2011年08月15日

銀河さんさ隊 ★佐藤万里栄【2011年8月号】

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1,400km離れた南の風を受けて 〜おごっそ蟹焼売完成までの道のり〜 ★ワークステージ 米澤充【2011年8月月号】

 ワークステージ惣菜・食品加工班が製造している餃子・焼売は、昨年開所した食品加工場内で製造されている。この加工場は大型冷蔵・冷凍庫や24時間空調を整備し、衛生的なクリーンパネル設計で全国的にも施設で保有する生産工場としてはトップクラスの食品加工場なのだが、昨年メディアで何度か紹介されたものの販路拡大には至らなかった。
 加工場を開所して2年目を迎えた今年は、今までと異なる変化が起ころうとしている。

 食品加工場は日本財団の助成もあって開所する事ができたのだが、その日本財団が企画する「真心絶品」プロジェクトへ応募し、認定された。「真心絶品」は、これまでの“授産品”という旧態依存としたイメージを塗り替えるため、障がい者施設の製品の中から優れたものを厳選し、販売促進につなげるための“福祉施設製品ブランド化”プロジェクトである。餃子・焼売を安売り商品にしたくない我々の考えに、まさにマッチしたプロジェクトだ。
 2月の応募申請から4月の認定までの間に3.11の大震災があった。真心絶品として東北支援特集を組みたいとの依頼があり、4月22日に真心絶品推進委員会の浦岡さんと山口県宇部市の社会福祉法人 南風荘(なんぷうそう)の田畑さんが銀河の里へ取材に来られた。銀河の里の施設全体や食品加工場内での製造の様子など見てもらい、その後の取材で真心絶品のフリーペーパー“mappin(マッピン)”で商品の紹介をしていただいた。
 さらに後日、南風荘さんより連絡があり再び銀河の里を訪れたいという。「カニを送ります!」と突然言われ、「カニ!?」と急な話に驚く。山口県宇部市の瀬戸内海で取れる特産品おごっそ蟹(ワタリガニ)でカニ焼売を試作して欲しいとの商品開発の依頼であった。
 5月7日、田畑さんと新製品開発担当の谷崎さんの2名が銀河の里を訪ねてくれて、カニ焼売の商品開発の打合せをした。谷崎さんは「山口県宇部の特産品おごっそ蟹を全国ブランドとして認知させたい」とその熱き思いを語る。 山口県から2度も訪れるフットワークと谷崎さんの熱い思いに、山口と岩手のコラボ商品“おごっそ蟹焼売”を成功させたい!とこちらも熱くなる。
 施設単独では限界があっても、福祉施設間の横の繋がりを活かしたコラボによってその可能性は広がる。出会うことが無かったかもしれない遠く離れた施設同士が、お互いの良さを持って繋がり、コラボ商品の完成に向けて真剣に取り組む。想像しただけでワクワクする。震災によって失ったものは多かったが、震災を機に今回の施設間コラボ商品の開発という新たなフィールドを得られたのはとても心強い。

 さて、カニ焼売は、試行錯誤の末、お中元ギフトのセット内容に含められる程のクオリティに仕上がった。南風荘の反応も良く、記念すべきコラボ商品開発の第1歩は踏み出せたようだ。
 おごっそカニ焼売が完成できたこともあり、7月に我々も1,400km離れた山口県宇部市の南風荘を訪ねた(車で片道16時間!)。焼売に使用するカニの加工作業の様子を見学させていただき、初めて目にする足の青いワタリガニを見てきた。また南風荘の理事長や施設長ともお話する事ができ、今後のおごっそ蟹焼売の展望に話が盛り上がった。
 真心絶品のような福祉施設商品のブランド化、福祉施設間のコラボ商品といった動きが活発化し、施設商品がもっと身近なもので製造する方も購入する方もお互いがワクワクするものであって欲しい。南からの風を追い風として、おごっそ蟹焼売を全国的ブランドにする歩みが始まる。
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蘇る死者たちとの夜 ★施設長 宮澤京子【2011年8月号】

