2011年07月15日

鈴 ★佐藤万里栄【2011年7月号】

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「チャリティーライブ」改め「一撃劇場」 ★特別養護老人ホーム 酒井隆太郎【2011年7月号】

 銀河の里にきて一年が過ぎた。俺は、自動車のセールスマンから転職した35歳の、妻と3人の子供と暮らすただのオッサンである。この1年、もの凄く濃密で過激な時間が過ぎ、新鮮で刺激的、且つ感動に満ちた日々だった。利用者と出会うたびに俺自身が変化していくのが感じられた。介護の経験も勉強もしていない俺だが、この1年、全力で走り、失いかけていた生のリアリティを取り戻すことができたように感じる。これは、利用者の激しい個性との出会いで支えられたのだと思う。本当にありがたいことだ。
 中でも、今年90歳になるKさんは特にインパクトがあった。人の何倍もの拘りがあり喜怒哀楽を自由に表現し、鋭い眼光で睨んでいる。デカイ声、ハッツキリとしすぎる意思表示、年齢や性別を超越した存在に感じる。
 彼女は任侠映画、チャンバラ映画に造詣が深く、勝新太郎が好みだ。確かに雰囲気もまるでオンナ親分か組長といった感じである。ちなみに食べ物は、芋類が好きで、特にサツマイモが好きである。
 そして歌も大好きで、頭の中には古い歌が、昔で言えばジュークボックス、現代で言えばiPodのごとく、たくさんインプットされている。俺も、ギターを中学から弾き始め、素人ながらライブも打ってきた経験があり音楽は大好きだ。歌で、俺と組長は出会った。ギターを組長の前で弾くと、組長は自分のその時の気持ちを歌で表現してくれるようになった。
 これがきっかけとなり、俺は組長配下の組員となり、いつか組長とのステージを実現させたいと思っていた。そんなある日、ワークステージの昌子さん(仮名)が俺のところにやってきた。話しを聞こうと俺が近づくと、その子は泣き出した。髭に坊主頭、オマケに組員風のTシャツは、あまりにも強烈で、怖かったのだろう。一緒に来たワークのスタッフ、日向さんの説明では、石神の丘美術館で開催される美術展に彼女の絵が出展されるということであった。(詳細は先月号中屋、今月号日向の記事参照)出展用に絵を入れる額は何とか手当てできたが、マットの費用が足りない。泣いている彼女は募金箱を抱えていた。そういうことかと感動したおれは早速、募金をした。その時、フッと浮かんだ。「その募金活動俺にも手伝わしてくれや」。
 俺はギターでチャリティーLIVEをやろうと思ったのだった。「がんばろう」なんかじゃ嫌だ。名付けて「サンダーロードへの道・一撃劇場」と銘打ち、6月13日月曜日、特養交流ホールPM2時開演と決まった。
 早速この話を組長に伝えると「いい話しだ、そうゆうことなら協力しよう」と二つ返事だった。本人がステージに出ることはさすがに躊躇していたが、腹を決めてくれたので俺もホッとした。
 普通のLIVEじゃない、利用者やスタッフが演奏中も歩き回ろうが、ヤジろうが、好きにしていいスタイルにしたかった。流し風ライブだ。会場にはギターケースを置き、それに募金を投げ込んでもらう。この感じで行きたかった。
 当日、車いすも自由に行き来できるように通路を確保して椅子を並べセッティングした。ギターケースの位置は特に重要だった。舞台前と通路側に2カ所設置した。そして満員御礼の交流ホールで「流し風ライブ・一撃劇場」の開演となった。ノリノリの曲をガンガン歌って始まった。3曲続いて盛り上がったころ組長の登場。2曲をガッツリ歌って上機嫌、歌い終わってもステージから降りず最後まで壇上に居座った。歌い足りないのか、俺が歌っている曲も歌い込む。俺の曲が終わると組長が歌う。まさに組長と組員のタイミングで進んでいった。
 観客席は観客席で凄かった。ショートステイ利用中のKじいさんは、歌っている俺を目を離さないで睨んでいる、そして、曲がいよいよサビの部分にかかろうとする、まさにその時オーーーーーーっと叫ぶ!!完璧に俺の歌の進行を見抜いてる。俺が盛り上がろうとすると必ず叫ぶ。曲も歌も全く知らないはずだが。こんなライブ経験したことがない。アドレナリンがほとばしりノリが絶頂に至る。そこに経管で寝たきりだが、ノリにはさらに乗ろうというFさんが会場に現れ、「ホレホレ」と楽しげなかけ声で盛り上げてくれる。
 そして、肝心の募金。若いスタッフ三浦くんと一緒に来ていたSさん。SさんはレスキューSさんと呼ばれるだけあり、特養で何かあると必ず駆けつけて手伝ってくれたりする。三浦君が小銭を出すと、Sさんはダメダメと手で四角を作っている。「小銭じゃだめだ。札を出せ」ということなのだ。「粋だねぇ〜」。だが小銭しかない三浦くんは、なんとか説得。ところがそれを受け取ったSさんは投げ込むかと思いきやスタスタとギターケースの前を素通りしてしまった。「あれどこ行くの」と慌てていると、ひとまわりして、ポイッと投げたのは曲の終わりとぴったり同じだった。お見事!
 俺も数々のライブをこなしてきたが、こんなに弾き手と聴き手が一体となった、濃くて凄まじいライブは経験したことがない。一番印象に刻まれたライブとなった。まさに劇場だった。
 最後に組長の挨拶で締めてもらうことにした、組長は「あいよ」とばかり引き受け、「みなさん、今日は集まってもらってありがとうござんした」などと実に筋の通った見事なあいさつと、三本締めで幕を閉じてくれた。
 熱気を帯びた劇場が終わり、撤収作業をしていると、組長が床を指さして「ここに“爺さん”ごろんとねでらじゃ。」 と俺に言う。驚いて見るとそれは募金のために床に置いたギターケースではないか。いやぁー、ここでも締めてくれたぜ組長・・・。
「こんな、里の劇場ライブをみんな見に来いや!」  
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今月の一句 ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2011年7月号】

