2011年09月15日

花火 ★佐藤万里栄【2011年9月号】

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今月の書「在」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2011年9月号】

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形にすることが全てじゃない

見えなくてもそこにある

人を支え
人を動かす

その思い

心から強く思えば何かが動く



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夏祭りで大忙しのワーク ★ワークステージ 村上幸太郎【2011年9月号】

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★8月7日に銀河の里で開催された夏祭りでは、ワークステージのワーカーは大忙し!ギョウザ・シューマイの調理の他、カレーの盛り付け、かき氷、うどんなどの販売に一生懸命でした!
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新人研修に参加して ★グループホーム第1 中村綾乃【2011年9月号】

 8月27日、28日の一泊二日で新人研修ということで東京に出かけた。2日目に、国立能楽堂で能・狂言を鑑賞したのが特に印象深く、自分にとって貴重な経験となったのでその感想を書いてみたい。

 能は台詞のリズム・強弱が独特で、その内容を細かく聞き取ることは難しかった。予め内容の要約を押さえてはいたが、今、どう展開しているのか場面を把握するのも精一杯の鑑賞で、あれこれ考えながら、とにかく頭を使わされた。一般的な演劇を見るのとは違って、物語の内容そのものを楽しむというよりは、能舞台の雰囲気を味わったという印象だった。鼓のリズムやかけ声はどこか聞き覚えのあるような懐かしいような心地良さを感じた。歌舞伎や盆踊りなどに共通したものもあるのではないかと感じた。役者が足を踏みならすのも、神楽や相撲の四股にも通じるように感じた。一番の見せ所は何と言っても舞で、鼓の音・かけ声の全てが一つに絡まり合って迫力があり、もっと見ていたいと思わせられた。
 一方、狂言は台詞自体が聞き取りやすく、演劇物語の内容そのものを楽しむことができた。 狂言も能と似た喋り方と独特のリズム感があったが、能の堅苦しさの様な雰囲気はなく、言葉の軽快なやりとりや舞台いっぱいを駆け回る立ち回りは能とは違ったわかりやすさがあった。
 後で考えると、内容を理解し楽しむことができた狂言よりも、ストーリーを明確に把握できずに雰囲気の方を味わった能の方が不思議と印象深く残った。


 能を鑑賞しながら、グループホームの現場でのこの半年のことや、特に私が担当になっている利用者のアヤ子(仮名)さんのことを思い出した。アヤ子さんは、言語でのコミュニケーションはとれない方なのだが、表情やまなざしなどでメッセージをたくさん出してくれている。その内容が言語的にはっきりしないので、私はどのように付き合っていけば良いのか悩んでいるところだった。
 言葉での明白なやりとりや、明快な答えを求めてしまう私は、アヤ子さんと言葉のやりとりの難しさから、理解ができず、気持ちも繋がらないと思いこみ、正直「はっきりしてよ」と苛立ちを覚えることも何度かあった。そんなすっきりしないアヤ子さんとの関係を抱えてずっと悔しい思いをしていた。その度に「言葉だけではない何かを感じ取らなければアヤ子さんは理解できない」と先輩スタッフからアドバイスされるが、それが何なのか、どう感じればいいのか、全くわからないまま、かえって難しく考えてしまい、苦手意識が増大していた。
 しかし今回の能を鑑賞しながら、ストーリーも台詞も明確にはわからないにもかかわらず、雰囲気や感覚は充分伝わってきて楽しんでいる自分に驚いた。ストーリーや台詞を超えて、舞や鼓の音、かけ声、笛の音、囃子方の謡いなど、言語以外の所で心は動かされ、引きつけられ、感じさせられた。「言葉ではないなにかを感じ取らなければ理解できない」と言われてきたことがスッと入ってきた。
 言葉でアヤ子さんの気持ちを正確に理解しようなどと躍起になるのではなく、言葉でのやりとりが難しい分、アヤ子さんのこれまでの生活だとか行動をもう一度振り返り、理解を深めながら、私の感性や主観をフルに動員して、アヤ子さんの気持ちや雰囲気を感じ、やりとりの展開を見守っていくことが大事なんだろう。そしてその気持ちや雰囲気を他のスタッフに、どのように伝えていくかが私の課題だと思う。

 新卒の新人職員としてグループホームに入って半年が経ち、仕事にも何となく慣れてき始めた所である。今回、新人研修で能を見たことで、人から教えられるだけではなく色々な経験を通して自ら気付き発見していくことがアヤ子さん達と出会っていくためには大切だと感じた。能は初めての鑑賞だったこともあって新鮮だった。こういう形で日本の伝統芸能に触れることができたことは嬉しかった。これからもおりにつけ触れてみたい世界だ。仕事を始めて半年というこの節目での新人研修の能舞台は、次のステップに進むための、なにか大切な扉を開いてくれたように思う。
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何が銀河の里なのか その1 ★理事長 宮澤健【2011年9月号】

<深みのあるケアへの挑戦>
 地域の高齢者福祉の関係者では、銀河の里は認知症専門の施設という認識が定着しつつある。開設まもなくの時期から、銀河の里では、荒れていた認知症の高齢者が落ち着くという話しがケアマネージャーの間で噂されることがあった。銀河の里には対応が難しいケースが紹介される傾向があり、特養ができても身体的介護より、認知症の困難事例が相談されるケースも比較的多い。難しいケースは銀河さんという空気に、「引き受けますよ」という気概のようなものがあり、こうした挑戦の姿勢はこの10年、他施設にひけを取ることはなかったと自負している。また実際にケースに関わると、難しいとされたり、他施設で敬遠されるケースほど、奥が深く、興味深い関わりが生み出され感動の展開になることが多い。 こうした10年の歴史を経て、現場で認知症ケアの経験も積み、特養も実質認知症対応になっているのだが、県内の認知症介護の業界では異端児的存在で、こちらとしてもどこか違和感があり距離を感じる。
 一方、現場の認知症ケアの研究の先端にあって、全国の指導的立場にもある東京センターのN先生などは、個人的にマスコミなどの「日本で認知症ケアの先進事例はどこか」という問い合わせに、「ぬきんでて銀河の里」と紹介していただくことがあるので、地域では異端児でも、全国的にはそれなりの評価をいただいているものと思う。ただ、良いケアをやっていると有名になっても、わずか数年で堕落して、ひどい施設になっていく例もよくあるので、常に挑戦の姿勢でありたい。

