2011年10月15日

稲刈り ★佐藤万里栄【2011年10月号】

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読者からのコメント ★社会福祉法人カナンの園カナン牧場 菅生 明美様【2011年10月号】

「蘇る死者たちの夜(2011年8月号)」を読ませていただきました。
 概ねの人は、福祉施設は単なる通過施設と捉えているのではないでしょうか。そんな中「家族・身内」として受け入れ、魂の平安こそが、生きる意味なのだと求めてこられた「銀河の里」の思想が哲学が、そのように言わしめるのでしょうね。
 “いつまでも生者と死者の魂が、時空を越えて出会える里でありたいと思う”私もそんな場で最後を看取って欲しいと想います。我々も皆様に習いながらそのような場を創りあげたいと願っています。
 
貴重なご感想をいただき、誠にありがとうございました。

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異界バス出発進行 ★デイサービス 米澤里美【2011年10月号】 

 この3月から、前職の主任のあとを受ける形で、育児休暇明けのぶっつけ本番並にデイサービスを引き受けた。その頃、震災も相まってデイサービスの利用率は低迷し、運営も危機に瀕していた。それでも長年利用してくださっている利用者さんに支えられつつ、副施設長の戸來さんも居宅支援事業所へ空き状況のPRしてくれたおかげで、ある時期からビックウェーブのように、新規ケースの相談が相次ぐようになった。
 そうした相談のほとんどは他事業所で利用を断られたり、本人の利用拒否などで「個別対応」が必要とされるケースだった。「常時徘徊」「コミュニケーション不能」「通所拒否」「入浴拒否」「暴言・暴力」などケアマネからの照会票には問題行動とされる過激な記述が並んでいる。その度にドキドキしながら会いに行くのだが、たいていは照会票から想像していた印象とは違って、個性豊かで魅力的な方がほとんどだった。
 金曜日は、特に強い個性の方々が集まり、あまりにもそれぞれが華やかに個性全開なので「華の金曜日」と私は呼んでいるのだが、そんな先週の華金の様子を伝えたい。
 エツさん(仮名)は、散歩が好きだ。デイサービスに到着してすぐ「行こーよー!」と玄関へ向かう。耳が聞こえないので、ジェスチャーでやりとりをするが、行くと決めたら行かなきゃならないのがエツさんだ。ホールの状況を押さえて、スタッフも一緒に外に出かける。エツさんは自然が大好きで、風が吹くと腕をいっぱいに広げて「きもちいい〜!」と風を受け、道ばたの花を見つけると摘んで歩く。手を筒にして花を生けるように彩りを考えながら花を摘む。この日も私はホールでエツさんとスタッフの帰りを待っていたのだが、なかなか戻らない。1時間以上したところで同行した鮎美さんからお迎えコールが入る。私が車で迎えに行くが、乗ってくれそうもない、「これもい〜ね〜。」と迎えの私を無視して花を摘み続けている。「お昼食べたら、また行こ!」となんとか車に乗ってもらうと、車の中は、花の香りが広がり不思議な空間に変わった。なんだかエツさんってジブリ作品に出てきそうな、緑の匂いがする人だな、と感じた。
 その日の昼食後、義男さん(仮名)がソワソワしはじめる。「家に帰らねばね。」とかばんを探している。なんとか引き留めようと話かけていると、その横をスーッと通り抜ける人が・・・「じゃ!私かえりま〜す!」と笑顔でフジ子さんが玄関に向かう。靴を捜して戸惑っていたので、送迎に出ているスタッフの関くんにドライブを頼もうと連絡をしていると、フジ子さんは「靴ないなぁ。えぃ!裸足でいってしまえ〜!」と裸足で歩き出した。私は上履きのまま、サンダルを持って追いかける。「フジ子さん!はだしだよ。これ履いて!」という私に、止められると感じたのか「えい!何する!この野郎!ばかやろう!」と目をまん丸にして鬼の形相に豹変してしまった。「あんたはついてこなくていいから!」と裸足でガンガン歩いていく。「♪ふんふんふ〜ん〜ふふ♪」と故郷を鼻歌で歌いながら歩いているが、表情は硬い。ちょうどワークの佐々木さんがバイクで通りかかったので、「フジ子さん!バイクに乗せてもらお!」と言う私に「えい!うるさい!」とフジ子さん。次は特養の中屋さんが裸足でただならぬ雰囲気で歩くフジ子さんと私を見つけ「乗ってきませんか〜?」と車を出して来てくれたが「いいです!あんた乗ってきなさい!」と私だけを車に乗せようとして、自分は絶対乗らない感じだ。
 車を従えてしばらく歩いていると、デイから関君が迎えにきてくれて、フジ子さんの回りに2台の車が並ぶ。「フジ子さん、乗ってって〜!」との声がけに「そんなものには乗りません!!」ときっぱり。中屋さんと関くんが何回か行ったり来たりして、誘ってくれたが乗る気なしで歩き続けるフジ子さん。関くんが持ってきた靴を渡すと「あら、これはあたしの靴だ・・」と履くが車には乗ってくれない。
 道路の真ん中を歩くフジ子さんに「危ないよ!」というと「うるさい!あんたついて来なくても私は行けるんだから!」「あんたが行くところじゃないんだよ!こっちの道行けば、近道で帰れるからこっち行きなさい!」と私を帰るように指し示す道は確かに銀河の里へ戻る道で正しい。
 もう間隔をあけてフジ子さんについて行くしかない。そのうち今度はデイから鮎美さんがやってきて「フジ子さん、一緒に行こう。」と声かけてくれる。なじみの顔に表情は和らいだものの、やはり車にはかたくなに乗ってくれない。
 「大丈夫だから。私1人で行けるから。あんたたちの行くところじゃないの。」と繰り返すフジ子さんは今どこを歩いているんだろう。なんだかあの世への旅をしているような、現実じゃないような錯覚に陥いる。フジ子さんは、故郷の歌を口ずさみながら歩き続け、途中、神社の鳥居や、道ばたの石碑や堤に向かって丁寧に頭を下げ、手を合わせて祈る。
 半ば途方に暮れながら、一方で腹を決めて、フジ子さんの様子を少し離れながら歩いていると、再度、関君が8人乗りのリフト車でやってきた。車にはチカさん(仮名)、昭二さん(仮名)、エツさんが乗っている。みんな帰りたい組、異界組のメンバーだ。関君も異界のモード気味で「やっほ〜。フジ子さん!」と声をかける。すると「あら!珍しい人に会っちゃった!」となんとフジ子さんは小走りでリフト車に乗ってしまった!
 なんだか、リフト車が猫バス(となりのトトロ)みたいな、又は神様だけが乗ることができる舟(千と千尋の神隠し)みたいな、そんな尊い存在に見えた。それぞれが、それぞれの行き先に行かなきゃならない気持ちで乗っている異界バス。チカさんはマルカン行き、エツさんは「やま〜!」「川ジョボジョボ〜!」と自然を満喫して、昭二さんは仕事に行かなければならないらしい。

