「お寺の屋根のようになりなさい。」と言ってくれた人がいる。マニュアルだらけの時代に、在り方、居かた、たたずまい、ふるまい、お作法などを語る人にはめったに出会わない。「あなたと私で研究しましょう」その人は私をそう励ましてもくれた。残念ながらこの春、鬼籍に入られてしまったけれど、私はその人の生死を越えて今も支えられ続けていると感じる。いつまでもこの心強さは揺るがないんだろうなぁと思う。
その人と初めて出会ったのは、昨年の秋。里の稲刈りの田んぼにゴトゴトと車いすでやって来て、みんなの作業の様子を、小さい目をまん丸にし、両手を合わせて見つめていた。私が挨拶をすると、「こんな素晴らしいところへ、連れてきていただいて、みなさんのこうして一生懸命働く姿を見させていただいて、どうもありがとうございます…」とずいぶんと丁寧に言われるので、私も面食らいながら「そんなに言ってくれてありがとうございます。」と互いに手を合わせながら拝みあった。
深い感慨を持って、稲刈りの風景を味わってくれる人。この稲刈りの風景の何がこの方の心を動かすのか…、その時、私には謎だったが、その人との出会いにワクワクするものを感じた。
年が明けて私はグループホームから特養に異動になり、その人、ツキコさん(仮名)と再会する。特養のツキコさんは、あの時の田んぼの雰囲気とは違って口数も少なく、居室で過ごすことが多く、私はなんだか残念な感じがした。
立ち上げ途上の特養は、悪戦苦闘の真っ只中だった。私は、新しい部署で覚えなければならないことが山ほどあるだけでなく、馴染んできた里のグループホームの空気とすべて比較して考えてしまい、それで逆に辛くなった。“一緒に暮らしている感じがしない”とでも言ったらいいか。例えば食事は、場所もタイミングもバラバラ。機械的に片付けられていくような寒々しさ。みんな揃っての食卓という感じが薄い。“家じゃなくて、食堂だと割り切った方がいいのかもしれない…”そう考え方を変えてみても、現実問題、食べ終わった人がいるかと思えば、まだ居室にいる人もいる。食べている人のその横を次の介助に行く人…。私はその間を行き来しながら、心がワサワサして、バタバタと動くしかない。利用者さんの心模様を味わうような余裕はなく、関われないまま放置しているような、それでいてただ忙しく、めまぐるしい。この苦しさや、さみしさをどうすればいいんだろう…とぐるぐるしていた。
新部署で戸惑い、まいっているそんな私に、あのツキコさんが声をかけてくれた。特養では活力に欠け、口数も少ない様子に見えていたが、その実、内面では心も頭も巡らせていて、思いもかけない鋭い言葉をかけてくれた。その独特の語り口、魔法のような不思議な言葉。ツキコさんは、場面や人を鋭く見ていて、その人に合った言葉をくれる。その言葉はまさに、特養立ち上げの現状と、そこでヘロヘロになっている私の心の奥底まで見抜いていて、重く私に響いてきた。そして、銀河の里や私自身がどこに向かうのか、その方向性さえ指し示してくれるのだった。
「この家、なんじょにしたらいいがど思って…。ずいぶん、寒がったよ」
その通りそれが今の現状。今日一日の私のありさまを振り返る。せわしいだけで利用者さんの誰とも繋がれない。確かに…寒いやりとり。
「やっぱり私は、帳面に書いて残さなければならないと思う。…次の人がしっかりわかるように。それが、何と言ったらいいか…そう、お作法だと思うんだけれども。」
「あなたはお寺の屋根のようになりなさい。屋根の下で、みんなが雨風しのげるように…」
「屋根が直ったら、次は皮だ」<壁じゃなくて?>「皮。皮も直していかなきゃ…」
かわ?皮?川?謎かけだ。相手と隔たる強固な壁じゃなく、皮膚と皮膚が触れあうような距離感ってことなのか…。みんなを包む大きな屋根になって、人と人、触れ合って生きていく、そんなイメージを膨らませる語り。私はツキコさんの一語一語を聞きもらすまい!と強烈に思った。
「今日はよかった。おなごさんたちの底力を見せていただいた。集まったおなごさんたちが、みんなで手に手をとって。・・・そこにどう男を組み込むか…」う〜ん…と一緒に頭をひねる。
「作戦計画を立てなければならない」
「お空の色をなんじょに見るか、誰と誰が喧嘩してるか、ツキコはそんなことまで考えてるの」
「あなたたちのような可愛い娘さんたちを守るのんも、ゆるぐね」
ツキコさんは、本来は腰痛で辛い状況だったはずだが、自分の事は横に置いて、特養のことや私たちのことを一緒に考え、守ったり、育ててくれようとしていた。以前に、「ここまで大きくしてやったのに、そったな口きく…現代のお母さんは。」と言われ、<じゃあツキコのお母さんは?>と訊ねてみた際には、「大きいお母さんなの」と言って笑っていた。