<異端児としての誇り>
 異端児的な存在で、独自の取り組みをしているようなのだが、これまではその内容を説明する努力をあまりしてこなかった。説明するとつまらない話しになるし、文章も品や艶とはかけ離れ、苦しい感じになるので、「そんなつまらないことやらないんだ」と言う空気もある。しかし、日々現場で頑張っている若いスタッフのためにも、世間や他者に対して理解を得る意味でも、自らの独自性を見つめる上でも、そろそろ説明をこころみてもいいように思う。
 銀河の里が開設される前年、「生きる心理療法」という本が出版された。銀河の里の理念や実践はこの本から、大きな影響を受けた。著者の皆藤章先生は「心理療法とは何か」と問うのではなく、「何が心理療法なのか」と問うべきだと主張されている。固定的な概念を押しつけるのではなく、あくまで「生きる」ということを基盤に「何が心理療法なのか」と問い続ける姿勢が大事なのだと理解してきた。
 皆藤先生に倣って、「銀河の里とは」ではなく「なにが銀河の里なのか」と問うべきだと思う。「銀河の里は介護施設でしょ。いや高齢者だけでなく障がい者就労支援もあるから複合福祉施設じゃない。でも農業もやってるよ。米もリンゴも作っているのはなぜ?」外からみれば訳がわからなくなるのではないか。そうしたとらえどころのなさが銀河の里そのものだから、確かにわかりにくい。

<わかりにくさ>
 特養ができて立ち上げから2年の内に約90名の職員スタッフが退職している。介護施設の定着率は一般に低いが、この数字はあまりに過激だ。では、そんなにスタッフが辞めてしまって、現場は混乱したり仕事の質を落としているかというと、全く逆で、今年に入って、急激に雰囲気もよくなり、仕事もかなりいいところをねらえる良いチームに育ちつつある。
 それでは、辞めた90人が未熟で、今年のスタッフはベテランかと言うと、それも全く逆で、開設当初は他の介護施設経験者や介護福祉士が多く、銀河の里育ちのスタッフが現場にほとんどいなかった。その2年間は銀河の里らしい社内風土が維持できず、言わば世間の風が吹き荒れた日々で、とても苦しかった。資格もあり経験の長い介護士の多くが勤まらない現場だということも、銀河の里が他の介護施設と違うところである。
 特養の今の良い雰囲気は、銀河の里育ちのスタッフと、新卒や介護職未経験のスタッフで作られたチームになったことが大きな要因だ。介護を作業としてこなすタイプの人が去り、経験は少なく技術は未熟でも、人に対する関心や興味を豊かに持っていて、利用者と一緒に生きるタイプのスタッフでチームが組めるようになったことにある。 そのために90人が去り、今のメンバーが選ばれたとも言えるだろう。辞めた人たちの中には、「銀河の里はひどいところだ」と噂をしている人もあると聞く。確かに本人がそう思うのだからそれでしかたないが、私としては、その人達に「個人として利用者に対しどうだったのか」と問いたい。

<人と人生に向きあう>
 今月号に花火大会の記事を書いているほなみさんは、特養開設時に高校新卒スタッフとして加わったのだが、施設実習を通じて、他の施設では働きたくないと強く銀河の里を希望して、実家の近くに就職を勧める親の反対を振り切って里にきてくれた人だ。おばあちゃん達が好きという感じが今月の文章にもよく表れている。自分の特質がいかせる施設は、銀河の里以外にはないと、高校生の彼女にその直感があったのだと思う。開設2年間の特養はおばさん旋風が吹き荒れ、彼女には身動きとれないほど圧力がかかった。今やっと彼女らしさが全開で発揮できるようになったところだと思う。

 昨年の春、自称「無免許運転で介護現場に飛び込んだ」酒井さんは、営業マンから35歳での転職だった。昨年の9月号に記事を書いてくれたように、銀河の里で半年勤務したあたりで他の施設に実習に行って、初日でまいってしまい、2日目の実習は勘弁してほしい と訴えたほど、銀河の里と真逆の所だとの実感がある。「人間は最後まで人間なんだ」と彼の純粋な魂は怒りに燃えた。
 二人に代表されるように、介護作業員ではないスタッフが集まってチームが作れるようになって、やっと銀河の里らしい雰囲気が出始めてきている。では銀河の里が他の施設と具体的には、何が違うのだろう。
 昨年から、厚労省の介護プログラムで、銀河の里に所属しながら、介護福祉士の資格取得コースに学んでいる千枝さんは、現場の実習を通じて、その違いを昨年から通信に書いてくれている。それによると、他施設では、職員と利用者の間に見えない壁のような重い扉がしまっていて、その扉には厳重な鍵がかかっているという。銀河の里にはそうした扉はないというのが彼の見解だ。
 鍵を捜してその重い扉を開けたいと言う千枝さん。その使命感を応援したいが、私からすれば、「なんでそんな扉できちゃったの」と不思議に思う。しかし利用者からすればたまったものではないだろう。

<違和感と失望>
 開設10年を経た銀河の里が、地域で認知症専門施設という認識と評価をいただけるのは大変ありがたい。一方、岩手県には25人ばかりの認知症介護指導者と言う資格を持った人がいるらしく、その資格者がいるところが地域の認知症介護の指導施設と言うことになっている。認知症ケア関係者はそういう施設や指導員から研修を受けるしくみになっていて、我々スタッフも参加するのだが、失望したり、あきれたり、怒って帰ってくることが多い。
 せっかく研修のために現場をあけて参加しても、がっくりさせられる現状である。例の鍵のかかった重い見えない扉があると千枝さんが感じた施設は、その指導施設のひとつである。
 次回から、実際、里のスタッフがこうした研修のどういう所に失望や違和感を感じるのかを検討をすることで、銀河の里の独自性を考えてみたい。
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今月の一句「じゃがいも」 ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2011年9月号】

