からきた旅人の前にどこからともなく現れた里の女。旅人が姨捨の伝説の跡はどこかと問うところから物語は始まる。女は「我が心 慰めかねつ更科や 姨捨山に照る月を見て」と和歌に詠まれた、ゆかりの地に旅人を案内する。やがて女は「昇ってくる月とともに現れて、旅人の宴に舞をお目にかけましょう」と言う。それを聞いて旅人は「一体あなたは誰か」と問う。この姨捨山に住んでいる里の女。しかしその本体は、「恥づかしや、その古(いにしえ)も捨てられて、ただ一人この山に、澄む月の名の秋ごとに、執心の闇を晴らさんと、今宵現れ出でたり」と自分がその老女であることをほのめかし女は姿を消す。
  いよいよ山の嶺に秋の名月が昇ってくる。澄み渡る月光のもと、白衣を身にまとった老女が現れる。旅人の「何者か」の問いに、自分は先ほど姿を消した者だと言う。 昔、この更科で、両親を亡くし残された一人息子を不憫に思った伯母が、結婚もせず、この子を女手ひとつで育て、ひたすらに人生を捧げた。息子は成人し結婚するが、妻は伯母を快く思わない。伯母が年老いて目が不自由になると、なおさら目の敵にするようになる。夫は恩人である母親代わりの伯母への愛情を断ち切らざるを得なくなる。目の見えない伯母を山に連れて行くと「ここはお寺の前だからここで祈りなさい、あとで迎えに来るから」と立ち去る。老女はやがてだまされたことを知り、空しさのなか、ついに朽ち果てていく。  
 白衣の老女は都人たちの宴に加わり、今夜の月が秋の終わりであることを言って名残を惜しみ、草木を愛で、月にまつわる仏説を語り、舞を舞う。やがて夜が明け、月が沈んでいくように、もはや老女の姿は見えず、旅人は帰途に着く。ひとり残された老女は「姨捨山となりにける」。山々と、悠久の自然の時間だけが残される。  
  これを読むだけで、かなり感動させられる。無常というか孤独というか…、日本人特有の自然に対する信仰心みたいなのも感じられて…、カーン!
  そして、いざ公演当日、ふたを開けてみると、予想だにしない「体験」が待っていた。
  例のごとく何度もウトウトと眠りに誘われるのだが、囃子方の音やかけ声が高まるのにあわせて引き戻され、その度に、だんだんと空気が薄くなっていくように感じられ、頭が痛くなり、呼吸も苦しく、体が熱くなっていく。捨てられた老婆の情念をそっくり身体でしょってしまったって感じ?! 語られるセリフも、シテなのかワキなのか地謡なのか囃子方なのか、いったい今のこれは誰の声なんだ?と面食らう。情念が高ぶってくるほどに、もうすでに声でも音でも舞台ですらなくなって、地響きみたいなものが山全体から降ってくる!…観終わった後の何とも言えないボォ〜とした感じ、そして全身の重たい疲労感。大きな山をやっとこさっとこ登り切って、なんとか無事に降りてこられた…というような、登山に挑んだ後の感覚。まるで今まで奥深い山にいて、たった今やっと下界に降りてきました…というように能楽堂を出ると、体は重いし、歩くのに違和感がある。舗装された平らな道路は滑って転びそうになる感覚。異界 からすぐには巷に戻れない。
  帰りの新幹線でパンフレットに目を通す。「現行曲中最長のものですが、今までにそう長いと思った記憶はありません。曲自体の素晴らしさからかとも思います」とは、シテを演じた山本順之氏のコメントだが、私にとっては恐ろしく長く感じられた。姥捨山があるという更科の地へ、秋深まる月夜の世界へ連れて行かれたかのような、うんと遠くまで行って帰ってきた…、そういう凄まじい「体験」をした感じだった。地謡を務めた観世銕之丞氏も、「姨捨」は「心技体にあらゆる経験の積み重ねがないと到達出来得ない至難曲。故に能役者の生涯の目標となる最高峰の能」だと言う。そんな大曲にこちらも挑まされていたなんて後から知って(風邪ひきで万全じゃない体調だったし…)、ノックアウトは当然だった?! カーン!

  今回の曲は「身体で観る」という体験そのものだった。単に「演目が演じられる舞台」というよりは「何かがそこに現れてくる、体験が起こる、そういう関係性の場そのもの」なのだと、新たな発見があった。えらくしんどかったけど、特別なものだった。今その体験は、静寂な秋の山並みの中にいて、その風景をどこまでも広く眺めているような、心地良い静かな感覚として残っている。
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研修の違和感再び ★特別養護老人ホーム 酒井隆太郎【2011年11月号】