‐おいしそうな書?
・梅雨の日に 一文字とめる それぞれに おいしい言葉 嬉しい言葉


・昼下がり みんなで書いた お習字は おいしそうだし うれしそうだし

 
 雨の日、ソファに座っていたミキさん(仮名)の隣りに私が座ると「なんだか退屈な日ですね〜」と一言。ミキさんは書道をやっていたと聞いていたので、いつか書いてもらいたいと思っていた。よしっと思い「習字をやりませんか?」と誘うと、躊躇なく「いいですね」と返ってきた。「和室が良いですか?リビングのテーブルがいいですか?」と聞くと「みんなで書くのが良いのです。」とリビングを選んでくれた。
 テーブルに居たクミさん(仮名)も乗り気になってくれた。普段は消極的なクミさんも「墨するんだべ」と硯をごりごりしてくれている。それをみて「上手ですね」とミキさんがほめる。
 さて墨の準備が完了し、いざ筆を持って半紙に向かったのだが、二人とも何を書いたらいいのか手が止まってしまった。私もどうしたものか戸惑っていると、ちょうどそこへ特養スタッフの真白君がやってきた。クミさんがニコニコで手招きして「おめさん書いてけで」と真白君に頼む。「えっ、なんて書けばいいの?」と突然の状況に戸惑いながらも「クミさんの好きな食べ物は?」「肉?魚?」と聞く。クミさんが「魚だな」と言ったので、真白君が“刺身”と大きく書いた・・・。
 その字を見て「おいしそうですね〜」と褒めたのだ。私はミキさんのその一言に感動!お習字の字を見て「おいしそう」と評価するミキさんにびっくり。このような粋な言葉がはけるのがミキさんなのだ。(こんなほめ方されると、字は下手でもなんか書いてみたくなるではないか。)
 ミキさんには5月にひ孫さんが産まれたので、ひ孫さんの名前を書いてもらいたいと頼むと、スラスラと書いてくれた。その書は、ミキさんが寝泊まりしている和室の壁に飾ってある。その作品が一つあることで、和室の雰囲気がまた違ったものになった。
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「記録」ではない写真 ★ワークステージ 佐々木哲哉【2011年7月号】

