2010年02月15日

バケツリレー ★ワークステージ 佐々木 哲哉【2010年2月号】

 1.17. 阪神淡路大震災があった日。
 当時大学3年生だった私は、震災から早々に現地入してボランティア活動をしてきた友人が熱く語るのを聞いて居ても立ってもいられなくなり、アウトドア道具を詰め込んだザックを背負って深夜の夜行列車に乗って、神戸入りした。住民の避難生活場所となったある小学校に向かう途中、全壊している建物の隣に無傷のような住宅があったり、小学校に着くと昼下がりの明るいグラウンドで元気にはしゃぎまわっている子供たちがいたり‥‥と、テレビの画像や報道で見てきた状況とのギャップに戸惑った。私は単純に人手が足りない地域に行って「行けば何かを手伝える」という思いで、人海戦術=バケツリレーという肉体労働に携わることを想定していた。しかし、震災から二週間が経っており、現地では第一段階としての救援活動は終わりつつあり、すでにボランティアによる活動から地域住民主導の自治へ移行を図っていく第二段階に移っていた。
 本来、有償であれ無償であれボランティアだろうが業務だろうが、仕事に取り組む姿勢に差異があってはならないと思う。が、当時の私は「ボランティアだから」と甘えていた。現地でほとんど役に立てないままあっという間に一週間が過ぎ、帰路についた。あれから15年。紆余曲折の後、僕は今、銀河の里のメンバーたちと、いろんな作業に取り組んでいる。みんなで播いた種から発芽した稲や野菜の苗、手刈りした稲束、箱折りした段ボール、ウッドボイラーの燃料となる薪材‥‥等々、いろんなものをバケツリレーしてきた 。
 この一見ただの単純作業にみえる手渡しの作業は実は奥深いと感じる。例えば受け手が取りやすいように気を使うとか、置いたとき見た目にもきれいに整然となるように‥‥等、連携プレーが試される。機械で省力化も図れるが、銀河の里では、あえて人力で物の受け渡しをすることが、わかりやすい作業であったり、みんなでやっているという一体感が得られたり‥‥と、ただの「物の運搬」ではない大きな意味もあるように感じる。日が傾き始めた夕刻、土の上でメンバー達と作業しているとき、ふと会話が止まって無心になる一瞬がある。その瞬間は得も言われぬ不思議な光景となって僕の胸に焼き付けられる。決まり切った、こなし仕事としての「作業」ではなく、協力して土にまみれ汗して働くことを通じて生まれる喜びやエネルギーが渦巻いてくる、美しい時であって、それはどんな芸術にも勝るように感じる。
 神戸の震災ボランティアで、避難所周辺の家を廻って所在を確認していたとき、あるお宅で「ありがとう、ありがとう」と何度も涙を流してお礼を言われたことが忘れられない。水不足の中、ペットボトルの水を少しずつ使った歯磨きや、最終日に初めて入った自衛隊風呂の思い出とともに、今も僕の大きな原動力となっている。

 お米や大葉・トマトなどの野菜、リンゴ、餃子や焼売等の生産に今年も一層励み、個人との関わりはもちろん、作業を通じても変容していく力やその「思い」も届けられるよう、そしてみんなの工賃に還元できるよう頑張りたい。遅ればせながら昨年ご購入いただいた方へ、御礼を申し上げます。本年も引き続き宜しくお願い致します。

「 なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
     風とゆききし 雲からエネルギーをとれ 」  (宮澤賢治「農民芸術概論」より)
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みずき団子作り ★デイサービス 小田島鮎美【2010年2月号】

