2010年10月15日

弥生さんの爪切り ★特養 中屋なつき【2010年10月号】

 弥生さん(仮名)の爪は大抵いっつも伸びている。というのも、「おっかねぇ、やんか、やめてけろ!」と、えらく嫌がるからだ。誰もが気にかかってチャレンジするのだが、手や足を引っ込めてすばやく動くので、危なくて一人ではなかなか切ることができない。なんとかかんとかお話したりして気を紛らわし、その隙に指一本か二本分切るのがやっと…といった感じ。いつだったか、よく面会に来てくれる息子さんが見兼ねて(?!)切ってくれた時なんかは、おそらくえらい動いたんだろう、指の肉まで挟んでしまって大出血した、なんてこともあったくらいだ。あんまり嫌がる時には、無理はしないということが多い。だから不覚にもいっつも伸びている。

 弥生さんと今日も遊んでもらおうと思って訪室したある日、「おぉ、来たな♪」といつものようにベッド上で手をヒラヒラさせて迎えてくれた弥生さんの両手を見ると、案の定、両手の爪が伸びきっている…。どれ、足は? と見れば、こちらはもう一ヶ月くらい切ってない感じ。さすがに今日は心して切るぞ! と気合いを入れて爪切りを持ってきた私に、「おめ、何する気だ?」と、さっそく怪訝顔の弥生さん。ベッドサイドに腰掛け、 「いたわしくて伸ばしてらったの? たいした長くなってらよ〜」とまずは足に手をかける。と、すかさず「なんだ?! やめろ、やめろ、終わり!」と足を引っ込める。「いやいや、まだ何にもしてないよ」「待って、待って、すぐ終わるから」などとやり取りしながらも、ちょっと切っては休み、ちょっと切っては休みを繰り返す。そのうちだんだん弥生さんも本気で怒り出した。
「おめ、自分が今何してるかわかってるのか?」(急に静かな語り口)
「え? んっとね…、爪切りしてるんだけど…」
「あのな、いいか。おめはな、今、俺の指を切ってらのだぞ。(だんだん声がおっきくなってきて…)これはな、爪切りどころでねぇ、指切りだ!」(顔が怖い)
「えぇ〜?(おかしくなって笑いながら)大丈夫、肉まで切らないように気をつけるから」
「笑い事でねぇ! おめなんか二度とくるな、去れ!」(足でキック)
「わぁ、ごめんなさい〜」(両手を挙げて降参)
 「謝らねったっていい! たんだ出てけ!」(ひゃあ〜)
 さすがに一旦やめて休憩かな…と思い始めたところへ、夕方の経管栄養をセットしに看護師の高橋さんがやってきた。
 「ありゃ〜、弥生さん、何ごしゃいでらの〜?」
 「ごしゃぐどころでねぇぞ。おめ、この馬鹿おなご、外さブン投げてけろ!」
 「ん〜? 何か悪いことしたってか〜?」
 高橋さん独特のふんわりムードで場が変わる。二人がお話しているうちに、なんとか両足の爪切りが終了
「いかったねぇ、弥生さん、さっぱりしたっちゃ〜」と、経管栄養をセットし終えて退室する高橋さん。あ〜、ありがとうございます〜!

 また二人きりになる。なんだか不思議と部屋の空気が変わっている。次は手の爪…とあえて無言で取り掛かると、「ん? んだな、伸びてらな」と、すんなり私の方へ手を差し出してくれる弥生さん。「いいか、指まで挟むなよ、痛ぇからな、ははは〜♪」と、さっきとは全く違ってビックリ。
 「草取りなんかすると土が入って、えんずくなるもんねぇ」パチン。
 「そんだな。そんでもな、あんまり短けぇのも、何にも仕事にならねぇからな」
 「ほんだほんだ。あんまり短くは切らないよ」パチン、パチン。
 「ほぉ! おめ、上手だじゃ、ぱつぱつってよぉ」
 「んでしょ? 私ね、爪切りするの、大好きだもん。任せて〜」パッチン♪
 さっきまでとは打って変わって、ゆっくりお話しながら切ることができた。軽快な音が耳に心地良い。

 最後の仕上げでヤスリをかけようとすると、「そいつはくすぐったくてわがねかっけ、勘弁してけろじゃ」と言うから、思わず笑ってしまった。「あはは〜、おがしいか? おがしいなぁ」と弥生さんもニコニコしている。爪切り作業の時間だったけど、しっかりじっくり遊んでもらった感じ。ありがとう、弥生さん。また次の爪切りが楽しみだ。
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リンゴ支援要請の旅 ★ワークステージ 米澤充【2010年10月号】

