2010年04月15日

巡り巡った97歳 ★グループホーム第2 佐々木詩穂美【2010年4月号】

 「もうすぐ誕生日だね」私は一週間前から3月26日に97歳を迎える豊さん(仮名)に呼びかけていた。「今日は何日だ?オレの誕生日忙しいな、みんな来るから10人分頼んだよ」といつものようにテーブルの周りを巡りながら豊さんは話してくれる。
 97歳か〜‥20代前半の私には計り知れない未知の年齢だ。考えれば考えるほどすごい!一生に一度の97歳を一緒にお祝いできるのだから「おいしいのたくさん食べようね」と私もはりきって、豊さんが大好きなお寿司屋さんに行く計画を立てた。
 プレゼントは何にしようかな♪もうすぐお花見の時期なので帽子とかセーターとかお出かけセットがいいかなと、私は買い物に出かけた。しかしいいと思う物は値がはり、予算内に納まらない‥悩みに悩んでプレゼントを選んだ。
 誕生日当日は豊さんのお孫さんもご一緒してくれることになり、いい誕生日になりそうだと意気込む私だったが、主役の豊さんは朝から眠ったままだった。出かける夕方まで、あえて声をかけず、充電中の豊さんを待つことにした。いつも気持ちが通じる豊さんは、出発30分前に起きてきて「うっちゃ帰るよ〜」と出かける準備をし始める。すごい!車椅子がいらないほど軽やかにスタスタと歩いて、気持ちも誕生会に向かっていた。
 回転寿司の席につき、1本しかない歯で勢いよくお寿司を食べ始める豊さん。お孫さんも隣に座って「じいちゃん、おいしい?」に「うん」と一言。勢いのいい食べっぷりにみんな驚かされた。お孫さんの前のお皿まで手がのびる豊さんだったが、温かく見つめるお孫さん。その微笑ましい光景に心が温まる思いがした。
 お孫さんから豊さんにプレゼントが渡される。そのプレゼントを見て私達も思わず「あ〜!!」歓声が沸く。欲しかった新しい帽子・セーター・スリッパと全部お孫さんからのプレゼントに詰まっていた!どうして分かったんですか?私がプレゼント選びで諦めたものがお孫さんのプレゼント!!その一致に「あ〜!!」と驚き「ありがとうございます」と感激。
 豊さんは、里に帰ってきてからもプレゼントの帽子をかぶっていた。「似合うっか?」と言うので「うん、似合ってるよ。お孫さんからのプレゼントね」と返すと「いい孫だべ、ハハ〜」と嬉しそうに笑う豊さんだった。翌日も帽子をかぶって廊下を巡る豊さんの姿に、心に残る97歳の誕生日になったに違いない。一緒に迎えた豊さんの97歳の誕生日は、私の心にも残る誕生日となった。
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主役が悩む誕生会 ★特養ユニット「ほくと」 田中和美【2010年4月号】