 30年ほども前の事なのだが、富山の小さな温泉町での盆踊りの記憶が蘇る。20代だった私は、あでやかな浴衣を着付けてもらい、足袋に下駄で、すこし派手に念入りの化粧をして、うきうきした気分で夕暮れを待った。盆踊りの会場に向かう道は暗く、一本の懐中電灯に3人が寄り添って、草むらでうるさく鳴く虫の音に励まされながら砂利道を進んだ・・・ところが、やっと着いた会場は、いま歩いてきた道よりも暗いほどで、裸電球の薄赤い灯りがいくつかあるだけだった。そして、やぐらのまわりにうごめいている人の多さに驚いた。皆、笠をかぶり、聞くところによると、もの悲しいこの踊りが一晩中続くという。私の知っている「東京音頭」や「炭坑節」が流れることはなかった。華やかな司会も、勇壮な太鼓もなく、時折雑音が入るスピーカーの音が、ここが盆踊会場であることを印象づけていた・・・「何なんだ?」と、私は違和感と共に不思議な感覚に包まれた。誰かに尋ねてみたい気持ちもあったが、なんと問いかけていいのかわからない。仕方なく見よう見まねで、手足を動かして踊ったのだが、都会の感覚で浮かれていた自分が恥ずかしくも感じられた。そして、なぜか踊っているうちに涙がこぼれてきた。
 それから30年、この年になってやっと、あの富山の奥深い村での盆踊りの一夜の意味が解ってきたように感じる。あの世に行ってしまった精霊達との再会のひとときとして、繰り広げられる「盆踊り」の幻夢の世界は、明るすぎては成り立たないのだろうし、いくら哀音漂うといわれる東京音頭でも、そこでは似つかわしくはなかった。
 今や、形骸化を遙かに超えて、ただのイベントになった盆踊りは、あの世までも照らし出さんばかりのまばゆい照明の中で、踊るパフォーマンスと化した。そこにあの世からのご先祖様は立ち寄ることもできないだろうし、生者の我々が死者達を感じることも難しい。
 今思えば、富山の山村のあの盆踊りでは、迷悟の私には見えなかったが、死者達は蘇り、村人と共にいたに違いない。都会の感覚で浮かれて参加した私にさえ、あの世の精霊達と村人の交歓がどこかで伝わり、涙となって溢れたのではなかったか。
 時は流れ、今やどこに行ってもあのような幻夢の盆踊りを見ることは出来ないだろう・・・とても残念である。あれから時代は高度成長経済を経て、バブル崩壊を経験し、さらなる混迷の様相が拡がりつつある。我々現代人はあの世に行ってしまったご先祖様どころではなく、生きている老いた親とさえも充分関われないほどせわしい日常に喘いでいる。ましてやご先祖様に支えられて今を生きているという意識は持ちにくく、自分自身がご先祖様として敬われるなどということは、到底考えにくい時代になってしまった。
 せわしい現代人にとって、他人はうっとうしい存在でしかなく、ご先祖様は怪しいだけのものに成り下がってしまったのか。そして、何事も迅速に「一丁上がり」で済ませたい衝動に駆られ、こなすだけの人生をやっているのではないだろうか。

 今回の震災では、多くの犠牲者が出た。被災地の当事者のみならず、日本人全体が今、死者達と向きあうべき機会を迎えているのではなかろうか。そしてこの世だけでなく、あの世からの視点を豊かに持ち、死者達に支えられて生きていく日本の文化的価値を蘇らせる時の到来を期待する。
 現実世界に張り付いて、現実生活ばかりに目を向けていると、損得勘定や効率の物差しが優先され、つまらないケチな人間になりがちだ。人間らしさやリアリティの希薄な今の時代だからこそ、死者達と出会い精霊達と触れることの意味は大きい。

 そんなことをぼんやり考えていた矢先、山田太一の「異人たちの夏」の映画が放送されたので気になって見た。小説では何回か読んだし、昨年は演劇でも見たのだが、その度に結構考えさせられ、感動したが、映画は特に良かった。
 大まかにあらすじを紹介する。
 シナリオライターの原田が、締め切りの原稿に追われているところへ、取り壊し間際の同じマンションに住む若い女性がやってくる。寂しいので一緒に酒を飲まないかというのだが、仕事が忙しいと一旦断るも、いろいろあってそのうち男女の深い仲になる。
 一方で、原田は12歳の時に事故でなくした両親とタイムスリップしたかたちで出会う。
 下町に住む両親(30代)と子どもの原田(40代)の関係は、年齢的には逆転しているが、愛情と人情に溢れた、親子の会話が展開される。職人気質の親父さんと気っ風のいい母親、親父さんはビールで喉をうるおし、枝豆と冷奴をつまみにして、ステテコ姿で息子に「スイカ食いねぇ」といった具合だ。原田は童心に戻り懐かしいやら嬉しいやら、足繁く両親のもとに通うことになる。
 一方若い女性ケイとの関係では、離婚に至った元の妻とは全く違った親密なやりとりがあり、原田の冷えた心が癒されていく。しかし実は彼女は、原田が一旦断った後、自殺していて、すでに死者だったのだ。異人たちとのつきあいが深まっていくうち、原田は身体から生気が奪われ、瀕死の状態になっていく。
  同僚の間宮が原田のマンションを訪ねた時、ケイの正体が幽霊であること知り、引きずり込まれている死の世界から原田をこの世に連れ戻した。間宮は現実世界では起こってはいけない出来事として、「まったくどうかしていた」と異界に蓋をする。
 しかし原田は「どうかしていた」とは思わない。異人たちとの出会いによって、心から笑うこと、泣くこと、愛するという人間らしさを回復し、「ありがとう」のことばで異人たちと別れる。
 (河合隼雄対話集『こころの声を聞く』の中に、河合隼雄氏が山田太一氏との対談のあとに‘『異人たちとの夏』を読む’を掲載しており、これを合わせて読むとまさに納得させられる。また、映画もお薦めします。)

 銀河の里では、この1年間に高齢者8名の方達とのお別れがあった。そのうち3名の方は里でターミナルを希望され、貴重な時間を共にすごさせて頂き、それぞれ感動とともにスタッフの心に残った。「死」はお別れではあるかも知れないが「終わり」と捉える事は到底できない。その先こそが「始まり」のような実感もある。
 毎年お盆を迎える8月、里では「送り火」の儀式を行い、お別れした人々を偲び、祈りの機会を持っている。いつまでも生者と死者の魂が、時空を越えて出会える里でありたいと願う。
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2011夏祭り ★副施設長 戸來淳博【2011年8月号】