・どこにある? 掘ってみつける 宝物 山盛り積んで うれしい笑顔


・種植えて 育てて掘って 料理して  みんなで生きる 私もここで

 
 デイサービスやグループホームも一緒に、ワークステージの皆と、春に植えたジャガイモ掘りに出かけた。畑に向かう途中で産直に寄り、スイカ割りのイベント用スイカを買った。お店の人が試食のスイカを食べさせてくれた。駐車場の車内で待っていた皆んなにも配る。フクさん(仮名)は喋らないが、いつもうなり声で「うまい〜」と表現してくれる。芋掘り前に、すでに休憩をしてしまった罰悪さもあるが、本番前にスイカで水分を補給したことにして、いざ畑へ。
 畑に着くと、草がたくさん生えているところと、草刈りされているところがあった。どこにイモがあるのだろうと思いながら、私はクミさん(仮名)とスコップをもって土を掘る。クミさんが掘ったところからは、じゃがいもがゴロゴロ出てきたが、私が掘ったところからは何も出ず。クミさんが「おれの掘ったとこさは、出てくるのよ」と楽しそうに土を掘り、じゃがいもを拾う。
 草取り名人の歩さん(仮名)は、はじめイモを拾っていたが、草が気になり草取りをはじめる。歩さんが草取りしたところは草が全くなくなった。フクさんは椅子に座り、監督のようにみんなが作業するのを見ていた。五郎さん(仮名)は、掘ったじゃがいもをワークステージの人と運んでくれた。力仕事はまかせろという感じで頼もしい。みんなそれぞれの関わり方でイモ掘りを楽しんだ。
 掘ったじゃがいもを持ち帰ると、グループホームでは、ミキさん(仮名)が待っていてくれて、「ごくろうさまでしたね。早く(お昼)食べて。」と声をかけてくれる。じゃがいもを見せると「立派ですね」とキラキラ顔。ミキさんは、春にはみんなで灰まみれになりながら種イモにアクをつけた一人だ。クミさんは春に種芋をきれいに並べたことや、イモを植えた時に、雨が降ってきたが、作業をやめる ことなく植えたことなどを思い出していた。
 春の植え付け作業をみんなでやって、夏の収穫もみんな でやれた。そして、今年もジャガイモが食べられる。“買ってきた芋じゃなく”というところが銀河の里のいいところ。
 みんなで生きているって感じがする。
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ことば ★デイサービス 千枝悠久【2011年9月号】

 介護雇用プログラムを利用して、銀河の里のデイサービスに所属しながら、介護福祉士資格取得のための専門学校に通って1年。夏休み前に、市内の特別養護老人ホームで再び約1ヶ月間の介護実習をした。初めての特別養護老人ホームでの実習だったことから、なにかをしよう、なにかしなければと必死になっていた。利用者さんの言葉にならない言葉を聴き取ろうとし、なんとか言葉にしようとし、そしてそれができなかった。言葉を使って伝えることも、伝えられることもできなかった。何が本当で、何を信じたらよいかがわからなくなり、「言葉」というものが信じられなくなり、「言葉」を発するのも嫌になってしまっていた。
 実習後、面談で理事長にそんな話しをすると、竹内敏晴の著作を紹介してくれた。演出家で「からだとことばのレッスン」というワークショップを主催していた竹内は、言葉について悩んでいた私が、まさに必要としていた「ことば」(「言葉」ではなく「ことば」)というものについて考えさせてくれた。
 私は、言葉を、それが意味を成すための音の並び方や文字の並び方にばかりこだわって捉えていたように思う。意味を成すからこそ言葉である、意味を成さなければ言葉ではない、そのように考えてしまっていた。竹内は著作のなかで、他者を一定の距離より自分に近づけないために言葉が使われているという考え方や、「花」という言葉は、それぞれの花が持っている特徴をほとんど表してはいないということなどを書いていて、興味深かった。
 夏休み前に読んだ『癒える力』では、ただ背中に手を当てるだけで癒されるという「手当て」の話があり「言葉」を越えたものの存在を感じさせる。
 そして夏休みに入って、里のデイサービス勤務になり、そこで利用者エツさん(仮名)と私は出会った。エツさんは里に来ると、いつも外へ散歩に行く。「チョット、行ってみよう。」手をつないで一緒にいろんなところに行く。エツさんは、腰の高さ以上もある柵を、足を上げて越えようとしたり、両手を使って飛び越えようとしたり、小石を見つければ蹴飛ばしてみたり、とにかくアクティブだ。一緒に歩くと必ず何かが起こって、楽しい。けれども、その散歩中に会話らしい会話は無い。エツ さんは耳が聞こえないし、筆談でもこちらの言葉は入らないようで、言葉のやりとりは成り立たない。ところが、同じところで笑ったり、悲しい顔をしたり、指を指してみたり、驚いたり、そういったことで、伝えたり、伝わったりは充分できるのだ。
 お昼の食事も私とエツさんの間には、言葉は無い。ご飯を食べながら、時々顔を見合わせて、笑いあう。そうして時間がゆっくりと流れていく。そのうちにエツさんは自分の魚をほぐして私のご飯の上にのっけてくれる。「こうして食べるといい」というようなことが私に伝わる。私は嬉しくなって笑うと、エツさんも笑ってくれて、一緒に笑いあう。 お風呂ではエツさん.はなかなか服を脱ぎたがらなかった。やっと服を脱いで浴室に行ってからも、なにか身につけるものを探しているようで、浴室内を歩き回っていた。「それがイイナ。」と、私のTシャツを指して言う。伝えられた言葉に応えたいという一心で、私はTシャツを脱いだ。すると、何かが伝わったようで、濡れたタオルを持って「これで擦ればいい?」と言って、私の背中を擦ってくれた。その後、自分の体を擦り、お風呂の中で楽しそうに泳ぐエツさんだった。学校の実習では、こんなやりとりはまず間違いなくできない。里だからこそできた自分の行動だったと思う。そしてそれは伝わって、繋がれたように感じる。
 そのうち、気がつくと私は、エツさんに「言葉」で話し掛けるようになっていた。聞こえてはいないはず、それでも、何かはきっと伝わっているはず、そう感じて、自然と話し掛けていた。言葉の有無は、全く関係無くなった。「アレ。」と指さすだけで「コレのことだ。」と確信できるくらいお互い伝わるようになってきた。「言葉」を信じられなくなっていた私が、言葉を越えた「ことば」を感じ信じられるようになっていったように思う。
 この夏休みのデイサービスでの経験は私にとって、信じられなくなっていたものを信じられるようになるための大切な時間だったように思う。言葉は確かに、人に何かを伝えたり、伝えられたりする際には必要なものかもしれない。けれども、言葉を越えたところに「ことば」があり、それこそが必要とされることがある。そのことを体験した夏休みだった。夏休みが明けるとまた実習がある。実習では、言葉にすることが難しいことも、言葉にすることが求められる。まだまだ言葉にすることは上手くできないけれども、それでも努力して言葉にしてみたいと思う。
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ノスタルジア こころが帰っていく場所 ★特別養護老人ホーム 前川紗智子【2011年9月号】