ツキコさんの雷が落ちたこともあった。その日は入浴の誘いを「堪忍してけで」と断っていたツキコさんだったが、トイレからの流れでそのまま浴室へと連れて行かれてしまった。「ふざけで!!」「こんなやり方で、それが間違っていないとでも思ってるのか?!」お風呂の後、ツキコさんは、その件には全く関わっていない、通りがかりの男性スタッフを怒鳴ったのだが、なんの事やら解らずスルーされた。そこで私が「どうしたの?」とツキコさんの横に座ると、あふれ出る怒りをぶつけてきた。それはモノの様に扱われたことに対する怒りだった。
「それでいいとは、見損なった。あなたと私はおんなじように考えているものだと思っていたのに。」「あなたは子どもたちを、みていて、お空の、飛行機のところからみていて、その子が間違った方へ進みそうになったら、それを正してあげる、それがあなたの仕事じゃなかったのか!」
何事もおおらかに、受け入れてくれるツキコさんだっただけに、信頼を失ったようで、私はショックだった。利用者さんのためにやっているはずの介護が、簡単に形骸化してしまう現実の怖さ。とても大事な部分をついてくれた。その夕方、退勤前にツキコさんのところへ行くと「なるようになったじゃ。ご苦労さん。これで終わりだな」と怒りを納めてくれるのだった。
【立て直し工事】
それは佳代さん(仮名)の退院祝いの日だった。午前中からケーキを作る人、飾り付けする人、おかえりのメッセージを書く人、プレゼントを用意する人がいて、会を彩るためのピアノの練習の音も流れていた…。入念な打ち合わせをしたわけでもなく、「佳代さんに喜んでもらおう!」「びっくりさせたい!」そんな空気が広がって、北斗とすばるを巻き込んでいい雰囲気ができていた。
主賓の佳代さんは入浴後、着飾って登場する手はずになっていた。いよいよ、ピアノの演奏とともに佳代さんが登場。「退院おめでとう!」席に着くと、新人スタッフが“ケーキ出していいっすか?!”と目配せをくれる。ケーキが登場すると今度は男性スタッフが、さっと入って佳代さんと一緒にケーキカット。それぞれがはまる場と、それぞれの存在が光る場があった。打ち合わせは無いけど、阿吽の呼吸で、会が進む。佳代さんとスタッフの関係性が、スタッフを主体的に動かして、いい雰囲気で盛り上がった。特養がこんな日々であったらいいと思える時間だった。
会の終わりに記念写真を撮ろうと、テーブルを寄せた。ツキコさんの前のテーブルをどけたとき、ツキコさんが「よくあなた道を開いたね」と言った。それは今テーブルを動かしたことなのか、今日の雰囲気が良かったことを指しているのか、判然とはしなかったが、私はハッとさせられ、その言葉が深く心に入ってきた。退院祝いの会が終わり、夕方窓からりんご畑を眺めていたツキコさんが、通りかかったスタッフに、「ここの工事はこのままでいいのか?」とたずねた。<大丈夫、やってくれる人いるから>とそのスタッフが応えると、今度は私へ「あ〜、私はこれでもう終わりにする。とってもおもっしぇがった。…んだども私は歩げねし…」と言った。確かにツキコさんは特養の立て直し工事をしてくれたに違いないと思った。ツキコさんの語りが、私達を励まし、気づかせてくれた。私が<見守ってくれる人があって、面白くしたくなる>と言うと、「いい顔だごど。」と私の髪を撫でてくれた。その夜、北斗から帰って行くスタッフ一人ひとりに「どうも、ごくろうさんでした」と大きな声をかけてくれたツキコさん。そしてベットに横になると、呟くように「ひとっつおもしれんば…、おもしろぐなるもんだな…」と言った。ひとつが面白く動き出すと、みんながつながって全体が面白くなっていくと言っているように私には思えた。
ツキコさんはその後まもなく、抱えていた腰痛も悪化し、食が進まなくなり入院された。お見舞いに行った時、お会いしたお孫さんがユニットのスタッフの一人にそっくりでびっくりした。私たちと家族の様に接してくれたのには、そんな背景もあったのだろう。私もお孫さんと、初めて会ったとは感じられず、ツキコさんの存在に私たちが育ててもらったことや、ツキコさんがくれた支えのまなざしや言葉の数々を語らせていただき伝えることができた。お孫さんからは、ツキコさんが毎日、庭と畑に出て「育てる」ということを実践されていた方だったというお話しを聞かせていただいた。病室のベッドの横には、その庭で育ったお花が活けられていた。
「お寺の屋根のようになりなさい」という語りは、これから私が一生かけて追っていくものなんだろうと思う。私はその境地にたどり着けるのだろうか、それはわからないけど、追いたいと駆り立てられる大きな一言を残していってくれた。ツキコさんは言葉を越えてその存在がみんなを包む大きな屋根で、大きなお母さんだった。半年足らずの短い間ではあったが、一緒に過ごせたことに感謝したい。
マニュアルじゃなく、お作法、たたずまい。おなご達の底力、お空の色等々。謎に満ちた大事な言葉と共に、私達を支え見守ってくれたツキコさん。私はツキコさんには恩返しできないが、ツキコさんが私にしてくれたことを、いつか次の世代に返してけるようになりたい…と思う。
posted by あまのがわ通信 at 00:00|
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