 介護業界に飛び込み一年半。駆け出しながら俺なりに利用者と真っ向勝負してきた。この間ヘルパー2級は取得したものの男36歳、異分野から挑戦者である。営業マンとしてズタボロになり、心身共にまいっていた渦中にあって、営業先であった銀河の里の雰囲気にどこか癒されるような何かを俺は感じたのだろう。「ここで働きたい」と相談してみた。「給料低いけど大丈夫ですか」と生活の心配をしてくれたがGOとなった。そして濃密な日々が始まった。利用者との出会い。いろいろな人生との出会い。感情や想いや個性の渦。そんななかで俺は人間として癒され蘇っていく自分を感じてきた。給料と生活を心配してもらったが、俺はこの手応えと、やりがいに充分満足であった。
  1年でサブリーダーを任され、中堅どころとして、研修にも優先的に参加させてもらっている。ところが実習や研修に行くと、銀河の里で日々感じている、ダイナミックな日常や、人間の奥深さからは遠くかけ離れた、つまらなさやくだらなさの中に押し込められるような感じにやられて、「なんだこりゃ」と強い違和感や怒りを感じることが多々ある。
  先日も事例検討会と題した研修に参加させてもらった。知識がないぶん好奇心が湧くのか、俺なりに勝手に想像する。いろいろな施設の出来事を職員や医療者、研究者でどのようにしていくのか考え発表するのかなぁとぼんやり考えながら研修に臨んだ。
 まず午前の部は、県内の特別養護老人ホームの事例で、若い男性の施設長さんと主任さんの発表だった。内容は題して「おむつはずし」。素人の俺はそのタイトルにも驚いたが、話しを聞きながら頭が混乱してきた。「利用者全員がおむつをはずして生活しましょう」と言っているのだが、「はっ!なんじゃそりゃ!!」とその趣旨というか意味が全く理解できない。俺はおむつやさんだったんだっけか。いつからおむつやさんになったのだろう。利用者がおむつをしているのはあれはいけないことだったんだろうか。俺は罪なことをしているんだろうか。グルグルしてきた。
 里の現場は俺にとって人間関係の場そのものだった。様々な感情と想いの渦のなかで、わがままや笑いや怒りなどを通じて個と個が出会う。人間の出会いのダイナミズムの中に俺自身も入り込んで生きている。売上げの成果のグラフに飲み込まれ、敵しかいない戦場のような中でズダボロになった俺を癒してくれたのは、里での利用者との出会いであり、関係だ。それが一気に引き戻されるような嫌な気持ちにさせられる。「おむつかよ!人間じゃねえのか!」そう叫びたくなった。人間のこころになによりまなざしが向けられなければ、それが一番大事なんじゃないのか、介護ってなんだ。
  研修では「おむつはずし」は全国的な取り組みだそうで、各施設のおむつ率が数字で表され全国の順位が発表されると言っている。そしてその発表した施設は「全国一位です」と発表しておりました。利用者全員が、おむつをはずした今は、利用者も職員も元気に楽しく過ごしています。と話しておりました。本当にそうなんだろうかと疑問に思いながら聞いていると、話しはそれで終わった。利用者の個々の話しは全く無かった。銀河の里のケース会議ではひとりの利用者に1時間以上もかけて話すのに比べると、事例ってなんだと疑問だけが残った。おむつはずし全国一位は、そこの利用者にとってどう映っているのだろう。せっかく人と人が出会える可能性のある場で、おむつはずしの対象にされただけなら利用者の哀れは甚だしいと悲しくなってしまった。そばに居て、心で接し、話しを聞くことが「おむつはずし」よりも先に人間としてケース(事例)と向きあう姿勢ではなかろうか。利用者とのコミュニケーションを語らず、「おむつはずし」で全国一位だけでは、利用者も職員も疲れはてるのではないだろうか。介護業界は不思議なところだ。  
 午後の事例は別の特養の発表で、題して「利用者の問題行動について」だった。タイトルからして不気味だがなんとか耐える。取り上げられたのはひとりの男性利用者だが、その問題行動とはなんと「ゴミを捨てる行為」だと言う。「それのどこが問題なんじゃ」と俺は思うが、不潔だとかいう理由らしい。それに職員が注意すると暴言や暴力になるので問題行動だと言っている。  
 俺がその場で感じたのは、この利用者は仕事がしたいんだろうなと言うことだった。施設に入る直前まで夫婦で仕事をしてきた方だ。おそらく引退できないのだろう。そのあたりの気持ちを汲みながらやりとりしたらどうなるんだろうと興味が湧く。ところが事例の展開の内容は全く違っていた。職員とどこかの大学教授が2人で発表したのだが、教授は利用者の病名を、これでもかと言わんばかりに並べ、その病気につて事細かく説明し、その対処を説明していく。当然、心に触れる言葉はなく、ひたすら説明が続いた。さらに、利用者の問題行動を1日観察して何回ゴミを捨てるのかをグラフで表していた。さすが教授だ。そういう分析と把握のアプローチには感心した。しかし、利用者の人生や心にはやはり話しは行かない。それは午前中と同類だった。結局その人はどうなったのだろうか、結果は分からず、何がどうなったのか俺には理解できなかった。おそらく利用者は、まだゴミを捨てているに違いない。  
 利用者にすればやむにやまれぬ気持ちが動いてこそ、「ゴミ捨て」という行為になっているにちがいない。そこにある気持ちに触れることも考慮もせず、やみくもに汚いから止めろでは、暴言や暴行も当たり前だろう。こちらが心を開かない限り相手も心を開かないのは介護の専門的知識ではなく世の中の常識ではないか。もっと言えば、その問題行動に向きあう自分自身が見えてこない限り、相手も見ることが出来ないと思う。どちらも見 えてないから暴言や暴行の方にいってしまう。
 「介護ってなんだ、施設ってなにやってんだ。」非常に寂しい感じがした。そんな寂しいことを人間がしなきゃいけないんだろうか。研修を通じて「俺は、いつまでも生きている限り人間でありたい。好きな事をやり、好きな物を食べ自由に暮らし過ごしたいと感じている。たとえ、病気になろうと、認知症になろうと「おむつ」を付けていようと、人間として生活をしていきたい。」俺は、このことを感じ続け、思い続けていきたい。