(はじめに)
 毎年恒例の里の『夏まつり』が8月7日(日)に開催されました。利用者や入居者をはじめ、御家族、地域の皆様など約400名の方々が来場されました。
 今年は3.11の震災があり夏祭りの開催を迷う気持ちもありましたが、夏祭りを通して被災地支援の夏祭りとして開催を決定しました。沿岸の被災地からの乾物など海産物の販売ブースを設けるとともに、被災地支援活動の状況をパネルで紹介させて頂きました。関係各社からの協賛金も被災地支援ということで例年の実績を上回り、過去最高額となりました。協賛いただいた関係各社の皆様と来場いただいた方々に心より感謝申し上げます。
 夏祭りの収益は、被災地支援の活動資金としてすべて還元させて頂くこととしました。以前の通信でも触れていますが、銀河の里では、ワークステージのスタッフ佐々木哲哉氏が中心になって被災地の支援活動に参加してきました。たすきプロジェクトに賛同し神戸から被災地へGIFT(衣類)バックを届けたり、県内の活動家と共に必要なモノを被災地へ届けたり、避難所の後片付けなど行っています(詳しくは、あまのがわブログで。)今後も、銀河の里では被災地への支援を模索していきたいと考えています。


(まつりを終えて)
 「祭りなんてやらなくていいんじゃないの?」という考えの私が夏まつりの実行委員長になってしまった。今年の実行委員には、単独でギターライブもこなす特養2年目スタッフの酒井さんが祭りのリーダーとして加わり、お店でもDJをやっていたというデイ新スタッフの斎藤氏が実行委員に加った。組織としても毎年イベントの場数を重ねているので準備・運営・撤収も慣れたもので万全の体制なのだが、毎年どこか気乗りしない。とりあえず初回の打合せで「これからの10年に繋がる夏祭りを皆で悩みながら作ってゆきたい。」と切りだし、『復興支援』と『11年目の銀河の里』というテーマを掲げて準備を進めた。
 各部署へ準備段階でお願いしたことは、入居者や利用者を祭りに巻き込んで欲しいと言うことだった。その意図を各実行委員はしっかり受け止めてくれたようで、さんさ隊の練習も特養の交流ホールやユニットの中でやってくれた。ことの新人スタッフの成美さんがユニットで太鼓の練習を始めると、その日、ショート初利用で、落ち着けないでいた良夫さん(仮名)が太鼓に合わせてリズムを取り始め、一緒に特養内を練り歩いてくれたりもした。
 交流ホールで全体練習では、太鼓の音が聞こえると、オリオンの入居者の桃子さん(仮名)は、車いすの紀子さん(仮名)を誘い一緒に交流ホールに来てくれた。そして、次から次と各ユニットから入居者やスタッフが集まり、練習を見守ってくれた。看板作りでは、広報担当の万里栄さんをワーカーの昌子さん(仮名)が手伝ってくれた。先月、石神の丘美術館で行われたプリン展に作品を出した昌子さんは、制作意欲満々で看板も制作をしてくれた。交流ホールにドラマ『マルモの掟』の主題歌を流しながらノリノリ。その雰囲気に特養の入居者の康子さん(仮名)は「今日はここで何かあるのかい?」と声掛けたり、建物内散歩中の修さん(仮名)は色つけを手伝ってくれた。


 夏祭りの前々日、特養を会場にし、夏まつりの「前々夜祭」が開催された。交流ホールに各ユニットからみんな集まり、グループホームからの参加者も加わった。一撃劇場でお馴染みの酒井さんと組長ことコラさん(仮名)のライブに、新生銀河さんさ隊が加わってそれだけでも凄いところに、弥生さん(仮名)の合いの手が入ったり、一緒に踊り出す入居者もありで大いに盛り上がった。前々夜祭は大盛況でこれだけで夏祭りは充分と言っても良いくらいだった。
 今年の祭りのリーダーだった酒井さんは柄にもなくその重責に夜も眠れなかったというが、本番当日は朝から大勢の人で賑わった。花巻中学校ブラスバンドのステージで幕が上がり、酒井さん扮するタイガーマスクはギターを抱え、オンステージを披露すると、それまで緊張で堅めだった中学生のブラスバンドもノリの良いハーモニーを奏ではじめた。スタッフの斎藤さんは自前のターンテーブルを用意し、DJとしてレゲェの音楽を響かせて会場の音響を仕切った。
 そしていよいよ銀河のさんさ隊が登場。今年のメンバーは、殆どがさんさ初挑戦。みんな新鮮は挑戦だったと思う。そのひとり真央さん(仮名)は引きこもりが長かっただけに、祭りで大勢の前で踊ることはとても大きな挑戦だったにちがいない。周囲はもちろん本人もどうなるのだろうと心配だったが、見事に踊りきったし、踊りも上手だった。隊のリーダー、厨房スタッフの小野寺さんは、毎年、盛岡さんさに参加してきたトップクラスの太鼓の打ち手だ。


(各ユニットやワークステージでも驚くべきことがあちこちで見られ、感動的だった。その内容はデイサービスの米澤里美さんの文に重複するのでそちらを読んでください)