 年が明け、佳代さん(仮名)の誕生日が近づいてきた。さて、どうお祝いするか。他利用者の誕生会をみんなで集まって行ったときに私は「佳代さんも、もうすぐ誕生日だね〜」と語りかけた。人一倍気を遣う佳代さん。「オラやんた。ケーキだって何したってお金かかるべ?」という答えが返ってきた。自分の誕生日なんだからそれくらい・・・と思いつつもそれが佳代さんの気持ちかと考えると悩んでしまっていた。
 そんな時、「誕生日に盛(サカリ)に行こうか!」と戸来さんが話してくれた。「盛(サカリ)」は佳代さんが昔、通っていたという自宅の近くにある居酒屋である。「それだ!!」と私もピンときた。佳代さんもいつの間にか話を聞きつけており、そこから佳代さんの盛ツアー計画が始まった。
 佳代さんもノリノリで、顔見知り、初対面おかまいなしに近くにいる人に声をかけては、「盛さ行がねっか?名前書いでけで。」と誘っている。「おめ、名前書いだっけか?」「盛さ電話しねばね。ちゃんとみんな座れるべか。」と毎日耳にするようになった。佳代さんはあまりに楽しみにしすぎたのか、心配で心配で夜眠れなくなることもあった。「大丈夫」とその時納得しても翌日、数時間後、数分後には振り出しに戻る佳代さん。毎日同じことを繰り返しながら誕生日は確実に近づいていった。
 当日私は先に現地「盛」に直接行き、佳代さんの登場を待っていた。いつもよりお洒落をし「フフフ」と笑顔で入ってくる佳代さん。「誕生日おめでとう!!」とみんなで乾杯。蕎麦や刺身をお腹いっぱい食べたあとお店を出て、なんと佳代さんの実家へ。徒歩1分もかからない近所。家では佳代さんのお姉さんと大きなピンクのケーキが迎えてくれた。30分ほどの滞在であったが、佳代さんにとっては久しぶりの家、お姉さんとの再会で、終始笑顔の佳代さんだった。そして何よりも、無事にみんなを盛と家に連れて行ったことが嬉しかったに違いない。人の喜ぶ顔を見ることが自分の喜びになる、それが佳代さんだ。
 現在、佳代さんはカイドウ(桜に似た花。家の庭に咲いているそう。)ツアーのことで毎日頭をいっぱいにしている。悩み事、心配事が絶えない佳代さん。安心させてあげたいと思うが、それがなくなったら佳代さんでなくなる。これからどんな新しい悩み事が出てくるのかな?その悩みにとことん付き合っていきたい。
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1年1年毎年新たな挑戦 ★厨房 畑中美紗【2010年4月号】

 銀河の里に来て、3年目がスタートした。里で過ごしたこの2年を振り返ってみると、訳も分からずにただただ居た感じの1年目とは違って、2年目の1年間はものすごく濃い1年になったなぁと思う。
 長年の経験のある職人さんの下で、包丁の持ち方から教わり、調理はみそ汁の味付けくらいしかしらない何もできないような私が、2年目いきなり特養の給食の主任!?始めは、できるかな・・という不安が強くあったけど、それよりも栄養士の仕事ができる事がうれしくて、すごく不安だけど一方でどこかワクワクしている自分がいた。
 特養が立ち上がってからは、流れを作るまでが大変で、発注も間に合わなかったりして、近くのスーパーのサンライフに電話してほうれん草8キロ、にんじん5キロ、オレンジが30個とか大量のものをそろえていただいて、店の人もびっくりするくらい買い込んだりしたことが度々あった。業者から購入するとあまり意識しないけれど、実際スーパーで買ってみると、給食の量ってすごいなと感じたし、お金をいただいて提供しているという重みも感じる瞬間でもあった。 特養では、高齢者の利用者さんと接する機会が増えて、ワークステージの利用者さんと過ごすのとはまた違った面白さがある。ユニットに入って勝さん(仮名)の隣でご飯を食べていた時に、勝さんが私を見て『ちゃんとご飯食わねばねんだぞ。おめぇは忙しいんだがらよ。これけるがらおめぇ食え?』とデザートのゼリーをくれたことがあった。みんながちゃんとご飯を食べてくれるような給食を提供する側が、逆に心配されてしまったのだが、おかしかった。ご飯とみそ汁、漬物でいいという紀子さん(仮名)。栄養面からしたら塩分が・・・と思うところだが、そんな紀子さんがたまにおかずに手をつけてくれるのがうれしかったり、ショートスティのハルさん(仮名)が、おかずを食べてくれたら嬉しかったり。ソフト食の人がまんじゅう2個食べた話を聞いたりとか、検食日誌においしかったと書いてあったり、まずいと書かれたり・・提供することでかえってくるものが大きくてすごく励みになるし、やってやるぞ、という気持ちにさせてくれる。
 今年の4月1日のエイプリルフールの行事食は、新体制で初めて挑んだ行事食で、自分が中心になって進めたこともあって、達成感が全然違った。びっくりちゃわんむしも成功して厨房みんなでやったね!!と喜んだ行事食になった。調理の技術とかは本当にまだまだだけど、給食でほっとする、おいしそうだね、と配膳の時点でみんな寄ってくるような給食を出せるようになっていきたいなと思う。
 千田さんが食品加工場に内部異動し、今までの大きな流れを作ってくれていた千田さんが抜ける不安はとても大きいけれど、1年前の感じと似ていて、不安だけど、どうなっていくんだろう、というワクワクしていて、何か出来そうな感じがする。新しいメンバーと協力しつつ助け合いながら、おいしい、楽しい給食を作っていきたい。
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銀河リンゴ植樹式を終えて ★事務 米澤充【2010年4月号】