【施設長コメント】
  「日本老年行動科学会」岩手支部主催の事例検討会に参加した職員から、その内容と感想をきいて愕然とした。それは介護施設で「ケア」が語られるとき、いまだに介護の技術的アプローチにしか視点があてられていない実態をかいま見たからだ。
  20年以上前には「寝かせきり老人」を作らないために、介護現場での取り組み目標として「おむつはずし」を掲げる施設が多かった。介護保険がはじまり、介護の社会化ということで「自立支援介護」という概念が台頭してきた。そこで施設の目標はどう変わるかと期待したが、なんと今度は自立のための「おむつはずし」であった。個別支援計画が定期的に立てられるようになったものの、そこに記載される目標はまたしても「おむつはずし」があげられた。いまここに生きる利用者の個に焦点が当てられる可能性と期待をよそに、やはり狭義の介護技術の視点から、「排泄」がクローズアップされただけで、全体的存在として人間を理解するまなざしはどこにも現れず、結果、利用者個人は見えてこないままだ。
  施設は「排泄介助」という作業に対し、どのスタッフが介助しても差が出ないように「マニュアル」を作成する。また、「食事」や「入浴」・「移動」についても同様に、個別支援計画に介護のパーツが並べられて、これらも「マニュアル」化され、手順にそって処理される。計画に載ってくるのは、部分の集積であって、いくら部分を集めても全体は見えてこない。どう否定しても、ブロイラーが、卵を産む管として管理されるイメージと重なってしまう。介護現場になじんだ人にとってはそれが当たり前で気がつかないのだろうか。それを厚生労働省はじめ、研究機関や指導機関までが後押ししているようでは、全く未来は見えてこない。国を挙げて人間の尊厳を 踏みにじっている図ではないか。
  介護現場が「介護工場」であるなら、効率化された合理性でルーチン化されて完結してよしかも知れないが、ことは人間の尊厳と人生そのものに関わることである。これを由々しきことと捉えないほうが問題である。ましてや「生活の場」「暮らしの場」として、生活の主体である個人が終の棲家として過ごす「特養」にあっては、人間の存在とその人生を見据えない管理マニュアル感覚があってはならない。
  介護はまさに人間と人間がむき合う世界における実践に他ならない。その向き合いは、不特定多数のものでも刹那でもなく、生活や暮らしのなかで継続的に行われる濃密な関係を通じて行われる。そうした人間関係がなぜ活かされることなく、むしろそこを徹底して避けるかのようなマニュアル管理に終始し続けるのだろうか。「おむつ外しコンテスト」はそうした人間関係からの逃避に他ならない。  
 今回の事例検討を発表した特養では、50床全員のおむつはずしを達成したことで、岩手県社協から特別表彰を受け、全国一に輝いたと言うのだが、その利用者50人の人生はどこにあるのかと問いたい。おむつ外しコンテストでは、ひとりとして人生に触れることはあり得ないだろう。「介護保険」が始まって10数年が過ぎ、今後日本の介護現場は「工場化」の方向を歩んでいくのか、「暮らしの場」「終の棲家」として個々の人生に関わりうる現場を目指していくのか、県レベルの研修がこの体たらくではその未来には暗澹たるものを感じるが、日本人ひとりひとりはそれで良しとするのだろうか。
 唯一無二の個として生きている人間の語りは、関係のなかで語られるのであり、その語りは、極めて主観性が強いので、その内容を客観性や科学性を持った方法で分析・検討することは不可能である。そこで、語った当人の脈絡で理解しようとする姿勢が「事例性」であり、その語りを語り手の体験知として、その人の人生全体のなかで理解しようとするのが「事例性」の特徴である。人間は、他との「関係」を生きることによって、そこになんらかの「意味」を体験する生きものである。その意味の体験によって人生には様々な価値が生まれてくる。事例検討と言うからには、個人の物語とその価値を語らずして事例と言うべからずと言いたい。
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すごい晴れ女 ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2011年11月号】

・鉛色 どんより曇る 稲刈りに青空描く 秋晴れのひと


・晴れ女 曇り空をも 晴れにしてぬかる田んぼに 人々映えて

 
 銀河の里恒例の稲刈り。デイもグループホームも特養も、働き頭のワークステージも集まって手刈りで稲刈りをする。特養が始まって銀河の里も大所帯になったので、午前と午後に分けての作業だが、たくさんの人が田んぼに集まる。毎年大いに盛り上がって、いろんなエピソードが生まれるのだが、今年は稲作作業の失敗もあって、雑草にやられるし、稲刈りだと言うのに、田んぼは水にぬかっており、歩くのも田植えよりも歩きにくいような圃場で、高齢者の稲刈りには最悪といった状況だった。おまけに天気もその状況を反映したかのようなあいにくの曇り空。晴れやかな収穫の秋とはかけ離れた、気持ちまでどんよりしてしまうような寂しげな稲刈り日よりになった。
  私が利用者と田んぼにつくと、すでに稲刈りがはじまっていた。刈り取ったところにコンパネを敷いて、車椅子に座ったみんなが手刈りをしたり、刈った稲を束ねたり、束ねた稻束をはせにかけたりと作業が進んでいた。
 そんな中で稲刈り作業を見ているコラさん(仮名)が私の目に入った。コラさんは、今は特養に移ったが、4年間、私とグループホームで共に過ごした仲だ。コラさんは自分で「おらは晴れ女だからおらが出かける時は絶対晴れるんだ」とよく言っていた。コラさんは、雨の日や寒い日は出かけないので結果的に晴れ女になってしまうのだが、「おらが出かける時は必ず晴れる」と確信する自称晴れ女のコラさんが田んぼの真ん中にいるのを見て、私は驚いた。そしてなぜかとても嬉しい気持ちになった。  
 私は思わず「みっちゃんも来たよ」とコラさんの隣にとんでいって話しかけた。するとコラさんは、どんよりとした今にも雨の降りそうな曇り空を見上げて「ありがとうー青空!!ありがとうーみっちゃん!」と叫んだ。いつも「目が見えない」と言っているコラさんだが(本当のところ、見えているようにも思える)・・・コラさんの目は今日ははっきりと青空を見ていた。今年の稲刈りを秋晴れの小春日和のなかでの稲刈りにしてくれた。やっぱりコラさんは晴れ女だ。しかもこんな日さえも快晴にしてしまえる晴れ女とはすごい晴れ女だ。私の心にも青空を広げ晴れ晴れとさせてくれたコラさんの晴れ女に感激。ありがとうコラさん。
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田んぼとなるみ、お米とミエさん ★特別養護老人ホーム 田村成美【2011年11月号】