 フジ子さんが歩いている間、デイホールは大変だったようだ。チカさん、エツさん、昭二さんがそれぞれ行かなければならなくて、連なって玄関に向かったところでみんな車に乗ってやってきた。この3人が乗っていなければ、フジ子さんは車に乗らなかっただろうなと思う。
 その後、異界バスはしばらくドライブをして、ちょうど正勝さん(仮名)の誕生会の準備が整ったディホールに戻った。みんなでハッピバースディを歌って、誕生会を 楽しんだ。勝さんは食にこだわりがあり、おやつは絶対食べない人だが、小松さんが作ったジャガイモ団子ケーキ!を「おいしいな。」と言って食べてくれた。その日の帰り際、94歳のクメさん(仮名)が言った。「あんた、年寄りを親切にすんだよ。年寄りは神様に近くなってるからねぇ、親切にした分、あんたの徳になんだよ。本当だよ。」私は手を合わせる気持ちでその言葉を聞いた。
 先日、「認知症介護実践者研修」で「親切・思いやり・やさしさ・笑顔」が大切などという軽薄な内容の一方で、認知症の周辺症状を「問題行動」として仰々しくあげつらね、認知症の存在を「モンダイアツカイ」にしている研修で鬱々とした気持ちになって帰ってきたばかりだ。認知症を「モンダイ」にしかできない世の中で、どうやって笑顔や親切が生まれるんだろう?と思っていた時に、クメさんの言葉はしっくりきた。
 理事長にその話をしたら、「里はそっち寄りなんだな。」と笑って聞いてくれた。「神様」に近い現場で働けるって、尊いことだな、と思う。デイサービスはなんだか凄い舞台だなと日々、実感させられている。
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眠りのむこうで ★特別養護老人ホーム 中屋なつき【2011年10月号】

 フユさん(仮名)は、夜はもちろんだが日中も、丸一日ほとんど眠って過ごしている。ぐっすり寝てやっと起きた朝、朝食を終えるとそのままテーブルでウトウトするので、ソファなどに横になってもらうと、スヤスヤとお昼まで一眠り。昼食を食べるとまた夢の中へ…。なんとも気持ちよさそうに眠る。そうやって夕食の時間が来て、食べ終わった後は遅番のスタッフに付き合って、ちょっとだけ夜更かしたりすることもあるけれど、昼間こんだけ寝てたら昼夜逆転とかになるもんだけど…、フユさんは夜間もしっかりと眠りの世界へGOだ。

 なんでこんなに眠るんだろう? 昼間はもっと遊んでほしくて、なんとか起きててくれないものかと思ったこともあったのだが、いつの頃からか、少し考えが変わってきた。フユさんの寝起きの一言にスタッフみんなが興味を持ち始めると、どうやらこれは、ただ寝て起きてるだけじゃないぞ…と。これだけ頑張って(?!)眠りの世界に行ってるフユさんだから、きっといろんな夢を見ているに違いない…と感じ始めたのだ。
 朝の起床時、「おはよう」と声をかけると、寝ぼけ眼で「今な、ばあちゃんな、まんま支度してらった〜、すけてけろ〜」と言うので、(あぁ、孫さんか誰か、家族さんたちと一緒にいたんだなぁ)と感じる。「手込めてこさえたぞ〜、団子、持ってけ〜」と団子を丸めるジェスチャー付きで話すこともある。聞いているとなんとも嬉しくなってほこほこした気分になる。時には「おめ、知ってるか?きのこ、いっぺぇ採れるとこ…」と唐突に始まって、「だれかれさ言うなよ」とニヤリと笑う。一晩中どっかの山にでも行ってたんすか?!とこちらが驚くような物語の中にいることもある。
 こうなってくると、単に昼だから起きてるって過ごし方より、よっぽど自由に開放的にいろんな世界に行ってるらしいフユさんの「眠り」を、できるだけ保障したいと考えるようになった。そして、次はどんな目覚めの一言をくれるんだろうとワクワクしながら「おやすみなさい」と声をかける。どんな旅に出るんだろうと思い巡らせながら「いってらっしゃい」と言っちゃうこともあるくらいだ。

 そうやってフユさんの「眠り」に注目していると、まるで、眠ることによって時間も場所も自在に飛び越えられる「通路」があるように思えてくる。
 お昼寝から起きてもらったら「踊りっこ、踊ってきた〜♪よいっとな〜よいっとな♪って」とニコニコで、食卓についても「踊りっこ、好きで好きで、よっく踊りさ行ったったの〜」とイメージは続いている。その様子が鮮やかに想像されて、「きれいな浴衣、着たったんでしょ?」とか「一緒に踊りっこするお友達もたくさんいたんだね?」とか、こちらのイメージもどんどん膨らんでくる。たいていはそうした言葉かけに対して直接の答えは返ってこないのだけれど、ふわぁ…っと笑ってフユさんは、手をひらひらさせながら「よいっとなぁ、よいっとな♪」といかにも楽しそうにしている。
 そんな様子だと、フユさんの行ってきた世界に、こちらの想像力が少しついていけたかな、という手応えを感じるのだが、はずすことも結構多い。寝起きの度に違ったイメージが断片的に語られるだけだし、言葉数はかなり少ない。なにせ寝起きのウトウト状態なので、簡単にかき消えていってしまう繊細な物語だ。イメージをつかみ損なってズレた問いかけをすると、たちまち物語はとぎれてしまう。あるいは、単なる興味本意で質問しても、フユさんが行ってきた世界には遠く及ばず、物語も膨らまずに色彩を失ってしまう。そこに大切なストーリーがあったはずだということは分かっていても、引き出すことができずに終わり、あぁ、今の話、もったいなかったな…と、こちらの「通路」の力不足を痛感することの方が多い。