 銀河の里で働きたいと思った理由はいろいろあるが、そのひとつがこの「あまのがわ通信」だった。たまたま持ち帰った過去の通信のなかで、表紙が目にとまった。みんな寝静まったと思われる夜のグループホームの薄暗い畳座でスタッフとおばあさんが座って向き合いながら、そのおばあさんが手にした人形を見つめ合っている写真で、なんともいえない温かみを感じた。二人の寄り添う姿はもちろん、そんなやりとりを見守りながらカメラを手にして、あえてフラッシュなど使わずにそっとシャッターを切った人がいることに、強く惹かれるものがあった。
 ところがいざ里に入って働き始めると、外出など行事の際に利用者さんを至近距離から無造作に何枚もパシャパシャとシャッターを押す職員に違和感もあった。
 実は私も写真にハマッていた時期がある。一眼レフカメラを手に、休日は旅に明け暮れ大量のフィルムに景色や出会いなどを収めた。ある程度撮り慣れると、風景写真はタイミングと構図さえよければそこそこ満足いくものを撮れるようになってくる(もちろんプロはそこに至る過程や描写が半端でなく、素人の自己満足ではあるが)。だが人物写真はそうはいかない。「日の丸構図」にしないこととか、何でも取り込もうとせず対象を切り取って絞り込むことなど技術的な点もあるが、人間という喜怒哀楽のある動く被写体にいかにカメラを意識させないで自然な表情や一瞬をとらえるか、が難しい。なにより撮る対象となる人との関わりやまなざしが希薄だと、ただの平べったい集合写真や記念写真、味気ない「記録」っぽいスナップになってしまう。
 私は旅そのものがいつのまにか撮影目的になり、目の前の光景や情景を何でもファインダー越しの枠のなかから意図的・計画的に見ようとしている自分に気がついて、急に熱が冷めつまらなくなってしまった。と同時に、旅も写真も「風景」として眺めるのではなく、「暮らし」として自然や地域と接したい気持ちが強くなり、逆に自分自身が撮られる側、風景の一部になりたいと思うようになり、構えて射貫くような一眼レフカメラを手に取らなくなった。

 時を経ていま、再び写真を撮ることに面白さと使命感のようなものを感じはじめている。田畑やリンゴ園で作業する畑班は、一日として同じ日などなく、自然の中で移ろう四季とともに巡りゆく農業は、人の営みも動植物の営みも全て芸術的で、シャッターチャンスには事欠かない。田の泥を這うタニシのつけた足跡すら、美しい模様を描く作品のように見えてくる。さらに今年から里のホームページでブログが始まって、より伝わる写真を撮りたいと思うようになった。作業中いつどこでも撮ることができるよう防水 ・防塵タイプのコンパクトデジカメをいつもポケットに忍ばせて、思いつくままに撮ったり編集したりして楽しんでいる。
 一方で被災地では、それまでの営みや思い出も津波が奪い去った。瓦礫のなかからみつかった、泥にまみれたアルバムや写真を修復し、保存して持ち主に渡す作業は今なお大事な支援のひとつとなっている。また大手インターネット会社による「未来へのキオク」と題した、被災体験や被災前後の写真や動画が閲覧でき、共有し、記憶を通じてつながっていける仕組みも用意されている。
 大半の地域では、7月中に仮設住宅へ移り、不便な避難所での暮らしから解放される半面、助け合って絆が生まれた仲間たちとの悲しい別れもあり、新たな局面・試練を迎えようとしている。
 あの日から4ヶ月‥‥これまでになかった個の空間や時間ができることで、迫りくる津波から逃れようとして離れてしまった相手の手の感触など鮮明によみがえってくる記憶や、あらゆるものが混ざった汚泥や流出した冷凍魚の腐敗臭など、さらに作られていく記憶が、被災者を新たに苦しめようとしている。後悔や自責の念とともに五感に染み込んで一生消すことができない凄惨な「記憶」を抱えた方々には、震災前の記憶だけでは生きていく原動力としてあまりに心許ない。予期せぬ思わぬ偶然や、奇跡ともいえる新たな出会いや出来事に支えられて、そこから生まれる新しい「記憶」が、自ら命を絶つことを思いとどまらせたり次の一歩を踏み出すうえでも必要だと思う。