 新人に任せてもらった無農薬のもち米田んぼだったが、6月、7月の除草が間に合わず、雑草がこれでもか!というくらい伸びてしまった。おまけに10月の稲刈りは田植えよりぬかる田で、足を泥にとられる泥んこの収穫となった。田んぼ作りは、残念にも大失敗に終わった。
 そんな田んぼでもどうしても稲刈りに一緒に行きたい人がいた。ミエさん(仮名)だ。ミエさんは小学校の先生だったということで、そのせいか田んぼや畑の作業は似つかわしくないイメージの人だ。先月、私がユニット「こと」に移動になってまもなく、私とミエさんはマルカンデパート出かける機会があった。6階のエレベーターを出るとすぐ、すごい数のサンプルが並んだ大きなディスプレイがある。その前に立ち、わたしは心が躍った。(私は盛岡出身でマルカン食堂初体験。)どれにしようかな…♪と迷うわたし。横にいたミエさんは、唐揚げ定食の食品サンプルに目を奪われていた。(この時点ではまさかなぁ…と思っていた。)私も含め、それぞれがすごく悩み、10分ほど立ち尽くしていただろうか。迷い抜いてみんなやっと決まりつつあった。私はミエさんに「どう、決まった?」ときいた。なんとミエさん、「・・・唐揚げ定食」と言うではないか。
  昼食を食べでまもなくのマルカンドライブだったので、おやつを食べに!という感覚だったのだがここで定食ですか。「えぇっー!!」とその場にいたスタッフ全員が声をあげた。チョコパフェとかプリンだとか、そういうイメージがひっくり返った。ミエさんはダイエッターなので「ミエさん、甘いものもあるよ。」と勧めてみると一瞬「そうかなぁ〜」と少し心が揺れたような様子はみせたものの、やはり「これでいい!」と再び唐揚げ定食を指差した。
  テーブルについてすぐ、ミエさんは割り箸を手にとりパキッ!ときれいに割った。食べる準備は万端!注文の品はなんと一番最初に唐揚げ定食が到着した。ごはんのふたを開けるとふつうの1.5倍程のごはんがおいしそうに盛られている。(店員さんに少なめにとお願いしたのに…涙)ごはんを見るミエさんの目は、とてもキラキラしていた。大きな唐揚げにかぶりつく、そして「しねぇ(かたい)・・・」とひと言。それでも黙々と食べるミエさん。唐揚げは残したものの、ごはんは何と完食!このとき、ごはんを食べるミエさんのとてもいい顔が印象的だった。私はその顔を見ながら、ミエさんはご飯が好きなんだとすっかり納得してしまった。私も食べることが好きなので、親近感も湧いた。その時私は、そんなご飯の好きなミエさんが稲を刈っている姿をみたいと思った。ご飯の好きなミエさんが、お米に囲まれているのを見たかった。(もち米の田んぼだったが)
 稲刈りには、一週間ほど前から誘った。その時は「おらできねえもん…」と作業はしないで見学ならばという感じだった。稲刈り当日、誘ってみると「はぁ」とニコッとしてうなずく。完全装備で一緒に田んぼへ向かう!田んぼは上記のとおりで大変ぬかるんでいて、車いすが入れる状況ではなかった。そんな田んぼを目の前にしても、”お米とミエさん”が私の中では強くて、どうしても一緒に収穫したい!という思いが募る。そしてミエさんもやる気満々だった。そこでミエさんにも手が届くよう、コンパネを特設してもらった。
  「おらやったことねぇども…」と言いながらも軍手をして、しっかりと鎌を持ち、稲に手をかけた。慣れない手つきでギリギリと刈ろうとする。頑張るのだがなかなか刈れず、私が稲を持ち、ミエさんは鎌を引いて刈るのに必死。「それ!それ!」と掛け声をかけながら頑張る。やっとのことでひと株を刈った。長期戦だったのでミエさん疲れたのかな?と思ったが、休みもせず次の株に手をかける!私もよしとばかりふた株目に挑戦、同じようにギリギリと格闘しながら刈り上げると、二人で顔を見合わせて笑った。なにか繋がった瞬間!この感じが嬉しい。「あぁ、今まで大変だったけどやってきてよかったなぁ。」と心から思った。稲刈りを終えると、我々2人は泥んこになっていた。田んぼは最悪だったけど、ミエさんとの稲刈りは最高に楽しかった。
  代掻き、田植え機、畔ぬり、除草機がけ、耕運機等、どれも私の20年の人生で初の体験だった。日焼けして黒くなって、将来シミが…とか気にしながら取り組んだ。社会人一年生の新人の私は毎日慣れない仕事でへとへと…その上、田んぼ作業でさらにへとへと。汗まみれで泥んこになる作業に楽しい面もあったが、正直かなりしんどかった。
  それでも作業を終えて汗をかきながら泥んこでユニットに帰ってくる私を、「すばる」の祥子さん(仮名)、フキさん(仮名)をはじめみんなが向かえてくれた。「また〜そったにお尻汚して!(笑)今日は何やったの?」とか「昔はおらもやったった〜」と昔の田んぼの話をしてくれて盛り上がった。
 そうやって、みんなに支えてもらってやってこられたと思う。そして稲刈りは、先月部署移動したユニット「こと」で、最初に出会ったお米が大好きなミエさんと感動的な作業となった。とれたもち米で、ミエさんと餅つきがしたい。餅を前にして、ミエさんどんな顔するのかなと楽しみだ。
 この半年、稲の成長を見て季節が変わっていくのを感じた。稲を作るのも一人じゃできない。こびる(おやつ)が届くのが大変ありがたく、こびるを作ってくれる人にも、持ってきてくれる人にも支えられているということも感じた。自分達で作ったお米を自分たちで食べるという楽しみもある。小学校以来かな?思いっきり泥んこにもなった。学生時代と全く違って銀河の里に来てから「生きているんだな。」とよく思う。
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個を超える世界‐タテタカコを通じて ★施設長 宮澤京子【2011年11月号】