 今年1月下旬、理事長より「特養北側の農地にリンゴを植える。」と話しがあった。リンゴ農家の婿の私だが、まだ収穫の経験しかない。リンゴを1から育てて実をならせる事が出来るのだろうか…、自分の家(以下、米澤家)のリンゴ栽培もままならぬのに…、リンゴの苗はどうすればいいのか…、などと解らないづくしで始まった。
 ちょうどその頃、目標工賃達成指導員として菊池さんが2月に入社した。菊池さんは農学部出身で農業指導員もやってきた「農業のプロ」で、自身がリンゴ農家でもある。菊池さんの参入は銀河の里リンゴ戦略には大きな力となった。私を含めスタッフ3名とワークステージの畑班7名でリンゴ部隊が結成され、まず100本の苗を植えることになった。
 まずは練習も兼ねて米澤農園で30本の苗木を植えた。私を含めみんな植樹が初めてで、菊池さんの説明を真剣に聞きながら、いつもと違った、真剣な表情だった。
 さて、銀河の里のリンゴ園は複雑な傾斜で、粘土状の土に岩石が混じっており、圃場整備は困難を極めた。スコップも刺さりにくいため、バックホーで畝を掘りおこし、そこから出てくる、直径30cm〜50cmの石を一輪車で運搬するのが特に大変だった。それは農作業というより、まるで建設工事だった。
 そうした我々の作業の様子を、特養のユニットの祥子さん(仮名)が毎日ジッと眺めている事に気づいた。祥子さんは、夫婦でリンゴ栽培をやってきた人だった。品種によって管理が異なること、剪定や摘果などリンゴ栽培は手間暇がかかる、など色々と話してくれた。私は祥子さんにもぜひ植樹式で苗を植えて欲しいと思った。

 植樹式にみんなが参加できるようにと、歩ける利用者には事前に伝えリンゴ話に花を咲かせた。また、デイサービスではリンゴの品種名の看板をスタッフ共々作成してもらい、当日畑に掲げてもらうことにした。さらに中から見学の人たちにも植樹式に参加してもらう意味で式をおやつの時間帯に合わせ、リンゴジュースとリンゴのおやつ(蒸しパンとケーキ)で過ごしてもらうことにした。
 リンゴの植樹は50本ずつ、2日に分けて、第1回目は4月1日に行った。小雨の降る中、数名の高齢者とワークステージの利用者とで植樹を終えた。しかし祥子さんは畑には出ず室内から見守る程度だった。第2回目は4月6日だった。この日は天候にも恵まれ、グループホームやデイサービスの利用者のほか、特養の利用者も車椅子で応援に駆けつけてくれた。前日の雨で足元が泥で抜かるにもかかわらず、がんがんと掘って植える高齢者には驚かされた。いつもおとなしい感じのクミさん(仮名)が、「そこのおんばさん、私ここの土をくだくから、あなたはそれをかけてればいいの!」と指示を出すのでワークステージの利用者も驚いていた。
 祥子さんもこの日は畑に出てきてくれたが、長靴ではなく普段の外履きで、作業をしに来たと言うより、観察をしに来た感じだった。すこし様子を見て特養の中にと戻ってしまった。後で、「祥子さん、植樹どうだった?ここで良いリンゴなるかな?」と聞いてみた。すると「作業している人には申し訳ないけど、あったな粘土じゃダメなんだ。石もたくさんあったっけしな。あんな所じゃ根が伸びず、肥料も通常の3倍かかるんだよぉ。ありゃ大変だ。リンゴはならないんじゃないかな。なっても小さいと思うよ。出荷できない品質だな。」と厳しいコメントだった。
 19歳から何十年もリンゴ農家で稼いできて、リンゴ栽培の大変さを分かっている祥子さんの心配は深い。でも私は何とか頑張って、粘土と格闘し、3年後の収穫に向けて、安心してもらえるようなリンゴを作って見せたい。
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ワークステージ新年会 ★ワークステージ 日向菜採【2010年4月号】