 祭りの仕上げは、ソウルバンドTAYUTAのライブ。ライブと聞きつけて、デイとショートの利用者の西野さん(仮名)は、セッションの直接交渉をした。ライブ前半のラストにゲスト出演で往年のジャズピアニストの復活。2度の脳梗塞を経て今年80歳。ミスタッチは目立ったが、またそれがいい味を出し、若いTAYUTAのメンバーをきりきり舞いさせた。もちろん、会場は大盛り上がりである。一人暮らしで転倒し、寝たきり状態でもう危ないのではと心配された2年前から見事な復活である。指も気持ちも止めようのない、しぶとく渋い演奏だった。
 今年のポスター作成は、2年目のスタッフの万里栄さんが担当した。去年のポップなデザインから一新し、夜空に流れるあまのがわをイメージしたデザインは、里のイメージとマッチして評判であった。
 私は毎年、夏祭りは、いま一つ気持ち乗り切らず、一歩引いて見ていた。特に特養の開設後は日々の業務やローテーションで手一杯で夏祭りどころではない状況にあった。特養の開設に伴い一気に30名の職員が増え、そこには他の施設の経験者や、仕事にモチベーションの低い人も混じっていて、銀河の里に、世間の風が嵐のように吹きまくった感があった。このまま介護工場化してゆくのか、里らしい新たな道を見つけるのか、大きな岐路に立たされていたように思う。
 昨年も夏祭りの準備期間に、勤務外に遅くまで準備や練習をしているのはご苦労なのだが、どこか腑に落ちず、違和感が強かった。それは職員が仲良しこよしの集団と化し、利用者とは断絶したなかで、学園祭で盛り上がるような雰囲気になっているのが嫌だったのだと思う。あくまで利用者と共に生きていることが大事だと思うのだが、それを伝えるのは難しい。
 利用者の世界と職員の世界がきっぱりと別れて2つ別々動いている状況に陥りやすいのは福祉の宿命でもある。大半の施設がそうした状況にある。銀河の里はデイサービスやグループホームを通じてそこを克服した珍しいケースだと思う。特養の立ち上げはそれを守り、再び勝ち取る戦いでもあった。イベントでは特に両者の世界が隔絶しやすい。今年の夏祭りの成功はイベントを通じて利用者とさらに深く関わることができたことに尽きると思う。それ故にそれぞれのスタッフの個性が輝き、利用者の個性が光った。表舞台も裏方も、スタッフも利用者も、役者が揃い、はまるべき所にはまって祭りを作り上げた感がある。かけがえのないエピソードがひとりひとりに生まれ大事な思い出となった。そのひとつひとつのエピソードは、誰かと誰かが繋がり、その繋がりが全体で支えられているような場をつくり出したように思う。
 こうした繋がりは、やがて時空を超えて明日へ、未来へと広がって行く感じがある。銀河の里の伝統はそうやって生み出されて行くに違いない。新たな始まりを感じさせられるこれまでにない夏祭りとなった。
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今年の夏祭り ★デイサービス 米澤里美【2011年8月号】

