2010年09月15日

縁の下の義男さん ★デイサービス 小田島鮎美【2010年9月号】

 7月から新しくデイサービスの利用を始めた義男さん(仮名)。まだ2ヶ月ほどだが、すでにムードメーカーで、中心的な存在だ。大きな体に、トレードマークのぽっこりおなかをぽんぽん叩きながら「妊娠8ヶ月!おぎゃーおぎゃーおぎゃー」とみんなを笑わせてくれる。ピアノ演奏に合わせて腹踊りやユーモア溢れる創作ダンスをしてみたり、ひょっとこの真似をしながら、太鼓の音に乗って畠山さんと踊ったり場を盛り上げてくれる。剛さん(仮名)が「風呂まだがー!?」と脱衣場のドアを開けそうになったとき、藤井さんがあわてて「まだだよ、女の人だよ!」と必死に声を張り上げていたとき、浴槽にゆったりつかりながら「女の人よ〜」と義男さんの声が聞こえてきて大笑いになった。スタッフの心に、ふっと余裕を持たせてくれる存在だ。
 日中は、活動に参加というよりも、『仕事』という意識で取組んでいるようで、稼ぐ義男さん。「これやってみよう」「手伝ってけで」とスタッフがお願いすると、「どうやるの?」とやり方を聞いて、とても真剣に取組んでくれる。あまり気分が乗らないときでも、頼まれると断れない一面もあるようで、茶碗洗いや、洗濯物干し、カレンダー作り、看護師のそばに座ってバイタルを読み上げてくれたりと、なんでもこなせる義男さんだ。紙の切り方ひとつとっても、紙をきっちりたたんで折目をつけ、曲がらないように片方の手でしっかり押さえ、几帳面に切る。
 私がおやつ作りでバターの計量をしながら「だいたい160グラムだからいいな」とつぶやいていると、隣で見ていた義男さんが「あと何グラムだ?ちょっと貸して」と残っているバターの塊を目分量で切り、ボウルに乗せるとピッタリ160グラムだった!目分量にもかかわらず、その繊細な感性に驚いてしまう。昼食を急いで終えると午後は義男さんの時間になる。部屋を探してグループホーム1や里周辺を散策する。そのうちフキ採りになったり、「家さ帰るかな」となったり、歩きながら目的はさまざまに変わるようだ。山歩きが好きだったとのことで、歩くことで想いが解消されるのかもしれない。フキ採りになると「そっちは危ないよ」という声も届かないほど夢中になってしまう。大量のフキを穫るのだが、後日「かでくてだめなんだ」「わだしは、こういうフキは採らないよ」「ずいぶん細いな」等々、収穫した本人も他の利用者さんからも不評を受けたフキだったが、醤油とみりんで煮付けて昼食に出したら苦味もなく、とてもおいしく出来上がって「案外おいしいな」と義男さんも驚いた様子だった。
 ところで、収穫したフキをゆでてアク抜きし、皮をむいて煮付けるという体験は、私にはなじみのないことだったため、やり方を教わりながら見よう見まねでやってみたのだが、けっこう楽しく、煮付けも美味しくて感動してまった。おおらかな心と、場を和ませてくれるユーモアセンスを持って、どっしりとスタッフを支えてくれる義男さん。義男さんに守られていること感じつつ、自分自身も守る側として成長していきたいと思う。
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銀河さんさ隊 ★ 厨房 小野寺祥【2010年9月号】

 私は短大のとき盛岡さんさに参加して5月から練習をはじめ、夏はさんさ一色だった。里の採用試験もさんさ一色でほとんどさんさの話で終わってしまったことを覚えている。
 そんな流れから去年の夏祭りの機会に銀河さんさ隊を結成した。太鼓、笛、踊りの音が重なり合いつたないながらも利用者さんにも好評だった。今年もさんさの季節がやってきて、太鼓3名、踊り5名、笛1名の里スタッフで銀河さんさ隊を結成した。
 練習をはじめたのは6月下旬。週に1、2回の練習を行った。みんな勤務の合間の練習なのだが、前向きな雰囲気で、嫌々の練習にはならず、日に日に自然と盛り上がっていった。
 積極的に練習に集まってくれるスタッフ、太鼓の音色に誘われて遊びに来てくれる利用者さん。練習時間が遅いこともあったので、練習前にG1に挨拶にいくのだが、「今日も頑張るのね。後で見にいくからね」と声をかけてくれる利用者さんに元気をもらい、練習場は明るくなる。
 そんな勢いや支えがあるからか練習はびっくりするくらい早く完成へと突き進む。DSの鮎美さんは、初めてさんさの太鼓を叩くのだが、普通は早くても一ヶ月はかかるのに、2週間ほどで踊れてしまった。また、今年は笛を、尺八を吹ける特養の育美さんにお願いした。盛岡さんさの笛の動画を見てすぐに吹けてしまうのだ。踊り子のスタッフさんも今年はミスさんさの踊りを撮ったDVDを参考に手の先、腰の動きまで熱心に練習を進める。去年とは違った、踊りの質の向上をはかることができた。また、去年夏祭りが終わった後にもっといろんな踊りを踊りたい!!という、思いがあったため、今年は去年披露した七夕くずしの他に、栄夜差踊りの披露に向けて頑張った。また今年は見せるさんさのほかに、参加するさんさと輪踊りにも力を入れた。
 7月下旬、盛岡さんさも近づいてくる。里のさんさメンバーで本場の盛岡さんさを見に行きたい!という声が上がった。そこで8月3日に4人のさんさ隊メンバーで盛岡に出かけた。この日は私が短大時代に踊った盛岡大学が参加する。今年は6年連続最優秀賞を獲得している岩手大学とぶつかるため、盛岡大学は気迫が違った。中央通りのスタート地点から少し行ったところで見ていたのだが、盛岡大学の踊りが近づくにつれて人の足が止まり、空気が変わった。地鳴りがして、一糸乱れぬ太鼓の動きと迫力、手の先まで神経の行き届いた踊りの美しさと笑顔。こんなにも美しい音色が奏でるのか!と思ってしまう笛の音。2年前まで自分もこの中で踊っていたのかと思いながら圧倒された。踊りをゴールまで見ていたいと思い鮎美さんと手を取り、走り出していた。そしてゴールで、ぐしゃぐしゃになった顔で抱き合っている現役をみて涙がでてきた。盛岡大は今年念願の最優秀賞を獲得した。帰りの車で「今度は私たちの番だね」と言葉がでた。