 ワークステージの大イベント・新年会が2月10・11日に志戸平温泉で行われた。(私は今年が初参加。)どうなるのか想像がつかないこのビックイベントに、半年前からドキドキわくわくしていた。
 今年の参加人数は総勢38名。今年度新しく入った利用者や職員も参加し、今までとはまた一味違う新年会になった。
 新年会の準備は1月の初めから始まった。雅義くん(仮名)、えびちゃん(仮名)、祥くん(仮名)、裕美さん(仮名)が新年会実行委員となり、宴会の流れや部屋割りなどを決めていった。ワークの営業部長の雅義くんは、常任の委員長・宴会部長で、打合せも慣れた感じで進めていく。
 私は彼らが進める会議のスムーズさに驚きながら、利用者が、自分たちで主体となってやろうとする勢いを感じて、ますます期待がふくらんだ。
 宴会のメインはなんといっても「カラオケ」。みんなカラオケが大好きで、マイクの争奪戦になるため、ひとり2曲までとし、歌う順番もくじ引きで決めた。えびちゃんは、「○○さんとデュエット!」などユニークなくじを考えてくれたが、自分が発案した「一番はおまえだぁ――!!」というくじが当たってしまった。新年会が近づくと、日に日にその緊張がましていき、えびちゃんは前日は眠れなかったらしい。
 新年会当日は、昼からいつもに増してワークの雰囲気が明るかった。宴会は、雅義くんの司会でカラオケがスタート。嵐や浜崎あゆみなど今流行の曲から五木ひろしなどの演歌までさまざまな曲が歌われ、みんな堂々と歌い上げていた。
 これまでの新年会では毎年カラオケが始まると、音が苦手なのか、耳をふさいで泣き出し、会場から出て行ってしまっていたという昌子さん(仮名)。今回は、宴会場に入るとき、とまどいはみせたが、会場の後ろの方で座ったり寝転んだりしながら、関さんにお酌するなど頼もしい感じだった。そして、他の利用者が昌子さんの大好きな「崖の上のポニョ」を歌い始めた時だった。なんと、昌子さんはむくっと立ち上がり、その曲にあわせてポニョを踊り始めた。「ポニョといえば昌子さん」なので、みんなの視線は昌子さんに向けられ、手拍子が巻き起こった。人混みや大きな音が苦手で、怖がっていたという姿からは想像もつかないほど、ニコニコしながら堂々と踊っている昌子さん。彼女の姿を見て、周りをぱっと明るくしてくれるその力にあらためて驚かされた。
 昌子さんは、踊り終わったあと、理事長のところに駆け寄って「踊ったから歌わなくてもいいよ」と話した。泣いていたのは、歌いたいけど歌えなかったからなのか…?そうだとしたら来年はどんな姿を見せてくれるのだろう。昌子さんだけではなく、普段では見られないみんなのユニークな姿に感動させられた。初参加の私にとって、とてもHAPPYで濃い、くせになりそうな新年会だった。
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特養、焼き芋三昧! ★特養 中屋なつき【2010年4月号】