 灼熱の太陽、外にいるだけで汗がふきでるような暑さの中、今年の夏祭りは行われた。今年は、花巻中学校ブラバン演奏、銀河さんさ隊によるさんさ踊り、ゲストバンドのTAYUTAライブ、輪踊り、バザー、ワークステージ屋台、手作り甘味屋「里や」、もちつき、復興支援ブースなど盛りだくさんで、会場は熱気に包まれた。今年は売り上げのすべてを震災の復興支援活動資金とすることとして、スタッフの意気込みや雰囲気がいつもとひと味違うように感じられた。
 私は、銀河さんさ隊の笛と「里や」の担当となり、両方とも初めての挑戦。銀河さんさ隊では、今までやってきたフルートとは違う横笛に挑戦した。ディサービスでは、今年初めて太鼓を挑戦する齋藤さん、踊りに挑戦する太田代さんがいるので、昼食前やお昼寝後は、さんさ踊りや輪踊りが始まり、賑やかなディサービスとなった。
 やっと笛のメロディを覚えて、太鼓と合わせてみる。♪ダンコンダダスコダン♪ピ〜ヒョロロ〜♪と太鼓と笛が鳴り、「サッコラチョイワヤッセェ〜♪」と太田代さんのかけ声が響くと利用者さんも乗ってくる。「いいぞ〜!もっとやれぇ!」と和代さん(仮名)が声援をくれる。車イスのニシさん(仮名)も手を舞わせて踊ってくれる。さんさ踊りのリズムに、祭り気分が盛り上がる。音を聞きつけて、隣のグループホームの皆さんがディホールに遊びに来てくれるこの感じがとてもいい。みんなで輪になってスタッフも利用者も関係なく踊る感じがとても楽しかった。
 そして、「里や」。利用者さんと一緒に作る日頃食べているおやつを販売しよう、というのが「里や」だ。今年はメロンパン、かりんとう、パウンドケーキ、甘酒プリン、がんづき、ヘルシーチーズケーキを出品することにした。料理苦手系のスタッフがなぜか「里や」担当に集中してしまい、試作会では、「パウンドケーキぼそぼそ!」「がんづきしょっぱ〜い!味噌入れすぎ!」「チーズケーキ、味・・ないよ。」とさんざんだった。でも、その試作に作るところから食べるところまで(15時のおやつ)利用者さんは付き合ってくれて、本当にありがたかった。
 パウンドケーキとチーズケーキには里のブルーベリーを使ったのだが、ブルーベリーの木がまだ若く1週間前ぐらいから少しずつ採っておこう、ということになった。私は日々の業務に追われてなかなかブルーベリーを採りにいけず、焦り始めたある日。政一さん(仮名)が「稼がねばわがね!」と外へ出た。ブルーベリーを採りに行くチャンス!とばかり一緒にディサービスを出て、ブルーベリーの木のある方面へ向かっていると、特養からも麦わら帽子を被った人影が二人。声をかけるとほなみちゃんとカヨさん(仮名)だった。二人もブルーベリーを採ろうと向かっていたところだったのだ。打ち合わせしなくとも、夏祭りの「里や」に向けて、思いが通じている感じがしてうれしかった。試作がさんざんでも、何とかなる!と思えたエピソードだった。そして、「里や」は何度も試作会を重ねて当日を迎えた。
 迎えた当日。浴衣を着ている利用者さん、スタッフ。かき氷を食べながらぱたぱたと仰ぐうちわや扇子。バンド、歌、踊り、ステージでは常に何かが催されていて、会場はDJ齋藤さんによるレゲエのリズムに包まれる。「里や」は完売が出るほど盛況!
 ワークステージの秋子さん(仮名)は通所開始当初、広場恐怖症のような感じで大勢の人がいる場所では、パニックになり泣いてしまい、毎年の夏祭りもハウスや人が少ないところにいて過ごしていた。その秋子さんが今年は、屋台の真ん中に立ってシソジュースを売っているではないか!しかも笑いながら、接客している!これには驚いた。担当の日向さんによると、その日の朝はなぜか怒っていたとのことだったが、そうやって自分を奮い立たせていたのかもしれない。昌子さん(仮名)も広場恐怖症で人が大勢いるところや大きな音が苦手だ。彼女も毎年泣いていたり、ハウスに避難して過ごしていたが、今年はお守りのクマのぬいぐるみをシャツの胸ポケットに入れて祭り会場で過ごした。毎年祭りに参加したくてもできない二人が会場にいるだけでもすごいことなのに、大活躍しているのだからものすごい。
 夏祭り後半の輪踊りもすごかった。さんさ踊りが終わり、輪踊りの流れとなるのだが、どんどん人が輪に入ってきてくれ、一つの輪がふたつの輪になるほど盛り上がった。その中でも、グループホームの守男さん(仮名)は今年も全力で踊ってくれた。その踊りは、やっぱり祈りの踊りに見えて、目に焼き付いた。
 秋子さんや昌子さんだけではなく、全体の雰囲気としても不安や迷いがない祭りだった。いつもの学祭モードとは違った。里は今年で11年目、里全体が思春期を越え、内面の成熟へ向かって進んでいるような、(だといいけど・・)そんな気がした。そしてそのタイミングで3.11が起こったことも関係しているかもしれない。私自身こんなに心から楽しめた祭りは初めてだった。そう感じるのは、どうしてなのかよくわからないけれど、利用者さんとスタッフがそれぞれ、関係を作りながら、繋がりながら当日を迎えられたことと、私自身が生きている喜びを感じられるようになったことも大きいのかもしれない。さんさ踊り、輪踊りをして、今ここで踊っている「自分」、そして隣にいる「あなた」1人1人に祈りに似た思い「生きている」ということを感じた暑い、熱い夏祭りだった。
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七夕の夜に ★特別養護老人ホーム 佐々木広周【2011年8月号】