 今年はリンゴ栽培をワークステージの利用者と共に始めた。春の植樹から始まり、開花後の花摘み、摘果作業、果実に日光を当てるための葉っぱ取り、玉回しと続いた。どれも人手と時間がかかる作業だったが、おかげで今、収穫の真っ只中だ。
 当初は、地道で細かな作業が続き、花摘みや摘果の際に判断力が必要であるため、利用者にとって難しいのではないかと思われた。しかしみんな予想以上の作業へのはまり具合で例年以上に高品質で甘みのあるリンゴが収穫できている。
 利用者と共に作業している中、今年で65歳(ワークステージ最年長)となった塚地さん(仮名)の動きに目がいった。寡黙で自分を表現する事が少ない塚地さんであったが、今日は「○○の作業を行います」と伝えると黙々と作業に取り組む。他の利用者はやり方をその都度聞いてくるのだが、塚地さんは聞いてこないので少々心配ではあったが、作業は出来ていた。
 作業の休憩中に「塚地さん、昔リンゴの作業やってたの?」と聞くと、「やってた」とニコッと笑い小さな声で一言。やっぱりそうだ。どうやら、塚地さんは父親が亡くなるまでリンゴ栽培の手伝いをしていたようで、花摘み、摘果、玉回しなどの作業は何年も続けてきた、リンゴ栽培の大先輩である事が分かった。
 先日、甘酸っぱくて加工で好まれる「紅玉(こうぎょく)」の収穫を行った。収穫作業は意外と難しいしコツがいる。リンゴの頭からひょいっと出ている軸を残さなければならず、しかもその軸の近くには5mm程の来年の芽も出ているため、その芽をかかないように、軸に指をあてがって回しながらもぐ。収穫に慣れてくると、片腕に収穫カゴをかけ、反対の片手でもげるようになるのだが、まれに軸が極端に短いリンゴがあり、無理やり片手でもごうとすると勢い余って枝まで折ってしまう事もある。
 塚地さんは、両手でリンゴを一個一個優しく丁寧に収穫していた。収穫カゴは地面に置き、収穫したリンゴは脚立の平らな部分に並べ、ある程度たまったらカゴに入れていた。他の利用者に比べ収穫スピードは遅かったが、その丁寧な収穫はとても印象的だった。収穫作業は性格が現れるのかもしれない。

 今年からワークで取り組み始めたリンゴ栽培であるが、障がい者の就労や自立支援への取り組みの中核として行きたいと考えている。こうした取り組みを理解してもらい、流通ではなく、支援のネットワークで貴重なリンゴを買ってもらいたいと思いその方向性、可能性を探っている。
 そこで、9月12日から15日にかけて福岡、大分、広島と理事長と出向いて、出会った方にご支援をお願いした。その方々とのコミュニケーションはとても刺激的であった。
 博多で会った掛田さん御夫婦は理事長の学生時代の友人で、支援者のネットワーク作りに共感いただき、市内の精神障がい者施設に協力をお願いしてみたいと前向きなお話しをいただいた。障がい者施設などでリンゴを代理販売してもらう方法もマッチするのではないかと考えていたので、実現すればありがたい。
 大分では私の妻の友人のご両親で、佐伯市で300年続く糀屋を営む浅利さん御夫婦と会った。銀河の里の通信もよく目を通していただいている様子で、銀河の里の構想にも理解があり、話しが弾んだ。
 実際お店でも、市内にある知的障がい者福祉施設と手ごねみそを商品として協力して作っているということで、こねる機械を導入せずに手ごねを継続している話しを聞かせてもらった。仕事を通じて、障がい者の表情が豊かになり自信をもってくる感じが嬉しいなど、障がい者と作業する魅力などが語られ、へたな福祉施設の職員よりよほどまっとうな話しができて、感動だった。
 米糀ともち米でつくったオリジナルの甘酒を飲ませていただいたのだが、これがとても飲みやすく、ブドウ糖100%の甘みで、高齢者にもアルコールがないので向いているのではないかなどと発展的な話しがどんどん出てくる。岩手では大人と話していてこういう前向きな展開にならない。米やもち米を作っている銀河の里でも糀を作って、自前で甘酒製造に取り組むんだったら応援するよとまで言ってくれる。
 ネット販売やブログの威力などインターネットの活用法を熱く語っていただきながら御夫婦の知識と情熱に舌をまく感じで感動し、包むような暖かさに触れてありがたかった。
 広島の寺田さんは米店の社長さんだが、燃えたぎる熱のかたまりのような人で、「世の中なんもかんもおかしゅうなりょうりますで、なんとかせにゃいけませんわ」と広島弁で話しているうちに叫ぶような語り口になるので驚いた。「私は必ず現地に行って(商品を)確認します」と商売に対する凄まじい情熱を感じた。花巻にも11月に来ていただく事になり、障がい者のつくるリンゴに評価をいただき、商売の枠を超えた、支援ネットワークに繋がればと願う。

 障がい者の自立の仕事としてリンゴ栽培を成り立たせ、支援者のネットワークで繋げていく構想はまだ始まったばかりであるが、生産技術を徐々に身につけて利用者、職員ともに成長していきたいと思う。主力品種である「フジ」の11月の収穫が楽しみだ。
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未来への新たな地平(第三回) ★施設長 宮澤京子【2010年10月号】

 ケアの現場が拓く新たな地平に期待を込めてこの稿に臨んだのだが、早くもつまずいてしまった感がある。周辺領域も含めて、いくらかの書籍にあたってみたのだが、実際さほど目立って新しいものに出会えなかった。
 期待したのは「物語」という視点で、医療現場においても「ナラティブメディスン」という概念が20年くらい前から語られはじめているし、そうした考えは福祉現場には医療よりも切実に必要になるだろうという直感もあった。