 7月22日、運営推進委員会で、プレ披露。目の前で「おいしょ!!がんばれ!!」と一緒に踊ってくれる守男さん(仮名)に力をもらった。本番の前日、各自準備に忙しかった中、全員集まることができた。本番の披露の場所でもあるDSの前で練習をした。みんなの笑顔、迫力に感動した。

 待ちに待った当日。30度をこえる真夏日だった。披露の時間が近づくにつれて緊張が襲ってくる。いよいよ本番。太鼓、笛、踊りの中で、みんなの笑顔と掛け声。その中で、「いいぞぉ!!」と守男さん。緊張の中で、今までの思いが込みあがってきて、みんなの笑顔をみて涙がでる。
 盆踊りの後に、もう一度輪踊りをして利用者さん、スタッフと一緒に踊ることができた。自然と出る掛け声、夏の暑さが吹っ飛んだ。
 その後、特養に出向いて披露した。「待ってました!」と拍手で出迎えてくれて、何度もアンコールがなる。「そったな汗かいてやるんだな」とフユさん(仮名)。「あんたチャラチャラしている子だと思ったけど、ちゃんと踊るのね」と笑いながら涙を流してくれる邦恵さん(仮名)。「良かったよ」とたくさんの利用者さんが手を取ってくれて、胸がいっぱいになる。大成功の夏祭りと銀河さんさだった。
 後日、DSでも披露した。始まる前「はやくだよ!」といつものごとくせかしていた幸子さん(仮名)だったが、踊りが始まるとすやすやと眠ってしまっていた。居心地がよかったのだろうか?このDSの披露を終え、今年の銀河さんさ隊が終わり、私の夏もおわった。だが、来年暑くなればまた、胸がうずうずしてきて、夏が始まる。生まれたばかりの銀河さんさ隊だが、これからも上を目指し、成長していきたい。今から来年の夏が楽しみだ!!
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捧げる踊り ★グループホーム第2 佐々木詩穂美【2010年9月号】

 グループホームの新しい入居者、守男さん(仮名)の初対面は緊張感ただようビシッと決まったスーツ姿だった。服をきっちりと着た姿は軍人さんのようにもみえた。それもそのはず、守男さんは戦争を生き抜いてきた人だった。「満州で戦ってきた菊池守男だ」「殺さなければ殺されてしまうところだ‥」と真剣な表情で私たちにも戦争に行った話を聞かせてくれる。戦争の話は聞いている私たちにも緊張感を与え、守男さんの表情をみているとなんだか切ない気持ちになる。でもそんなイメージを反転させるのが守男さんの踊り。なにか特別なことがあるわけでもなく、ふと目が合ったときに「踊り踊れば♪」「ほれほれ♪」と手をとって踊ってくれる。いきなり始まるものだから、手をとって踊る私も、周りにいた人達もみんな最初は戸惑うが、みんなをいっきに笑わせてくれる魅力ある踊りだ。
 銀河の里の夏祭りが近づき、イベントに仮装輪踊りが入っていた。職員が仮装して踊り、なんと仮装優秀賞には豪華景品もついているという今年の輪踊り。輪踊りのリーダーになっていたので仮装するメンバーと共に練習を重ねた。練習最終日は守男さんも独自の踊りで最初から最後まで練習に参加してくれていた。やっぱり守男さんが入ると雰囲気変わってにぎやか。不安が大きかった私だが、守男さんがいれば大丈夫だと夏祭り当日の輪踊りが楽しみになってきた。夏祭り当日、輪踊りが始まると輪の真ん中に浴衣姿でめいいっぱい踊る守男さんがいた。1人1人いろんな人の手をとって一緒に踊っていた。踊りに参加した人も、周りでみていた人もみんなを引きこんで笑顔にさせてくれていた。
 そして、大賞発表で仮装大賞の他に盆踊り大賞で守男さんの名前が呼ばれた。呼ばれた瞬間、さっきまで笑っていた表情とは一変し、涙が狭間みえる表情で席を立った。表彰の前に立つと、施設長が賞状を読み上げる間ずっと頭を深々と下げたままで表彰を受ける。その姿に、守男さんの力強い踊りはただ楽しくてやってきた踊りではなく、思い入れのある踊りなのだと思った。
 夏祭りが終わった後「家だけでなく、ここでも踊らねばなくなったな」と笑って話してくれた。夏祭りの打ち上げは里の職員で倉本聰の『歸國(きこく)』の演劇を観にいった。その中で、戦争真っ只中の苦しいときにこそ踊る英霊の姿があり、「あの踊り!守男さん!?」舞台の上で踊る英霊の姿が守男さんと重なってみえた。
 戦争の深い傷の疼きを浄化し、癒すかのような守男さんの捧げる踊りにいつも引き寄せられる。
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昌子さんとジブリ ★ワークステージ 日向菜採【2010年9月号】