 冬の間は石が売れないから焼き芋屋に変身して食いつないでいる…という石屋さんが特養に焼き芋の営業に来た。3時のおやつ時なら食べたい人もいるかも…と、販売に来てもらう日程を決めた。前もって申し送りでもユニットへ伝えて、利用者さんの顔を思い描き、みんなで楽しみに待っていた。  当日、「♪いぃしや〜きいもぉ〜♪」のアナウンスと共に、赤提灯の軽トラが特養玄関前にやってきた。「お、来た来た!」と事務所の瀬川さん。玄関に案内してスタンバイしてもらう。各ユニットを回って知らせようかとも思ったが、「よし、あえて館内放送してみっか?!」と思い立ち、特養初めての全館館内放送『ピンポンパンポーン♪』『皆さんに嬉しいお知らせです! ただいま正面玄関に焼き芋屋さんが到着しております。食べたい方は、ぜひいらしてください。いい匂いがしてますよ! ピンポンパンポーン♪』
 さぁ、誰が来るかな?! とワクワクして待っていると、一番乗りは車いすのスギさん(仮名)とつきそう勝己くん。試食を味見して、スギさんは「おぉいしい芋だなはぁ♪ んで、1本いただくかなぁ」とニッコリ。でも値段を聞いて、「1本350円?! んで、わがね、半分だけだ!」と慌てて眉間に皺をよせる。すると、慌てて芋屋さん、「一番おっきいやつ、ホントは500円くらいほしいところだけど、350円にすっから!」
 結局「みんなで食うには半分じゃ足りねぇもなは」とおっきいのを丸ごと1本買って、3本で1,000円にまけてもらった勝己くんも一緒に大喜び。
 そうこうしていると二番手が到着、洋治さん(仮名)が前川さんと一緒にトコトコやってきた。すでに顔がニコニコと赤くなって、洋治さんが焼き芋みたい!「じゃじゃじゃ〜、頼む頼む、おれの銭っこ、あるってか?」事務所の金庫から、預かっていたお小遣いを急いで持って行くと、「さぁさささ〜、いかったぁ、ありがとぉ!」と両手をこすり合わせてニッコニコ。紙袋に入れて手渡された焼き芋を「ん、んっ!」と引っ張り出して、ガブリッ! 皮も剥かずにかぶりついた。目が真ん丸になって「んんんっ!」と唸りながら食べているから、喉が詰まったのかと一瞬焦ったけれど、「んめんめぇ!」とニッコリ。ホッとして「私にもちょうだい」と目の前で口を開ける前川さんと私の姿は目に入らないかのように集中して食べていたが、後で二人に気がついて手でちぎって口に入れてくれた。
 さぁて、いよいよ大勢が集まって来た! 廊下の奥から続々と車椅子の列! さすが、食いしん坊リーダー小松さんの率いる“ユニットこと”の奥様方。人垣で一気に賑やかになる玄関、預り金のやり取りでてんてこ舞いの事務の瀬川さん。看護師の高橋さんも様子を見ていたが、「えぇっ、トミさん(仮名)も買うのぉ?! いっつも胃もたれだぁ、具合悪い、って泣いて言う人がぁ?!」と、心配半分、可笑しさ半分で笑っている。そうとは知らずに、熱々の芋をまるで赤ちゃんでも抱っこするように大事そうに抱えて、ホクホク顔のトミさんだった。
 さあ、次々と焼き芋が売れていきます! 少し遅れてやってきたのは、なんと経管栄養で普段は寝たきりのコズエさん(仮名)。部屋で放送を聞いて「買うぞぉ〜!」という気持ちになったよう。「コズエさん、すごいんですぅ、4本買うって言ってるんです〜」と笑いながら付き添いの大坪さんとやってきて、車椅子の上でニンマリ! だって経管栄養だよ、コズエさん、芋、食べるんすか?! いや、凄いねぇ… とみんなで驚いているところへ、ちょうど娘さんが面会で玄関でバッタリ、娘さんも「は?4本?!」と驚くやら呆るやらで笑っている。
 一方では、玄関まで来たのに「私はいりません」というミエさん(仮名)、歩き食いしていた洋治さんとすれ違いざまに「それそれっ」と一口かぶりつくように勧められても、「私は食べません」と笑顔で応えている。
 「あと4本しかないよー!」焼き芋屋の兄さんが声を上げた頃、ちょうど中屋の携帯が鳴る。出てみたら西野さん(仮名)だ。「1本買っといてくれ」だって。ショートステイ中ですぐそこの部屋にいるのに電話かよ。しかも、微熱があるから食欲ないんだよなぁ…、とかってご飯食べないでいた人が、芋は食いますかい。とりあえず1本買って持って行くと「まだ暖かい、いい匂いだなぁ」と嬉しそう。食欲戻ったようだ、よかったね。
 玄関に戻ると、賑わいの波が引けて、飛ぶように売りきれて、ホクホク顔の焼き芋屋さんも帰り支度。各ユニットでは焼き芋三昧のおやつタイムで盛り上がっていた。