 この10年「銀河の里」では「物語」としか言いようのない関係のプロセスを体験し続けてきた。ところがこの「物語」を説明することが難しく、かなり曖昧に使っていてそれが何なのかはっきりしないところがあった。
 医療でも物語を意識してきているし、認知症やケアに関して、物語をキーワードに語ろうとする書籍もいくつかはある。ところが読んでみると、現場で我々が体験してきた物語とは若干違っているような感じで、若干の違いはやがて決定的に違ってきそうな気がするのだ。
「物語とは」と定義しようとすればするほど、「里の物語」から離れていくような不安がついてくる。つまり「物語」そのものが、ずいぶんと怪しい代物?に違いない。
 銀河の里の初年度だったが、利用者が転倒して骨折し入院されたので、お見舞いに行った。病棟で看護師さんに名前を告げてもはっきりしない。「誰それ?」と怪訝な顔だ。認知症の高齢者で骨折で昨日入院されたかたですけど・・・。と説明すると「ああ、骨折ね、骨折」で話しが通じたことに驚いた。AさんはAさんではなく「骨折」でしかないのだ。これは病院に限ったことではなく、現代のひとつの様相なのだと思う。つまり1人の人間は多様で複雑な物語の塊であったり、どう展開するか予想もできない不可思議な存在なのだが、それらの人間の諸相を完璧に抹殺して、「骨折」としてしまうことで、我々は理解しやすく、操作として扱える対象に変えてしまっている。
 制度やシステムはこうした人間疎外の最たるもので、行政による福祉施設に対する指導監査や情報公表、第三者評価などは、基本的にマニュアルと書類が整備されているかどうかしか問わない。人間の生命とその関係性にまつわることから生まれてくるはずの「物語」などというものは、最初から相手にされていない。だからこそ 「銀河の里」の10年の歩みの中で体験してきた「物語」に関して、言語化を試みる意味があるだろうし、そこに未来への新たな地平が拓かれるはずだとの直感にもなった。
 かつて福祉は社会的弱者を救済する慈善事業のイメージだったが、ここ10数年でサービスを売買する「契約」に変わった。これは革命的な変化だが、そうした変化とは別次元で、人と人が「出会う場」ということに本質的な変わりはない。「里の物語」は、この「出会い」から始まる関係を生きるプロセスであると考えている。
 これも初年度の事だが、全国グループホーム協会の主催で実践報告会があり、我々も、初心者ながら、現場で生まれてくる物語に感動する日々だったので、勇んで参加を決めた。ところが、発表は5分というくくりに、まいってしまった。物語はそんな簡単に語れない。全体を語ろうとすると頑張ってまとめても1時間はほしいところだ。何とか5分にしてみたものの、全く納得のいかない発表だった。さらに、会場では「最初に介護度を言ってください。そうすればだいたい解りますから」という声が出たのには、驚きを通り越して怒りが湧いてきた。大切にしたい「里の物語」が理解されないだけでなく、暴力的な現状を目の当たりにして、呆然となる思いだった。
 医療と違って(医療でさえナラティブを模索している)福祉現場は症状や障害を扱うのではなく、その人の人間全体と出会う場であると思う。それが可能性として開かれているところに福祉の意義があると思う。
 人間は様々な「語り」を持って存在している。その語りは言葉に限定されない。行動は当然として、表情や体調や、時には発汗や体温、眠りなどを通じた語りがなされる。全身全霊をかけた語りに対して、同じ地平で聴くことができるかどうかがスタッフの専門性として試されるところだ。これが難しい。知識や技術の習得とは異なる、「修行」のようなものが必要と思われる。
 こうしたある種深いコミュニケーションが、人と人のやりとりの通路によって、行き来が始まると、繋がった感じが生まれてくる。そこから新しい世界が拓かれ、舞台の幕が上がったように色んな事が起こってくる。これを関係のプロセスと言いたいのだけれど、言ってしまうとどこか違うので、所詮は体験する世界の事でしかないのだろう。
 確かに、説明して伝わる事ではなさそうで、解る人には解るが、解らない人には全く解らない。解らない人はなぜか感情的に反発しやすいのも特徴だ。5分のくくりに閉口したので、その後は独自に事例検討会をやってきたが、物語の感じになじめない人が大半で、何のことかわからずポカンとしている。わずか一部の解る人は、ものすごく心を動かし伝わって繋がれる感じがある。これもまた経験年数や資格の有無とは違った「感性」のようなもので、感度良く磨かれる必要があるのだろう。
「銀河の里」に限らず福祉現場では、高齢者の場合「こんなところに居たくない」「だまされて連れてこられた」「良くなって退院する」「どうしてこんな目に遭わなければならないんだろう」明るい光などほとんど射さない状況で、不安な表情から出会がはじまる。障がい者も、これまでの人生で一度も褒められたことがないくらい、「ダメ、遅い、違う」などと否定的な言葉の体験しかしていない場合が多く、しかもイジメや見下された位置で傷つき続きけてきた人も多いのではないかと思う。
 そうした人生や人間と水平位置で出会うことの意味は大きいと思う。個々が抱える不条理への怒りや諦めに対して、スタッフはどこかで、「我が事」として引き受ける「覚悟」が出発点になるのではないだろうか。そこから自我を越えた「あなたと私」のやりとりが始まるように感じる。それは時に、利用者とスタッフの個を越えて、家族や、一族、地域にまで広がっていくこともあれば、利用者同士やスタッフを巻き込んで展開していく物語を紡ぎ出す事にもなっていく。そのダイナミズムこそ、切断に次ぐ切断の連鎖の上に成り立った現代社会に生きているものにとって、自分と相手を宇宙全体に繋いで行くのではないかという期待さえ持たせてくれる。

 ここまで「里の物語」をおぼろげに論じてきたが、内容がますます怪しくなってきたので今回はこれくらいに。

 次回は『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』の著書の中で、村上春樹が‘当時物語を理解してくれた人は河合先生だけだった’と述べている。この両者が理解している物語と我々の体験や体感から紡がれた物語はかなり近いと感じている。そのあたりを読み込んで考えてみたい。
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一穂の重み ★ワークステージ 佐々木哲哉【2010年10月号】