 スタッフひとりひとりの力は及ばずとも、チームとしての着目や関心がマッチしている場合には、見事にフユさんの物語が鮮やかに立ち上がってくることもある。
 起床時、早番者が最初に聞き取った。「あれよ〜、目にあって書いたったやつよ〜、おめ、どこさやった?」何のことかと妙に気になって夜勤者も一緒になって耳を傾けると「お手紙よ〜」と言ってくれるではないか。「誰に」と問えば「お父さんによ〜」と! その時は、それ以上、聞いても語らなかったフユさんだった。日勤が出勤してきて申し送る。「フユさんね、今朝はお手紙書いてるよ!」「お父さんって旦那さんかな?」職員のワクワクをよそに、そのころはすでに朝食後の一眠りに入っているフユさん。
 お昼に起きたときに、なんと「あれよぉ、届いたっか〜?」と手紙の物語が続いているではないか! 思わず「届いたってよ!返事、来るかな?」と返すと「んだなぁ」とフユさんもニッコリ。昼食後、遅番にも朝からの一連のストーリーを伝える。「なんて書いたんだろう?」午後のお昼寝中のフユさんを横目に、ワクワクが3人に膨らむ。午後のおやつに起きてもらって大注目のフユさんに「お父さんに、なんて書いたの、お手紙?」と尋ねると、「うふふ♪」とここでは返事はない。きっともうお返事も受け取ったのかもね…と想像する私たちに、言葉ではなくとびきりの笑顔で繋がってくれる。

 鮮やかにあちらの世界に行き来する「通路」を感じる、こんな「眠り」があるなんて知らなかった! 先日、風邪をこじらせて肺炎になってしまったフユさんだが、抗生剤の点滴をしてながらも入院せず自力で治した、という感じだった。いつもとは違ってパッチリ起きてモリモリと食べた後はドンッと眠ってパパッと3日で治してしまった。現実をしっかり生きる強さも持っている。そうして今はまた、フユさん独自の「眠り」を頑張ってやっている。その「語り」から癒しをもらいながら、こちらも「通路」を鍛え、どんな世界を切り開いていけるのか…、はずさずに繋がる力をつけていきたい!
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夜の出会い ★特別養護老人ホーム 酒井隆太郎【2011年10月号】

 俺は銀河の里に就職して一年半が過ぎ、仕事もだいぶこなせるようになった。何より、多くの利用者との出会いと人生を経験させてもらえるので充実した日々を過ごしている。その出会いと人生は、ほとんどが日中に起こる。太陽が出ていると、みんな起きて行動し、声を張りあげたり、活発的になり、お互いの人間関係や人生が露わになる。
 だが介護の現場の仕事は日中だけではない。太陽が沈み夜になるとみんな寝てしまい昼の喧噪が嘘のように静まりかえる。たまに、起きている人もいるが周囲を気遣い、声も小さく活動的ではない。今まで、夜勤のシフトで入ると、夜勤は日勤よりは、つまらないと俺は感じていた。
 そんな俺の前にショートステイを定期利用している守さん(仮名)が現れた。守さんは噂ではナースコールの鬼と呼ばれていた。初めてユニットに守さんが泊まった日、俺は半ば覚悟してその日の夜勤に臨んだ。10時に出勤したとたんすでにナースコールは鳴っていた。「よしやっぱりきたな」とばかり部屋に行くと守さんはトイレに行きたいと言った。了解しましたと介助したのが始まりだった。介助を終えて部屋から出たとたんにコールが鳴る。「よしやっぱりきたな」とすぐさま部屋に入ると、またトイレということだった。俺は「了解しました」と介助する。そして部屋を出るとまもなくナースコールが鳴りやはりトイレであった。
 最初はまだ、10時を過ぎた時間だから、なかなか寝つけないのだろうと思ってたかをくくっていたが甘かった。その後もコールは鳴り続け全てトイレだった。守さんもほとんど話すこともなく、俺も特に話さず、黙々と守さんのトイレ介助だけの夜に支配されていった。もう俺は腹をくくりコールの嵐に付き合うことにした。守さんもその俺の気持ちを察したのかさらにコールの嵐となった。ついには守さんの部屋を出る前にコールが鳴らされる勢いで、延々とトイレの介助が続いた。
 トイレのあと守さんをベッドに横にしてタオルケットをかけると、必ずナースコールを自分の手に持たせてくれと言う。守さんはナースコールとは言わず「リモコン」と言う。俺はコールの嵐にフラフラになりながら「リモコン」という言葉に引っかかった。俺はテレビか?ラジコンか?ロボット?ともうろうとしている俺の耳に、部屋を出るとすぐさまコールが突き刺さった。さすがに変な汗も出てきて打ちのめされそうだった。それでも意地のように、コールに応え守さんの部屋に入って無言でトイレの介助を繰り返した。深夜0時、もう一人の夜勤者が出勤してきたとき正直助かったと感じた。このまま一人でいたらおかしくなりそうだった。そこで少しばかりトイレ介助を交代してもらい気持ちと体を休ませ、再度コールの嵐に向かって行った。
 それからも部屋から出たとたんだったり、長くても5分の間隔でコールは鳴り続けた。そんなコールの嵐の中でも他のみんなはすやすやと休んでいる。たいしたもんだと思いながら過ごしていたところ、コールが気になったのか綾香さん(仮名)が起きてきた。眠い顔をしていた綾香さんだったが、そのとき俺は綾香さんが女神のように思えた。何故なら夜に支配された孤独な戦いに綾香さんが手を差し伸べてくれたように感じたのだ。日中にいかに周りの利用者さんに助けられているかということもこのとき強く感じさせられた。
 守さんのコールは遂に朝まで続き、俺は一晩延々と守さんのトイレの介助をやり続けた。リモコンで呆然とトイレ介助をするロボットとなった俺は完全に抜け殻となってノックアウトされた。長かった夜勤からあける間際、トイレ介助をしていると守さんが言った「あんたタフだな」俺も「守さんもな」と返した。こうしてコールの嵐の夜が終わった。俺は家に帰るとビールをあおって泥のように眠った。ヘロヘロだった。
 この一晩の夜勤はなんだったんだろう。わけのわからないまま、私は翌々日出勤し、昼の守さんと向きあった。今度は太陽が出ている日中に、俺なりに真っ向勝負でいろいろ話してみたかった。当然日中もコールは鳴っていた。ところが夜と違い守さんは結構話してくれるではないか。俺も心にゆとりがあって夜とは違った。話せば何かがわかってくるし、いろいろ感じることもでてくる。守さんに入っていけるようにも思えた。
 守さんは俺のギターをみつけ「誰が、弾くのや?」と俺に問いかけてきた、「俺だ」と言うと「弾いてけで。」という。弾き始めると、守さんは「俺はハーモニカやるんだよ。」と言った。そして、自然に2人で演奏になった。短い時間ではあったが俺たちにとっては良い時間となった。
 俺はテレビでもラジコンでもロボットでもねえぞ!!俺も人間だ!!と感じたあの夜勤はなんだったのだろう。しかし守さんと俺を繋ぐなにかがあの一晩に動いたようにも思う。「おまえタフだな」という守さんの言葉が去来する。ギターとハーモニカのささやかな演奏に守さんとの出会い、人生を感じて救われたような気持ちになる俺だった。
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何が銀河の里なのか その2 ★理事長 宮澤健【2011年10月号】