 月にはウサギが棲んでいると昔の人は信じていたらしいという話しは誰もが知っている。だが、ところが現代ではだれもそんなことは信じない。いつからか月はウサギが棲めないところになってしまった。
 幼い頃、宇宙に魅入られた私は、親にせがんで天体望遠鏡を買ってもらった。届いたその日の夜に、さっそく月に望遠鏡を向けレンズを覗きこんだ。初めて天体望遠鏡を覗いた瞬間、あたりは静まり返り、一人、宇宙に放り投げられた気分になり、恐ろしくなって、逃げ出したくなった。不気味に揺らぐ無数のクレーターは、幼い私の心に焼きついた。月にウサギなどいるわけがない現実を私は突きつけられたのかもしれない。それから大人になるにつれて私も忙しくなり、天体望遠鏡を担ぐことも少なくなった。
 七夕の夜。マキさん(仮名)のもたらしたエピソードは印象深かった。マキさんは、時々ショートステイ北斗を利用されている方で、180度近く腰が曲がった状態にもかかわらずよく歩き、お喋り好きで話し出すと止まらないパワフルなおばあさんである。
 この日は久々のショートステイ利用の初日ということもあり、マキさんは、「家さ帰るべし、行かねばねぇ。」と家に帰りたいモードで歩き落ち着かない様子だった。けれども、イスに座って他のおばあさんと世間話を始めると、相手に喋る暇を与えずに気が済むまで喋り続け、気がついたように再び「行かねばねぇ。」と歩き始めることの繰り返しだった。
 そこへもうひとり「あたしをここに入れたのは誰だ!」と怒りあらわに叫びながら歩いてくるユリさん(仮名)。ユリさんは緊急避難的な入所だったが、自分がなぜ施設にいるのか納得できていない。そんなユリさんを見かけて声を掛けたマキさん。さっきまで家に帰らねばと歩いていた自分のことは棚に上げて「なぁに、そったに怒ってるってぇ? ここさぁ居れば、ご飯も食べれるわ、寝床もあるわ、家よりいいべじゃあ!」とユリさんを説得している。あまりにおかしくて不思議な光景に職員も呆気にとられる。そうこうしている内に、マキさんのマシンガン説得トークにユリさんは、「…んだなぁ、みんな同じなんだな。そうすることにすっか!」とすっかり納得して、自分の居室に戻った。マキさん恐るべしだった。
 ユリさんが去って一段落。のんびりと私の弾くピアノに合わせて歌うマキさん。すっかり落ち着いて「もう眠くなった〜。つい歌ってしまうからピアノ止めて〜。」と掌を合わせて言われるので「じゃぁ、そろそろ寝ましょうか?」と立ち上がると、一緒にピアノを聴いていた花子さん(仮名)も「私も寝ます。」と挨拶して居室へ向かう。マキさんも「んだな〜。」と立ち上がるが「寝るども、仏さん拝んでからだ。」と仏壇探しの旅へ出ることになった。私はそれに付き合う。マキさんは居室へ向かう花子さんの後を追って、居室へ入った。花子さんは戸を閉めた途端開けられて「えっ?」と振り返り驚くが、それもお構いなしに「ここか〜?」と花子さんの居室で仏壇を捜す。仏壇は見当たらず「ここじゃねぇな。」と出て次は、隣の空室へ向うと、何故か花子さんも一緒について歩き始める。次々と「ここじゃねぇな〜。」と居室を巡るマキさん。「何事!?」と、何か楽しい事でもあるのかと乗ってしまうのが銀河のスタッフ。職員の好海さんと勝巳さんも旅の仲間に加わって仏壇探しの旅が始まる。すると一行の前に、廊下にペタンと座って、掌で廊下を何度も摩っている愛さん(仮名)の姿が!私は思わず、「あの人も拝んでるよ!」とマキさんに叫んだ。すると、「あぁ、ほんとだ。」とマキさんは、愛さんの隣への床に座り込んだ。すぐさま私も隣に座ると、花子さんも一緒に座った。好海さんと勝巳さんもそれに続く。みんなが床に座ったところで、マキさんが手を叩いて拝む。“え?それって神棚の拝み方じゃぁ?”と一瞬思ったが、戸惑う暇なく皆で手を叩いて拝む。躊躇した私は遅れて拝み、顔をあげると、皆で横一列に並んで座っていたはずなのに、愛さんはこちらを向いて「だんだんっ♪だんだんっ♪」とリズミカルにいつもの言葉を発しながら顔をあげて…なぜか、私に迫ってくる。拝むのを一瞬躊躇した私を咎めているのかとおどおどして困っている私をほったらかしてマキさんは「さあっ、休むか〜。」と気が済んだのか立ち上がり、一行は解散しマキさんは居室へ戻って寝てしまった。
 しばらくして、北斗のリビングに居るのは、茂樹さん(仮名)と私だけになった。茂樹さんは、普段とても寡黙な方で、一日中、車イス上で目をつむって腕組みをされていて、一見すると眠っているように見える。しかし、職員が食事の準備をしていると、「早く持ってこい!」「何ぐずぐずしてやがる!」と亭主関白に早変わり。ぬるいお茶を出した日には「ぬるい!1200℃の持ってこい!」と注文も。が、最近は「熱い!90℃でいい。」と普通になることも。そんな茂樹さんは、マキさんの仏壇探しの際も腕組みをしていつものように車イス上で目をつむっていた。ところが、「茂さ〜ん」と声を掛けると、突如、手を叩いて合掌する茂樹さん。「えっ?茂樹さんも仏壇拝むんですか?」と尋ねると、「まだ拝んでない。これからだ!」と言われたが。盆入り間近、七夕の夜の不思議な出来事であった。
 現代においては、多くの人は仕事に追われ、ゆっくりと夜空を眺めることは難しい。けれども、時にそれが必要なこともある。銀河の里には多くの宇宙が広がる。一人一人が、それぞれの宇宙で生きていて、月にウサギがちゃんと棲んでいたりする。
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昌子画伯、大健闘! ★特別養護老人ホーム 中屋なつき【2011年8月号】