 今年の稲刈りが終わった。
 猛暑の影響で、銀河の稲だけでなくどこも背丈が高くなり、ひどく倒伏した稲もたくさん見かけた。幸い、銀河の田んぼは去年より収量は増え、新しく導入したもう一台のコンバインとともに集中的に作業を進めることができた。
 その一方でどうしても気になることもあった。作業や安全面での都合上、畑班だけでなく他部署の職員の助けも借りながら、職員・利用者合わせて10数名の畑班のメンバー総出で田んぼに集まるのだが(機械化作業・担い手不足の現代農業ではあり得ない、あり余る人手!)、コンバインが田んぼのなかを刈り取り回りやすいように四隅を先に手で刈る作業が済めば、大半は茫然と立って機械作業を眺めているだけになってしまうのだ。コンバインが刈り損じた畦際の稲株や抜け落ちた稲穂を拾い集めたり、機械の後ろから排出される切りワラの固まりを散らしたりする作業など指示していても、長くは続かない。身振り手振りでの伝え方が足りなかったとも思う。あるいは純粋な手刈りと違って生ワラが散らばる田んぼのなかでは、刈り損ないや落ちてる稲穂は見づらいかもしれない。稲穂を探す集中力やその作業を持続する気力を維持するのは、人によっては厳しいのかもしれない。
 それでも最も考えられるのは、落ちている稲穂そのものをほとんど大事に思わない、拾っても拾わなくても大した量でないから価値もない、という気持ちが占めているからではないか。もはや米余りのご時世、どこでも安く簡単に手に入る。ぶっちゃけ自ら作るより買ったほうが安い。確かに作業でも機械の効率を優先すれば、集めても茶碗数杯分の米などかまっていられない。
 田んぼを数十ヘクタールも抱え、2〜3人の最小人数で作業する大規模農業なら致し方ない。けれどここはたかだか5ヘクタールの田んぼに大人数が集まる。刈り終わった田んぼに忘れ去られた稲株がひょこっと頭を垂れている姿を、少し残念に思うのは私だけか。

 稲作はまさに十人十色。職員だけでなく共に働くメンバーのなかにもこれまで農業に携わってきた人もいて、それぞれのやり方やこだわりがある。それはそれで面白く参考にもなるのだけど、当然意見が異なることもあってそのやり方や舵取りに苦心させられることもある。
 長年農家の息子として黙々と働いてきた、メンバー最年長の塚地さん(仮名)は落穂を拾ってくれる数少ない一人だ。コンバインに詰まって雑草とごちゃまぜになってかき出した稲穂を、丁寧により分けてくれていた。またこびる(お茶菓子)を届けてくれたグループホームのゆう子さん(仮名)も来るや落穂が気になったのだろう、こびるそっちのけで穂を拾いはじめた。彼らにとっては、まさに一粒たりとも「生きる糧」だったのだろう。「落穂拾い」という言葉がまだ死語になっていない時代を生きてきた、機械が導入される以前の手作業や馬・牛などの畜力を使った農作業を体験している最後の世代である。
 西和賀の豪雪地帯で稲作に携わってきた広一さん(仮名)は、毎年恒例のもち米・手刈りイベント用のハセ作りでも、実践してきた知恵を示してくれた。稲を干す木と木をしばる一本の縄の縛り方は、複雑でもなく、幾重にも巻くわけでもなく、重なりごとに縄を変えるわけでもなく、さほど長くもなく簡単にほどける1本ものなのに重みが増せば増すほど締まっていく。「知識」ではなく、生きた「知恵」を体感して、久々にニンマリしてしまった。親から自然と教わってきたという本人は、アルコール依存症と闘っている。戦後から現代まで、大半の農家や農村が子や孫に継がせることなく「いかに農業から抜け出すか」を考えてきたともいえるが、「知恵」を次の世代に伝える一員として何とか頑張ってもらいたい。
 今年から銀河に通っている若手の星崎くん(仮名)は実家でも兼業でお米を作っていて、トラクターなど農機が扱える貴重な存在だ。田植前の代掻き作業のとき畦の草刈りを頼んだが、「草刈りよりトラクターとか田植機を動かしたい」と、大きな機械を操ることにステイタスを感じ、他の手作業や補助的な作業を軽んじているようなところがあった。エンジンのついた乗り物がカッコよく夢中になるのは男の性だから分からないでもないが、こちらとしてはまず色んな作業を通して適性や能力をみていきたいという考えがあり、鎌には鎌の、スコップにはスコップにしかできない作業があるということを分かってほしかった。「下積み」にこだわるわけではないが、どんな仕事でもチームワークである以上は、技量だけでなく協調性といった本人の人間性を人に認められて初めて次のステップへ進めるものだ。稲刈りも終盤に入ると要領を得たのか、田んぼのなかの草取りから手刈りした四隅の稲の受け渡し、コンバインの移動まで、こちらから指示しなくとも次の先の作業を考えながら積極的に動いてくれた姿に、感心させられた。

 収穫期になって集中的に降った雨の影響や、排水が甘かった田んぼはぬかるんでいて、重たいコンバインは泥にはまって身動きがとれなくなってしまう。毎年のことながら、そんなときに泥まみれになって鎌で稲を刈り運んでくれる大勢のメンバーは、とても頼もしく感じる。籾摺りの様子を見に来た近所のじいちゃんは、目を細めて羨ましそうに眺めていた。

 日本の稲作の機械化は、世界でもトップレベルの技術水準だそうだ。いまや衛星を使った無人の田植機の技術開発など、一足も田んぼに足を踏み入れることなく栽培ができるまでに至っている。しかし一方で、自然の素材を巧みに使った技術や知恵、あるいは助け合ってきた農村の絆といったものがすでに失われたか、失いつつある。じいちゃんばあちゃんが採算度外視で何とか維持してきた田畑や農村は、あと10年もすれば耕作放棄地が凄まじい勢いで増えて農村から人や医療教育機関がなくなり、「限界集落」となっていく。高齢者との死別は個人の問題を越えて、戦争体験や言語(方言)・伝統行事や祭事・生活の知恵といった文化や地域、人々の記憶まで失ってしまうことになる。それは我々のアイデンティティの喪失にもつながるのでは、とまで思ってしまうのは安易な感傷的ノスタルジックであろうか?
 私たちの暮らしそのものも、農業も、いやあらゆる産業も海外から輸入される石油資源に依存しすぎている。確かに機械は作業性や収量を格段に向上させたが、環境への負荷はもちろん、使い方を誤ると心の荒廃にもつながると思う。内燃機関や油圧の力は凄まじく、ともすると操る自らの力だと過信して、自然を征服しているような気持ちになる。そしてその騒音と危険性から作業者同士のやりとりは叫んだり怒号が飛び交ったりで、現場は荒々しくなる。かつて100馬力もあるキャビン・エアコン・オーディオ付きのトラクターで草だらけの荒地を耕したり、その一方で山奥のわずかな棚田で農薬も機械も一切使わず、畦の草も鎌で刈るといった徹底的に人力・自然の力だけにこだわった米を作ったり、と浅くも両極を経験してきた私は、機械作業には冷静になるよう心がけているつもりだが、それでもついカッとなり怒鳴ってしまうこともある。