 7月下旬、私は昌子さん(仮名)に誘われ、ジブリの新作映画『借りぐらしのアリエッティ』を二人で観に行った。昌子さんはジブリが大好きで、物語の主人公の成長や、その映画が描く世界観は、昌子さんに大きな影響を与えている。
 この日観た『借りぐらしのアリエッティ』は、ある古い屋敷の床下に住んでいる小人の少女・アリエッティが、その屋敷の少年・翔に姿を見られてしまうところからストーリーは始まる。「人間に見られてはいけない。見られたからには、引っ越さないといけない。」床下の小人たちの掟によって、アリエッティの家族は、新しい住まいを探さなければならなくなってしまう。責任を感じたアリエッティは、家族を守るために一人で人間の世界に飛び込んでいく。
 映画の中では、人間の世界と小人の世界の違いがはっきり表現されている。特に、小人から見る人間の世界、たとえば目の前に現れた巨大な白い建物は冷蔵庫だったり、人間にとって見れば足で踏まれてしまうほどの小さな野花が、小人にとってみれば花瓶に飾られるとても華やかなものだったりと、その物の大きさや尺度だけでなく、その物から感じる迫力や繊細さ、美しさなども違って伝わる。小人と人間の大きさを越えて、それぞれの世界と、いろんな感じ方があるはずなのだ。
 映画を観終わった後、昌子さんは満足そうな表情をしており、次の日からは毎日アリエッティの絵を何枚も描いて私にプレゼントしてくれた。この映画を通して、昌子さんの中にまた新しい世界が浮かびあがったことを感じ、その影響力の大きさに驚かされた。私自身、小さな頃から「天空の城ラピュタ」や「となりのトトロ」など観て育ってきたが、ジブリが描く物語に心を動かされるようになったのは、高校生になってからだった。ちょうど「大人」を意識し始めていた頃だ。ジブリの作品の主人公は、ほとんどが「少女」であり、その「少女」が新しい世界と出会い、いろんな葛藤もありながらも家族や仲間を守るために力強く立ち向かっていく姿が描かれている。その物語のなかで、主人公の「少女」は「女性」や「大人」へと変容をしていっているのかもしれない。そうだとしたら、昌子さんもきっとジブリの少女たちといっしょにその過程を踏んでいるにちがいない。
 宮崎駿監督はインタビューで「初期の頃の作品で描かれているヒロインでアニメーションを作りたいとは思わない。そのヒロインが持っているいちずな想いや強さは、だれでも持っていると思うようになったからだ。みんなそれを隠していたり出さなかったり、出したくてもどういうふうにだしていいのかわからないまま持っていて、それを冷笑したり否定したりして生きている。けれども、とにかくみんなそういう想いを持っている。」と語っている。近頃、昌子さんはファッション雑誌を買ったり、女性のエチケットについて相談してきたりと、「昌子ちゃん」と呼ばれる雰囲気とはまったく違う姿を見せ始めている。昌子さんは、人に怯えて泣いていた数年前に比べ、たくましさや強さを感じさせる大人の女性に変わってきている。さらに自分の世界を持ち、その想いを自分なりの表現で発信するようになった。こうした昌子さんの前向きに生きていこうとする姿勢が、家族や仲間を支え、そしてまたそれらから支えられることで昌子さんが成長しているように感じる。
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笛のあねっこの笑い泣き夏祭り ★特養ユニット「こと」 高橋育美【2010年9月号】

「いくちゃん、さんさの笛、やってみない?」銀河の里のさんさリーダー、厨房の祥さんから6月にさんさ隊での笛を担当しないかとのお誘いを頂いた。(さんさ、やりたいな〜、声、かかんないかな〜…)と秘かに思っていたので「やります!」と二つ返事でOKした。
 昨年の銀河の里の夏祭りにボランティアとして参加していた私。その時に見たさんさと、里のアットホームな雰囲気が(あ〜、なんかいいなあ…)と感じて、ここに入社することを決めた。1年経って今年は見せる側だ…嬉しいなあ。
 しかし「やります!」と言ったものの、小学校から習ってきたのは尺八でやるのは横笛(尺八より細いしちっちゃいし、穴はいっぱいあるし…うーん。)そもそも楽譜の読み方って一緒なの?…おっ、でも音はでる!よしよし、音さえ出ればなんとかなるっしょ…。家に眠っていた横笛を引っ張りだして独り言をブツブツ言いながら、さんさの笛っこ担当の道がはじまった。
 祥さんから楽譜を渡され、固まる私。楽譜は縦と横じゃ全く違っていた?おいおい楽譜の読み方覚える前に本番きちゃうよ…どうしよう…。
 楽譜を見てもどうしようもないことが判明したので、その後はさんさの笛の動画を見ながら聴きながらの“目と耳でコピー大作戦”に切り替えての練習。どの指で押さえるかすら分からない所からのスタート、見ては巻き戻し、見ては巻き戻し…わからん。さっぱり先に進まない。隣で練習している踊り子さんや太鼓さんはすぐに覚えてどんどん先に進んでるし…すごいなあ…。
 ある日ユニットで練習しようと、横笛をもってきた。椅子に座って笛をかまえると「おっ、なんだ、笛っこ?」とトミさん(仮名)が興味津々。「8月にお祭りあるでしょ?さんさの笛っこやるのよ、わたし〜」「んだってか!?」「んだ〜、さっぱり吹けねども、今練習してらがら、見さきてね。こっち(特養)でもやるから」「おお、楽しみだあ〜。いくいく♪」と、目をキラキラ!ミエさん(仮名)やスギさん(仮名)にも近づいて、なんとも言えないニカッ★とした笑顔で頷いてくれ、スギさんも「わかりました…」と優しいまなざしをくれた。
 横笛を手にとってずーっと観察していた武雄さん(仮名)。「この笛おめのが?」「うん、家にあったやつ」「んだっか…これよう、竹でここ締めるの難しいんだよな、穴っこも…。こいずはよ、1回乾燥させてからでねばわがねんだ、中は漆でな…」武雄さんの職人講座が始まってしまう。それでも最後に「見さいぐじゃ。」と言ってくれた。
 思いつきで持ってきてみたけど、ことメンバーの笛へのまなざしを感じたら、なんだか夏祭りと“こと”を繋げられたような気がして本番がすごく楽しみになった。
 そして、8月8日の本番。あまりに緊張してしまい、最初の演奏は酷い出来だった。極度の上がり症の自分。チキンハートめ。うわ〜どうしよう…このあと3回も演奏するのに…とかなり凹んでいた。その時“オリオン”の紀子さん(仮名)が見ていてくれたので「紀子さ〜ん!」と駆け寄った。紀子さんはすっごい笑顔で、わたしの手を握り「いがったあ〜!!!」と言ってくれるのでその瞬間いろんな思いがこみ上げてきて、思わず「ありがとう〜!」泣いてしまった。“オリオン”スタッフの美雪さんも「なんか分かんないけど、涙出た〜。よかった〜。」と言ってくれて、ああ、繋がってるんだなー。と無性に嬉しかった。
 そこでそっか、上手い下手じゃないんだな…と気付かされた。おかげで、あとはとにかく演奏している姿を見てもらおう!楽しんでもらおう!と楽な気持ちになった。
 輪踊りでは、最近体調が優れなくて笑顔が見られなかったエリさん(仮名)も、あれっ、エリさん、本当に体調不良?全然元気なんじゃない?って思ってしまうくらいの笑顔で、輪の中に入って一緒に踊ってくれるし、グループ第二の踊り番長、守男さん(仮名)は全身で楽しんでる!踊りが…終わってしまうのが嫌だと感じるくらいだった。
 特養でのステージ。“ほくと”では、利用者さんとスタッフが1列に並んで待ってくれていてそれだけでも嬉しくて、疲れなんて忘れて全力で吹いている自分がいた。終わった後は1人1人と握手することができて、いつもピシピシ厳しい感じのハルさん(仮名)が「ありがとう、素晴らしかった」と笑顔で声をかけてくれて、いつもは難しい表情が多い洋治さん(仮名)も「いがったじゃ〜!ハッハッハ!」と自分から手を出してくれた。フユさん(仮名)には拝まれるし(拝みたいのはこっちです)邦恵さん(仮名)は顔クシャクシャにして泣いてくれてるし…全員カメラに収めたい!と思うくらいのいい表情で、疲れは吹っ飛んでしまった。
 “オリオン”では、ミサエさん(仮名)が声をあげるくらい号泣してくれて、普段はすぐに夢の世界に旅立ってしまう文太さん(仮名)は1番ノリノリで踊ってくれた。我らが“こと”のメンバーのいい表情も、心のカメラにバッチリおさめて…★最後の輪踊りにはスタッフの晴一さんと酒井さんも飛び入りで参加してくれたりと、さんさ隊とスタッフと利用者さんが一体になっているという雰囲気がすごく素敵で、いい時間だったなあ。