【京都へ】
 しとしと雨の秋の京都、ライブハウス「SOULE CAFE」に向かう。会場は約50名ほどの客で歩くスペースもないほどぎっしり。でもほっこりとした雰囲気で、ドリンク片手に開演を待つ。
 「何で私は、ここにいるんだろう」と・・・自分の好奇心に困惑しながらも「どうしょもないなぁ」とにんまりと口元がほころんでくる。どうしても確かめずにはいられない、タテタカコに会わなければならなかった。その理由は、ここ数ヶ月、私の頭の中では彼女の歌がグルめいており、何かの折りに吹き出してきたり、心弾む自分の背景に彼女のリズムがあることにビックリしたり、軽い中毒症状が、日常生活に支障をもたらさない程度に起こっていたからだ。
 2004年のカンヌ映画祭で柳楽優弥(当時12歳)が史上最年少の主演男優優秀賞を受賞して話題になった『誰も知らない』の挿入歌「宝石」を作詞・作曲で歌っているのがタテタカコだ。NHKの「山田洋次監督が選ぶ名作100選」でこの映画が放映されたのを、夏休みで帰宅していた高校生の息子と一緒に観た。息子は16歳、親のひいき目で柳楽優弥にちょっと似ている。息子は見終わるとひと言「重いね」。こうした何気ない息子のひと言はいつも響くのだが、今度もこの映画への「こだわり」に火をつけた。
  まず『誰も知らない』のDVDを借りて4回立て続けに観たあげく、DVDを買ってしまった。さらに是枝監督の他の作品を3作ほど観て、柳楽優弥が出演しているDVDもホラーの一作を除いて全て観た。 そしてついにタテタカコの主題歌「宝石」に至った。これが極めつけだった。違和感がはじめにくる。曲のタイトルと歌詞が、イメージとは合わないというより予想外なのだ。例えば、『そら』というアルバムに納められているこの「宝石」・・・イメージは輝く美しさやファンタジーなのに、心からしみ出た黒い空に・・・と来る。最後は異臭を放った宝石 で結ばれる。どういう歌詞なんだ?


 心からしみでた黒い空に : 氷のように枯れた瞳で
 今夜も星は輝くだけ  : ぼくは大きくなっていく
  やがてくる春の光   :  だれもよせつけられない
  息をすいこんだ    :  異臭を放った宝石


  ところが、この映画のもつ重いテーマと、この曲とこの歌詞、そして歌声が絶妙なバランスで、観る者聞く者の胸にせまって締め付けてくる。私はタテタカコworldが知りたくなり、彼女のCDを網羅し、毎日聴き続けた。ざわざわとかきむしられるような感覚。渦巻くこころの闇、目を背けたい醜い己、耳をふさぎたくなる叫び、引き裂かれ感、・・・とにかく、こんなものが蠢いていたら、とてもじゃないけど落ち着いていられないし、苦しくなる、狂気に触れる感触。夫に聴かせると「俺たちの日常は否応なく荒れ狂っているの だから、音楽くらい和めるものがいいな。」と閉口していた・・・。それでも何曲かは、おどけたものや、しっとりした曲もあり、狂気ばかりじゃないのでホッとしたところもある。いずれにせよ、こんなにまで私のこころを揺さぶるタテタカコ。何でだろう、私は京都のライブハウスに向かわざるを得なかった。