 撮影のプロではなくても、銀河の里には相手の気持ちや記憶としっかり向きあって見守るプロの素地があると思う。それを具現化して伝えていくひとつの手段として写真があるのなら、それは単なる画像でも記録でもなく、記憶に残る出来事や瞬間を、あるいはふと記憶が甦るような時空に寄り添った情景を写すことができるかもしれない。認知症高齢者の方にも、被災された方にも、私たち誰にでもある「記憶」をそっと支えるような、ささやかな一助になりたいと思う。

  「人が人に関心を持つ限り、人のありようを写した写真は、時を超えて残っていく」
  写真家・長倉洋海

 「問われるのは、撮影者が何を見ているかにつきる」
 写真家・岩合光昭 ‥‥2011.1.10 朝日新聞グローブ特集「写真は死んでいくのか」より  
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プリン展 ★ワークステージ 日向菜採【2011年7月号】

 先月の6月11日から、岩手町の石神の丘美術館で「プリン同盟10周年記念展」が開かれており、ワークステージの昌子さん(仮名)の絵も出展されている。6月はじめに直接美術館に絵を搬入してから、昌子さんはプリン展を見にいくことが待ちきれない様子だった。新聞にプリン展が紹介され昌子さんの絵が載った記事を見て、言葉にはしないが満足げに「にたーっ」と笑っていた。
 今回、10枚の絵を出展したので額装に値段が張った。美術館で額はいくらか借りられたのだが、額の下敷きのマットは自費購入となり、そこそこいい値段がするため、マット購入代を「プリンカンパ」として募ることになった。
 昌子さんのお父さんが作ってくれた木箱に、プリンの絵と「プリンぼきん。」と書き、募金箱を作った!さっそく昼休みにふたりで各部署に募金にまわった。特養には、昌子さんが初めて会うスタッフもたくさんいた。特養スタッフの酒井さんに会ったとき「やくじゃみたい・・・」と怖くて泣いてしまった。でも本当は酒井さんはいい人で、昌子さんの一番の味方になってくれた。その場で「ギターライブで募金を呼びかけよう」と提案してくれて、泣き顔も一瞬で笑顔に変わった。私といっしょに募金に回れないときは、昌子さんが一人で各部署を回っていた。人見知りが激しい以前の彼女を知っていると信じられないくらいだ。回り終えて「いっぱい集まったよ!」と募金箱をジャラジャラ振って帰ってきた。なんとたった1週間で2万円ほどのカンパが集まったことに驚いたし、昌子さんが周りの人を巻き込むパワーにも驚かされた。
 そして私たちもいよいよプリン展に出かけた。昌子さん、中屋さん、関さん、まりえさんにくわえ、昌子さんはワークの新人、真央ちゃん(仮名)も誘い出し、6人で岩手町に向かった。
 行きの車の中では、昌子さんがつくったプリン同盟の会長三河さんへのプレゼントで盛り上がった。プリンの絵が書かれたうちわや、プチプチにいろんな色のシールを貼ったグラデーションのきれいな作品などなど…。なかでも特に話題になったのは、「ましゅろープリン」というプリンに羽と足がはえた謎の生き物の絵。無邪気な感じでこちらに向かって「べーっ」と舌を出している。「これ一体なに?」というみんなの声に「ましゅろープリン!だから〜ましゅろーだってば!」と昌子さん。「ましゅろーってなんだ?」と悩んでいるみんなの顔をみて楽しんでいた。今までの昌子さんのやわらかい感じの絵とは少し違った感じで、昌子さんの中でどんどん世界が広がっているのを感じた。