 笛(尺八も横笛も)の演奏も、銀河の里のスタッフとしてもまだまだ「ひよっこ」の私だけれど、いろんな事への“思い”を忘れずに、成長していきたい。

 また1年後…今からさんさが待ち遠しい。
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人間同士 どう想う(その1) ★特養ユニット「こと」 酒井隆太郎【2010年9月号】

 俺は、某、大手自動車メーカーに8年間勤務し、大きな喜びを貰い、多大な幸せを貰い、コテンパンにされボコボコにされて弱音を吐き、仲間を裏切って逃走した・・・・・・・。
 35歳の世帯持ちで綺麗な妻と(笑)可愛い二人の息子がいる人相の悪い、介護員面した、ひんまがった、ただのオッサンである。
 俺は、これまで人間の想いや、行動を全く理解できずにいたと思う。弱音を吐き逃走してきた自分は高齢者の想いや行動を果たして理解できるのだろうか、凄ましい介護の世界に、ひんまがった自分がやっていけるのだろうか?内臓がよじれるくらい悩んだ。
 しかし答えは、簡単だ・・・俺だ!!
 ひんまがっている俺を、修正しなければ!!
 他人の想いや行動を理解できずにいた俺を修正しよう!!
 俺は、介護員面した介護員だが・・・・逆に介護されようと・・・
 もう一度、人間同士のやりとりを、いちから見直そうと俺に言い聞かせた。
 俺は、どの位人間と関わったのだろう?いくら、ひんまがっていても俺にも確かな財産はある、それは、
 家族だ!! 親友だ!! 友達だ!! 心の友だ!! 先輩だ!! 同級生だ!! 後輩だ!! そうした男も女も全て俺の財産だ!!
 これだけは、金や物では絶対に手に入れることは出来ない俺の財産だ!!
 その、財産から応援を受け背中を押され、その気持ちを胸に何とかやってみようと、ひんまがった真っ暗闇の心に少しの光が差し込み、なんだか分からないが、どことなく気持ちが高ぶってきた。
 ある時、現場のユニットで81歳の男の先輩が俺の目の前に飛び込んで来た!!
 顔は、ガンとした面で、腕は太く背も高い、格闘技でもやっていたかのような感じだ・・・当然無口である。
 そんなある日、先輩はテレビに釘付けになって見ていた。近づいて見ると相撲を観戦しているじゃないか!!俺は、話しかけずに黙って背中をみていた。数日後、俺は柔道の全日本大会のチャンネルを選んだ。女性の利用者さんからは少々のブーイングだったが、俺と先輩の、何かが高ぶり人間同士の動きが始まった。先輩はまさに、テレビの占領、独裁政権のごとくかぶりついて観戦しているではあ〜りませんか!!俺は、小学生から格闘技が大好きで、ブルースリー、ジャッキーチェン、プロレス、総合格闘技、K−1、ボクシング、柔道、相撲、と格闘技オタクでございました。ついに導火線に火がついた。(一応、俺の本職は剣道なのですが・・・)思い切って先輩に話しかけてみた。
 「先輩さあ、柔道好きなのっか?」すると、先輩は
 「俺はよお、柔道、四段なんだ。」と言うではないか。俺のひんまがった真っ暗闇の心に少々の光が差し込みはじめた程度だったところへ、とたんにまるで雲一つ無い夕焼けの西日のようにガンガンと光が入り込んで来た。その後はまるで、悪ガキ同士が会話をするかのような感じで、決勝戦のどちらが勝つか語り合った。無口であった印象は爆弾で吹き飛ばされ、ただ格闘技が好きで進んでいく人間同士、親友同士になったかのようだった。
 数日後、先輩から俺に話しかけて来た・・・
 「プロレスよお、テレビでやらなくなったもんなあ」
 俺はあまりの衝撃の言葉に胸を撃たれ、その言葉が心臓に突き刺さった。俺は「んだあ、最近はやらなくなったけど、夜中にやってるじゃ」と即座に返した。先輩は、見たいのか?見たいに違いない。先輩は、「んだあ。」と  返事をして椅子に座りいつものごとく瞑想していた。
 俺のなかで答えが出た、先輩は、力道山世代だ!!間違い無いと確信した。戦後の荒れ果てた日本からそろそろ成長段階。テレビが売り出されプロレスの放映が始まった頃ブラウン管に映っていたのが力道山。まさに時代のヒーローだ。その、ヒーロー力道山を生み出したプロレス!!先輩は、だだの興味なのか本当にプロレスが好きなのか、どうしても探ってみたくなった。そして、本当にプロレスを観たいのなら是非一緒に行きたいと思った。
 これは、腐れ縁に感謝しよう。奴がいなかったら俺はここまで考えられなかっただろう、心に突き刺さるものは無かっただろう、奴の話しに感謝しよう、出会えた事に感謝しよう、人間同士に感謝しよう。俺は、二十年以上の人間同士で付き合っている、腐れ縁の親友を思い出したのだ。そいつは俺よりもプロレスオタクでプロレス博士だ。まさに俺は、そいつにプロレスを教わった。そいつが、小学生の頃お祖父さんに連れられて市民体育館にプロレスを観戦しに行った話しを覚えていた。その時プロレスにはまったと言っていた。そして、そこから心に刺さる何かを感じた・・・・