 デイサービスの主任の米澤が5日連続の研修に行ってきた(岩手県認知症介護実践者研修)。初日に帰ってきて、まいっている。もう本当に吐きそうになってしまったと泣きそうな顔で「まだ4日もあるのに」と憂鬱そうだ。
 なにが辛いのかと聞くと、「問題行動」「徘徊」などと認知症の周辺症状をひとくくりにした客観的な解説にひどく傷つくという。
 米澤は認知症対応型デイサービスで40人余りの登録の利用者さんと対峙し、ひとりひとりの特性や細かな人柄を感じながら生活をしている。そこでは人間や人生との出会いそのものがある。しかし研修ではそうした現場の実感が一切割愛されて説明されるので、利用者ひとりひとりの内面や人柄、人生が踏みにじられたように感じ、何より大切にしている利用者との関係性が損なわれるような感覚になって傷つくのだ。

 認知症対応型デイサービスの現場で日々活躍している職員が傷つき、初日から涙目で帰ってくる研修とは一体なんだろう。しかも任意の研修ではなく、認知症介護現場に必須として割り当てられた研修である。本来なら、認知症の理解を深め、さらに認知症を通して人生や社会のありようを見通す知見や見識をもたらすべき役割を担ってしかるべきである。米澤の落胆と傷つきの要因を考察しつつ、里の独自性と何が里なのかを今回は考えてみたい。

 米澤が研修を終えての感想として、「聞いていて、夢も希望もなくなる話しばかり」と語ったのが印象的だったが、この言葉にはとても重要なことが含まれている。つまり、米澤は銀河の里の認知症介護現場で夢や希望に近い何かを感じていると言うことだ。それは明るく輝いたものではないとしても、感動や、多くの示唆や、新たな世界や時代への展望を感じさせる「何か」がスタッフの胸中に日々去来している。その「何か」は、現場のスタッフの個々の人生を支えるだけでなく、さらに普遍的な人生観や世界観の展望までもたらしうる「何か」であると思う。
 こうした里の現場での生き生きとした実感は、利用者との個々の関係性から生まれてくる感覚なのだが、研修では、そうした関係性が語られることはなく、客観的な知見が操作的な視点から、しかも認知症をネガティブに捉えて提示されるので、現場の実感との狭間で強い違和感になり傷ついてしまう。
 里のスタッフが、県などの公の研修に参加すると、たいがいこうした違和感や傷つきを感じることになる。それはどうしてなのか構造的な所から考えることにしよう。

 まず言えることは、こうした研修が体制側から制度の範疇で行われるということだ。つまり、高齢者問題、認知症問題が社会的に取り上げられると、それらの対策として制度が作られる。問題対策であるから解決を目指すラインが引かれて、その過程で発見や思索が行われる余地は全く与えられない。もともと制度は夢も希望もないものなのだ。体制側としては問題に対して対策を講じたのであって、制度はそれ以上でもそれ以下でもないから、ひとりの人間の人生や、こころのこと、まして、スタッフと個々の利用者の関係性やそこから生じる、たましいの課題などとは無縁で取り上げられない。
 制度は、予算が付くので社会としては必要でありがたいのだが、体制は制度を通じて管理を要求して来るだけなので、個人の人間や人生にはせまりようがない。体制側に管理される形で施設運営をしている以上、どこまで行っても人間は見えてこない。一方、里の現場では、徹底して心理的なアプローチをしていると思われる。つまり、ひとりの人間の独特なこころの動きに、個別に特別な関心をもって関わろうとする。利用者ひとりひとりの人間に迫っていく方向に、まなざしが向いている。
 制度を通じて現場で、対策、管理を行うのと、個人と出会うのでは全く違った話になってくる。里のスタッフが研修で感じる違和感や傷つきはその違いから来るものと思う。片や客観視に終始せざるを得ず、片や出会い、関わり、生きているのであるから、その違いは対照的で、考え方や感じ方も、遠い隔たりが出てくる。
 この隔たりは、公の研修だけではなく、大半の福祉施設が、体制側の制度の範疇に存在し、公設民営でトップや事務長が天下りであれば、体制側に向いた運営にならざるを得ないだろう。
 銀河の里が、個々人の夢や志で生まれ、挑戦を続けているという事実は、その始まりからして大きな違いがある。里では現場のアプローチや雰囲気、考え方などがかなりの独自性を持つので、現場のスタッフが、他の施設や研修に行くと、違和感を覚えるのはその独自性の証明でもあるように思う。