 車で1時間半、石神の丘美術館に到着。腹ごしらえをした後に美術館に入場!ところが入口で待ち構えていたのは、プリンに人間の足と手と目がついた、かなりグロテスクな人形。その人形が怖くてなかなか美術館の中に入れない昌子さん。逆に、真央さんは奇妙なその人形に興味津々で、人形と一緒に記念撮影していた。もちろんその人形は入口だけではとどまるわけがなく、展示室にはもっと大きな人形が飾られていた。私たちが作品を見て回っていても、昌子さんはなかなか展示室に入れず遠目で見ていた。でも、三河さんが制作した昔話の「大きなかぶ」をパロった「大きなプリン」という、絵本を見つけてニコニコになり、それで切り替えることができた。
 次に私たちは「スタンプリンラリー」に参加。美術館のまわりの森を散策しながら10個のスタンプを探しに出掛けた。「うまプリン」や「ねこプリン」、シークレットスタンプも押してすべてのスタンプリンを集めた。広い敷地のなかにところどころにプリン柄をしたきのこが生えていたり、木にプリンの絵がぶら下がっていたりとプリン同盟にいたずらはいたるところにあり、私たちは終始大興奮だった。
 ラベンダー園の前では「野プリンの会」というイベントが行われており、そこで会長の三河さんに会うことができた。「プレゼント渡せるかな?三河さんに会えるかな?」と心配していた昌子さんもホッとした様子。3週間かかってためこんだ三河さんへのプレゼントを渡した。紙袋からつぎつぎでてくるプレゼントに三河さんもびっくりしていたが、やはり「ましゅろープリン」の絵は三河さんも解明できなかったようだ。また、例のグロテスクな人形を作っている鎌田さんにも会うことができた。昌子さんは微妙そうな表情をしていたが、「あの、あの、ましゅろープリンつくってください」と頼みつつ、「もっとかわいいやつ作ってください・・・」と真剣にお願いしていた。
 帰り際、いろんな方のバッジやキーホルダーなどの作品が入っている「ガチャガチャ」に挑戦。昌子さんのつくった「ゆうほうプリン」の缶バッジもガチャガチャのカプセルに入っていたが、なかなかそれはでてこない。何回まわしても出てくるのは、あのグロテスクなプリンの人形だ・・・。昌子さんもプンプンと怒っていたが、なんだが楽しそうだった。本当はその人形が好きだということなんだろう?
 美術館を4時間かけて堪能。帰りの車中、スタッフがぐっすり眠っているなか、昌子さんは興奮が収まらず音楽を聴いて楽しんでいた。普段、人の目が気になってなかなか外出できない真央さんは、この日は周囲の人を気にする様子もなくプリン展を思う存分楽しんでいた。別れ際、真央さんが誘ってくれた昌子さんに「昌子ちゃん、今日は誘ってくれありがとう」と声をかけており、いっしょに出かけられてよかったと思った。
数日後、私のところにやってきた昌子さんから「あの…募金してくれた人に絵をプレゼントしたい」との提案があった。昌子さんは募金にまわったときお金を入れてくれた人の名前をメモしていた。「いつかお返したい」という思いからだったのかもしれない。募金してくれた人は30名ほどいる。その人その人のことを考えて絵とメッセージが書いている昌子さん。その絵をプレゼントしたところからまた何かが生まれそうな予感がしてワクワクしている。
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厨房の挑戦 自分たちで育てた野菜を食卓へ ★厨房 小野寺祥【2011年7月号】