 奴は、盛岡の大通りに飲食店を開いている、ちょうど石の上にも三年の月日が過ぎたあたりだろう。当然のごとく苦労しているだろう。(盛岡に足を、お運びの方はどうぞお立ち寄り下さい。何卒、よろしくお願い致します。詳しくは、酒井まで。)
 数日後、プロレスリング・ノアと名乗る団体が、盛岡に来る情報を耳にした。チャンスだな、誘ってみるしかない。でも少々悩んだ、テレビで観戦したいようだったが、会場に行きたいなどとは一言も言ってないし、盛岡は遠い。試合の時間は6時くらいから9時くらいまでだ、帰って来ると間違いなく11時になる。悩んだ・・・
 とにかく伝えてみよう、あたって砕けろだじゃ!!聞きもしないで簡単に引き下がるわけにはいかない、もし駄目だったらそこから考えればいい、決して失敗じゃない、これが始まりなんだ。かなり強引に自分に言い聞かせ、ある朝、先輩のもとに行って俺はこう言った
 「先輩、今度盛岡にプロレス来るんだよお。もし良かったら一緒にいがねっか?」すると、先輩は少々眠そうな顔をこちらに向けてニヤリと笑ってこう言った
 「いいな、いぐ。」あっさり答えが出た、まさにその時、人間同士の気持ちが一致した、何も関係無い年齢や他のいろいろな事全て取りはらい、ただ二人がプロレスを好きだとゆうことだけで人間同士が深くなって行った。俺は興奮ぎみで先輩に話していた「んだぁ。んじゃ、観戦するんだったら後ろの席とか2階席とかじゃなくて、一番前の最前列で観戦するべしや。」すると、ニヤリと笑った顔がもうちょっと笑って返事をした、「んだってが。」
 俺は「特別リングサイドで観戦するのよ!!」とデカイ声で先輩に言った。
 早速、腐れ縁に電話した。チケット大至急取ってくれや!!後ろの席とかじゃねえぞ、特別リングサイドだじゃ!!すぐ、連絡よこしてけろ!!奴は快く引き受けてくれた。そして、チケットもすんなり用意できた。これも人間同士、二十年以上の絆があったからだ。奴には頭が上がらない、感謝のひと言しかない。(次号に続く)
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志と理念を持って福祉を推進する人たちへ その2 ★北海道当麻かたるべの森,ギャラリーかたるべプラス 施設長 横井寿之【2010年9月号】

 思いがけず、銀河の里の米澤さんから、続きを書いて欲しいという依頼を受けた。
 そこで、前回「かたるべの森構想」について少し端折って書いたので、少し詳しくなぜかたるべの森構想を12年前に提案したか、振り返ってみたい。

 平成5年に、私は旭川から50キロほど北の人口5千人ほどの町剣淵(けんぶち)町という町で、日本で最初の50人全室個室の施設を設立した。寮舎の生活単位を12人から13人の家庭的なユニットにした。個室とユニットケアという考え方が老人ホームで提唱されるずっと以前のことである。この施設の建設費は作業棟1億、本体施設5億で約6億を要した。
 国費が2億4千万、剣淵町の債務負担が3億6千万であった。当時一般会計46億ほどの小さな町が、3億6千万円も負担するということも異例の事であったかも知れない。開設した平成5年には全国からの視察者が1700人に及んだ。知的障がい者施設で全室個室の施設と言うことがマスコミ等でも取り上げられ、反響を呼んだからである。
 しかし私はこの時、入所施設を作ろうなどとは全く思ってもいなかった。「もう入所施設はいらない」と公言してきたからである。その時、私は当時最も私の取り組みに理解のあった役場の福祉課長と、町の中にグループホームを5棟ほど建設し、20人規模の就労の場となる通所施設を作ろうと計画していた。通所施設では地元の農業者のトマトジュースなど農産物加工を仕事にしようとしていた。地域の農業者と一緒に町おこしにも取り組んでいて、「剣淵絵本の里作り」や無農薬農業を私たちが提唱して、「剣淵生命を育てる大地の会」を作り、無農薬農産物を1億円売るほどに発展させたりもした。そうした実績を通所施設の仕事にするという計画であった。町の中に、障がい者の町営住宅を建設し、そこから、通所施設に働きに行く、その計画は画期的でわくわくするものであった。真剣に取り組んでいた時、町長選挙があった。対立候補者が出たためか、現職の町長は期間中突然、「新たな50人の入所施設を作る」ということを言い出した。それは私も、福祉課長も全く知らないことであった。選挙が終わって、入所施設を建設に取り組むという町長の意向に私は絶対入所施設はやらないと頑張ったが、福祉課長の「町長が公約した以上、やらざるを得ない、我慢して受けてくれ」といわれて、私も諦めて条件を出した。それは全室個室の施設にすること、無農薬農業者の農産物を加工する施設を併設することをあげた。紆余曲折があったが、結果的にそれは受け入れられたが、町長はよほど面白くなかったらしく、開所式の挨拶で「私ははっきり言って、障がい者に個室とは贅沢だと思っている」と言った。 