 小正月、今年の五穀豊穣を願うみずき団子を飾った。私にとって、みずき団子作りは初めてのことだった。“みずき”という木があることすら知らなかったし、何のために行われる行事なのかも知らなかった。子供の頃、冬休みにいとこの家へ遊びに行くと、茶の間にみずき団子が飾ってあったのを思い出しながら、今回はそれを作る立場になった。
 団子を刺す前にまずみずきの木の芽を取る。真知子さん(仮名)、花子さん(仮名)、ミチさん(仮名)と一緒に、芽をとる。真知子さんは、体が前のめりになりながらも、一生懸命に芽を取っている。芽を取り終わって、今度は団子作り。もち粉とうる粉を混ぜ、水を少しずつを入れながら、手で練っていく。おっかなびっくりで、水を入れる私に、「もすこし。もっと入れていいですよ」とアドバイスするサエさん(仮名)。サエさんのいう水加減は絶妙で、「このぐらいで大丈夫」というところで、手を止めて様子を見ていると、サエさんのしとねる団子は、手にくっつかない、ほどよい固さの団子になる。紅しょうがの汁、梅干の汁、ココアの粉、抹茶の粉とデイにあるものを使って色付けをし、ゆであげる。そのお団子を、ひとつひとつ、みんなで、みずきの木に飾っていく。まるで、花が咲いたような飾りができあがった。
 今年も、たくさんお米がとれますように。米が育つための、日射しと雨がありますように。そんな願いをこめて、行われてきた行事なのだろう。私の世代は、お米は店に行けばいつでも売られてるもので、お米を作る大変さや、農家が自然とともに生きる暮らしを知らない。なんでも便利になっていく世の中だが、みずき団子作りを通して、利用者さんが生きてきた時代や、農業、米作りを中心とした暮らしというものを、もっと実感していきたいと思った。
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一対一で出会うということ ★理事長 宮澤健【2010年2月号】

 ユニットケアに挑戦して1年が過ぎようとしているが、この間、立ち上げの激闘の日々だった。ユニット立ち上げの難事業で実際組織全体が揺らぐほどの困難を抱えていると言っても過言ではないだろう。現状はなんとか持ちこたえているものの、立ち上げの達成率は40%といったところだろうか。各スタッフも日夜奮闘努力を重ねているのだが、さらなる関係各位の応援、助言、叱咤激励、忌憚のないご意見をいただきたいと願っている。
 銀河の里はこれまでグループホームケアを中心に育ってきた。グループホームは認知症ケアの切り札として導入されたのだが、制度導入の初期の段階から、現場で実践の経験を積んできた10年だった。その中で常に意識してきたことは「一対一で出会う」ということだった。人と人が一対一で出会うということがグループホームの本質であり、人間関係の究極だと捉えてきた。
 初めは、グループホームは人数が少ないから簡単だとか、楽だとか言う話をよく聞いた。つまり、特養などの大人数を扱う施設より楽でやりやすいだろうという訳だ。しかしそれは、全くグループホームの本質を知らない者の言葉で、集団を管理するという発想がそこにあるのだが、グループホームは集団の管理とは全く別種の、人と人が出会い、向きあう場所であるはずなのだ。全て個室で人数も少ない利用者9人とスタッフ7名前後の共同生活であるのだから、そこには一対一が実現する。つまり人と人が出会ってしまう場なのだ。
 人数が少ないから簡単だと言う人には、人間が一対一で出会うということの凄まじさを知らない。人と人が出会ってしまうということはとてつもなく恐ろしいことでもある。その怖さを象徴的に言うなら、「相手の瞳のなかに映る自分自身の姿を見てしまう」という怖さなのだ。古代人は自分の姿が相手の瞳に映ることを極めて怖れたという。つまり自分自身を発見してしまう恐怖がある。自分自身との出会いがそこに始まる。現代人にとってもこれほど恐ろしいことはないだろう。
 つまりグループホームでは自分自身が照らし出されつつ人間の発見がなされる場だということだ。 これはあまり理解されないままではあるが、現場では実感されていたはずで、さすがに最近はグループホームは簡単だと言うような人はいなくなった。しかし、一方で手のかかる大変な人は病院へ送ったり、退所を言い渡すような傾向が顕著になってきていて、認知症の切り札であったはずなのに、難しい人は追い出しているという非難はある。
 自分自身を通じて人間と出会い発見するという覚悟と、それをやり通すだけの枠組みを持っていないと、真の意味ではグループホームの実践は厳しいのではないだろうか。人間が出会い、関係のダイナミズムが動き始めると、生き生きとした相互発見的な力動が生まれる。それは近代、現代と続いてきた人間疎外の海底の暗闇の中の一条の光を見るような、人間の再発見の可能性を秘めており、新たな人間観を創造する次代の文化の基礎となるほどのことではないかとさえ感じる。
 現場で培った10年の感動の経験を生かすべく、スタートしたユニットケアだったのだが、現実は厳しく、そうした思いは通じるどころか、あっけなく蹴散らされてしまった。続く
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鬼は〜外、福は〜内!! ★グループホーム第2 米澤里美【2010年2月号】