 研修の内容について米澤も、最初から斜に構えていた訳ではない。「最近は認知症介護の認識が大きく変わりつつある」という導入の話しに期待したし、医学の講義も興味深く受け取っている。ところが最も期待した、心理的アプローチの分野で、現場感覚とはかけ離れた教科書的内容のうえに、認知症のネガティブな項目が羅列され、実際に吐き気がしてきた。さらに「その人らしい個性が失われ平板化する。人格崩壊に至る」という説明にはあきれ果てた。かなりの劣悪な環境下にあるか、極めてまずい対応が継続的になされた場合など、よほどのことがなければ認知症の人がそういう状況に陥ることは考えがたい。
 認知症は「関係を必要とする病」ととらえ、関わりや環境によって、最後までその人らしさは持続することを現場で体感している者にとって、また大きく認識が変わりつつある認知症介護の内容を期待しただけに、古い偏見に満ちた見解に打ち砕かれた。
 さらに研修のワークショップでは「わかりました」という言葉を笑顔で言うのと、怒った顔で言うのとを実際にやってみて、笑顔が大切という内容だったというのだが、ホテルやデパートのサービス業ではあるまいし、実際の認知症介護現場で人が暮らし、人生をそこで作っていく関係性にあって、そんな表面的なレベルで通用するわけがない。
 「研修を終えて心を打たれることは何ひとつなかった。」と米澤は言う。現場にはこころを打たれることが山ほどあるのに、研修ではそれがないのはおかしいのではないかと言いたいところだ。
 今回の米澤の研修体験を通じて感じたことは、グループホームやデイサービスなど本格的に認知症介護の現場が整備されて10数年を過ぎた今、現場は相当疲れ荒れている状況にあるのではないかということだ。それに比して、銀河の里は11年目を迎えて、認知症の人たちの息吹や、その世界にふれて、若いスタッフもベテランスタッフも意気軒昂で、利用者との出会いに感動し、内的な成長の豊かさに恵まれた現場と感じている。それはこの通信の記事からも汲み取っていただけるものと思う。
 そうした里の独自性、特徴について具体的に次回から論じつつ、引き続き「なにが銀河の里なのか」に迫ってみたい。  (続く)
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真澄さんとの軌跡と私のこれから〜時空を超えた花巻まつり〜 ★特別養護老人ホーム 田村成美【2011年10月号】

 短大を卒業して社会人となった3月、配属された特養のユニット「すばる」で私は真澄さん(仮名)と出会った。第一印象はとっつきにくそうな人≠セった。たいていの人と話せたのだが真澄さんは違った。どこか近づけない、厚い「壁」を感じた。表情がかたく、話の返事も素っ気なかった。なによりの壁は、耳が遠く2、3度の聞き返しは当たり前で、会話に互いに体力を使い、気も使った。
 それでも果敢にアプローチを試みた。まず名前を覚えてもらおう!と自己紹介した。「なるみです!」すると「…まるみちゃん?」と真澄さん。ボリュームあげて何度も言うが伝わらず…。ほほえみながら「まるみちゃん」と返してくる真澄さんに負け、「わたし体型丸いし、響きも悪くないし」とあきらめ、私は「まるみ」になった。それでみんなからも「まるちゃん」と呼ばれるようになり、わたしと名付け親の真澄さんとの軌跡が始まった。
 「まるみちゃん」になって一歩近づいた感はあるものの、具体的なアプローチには困っていた。でも天気の話でもなんでも明るく話かけるようにした。そのうち、わりと話せるのは2人きりの居室だなと感じた。そして入浴タイムも二人きりの特別の時間なのでチャンスだとわかった。こうして話せる時間が少しずつ増えていった。お風呂場は声が反響して、会話しずらいのだが不思議と話が弾んだ。
 段々と真澄さんと過ごす時間が楽しくなってくると、外出に気が向かない真澄さんと一緒に出掛けてみたいと思うようになった。ところが誘うとことごとく惨敗。なんとここ半年間、通院以外の外出は1度もなかった。
 5月頃真澄さんは、体調が優れず食欲もない時期が続き、4ヶ月で4キロも痩せていた。病院に行くと胃潰瘍が3つも見つかった。そんなある日、わたしは耳が聞こえないのは垢がたまっているのでは?と単純な考えで耳掃除を持ちかけた。すると真澄さんは「いい〜聞こえるようになったら大変だ〜」とぽつりと言った。
 「えっ、どういうこと」と混乱したが、このとき真澄さんは何か見えない重いものを抱えているように感じた。厨房のスタッフは胃の負担にならない特別食を考えてくれたり、ユニットで小分けにしたりと食事に工夫をした。わたしは明るさだけは忘れず、真澄さんに語りかけ続けた。
 7月に入った頃から真澄さんの気持ちが上向きになってきた。そして食欲も戻ってきた。そしてなんとも不思議なのだが、いつの間にか耳が聞こえるようになっていて、普通のボリュームで普通に会話ができていた!考えられない…「真澄さん、耳よくなったよね…?」に「うん、聞こえるよ〜」と笑っている。今までの真澄さんの耳は「聞こえない」じゃなく「聞きたくない」という気持ちの表れだったのか?理事長によると、立ち上げからずっとユニット「すばる」には利用者とスタッフの間に溝があって、一緒に生きていると言うより、介護工場のようで重い空気があったという。この春からその雰囲気は一変し、スタッフ一人ひとりが自分の持ち味で、利用者に向かいながらも支えあえる雰囲気ができたことが、真澄さんの耳にも、気持ちにも大きく作用したのではないかと思う。

 7月の終わり頃、真澄さんから「花巻まつり」という言葉と、行きたいという意思が出てきた。初めて真澄さんのうちにあるものを発してくれた言葉だったので嬉しかった。
 「うちの孫がね、湯本の八山神社から権現様もって花巻のデパートの前で踊るの」と笑顔で語る真澄さん。「(孫が)神様と何かの縁があって権現様やらせてもらってね〜。いつのまにか習ってたんだかさ。一軒一軒家まわって踊って歩くのさ、私も一緒におっかけて歩いたったの」と涙を浮かべて話す真澄さん。そこに特別な思いを感じて、他のイベントはともかく、花巻祭りだけはどうしても真澄さんと一緒に行きたい!と私はその時、強く思った。