 夕方、トミさんが小松さんと事務所にやってきた。「あら、どうしたの、トミさん、」しかめっ面…。「わがね、おれ、胃もたれだぁ…」小松さんも「トミさんだけじゃないんですよ〜、“こと”のみんな、食べ過ぎてお腹いっぱい、夕飯も一時間遅らせてるんです〜」と笑いながらの報告。「笑い事でねぇ、ほんっとに具合わりぃ…、泣き真似さねばねぇっちゃ…」と苦笑いのトミさん。看護師さんの予感はみごと的中した。
 歩き食いしながら前川さんと中屋の開ける大口に交互に一口ずつ食べさせてくれた洋治さんだったが、後から聞けば“すばる”でも、他のスタッフにも分けて歩いたとのこと。横で「私にも、私にも」と待っている和枝さんをよそに、「男が先だ!」と雄くんに一生懸命勧めていたそう。それが手でちぎってスタッフの口に入れ、そのちぎった自分の指についた芋をベロリと舐めては次のスタッフへひとちぎり…とやるもんだから、やっと自分の番がきた和枝さんも「う…、…」と少々抵抗が働いたそうだが嬉しくいただいた…、なんて出来事も聞こえてきた。大いに笑わせてくれた洋治さん、焼き芋そのもののようなニコニコ顔だったが、そういえば夏のスイカ屋さんが来たときには、まるでスイカのように真ん丸な笑顔でスイカを頬張っていたなぁ。いやーぁみんなすごい食欲を見せてくれた焼き芋やさんの出前だった。
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本当の出会い ★特養ユニット「すばる」 村上ほなみ【2010年4月号】

 私は去年、特養のすばるから半年程GH1に移り、10月にまたすばるへ戻ってきた。帰って来たとき、移る前のすばるとはガラッと変わったスタッフと雰囲気に少し戸惑っていた。そんな私に視線を送っている利用者さんがいた。目が大きくて可愛い感じで、目が合っただけで救われたような気がした。すぐに隣に行き声を掛けた。私はそのおばあちゃんから返事が返ってくるのだと思っていたのだが、後ろから「あっ、クニエさん(仮名)って言うんだよ」と畠山さんが教えてくれた。恥ずかしそうな顔をして頷くクニエさんがとっても愛おしい感じがして私は思わず抱きしめた。その瞬間、クニエさんの表情は一気に曇ったかと思いきや、いきなりパンチが飛んできた。唖然としながら、クニエさんの表情を見て、やってはいけないことをやってしまったのだと感じてショックだった。クニエさんにはそうやって入ってはいけないのだと解った。
 その日からしばらく、私は介助でしかクニエさんと関わることができなかった。食事介助に入っても全く笑ってもらえず、気まずい時間だけが過ぎる。私はクニエさんにとって“ご飯を食べさせてくれる人”でしかなかっただろう。そんな関係が何週間も続き、私もだんだんしんどくなって来ていた。でも人をしっかり感じるクニエさんだからこそ、いつかきっと1対1でいい時間が来るはずだと信じて、その時を待つしかなかった。
 その時が来たのは思いもよらないような些細なことだった。センさん(仮名)の食事介助をしていた私の隣にクニエさんがいた。私は隣にクニエさんがいることを、さほど意識していなかったのだが、クニエさんのほうから、あまり食欲がないセンさんの介助につまずく私の腕を“がんばれ”と言うかのようにスプーンでツンツンしてきた。私は驚きながら、嬉しかった。照れているような…恥ずかしそうな…そんな顔をして見つめてくるクニエさんはやっぱり可愛くて抱きしめたくなったが、遠慮して顔をスリスリするのが精一杯だった。でも、心はスカッとした。このとき以来、私とクニエさんとの距離は近くなって行き、今では遊びで関わることもできるようになった。
 先日、おやつを誘いに居室に行った時、「一緒に寝よう」とクニエさんの上に乗ってみた。「おもい〜」と言われ2人で笑った。ベッドに横になり、いろんな話をした。言葉で返ってこないことも多いが、伝わるものがある。表情だったり、動作だったり。話すことが苦手な私はそんなクニエさんに助けられる。
 居室を出ようとした時「ん〜」と言うクニエさん。「寂しいの?もう少し居る?」と聞くと頷き目を閉じる。初めてみる素直なクニエさんだった。きっともっと関わりたい人なんだろうな〜。これからももっとクニエさんの本当の顔を見させてもらいたい。
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贈られた言葉 ★特養ユニット「こと」 佐藤寛恵【2010年4月号】