 どうして人は、記憶し懐かしむんだろう。
 季節の節目などに、ふっと包まれる空気の匂いとともに、幼いころに聞いた歌や、子どもの頃、遊んでいた時の記憶がよみがえったり、ふとした瞬間に、思いもよらないところから、昔の自分に引き戻されたりする。それがずっと浸っていたくなるくらい心地よい記憶もあれば、苦い記憶だったりもする。どこか私は、そうやって昔に行ったり戻ったりしながら、今の位置を確認しつつ、生きている。


 3月11日の震災以降、生まれ育った実家が流されたこともあってか、そうした記憶への行ったり来たりが、私の中で特に甚だしくなった。

 波がさらっていった跡は、こんなにちっぽけな狭いところだったんだろうか…と唖然としてしまう程だった。あれもあったはず、これもあったはず、そういった記憶を全部詰め込んで、並べ直そうとすると、こんな空間には到底収まりきらないんじゃないだろうか?…でももちろんそんなはずはなくて、みんなちゃんとそこにあったはずなのだ。
 あって当たり前で、気に留めることもなかったものが、震災で失われたことで意識され、いたるところの記憶のふたが壊れたように、いろんなものがあふれ出してきて私の中で荒れ狂った。


 震災後半年、今、故郷の風景が消え去った後には、草が生い茂り、いろんなものがそこに存在していたことを知っているはずなのに、一瞬、はじめからこんな場所だったような気がしてしまう。それが自然なことと思うと同時に、ものすごく悔しくも思う。ここではない場所や、今ではない時間に、行ってしまいたい…、ここに居ながらここに居ない様な、そんな時空の裂け目に転落した感覚にしばしば陥る。

 懐かしみたい気持ちと忘れたくない気持ち、毎日の生活をただ慎ましやかに営む上ではとるにたらないようなそんな記憶への思いが、寝食さえ惜しまれるくらいに人を襲ってくるのは、一体何なんだろう。

 こんなノスタルジックモードの私が、なんとかこの時期を乗り越えられたのは、特養ホーム入居者の康子さん(仮名)との出会いが大きかった。康子さんは、私の母の実家と同じ地域の出身で、しかも、私の父方の大伯父のところへ嫁ぐ話もあったという、妙に縁のある方だ。
 花巻に移り住んでもう50年以上にもなるのに、康子さんは、かわらず故郷の訛りのままだ。初めて会って話した時、私の懐かしさは半端ではなかった。康子さんも「おねぇちゃんの言葉聞けば、懐かしい」と言って涙ぐむのだが、私も泣きたくなるくらい懐かしかった。
 「ここの山をみれば、昔を思い出す」と言っては、小さい頃の話を細かくしてくれる。康子さんの語る幼いころの話は、どれも、びっくりさせられたり感心したり、面白おかしかったりする。幼いころに、どんな風に育てられたか、おばあさんに言われた言葉が、康子さんの中で生き生きと残っている。
 きっと康子さんの思い浮かべている風景は、もう今は無いのだけれど、「おねぇちゃんにこれ話すために昨日夢にみだったんだね…」などと語ってくれる。康子さんの夢の風景はみずみずしく、生き生きとそこに感じられる。私は康子さんの夢の風景の中で安心した心地になり「今の私は、故郷の景色が目の前から無くなってしまって、ただびっくりしているだけだ。私の記憶の中にはしっかり残っているし、それを大事に思ってかみしめていれば、必ずまた蘇ってくる。」そう思えるようになった。

 康子さんが「(故郷に)帰ったらお母さんに聞いてみて。きっと、あぁあのきかねぇ人なっていわれる(笑)」というので、帰省した際に両親と母の実家を訪ね、祖母に康子さんのこと話した。すると話がいろいろ膨らんで、私の祖母、祖父も小さい時の話をしてくれ、それが大いに面白かった。夏のこの暑さで、祖母は体調を崩していたけど、康子さんの存在があって心配一色にならず、お互いに良い時間を過ごすことができた。
 帰り際、「さちこさんが来るづがら、これ、用意してだった」と祖母が、手のひらくらいの大きさのハンカチの包みを私によこした。訝しがる私に祖母は、ゆっくりした口調で、「あのね、これは、ずっとさちこさんのお母さんに返そうと思って、取っておいだものだったんだけど、サトエ(私の母)にやるより、さちこさんにやったほうがいいがど思って…」と話し始めた。なんと、それは、私の母が若い頃、就職して初めてお給料をいただいた際に、「少しだけど」と渡したお金らしい。封筒に入っているらしいそれをさらに丁寧にハンカチで、お弁当を包むみたいにぎっちり結んであった。