 祭りの前々日、家族さんに電話をすると、お孫さんが踊っていたのはずっと昔のことで、最近は出ていないとの事だった。真澄さんは、お孫さんの権現さまを楽しみにしているのだが…
 当日の午前中「出かけようね」と誘うと、半分半分な感じだった。膝の痛みの心配かなと思うが「でもねぇ…家から電話こないし」家族の誘いを待っていたのだろうか?そこで家に電話したことを伝えると「孫出るんだべ!?」と聞いてきた。私はお嫁さんと話し、権現さまには出ないことは内緒にしたまま、神輿にお孫さんも参加することを話すと「なるみちゃんに負けた〜(笑)」と真澄さんは行く気持ちになってくれた。(耳が聞こえるようになってから「まるみちゃん」はいつの間にか「なるみちゃん」に変わっていた。)そして出発の10分前には、真澄さんはよそ行きの緑のベストを着て、おしゃれ万全で出掛ける準備を完了していた。
 願い続けた真澄さんとの外出、しかもお祭り、私は初めからテンションが上がりっぱなしだった。真澄さんも久々の花巻祭りで、タイムスリップしたように若返った笑顔を見せてくれて本当に楽しそうなので、益々私のテンションは上がった。そしてついに権現舞が始まった。目の前で一生懸命踊るちびっこを「あんや〜めんけ〜」とやさしいおばあちゃんの顔で見ている真澄さん。7月からお孫さんの権現舞を語り続けた割には、全くお孫さんを捜す様子はなかった。私も安心して権現舞に浸った。そしてお神輿がやってきた。祭りの熱気の中で、私は職場でこの数ヶ月を思い起こしながら、真澄さんと一緒に来れたという喜びが頂点に達し、思いが一気に爆発し、全力で「わっしょい!わっしょい!」と叫んでいた。それにつられてか真澄さんが、小さく「わっしょい…」と私につきあってくれた。真澄さんも楽しそうだった。
 後日、お祭りの真澄さんと私の2ショットの写真をもらった。画面いっぱいに2人の笑顔がドン!とある写真。いつ撮ってくれたのだろう。真澄さんと私の軌跡を仲間のスタッフがそばで見守り支えてくれていることを、その写真で改めて感じた。記念すべき花巻まつりの写真は、真澄さんと私の部屋にそれぞれ架けてある。先日その写真をみながら真澄さんが「こったなの連れてってくれてありがとう」と言ってくれたので涙がでそうになった。
 実は私は9月に部署異動があって、真澄さんのいる「すばる」から隣のユニットに移ることになった。そのことは祭りの前にドキドキしながら伝えたのだが、真澄さんはあっさりしたもので、「おうがんばれ」という感じだった。拍子抜けでちょっと寂しかったが、気持ちは楽になった。
 新社会人として銀河の里で半年。毎日が楽しくて仕方がないのだが、ただ楽しい!だけじゃない「むずかしさ」や「ふかさ」を最近は感じるようになった。新たなユニットで、真澄さんとの想い出を糧に頑張りたい。異動しても同じ特養の屋根の下、4ユニットの距離を真澄さんとの繋がりで埋めていきたい。
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異界の持つリアリティ 「能」と介護現場の関係性 ★施設長 宮澤京子【2011年10月号】

 今回は、「能」世界における異界の住人や精霊である「主人公:シテ」と、生きている「僧侶・旅人等:ワキ」との出会いから、「異人・異界」の持つリアリティを、銀河の里の在りようと重ねながら吟味したいと思う。今回の思索では自身が能楽師(ワキ方)である安田登氏の著者『異界を旅する能』から得ることが多かった。
 能は室町時代に観阿弥・世阿弥父子によって大成され受け継がれてきている芸能で、600年〜700年の歴史がある。能は明治維新まで「猿楽」と呼ばれ、能楽と呼ばれるようになったのは近年のことらしい。世阿弥は「猿」という文字を嫌って「申楽」に、示す偏を付け、「神学」と同じだという。(しかし、能は中国からやってきた「散楽」がもとで音が変化して「さるがく」となったという説が現在では有力である。)日本では「能」は、エンターテイメントというより神事という方がすっきり収まるような気がする。

【能への関心】
 以前から「能」を観る機会はあったが、特に意識して観るようになったのは、銀河の里がスタートし、グループホームで認知症方々の世界に触れるようになってからである。時空を縦横無尽に行き来する人、鬼を出したり、異界の住人とやりとりする人など、ある種、幽玄の世界が日々展開されるのを目の当たりにしながら、一般世間では触れ得ない不思議な世界の魅力に引き込まれていった。
 認知症の世界は、世間的な常識からみれば、異常で、変で、困った行動と見なされがちだが、そこには本来人間が持っていた、そして現代人が遠い彼方に捨て去って久しい、奥深い精神世界の地平を見せてくれているように思えた。そしてその感覚は、どこか能を観る感じととても似ていた。
 そう意識して能を観ると、複式夢幻能で構成されるシテの現れ方や、ワキの役割、橋がかりと鏡の間、能舞台などが、グループホームのありようや、スタッフの役割などともあまりにぴったりと合致しているのが不思議だった。さらに能の演目によっては、グループホームで起こってくることと同じような物語が展開し、能に描かれる異界の住人がそのままグループホームで活躍しているような感覚にさせられることもある。
 Eさんの事例はそういう意味でとても印象的なケースだった。グループホーム開設当初の入居者だったEさんは、「皆さんにご迷惑をかけるようなことは一切致しませんから、心配ご無用!」と侍のような潔い口上で語り、スタッフを横目に「ツン」とすまし、背筋を伸ばしていつもソファに座っている方だった。ある時、回想法の先生からグループホームの皆さんに「お茶とお菓子も用意してありますので、どうぞいらして下さい。」と「招待状」が渡された。Eさんはそれを見て険しい表情に一変し「こんなうまい話があるわけがない。騙されないように、私が行って話をつけてきます。」と、勇ましく乗り込んでいったこともあった。そうやって現実で頑張っていたEさんだったが、そのころのEさんは、胃潰瘍で何度も吐血を繰り返し、洗面器いっぱいの血を吐いて救急車で運ばれることが毎月のようにあった。
 ところが、ある頃から「これがあれば大丈夫!」と、ティッシュの箱を棒にくくりつけ、魔よけのように持ち歩くようになった。それからしばらくした深夜、満月の夜だった。Eさんはグループホームの外に出て山に向かい、赤土の土手をよじ登り始めた。夜勤者からの連絡で駆けつけ、「Eさん!」とよぶ私を振り向き、「見たなぁー」と声をはりあげた。満月に照らされた鬼の形相はEさんとは別の誰かのようだった。怖くてふるえが止まらず立ちつくしていると、ふっと力が抜けて「寒い」とうずくまるEさん・・・その時に肩を抱いて、やっと土手から降ろすことができた・・・。Eさんの世界に「異界」が表出したころから、なぜか吐血はぴたりとなくなった。そしてそれから約2年間、Eさんは異界の住人としての様々な活躍を見せるのだが、満月の夜の登場はまさに異界のデビューであった。
 当初、吐血を繰り返し、現実にしがみつくかのようなEさんと、満月の夜、突如鬼として登場して以降のEさんはまさに複式夢幻の前シテ後シテとして符合する。そして後シテこそその後グループホームで我々が出会った本体としてのEさんではなかったか。一方ワキとしてスタッフはEさんの本体とつきあうべく注目し続けた。立ち上げ初期にEさんに鍛えられ学んだものは多大なものがある。 この事例に限らず、能の構成のなかにグループホームのありようを発見することが多く、特にワキの役割とスタッフのありようには決定的なヒントがあると感じるようになった。