 平成5年全室個室の北の杜舎が開所した日の打ち合わせで、「北の杜舎は全室個室という点では入所施設としては新しく、まだ役割があるかも知れない。しかし、10年先には入所という点で時代遅れとなるかもしれない。その時、この施設の入居者をどのように地域居住させて、入所施設としての役割を終えるか、10年先を考えて実践しよう」と挨拶した。そして5年後、「個室は贅沢だ」と言った町長が8期の再選を果たした。対立候補を応援した私は当然のことながら、この町を出なければならなくなる。しかし、そのこととは別に私は私の求めるものと、父母との間に大きな「意識のずれ」を感ずるようになる。私は入所希望の父母と面談したとき必ず次のように説明してきた。「今は、皆さんの地域に施設がないからとりあえず、私の施設の入居を受け入れます。しかし、いずれ必ず皆さんの地域にグループホームと作業所を作ります。その時は地元に戻るという条件で受け入れますがそれでいいですか?」と。そして、それに最初に応えてくれたのが当麻町の父母であった。まず、当麻町にグループホームと作業所を作ることにして、当麻町に出身者を移すことが実現することができた。それは私にとって地域福祉推進の第1歩であったと言ってもいい。しかし、その時、父母の会の役員さん達が私にその実践について異議を唱えに来た。「入居者を地域に返すことを始めたようだが、多くの父母は誰も地元に帰すことを臨んではいない。父母達は、やっと入所施設に入れたのだから施設から出すなんて考えないで欲しいと思っている」と。私は「父母のニーズと当事者の地域で暮らしたいというニーズとは相容れないものだとしたら、私は当事者のニーズに応えて仕事する」と応えたが、納得はしてもらえなかった。
 父母のニーズと、当事者を一人の人間として、地域で暮らすことができるように支援するという福祉の理念と、一致して目的に向かうことができるようになるには果たしていつのことか、そんなことをずっと引きずっている。 話しはちょっと横道にそれたが、当麻町での取り組みのいきさつはそうした事が背景にある。入所施設に依らない地域福祉の推進をかかげて、当麻町での取り組み始まった。
 そして、10年経って今、当麻かたるべの森は正念場を迎えつつある。(続く)
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ハエ叩きで大盛り上がり ★特養 中屋なつき【2010年9月号】

 ユニット“すばる”でのある日の夕食後…。すでに何人かは眠りについていたが、リビングには祥子さん(仮名)、真澄さん(仮名)、シサさん(仮名)に華さん(仮名)、邦恵さん(仮名)の女性陣が食後のひとときをまったりと過ごしていた。隣では広周君が日誌の記録をしていた。そこへ私も腰掛ける。
 みんなで他愛のないお喋りをしていたら小うるさいハエが気になった。
「ハエ一匹叩いたらなんぼ、って決めたら、みんなして頑張って叩くよぉ」と祥子さんが言ったので、「お、そういうんだったら確かに頑張るかも」と広周くん。そこで私はハエたたきを持ってきた。
 さぁ始まったハエ叩き大会!このやろ、このやろとハエ叩きを振り回す私を見て笑う祥子さん、キョトンとする邦恵さん、「ほに、いんだ、いんだ」と呟いて応援してくれる華さん…。
 「あれっ?! どこ行った?」
 「こっち! ここ、ここ」
 「いた、いた!」
 「あっ、とまった!」
 「今だ!」パシッ、…空振り。
 「あはは〜、はえぇっけもん」
 「はえぇからハエだ〜」
 何度か外し、やっと一匹叩くと「わぁ、やったぁ!」と盛り上がる。すると次なるハエがやって来た。
 「おめさん、早く食べてしまうんだぁ。ごっつぉ、狙われてらよぉ」とシサさんに話しかける祥子さん。シサさんの前にはまだごちそうが並んでいる。寄ってくるハエを無言で払いのけてはいるけれど、もう食べる気はないみたい。それまで静かに見ていたシサさんが、自分の真上の天井の一点を指差しニヤリと笑った。「あ、天井にとまってる!」と広周くん、指差して「ほら、見て見て、邦恵さん!」キョロッと見上げる邦恵さんも面白そうにニッコリ。
 届くはずのない高さだが「よぉ〜し…!」と構える私を、みんな息を凝らして見つめる。そこで「ぶふっ」と吹き出してシサさんが「無理なんだぁ」とニコニコしながら手を振り振りしている。ジャンプしてハエ叩きを振り回すと「ふふふ」と笑いながら、「ダメダメ」とシサさん。
 「そうだよね。しとめちゃったらシサさんの上に落ちてくるもんね」
 「電気も割れちゃうかもしんない」
 「やめといた方がいいよぉ」
 周りからもいろいろ声が飛び交う。ハエの方も方々へと舞ったりまた飛んで行ったり。目の前のテーブルに来たら「バンッ」と手を出す邦恵さん、「おしいー!」と広周くん、「ほぉ〜!」と華さん。
 「昔はね、ハエなんか、こうやって叩くどころでなかったんだよ。いたるところ、そこらじゅう真っ黒だったの」祥子さんの昔話も始まる。

 気がつけば20〜30分ほども経っていたか、みんなで一盛り上がり。「じゃ、おやすみなさい」とそれぞれ部屋に入って行く。最後に残ったシサさんに「ハエたたきで盛り上がったね」と笑うと、シサさんも「うふふ」と笑みを浮かべ天井を指差してくれた。
 こんなさりげないやりとりの時間に満ちた特養のユニットでありたい。そうした場のなかに個性も現れ表情もみえてくる。出てくる表情や人柄でお互い癒され支えられる。硬い顔して介護介護で追われる空気では利用者もスタッフも辛くなる。
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発見の喜び ★理事長 宮澤健【2010年9月号】