 その母も、昨年定年を迎えている。その歳月分の大切ななにかが一杯詰まったその包みを、母や、父、祖父、叔母が見守る中、私が祖母から受け取った。母は、「わぁ〜本当に少しだと思う」と笑っていたけど、それは照れ隠しで、本当はすごくうれしかったに違いない。母の代わりに私が泣いた。
 祖母は、その包みを渡しながら、懐かしそうにこんな話をしてくれた。「私が小さかったときね、私のおひっこさんは、お祭りに、3銭や5銭をくれた。そして、『タミコな、お金は、ぬくめでおけば、こっこなすがらな』って、そう言ったったの。」私が真剣に聞いていると、そう言われたことを信じて、大事に取っておいたら、お兄さんがいつのまにか使ってしまった話を挟んで笑わせた。そして「物を大事にできない人は、人も大事にできないからね」と、いつもの台詞を言った。
 祖母からもらったその包みは、永年ぬくめにぬくめられ、大事にされすぎて、お金以上のものになってしまっている。私は、恐れ多くて、まだそのハンカチ包みを開けられない。(開けてみたら入っていなかったなんてこともあり得るんじゃないかと密かに恐れたり期待したりしている。祖母はバナナを大事にしまいすぎて、房ごと真っ黒にしてしまうこともあった。)
 祖母から渡された、この包みと話の中のおひっこさんの言葉は、私の中で、お金への向き合い方に、何か劇的な変化をもたらしてくれたように思う。(とはいってもまだまだ私はなっていないが…。)祖母の渡してくれたお金は包まれてきた歳月にたくさんの“こっこ”をなしてくれた。
 「これ、ごめんだけど、ご苦労さんにしてもいい?」私の母は、物を捨てるときに必ずそう言う。これはきっと、祖母から受け継いだこころなんだろうなと思う。
 私は、この先、どんな“こっこ”をなしていけるんだろうか。

 特養で生き生きと昔を語る康子さんには、もう一面の姿がある。車いすを自走して、悲壮な顔をして事務所に現れ、「帰して下さい。私をここから出して下さい。」と懇願する姿は、また別人のようだ。でもそんな康子さんに私は、被災地や被災者に心を持っていかれて、沿岸から離れた花巻に居ることにヤキモキしている自分が重なった。
 康子さんと私は、互いに失ってしまった大切な何かを取り戻したいという気持ちと、どうにもならない現実の狭間で、昔を語ったり、聞いたりしながら、なんとか収めようとしているように思う。思い出し、語り、懐かしみながら、その時代を蘇らせ、体験し、浸っていくことで、今居る時と場所で、現実や異界との折り合いをつけようとしているのかもしれない。
 ノスタルジーに支配されてる自分を、非生産的だな…と思っていたけど、振り返ってみると、いろんな出会いと物語りに守られながら、内的な深い作業に誘われているようにも感じる。

 認知症の人たちは、そうした記憶や物語のイメージの使い方がさらにすごくて、ただ思い出したり語ったりというレベルを超え、体験として、実際にその時代、その場所を生きてしまう力がある。認知症になって、見当識や短期記憶が衰え、身の回りの現実はおぼつかなくなっても、その方の持っていた大切な記憶、自分のルーツと核は失われないばかりか、さらに鮮明で強固になっていく。それは人間が生き抜いていくためにも、同時に死に向きあうためにもすごく重要なことに違いないと、震災以降の自分自身のこころの揺れを通じてあらためて実感している。
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お盆 ★特別養護老人ホーム 中屋なつき【2011年9月号】

 銀河の里の利用者さん達は、なぜかお盆の前になるといろいろと動きがある。認知症で何月何日か関係ないような人も、いやそういう人に限ってというか、なにかザワザワするようだ。
 8月13日、特養の早番で出勤すると、早朝からガシガシとリビング内を歩いている洋治さん(仮名)が一番に目に入る。「おはようございます」と声をかける。すると「おいっ! どこさ来てら? あっちか、こっちか?!」と真剣な表情で問いつめられた。なんのことだ?と「ん? 何が?」と聞き返すと「死んだ人よ! 来てらか? どこさいる? 来たのか?」というではないか。びっくりしてリビングを見渡す。そうだ、今日は8月13日、お盆だ!「そうだそうだ、来てらんだね! ここにもあっちにも」と返すと「んだか?…んで、いいのだ」今日は夜通し歩いてあまり寝ていないという洋治さんは、そう言うと、安心したかのようにソファに横になってぐっすり眠り込んだ。
 片や、昼も夜もよく眠り、一日中入眠中で、独自の世界を旅しているようなフユさん(仮名)。起床介助で部屋に入ったとたん「帰ってくるのは2〜3人ぐれぇか? ごっつぉ、用意さねばねぇ…」と寝起きの一言。おっ、フユさんもお盆モード! 「そうだね、準備するべしね」と応えると「頼む〜、頼むな」と返事が来た。
 午後、お盆だからリビングにもお花を飾ろう…と、フミさん(仮名)と一緒に花を生けた。もう私もすっかりお盆モードで「帰ってきてほしい人、誰?」とフミさんに聞いてしまった。フミさんは花を見ながら「きれいだねぇ〜、えへへ」と笑っているだけだった。でも生けた花をまじまじと見つめながら、黙って静かに手を合わせた。
 夕食後には迎え火を焚いて、ほくととすばるのみんなで花火もすることになっていた。元住職だった泰三さん(仮名)に声をかける。「今晩、迎え火を焚くんです。お経、お願いしてもいいですか?」最近は言葉数も少なくなり、いっそう寡黙に穏やかに自分のなかに向かって過ごしている泰三さんだが、このときばかりは、こちらが言い終わらないうちにパッと目が合い、ニコリと笑顔で返してくれた。その笑顔に「お盆中は、お勤め、忙しくなりますね」と言うと力強く頷いてくれた。