【「神話的時間」について】
 能舞台には、「橋掛かり」という鏡の間と舞台をつなぐ渡り廊下があり、生者であるワキが歩く時は、そこは登場のための装置だが、異界の住人であるシテが渡るときには、あの世とこの世とを繋ぐ通路になるという。
 私達は「人の時」を生きて、過去から現在そして未来という順行する相対的な時間にいるが、シテは「死者の時」を漂い、現在から過去へ過去へと遡行する時間にいる。通常は、位相の違うこの二つの時間が交差することはない。しかし、この位相の違う二者が出会うことを主題としているのが「夢幻能」であり、異界の住人であるシテを出現させるのがワキの存在であり役割だというところに意味深さを感じる。
 「夢幻能」では、前段でワキもシテも「現在」にいたはずなのに、後段ではワキの「夢」の中で時間に歪みが生じ、囃子と地謡が加わり、シテとワキの主語が曖昧になり、時の融合がおこる。この出会いの時を安田氏は、全く新しい時間「神話的時間」が出現とするという。出会いによって出現した「神話的時間」には、新たな生を生き直すエネルギーが満ちているという。
 また安田氏は、日本人の伝統は、形ではなく、むしろその精神性、象徴を伝え、形はどんどん変えていって、その芯に残る精神性のみを確かに継承していく。日本人の伝統は、能のような形のないものを受け継いでいく力に優れているという。
 現代では「異界」というと「怪談やホラー」になってしまい、極端に露出させた刺激で恐怖を煽りグロテスクにさえなってしまうが、夢幻能における幽霊や精霊は、面を着けて喜怒哀楽を極力抑え、動きにも抑制をきかせ、舞台演出は囃子と地謡と簡単な作り物だけで緊張感を作りだしている。エンターテイメント性をことごとく廃し、内面にのみに向かおうとする精神性と、象徴性に特化した表現によって、異界の住人がリアルに神々しく立ち現れるのではなかろうか。見る側にイメージがなければ、全く分からない見えない隠された世界でもある。隠されているがゆえに、観るたびに発見がある、能は何度も観たくなり、はまっていく。見る度に新たな発見の中で、感動とともに悟りにも似た心境にさせられ、まさに魂が潤うような豊かな「神話的な時間」をもたらす。こうした能の表現と構成には感 嘆させられる。こうした表現を日本の文化が育んだという事実に日本人として誇りを感じる。銀河の里は、こうした日本人の伝統的感覚を大事にしながら、現場に活かしていく方途を模索していきたいと考えている。

【夢幻能におけるシテとワキの関係】
 ここで注目したいのは、ワキの存在である。ワキがいなければ「夢幻能」は成り立たない。安田氏によると、ワキの役割は二つあるという。ひとつは見えないものを観客に「分からせる」ことであり、もう一つは、主役であるシテの恨みや情念を語らせ引きだし、それらを昇華・成仏へ導くという。
 ワキはシテの怨念・情念・無念さが大きく激しければ激しいほど、ただぽつねんとワキ柱のそばに座っているだけのようである。ここが重要なところである。ワキは基本的には無力な存在であり、その無力さを身に沁みて知っているものでなくてはならないのだという。ワキは修行中の僧であったり、旅人であったりする。シテはそのような無力さを身に沁みて知っている者を選び、その者に自らの本質を顕す。
 シテから選ばれなければワキにはなれない。誰もが選ばれる訳ではない。同時にワキは、現実を生き抜くためにシテと出会う必要がある。あの世を体感させてもらうことで、この世の生を新たに生き続けようとする境界性を持った存在でもある。このようなシテとワキの相互の関係は、現場の利用者とスタッフの関係性と照らしあわせていくととても興味深い。
 安田氏は、著書の中でピエロ・フェルッチの言葉として「場」とは何事かは起き得るけれど、何事かは起き得ないところだと引用している。その例として、パワースポットや聖地巡礼に出かけたからといって「異界」に触れることはないし、お正月やお盆を迎えたからといって自動的に先祖の霊にご対面できるわけではない。なぜなら「場」とは「関係性」だから、関係性が生じていないところには何も起こらないのだという。
 まさに現場のユニットやグループホームにそうした場の器が形成されるかどうかが重要で、その場を作るために配慮をし、エネルギーを使ってきたことを考えると、能の舞台とグループホームやユニットの舞台が相当な類似性をもっていることが感じ取れる。

【物語を紡ぐ関係性】
 介護現場はともすると「お世話する・される」の関係だけに固定化され、ルーチンワークの中で管理が蔓延化し、制度疲労やコミュニケーションに疲弊が生じてくる。介護現場の職員の大半が大きなストレスを抱え疲れ果てているというアンケートの結果がある。介護作業に終始することで、むしろ空いた時間ができるので職員同士の世間話になり、そこからイジメや足の引っ張りのような日本的な集団意識がうごめく。そうするとその対応にエネルギーの大半が費やされるといった非生産的な悪循環に陥ってしまいやすい。そのような状況に、新たな息吹を吹き込むためには、ハレ(晴れる・祓う)としての非日常、夢幻能でいう「神話的時間」は有効な活力をもたらす。
 ただ、どこの施設でも「祭り」や「行事」を頻繁に行っているのであるが、それらはイベントとして、形骸化したやらされ事としての「祭り」や行事に過ぎず、下手をすればただの騒がしいエンターテイメントになり、神事にはほど遠くなる。多くの施設が、オバタリアントークと、とってつけたようなメディカルトークに終始してはいないだろうか。人生の最終章にあって、死やあの世との親和性の深い利用者と、近しいところで語りを聴く位置にある介護職は、神話的時間の体験を通じて、多少深めのサイコロジカルトーク、スピリチュアルトークを専門性を基盤に語り合えるようでなくては、せっかくの現場の宝が、埋もれてしまい、ネコに小判になってはもったいない。この通信の紙面でも毎月語られているように、介護現場は日常的に時空を超えた感動の出会いが起こる舞台であると思う。  私達スタッフは、身に沁みて「無力」を実感し、謙虚に自己を見つめ、シテとして存在する高齢者の人生最終章に寄り添うワキでありたいと思う。
 「銀河の里」の生命線は、シテ(利用者)に選ばれたワキ(介護者)によって紡がれる「物語」が立ち上がってくるかどうかにある。それは我々の現場において安田氏が言う、何事かが起こる「場」(関係性)の成立が問われると同時に、そこにシテとしての利用者の言語や行動が意味あるものとして命を吹き込まれるかどうかにかかっていると思う。