 先月24日、石神の丘美術館にて昌子さん(仮名)が作品を出品していたプリン同盟10周年記念展が終わった。約1ヶ月半の会期中、何度か地震があったが、そのたびに「絵、落ちてないかなぁ?」と語っていた昌子さん。以前は地震なんか起きたら硬直して泣き出していた人が真っ先に作品の無事を案じていることが驚き、「地震は怖くないの?」と尋ねると、「だって自分の絵だもん!」と作家としての自信に満ちた笑顔を見せる。この大きな変容に、こちらも嬉しさで身震いする。「自分の作品だから片付けも自分も行く」と表明し、その日を楽しみにしていた。
 最終日の24日は、併設の道の駅も合わせてイベントも盛りだくさんで、作品の搬出も兼ねて一緒に遊びに行った。日曜日ということもあり、家族連れなどで賑わっている。人の多い所が苦手な昌子さんのはずだが、なぜか落ち着いていたというよりウキウキしていた! この日はプリン同盟による「10段プリン」なる披露があると聞き、楽しみにしていた。写真では見たことはあったが、実物を見るのは私も初めて。プリン同盟結成の年から、会長手作りのプリンを重ね続け、10年目の今回はプリンのピラミッド(?!)も10段になるという。昌子さんも「それって、私も食べれるのかなぁ?」とワクワクしていた。
 道の駅の広場にアナウンスが流れ見物人がドッと集まり人垣ができる。舞台の上には会長ほか数名の同盟員が登場、「あ、始まる!行こう行こう!」と私たちも駆け寄る。人混みに弱いはずの昌子さんが気になったが、心配無用だった。一段ずつ積み上げられるたびに「おお〜!」というどよめきと共に拍手と笑いが起こったが、その様子を「ふふふ♪」と楽しそうに眺めている。途中、少し前に陣取っていた小学生くらいの女の子二人組をジッと見つめていた昌子さんが「あの女の子の帽子!」と指をさした。見るとその子がかぶっていた帽子に、なんと昌子さんが作ったプリンバッチがちょこんとついている!(会期中に訪れたとき、私たちが躍起になって「ガチャガチャ」に群がり、なんとか昌子さんの作ったバッチが出るまで回し続け、ついぞ手にすることのできなかった物で、「でも、どこかの誰かに当たるのも嬉しいよね」と話していたのだった。)これには日向さんも私も興奮して「わぁ!」と叫び、思わずカメラを向けて、女の子に不振な顔をされちゃったほど…。昌子さんもニタリ♪としている。
 そうこうするうち、ついにプリンタワーも大詰め、崩れることなく最後の10段目が積み上げられた! 大歓声が起こる。会長さんの顔にもやっと安堵の笑顔。「みなさん、ぜひお近くに寄って記念撮影をどうぞ!」というアナウンスに、昌子さんも携帯を取り出した。そして、なんと人混みをかき分けグングンと前に進んで行くではないか!「な〜にが人見知りだいっ!」と突っ込みたくなるほどの勢いで、プリンタワーと会長さんの姿をバッチリ写メに収めると、また人混みの間を満足気な笑顔で戻ってきた。日向さんはそんな昌子さんを後ろから見守り、バッチリ写メに撮っている。
 その後は美術館で展覧会最終日のイベント「プリン縁日」を存分に楽しむ。同盟の方々が作ったプリンにまつわるユニークなお面の数々、くじを引いて当たりが出るとプリングッズがもらえる屋台風コーナー等、お楽しみがいっぱい用意されていて、昌子さんは目移りしながらもウキウキを隠せない様子。同盟員さんたちの中には、私が学生時代にお世話になったギャラリーの方や、そこで知り合った作家さんたち、大学の先輩や後輩もいて、まさに10数年ぶりにお会いできたことに私はとても興奮していたのだが、昌子さんとしては初対面。さて、どうなるか…と思っていたが、好奇心が勝ったよう。同盟の方々が共通して持っている「ゆるゆるな感じ」に人見知りは必要ないのかもしれない。
 くじのコーナーへ臆さず進み出ると、「一回、いくらですか?」と自分から話しかけている。同盟員さんからゲームの種類や遊び方をにこやかにゆるゆる〜っと説明してもらって、「じゃ、これ、やる♪」と昔ながらの型抜きを選んで挑戦する昌子さんと日向さん。残念ながら失敗して、受け取った残念賞がなんとあの「ましゅろープリン」だったので大喜び。会場では昌子さんは緊張することなく終始ニコニコとリラックスしていた。
 展覧会の公開時間が終わり、片付け作業が始まる。会場には学芸員さんと同盟員の人たちだけとなり、例のガチャガチャを取り巻いている一団に昌子さんも自然と加わって、一緒にワイワイやっている。プリンのように柔らかで、おもちゃのカプセルひとつにクソ真面目に心の底からワクワクできちゃうような大人に対して、人嫌いなんか必要ないのだろう。
 昌子さんの絵も壁からおろす前にぜひ写真を撮りたかった。私が会長の三河さんに、昌子さんと一緒に写真に入ってほしいとお願いする。会長さんは快く引き受けてくれて昌子さんの絵の前でポーズを決めてくれる。それにつられて照れていた昌子さんも隣に立って良いツーショットが撮影できた。
 片付ける作業もテキパキ、借りた額も丁寧にお返しした昌子さん。一緒に作品を梱包しながら私は、美術館デビューまでの一連を振り返って、しみじみと感激していたのだが、昌子さんは「この絵、ワークに持って帰ったら、どこに飾る?」と、次の展開を思い描いている。そこへ「一緒に入って〜」と同盟のみなさんから声がかかる。無事に展覧会が終了した後の記念撮影に誘ってくれたのだ。今まで銀河の里でも集合写真を撮るような場面では遠くに逃げ去って写真に写ることのなかった昌子さんが、この日は堂々とみなさんと一緒に写真に入ることができたのも、この数ヶ月間、プリン展に取り組んで成長してきた昌子さんの自信の表れだったのではないかと思う。
 お世話になった学芸員さんに挨拶し、そろそろ帰ろうか…という前に、「みかわやさんにお話する…」と自分から切り出した昌子さん。察してくれた会長さんの「次も何か出品する?」と誘ってくれた一言に、待ってましたとばかりに「うんっ!」と満面の笑顔を見せる。早々に8月からやるという「第10回プリン展」への出品の打合せを自分でしている。 「あそこは美術館より狭いから、今回みたいに大きいのは無理だよ」「わかってるよ〜! このくらい(A4の紙を見せて)の画用紙に描くよ〜」 「うんうん、それならいいね、額もあるから」 「うん!♪」