 先日、銀河の里の読書会を開いた。以前「銀河セミナー」をやっていたがテーマは「最初の10年、最後の10年」だった。つまり、銀河の里の創立者である私や施設長にとっては最後の社会人生活で、新人にとっては最初の10年で、人材育成、世代を引き継ぐ重要な10年と意気込んだが、思ったように若者は育たず、こちらは歳をとるばかりで疲れてしまい、その最初の10年もすでに4年が過ぎてしまった。
 ただ、挫折したかのようにみえた最初の10年も、今見渡せば、それぞれの部署で元気の良い若者が育ちつつあり、捨てたものではないと期待を持てる気配もある。ここらで気を取り直して、セミナーとは行かないまでも、読書会でもやってちょっと知的な刺激で、この先に期待しようと開催となった。
 今年に入って施設長は、巷でのケアの新しい模索はないかと本を読みあさったが、あまり期待できそうなものには出会えなかった。「ケアを拓く」という岩波のシリーズは悪くはないが、現場の感覚からはいまいちという感じも拭えない。そんななかで「ケアを問い直す」は「深層の時間」:生者の時間と死者の時間がクロスする場所などと、異界との接点や魂のことも語っていてよしとなったのだが、読み込むと80年代に河合先生が論述された「生と死の接点」あたりの内容の焼き直し的なところもあり、若干失望気味になった。ただ、河合先生の提言のひとつの展開としては貴重ではないかと気を取り直しながら、熟読を試みた読書会となった。
 銀河の里の命運をかけ、昨年運営を開始した特養へのエールの意味も込めて、施設長が書き始めた「未来への新たな地平」はそうした現状からなかなか新たな地平を開けないまま、連載は中断しがちで、現場の苦衷のさなかでの読書会でもあった。
 ただ草創期が激流であることは当たり前なのだと思う。ただ疾風怒濤を堪え忍び突き進む悪戦苦闘能力がひとりひとりに求められる。ここを堪え忍び生き残る力と運を持っていなければならないとすれば、それは誰にでもできることではない。
 読書会のそれぞれの発言によって明らかになってきたのは、我々はかなり厳しいサバイバルの時代を生きているということだった。高度にシステム化され、制度化された情報化社会は便利さを極めてはいるのだが、あまりに人工的で、自然を失って、ゆとりがなく、感性や情が機能しにくい。その中で人間の個性や心、気持ち、情、魂などは相手にされず、惨殺されることが日常的にあるということだ。
 たとえばデイでは毎年情報公開があり、グループホームには第三者評価というのがある。これらは福祉施設が密室になり、虐待など暴力がはびこるのを防ぐ目的で行われているのだが、現実は書類の整備とマニュアル化が求められるだけで、人間が顧みられる事はない。「これだけ人間が集まって色濃く生きている現場に来てあなたたちは人間を観ようとしないのか」と苦言を呈したこともあるが、「見ていますよ」と軽く返されて、その通じなさに失望したものだ。こんなことを10年も続ければ、現場の若いスタッフは、人間を見てはいけないんだと勘違いするだろう。
 銀河の里のデイは認知症の在宅支援の現場として他ではできない技術と経験を持ち積み上げてきているはずだが、そのリーダーである藤井さんが、情報公開でフラフラになってしまう。個別に対応する繊細な関わりは全く無視され、一般化された書類とはんこだけが必要だと言われているような脅迫観念にやられてしまうのだ。
 おそらくこれが、現代の社会の現実なのだ。ロゴスで切り刻みエロスは抹殺されている状況。人間の思いや情は全く相手にされない。
 こうした社会の現状と向きあい、戦う姿勢でいるのが銀河の里なのだと思う。この通信には、現場のひとりひとりが人間の物語、関係の物語を書いてくれている。ただそれらは大多数の人々は読むのが苦しいのではないかと危惧する。通信がほとんど読まれていないこともどこかで感じる。極めて一部の人が、強い関心を持ってくれるだけという極端な偏りがあると思う。
 この現実をどう打開していけばいいのか今のところ解らない。ただ、現代の人々が若者を中心に、美術や音楽を始め、目に見えないなにかに強い関心を持っている感触もあるので、捨てたものではないとは思うのだが、高齢者や障がい者の命や魂への関心に繋ぐには我々現場の感性が重要になってくると思う。
 こんなことを考えているので、銀河の里は怪しいとか、宗教だとか、果ては悪いやつだとかネガティブな陰口が満ちているが、他とは全く違った方向を目指しているとすればそれも当然のことでむしろ先駆的である証拠と考えてもいいだろう。
 人間は謎かけに満ちているので、その謎解きが銀河の里のやろうとしている仕事だと説明すれば近いかもしれない。つまり里の現場は発見の喜びに賭けていると言っていいだろう。数学者の岡潔は寺田寅彦の言った「発見の鋭い喜び」を取り上げて、学問上の発見の喜びを人生の至福としてとらえている。我々も現場にあって、好奇心、探求心を奮い立たせ、想像力を駆使して謎や難題を解き明かし、発見する姿勢で臨む中にケアの仕事の醍醐味に触れることができると信じる。それができなければ介護作業を繰り返すだけの、社会的に評価の低い仕事として定着して終わってしまいそうだ。
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今月の一句 『贈り日(送り火)』 ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2010年9月号】