【開演】
 ほっそりとした体型で中性的な顔立ち、ピュアだが圧倒される存在感を持った声。ピアノの前に座り、演奏が始まる前に大きく頭を後ろにのけぞらせ、瞑想をするかのように軽く目を閉じ、そして精霊が身体の中に入るのを待ってから、おもむろに鍵盤とともにうねり出す。何かの儀式に参加しているような錯覚に陥る。見開かれた瞳と、大きく開かれた口から真っ白い牙のような歯が目の前に迫り、飲み込まれそうになってのけぞってしまう。食うか食われるか、そんな勝負をかけられているようだ。叩きつけられる鍵盤、身体全体から発せられる狂気と叫びの渦・・・「これは何なんだ」と異次元の世界に引き込まれる。
 しかし曲が終わると、彼女はふぅーっとこちらの世界に戻って、やさしく笑みながら、とつとつとたわいもない話をする。カメムシを踏んじゃった臭い話、銭湯で男の子に間違えられた話、イタリアに行ってから、スパゲッティが食べられなくなった話など、客や会場に対する配慮があり柔らかい。ほんわりと天然?のあどけない表情と音楽に託された激しく荒れ狂う怒りや暗闇、とてつもない孤独と不安が、タテタカコのなかに同居しているのだろう。音楽という芸術表現がなければ、とても普通には生きていけないのではないかとさえ感じる。
 彼女がアンコールで歌った「しあわせのうた」に合わせて身体を揺らしているうちに、銀河の里の人たちの顔が次々浮かんできた。そして「あぁ一緒に生きている」と深い感慨が湧いてきて胸が熱くなった。
 この歌は人類皆が「しあわせ」にならなければ、本当のしあわせはないと願った宮沢賢治の精神に通じ、3.11の震災の「鎮魂」の歌にも聞こえる。私という小さな宇宙を持つ存在は、今、里のみんなと共に生きる「しあわせ」を実感している・・・タテタカコの魂に触れることは、目に見えない大切な関係性を、実感し刻印づけることだった。


【追求】
 実際に起こった‘子どもの置き去り’という社会的事件をきっかけに、監督が15年をかけて構想を練り上げたという映画『誰も知らない』。演出ノートによると監督は、ファンダメンタルな、母親像との乖離や、無縁社会への警鐘のストーリィとして描きたくなかったという。そして「この人(俳優)でなければ、全く違う作品になっただろう」とも言っている。監督、俳優歌手の妙なる出会いが作品として実を結んだ。
  それから是枝監督作品を漁ったが、レンタル店では古い作品はなく苦労した。次いで、柳楽優弥のその後の作品(『星になった少年』『包帯クラブ』『風味絶佳』等)をほぼ全て観た。・・・彼の活動は何年かブランクもあったようで心配だったが、最近「旅とチカラ」という番組に出ているのを偶然みて安心した。


【行き着いたタテタカコ】
 映画の世界を追いながら、最後に行き着いたタテタカコの歌。ここまで激しくこの映画に引きつけられてしまったのは、彼女のつくり出す異質な音楽の世界の魅力にあった。ピアノの弾き語りというスタイルで、圧倒的な世界を描き出す彼女の音楽は、ジャンルわけできない怪しさと不思議に満ちた超越の世界。そこにあるのは、社会的なメッセージなどとは無縁で、個人のキャラクターや主張なども超えた「存在」や「生命体」そのものとして立ち現れて迫ってくる何ものかである。タテタカコの‘音楽’は異界に繋がるツールとして、あちらの世界を垣間見せてくれるかのようだ。
 その魅力は、銀河の里でこの10年、認知症の高齢者と共に暮らして感じてきた、彼らの持つ不思議な魅力に通じている。映画を観た時点で、私はそのことを無意識的に感じてここまで深追いをしてきたのだろう。両者は個人という次元を超え、現実の境界さえも超え、時空を 、自在に行き来し、異界を開く力を持っている。それは本来人間が持っているプリミティブな魅力そのものにちがいない。現代の我々の社会では、それらは「異常」や「驚異」として受け取られがちであるが、実は次の時代を生きるエネルギーと、新たな価値をもたらしうる何かを秘めていると予感させられる。
 タテタカコは、摩訶不思議力?をもつ認知症高齢者同様、音楽を媒介として異界を顕現させるべく‘宿命’を帯びた存在として私には映る。夢幻能においてこの世で果たせなかった深い情念を、謡いや舞を通じて顕現し、夜が明けると、舞台はまるで何事もなかったかのような静けさが戻ってくるように、彼女の演奏も鍵盤から手が離れた瞬間に、異界の妖気は消え去る。認知症介護現場で日々、同様の魅力に惑わされてきたが故に、「能」にその通底するものを感じてきたが、タテタカコにもそれがあった。惹かれるわけである。


【つづいて】
 銀河の里が、他の福祉施設と違うのは、制度福祉を超えて、プレモダン(前近代)が特徴としている家畜化されていない「野生」や、「宗教性」「たましい」の視点を大切にしていることにある。里の暮らしや生活は、こうした「まなざし」が息づいている独特な場所だと思う。次回は夏に刊行された河合俊雄著『村上春樹の「物語」』から、そのあたりを考察してみたい。
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守り神に守られて‐デイサービスでの一コマから ★デイサービス 太田代宏子【2011年11月号】