「厨房でも野菜を育てたい!!畑をやりたい!!」そんな思いが厨房スタッフにあった。“2011年2月号 厨房奮闘記 その参”でも取り上げたが、世間一般的には、厨房は各業者から買った食材を使って料理をつくる。だが里では、田んぼや畑を耕し、米、野菜を育てるところが基本にある。なんでそんな大変なことしなきゃならないのと思うかも知れないがここが大事なところだ。自分が作る献立の背景に田んぼや畑があり、みなで耕し、育て収穫し、調理して利用者と一緒に食べて味わい、それを生かしてまた献立を作る。このような経験は、なかなかやりたくてもできることじゃない。
 今まで、耕し、育て、収穫し調理し食事に至る流れのなかで、厨房は「耕し、育てる」というところにあまり関わってはいなかった。里で収穫された野菜をもらっていたのだが、せっかく畑も田んぼもあるのだから関わりたい。
 厨房会議で理事長が「今年はトマト作らないんだよ」と残念そうに言った。厨房としても里のトマトやピューレはとても重宝しているので、声をそろえて「トマト育てます!私たちも畑やりたいです!!」と叫んだ。畑や田んぼの真っ只中にいて、耕作栽培に触れずにいた違和感を厨房スタッフみんなが感じていたことにも驚き感動だった。
 数日後、ひとつのビニールハウスを借りて、厨房ハウスの挑戦がはじまった。私自身、畑をやりたい!との気持ちは強いものの、東京生まれで、岩手にきても街育ちで、知識も経験もない。なにもかもが初めての経験だ。土の匂い、ヒヤっと気持ちのいい土の冷たさ。こんなに土が気持ちいいんだって初めて感じた。普段なら服が汚れるのを気にするところだが、土おこしが始まると楽しくて、土で汚れるのはお構いなしで夢中になった。
 この畑からトマトのすべてがスタートする。植物の成長を日々感じ、夏には収穫を迎えみんなでそれを頂く。氷でギンギンに冷やしてみんなでかぶりつきたい。こんな料理も、あんな料理も作りたい!と気持ちも高まる。
 途中休憩でハウスから出て裏の土手に座り込んでみんなで休憩しながらお茶を飲む。そこから見えるながめのなんと心地よいことか。汗を流したからこそ見える絶景。畑に関わることで思わぬ経験が一杯できそう。
 毎朝、水やりを続けながら、苗が大きくなっているのを確認する。大きくなるとまた新しい作業が始まる。すべてが初体験だけに感動もありそう。銀河の里にきて3度目の夏。今年は今までにない経験がいっぱいできる夏になりそうだ。
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謎解きに苦しむ日々 ★グループホーム第1 中村綾乃【2011年7月号】

 新人の中村さんが、ミサさん(仮名)の「痛い」をテーマに新人スタッフとしての戸惑いを書いてくれた。それに対して先輩の山岡さんと理事長にコメントをお願いした。合わせて読んでもらいたい。