 2月3日の節分の日。豆まきは恒例行事だが、私はグループホーム初年目で初の豆まきとなった。子どもの頃、家族でやって以来の豆まきで、さて、どんな風に豆まきをしよう・・・と頭をグルグルさせていた。
 そこに雅義君(仮名)から「鬼、僕やりますか?」と声がかかった。ワークステージの雅義君は自他共に認める銀河の里の宴会部長だけあって。さすが!銀河の里6年目の雅義君はこういう行事には抜かりがない!鬼役は決定。ところが普段から桃子さん(仮名)とはなぜか険悪の仲。どんな豆まきになるのだろう、とドキドキする私。
 落花生もあるし準備はオーケー。鬼役の雅義君の登場を待っていた。サチさん(仮名)は、自分の顔をモチーフに書かいてもらった手作り鬼の面を顔にあてがい、「ふん!ほー!!!」すでに会場をわかせてくれている。いつもは部屋で過ごすことの多いコラさん(仮名)も、「豆まきはやらねばない。」とリビングに出てきていた。
 そこにいよいよ雅義くん鬼が登場。サチさんが大好きな雅義君は、玄関から入るとお面をかぶったまま「サチさん、大好き。」と叫ぶ。それがおもしろくない桃子さんは「ほれ!あっちいけ!いけ!馬鹿!バカー!!」と、節分の豆まきを忘れて、憎しみをぶつけるようにわしづかみにした落花生を激しくぶつける!剛速球の落花生がリビングに飛び散り、節分の豆まきは怒りの豆投げとなりリビングは騒然となった。
 私のイメージでは「鬼は〜外!福は〜内!」と穏やかに笑顔で豆を投げるはずだったのに、まるでちがう修羅場となった。「早くでてけ!ばかやろー!」と豆をぶつける桃子さんに「福は内って言わないと〜」と言う人もあるのだがもうそんなことは桃子さんにとっては関係ない。
 そんな中、「鬼は〜外〜♪福は〜外」「イヤ♪福は〜内♪」と言い直しながら豆を撒いているコラさん。「ん〜、オラもまだ太いイイ声出るもんだなぁ〜。今年はいい年になるぞぉ♪」とニコニコしている。クミさん(仮名)は豆をまくどころか、桃子さんが投げて散らばった豆を一個一個丁寧に拾ってくれている。そのうち雅義君はディサービスや第1グループホームでの鬼役もやらねばならなかったようで、いつの間にかGH2から退場していた。それでやっと桃子さんの怒りモードもおさまった。
 おやつに豆を食べながら「年の数食べればいいって言うけれどこの年になれば大変だなぁ」とコラさん。「これ中国産か!やっぱり千葉県産じゃないと。」と久子さん(仮名)。桃子さんは後味が悪いのかしかめ面をしながら豆を食べていた。ユミさんは豆をひたすら剥き続けてみんなに振舞ってくれた。桃子さんが投げた豆はかなりの量になったので、ピーナツ味噌を作ることにした。「ガハハ!んだってか!」と笑う桃子さん。
 利用者9人9様の豆まきだった。一時は恐怖の豆ぶつけ大会にどうなるかと思ったが、みんな個性全開で限りなく自由でおもしろい節分の豆まきだった。
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辰雄さん復活 ★デイサービス 藤井覚子【2010年2月号】