【まとめとして】
 日本の中世という、この世を無常と捉える禅思想の揺籃を通じて、世阿弥という希有の天才の出現は、死者や亡霊達、異界の住人との絆と交流の物語形態を「能」として見事に完成させた。幸い能はその600年の伝統を引き継いで現代の我々も触れることができる。  
 科学主義一辺倒の現代において、現代人は便利で快適な生活を手には入れたものの、死者や異界の住人達が社会や生活からは遠く排除され、そうしたもの達との絆や、交流の儀式や礼儀もなくし、薄っぺらい物語を汲々として生きるしかない現状にある。我々現代人は相当単純で幼稚な精神性を生きるしかない時代に投げ込まれているのではないだろうか。
 老いや病い、死、障がいは中世の人々にとっては超越の次元の事柄だっただろう。近代以降、医学が多大な成果をあげ、我々は大いに安心を得たのではあるが、完全な克服はされてはいない。人間はどこまでも死にゆく存在であり、悲しみをまとった存在である。現代はそうした命の現実に立ち戻って考える必要性を持っている。そうでないと未来の地平は開かれないのではないか。
 我々が現場で出会う認知症高齢者はそうした課題を端的に投げかけてくれる。それを読み取り、物語り、癒しへとつないでいくありようを模索していきたい。

〈引用・参考文献〉
1)『異界を旅する能  ワキという存在』 安田登(能楽師)著  ちくま文庫
2)『能ナビ 誰も教えてくれなかった能の見方』 渡辺保 著  マガジンハウス
3)『夢幻能』田代慶一郎 著  朝日選書
 
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「銀河の里」の研修に参加して ★特別養護老人ホーム 村上ほなみ【2011年10月号】

 10月1日・2日、久しぶりに研修で東京に出かけた。今回の研修は、能の鑑賞が主な内容で組まれており、国立能楽堂で生まれて初めての体験として能を観た。ちょうど、9月の銀河セミナーで能が取り上げられ、能のワキの役割が介護者として言葉を受け取る現場のありようとものすごく近いとの講義を受けたばかりだった。そのセミナーで映像資料として鑑賞した、能の演目『井筒』が上演されるとあって、特養から3人の中堅スタッフが研修として出かけた。曲目は狂言を挟んで『井筒』『野守』だったが、私は、能を理解して楽むには遠く及ばず、大半うとうとしながら、能楽堂の落ち着いたたたずまいや能舞台の神秘的な雰囲気を感じつつ、日本の古典芸能の歴史や深さをおぼろげに体感したに過ぎなかった。

 セミナーで鑑賞したDVD『井筒』は、やはり実際の舞台で観ると迫力も臨場感もあるのだが、その象徴性の深さにどこかついて行けず、物語としては淡々としすぎていて大半を夢見心地で眠って過ごした。「ちょっと寝た方が入ってくるかも」との理事長の言葉に甘えて今回はよしとしてもらおう。
 『野守』は春日山に広がる春日野が舞台になっているというので、その原っぱをイメージしながら観ようとしてみたが、中世の馴染み薄い風景だったからか、なかなか野守のイメージは立ち上がってこなかった。だが、春日野の池を鏡にしてしまう能の演出には神秘を感じた。 昔の人は鏡を宝物として考えていたという話を聞いたことがあるが、それはなぜだろう。『野守』でも鬼神が持つ鏡は、人間界から地獄までを映すものだった。なんだか、そういう神秘的な物を扱う鬼神は、やっぱり人間界とはまた違ったところにいる存在なのだが、野守の鬼神には怖さはなく、守り神として、親近感さえ抱かせた。それは、銀河の里の現場で、毎日、心に響いたり、突き刺さりそうな言葉を日々、いろんな人から頂くからだろうか。利用者さんと向き合うことは、鏡で自分を映すような感覚があるからだろうか。介護現場は自分も利用者さんも含めて、人間の感情が渦巻き、人生で背負った重さにへたりそうになったり、負った傷がうずくことがある。優しいばかりではとても勤まるものではない。多くの鬼に出会うし、自分の中の鬼神を照らし出されることも多々ある。
 古今和歌集の「春日野の飛火の野守出でて見よ今いく日ありて若菜摘みてむ」という和歌にも野守が出てくる。「野守よ、今から何日で若菜を摘むことができるのかを出て見なさい」というような意味だろうが、野守に問いかけ、若菜摘みへの思いを詠まれているこの和歌に、野のことは野守に聞けばわかるという感じが、これもまた、日本人の昔から受け継がれる神秘的な考えというか・・・。

 今回は、能を観ながら、セミナーで教えられたような、銀河の里と能との繋がりを思考する余裕はなかった。台詞は何を言っているのかチンプンカンプンで、ゆっくりなテンポなのですごく眠くなる。それでも、セミナーでもらった資料の「里で起こっていることと近い」「あの世を垣間見せてくれる、残痕の思いを共感させてくれる」の文章が思い起こされた。現場では、利用者さんの何か強い思いによって、こちらの気持ちをも突き動かすような出来事が日々繰り広げられている。今はまだ幽玄な出来事として自分の中ではどうも膨らませられないでいるが、現場で自分が利用者さんをシテとして成り立たしめ、ワキとして、何もできないところにいながらも、大切な役目となる感覚。そんな出会い方ができたとき、自分の中でも何かが育ち変わっていくのだろうと期待をしている。
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花巻まつり!! ★ワークステージ 村上幸太郎【2011年10月号】

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★9月9月〜11日に開催された花巻祭りで、銀河の里は屋台を出店しました!ワークステージのワーカーも元気に販売の手伝いを行ってくれました。
毎年出店している効果か銀河の里の餃子、焼売が認知されてきたようで、買いに求めるお客様がおりました。もっとファンが増えると嬉しいですね
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今月の書「添」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2011年10月号】

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少しずつ少しずつ
寄せては返し
近づいていく
心と心

あなたを知る
私を伝える

そのために必要なこと

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