 「足が痛い」と言ってスタッフを呼ぶミサさん。足が痛いと言うので、足をさすると、「違う!」と怒られてしまう。違うのなら足をさすらなくてもいいのかと、さするのを止めるとまたすぐ「足が痛い」と訴えられる。そこでまた足をさすると「違う!」と怒られる。その繰り返しのなかで私は「何が違うんだよ。」と腹が立って、ミサさんと話すことが嫌になってしまった。当初私は、ミサさんの訴えを、言葉通りにしか受け止められず「足が痛い」と言われると、単純に足をさすることしかできなかった。
 ある日何人かスタッフがいる中で、ミサさんは私に向かって「足が痛い、足が痛い!」と繰り返し呼んでいた。ミサさんが私のことを呼んでいることはわかったが、ミサさんの「足が痛い」という訴えに全く対応できず悩み、「うるさい」とまで思い始めていた。私は、ミサさんに向きあう気持ちになれず、無視するしかなかった。他のスタッフがミサさんに一生懸命に話してくれたが、ミサさんは私を呼び続けた。私は無視し続けた。
 その日、グループホームのケアプラン会議があった。その中で、ミサさんの「足が痛い」は事実として足が痛いのではなく、誰かに側にいて欲しかったり、心が痛いなどの訴えであると気づかされた。「足が痛い」という訴えから始まり、話をしていくうちにミサさんが訴えたかったことは「山がきれい」ということだったという日もあった。最終的にたどり着く答えは様々でも、話の始まりは「足が痛い」から全部始まるので、本当に何を言いたいのかは話の流れで考えていくしかない。だから、一対一で向き合って最後まで話していかなければ、何を訴えたいのか永遠に分からないままになる。さらに、ただ話していたら良いという訳ではなく、言葉の裏の裏を考えながら、頭を使って話していかなければ会話は展開せず、つまらない会話にしかならないということも解った。
 会議直前のミサさんとのやりとりは、ミサさんは鋭く私を見抜いていて、表面上の言葉にとらわれて、単純に受け答えしていては、深く難しい部分で人と繋がっていけないということを私に伝え教えようとしていたのだと感じた。単純明快なだけの私が、この仕事を今後やっていけるか試そうとしてくれていたんだと、気がついた。
 会議の数日後、また「足が痛い」と呼び続ける日があった。ミサさんの気持ちが高ぶり、私の気持ちも高ぶり、お互いにいっぱいいっぱいになっていた。和室に横になってもらい、トイレに行く、このやりとりが1時間近く続いた。2人とも最後は疲れ果て、一緒に和室に横になった。ミサさんは「一緒に寝ましょうか?どうぞ」と私のために枕を半分空け、「大丈夫?疲れましたか?」と労いの言葉をかけてくれた。この直後、一緒にトイレに行き介助していると、突然、「友達だ」とミサさんは言った。すぐには何のことか分からず、少し考えて「誰が?私?」とようやく言葉になった。「そう」とミサさんは答えてくれた。ようやくグループホームのスタッフとしてミサさんに認めてもらえたのかなと嬉しくなり、涙が出そうになった。今でも、「足が痛い」と訴えられるとなんのことか分からないから、とりあえず足をさすってみる。そして予想通り「違う!」と言われる。以前の私と違うところは、「違うよね、それなら…」と側で寄り添ってみたり、トイレに行 ってみたり、場所を移動してみたり、「足」とは全く関係のない行動をとるようになったことだ。初めのうちは、ミサさんは足が痛いと言っているのに、私は何で関係ないことをしているんだろうと違和感もあった。けれども今では、周りの雰囲気を見ながら、トイレに行った時間を計算してみたり、あれかな、こうではないかな、考えながら行動している。外れることの方が多いが、前よりも考えながら会話しなければならない分、頭が柔軟になったような気がしている。謎かけのようなミサさんの言葉に、全然分からないといって投げ出したくなることもあるけれども、ミサさんが何を言いたいのか分かったときに、得られる感動がある。謎が一つ解けると嬉しくなるから続けていきたいと思っている。