 デイサービスをこの3年ほど利用されている辰雄さん(仮名)は、昨年の11月頃から日中眠って過ごすことが多くなり、食事もしっかりとれず、意識がはっきりしない状況もおこるようになった。
 認知症の主治医に内科の専門に診てもらうよう紹介状をもらったが、総合病院では点滴はするが、認知症は入院できないと断られた。
 致し方なく、点滴に定期的に通ったり、ショートステイで受け入れてもらい、点滴を続けながら過ごしているうちに、状態が少しずつよくなり、元のように目もパッチリと開け、食欲も出てきて、ジッと職員の動きを目で追う様子が復活してきた。「辰雄さーん」と呼ぶと言葉は出なくても目をまん丸くし、キラキラした目で私を見つめてくれるようになった。周りの皆にも「元気になったね〜いいよ〜」と声をかけられると目を一そう大きくして応えてくれる。何かを伝えようとしているのがこちらにもひしひしと伝わってくる。
 辰雄さんは以前から自分の思いを言葉で伝えることは難しい人だが、表情で感情を豊かに表現できる人で、周りの雰囲気に敏感でもある。
 以前こんなことがあった。ホールを歩いている辰雄さんを見たタマさん(仮名)が「だまって座ってろ!」と厳しい口調で怒鳴った。その時、辰雄さんは固い表情でその場から離れていった。その後で、同じテーブルに職員も交えて座り、タマさんに「辰雄さんは働き者で気持ちの優しい人なんだ」と伝えた。タマさんはそれを聞いて「おれの父さんも働きもので優しかったんだ、あんたも優しい顔してる」と辰雄さんに話してくれた。それを聞いて、辰雄さんは涙を浮かべていた。認知症で言葉を発することはできなくても、言葉や雰囲気を感じることは充分にできているし、むしろそうした感覚や感性は研ぎ澄まされているように感じる。
 先日もホールで私が幸子さん(仮名)と手を繋ぎ歩いていると後ろから辰雄さんの視線を感じた。振り返ると、辰雄さんの温かい眼差しがあったので、嬉しくなり手を大きく振ると辰雄さんも手を前に出してくれた。気持ちが通じたと確信できる瞬間だった。
 「介護の現場で何ができるか」ということも大事だが、「自分が何をしたいか」という気持ちや感情がないと、微妙な表情の変化や相手の心の動きを敏感に察知することはできないように思う。私は、自分の気持ちを言葉や表情で伝えていきたい。気持ちが伝わり通じることは人間の生きる大きな力になると信じている。
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今月の一句 『運営推進委員会での歌会』 ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2010年2月号】

琴の音と この手の響き 感じつつ 雪の白さと みかんの甘み 
 

 グループホームでは運営推進会議を2ヶ月に1度持つことになっています。これは全国にグループホームが急増していくなかで(10年で1万カ所設置された)、非人間的な扱いに陥るひどいところが数多く出てくるので、業を煮やした苦肉の対応として利用者や家族、行政などの関係者を交えた協議会として運営推進会議の開催が義務づけられたものらしいのです。こんな堅苦しい名前をつけた協議会で何とかしていこうなんて発想からは管理的な無機質なモノしか生み出せないような感じがします。どうせやらねばならぬのなら、実のある楽しいモノにしていきたい・・・そこで1月は委員のみなさんに川柳または俳句をもち寄ってもらい、新年の「歌会」をしようということになりました。お題は「雪、もち、正月」でみなさんそれぞれの思いを詠んでもらい、琴の響きをバックに披露し合ったのでした。
 会場も炬燵に座り、琴の調べを聞きながらと正月の雰囲気を演出しました。はじめは簡単に報告をしていましたが、武雄さん(仮名)が「そろそろ本題に入りましょ」と一声。そこからまた雰囲気が変わり「歌会」に入っていきました。
 私は豊子さん(仮名)の隣に居たのですが、豊子さんが私の手を握ってくれたまま琴の音を聞きました。琴の風流な調べと豊子さんの手のぬくもりで私は気持ちがいっぱいになりました。私も今の思いを一句にと張り切っていたのですが、胸がいっぱい、頭がいっぱい、手も握ったままで、その場では句や歌を表現できませんでした。
 でも、あとで、その時琴の調べとともに感じた、繋いだ豊子さんの手のぬくもりや、豊子さんの表情を通して通じた気持ちなどを留めておきたいと思い、今回この一句をうたいました。
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今月の書「祈」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2010年2月号】

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祈りの力 
信じる心
目に見えるものよりも
目に見えないものを信じる力は強く

その人を
誰かと誰かの関係を
支え続ける

それはカタチではないもの

祈りが何かを変えていく



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