 今年のお盆は、特養関係者でも初盆を迎える方が数名あった。この10年、銀河の里でお付き合いさせていただいた利用者さんも、鬼籍に入られた方がたくさんおられる。花火のひとつひとつに、その方達の顔が想い浮かび、しばし火を見つめて思い出に浸る。
 リビングの風鈴が鳴ると、先月亡くなったばかりの華さん(仮名)を想って「あぁ、今日は華さん、ずいぶんおしゃべりだ〜」とつぶやくフキさん(仮名)。6月に旦那さんを亡くされたサエさん(仮名)は、何事もなかったかのようにいつもと同じ和室で横になって過ごしていたが、「今日は送り火をしますよ、一緒に見に行きませんか?」と誘ったら「行きません!」ときっぱり断りながら「でも送ります!」とはっきりしたものだった。
 迎え火の後、雨が続いて送り火が延び延びになっていた。「ご先祖様には長期滞在してもらうようだね…」と言っているうちに、とうとう19日になってしまったが、晴れ間をねらって、送り火をしようとみんなで集まった。
 お盆期間中、「お客さん来る〜、留守番さねばねぇ」とか「土産、持たせねばねぇよ」などと寝起きのセリフで、ずっとご先祖様をもてなしていたフユさんは、やっと送り火をするという19日、夕食後、すぐに布団に入って寝てしまった。「ご先祖様に、また来年も来てねって言わなくてもいいの?」と声をかけると、眠そうな目をして「う〜ん…、バイバイって言っておいて…」と言って深い眠りに入ってしまった。なんとも軽い一言だね…とスタッフで笑ってしまったが、一週間、一生懸命おもてなしをしたフユさんだから仕方ないかと思った。


 不思議に思われるかもしれないけど、銀河の里ではこんな異界との近しいやりとりは結構当たり前のように行われている。若いスタッフも違和感なくなじんでくれている。どうしてそうなったのかわからないけれど、これからもこうした感覚を大切にしていける銀河の里でありたい。

★・・・☆・・・★・・・☆・・・★・・・☆
 お盆前の8月11日、ちょうど花巻で山折哲雄氏の講演会があり、職員研修も兼ねて、スタッフも参加した。宗教学者の視点から3・11大震災を語られたのだが、会場からの質問に応える形で、“癒しのために死者と対話する通路をもつことだ”と言われたのが強く印象に残った。この世ばかりがあまりに輝き、あの世と断絶してしまった現代。死者の住む異界との通路は失われて久しい。銀河の里では利用者のみなさんが当たり前に異界の通路を開いてくれている。それによって、スタッフも大いに癒され、救われているように思う。それは個人の癒しを超えて、時代や社会の癒しに繋がっていないだろうか。高齢者介護の本当の意味合いはそこにあるように感じる。
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嵐の連携プレー ★特別養護老人ホーム 菊池龍一【2011年9月号】

 茂樹さん(仮名)は、車イスで一日過ごし、ご飯、トイレ以外はほとんど寝ていることが多い人だ。そのためか音や声がすると機嫌が悪い。いつもうなっている学さん(仮名)とはそういう意味で相性がメチャクチャ悪い。学さんのうなり声が大丈夫な時もあるのだが、気になると、「うるせぇ!!」「やかましい!!」と怒鳴り声をあげて怒り散らすことがよくある。
 ある日の午後、タイミング悪く、茂樹さんと学さんが向かい合わせの位置になった。まずいかなと思ったが、学さんはいつも通り大声でうなっている。茂樹さんはしばらく学さんをじっと睨んでいたが、そのうちやはり「うるせぇ!!」と怒鳴り始めた。
 予想どおりなのだが、さてどうしたものかと思っているところへ、良夫(仮名)さんが現れた。良夫さんは音楽と女の人が大好きで、このときも祭りの踊りの調子で、スコトン、スコトン、トントコトンと大きな声で歌いながら手拍子つきで、ノリノリで歩いてきた。その場にいたスタッフも「これはやばい・・・」と感じた。だが、茂樹さんの目線は学さんに向いたままで怒り続けていたので、良夫さんが何事もなくこのまま通り過ぎてくれれば・・と内心ドキドキしながら祈るような気持ちでいた。しかしそうは問屋が卸さなかった。
 良夫さんが茂樹さんの目の前を横切ろうとしたその時だった!「うるせぇ!!」と茂樹さんが怒鳴りつけたばかりか、良夫さんのお尻をパシッとはたいた。良夫さんも叩かれてスコトンなどやってられない「なんだこのぉ!」と茂樹さんのおでこに平手でパンッと食らわしてしまった。
 予感していた最悪の状況になってしまった。怒り狂っている所へ平手をヒットされて、茂樹さんの怒りはこれ以上ないところまで燃え上がる。「この野郎なぐりゃがったな」と歩けないのに車いすから立ち上がって走り出す勢いだ。
 とにかく二人を分けなきゃと思って、隣のユニットにいた成美さんに応援を頼んだ、成美さんは気を利かせて、さんさの太鼓を叩きながらスコトン、スコトンと良夫さんを太鼓で避難誘導して逃げていく。逃がすものかと茂樹さんは「そっちゃいぐな!もどってこ!ボコボコにしてやる!」と大声を張り上げて追いかけようとする。
 スタッフの三浦君は何とか取りなそうと「うちの父さんが悪い事しました。すみません!」と必死で謝るのだが「おめぇでねぇ!俺はさっきの男に用があるんだ!どけぇ!」と歩けない人が走り出してしまった。怒りが先に走ってしまっても、現実に体はついて行かず、上半身が浮き上がって足はついていかない。三浦君は近くにいたスタッフを呼び寄せ二人で茂樹さんの両脇を抱え3人で「この野郎まてー」とサポートしながら追跡開始。必死で隣のユニットすばるまで追いかけたのだが、さすがに茂樹さん本人も追跡介助の二人も息が切れてしまった。その頃、相手の良夫さんは、成美さんの太鼓とともに一番奥のユニット、オリオンまでスコトン、スコトンと逃げていた。
 怒りのぶつけどころを失った茂樹さんは、そのあたりの椅子や物に怒りを向け「ぶっ壊してやる!」と床に投げたり壁にぶつけたりして荒れ狂った。茂樹さんの怒りは止めるとさらに燃え上がるので、スタッフはそのまま遠巻きに見守っていた。茂樹さんは椅子を投げ倒すと、次はモップを持ち出し、あたりのものを手当たり次第にたたきつけた。それも見守っていると、やがて怒りがいくらかおさまったのか、疲れたのか動きが止まって静かになった。そして一呼吸置いたあと、モップを杖代わりにして、自分でひっくり返した椅子などを片付け始めたので、みんなで手伝った。
 その一部始終を見ていたスバルの利用者ユキさん(仮名)。落ち着いた口調で茂樹さんに近づいて話しかけた。「あなたが怒るから雨がザーザー降ってきたでしょ。落ち着いてモップで床を綺麗にすれば晴れるよ。」笑いながら語りかけるユキさんの姿に感動しているスタッフをよそに、ユキさんはどこか気が収まらない茂樹さんにさらに語りかける。「あんた昔私と付き合ったことあるでしょ。覚えてないの、思い出してみな」ユキさんの究極のアプローチにあっけにとられるスタッフ。茂樹さんは頭を抱え込んで机に突っ伏して考え込んでしまった。しばらくして「つかれた」とひと言。三浦君に付き添われて自分の部屋に戻りフゥ〜と一息ついて休んだのだった。
 利用者同士のニアミスから起こってしまった騒ぎだったが、スタッフの連携は見事なものだった。ぶつかった二人の気持ちも充分考慮しつつ、両者の感情も抑えつけず、いい感じで守ったと思う。そんな修羅場に、落ち着いた空気をたっぷりとつぎこんでくれたユキさんの言葉はなんといっていいのだろうか、とにかく感動ものだった。女神の登場にみんなが救われた感じだ。
 これで一件落着と思っていたが、その日の夕方、この件の引き継ぎをしていると、寝ていた茂樹さんがそれを聞いていたらしく、急に目を開けて怒鳴った。「あのやろうがおれのおでこをはたいた、ぶっ殺してやる」その時にはあの良夫さんはショートステイだったので退所されており、家に帰った後だった。それを伝えると「今度来た時ぼこぼこにしてやる」とひとしきり叫んでから眠りにつかれた。でも次の日にはすっかり忘れてくれたようだ。次回の良夫さんのショートステイではなにが起こるのだろう、なぜか楽しみだ。
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東京研修・全体感想 ★特別養護老人ホーム 高橋菜摘【2011年9月号】