【コメント1】山岡 睦
 ミサさんは平成20年4月に入居して3年目、92歳になる。入居の翌日の朝から、「膝が痛い」と訴えながら部屋とリビングを往復していた。歩いているけど痛いというので首をかしげながら受診した。しかし問診には「特に問題ありません」と言い、検査の所見は異常なしだった。一応、痛み止めの座薬が処方されたが、案の定、関係なかった。
 “痛み”の訴えで呼ばれれば、それが事実でないにせよスタッフとしては無視できない。一旦寄り添うと、語りが始まり、同じ話を繰り返しながらも、少しずつ展開していくが、結構果てしない時間を必要とした。日課や全体のことを考えれば苦しくなることもしばしばだが、そこはスタッフ同士でやりくりして、かなりどっかりと付き合ってきた。
 今思えば、入居当時のミサさんはグループホームで暮らすことを決心するためや、スタッフ一人一人と一緒に生きていく関係になるために“足が痛い”の訴えを必要としたのだろうと思える。
 一方で、家族さんが面会に来られた後は痛みの訴えがなくなったり、会話や作業にはまると痛いも消えた。逆に、不安や失敗があると、それに乗じて次第に痛みの訴えになったり、食事ができなくなることもあった。
 入居後、半年の間に、ミサさんの体調は急激に落ちていった。食べる量が減り、嚥下もうまくいかなくなった。9月半ばには熱が出て、転倒も続き、誤嚥性肺炎で入院。その後、年末まで4回の入退院を繰り返した。その頃の“痛み”はとにかく人を呼び、そばに居させるための“痛み”だった。その時の表情はものすごい迫力で、寄り添った人を離すまいと必死に腕を掴む。掴まれた腕も心も痛い。身体的にも、精神的にも、ミサさんも辛かったと思う。
 あまりの身体的な低下に、もうグループホームでは無理ではないか、年は越せないのではないかとあきらめかけたくらいだった。ところが、なんとか年を越し、思い切って出かけた初詣あたりから、急激な復活を成し遂げた。全身全霊で大きな山を越えたミサさんは全く別人のように変化した。ひと言で言えばそれを境に、霊力を身につけたと感じさせるようになった。
 ケース会議では、シャーマンが選ばれてかかる特別の病を「み病」と言うらしいが、まさにそれだと話題になった。確かにミサさんのこの変化を目撃したものならば、古代人でなくとも、ミサさんは特別な重い病を経てシャーマンとして生まれ変わったのだと言われれば心から納得してしまう。そのくらいのインパクトのある出来事だった。
 事実、それからというもの、ミサさんの言動にはシャーマンの重みと深さを持った不思議さが漂う。特にグループホームの抱えた問題や課題には敏感で、どこかでそれを見通していて、時と場所を的確について介入してくる。
 グループホームがピリピリしている雰囲気だと「足が痛いです」を使ってリビングの厳しい空気を打ち破ろうとして働きかけるし、チーム作りに苦労していると、育て方を指南してくれたりすることもあった。
 ミサさんが今、グループホームの中心にいてくれることは紛れもない事実なのだ。新人さんも我々もミサさんに触れ、ミサさんに鍛えられて育っていきたい。


【コメント2】ミサさんの存在 理事長 宮澤 健
 「痛いんです」という限定された言葉であらゆる世界を渡り歩くことのできる能力は病を乗り越えて帰ってきてから顕著になった。言葉が限定されているからこそ、かえって自在にイメージを乗せたり、あらゆる次元に働きかけていけるのだろう。
 スタッフが、まかり間違っても介護しようなどという浅 はかな気持ちで向かおうものなら、確実にすべることにな る。確信を持って言うが、そんな次元にミサさんは居ない。ミサさんはグループホーム全体を守り、支えるシャーマンとして存在している。その存在から降りてくる言葉は「痛い」に限定されているからこそ幅広く奥深い。その言葉の意味や指し示すことを、拾えるかどうかが我々に問われることになる。高見に立って「どうして欲しいのよ」などとはもってのほかなのだ。シャーマンとしての存在を侮ってはならない。
 「ありゃだめだわ」とミサさんが語ったことがある。さすがの「痛い」も通じなくて普通の言葉で語るしかなかったのだろうか。シャーマンにさじを投げられては救いようがない。
 次元の違う存在を見下し、バカにするしかない現代社会に我々は生きている。そんな社会ができあがって久しい。浅薄で奥行きも深みもない世界を汲々と生き延びていくしかない現状がある。そうした薄っぺらな次元を、ミサさんのような存在は打ち破ってくれる。
 わずかばかり開かれた異次元の隙間から我々は深淵の次元に触れ、体験をすることになる。現代では通常あり得 ないようなことが起こりうるのが「銀河の里」という場で あるように思う。
 今、ミサさんは必死でスタッフを育てようとしているように思えてならない。ミサさんの存在に触れながら、新人さんを先頭に我々はどのように育っていけるのだろう。
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今月の書「願」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2011年7月号】

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何を願おう
何を祈ろう

願えば叶う
そう信じてじっと手を合わせる

心にある想いを天に向けて・・・


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餃子・焼売の屋台販売 ★ワークステージ 村上幸太郎【2011年7月号】

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★惣菜班では5月から月に1〜2回、餃子・焼売の屋台販売を行っております。幸太郎君をはじめとする利用者も、テントの中、餃子を焼いたり、焼売を蒸したりと活躍しています。
今後も盛岡や花巻を中心に、屋台販売を計画しております。お中元ギフトの製造の合間を見つけ、営業活動もがんばります!
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