 新規利用者の清さん(仮名)との出会いは、デイサービススタッフにとって衝撃的なものだった。利用初日の午前、名前を尋ねると「き・よ・し」と耳元でささやいてくれ、茶目っ気たっぷりのユーモアセンスあふれる人柄に見えた。ところが、昼食後から脱衣所で他人の服を集めたり、新聞を丸め、壁を叩いたり、人が変わったかのように、行動が荒々しく変化していき、めんくらった。
 ある時、事務所の窓から外へ出ようとするので玄関をすすめるが、言葉はなかなか入らず、女性の靴を履いて、すごい勢いで外へ。追いかける主任の米澤に、「藤沢町へ帰るから。あなたは、あっち!ついてこなくて大丈夫!」と険しい表情で話す。少し離れて歩く米澤。近づくと、「もっと下がって!」と厳しい口調。283号線の真ん中を歩く。「危ないです!」と伝えるが無視されたり、「いいから、わかってる!」と強い言葉を返されたり。状況を察してスタッフの関が車で追いかけて来てくれるが、「あんたが頼んだタクシーでしょ?私は乗らない。あなたが乗りなさい!」と歩き続ける。米澤の制止を聞かず、「よその家だとわかってますから」と高松地区の民家へ。「ごめんくださーい!電鉄タクシー呼んでもらえませんかぁ?」と声をかけている。お家の方に不審をもたれないように配慮し、デイサービスで待機している小田島へ電話し、タクシーを呼ぶ演技をする。清さんは「ありがとうございました」と民家をあとにしたが、「おれの知らない花巻もあるんだなぁ」とうつむいてつぶやく。ドライバーとして働いてきた人であることを意識させられた。「電鉄タクシーでーす!」と小田島が迎えに来ると、車へ乗り込む。行き先が別なのか、「あんたは乗らないで、別で行って」とやはり米澤は乗せてくれず、歩いてデイまで戻らされた。ドライブ中は「おれは、生きるか死ぬかなんだよ」と深刻な話になった。
  こんな衝撃的な出会いをした清さんだったが、今ではデイのムードメーカーでもあり、守り神的な存在である。例えば和夫さん(仮名)が大っ嫌いなお風呂からあがってホールに戻ってくる。「わがねぇーぞぉー!!おら、警察さ言うがらなぁ!!!」その大きな怒りの声はみんなが昼食を食べ始めたホール中に響きわたる。「なに だ?じさま(・・・)のくせにきかなぐなってぇ!!」デイの若 頭、政雄さん(仮名)がすかさずドスのきいた声で反撃に出た。「わがねぇがら、わがねんだべじゃ!!」とヒートアップする和夫さん。「どれ、ぶんなぐってやる!!おれだって土方やってきたんだ!」と勢いに乗る政雄さん。「まずまず、ごはんおいしくなくなるんだからさ」と政雄さんをなだめてくれたのは、清さんだった。政雄さんは自分の席に向き直り、昼食に戻っても「年寄りがきかなくなって・・・」と怒りをくすぶらせていたが、 そこに寄り添って「んだがらなぁ。じさま(・・・)のくせになぁ」 と話を聞いてくれる清さん。昼食後の昼寝も枕を並べて、二人で居てくれた。「おれだって、まだ力あるんだ。ごんぎり頭叩いてやる」と話す政雄さんに、「手だしてしまえば、あんたも悪い人になってしまうんだから」とやさしく言い聞かせてくれる清さんだった。
 大きな声で言い争い始める大人の男の人たちに、私は腰が引ける思いでいた。孫のくらい年の離れた私が、ケンカの仲裁に入ったところで、火に油を注ぐようなものだったと思う。80年生きてきた清さんの言葉の重みや、包みこまれるようなやさしさがほかの利用者さんはもちろん、スタッフまでも守ってくれた。
  清さんをはじめとするデイの守り神的な利用者さんの存在が、私のような未熟なスタッフに居場所や役割を与えてくれる。まだまだ、守り神の力をかしてもらいながらになるが、これからも奇跡の積み重ねのようなデイでの日々の中で、鍛えられて成長させてもらいたいと思う。
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何が銀河の里なのか (その3) ★理事長 宮澤健【2011年11月号】