 こうして昌子さんの美術館デビューが大成功に終わったことで、作家としての創作意欲はさらに広がり、2日間のうちに新作を描き上げ、「みかわやさんに渡してください」と伝えてきた。「額に入れたりするでしょ?間に合うかな?」と段取 りまでしっかり考えている。後日、「無事に三河さんに渡した よ。絵、見て、三河さんも笑ってたよ」と伝えると嬉しそうにニンマリして、「でも(盛岡に)見に行けないな。次の土曜日は夏祭りの看板づくりがあるでしょ? その次はお盆のネギの出荷が忙しいから。お仕事、忙しいから〜」行けなくて残念というよりは、責任を果たす仕事人としての一面も押さえている。大きく世界を広げ成長した昌子さんの今後が楽しみである。
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厨房研修 〜 八戸 ★厨房 畑中美紗【2011年8月号】

 八戸に食材の調達も兼ねて調理研修に行こうと理事長から話しがあった。今回は、厨房スタッフ全員で参加したいと言うことになり、各ユニットにもお願いをして、3食分を真空パックで準備して出かける体制をとった。初めてのことで、出発ギリギリまでおおわらわだったが、出発することができた。
 私は、八戸の街を歩くのは初めてだったが、八戸は、震災の被害に遭いながら、岩手ほどではなく、復興の勢いもあるようで、街が元気だった。
 ワークステージで、以前からの知り合いだという、『さばの駅』に早速出かけた。私は初めてさばのコース料理を味わったのだが、その調理法の豊かさに驚いた。里でも6月の行事食の鯖寿司は、八戸から仕入れた〆サバを使って提供して好評だったが、「さばの駅」と名乗る店だけあり、ここの本格サバコースは、とにかく肉厚で、味も違っていた。
 特に私がびっくりしたのはさばのみそ煮だった。さばのみそ煮といったら、生臭さを香味野菜のしょうがやねぎで消す、というのが常識だが、全く生姜の味も香りもない・・。それをめぐってあれこれ議論しているところへ、わざわざ、我々が来たというので本店から社長の沢上さんが顔を出してくださったので早速そこを追求する。沢上さんが言うには『さばの生臭さを消そうとして逆に生姜臭くなってしまいがち。そこで違う方法を考えた』というのだった。酒かすと牛乳にニンニクを使っているらしい。銀河でもあの味噌を再現して、ぜひ給食で出してみたい。
 沢上さんは町おこしに賭けている情熱的なおじさんだ。話を聞いていると、こちらも頑張らなければ!!という気持ちにさせられる。「震災後、被災地で採れるはずだった魚が八戸でどんどん水揚げされていて、自分たちだけが得していてはこんな不公平なことはないのだからこれを分かち合うんだ」とも話していた。
 震災から、もう5か月たとうとしているが、まだまだ復興の道は遠い。住田町の実家から近い陸前高田は、私にもなじみ深いところだが、震災後の光景は余りにも現実離れし過ぎていて、実感さえわかないくらいだ。私の父も、地元で毎日仮設住宅づくりで休みなく働いている。この震災から地域が立ち上がるために、いろんなところでみんながんばっている。私に出来ることはどんなことでもやっていこう、と沢上さんの話を聞きながら、改めて思った。
 食事の後、鯖の駅の店員さんのおすすめのお店で飲んだ。港町だからか、みんな社交的で店内の人たちみんなが話しかけてくる。内陸との違いなのか全く違った感覚がある。お店には、観光協会の方とか、ちょっと怪しい老健の事務長さんだったり、海岸でレストランをやっているオーナー夫婦だったりで賑わっていた。その旦那さんが、明日来るのだったら朝のうちにウニを自分が捕っておくと言うので食べに行く約束をした。ウニがあまり得意でない私にとっては、期待半分、不安半分・・。
 翌日は朝市をのぞいてみた。驚いたのは朝市のその広さで端から端まで歩くだけで1時 間はかかるくらいだ。魚など海のものばかりではなく果物、野菜、惣菜、小物あり、喫茶店あり・・果ては車まで売っていた。朝市というより祭りのようだった。厨房のかぁさん稗貫さんは、マグロを1匹丸ごと買いしょって帰った!!厨房用にすき昆布や出し昆布なども調達した。
 朝市の後、昨晩の流れで、例のお店へ。隠れ家的な雰囲気の良いお店で、シェフが約束どおりウニを朝潜って取ってきていた。生うにのパスタはクリーミィで濃厚。普段ウニを食べない私でも、1皿ペロッと食べてしまった。たいしたものだ。シェフが冗談交じりで「今日のメインディッシュはこっちだよ」と出してくれたデザートのプリンは、ウニを抑えてのメインと言うだけあって新次元の絶品だった。
 今回の研修では、全員が食に関わり興味のある人なので、見る視点も違うし、この味はどうやって出しているんだろうとか、いろいろと話が盛り上がった。本物の食材はやはり全然違う。これを縁に八戸とも繋がりながら食材の仕入れなど積極的に展開していきたい。いいものに触れる事で、自分自身の味覚や感覚を鍛えて、里の食事をもっともっと工夫した楽しい料理にして『脱・給食』をさらに推進していきたい。
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デパートにて試食販売会 ★ワークステージ 村上幸太郎【2011年8月号】

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★餃子・焼売を製造する惣菜班は、お中元ギフトの製造のかたわら、試食販売会にも参加しました。先日は岩手で有名なデパートにて販売会を行い、予想以上の売上でした。現在も月1ペースで販売会に参加しています。
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今月の書「帆」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2011年8月号】

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風を受けて進んでいく

向かい風を追い風に

掲げたその思い支えにして

ただまっすぐに

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