 もち米の手刈りは、ザッザッと鎌で刈る音と集まった大勢の老若男女の賑やかな声が響く穏やかななか、和やかに行なわれた。意気込んで一面手刈りしたけれど予定していた時間内には終わらず、刈り束ねた稲は前日作ったはせ木では架け足りず、無理やり4段重ねにしたために整然としておらずワラのお化けのようでちっとも美しくない‥‥。「あれじゃ乾かねぇんだ」と特養の祥子さん(仮名)が呆れている。まだまだ経験不足だ。それでももち米の手刈りは、あえて手で刈り天日で干すことの意味を問う、失ってはいけないものを守り、みんなで継続していきたい場だと思っている。
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お産と介護現場 ★グループホーム 米澤里美【2010年10月号】

 私は8月に長男を出産した。お産。原始時代から当たり前のように、繰り返されてきた命の営み、その中で私も生を受けて生きているわけだが、この当たり前の事を自分が経験してみると、何とも不思議で生命の奇跡を感じる。
 妊娠する前は私だけの身体だったのに、お腹の中に命がやってきて、私とは別の命を持ったヒトが胎内にいるという不思議な体験。私の胎内に赤ちゃんがいた10ヶ月間、胎動は、金魚がお腹で泳いでいるような感覚から、臨月にはぐにょん、ぐにょんと左右にお腹が大きく動いて、語りかければそれに応えてくれた。何から学んだわけでもないのに、目には見えないところでぐんぐんと赤ちゃんは育ってくれて、身体が生命の奇跡を教えてくれた。
 お産は現代に残された最後の自然だと産科医の吉村正は著書で記している。(『お産! このいのちの神秘 - 二万例のお産が教えてくれた真実』)現代産科学はお産を家畜化させ、母子関係の絆を弱め、いのちを乾かして干物みたいにしてしまっていると批判し、徹底的な自然なお産を実践している。人工的な介入をすることなく自然なお産をすることは、女性の古い脳から本能を沸き立たせ、女性は真の女性性に目覚めるという。女性はいのち、魂を抱く性、目に見えない命や魂、心や想いの世界をつかさどる性だと話し、「いのちを引き継いで連綿と生き続ける女なるものの中に、スピリチュアルで宇宙的なるものを、いやでも見せつけられて、男は頭を下げるしかないのだ。つくづく女にゃ勝てん!」と言っている吉村氏。妊娠がわかって不安にかられているときこの著作を読んで勇気をもらった。
 銀河の里で働いた6年間は、目に見えない心や魂と向き合わせてもらった濃厚な時間だった。里の器の中では、障害者や認知症高齢者というくくりではなく、「私とあなた」で出会えた。「私とあなた」の出会いは、魂や心といった深いところが混ざったり、溶け合ったりしながら一緒に生きているという感覚をリアルに実感として蘇らせてくれた日々だった。
 しかし、里の器なしでは現実はなかなか厳しいのも実感している。一歩外を出れば、障害者や認知症とくくられ、システム化されてしまって心や魂はたちまち不在となってしまう。
 特養ホームで修さん(仮名)の容体が急変し、救急車で病院へ搬送したのだが、病院について間もなく、修さんは息を引き取られた。救急車で同行した私は、修さんが腕にしていたまだぬくもりの残っている腕時計を握りしめてご家族が来られるのを病院で待っていた。かけつけてくれた家族さんに息を引き取られたことを伝え、医師のもとへ案内する。すると医師はすぐさまレントゲン写真を見せて死因を家族に説明、その横を修さんの遺体が運ばれたが、家族はそれが修さんだとは気づかない。しばらく説明を聞いてやっと部屋に案内され、修さんと家族が対面となった。さっきまで息をしていたまだ温かい体の修さんにすぐに家族と会わせてもらいたかったと愕然とした。修さんとの対面を終えた家族へずっと握り締めていた腕時計を渡し、悔しく申し訳ない思いでいっぱいだった。
 医学の進歩でたくさんの命が救われてきた。けど一方でデータや数値という目に見えるものだけしか信じられないような風潮が漂い、死に対しての畏敬の念が薄れてしまった感がある。あの世へ逝くことも、生まれることも、人工的過ぎて、どこか不自然だ。
 妊娠中の10ヶ月の間に、特養で短いながらもお付き合いさせていただいた5人の方と祖父とのお別れがあった。そして里では、私を含めて4人の女性スタッフに命が宿った。死は終わりや敗北というよりは、むしろあちらの世界への旅立ちを思わせる。5人の方と添わせてもらった時間は、豊かで深く、その人が残した言葉や表情やその存在が色濃く私の心に刻み込まれている。旅立つ命とやってくる命。生と死という永遠のテーマが一気に私に迫ってきた。
 お産の前日から1時間間隔の陣痛があった。陣痛は30秒とない痛みなのだが、陣痛が来るたび、30秒の内の1秒でも死を覚悟する瞬間があった。その一瞬が過ぎれば何もないのに、また陣痛がやってきて死を感じる。まるで宇宙からのエネルギーが一気にお腹に押し寄せてくる感じだった。吉村氏は「いのちがあって、死がある。死に直面することで、人間は逆に生を感じる。お産は死と向かい合わせな側面を持っている。」と言う。
 命を産むために、命は命をかけるんだと実感した。陣痛の間隔が5分から3分へと狭まるにつれて呼吸が苦しくなる。陣痛と陣痛の痛みのない間、夢をみた。白い世界で白い箱に入った赤ちゃんと私が二人きり。赤ちゃんは青年のような声で「産まれるからね。よろしくね。」と私に語りかけ、陣痛の痛みで目が覚めた。あちらの世界に行って来たかのような不思議な感覚だった。夫の腕に必死にしがみつき、まもなくしてパァ〜ンと破水。しだいに頭が出て、ゴボッゴボゴボ〜と羊水を吐き出す音とともに顔が出て、ニョロ〜ニュル〜ンと温かい腕や足がでるのがわかった。夫が息子にカメラをむけると舌を出して「あっかんべぇ〜」。それが息子の誕生だった。
 グループホームのクミさん(仮名)は今年に入ってしばらく「赤ん坊」のことを心配していた。「赤ん坊なして、死んだんだかな、生きたんだかな・・」と言いながら「行かねば」と歩く日々が続いていた。クミさんの言っている赤ん坊は現実的な私の身ごもった赤ん坊ではないのだが、「赤ん坊」「生と死」という象徴的な表現から、どこか時空を超えて繋がってもらっているような気がしていた。
 里で生きた6年間、こうした魂のレベルで私は守られてきた。そしてこれからは、子育てと共に、目に見えないものの存在を守っていかなければならないと思う。
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人間同士 どう想う(その2) ★特養 酒井隆太郎【2010年10月号】