・送り火の 炎のなかに あのときの 語り尽くせぬ 思い出の日々
 

 グループホームの2階(事務所)の大掃除をした。今までの生活、退居した利用者さんと過ごした思いでの品(おもにメモ類)がいろいろ出てきた。とっておくには溜まってしまい、置き場がなくなるし、ただ捨てることもできない。それらを16日の送り火で天に送ろうということになった。燃やして胸の中にしまう。七夕飾りと松木を燃やし、思い出の品も燃やした。
 私自身、第1、第2両方のグループホームで生活してきて10年、いろんな出会いがあった。第1グループホームの物を燃やしながら、西川さんが「ミキちゃんも手掛けて」と声をかけてくれた。そのときある男性利用者Sさんの特別な日に男性スタッフが渡した一枚ののし紙が私達の目に飛び込んできた。「あっ」と私と西川さんは声をあげ目を合わせた。そしてあの日、その時の瞬間が思い浮かんできた。
 まさかこんな形で思い出させてもらえるとは・・・。送り火に送られてきた贈り物のように思えた。
 Sさんは、平成17年3月に亡くなられたが、その日、新年度に向けてスタッフで集まりを予定していた朝、Sさんが病院で亡くなった知らせが入った。私たちはSさんへの思いを持って集まり、Sさんと過ごした日々を語る会になった。それから毎年3月にはその時のスタッフで集まって会を開き、今年もそのメンバーで集まって食事をした。Sさんがこの会を今も繋いでくれている。何年経っても残るものがある。物として残るものもあれば心の中に残るものも・・・。心の中に残ったものは壊れたりなくなったりしない。
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言葉、気持ち、すれ違って繋がる似たもの同士 ★特養ユニット「すばる」村上ほなみ【2010年9月号】

 花巻の花火の日が近づく。私は特養の利用者さんと見に行くのが楽しみで何週間も前からワクワクしていた。
 8月に入ってすぐに、シサさん(仮名)に花火を見に行くことを伝えると、部屋の暦の21日を指差して「もう少しだね〜。今年も行けるのかなぁ?」と笑顔で話すシサさん。誰から聞いたのか、もう既に日にちを知っていた。いつからだろう…シサさんとこんなに自然に外出することを約束できるようになったのは。入浴も食事もいつも格闘で、出かけるなんて大げんかになったのに、今は当たり前に出かけられるのが嬉しい。なんだか不思議な気持ちになる。でも、もちろんまだまだ挑戦であることは間違いない。ワクワクとドキドキで、花火の日が待ち遠しかった。
 前日、私はシサさんに浴衣を着ないかと話を出した。中屋さんに借りた紺色の浴衣に赤色の帯。私と2人の“特別”で着たかった。着ないと言われるのは分かっていたが、とりあえず伝える。すると予想通り仏頂面で「…着ない!!」とテレビの方を向いてしまった。でも…やっぱり、本当は着たいはず!横目でチラチラと浴衣を見ている。
 私は黙って部屋のたんすの上に赤い帯が見えるようにして置いた。夜、部屋を覗くと、その帯に手を掛けているシサさん。“やっぱり!!かわいい…”と思って、そっと立ち去りながら、“明日、なんとしても着てもらおう!!”と決意したのだった。
 当日、準備をしている私にシサさんから話し掛けてきた。「今日行くんだもんね!?」と笑顔で語りかけられて驚いた。「うん!お茶、あったらいいよね!?」と簡単に返事をして、浴衣を取りにシサさんの部屋に急いだ。“よし今こそ…挑戦!!”と思って部屋に入ると、たんすの上に置いていた帯はかたづけられていた。“だめかな”と感じながら浴衣を持って私はそのまま邦恵さん(仮名)の部屋に入った。邦恵さんはいつもと違って、笑っているのだが、全く目を見てくれない。“ご機嫌斜め?”と思ったが、邦恵さんの視線で分かった。「浴衣、着て行く?」と言うと邦恵さんの目が輝いた。リビングにはシサさんが居る。“邦恵さんが着ているのを見たら、どう動くのかな…”と思いながら、出発の準備に戻った。
 夕食後、邦恵さんの着付けをしてもらう。浴衣姿に、いろんな人が声を掛けて「!似合うよ!?邦恵さん、素敵!!」と言われ、涙を浮かべていた。2人でリビングに出ると「あら〜、いいねぇ!!」と迎えてくれた祥子さん(仮名)の隣で、こちらを見るシサさんが居た。
 また複雑な気持ち。シサさんの顔を見て嫌な予感がした…案の定、出発直前になって「行かない!」と下を向くシサさん。本当のことはわからないけれど、きっと浴衣着たかっただろうな…と思う。もちろん、行かない訳はなく他の利用者さんが車に向かい始めると「やっぱ行く」と自走し車に向かう。私と邦恵さんの席は隣。浴衣を着た2人を前川さんが写真に残してくれた。照れながらも「イエーイ」とピースする邦恵さん。
 後ろにはシサさんが居てずっと見ている。何も言葉を交わさないまま会場に着き邦恵さんの車椅子を押して1番前に陣取ってシサさんを迎えに走った。
 邦恵さんの車椅子とシサさんの車椅子を少し間を開けて並べた。花火が始まるまでの時間、私が話し掛けるのはどうしても邦恵さん。モヤモヤした気持ちで2人の間に座っていると、シサさんから話し掛けてきてくれた。「まだなの?ここなら見えるもんね!!1番いいところだ〜★」この一言で私は…救われた。いつもシサさんは、こうして自分から取り直してきてくれる。「そうだね!もうそろそろだと思うよ!!」そう言って、私は邦恵さんの右手とシサさんの左手をぎゅっと握った。ぎゅっと握り返してくれる邦恵さんとぎゅーっと握り続けるシサさん。そんな小さな違いを大きく感じた。
 言葉でうまく繋がれず、不器用にしか表現できずいつも衝突し合うシサさんと私。言葉のない会話で、楽しい時間も苦しい時も感じ合える邦恵さん。真逆の位置に居るシサさんと邦恵さんの手を繋いで花火を待っていた。ぎこちないながらも繋がっている感触があった。何かで“特別”を作らなくても、こうして一緒に居るのが“特別”だった。無言の時間。3人の“特別”な時間。“言葉なんて、上手く使えなくても、繋がるって、こういうことだよ!”そう思える時間だった。
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今月の書「途」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2010年9月号】

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その先へ
振り返りながらも歩き続ける

一つずつ確かめながら
今足元にある地面を
力いっぱい踏み締める

何を求める?
どこへ向かう?

未知なる世界へ
まだ足跡のないその地面を
また一歩踏み出す


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