 新人三人の研修は、自由時間に対する準備不足の一言に尽きた。あらゆる物事への認識の甘さが、一泊二日の間に三人の足取りを重くし、呼吸を苦しくさせた。少なくとも、私はそうだった。
 私たちはとても気まずい空気で移動し、お互いの行動にやきもきし、しかしそれを口には出せず、より一層居心地が悪くなるという状況を、二日連続で作ってしまった。
 初日は無縁社会に関するシンポジウムに参加し、2日目は国立博物館で『空海と密教美術展』を見て、午後、国立能楽堂で能と狂言の鑑賞をした。
 シンポジウムでは、正直なところ、寝ないようにしようという気持ちばかりで、内容理解は二の次になってしまった。なんとか寝ずに最後まで熱心に話を聞き、メモをとったが、あまり記憶に残っていない。覚えているのは、「昔の様な有縁社会には戻れない!!」という断言で、私はそれになんだかとても安心させられた。『昔はよかった』、という語りが私は好きではない。本当に良かったのならば、変わらなかったんじゃないかと思う。
 「個々の選択の結果が現在の社会の状態である以上、この状態でどうすればいいのかを考えなければならない」「戻るのではなく、新たに創っていくのだ」という意見に私は共感した。家族や地域や会社と縁が切れてしまっても、施設で新たな縁をつくればいいじゃないか、と、とても短絡的な考えを私は持っている。
 翌日の国立博物館での100点近い国宝・重要文化財の展示は、例の“準備不足”により、ろくに観ることが出来なかった。それでも、それはその後の能の鑑賞に大きな影響を与えたと思う。
 国立能楽堂では三つの演目があったが、私の心を揺さぶったのは、最後の演目『鵺(ぬえ)』であった。これは源頼政に退治された鵺が、舟人の姿で、後には鵺本来の姿で、退治された時のありさまを僧に語るというものだが、鵺が出てきた瞬間から「恐ろしさ」を感じた。退治されて以来さ迷っている亡霊が、退治された時の話をする横顔は悲しげで苦しげなのに、正面に向いた時、その顔はニヤリと笑っているように見えて、それは恐ろしかった。また、背を向ける場面が何度かあったのだが、その背にゾクリとしたもの感じ「執心」という言葉が頭に浮かんだ。
 中入をはさみ、現れた鵺本体は、カっと目を見開き口角を吊り上げ威嚇するような面でありながら、前半では感じなかった温かみのようなものがあった。迫力はあるのだが、前半のような背筋が凍るような恐ろしさとは違う。「仏像と似ている」、そう思った。
 国立博物館に置かれた仏像たちは、「柔和な笑み」と紹介されているものほど冷たく、まるで監視されているような、裁かれているような気になり近寄りがたかった。不動明王のような、眉をあげ眼を怒らせた顔の仏像たちのほうが、私には親しみがわいた。
 昔の姿で現れた鵺もまた、恐ろしい顔をしていながら、そこには畏怖と言うか、神々しさすら感じられた。最初は姿を偽っていた鵺が本来の姿をさらけ出したということが、鵺の「こころ」を伝えてくれたのかもしれない。そして、仏像と同じく親しみを感じた。
 鵺と頼政の姿を交互に写して舞い、救いを求めて夜の海の彼方へと消える鵺を見ながら、「研修に来てよかった」と初めて思えた。感動のあまり、ぼんやりとした頭で能楽堂を出て、買ったお土産をロッカーに忘れてしまった。頭の中でさきほどの体験を反復し咀嚼することで一杯一杯だったのだ。
 今回の研修は多くの時間を「帰りたい」という気持ちで過ごしたが、それは今まで他人任せで事をこなしていた自分を顧みることに繋がった。自分の甘えへの反省と、今までそれを許してくれていた周囲への感謝と、今後への決意が生まれた。この経験を踏まえて、次はぜひとも始めから終わりまで「来てよかった」と思える研修にしたい。もちろん、そのための準備には“労力を惜しまず、ぬかりなく・・・”
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今年も、花火の夜 ★特別養護老人ホーム 村上ほなみ【2011年9月号】