 そして、当日2010年7月14日(水曜日)天候雨。先輩はいつものごとく静かに瞑想している様子ながら、どこかそわそわしているように感じた。出発は5時過ぎ。夕食前なので、男の料理で少々デカイ握り飯を2つ作り準備万端。雨も降っていたので早めに出発した。盛岡までは約50分。その車内で先輩は話しを始めた、北海道では木を切って、窯に入れて、ものすごく良い炭を焼いたったと話してくれる。
 また、俺たちの乗っている車から見える木々の名前をいろいろ教えてくれる。九州まで行って働いたことがあって、そのとき仕事の相棒がいたそうだ。おそらく人間同士の親友、相棒だったのだろうなと俺は感じた。当時は高速道路も無かったため3日もかかって車で九州に行った話しも出た。また道中いろいろな建物をみるたびに、ここの鉄筋は俺がやったんだよと懐かしそうに話してくれた。とにかく何でも取り組んだ先輩の人生、林業、工業、鉄鋼、大工何でもやった。普段は自分の世界に入り込んでいるようなことの多いその先輩が、今、俺に話しかけてくれている、まるで弟子に話しかけるように・・・
 男同士、人間同士、俺は何か時空を超えた世界に入り込んで行った、今にも2人で仕事に行くのではないか九州や北海道に旅に出るのではないか・・・と感じた。だんだん、盛岡が近づいて来た時に先輩が仕事の話しから切り替わった「プロレスなんて見れると思わなかった。なかなか見れるもんでもねえしな。」とプロレスの話題に入っていった。力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木。そこで俺はこれから見るプロレスの説明をした。先輩の時代のプロレスと現代のプロレスは当然全く違う、体の大きさや、技、爆弾のような迫力ある音、まずビックリするのではないかと思っていた。
 会場の岩手県営体育館に着いた。たくさんのプロレスファンでごったがえしていた。6時半ゴング10分前に会場内に入ると熱気で熱い会場になっており最高の雰囲気となっていた。先輩は、初めてだからか特別リングサイドの座席にもかかわらず、中間あたりの座席に座ろうとする。俺は先輩の手を引き最前列の特別リングサイドに誘導し腰を落ち着けた。そして、リングを背に先輩の記念写真を一枚撮った。そうしていると場内は暗くなり今日の組み合わせカードがアナウンスされゴングが連打された。
 先輩の顔が緊張した。第一試合は若手の育生選手。前座である。だが、盛り上がりは最高で、コーナーのトップロープ最上段からドロップキックが作裂。大技の一つであり技の切れや迫力やリングマットのデカイ音全て揃った素晴らしい見せ場だった。そのときには先輩の顔からは緊張が消え最高の表情で笑っていた。声援もしながらすんなりとプロレスに入っていった・・・
 昔のプロレスは体と体がぶつかり合うガチガチの試合であったが、最近の試合は、少々コメディがはいって、相手の顔の鼻をつまんで攻撃をするなどといった会場全体を笑いに包む場面がある。先輩は普通の笑い顔じゃなく完全に楽しんでいる顔となっていた。「ありゃ、鼻つまんでらじゃ。」(笑)
 試合が終了して選手が引き上げるときレスラーがリングサイドの先輩の前を通った。その時先輩は「やっぱり体が大きいなあ」とひと言。プロレスを初めて、しかも特別リングサイドで観戦しての実感があったと俺は嬉しかった。
 途中10分間の休憩があったので、何か残したいと思い、先輩と2入で写真を撮った、リングサイドで、肩を組んで俺と先輩の人間同士の証を残した。そして2入のお揃いシャツを購入した。
 中盤戦はベテランの選手が会場をさらに熱くさせた。先輩も俺も熱く観戦していた。先輩はあたりを見回し「女の人も、結構来てるもんだな」(先輩の隣は若い女性だったような・・・)。
 終盤戦のメインイベントはジュニアタッグ選手権、ベルトを賭けたタイトルマッチ。まさか、巡業でタイトルマッチがあるとは。確かにテレビカメラの数が多く、テレビ放映もされたようだ。そんなラッキーもあって、メインイベントも熱く盛り上がり終了した。しばらく先輩は座り込んでいた、疲れたのか眠くなったのか、ちょっと心配したが「いやいや、よかったな。ありがとう。」と俺の心に突き刺さる嬉しい言葉をかけてくれた。俺は、何も言うことは無かった。全ては人間同士、人と人が関係できる、裏も表も無い、ただ何かが好きだと言うだけで。
 ところで、ひんまがった俺は修正されたのか? いや、直ぐには修正できないだろう、でも今回先輩と出会えたことで修正への道ができたような気がする、たかがプロレスを観戦しに行っただけかもしれないが、俺の心には確実に刻まれた。2人の人間同士の証も残したわけで、生きている限り人間同士を繰り返し続けて行くこと、それが、ひんまがった俺を修正できる近道ではないかと感じる。81歳の先輩に敬意と感謝を忘れずに、生き続けて行きたい。
 帰り道、途中2人でラーメンを食った。先輩は、「注文してから数分で出てきた。早がったなあ。味も良いっけしよ。今までで一番だな。」と言っていたが、量が多く、腹が苦しいようでした。