 新卒で里で働いて、今年で三年目に入る。この二年間、私はGH1でリハビリをしてもらっていたような感じがする。まっとうなコミュニケーションも取れず、生活力のまるで無い私にとって、まず問題は料理とお菓子作りだった。「日曜日のお昼ご飯どうしよう…」というのは今でも私の口癖だけれど、いろんな人に支えてもらって、体に少しずつ暮らしが馴染んできたように思う。食べたこともなかったばっけみそも、今では春の味覚として欠かせない私の喜びになった。
 GH1は昨年大きく変わった。特養が始まったので、利用者が入れ代わり、全く異なった二年目を過ごさせてもらった。思い返せば一年目は、担当になった桃子さん(仮名)と激しいバトルを繰り返し、モヤモヤしながら、迷いに迷った。二年目もまだまだ迷い続けるのだけれど、新しく担当になったアヤノさん(仮名)が私の支えになってくれた。
 アヤノさんの入居初日、なんと、桃子さんの部屋で私と桃子さん、アヤノさんの三人でお茶をした。GH2が見える部屋には暖かな日差しが差し込んでいて、春の緑が窓から見えた。アヤノさんと桃子さんはベツドに座って、私は床に座布団をしいて三入でひなたぼっこをしていた。なんでアヤノさんがそう言ったのかわからないけれど「いいね〜」とアヤノさんが笑った。
 アヤノさんの出会いの衝撃はまるでホラーだった。前髪が長く、前のめりで顔が見えない。「こんにちわ」と声をかけてにゅーっと顔を上げると、お岩さんのようなぶつけたばかりのアザと怯えた顔に思わず「ぎゃーっ」と声を出しそうだった。その一切人を寄せ付けない感じにスタッフ一同たじろいだ。
 でも初日のうちに、笑った顔に出会えて「あ〜笑うんじゃん、大丈夫じゃん」と安心した。さらにお茶の呑み方をみてすごく上品な人なんだなと感じさせられた。アヤノさんは一年でどんどん変わっていった。「ダメなんでしょ」という怯えが「いいんだよね」と笑顔に変わって行った。当初は社交なんて考えようもなかったが、今は度々、社交のやりとりを見せてくれる。コーヒーも粋に飲む姿が実にかっこいい。高校野球も相撲も、勝負所のいい場面になると、みんなにも教えて一緒に楽しんでくれるアヤノさんがいる。
 そんなアヤノさんの大きな変化を思えば驚き感動するばかりだ。1年経って、私が特養へ移動する前日、アヤノさんは私を見つめながら「元気ねえな、元気か?」と母親のまなざしで語った。緊張の前日で、気持ちが複雑になっているところへこの言葉がきたものだから、私は思わず泣いてしまった。なんでわかるの?と涙が止まらなくなる。でもそのおかげでどこかすっきりした自分になれた。
 グループホーム1の他の利用者さんも、私の移動をわかっているかのように、いろんな言葉を私にくれた。施設長から移動を告げられてグループホームに戻りミサさん(仮名)の隣に座った。ミサさんはすかさず「どう考えたらいいんですか?」と言うので、唖然としながら「どう考えたらいいんですか?」「前向きに?」と私が迷いながら告げるとミサさんもそれを繰り返した。特養の初日には「あなた」と呼び止められ「変わります!」と言ってくれた。
 先日、久々にGH1に遊びに行き、雰囲気を楽しんでいると「いろいろあるから楽しいでしょう」と今の私にぴったりの言葉が返ってくる。「そうなの、私今苦しいけれどここが変わっていなくて楽しいの」と心の中で相槌を打つ私。
 また、ちょうど部屋から出てきたヨツ子さん(仮名)を部屋にエスコートすると、「(お礼に)何かあげなくちや」と冊子をくれた。その表紙にはなんと『まぁるい生活、暮らしがつながる』というタイトル。特養の課題はまさにこれというところなのでまいってしまう。
 歩さん(仮名)は私を送り出すとき「おめも頼むよ、大変だと思うけど頼むよ」と頼むよを何度も繰り返した。すごい言葉を何人もからいっぱい贈ってもらってGH1を後にした。
 特養でも、弥生さん(仮名)にいろんなエールや叱責をもらう。その言葉は私のとても個人的な悩みをズバリとついてくる。その言葉に支えてもらっている。
 現場にあって利用者から贈られるこうした言葉に気付かないのはもったいない。もちろん聞く姿勢の無い人には語ってくれないのは当たり前なので、いっぱい言葉を贈ってもらえる、そんなアンテナを大事にしたい。やっぱり人との出会いは怖いけど楽しいと思いながらも、まだまだひよっこの自分がいる。
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100枚撮った植樹式 ★グループホーム第1 西川光子【2010年4月号】