 「また来年も見にこようね!」そう言って、3人で手を繋いで見た去年の花火。あれから1年。今年の花火大会も去年と同じように、左手にユキさん(仮名)、右手にクニエさん(仮名)の手を握って花火を見た。去年と同じ場所で、同じ人と、でも感覚はちょっぴり進化をと感じる今年の花火の夜だった。
 8月に入ると「今月、花巻の花火だよ!」とユニットで花火大会の話題になる。「昔は家族で行ったったぁ!」「川の所から上げるんだよねぇ、いっつも見てた〜」利用者さんの思い出に会話が弾み、リビングが賑やかになる。みんなが楽しみにしているのが表情や言葉から伝わってくる。
 それを少し離れたところから見守りながら、私はクニエさんに「今年も一緒に浴衣着ようね!」と小さく指切りした。ユキさんはいつもの席から「20日だもんね」と私に微笑みかけてくれる。こんな利用者さんとの些細なやりとりに、私は幸せな気持ちになる。
 花火大会の3日前、クニエさんが左足の激痛を訴えた。病院に向かう車内から息子さんに連絡を入れて待ち合わせる。検査結果を待ちながら「やっぱり、年とるとこういうことあるんだね。おととい会った時は元気だったのに。花火に間に合うように、浴衣もクリーニングに出したんだけど・・・」と息子さん。
 そんな息子さんの言葉にお母さんへの思いが一杯詰まっているのを感じる。検査は異常なしだったが、院長は「心配だったら何日か泊まってもいいよ?」と言ってくれた。私は息子さんの言葉が心に残って「帰りたいです…」と言うことができた。「一緒に帰りたいみたいです〜」と笑いながら車椅子を押す息子さんにもホッとさせられた。
 7月30日の朝のこと、私は目覚めると、なぜか今日クニエさんと出かけたいと思った。どこと言うことはなかったが、とにかくどこかに出かけたくて誘った。「どこまで行くの?」と言われたので、「アヤメ園」ととっさに言った。そんな感じでも「行ってらっしゃい」と笑って見送ってくれるのが銀河の里だ。
 アヤメはすっかり時期が過ぎていて、2人でも苦笑い・・・。“このまま帰るのは寂しいね・・・”息子さんに「少しの時間でも会えれば」と思い電話してみた。「お〜、そうか、そうか。今、遠野の親戚の人たちも来てるんだ。丁度おばあちゃんの所に行くつもりでいたったぁ。よかった、来て来てぇ!!」と言ってくれた。電話の話しを察してクニエさんの表情も明るくなる。
 家に伺うと遠野の娘さん、息子さん夫婦も来ていて大勢が集まっていた。まるで、クニエさんが帰ってくるのが解っていて集まったようだとみんな驚いていた。朝なぜか“今日は出かけたい!”と感じたのはこういうことだったのかと思う。はずさなくてよかったとホッとした。
 そしてクニエさんの浴衣が用意してあり、浴衣を見ると一瞬表情が変わった。“思い出がある浴衣だろうなと思いながら、今年の花火を思いでのひとつに付け加えてほしいと思った。大勢の親戚の人たちと記念撮影もして、浴衣を受け取って「また、いつでもおいでね!」という家族さんの笑顔に送られて里に戻った。
 花火大会の前日、クニエさんの部屋に私達の浴衣を飾った。「花火行くぞ!!」と気勢をあげるとクニエさんの手も上がる。その日、夜勤に入った私はいつもより多く顔を見に行った。
 ところが当日、出発前に“行かない”と首を振る。これもひとつの儀式だと意に介せず「私が先に着るから!!」と浴衣を着付けしてもらう。浴衣を着る私をチラチラと見ながら。目が合いそうになると狸寝入りしている…。「起きてるの分かってるよ〜!見て見てぇ!どう?」と目の前に立ったら、もう「行こう?」なんて言葉はいらなかった。クニエさんも浴衣に着替え、髪も編みこんでもらい車に乗り込んだ。「今年もお揃いの浴衣着たんだね。いいねぇ!」と言われ照れ笑いしている。
 去年も一緒に花火を見たユキさんが「クニエさんは?いる?」と気にしてくれている。“ここにいるよ!”と合図すると“うんうん”と返してくれる。車中クニエさんの目がキラキラしていて、「もう少しだね!楽しみ〜!!」というと手をぎゅっぎゅっ!と握ってくれる。
 会場に到着し、去年と同じように私を中にしてクニエさんとユキさんが座った。花火がドーン!と打ち上がるたびにクニエさんの左手が上がった。
 ユキさんも“ドンドンドーンッ♪もっと上がれ!”と花火に手を振っている。私の手と触れるとユキさんがぎゅっと握ってきた。
 今年も3人で手を繋いで見た花火は、最高だった。「去年もユキさんの隣で花火みたよ〜」に「あら〜、よく覚えてること!!」と言いながら花火に向かって手を振るユキさん。クニエさんと繋いだ手からも花火が上がるたびに力が伝わってきた。「やっぱり、花火いいね」というユキさんの言葉に、私はいろんな思いを乗せて「そうだね!」と2人の手をさらに強く握った。
 ユキさんは里に戻ってから、スタッフに「どうだった?」と聞かれ「よかったよ〜!」とニコニコで、両手を使って「パチパチパチパチ・・・ヒュー・・・ドーン♪」と何ともいえない花火を表現。その場にいた全員が真似をして花火をあげて笑った。ユキさんは、里に残っていた人たちにも花火を届けてくれた。私はいつものようにクニエさんとすこし離れた所からそれを笑って見ている。ここち良い時間が流れる。
 次の日、クニエさんの部屋へ行き「昨日はありがとう(*^_^*)」と隣に横になると「あ〜!!」といつもの強烈パンチ。髪を引っ張られ「やめろ〜!!」とむきになる私を見て「グハハ、ワハハ〜」と笑っている。「これがばばちゃんの愛情表現だ〜」と一緒に笑った。こんな日常の時間に幸せを感じながら「来年も行こうね」と約束した。
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