 そしてその数日後、先輩は俺に名前を聞いてくれた・・・・
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好きこそ関係の始まり…9月の職員研修を通じて ★理事長 宮澤健【2010年10月号】

 関根信一作の演劇「にねんいちくみ保護者会」を見に行った。
 内容は、保護者会で、運動会の障害物競走の参加者を決めたいのだが誰もやりたがらず、参加できない理由が挙げられるばかり。展開したのは、不登校の子どもの話題が出たことからだった。太鼓で頑張った子どもがクラスから浮いてしまい、それがきっかけで不登校になっていた。「がんばっていいんだってことを子ども達に伝えるために障害物競走に参加しよう」という話しになっていく。
 これは3年前に上演されたことがあり、そのときかなり感動したので「おすすめ」の演劇ということでスタッフ大挙して東京の銀座まで日帰りで出かけた。
 関根信一は劇団フライングステージの代表で、シナリオから演出、出演までこなしている。この劇団は全てゲイの人で構成されているのが特徴で、ゲイにまつわる演劇が関根信一のライフワークとなっている。彼は「ゲイの作品が社会的意味を持ち続けるかぎりゲイのシナリオを書き続ける」と言う。つまり、ゲイが社会的に受け入れられ、取り上げる必要もなくなる時代が来るまでは戦うと言っているのだ。
 そういった挑戦の情熱を根底に持った作家と劇団がつくる作品だからか、共感するものがあってこの20年あまり注目し、作品にも接するようにしてきた。ゲイであると宣言をした人たちの劇団ということは、ひとりひとりが社会に対して宣戦布告をしているようなものではないかと思う。個人的にも親や兄弟など周囲の親しい人との深刻な葛藤がなかったはずはない。つまりお気楽では生きていけない状況を自ら引き受けた人たちということだ。
 ゲイの葛藤と挑戦のドラマを描いて上演する関根信一の作品に惹かれてきたのは、自分自身がマイノリティに親和性があることも理由のひとつだとは思うが、自らの運命を引き受け戦う姿を描いているところに共感するのだと思う。
 「にねんいちくみ保護者会」は関根信一の作品としては異例で、ゲイを扱っていない。その意味で少し特別な作品である。だからか前回も自分の劇団のフライングステージではなく劇団オカミショウネンでの上演だった。前回は関根信一の演出だったが、今回は彼の手を離れた演出になっている。
 今回の演出は正直、完璧に失敗だったと感じた。ところがその失敗から関根の演出のポイントが見えてきた。
 前回同様、真ん中に机が並べられ、そこで保護者会が開かれる。その周囲を取り囲むように観客席が四方にある。
 今回の失敗の大きな原因のひとつは、現実の教室に近い形で、窓の光がそのまま入ってくる明るい部屋にしたことだ。明るい部屋は、保護者会が行われる教室というイメージをかえって奪い、現実の部屋でしかなくなった。観客はイメージを使っていいのか、現実にいなければならないのか迷い不安を感じたはずだ。
 さらに前回の上演では置いてなかった、金魚ばちや書道作品などを実際に置いたのも、教室を演出し観客も保護者会に参加した位置に置こうとする意図だろうが、これはやり過ぎで、観る側という立場を与えられ、それが守られるからこそ観客は舞台に深く参加できるという逆説が機能しなかった。同様に現実の教室がありすぎて、イメージの教室のリアルな賦活を妨げてしまった。
 最も大きな失敗は、個々の登場人物のキャラクターの描き出し方が甘かったことだが、逆にこの甘さから、関根の演出の特徴が、個々の人物の個性を極めて明確に際だたせる切れ味にあることに気がついた。
 関根信一の作品に描かれる基本は、人が人を好きになるということにある。つまりゲイの人たちはオンナのコではなくオトコのコが好きになるのだが、関根はその「人が人を好きになる」という現象をゲイを通して再度人間に迫ろうとしていると私は理解している。
 愛が形骸化したのか、男女はおろか、親子でさえその関係が揺らぎ続けるこの時代の只中で、関根の作品はゲイの人の「好き」に新鮮な感情のエネルギーを感じ取らせることで、現代人が鈍化させた暖かく甘くも真剣な感情を活性化させるというわけだ。
 関根信一はゲイ一般を語ろうとしているのではなく、「好き」を通じて個人を語ろうとしているのではないかと今回の「にねんいちくみ」をみて強く感じた。「好き」という感覚は、個人というものを成り立たせる根幹になっているはずだ。「好き」という感情をなくしては、他者も自分も含めて個人というものは生まれない。「好き」という感情は強く他者を意識し自分を発見する、素朴で強烈な体験の始まりなのだ。決定的に異なった個別の人間が、他者と繋がろうとするときに「好き」が入ってこないと始まらない。ここに関根信一の「好き」の意味が重みをもって迫ってくる。
 保護者会では職業も年齢も、文化さえ異なる人が集まり、それぞれの事情を語ってそのバラバラさ加減が晒されるが「頑張ってもいいんだよって子ども達に伝えたい」という思いが共有されたとき個々が「参加したい」に変わっていく。そして父兄として子どもの名札の前に座っていたのだが、自分の名前を書いて、誰々ちゃんのお父さんでもお母さんでもない私自身として存在して返事をして終わるのは感動させられるところなのだが、今回の演出では個が描き出せてないので、その感動が高まりきらなかった。
 銀河の里は、昨年から特養の立ち上げで苦しみ続けている。事は単純で、利用者の語りを全霊を傾けて聞くか、聞かないかだけのことである。ところがこれが困難を極めている。集団や役割で見るか、個を見るかというまなざしの違いなのだが、どこかに「好き」がないと個は現れて来ない。つまり他者も自分も存在しないまま処理だけが進められて、人間はきれいに削除されてしまう。作業は必要だが、その前に、誰が「好き」かが大事で、それがないと相手だけではなく同時に自分も消えてしまうことになる。利用者を作業の対象にするのではなく、どこか「好き」の対象でなくてはなにも始まらないのだが。
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稲刈りで若返る? ★デイサービス 藤井覚子【2010年10月号】