  4月1日小雨模様の中”銀河りんご植樹式”が行われた。昨年の4月に開設した特養の北側に100本のリンゴの苗木を植えた。グループホームの私達は全員で見学に出かけた。歩さん(仮名)は幼いころよりリンゴの仕事をしてきたという事もあり、雨具を着て作業にたずさわり、他の8名は特養の中から見学した。
 苗木を植える場所には、しっかりとした支え棒が立てられてあり、とてもわかりやすくて見事だった。手作り看板もあざやかで、遠くからでもよく見えた。
 花の咲きわたるリンゴ畑を想像すると、ワクワクする気持ちが一層高まった。なじみのある”りんご”だが植える様子は見る機会がなく、みんな広々とした窓辺から興味津々と食い入る様に見ていた。
 歌が得意なサエさん(仮名)が”リンゴの歌”を歌い始める。”赤いリンゴに唇よせて・・・”つられてみんなも歌い出し熱唱となったその時、車椅子で優雅に眠っていたピリカラ姫ことセイ子さん(仮名)もむっくと両足を立て、体全体で力強く歌い始めた。
 昨年のクリスマス会の時”ローレライ”を粋に歌うセイ子さんに、魅力を感じていただけに、私はうれしくなった。 そこへスタッフがピアノで伴奏を始めた。ピアノが入って一体感が出た。さらに調子が上がっていろんな歌が出てくる。それに追いつこうとなんとか頑張るピアノ。”音は外れるが心が伝わる”という感じだったが、楽しい時を過ごせた。 植え終わると、ワーカーさん達が”がんばったよ〜”と、私達のいる窓辺にかけより自分たちの働きぶりを確認してくる。「ご苦労さん、見事だね。たいしたもんだ。ほら飲んで、食べて。」とねぎらいの言葉をかけ、おやつをすすめる高齢者の方々。とっても暖かい光景で、大事な時に思えた。
 私は、なぜか幼い頃から写真を撮られるのが嫌いだった。カラー写真が世に出始めの頃、写真を撮ってくれるという人があって、私は特別な日にしか着ない、華やかなお振り袖を着せられ、撮ってもらった。嫌々なので、着物は綺麗なのに、自分の表情は悲しげだったのを覚えている。そんなだから、写真を撮るのも好きではなかった。子育て中の記念日も、自分の肉眼で心に焼き付けたいという変なこだわりでカメラを手にすることは少なかった。
 ところがである、今回の植樹式は、気がつかないうちにカメラマンをしていた様で1時間に100枚以上撮っていて、その枚数を知った時は自分でもびっくりだった。
 ”この場面”と言うときに、これでもかこれでもかという気持ちでシャッターを押していた。この中の1枚か2枚納得のいくものがあればもうそれで満足と思っていた。
 『見てくれる人あって働く力が湧き、働く人あって応援する気持ちが湧く』こんなことを感じたひとときは心地良く、尊いものに感じ、3年後の収穫は格別楽しみだ。
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今月の書「煌」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2010年4月号】

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春の日差しに冬の影

ゆっくりゆっくり
影と向き合い
光をまとい
少しずつ進んでいく

心揺れ、揺さぶられながらも
心のままに

弱さを強さに
その強さを信じたい

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