 前回までの2回、銀河の里には独自性や異質性がかなりあると指摘してきた。一般的な介護職経験者が里に入ると相当な違和感があるようだし、里になじんだスタッフが他の施設や研修にいくと腹立たしいまでの違和感を感じてしまう。こうした違和感は自他を見つめる上でとても大事なことだと思うし、そこから何が里なのかも見えてくると思う。
  今回は少し遠回りになるが、我々現代人がどういう時代に生き、我々の地域社会はどんな問題を抱えているのかを大まかにとらえる作業を通じて、その違和感の根拠を探り、里の存在意義や方向性を、現代という時代や地域社会のありようの中から捉えてみたいと思う。時代をどう認識し、どういうコミットメントをしようとしているかを俯瞰することは、「何が里なのか」を見つめることにつながるように思う。
 そこで90年代の早い時期から近代科学の知に対して「臨床の知」「演劇的知」のあり方を論じてきた中村雄二郎に注目したい。今回はその著作、『魔女ランダ考』『臨床の知とはなにか』からの抜粋が大半になるが、里の位置づけを考える上で重要なところなので挙げてみた。
  余談だが、1998年に銀河の里の立ち上げの準備として、スイスのシュタイナー系の施設見学に行った折、片田舎のホテルで中村雄二郎と偶然一緒になった。それだけならなんの縁も無かったのだが、ホテル側が中村氏一行と我々の勘定を間違えて精算したので、ホテル側が両者を呼び再精算した。中村氏一行は、歌手のイルカさんとシュタイナー舞踏の役者の3人だった。その時名刺を交換し、日本に帰ってから、出版記念の講演会の案内をもらって参加すると、スイスの3人も同席していた。シュタイナーや芸術など多少怪しいことにお互い関心があっての出会いではあったろう。その時、まだ銀河の里は影も形もなく、里の実践と中村の思索がここまで深く関連し、里のありようの根拠として通底するなどとは思ってもいなかったが、これも縁なのだろう。
【近代科学の知の特徴と弊害】
  哲学者、中村雄二郎は、現代は近代の知、近代科学のパラダイムが世界を席巻した時代と捉えており、それに対して、臨床の知の重要性を指摘している。近代科学に代表される近代の知はガリレイの機械論に端を発し、デカルトの2元論にその哲学的な根拠を得て、人類史上最もパワフルで信頼される知として、あまりに強い説得力を持って、他に例がないほど人類の運命を大きく変えた。この二、三百年文句無しに人間の役に立ってきたために人間はそれを通さずには「現実」を見ることができなくなったとその威力を述べている。
  近代の知の特徴は普遍性と論理性と客観性という、自 分の説を論証して他人を説得するのに極めて好都合な3つの性質を統一して併せ持つことで異例の力を発揮することになったという。 近代の知、科学の知は事物を対象化して操作する方向 で、因果律に即して成り立っている。それは、意志的自我の自由と自然界や事物の対象化をもたらす大きな原理となり、人類に多くの変革をもたらし、近代を特別なものとして成立させた。ところがこうした大きな成果の一方で、認識する主体と認識される対象つまり、見る者と見られるものとを引き離して冷ややかに対立させ、自我の存続の基盤を失わせるとともに、他方では世界の人工化と自然の破壊につながったと言う。
 近代の知、近代科学によって人間の営みは飛躍的に変化し、合理的で客観的であることが正しいことであるような価値観が広がり、それは人間関係まで適応されようとする勢いがある。ところが、学問や知は詳細、精密にはなっていくものの、多様で変化する現実の縦走性を捉えることができなくなったと指摘する。近代の知はイメージやイメージ的全体性を失うと同時に、生きられる身体性と、世界に関わるものとしてのコスモロジカルなものを排除したという。
 その上で中村は、二つの問題を掲げる「一つは、科学的知の精緻な理論による対象の分析が事物の一種の解体であって、意識的自我はそれを真に統合する力を持ちえないという問題であり、もう一つは、近代の知がまさしく範型として、科学や学問のなかだけでなく、生活と文化の実にさまざまな領域にまで及んでいながら、私たちがなかなかそれと気がつかないという問題である。」と。
  こうした中村の指摘は福祉現場において直接的な問題であって他人事ではない。銀河の里が始まった年、骨折で入院された利用者をお見舞いに行ったことがある。病室を訪ねたくてナースセンターで名前を言うのだがピンとこない。骨折で入院したというと「ああ骨折ね骨折」と骨折で部屋が解った。何々さんという人間ではなく、骨折として解体された事物がそこにある体験をしてあきれたことがある。まさに近代の知のなせる技と言うべきだろう。日常にも猛威をふるう近代の知が人間関係を排除し切断してくるさまがみてとれる。見る者と見られるものの分断と冷ややかな対立は大半の施設が陥るありふれた光景ではないか。対象を解体し統合できない近代の知の罠にはまり、福祉施設の利用者は人間としてのまなざしから排除される危険に満ちている。
  小林秀雄は40年前の公演で、近代の知に対し、たかがこの二、三百年の歴史しか持たない浅智慧だと語っている。たましいを無いとしか捉えられない近代の知に「あるにきまってるじゃありませんか」と言い切る小林の知の深さはその時点で遙かに近代を超えていたのだろう。戦後の高度経済成長を超え、バブルを経てすでに夢破れた感が漂い、歪みとして社会に様々な問題が現れても、新たな方向や地平が見いだせないまま21世紀を迎え、世界も日本も地域社会も混迷を深め、未来を描けない状況に喘いでいるのが現状だろう。
 それでも地球規模で開発や経済の繁栄を求め続けなければならないのは、人類の宿命なのだろうか。
【近代の知の特徴とそれが排除したもの】
 中村は近代の知の特徴が排除したものとして3つをあげる。第一番には普遍性の原理が、他にない固有の場としてのコスモス、事物のコスモス的な有り様を示すコスモロジーを排除した。論理的一義性は単線的な因果論を説くのに適するが、現実は多義性を備え、生命体や人間的事象になるとその性格は強まるので現実を深くは捉えきれない。ふたつめとして論理性が排除したものは事物の多義性としてのシンボリズム(象徴性)だと言う。
  三つめの客観性は主体と客体の分離・断絶を前提としているので、事物の側からの働きかけつまり、受動的な能動がそこなわれるつまりパフォーマンスが排除されたと指摘する。
 中村は提言として、近代科学が排除したコスモロジー、シンボリズム、パフォーマンスの三つ、つまり「固有世界」と「事物の多義性」、「身体性を備えた行為」の3つを合わせて体現するのが「臨床の知」であるとして、それらを含んだ新たなパラダイムである、臨床の知、演劇的知、パトスの知、南型の知の考察を展開している。
  銀河の里のスタッフが研修や他の施設の実習で感じる違和感や、里に対する他からの違和感は、近代の知と臨床の知という依って立つパラダイムの違いからくる違和感だということがわかる。現場の経験を通して中村の考察に触れると、近代の知的枠組みの盲点とその弱点や、現実に現れる問題の根拠が生々しく実感として理解できる。
  次回は、遠回りついでに、臨床の知の特徴を銀河の里の実践に即しつつ考察を進めてみたい。(つづく)

【引用文献】
 『臨床の知とはなにか』中村雄二郎 岩波書店1992年
 『魔女ランダ考』中村雄二郎  岩波書店 1990年
 『小林秀雄公演記録』 新潮社
 『信ずることと考えること』S’49 小林秀雄講演(第2巻) 新潮CD 講演2004年
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念願の栗拾い ★ワークステージ 村上幸太郎【2011年11月号】

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★この季節になると、惣菜班の圭一君(仮名)は栗拾いが気になります!餃子・焼売の製造が落ち着く日に合わせ、念願の栗拾いに惣菜班みんなで行ってきました!虫食いの栗もあったけど、たくさん収穫できました!
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今月の書「登」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2011年11月号】

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どんな道でも
まだ見えなくても

どこかへ繋がっている

その先へ向かって
今を生きる


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