 今年も銀河の里に稲刈りの時期がやってきた。
 5月の田植えの時はなかなか天気に恵まれず、延期が続き3回ほど計画を練り直したが、やっと来た田植え当日は総勢で60名ほどが集まり大賑わいになった。若いスタッフ、高齢者、ワーカーさん達が作業を進めるなか、当初は応援のつもりで参加していたサエさん(仮名)が、よそ行きの白いカーディガンのまま、ズボンをまくりあげて田んぼの中に入って行った時は「ありゃりゃ」とスタッフは慌てたが、当の本人は「大丈夫よ」と田植えをしていた。そんな田植えの時から、みんなで稲刈りを楽しみにしていた。
 そろそろ稲刈りが始まるな〜と考えたとき、私は五七さん(仮名)のことが気になった。五七さんはずっと農業を営んできた方で、今年から銀河の里のデイサービスに通い始めた。他のデイサービスではゲームやレクリエーションなど皆と集団で一緒のことをするのがなじめなかったようで、「行きたくない」となったらしい。「農業をするなら手伝いに行く」ということで銀河の里にやってきた。利用初日からスコップと長靴を持参し、やる気満々。銀河の里デイサービスでは久しぶりに農業をガンガン引っ張ってくれる方の登場に、頼もしさを感じた。このところ利用者が増え、ホールが賑わう一方で、畑の方は草だらけで、なかなか手入れが行き届いていなかった。
 そこに五七さん登場。五七さんは畑を見るなり「こったにべっこな畑だってが」と少し残念がってはいたが、おかげでこの夏はトウモロコシがたくさん採れた。「こったにとれるとは思わなかったな」と嬉しそうな表情を見せてくれた。稲刈りは是非とも五七さんと一緒に行ってその表情を見てみたいと思った。
 これまでは、五七さんと畑に出る予定を立てている時に限ってなぜか雨が降ってしまうことが多く、稲刈りの時、雨じゃなきゃいいな・・・と心配だったが、当日は快晴の稲刈り日和。出かける前、意気揚々と小田島さんが「五七さん、今日は稲刈りだよ」と声をかけたら「稲刈りでなく草刈りか?」と草だらけの畑に苦労させたからか皮肉をかまされた。「じゃ、今行くのか?」と長靴をはき準備万端で田んぼに到着。田んぼに着くとすぐに鎌を持って田んぼに入った。その途端に真剣な表情に変わり、声も簡単にはかけられないくらいのオーラが漂っていた。仕事の邪魔をしてはいけないと感じさせる勢いだ。
 ひたすら稲を刈っていく後ろ姿を見ながら、農業一筋で働いてきた人生の誇りのようなものが滲みでて私の心にせまってくる。その姿をしっかりと目にやきつけたい、残したいという気持ちが自然に出てきて、夢中でカメラのシャッターを切った。稲刈りが終わり「疲れたね」と声をかけると「こんけで疲れだって言ってられねんだ。まだ50なんぼだがら」と20歳以上若返っていた。
 それからも五七さんは長靴とスコップ持参でデイサービスへ来て、畑の様子をじっと眺めている。人は農産物を育てそれを食べて生きているのだが、今の私は大根を育てることさえできない。毎日、畑に入り、草をとり、水をやり、手をかけなければ何も育たない。日々の手入れが収穫に繋がり命に繋がる。収穫した今年のもち米を感謝して食したい。
 そして、デイサービスでの人との関わりも農業と同じだなと感じる。よく観察し、言葉をかけ、変化や表情を感じていく中で深いつながりが「収穫」として生まれるのではないか。その過程は、農業の収穫に季節のめぐりが必要なように、時をじっくりと待ちながらも丁寧で真剣な関心を向け、細やかな気持ちのやりとりが大切であることを、田んぼで稼ぐ五七さんの姿に教えられたような気がする。
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今月の書「掌」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2010年10月号】

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掴もうとするほど
こぼれ落ちる

でも、本当に大切なものは
きっとこの手の中にある

小さな手を思い切り伸ばしてみる

掴んでくれる手がそこにある



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